吉村峰子のアフリカに遊びにおいで!

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局所的計画停電の嵐 [2008年01月28日(月)]
 
日本から帰国して、南アで私たちを待っていたのは、“Load Shedding (ロード・シェディング)”と呼ばれる局所的計画停電だった。これは、全面的な停電を避けるための“計画停電”なのだが、いかんせん、途上国の横顔も非常に色濃い南アフリカ。この“計画”自体が、そもそも、信用できないのだ。

下の表を見て欲しい。月・水・金・日と、火・木・土に分かれて、停電される地域が示されている。が、この地域分類事態もかなりいい加減。電話して自分の地域がどこか聞くたびに、別の答えが返ってくる。



そして、ここが一番の問題なのだが、こういう「計画」を発表しておきながら、南ア・エスコム(電気会社)、きちんと計画通りに停電をしないのだ!

たとえば、1月16日の水曜日、私たちの地域は午後6時から8時半までが停電のはず。ところが、なんと電気が戻ってきたのは深夜12時。ため息ものである。まして、今回、日本から運んできた貴重な北海道産ベニ鮭なども私の冷凍庫に鎮座しているというのに……。

しかし、こちらも柔な南ア人とは違い、インフラの整っていない途上国暮らしには年季が入っている。実は、冷凍庫は、まず、扉を開けさえしなければ、24時間程度の停電はまったく問題ない。冷凍庫の中の食品は、自分たちが「氷の塊」となって、“自助努力しているクーラーボックス”となるのだ。考えてみれば、実にけなげな話である。また停電時は冷蔵庫も電気が来るまで極力扉を開けないのが鉄則。

話は元に戻って、さあ、計画停電。この水曜日の後のスケジュールが何とも南ア的、とでも言おうか。実はこの週の金曜日はまたしても、私たちの地域は金曜日の夜6時から8時半まで電気がないはずだったのだ。

だが、私は恐いくらいカンがいいのだ。私は、「今度の金曜のその時間帯、電気はくるぞ!」と踏んでいた。だから、なんと、お客さんまで夕飯にお呼びしていたのだ。案の定、その金曜日の夜、一回も電気は切られなかった。私の高笑いが聞こえた人もいたはず!

私は、「エスコムめ、いくら計画したとしても、あの水曜日の大チョンボには申し訳ない、と思っているはず。だから、その次の停電は、“ごめんね”という意識が働いて、無残に電気を切れないはず」と計算していたのであった。

ふふふ。しかし、考えてみれば、技術者の人は何十人もいるであろうから、私のこの賭けはあまり根拠のないことだった。

さて、それにしてもこの計画停電。各方面でいろいろな混乱を引き起こしている。一番問題なのは、家庭の冷凍庫でもPCが使えないことでもない。例えば、日中であろうが、深夜であろうが、容赦なくその該当地域の電気を一切遮断するので、街の信号も一斉に使えなくなる。そうすると、交通渋滞がものすごいことになるのだ。病院だって、郵便局だって、銀行だって、レストランだって、スーパーだって例外ではない。自家発電ができないところはまったく経営や商売ができなくなるのだ。まさに、南ア経済、大混乱中なのである。そして、南アは近隣の国々に電気を販売もしているから、ナミビアやジンバブウェの電気事情が南ア以上に困窮していることは間違いない。

そもそも、どうしてこういう事態に陥ったのか。これが恐ろしいことなのだが、政府の役人も、電気会社も、南アの長期的な電気事情を総合的にきちんと把握していなかった、というのがこの混乱の底にあるようなのだ。

完全に、「えっっ、そんな馬鹿な!」の世界である。

地域の新聞でも、全国紙でも、テレビの朝のニュース番組でも、読者や視聴者からの手紙は、いま、この話題で統一されている。その中でもかなり多くの人が口にするのは、「いったい、全体、誰がこんな事態を招いたのだ?」という質問。

