吉村峰子のアフリカに遊びにおいで!

2008年03月
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エチオピアの美味しいコーヒー [2008年03月31日(月)]
 
香り高い街角のコーヒー。
コーヒーの香りに和む食卓。

これは欧米や日本のような先進国だけの話ではありません。

エチオピアの首都、アディスアベバには、いたる所にブンナ・ベット(コーヒー・ハウス)があります。また、各個人の家でも、人が集まれば、すぐ、コーヒーのおもてなしが始まります。


現地の人でにぎわう街中のカフェ。
生の豆やローストした豆も買える。現地の価格で
1キロの生のコーヒー豆は2008年3月現在400円程度

エチオピア人は、コーヒーはエチオピアが発祥の地と信じています。実際、紀元前にコーヒーの実をつぶして携帯食にもしていた文献もあるようです。

エチオピアの州の一つカファ州でヤギ飼いの少年が、ヤギがこげたコーヒー豆を食べると興奮状態になるのを目撃してから、という“コーヒー発見”の話はたくさんのエチオピア人に聞かされました。

そして、何よりもここエチオピアにコーヒー文化が色濃く残っていること自体がエチオピアとコーヒーの深くて長い関係を物語っていると思います。

まず、あなたがエチオピア人に「コーヒーでもどうですか」とお誘いを受けたら、最低でも2時間から3時間はその後の予定を入れてはいけません。

エチオピアでコーヒーはブンナ、と呼ばれます。
そして、ブンナを客人に供するためには、ブンナ・セレモニーが必要なのです。

ブンナ・セレモニーの最初は、まず、生のコーヒー豆をお客に見せることから始まります。

「この豆でいいでしょうか」

客は、もっともらしく、

「はい、結構です」

と答えます。

そのあと、ホスト側は豆を焙煎します。小さなブリキのおなべにコーヒー豆を入れたものを炭火でローストしていくのです。そして、香ばしく焙煎が終わって、煙が出ている状態のコーヒー豆をまたまた客に見せに来ます。



「焙煎状態はこれでいいでしょうか」

客はまたまた深く頷き、

「はい、大変いいですよ」

と答えます。

その後は、この豆を棒でつぶします。そして、エチオピア・コーヒーを淹れる独特のポットで温められている水の中に、いま砕いたばかりのコーヒー豆を入れて、炭火でポット全体を温めていくのです。



そうして、しばらくするとコーヒーがポットの下に沈殿します。そのポットをゆっくりかしげて小さめのカップにコーヒーを入れれば、香り高きエチオピア・コーヒーの出来上がりです。



この小さなカップには最初からたっぷり砂糖が入っていることが多いので、砂糖を控えたい人はあらかじめホスト側にそのことを伝えておく必要があります。

こうやって淹れてもらうコーヒーがいかに美味であるか。強い香りと深い苦味のコーヒーを口にすると、遠い昔のヤギ飼いの少年に感謝したい気持ちになります。

また、ブンナ・セレモニーでは、床に花を敷き詰めたり、松脂のお香を焚いたり、その場を整える様式にも伝統的なルールがあるようです。



客人をとにかく大切にするエチオピア人。特に今回の私たちのように何日も宿泊すると、実は、毎食後にこの「コーヒーはいかが」と誘われるのです。もちろん、そのあとに用事が入っていなければ、ありがたくお受けします。毎回の食事のたびに、この豆の焙煎から始まるコーヒーによばれる贅沢さはどうでしょう。こうして手間隙をたっぷりかけていただくコーヒーは私たちをゆっくりと別の世界に誘ってくれるようです。

家に帰ったら、せめてコーヒー豆は挽いたものではなくて、直前に挽くようにしよう!と決心しました。

エチオピアのブンナ・セレモニー。日本の茶道にも通じるものがありますね。

12年ぶりのエチオピア [2008年03月24日(月)]
 
