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Xpat in Chicago

気がついたらシカゴ生活12年超え。
シゴトとママ業掛け持ちのXpatブログです。

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KEIKO
日本の復興を願って… (04/20)
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マルチリンガル語録 17-18ヶ月
17ヶ月を越えたころから確実に言葉に敏感になってきたムスコ君です。理解し、かつ声に出せる言葉の数、自分では言わないけれど理解している言葉の数、それから理解はしていないけど音を真似できる言葉の数がいくつなのか数えたことはありませんが、最近よくムスコが使う言葉といえば…

1.No (英語)
確実にこれです。

2.マンマ (日本語)
朝起きて一番にマンマ、マンマ、と言いながらダイニングのハイチェアのところまで歩いていきます。彼の食欲は衰えるところを知らず...ママとマンマの区別が未だにはっきりせず...

3.タトゥ (ポーランド語)
残念ながらママよりもパパが大好きです。保育園の送り迎えを全部やってもらってるけどそれでもジェラシー。でも音が好きなのか、どういう意味で使っているのかパパ以外のものもタトと呼ぶことがあって、時々首を傾げています。

4.ワッッダー (英語)
これ、何だか分かります?デイケアで覚えてきた言葉、What is that? です。
初めてこれを言い始めたころは”ワジャ”と言っていて、ちゃんと言えない所がかなりかわいいかったのですが、少しずつましになってきて最近は ワッッダー。これを聞くたびに日本語で答える私と、ポーランド語で答えるパートナー。ムスコはおそらく混乱してるはず…

5.とうぃ (日本語)
=とり。舌を巻く漢字が難しいらしくラ行はいえません。最初はとわだったのが2-3週間で進化しました。

6.マイン (英語)
これもデイケア。Mine! 私の、僕のとおもちゃを主張する幼児の姿が目に浮かびます…デイケアの先生にも最近、同じ年の男の子とわめきながらおもちゃの取り合いをよくする様になったって聞いたところです。もうすぐ魔の2歳児。

7.ナナ (英語、日本語、ポーランド語)
かわいいから私たちもバナナをナナと呼ぶようになりました。

8.ワンワン (日本語)
サシャを見ても、他の犬を見てもこれ。でも最近はリスを見かけてもワンワン。確かにかなり小さい犬もいるし、動物はみんなワンワンなのかな… 時々これが英語バージョン、バウワウになりますが、両方理解しているようです。パートナーいわくポーランド語で犬と言っても理解している模様。

9.め (日本語)
目。大好きだった(最近は鳥の付いた本のほうがお気に入り)”だるまさんの”の本で覚えた一文字の体のパーツ、目、手、歯がいえるようになりました。まだ言えないけどどこ?と聞くと指差してくれるのは、足、鼻、耳、口、などなど…

10.とペい (日本語)
時計。しばらくは”と”だったのが最近進化しました。時間の感覚がつかめるようになるのはまだまだ先らしいのですが、時計を見ると(実物、本の中)得意になって指差しています。

他にも、ば,ば(バブチャ -ポーランド語でおばあちゃん、)ミ (ミルク)、だ (だるま - しばらく達磨にはまった時期があって、”だるまさんが”の本を読むたびに大爆笑していました)、ミャー (ネコ)、モー(牛、英語バージョンのムーもあり)、で 電気)などなど、数えてみるとほんとにいろいろあります。ちなみに、パートナーはムスコの知っている言葉は全部覚えているので、ムスコがパートナーに日本語で話しかけてもパートナーが理解できるのに反して、私は全くと言っていいほどポーランド語が理解できないので、こうしてムスコの言葉を羅列してみると、3ヶ国語の中ではポーランド語が一番遅れているように見受けられますが、私が聞き逃している可能性は大です…アシカラズ。いずれにせよ、確実にムスコ、赤ちゃんから幼児に変化してきました。
2011年10月6日(木) 05:40 [ 子育て記 ]
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アメリカ人が我が家にやってきた!
…っていうかアメリカに住んでるんだからそりゃたまにはくるでしょ…と思ってますか?

違います!

っていうかアメリカ生まれのムスコのことでしょ…と思ってますか?

違います!

なんと。

うちのパートナー君、アメジンになってしまいました!