実は、これに関しては、先日、おもしろいシーンをテレビで見てしまった。朝のテレビ番組で、南ア・エスコム会長、南ア政府代表、ビジネス界代表、といった偉い人が出ていて、この局所的計画停電について討論をしていたのだ。

私は、司会者の、「それにしても、どうしてこんな事態に陥ったか、誰が責任をとるのか」という質問に答えたエスコム会長の発言にひっくり返ってしまったのだ。

「いやあ、ここでこの問題の犠牲者を探し当てても何も解決にはならないのでは?」と言っているではないか。

わが耳を疑ったのだが、この会長、何回も何回も、この“犠牲者”を口にする。英語で、しっかり、はっきり、「ビクティム」と繰り返す。この問題を起こした張本人たちを、日本語でなら、「犯人」と言うだろう。が、この会長、あえてこの“カルプリットー犯人”という言葉を使わず、あくまで“ビクティム”を使い続けた。私は、電気事情の心配ももちろんだが、根本的なところで、南ア人のメンタリティをまったく理解していないのだろうか、と少々心配になってしまったのだ。

だが、その心配も次の日の同番組を見て、すっきり解決した。なんと、このエスコム会長の言葉使いには、私だけでなく多くの南ア人がかなり立腹したらしく、かなりの数の抗議のE メールやファックスが番組あてに届いていたのだ。この混乱を引き起こしたのは、この会長をはじめとしたエスコムの人間で、彼らは“犠牲者”ではなく、“犯人”だ、という意見だった。

しかし、この計画停電、あと7年は続くらしい、ということも言われている。「2010年のワールドカップはどうするんだろう?」と実際、多くの南ア人が不安に思い始めている。

“性教育”への子どもの反応 [2008年01月22日(火)]
 
前回のエイズの講演についての記事にご質問をいただきました。

「小学生などの幼い子どもがこういった性教育にどんな反応をするのですか。具体的に教えてください」。

私の経験では、子どもたちは本当に素直に受け止めてくれます。その中でも、一人、とっても印象に残っている男の子がいます。アフリカのマラウィにある、英国系インターナショナルスクールに通う、英国人のアダムは当時6歳。インターナショナルスクールの1年生でした。

アダムの話の前に、アフリカのインターナショナルスクールの背景を少し説明しましょう。


マラウィの英国系インターナショナルスクールの子どもたち
各国の衣装をまとっての集会


アフリカにあるインターナショナルスクールに通う子どもたちの多くは、各国大使館や国連、国際NGO勤務の親を持ち、世界各国を2〜3年で移動させられています。ただ、アフリカにいながら、彼らの生活は、どうしても現地の人たちの暮らしから遠いところにあります。私は自分の子どもたちをマザーテレサの子どもの家に通わせながら、この活動を他の子どもたちにも広げようと奮闘していました。放課後に子どもの家の子どもたちを学校に招待して、インターナショナルスクールの教室で遊んでもらうことなども頻繁に行いました。



事実、この活動は応援してくれる先生方も増え、私がマラウィにいた頃は、子どもたちの放課後の“クラブ活動”に昇格していました。たくさんの子どもたちが協力してくれて、アダムのこのクラブの一員でした。



そして、このクラブの大切な活動のひとつが、子どもの家に寄付するおもちゃを、学校全体の生徒たちから集めることでした。ある週、集まったおもちゃを持って、数人の子どもたちと子どもの家を訪問することになりました。そこで、その前日、子どもたちを集めて、エイズ(正式にはHIV/Aids)の感染経由のこと、どうしたら自分の身体を守ることができるか、などをお話しました。

普段こういった場所とまったく接触のない子どもたちをHIVウイルスに感染している子どももたくさんいる場所に連れて行くのですから、親や学校の承諾も取り付けました。そして、何よりも子どもたちに、エイズに関しての最低限の知識を持ってもらわなくてはいけません。

エイズの感染源は血液を介すること、母乳も血液の一種であること、セックスからも感染するので、セックスをするときはコンドームをすること、などを前回ご紹介したエマニュエルの話の紙芝居も使いながら子どもたちに伝えました。