「この人たち、どうしてこんなにボクたちに親切にしてくれるの?」

が、今年19歳になる息子カンジが最初に発した言葉でした。

私たちはいまエチオピアを訪問しています。


エチオピアのコーヒーセレモニー


私たちに親切をしてくれている人たちとは、私の友人のエチオピア人ご家族です。ずうずうしいことに、私たちは、この日本人の友人の12年ぶりのエチオピア訪問に便乗させてもらっているのです。

私たち家族は1993年から1996年にかけて、エチオピアの首都アディスアベバに滞在していました。ショウコは、生後3ヶ月でエチオピアに連れて行ったので、彼女の人生の最初の日々はこのアディスで始まった、と言っても過言ではありません。

さて、この友人とは、エチオピア人の夫を持つ日本人女性、ヨシコさん。二人のお子さんとともに、現在は英国に住んでいます。彼女の夫、エフレムは、仕事の都合で英国とアフリカを行き来する毎日です。


アディス市内のセントメリー教会


同じような年頃の子どもを持つ私たちは、お互いがエチオピアに滞在している時に知り合い仲良くなったのです。そして、偶然なのですが、彼女たちも私たちもちょうど12年前にエチオピアを離れました。彼女たち一家はネパールへ、私たちは日本へと移動したのです。

私たちが日本での仕事を整理して、南アフリカに移住した理由の中のひとつに、アフリカの各国で知り合った人々のつながりがあります。

アフリカでの人と人とのつながりは、先進国で住む人にはもしかしたら、“わずらわしい”と感じるようなものが含まれているかもしれません。または、密度が濃い、とも言えるかもしれません。

今回の私たちの訪問でも、私たちはこのテゲレ一家の兄嫁の友人、ということだけで、上げ膳据え膳の大歓迎を受けているのです。

「ヨシコの友人は私の大切な客人です。ここでの滞在を心から楽しんでください」

とのテゲレの一言。良くも悪くも家長制度がまだまだ色強く残っているエチオピア。私たちは、ただただ単純に、兄嫁の友人、ということだけで、本当に冒頭のカンジのコトバ、

「この人たち、どうしてこんなに親切にしてくれるの?」

という大変幸せな毎日を送らせてもらっているのです。しかも、朝昼晩、美味しい自家製インジェラ食べ放題というおまけつきで!もちろん、この一家に私の友人ヨシコさんがいかに大切にされているか、ということを忘れてはいけませんが。

実は、エチオピアを訪問した目的のひとつは、ずばり、こういったアフリカの人々の生活を子どもたちに実際に見て欲しかったからです。


テゲレ家の末娘ミトゥ


今回、ホテルに滞在することもできたのですが、ホテルに滞在してしまうと、現地の普通の人の生活が見えてきません。もちろん、テゲレ一家は裕福な開業医ですので、テゲレ一家が一般的なエチオピア人家庭かというとちょっと語弊がありますが。

でも、一家が、お父さんのテゲレを中心に、早朝から深夜まで一定のハーモニーを保ちながらそれぞれの役割を機嫌よくこなしているのがよく分かります。皆が自分の一族の中での役割に充足しているかのようなハーモニーです。

まだ数日しか滞在させてもらっていないのですが、このリズムは南アフリカで核家族として生活している私たちには味わえない種類の心地よさのような気がします。

どの家族にも問題はあるでしょう。テゲレ一家にも、私がうかがい知れない悩みだってあるでしょう。でも、ここには、ご主人を亡くされた、テゲレの奥さんのお姉さん一家も自然に一緒に住んでいます。また、テゲレの病院で働く多くのスタッフが始終出入りしています。

血のつながりのあるかどうかは関係なく、皆の関わり方が本当に自然で、大きな傘の下で、ひとつの家族としての揺ぎ無い“核”が確立されているようなのです。

我が家の二人の子どもたちはこういったアフリカの多くの善良な人々に、様々な形で関わってもらいながら育ちました。私は、先進国の都市ではもうめったに見ることができないこういった家族のあり方を、今年19歳と14歳になるまでに成長した彼らにぜひもう一回身近で体験して欲しかったのです。