日本で生まれ育って、日本語しか知らない在日韓国人の3世でもガイコクジンである日本で生まれ育った私には、これは何とも不思議なものですが、アメリカではちょくちょくあることなのです。我がパートナー君は、1993年に高校生としてアメリカに移住して以来この日を心待ちにしてきました。そしてアメリカ国民権を申請できる最初の日に合わせて申請をし、先月21日正式にアメリカ人となりました。

7月21日、私も午前中は仕事を休んで、ムスコも一緒に家族総出でこの晴れの儀式に参加してきました。31カ国、85人の新しくアメリカ人となる人たちがこの日、シカゴの移民局に集まりました。こんなにいろんな国の人がひとつの部屋に集まる機会などめったにないなーと思いながら、我がパートナーや恐らくそれよりももっともっといろんな、つらい経験を超えてこの日を迎えた人たちのことを思うと目頭が熱くなってしまいました。

2011-07-21 001 049.jpg

オバマ大統領からのビデオメッセージ。ここまで来るのにいろんな思い、経験、そしてアメリカという国への貢献ををしてきたでしょう。これからもアメリカのために貢献し続けてくださいって。


2011-07-21 001 037.jpg

こうしてみんな片手を挙げてアメリカ人になることを誓いました。感情的ではないパートナーもちょっとウルウルしちゃったんだって。ちなみに儀式が始まるまで私と一時間以上この部屋で待ち続けたムスコ、疲れてパートナーの腕でくねくねしてました。ま、泣き喚かなかっただけよかった…


ちなみに。ガイコクジンがアメリカ国民になるには、まずは永住権が必要です。私もこの永住権を仕事がらみで取得しましたが(アメリカ人と結婚した人たち、難民と認定された人たちも取得できます)、パートナー君も仕事を通して取得した永住権を過去5年持っていました。つまり永住権を取得して5年経つとアメリカ国民権の申請ができるのです(仕事を通して永住権を取得した場合。多分アメリカ人との結婚を通したらもっと早いはず)。パートナーが取得したことで、私も取得しないのかといろんな人に聞かれますが、とりあえずは考えてないというのが私の通常の回答です。アメリカ国民となること、イコール、日本国民であることを放棄しなくてはいけなくなるのです。これは国によって違うのですが、パートナーのポーランドはポーランド国籍を維持したままアメリカ国籍を取得してもいいので、彼の決断はそれほど難しいものではなかったのです…とはいえ、もしアメリカとポーランドが戦争を始めたらアメリカ側につくよ、と言い切れる彼にとってのアメリカという国の意義の大きさは私の想像を超えるものなのです。
2011年8月25日(木) 07:08 [ Xpat Views ]
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久しぶりのヨーロッパ、初のコブ付きヨーロッパ 完結編!
確かこの旅行から帰ってきたのは5月の頭、そして今はシカゴではもうそろそろ夏の終わり感じ始めた8月の終わり…もうこの話題は書かなくてもいいかな…と思ったけれどもやっぱりはじめたことは終えないとね…ってなことで完結編です!

マルモから電車に揺られること30分、最終目的地コペンハーゲンに到着しました。電車といえばシカゴのうるさくて、汚くて遅い電車慣れしている私たちにとっては何とも快適な電車の旅でした。何だか日本みたいだねーなんていいながら。

08.23.11 Copengagen water.jpg

私たちの初日は、運河ツアー。ムスコも風、景色を堪能。運河沿いのニューハウン(多分New Townのデンマーク語バージョン)はカラフルな建物、たくさんのレストランやバーでにぎわってます。アンデルセンが住んでたという建物もこのあたりでした。


08.23.11 Copengagen guard.jpg

アマリエンボー宮殿の護衛。ゆっくり足取りを合わせて行ったり来たりしてました。絶対笑ってくれないんだよね…現在の王室はここです。


08.23.11 Copengagen castle.jpg

私たちが3泊したホテルはエコ認定されているKong Arthurというホテルですが(エコ認定…北欧らしい!)、ホテルから少し歩くとこのローゼンボー離宮があります。離宮を囲むローゼンボー公園は自由に入ることができ、かなり大きいのですがきれいに手入れされていてゆっくりとストローラーを押しながらの朝の散歩は気持ちがよかったです。もちろん途中で立ち寄ったカフェのパンとコーヒーを片手に。

08.23.11 Copengagen stroller.jpg

最後に。コペンハーゲンの町のいたるところは石畳が敷かれ風情をかもし出しているのですが、旅行用のムスコの小さなストローラーではとにかくがたがたして、かわいそうかな、なかなか昼寝もままならなかったようです。こっちのママたちはどうしてるのかな…と辺りを見回すとこんな大きなストローラーばかり…なるほど、これなら安定感あるし、赤ちゃんはちゃんと横になって眠れる…でもごっつくない?!
2011年8月25日(木) 06:24 [ 旅行記 ]
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マルチリンガル語録 15-16ヶ月
もうすぐ17ヶ月のムスコ、えっ??何言ってんの?!がほとんどですが、かなり言葉らしい言葉を発してます。その中でも一番のお気に入りは、

