みんな誰かの大切な家族
2008-08-24 23:07:42
先日都バスを利用したときのことです。一人のおじさんが私の近くに乗ってきました。はじめは普通のサラリーマンに見えたのですが、次第に漂う衛生習慣がないような空気。私は失礼ながらバッグからハンカチを出しました。その人はさらに、バスのアイドリングストップの度に、「エアコンが止まると暑いじゃないか」と大声で言ったりするのです。私は、こんな迷惑なおじさんの近くに乗り合わせてしまって、とんだ災難だわ、と思って耐えていました。
やがて、その人は私より先に下りるそぶりを見せました。「やれやれ」と思い、何気なくその後ろ姿を見ると、おじさんはコンビにの袋を持っていて、そこにはプッチンプリンが2つ入っていました。バスで悪態をつくおじさんには、プッチンプリンを届けたい家族が待っているのでしょうか。私は、「ああ、みんな誰かの大切な家族なんだな。」としみじみと思いました。
プリンは、その人が二つ食べるのかもしれません。でも、一人で生まれてきた人はいない訳ですから、誰かの大切な息子であることは間違いないのです。私の目には迷惑な人でも、誰かの大切な人なのです。私は、また少し恐くなりました。もしも両親も兄弟も親戚も、私より先に天寿を全うしてしまったら、私が大切に思い、私のことを大切に思ってくれる家族は、一人も居なくなってしまうのです。友達のことも、もちろん大切に思っています。しかし、歳をとって意識が朦朧としていても、生きていてくれるだけでいい、と思って毎日話しかける/話しかけてくれるという関係は、やはり家族だけなのではないでしょうか。
こういう時、「やっぱり結婚したいな」と思います。それと同時に、私に家族がいることに感謝します。たとえ結婚できなくても、または、結婚してもパートナーに先立たれ、やっぱり一人残ってしまったとしても、「私にはかつて大切な家族がいて、そして私は誰かの大切な家族だった」という記憶は、年老いた私の心を暖かく灯すだろうと思うからです。そう思うと、少しは恐さが薄らぎます。あの自己表現が不器用そうなおじさんは、いったいどんな顔で、誰にプッチンプリンを渡すのでしょう。
マンションの引き渡しが無事に終わりました。最近不動産ディベロッパーの倒産が相次いでいたので、何事もなくてホッとしました。最新式の鍵に、私の「大切な家族」は大はしゃぎです。最後まで読んでくださって、ありがとうございました。