あるお母さんからの感想 [2008年03月17日(月)]
 
経験主義、という言葉を聴いたことがありますか。 これは、経験至上主義、とも言われる場合もあります。つまり、自分の経験することしか信じない、自分の経験でもってのみ、物事の判断をしてしまうことを指します。

私はこれをなるべくしないように努力しています。確かに、私は考えるより行動が速いタイプの人間です。特に、大きな問題にあたるとき、うだうだ考えて実際の実行をしない、というのは私の行動パターンの中ではあまりないことかもしれません。
 
とにかく、

動いてみる

ということが私には大切です。

この動いてみる、ということの中には、もちろん、体を動かすことだけではなくて、“心”を動かしてみることも含まれます。

というと、まさに、動いて経験してみてから自分の判断を出しているようで、まさに、この「経験主義」なのでは?と思われるでしょうか。

それが、違うのです。

私にはそれこそいろいろな経験から、自分のしたこと、経験したことが、別の人にとってはまったく別の意味を持つことがあることをよく知っています。だからこそ、「自分で経験したことだけが真実だ」、という捉え方をしないのです。

そして、自分が一人で経験できることは本当に狭い、ということも骨の髄から味わっています。

そういった理由からも、私は自分の知っていることしか、得意なことしか、または、慣れ親しんでいることにしか自分の行動を広げない、または生活を限定してしまうような生き方を選びたくないのです。

具体的に、私は医療関係者でもないのに、HIV/Aidsの問題にも首をつっこみます。患者さんの枕元にたって、病院の関係者に意見を言うこともあります。

障がいを持つ子の親でもないのに、障がいを持つ子のお母さんに、「私に何ができますか」と話しかけることもあります。

実は、私はかなり以前より、"障害”の害の字は人を形容する際に使いません。"障がい”と書くようにしています。それは、この感想をくれた友人を始めとして幾人かの障がい児を育てている人が身近にいるからです。


ダーバンの郊外で。
年齢差のある子どもたちがとっても仲良く遊んでいた。
この中には足の不自由な子もいた。


私たちはときに、自分と境遇の違う人や自分とはまったく別の人生を歩く人たちに、「価値観が違うから」といってあえて距離を置くような行動をとる場合があるような気がします。

また、同じ境遇ではないから、と言って、手を差し伸べようとしている人たちを排除してしまうこともあるようです。

でも、それでは何も始まらないように思います。

私はどんなに入り口が見えにくくても、自分が何かできそうだ、という場合はそこで自分のできることを探していきます。

また逆に、相手がどんなに、勘違いに近いところで興味を持ってくれているようでも、「何かをしたい」というエネルギーを感じることができれば、そのお手伝いをするようにしています。

2008年2月18日に書かせていただいた「ザ・メモリー・キーパーズ・ドーター」の記事に友人から感想をいただきました。彼女の文章をお読みください。

☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆


うちの小6の息子は自閉症。このところ話題の「軽度発達障がい」と呼ばれる部類の子で、一見するとそうとはわかりません。

日々、よく思い出すのは、「障がいを持つ子をもったことが不幸なんじゃない。障がいを持つ子をもって不幸だと思うことから不幸が始まる。」という、先輩お母さんの言葉。きっとそう。
 (中略)
 
今、幸せなことに私はその息子が生まれてきてくれて本当によかった、と思えるけれど、でも、やはり、うちの子自身が「生まれてきてよかった」と本当に思えるのにはやはりしんどいだろうな、と思うことはある。それには、やはり周りの理解や手助けが必要だろうな、と。
 
うちの子と暮らしていて、障がいとは、その人の中にあるのではなく、この世での生きづらさ、生きにくさとしてその人の外にあるものだと思う。たとえば、自閉症の人たちの行動、考え方などは、その独自の世界があり、それはある意味一つの「文化」とも言えるものがある。