たとぅ〜

これはポーランド語でパパのことです。
昼寝からおきたムスコが一人でクリブ(ベビーベッド)の中で、または一人で遊びながら発していることもしばし。でもタトを呼んでいる訳でも、果たして意味が分かって使っているのかはかなりなぞです。そうは分かっていても、最近はママ〜と呼んでくれることがほとんどないので正直ちょっとジェラシーです。

最近私たちを困惑しているのは、

ないない

これを最初に聞いた私は(私にはそう聞こえた!)、お、日本語で何にもないよー、といっているのだと思って大喜びしたのですが、よくよく考えてみると、私、教えてない…ってことは?

二ェ二ェ −ポーランド語でNo,Noって言おうとしてるのかな?これは私たちもよく使ってるし…

Night-Night - それとも、英語でお休み?デイケアでお昼寝のたびに言ってるのかも…

なぞです。

同じような話ですが、

も、も

とごはんをさらえた後に”も”を連発し始めたときには、お、もっともっと、って日本語で言ってるんだ!えらい!と思ったのもつかの間。これもよく考えると教えてない…恐らくこれは、

More,More −と英語でもっと欲しいといっている模様…たまたま同じ音だった...


確実に言葉の意味を理解して使っているのは、

No, No,No

Yesは聞いたことがないのに、これは歯を磨くときも、オムツを替えるときも、公園からうちに帰りたくないときも連発。かなりアメジンのコドモみたい。できる限り日本語、ポーランド語でがんばっているつもりだけど、やっぱりデイケアの影響かなり強力です。

他に思いつくところは、

ナナ − 大好きなバナナ

 −だるま (”だるまさんの”の本が大好きで、見るたびに喜んで言います。よ、日本人!さっそく追加に”だるまさんが” と ”だるまさんとかみなりちゃん”の本を注文しました。

 −も、が一回だけのときは、なぜだか目のこと。何度目、といってもうれしそうにも、と言って来ます。これも”だるまさんの”の本から学びました。

 −時計

そのあたりがよく出てくることばです。だんだん人間っぽくなってきました。
2011年8月23日(火) 03:33 [ 子育て記 ]
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久しぶりのヨーロッパ、初のコブ付きヨーロッパ その3
さてグダンスクのあとは私たち家族だけでの4泊の初旅行、そしてシカゴへ帰途。

グダンスクから小さな飛行機に乗って一時間ほどのスウェーデンのマルモでは一泊のみ。もともとはコペンハーゲンへの小旅行が目的だったのですが、グダンスクからコペンハーゲンへの飛行機がかなり高かったので、コペンハーゲンから電車で30分ほどのマルモへ格安で飛び、そこで一泊してからコペンハーゲンへ行くことに変更。電車で30分といってもスウェーデンからデンマークへと北欧を2カ国旅行することになりました…でもパスポートのチェックがあったわけでもなく、どっちにしろ言葉が分からないので違う国に行った感じは全然しなかったのですが。

07.10 - Europe1.jpg

ダウンタウンスクエアー。昔の建物が今は市役所に使われています。この近くにレストランやお店の集まったもう少し小さめのスクエアーもあります。のんびりと歩き回れる街でした。

07.10 - Europe2.jpg

ダウンタウンから少し歩くと、こんなのどかな石畳のかわいいおうちの並ぶ町です。後で偶然発見したのは、小さいころによく読んだ覚えのあるニルスの不思議な旅のお話はこの国の初の女性ノーベル賞受賞作家によって書かれ、ニルスが旅を終えたのはこの町マルモから程近いところだったそう。シカゴに戻ってすぐに英語訳の本を買いました。ムスコにもそのうち読んであげよう!


あ、ムスコが昼寝から起きてきたので、コペンハーゲンは次回報告。っていうかこの旅からもう2ヶ月経っているのに…
2011年7月11日(月) 00:43 [ 旅行記 ]
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久しぶりのヨーロッパ、初のコブ付きヨーロッパ その二
前回に続いてヨーロッパ旅行の報告です。

パートナーの田舎でのんびりと一週間強親戚回りをした後は、パートナーのお姉さんと私たち一家でバルト海沿いのグダンスクという町まで車で移動。たしか6-7時間かかったかな。そこでコンドを借りて3泊。朝食をコンドで食べてから観光し、夕方には帰ってきてムスコをベッドルームに寝かせて私たちはリビングでビールを飲みながらゆっくりな日々。一部屋だけのホテルではこうは行かなかったと思うと、前もってコンドを手配しておいてくれたパートナーのお姉さんに感謝。