そして、同時に自閉症はイマジネーションの障がいをもっているから、あちらの側から、こちらの側の文化を理解することが極めて難しい。要は、マジョリティとマイノリティの問題でもあり、こちらの側の理解が進めば、自閉症は生きることへの「障がい」ではなくなる日もあり得るのだと思う。
 
誤解を恐れず言えば、今は「障がいも個性」と言うにはまだ早すぎる。生きづらさとして外にある「障がい」が「障がい」でなくなったとき、初めてどの障がいについても、「障がいも個性です」という表現がマジョリティの側でもマイノリティの側でも使えるのではないか。
 
「うちの子の障がいは、きっと不妊治療に関係があると思う。どうしてもちゃんと生んであげられなくてごめんね、って思っちゃう」というお母さんの言葉も聞いたことがある。このお母さんのことを「その子を受け入れてない、障がいを受け入れていない」と非難するのは簡単だし、私自身も「『ちゃんと』って何だろう、この世に生まれることができなかったたくさんの命もある中、こうして『ちゃんと』この世の中に生まれてきたんだよ、そんな言い方したら生まれてきた子もかわいそうだよ」と答えはしたけれど……。

でも、うちの夫が言ったことがある。「不幸だと思うことから不幸が始まるのも真実。でも、誰一人として、障がいを持つ子をもちたい、と思って障がいのある子を産んだ人はいない。」それもきっと本当。
 
「他の人とはちょっと違うかもしれないけれど、でも、きっといい人生が送れると思いますよ。」と言ってくれた人もいる。本当にそう。でも、それを支えてくれているのは、他ならぬ周りの人のネットワークだ。理解してくれる、理解しようとしてくれる、困ったときに相談できる、助けてもらえる、…そんな人に囲まれてこそ、「障がいを持つ子をもっても不幸じゃない。」と言える。それ以上に、息子がいたからこそ出会えた本当にいい人、素敵な人にどれだけ恵まれていることか……。

だから、ありきたりだけれど、やっぱり一人で抱え込んで大変な思いをしている人がいるなら、まずはまわりの人とネットワークしようよ、って伝えたい。

やはり、始めに戻って、「障がいを持つ子をもったことが不幸なんじゃない。障がいを持つ子をもって不幸だと思うことから不幸が始まるんだよ」って……。

☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆


障がいを持った人、障がいを持った子どもを持った人。生活の環境、家族の状況が異なれば、人々が同じ経験をしていないのは当然のことです。

だからこそ、私たちは別の立場からお互いを支えることができるし、助けてもらうことができます。

いつも、いつも支える側だけにいるものしんどいし、いつも、いつも支えてもらうだけじゃつまらない。

私は友人の「ネットワークを……」の声に耳を傾けたいと思います。アフリカにいて、何ができるか、またこの Cafeglobe のコミュニティで何ができるのか、いろいろ考えていきたいと思います。

立場が違うから、とか、私には想像もできない世界だから、としり込みしていたら世界は広がりません。自分の世界を広げれば、時には痛い傷を負う場合もあるけれど、未知の世界で味わうや空気は極め付きに新鮮で素敵な場合が多いと思うのです。

人と人とのつながりは間違いなく私たちを豊かにしてくれます。

それでも、

「自分に何が出来るかわからない」
「何から始めればいいかわからない」

と考えていませんか?

できることはたくさんありますよ。

まず、自分とはまったく関係ない人のことを自分のことを考えるように考えてみる、ということから始めるのはどうでしょう?


障がいのあるおばあちゃんを囲んで。アフリカでは
長老は大事にされる。このおばあちゃんも大勢の
孫に囲まれてとっても幸せだという。


油断大敵! [2008年03月10日(月)]
 


この無残に食いちぎられたパン!
誰の仕業でしょう?

実は、私たちの住む南ア・ダーバンの郊外には、頻繁にサルが出没します。
しかも、この辺のサルたち、かなり賢いのです。人や天敵の犬が見ていないのをしっかり見計らって、家の中に侵入します。

彼らの大好物はやはりバナナ。きれに皮をむいて食べて行きます。しかも、前回我が家が襲われた時は、そのむいた皮を床に投げ捨てて行く、という狼藉ぶり!

残念ながら、前回も今回も、我が家の犬たちの隙をついたようです。今年に入るまでは、我が家でのサルの被害はゼロでした。近所での被害は承知していたのですが、「ウチは、泥棒には役に立たないけれど、サルには有効な犬がいるものね!」と安心していたのですが、やられましたね。


君たちは何をしていたんでしょうねぇ?


それでも、私たちの地域は、海岸沿いの家々に比べたらましなようです。

海外沿いの家に侵入してくるサルたち、ものすごくふてぶてしくなっていて、人が姿を見せてもなかなか立ち去らないようです。言葉で威嚇した人に向かって、逆に歯をむいてみせることもあるそうです。

ただ、サルは狂犬病などに感染している危険性もあるので、真剣に“招かれざる客”なのです。手なずけるなどもってのほか。サルとの接触は極力避けなくてはいけないのです。

が、彼らも学習能力が高いらしく、おもちゃでも何でも、銃の形をしたものを見せて威嚇すると、すぐ退散するとか。う〜ん、敵も怖い目に会っているのね。

日本で、「アフリカに住んでいます」と言うと、
「うわ〜、動物に囲まれているんですね」という反応が返ってくることがしばしばあります。

でも、皆さんが想像される野生動物たち、キリンとか、ライオンとかサイとかは、人里離れた動物保護区にいるのです。南アは国内外の観光客のための野生保護区がたくさんあります。有名なものは、クルーガー動物保護区です。ここの四国の面積に匹敵する広大な土地に野生動物が自由に動き回っています。人間は専用のサファリトラックや自分たちの四輪駆動車などを使って、動物の生態を車の中から見せてもらうのです。


サファリではこんなに近くにゾウが!


しかし、つい先日、南アでもヨハネスブルグに住む人に、「まったく、サルのやつらめ!また侵入された!ヨハネスではどんな被害に会うの????」と尋ねたら、

「まさかぁぁぁ!ヨハネスなんかにサルは出没しないですよぉぉぉ!」

ときっぱり否定されてしまいました。

そうか、サルの住宅侵入による被害。これって、緑豊かなダーバン近郊ゆえのことだったんですね。しかし、近年の開発ブームでは、さすがのサルたちもその居場所を追われているとか。人間と自然とのバランスのとり方は、ここアフリカでも大きな問題になってきています。


我が家の裏庭から続く雄大な自然

元気の素の処方箋 [2008年03月03日(月)]
 
私はよく、
「その元気はどこから?」
「そのパワーの源は?」
という質問をされる。

自分ではそんなにパワー全開で立ち回っているつもりはないのだが、多くの人がそう言ってくれる。

そこで、理由を考えてみた。

一、体が大きいので、いかにも元気そうに見える。
二、声が大きい。声が大きいと元気そうに聞こえる。
三、繰り返しがぜんぜん嫌ではない。

最初の二つは分かりやすいと思う。
が、最後の「繰り返しが嫌ではない」には説明が必要かもしれない。

私は、同じことを何回も繰り返すこと、またはひとつのことを継続することの大切さを自分の仕事や自分が関わってきたさまざまな人とのつながりの中で学んできた。

仕事でも、仕事以外の場でも、一回、「やりましょう」と決めたことを、愚直に、誠実に、実行することの大切さだ。

そして、この、一回限りではなくて、「継続する」ということが、どうして「元気に見える」ことにつながるか、というかと……。

継続してひとつの行動をする、ということは、その同じ人がコンスタントにその“場”にいる、ということになるのではないだろうか。もちろん、それが毎日でなくてもいいのだ。だが、多くの人、特に助けを必要としている境遇にいる人たちにとって、同じ人が同じ笑顔でそこにいる、ということは、大きな励ましになるのだと思う。何をするか、ということの前に、「そこにいる」という単純な行動。