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グダンスクに行く途中に立ち寄ったのが、マルボルク城。ここでは一時間足らず過ごしただけですが、とにかく大きい!美術的にだけでなく、歴史的にもとても面白く、敷地内には城の一部のような古いホテルもあるので、ムスコがもう少し大きくなったらここに一泊泊りがけで来ようと決定。そのころまでには、パートナーの田舎からここまでの道路工事が終わっているといいんだけど…(現在一車線のみ)


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グダンスクはポーランド人なら誰でも知っている、ソリダリティー(連帯)発祥の地です。連帯は1980年代に共産主義に反対しポーランド民主化のためにこの地で活動を始めました。そのときに3人の人が最初に犠牲になったのでここに3つの塔が建っています。よく見るとキリストが自らをささげたのをもじって3つのイカリが釘で打ち付けられたようなデザインになっています。ちなみに、EUの助けを借りてこの地にソリダリティー博物館が立つ予定。このときはすでに建設が始まっていました。


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グダンスクの石畳のカラフルな町並み。このメインの通りから少し入るともっと小さな石畳になり、ムスコの小さなベビーカーはがたがたゆれっぱなし…でも古きよきヨーロッパの町です。そろそろ始まるハイシーズンに合わせて、道沿いのレストランはこぞってテラススペースの準備をしていました。夏には観光客でレストランもすぐには入れないとのこと。この時期に行ったのは大正解。春の日差しも助けてのんびりできました。


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グダンスクの水際の町並み。この日は少し肌寒かったのですが、何だかほっとします。


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No More War!
グダンスクは第二次大戦の最初の火花が散った町でもあります。このあたりには当時の戦争の面影が残され、歴史の悲劇に何度と巻き込まれたポーランドなられはのメッセージです。
2011年6月22日(水) 23:22 [ 旅行記 ]
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マルチリンガル語録 14ヶ月
一歳を超えだすとそろそろ言葉が出だすころらしいのですが、バイリンガル(2ヶ国語)の子供は二つの言語を行ったりきたりするため言葉の習得が遅れるなんてことも聞きます。ムスコにはバイリンガルではなく3ヶ国語、マルチリンガルになって欲しいなんて親心に思っている私たち、どうやって言語を習得していくのかこれからが楽しみです。

さて。こうしている間にもムスコ君、一人の世界でおしゃべり中…
でもママと呼ばれたことも、タト(ポーランド語でお父さん)と呼んでいるところもいまだなく、言葉らしい言葉といえば、

マンマ

くらいな物で、これもマンマ=ごはんが欲しいと日本語を話しているのだと私が勝手に解釈しているもので、パートナーは、

ママ

と私を呼んでいたものを私がマンマと勘違いしたのではないかと憶測。ま、似たようなものでしょうか。

そんなムスコが最近連発しているのが、

ウォーゥ

さしゃが走ってくるのをみてもこれ。おもちゃを箱から出してあげてもこれです。
つまり、これはどうがんばって聞いても

Woooooow!

です。アメリカのデイケアに週3日行って、私とパートナーを含めた回りの英語を毎日聞いているアメリカ人のムスコだと分かっていても、こうしてムスコは日本人である前に、ポーランド人である前にアメリカ人であることの隠しようのないれっきとした証拠を突きつけられると、驚嘆と落胆を隠せないのは私だけなのかな…なんて思いながら息子の隣で、私、

おぉぉぉぉぉー

と驚いてみます。
無理強いさせるつもりはこれっぽっちもないつもりですが、いつか日本語で会話ができることを夢見ながら日本語刷り込み作戦…次回へ続く…

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2011年6月16日(木) 02:20 [ 子育て記 ]
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久しぶりのヨーロッパ、初のコブ付きヨーロッパ その一
4月末から5月のはじめにかけて久しぶりにヨーロッパへ行ってきました。
私にとっては5年ぶり2回目のポーランドですが、ムスコにとっては初めてポーランドのおじいちゃん、おばさんを含めて親戚に会うことになりました。

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ポーランドの首都ワルシャワまではシカゴから直行で9時間ほど。パートナーの田舎はワルシャワから車で3時間ほど行った、ベラルースの国境からほど近い人口1万人ほどの町です。夜10時初の飛行機でワルシャワへ向かった私たちですが、飛行機が余りにも新しい経験で2-3時間ほどしか眠れなかったムスコ君、翌日の夕方にやっとパートナーのお姉さんのうちについて夕食を済ませるとバタンキュー。まだ5ヶ月で日本に行ったときはもっと寝てくれたから楽だったな…なんて思いながら私たちもこの日はバク睡。ちなみに旅行で大活躍するのは、この子供用のマットレス。空気を抜けば結構小さくなります。