つまり、“安心感”なのだと思う。

私はこれが得意なのだ。体の大きさ、声の大きさとあわさって、私の元気に見えるヒミツは、この「継続することによって、人に安心感を与える」ということなのだと思う。

そして、これが「言うが易し」であることも私は知っている。

仕事が終わらない、とか、急な用事ができた、とか。
私たちの毎日は本当に忙しい。

でも、私は人とした約束を破ることはめったにない。破るときはその理由を明確に説明して、平謝りする。時にはどうしても約束を破らなくてはいけない場合もあるが、信頼関係があればそれは後で何とでもなるものだ。

そして、目の前に次々に起きてくる用事をなるべくその重要さにおいて順序をつけないようにしている。たまには、「うわ〜、あと一日早くそれを言ってくれていたら!」とため息をつくこともあるが、基本的に約束をしたらそれを守る。

つまり、自分のできること、約束したことを単純に愚直に実行する、というきわめてシンプルな生活信条が私の“元気”を支えている、ということなのかもしれない。

そうしてもうひとつ、実はマウイの神宮寺愛ちゃんに指摘されたことがある。

「私たちはたぶん、ずっと火事場の馬鹿力のまま進むんだと思うよ」

実は、彼女もライター家業の他に、プロのフラダンサーとして毎日ショウに出演している超多忙な毎日を送る人だ。その上、彼女の愛娘はまだとっても幼い。ウチの大学生と中学生の子どもたちの世話にかかる時間の数倍はまだかかって当然の年齢だ。彼女こそ、毎日の仕事や約束の他に、別のことなど考える隙間がないくらい忙しいと思う。

でも、愛ちゃんも私も、仕事とか、金銭的な優先順位とか、一切関係なく、

いざ、

「これは私の出番だな」

と思うときは、後先関係なく、それこそ、“火事場の馬鹿力”を出して首を、頭を突っ込んでいく。それを支えてくれている家族友人には多くの迷惑をかけているのも承知の上で。

そうなのだ。

私の“元気の素の処方箋”とは、実は、この“無計画性”にあると言ってもいいのかもしれない。“継続すること”と“無計画性”、一見、相容れないような性格のものだが、私はこの二つの状態で自分が生活していることにそう矛盾は感じていない。

そして、確かにじっくり考えてみれば、私には、長期的展望、というものがない。困ったことに、夫婦揃って、ない。正直言って、家族で南アまで移住してきても、仕事以外の面で、「10年後にはこういうことをしよう」とか、「こういう老後を送りたい」といった生活設計など立てたこともないのだ。老後はどうやって過ごすべきか、経済的なことはどうするのか、などということも考えたことがない。

ただ、戦争がない世の中になって欲しい、世界中の子どもたちが夜お腹をすかせたまま眠りにつくことがないような世の中になって欲しい、というかなり大規模な願いがいつも心にある。でも、自分のすぐ先の未来の計画はあまり考えたこともない。恥ずかしながら、目の前に起きる仕事やら出来事を懸命にこなしている、といったほうがいいのかもしれない。

だが、今年、50歳にもなる私。もうちょっと分別が出てきてもいいのかも知れないとも思い始めている。




“同じこと”の繰り返しが自分の好きなことなら
まったく苦にならない大将がここにも。
大学生になったいまでも、
スケボーへの情熱は冷めませんとも!


プロフィール
Profile
吉村峰子
(日本語/英語教師・ライター・通訳)
東京都生まれ。1980年頃より日本語・英語教育に関わる。教えた国は、日本、米国、デンマーク、ドイツ、リべりア、エチオピア、マラウィ、南アフリカなど。1986年頃より、アフリカと日本を交互に生活した後、2003年、南アフリカ・ダーバンに家族とともに移住。現在はダーバンで日本語・英語教育、執筆業、通訳業で大忙しの毎日を送る。