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町を歩いていると、鎖につながれていない飼い犬が普通に町を歩いていました。呼んでも来るわけでもなく、その辺で休んでいる姿もちらほら。何だかとってものどか。



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のどかといえばこれ。高いところにふと目を向けると、よくこうして巣の上にコウノトリがいます。


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これは私の中ではかなりのヒット…でも頭の中でずっと???でしたが、なんと孔雀。うちの庭で卵用に(もしくは肉用に)鶏を飼っているところはたくさんあるのですが、このお宅、なぜか鶏たちに混ざって孔雀が何羽も…これはここでも珍しいらしい。


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そしてのどかついでにもうひとつ。パートナーの町を5分も出ると家族で農業をして生計を立てている家族がたくさんいるのですが、乗用車を所有していなければこうして町にでてきます。


この小さな町に私たちは1週間ほど滞在し、たくさんの親戚、友達に会いました。毎日違うところへ夕食へ招待され、私のためにご馳走を振舞ってくれ、中には普段は余り食べない米を用意してくれたり、ムスコのためにギフトを用意してくれたり、私たちが来るのを首を長くして待っていた様子が手に取るように分かりました。ムスコも最初は会う日と会う人に抱き上げられて、びっくりして泣いたりしていたのですが、慣れてくると自分から何度も手を差し出して挨拶をするようになりました。初のポーランド親戚めぐり、大成功です。

ちなみにパートナーの田舎は観光客が来るようなところではないので、私たちが着いた次の日の夕方までには、町に中国人がいるなんてうわさがたったり(仕事に行ったパートナーのお姉さんから聞きました)、親戚の中には私とムスコを珍しがって写真やビデオを撮り続ける子供もいたりして、久しぶりに本当に異国に来たんだなーと感慨深くなりました。
2011年6月13日(月) 08:00 [ 旅行記 ]
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震災から3ヶ月…シカゴでは。
気がつくとシカゴにも夏の気配が見え隠れしだしています。
同時に今日はあの東北の大震災からちょうど3ヶ月。どんなに時間を有意義に使っていても、日々の忙しさにかまけていても、時間は容赦なく経過していきますね…

さて。
前回のブログでも書いたように、微力ながら会社のオフィスで一人で初めた千羽鶴。あれからたくさんの仲間たちが協力してくれて震災3ヶ月を前にしてついに完成しました。アメリカでも自然災害が続きたくさんの被害者が出ている中で、3ヶ月という長い間協力してくれた仲間たちに感謝です。

2011-06-11 CRANES.jpg


東北の復興にはまだまだ時間がかかりますが、これからも私たちはシカゴから日本を見守って生きたいと思っています。頑張れ、日本!

ちなみにフェイスブックであれからの経過もチェックできます。よかったらのぞいてみてください。そしてアカウントを持っている人は、是非GANBARE NIPPONの右上の"like"をクリックしてください。新しい活動経過をチェックできますよ。
2011年6月13日(月) 01:04 [ Xpat Views ]
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日本の復興を願って…
東北の震災から早くも一ヶ月。
あんなに大きな災害が起こっても、たくさんの被災者がこれからどうしていくのかまだめども立っていなくても、世の中では目まぐるしくいろいろな事が起こり、この災害に直接、間接的にかかわりのない人たちは少しずつ、あの日のことを忘れていくのだということを目の当たりにすると切なくなります。

そんな中で、会社の有志たちと会社のネットワークを使ってできることを少しずつ続けています。その経過は、アメリカではほとんどの人たちが使っているソーシャルネットワーク、フェイスブック特別ページを設けて報告しています。ほとんどが英語ですがよかったらリンクをチェックしてください。

ドイツ、香港のオフィスから、私たちシカゴまで仕事以外でこうしてたくさんの人が時間、気力を日本の復興のためにささげてくれています。シカゴではこれまで折り紙をしたことない人たちも含めてたくさんの人たちが千羽鶴を作っています。まだまだこれからの道のりは長いですが、私たちの思いが日本に届きますように。

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復興を願い、鶴の羽に名前と日付を書いて。始めた当初はこれだけだったのですが…


2011-04-05 Cranes2.jpg

今では何人もの人が参加し、毎日暇を見ては少しづつ折り続け200羽ほどの鶴ができました。つないであるのは40羽。時間を作ってここに写ってないたくさんの鶴たちをつなげなくちゃ…ちょっとプレッシャー感じてます。ちなみに写真は私のオフィスから。下に見えるのはシカゴリバー。
2011年4月14日(木) 05:46 [ 仕事関連 ]
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