もちろん、「コンドームって何ですか」という低学年の子どもの質問にも、「セックスするときに、ペニスにかぶせるゴムのことです」という説明もしました。

年齢差のあるグループでしたが、個別に出された質問などにも答えながら、子どもたちに強調したのは、子どもの家で、もしも誰かが怪我などで出血したとしても、血液には絶対に触らないということ。そしてHIVウイルスに感染している人たちを差別しない、ということでした。

話が終わる頃には、みんなの顔に安心感がただよい、実際に明日、おもちゃを届けることへの期待感があふれていました。

さて、その後、集めたおもちゃを私の車に運ぶ際に、この6才のアダムが私に大真面目でこんな質問をしたのです。

「ミセス・ヨシムラ、明日、僕たちが子どもの家に行くときに、僕もコンドームをつけて行ったほうがいいでしょうか」

英国人の外交官の父を持つ、大人顔負けの挨拶もきちんとできる礼儀正しいアダム。彼は、幼いふっくらとした顔と頬をやや紅潮させて、私にきちんとこう質問したのです。

私は、にっこり笑って、

「いいえ、アダム、明日、あなたはコンドームをつける必要はないですよ。だって、あなたは、明日、誰ともセックスをしないと思うから!」と彼に伝えました。

それを聞いたアダムは心から安心したように笑顔を見せました。

私の話の中の、「エイズは“セックス”を介して感染する」という説明に彼の理解が追いつかなかったのでしょう。でも、その、よく分からない“セックス”をするときでも、“コンドーム”さえつければ、エイズに感染しない、ということは理解できたのです。

だからこそ、自分はその“セックス”が何かはちょっと分からないけれど、明日、万が一、それをすることになったら大変だから、自分も準備しておいたほうがいいのかも知れない、と考えたのだと思います。

私はこのやり取りを忘れることができません。6歳のアダムのこのまっすぐな質問に心を打たれました。そして、こうやって、エイズの話題を幼いころから身近にしていたら、彼は彼の年齢を重ねるたびに、エイズへの理解も深めていくのだ、と確信したのです。

当時6歳だったアダム。今ではもう中学生になっているころでしょうか。実はこのアダム、動物が大好きで将来は環境学者になりたい、という希望を語っていました。


ペットの亀と一緒のアダム

話はちょっとそれますが、彼に絡まるエピソードをもうひとつ。実は、私は彼から、なんと“日本人”である、ということだけで、感謝されたことがあるのです。

アダムは、「日本人は地球環境のために、電気で走る自動車を発明してくれました。ありがとうございます」と言ったのです。彼は、当時、アフリカでも話題に登るようになってきた日本製のハイブリッド車のことを絶賛していました。私は日本人の代表!でも、ハイブリッド車開発チームで働いているわけでもないのに、ただ、ただ、「日本人である」というだけで、このステキな将来の環境学者に感謝されてしまったのです!

ああ、子どもって、本当にステキです。そして、こういう子どもたちが成長していく過程で、避けては通れない性感染症の危険。私はエイズに限らず、子どもたちに、自分の身体は自分で守る、ということをいつでもどこでも語っていきたい、と考えています。



日本の子どもたちに伝えたかったこと [2008年01月15日(火)]
 
今回の帰国時にお話をする機会があったうち、ふたつが高校生と幼い子どもたちへ向けてのものでした。

「エイズの話を高校生や幼い子どもたちに?」

と、不思議に思われるでしょうか。

私にとってエイズの話を子どもたちにすることは、不思議なことでも、“早すぎる”トピックでもありません。幼い子どもたちや高校生たちが、私の話す内容を彼らなりのそれぞれの理解で受け止めてくれればいいからです。

また、どんなに幼い人であっても、その出来事や話が、印象的であれば、それは年月を超えてその人の記憶に刻まれることになるのではないでしょうか。

今回、私の話を聞いてくれた若い人、子どもたちは、高知県立高知東工業高等学校の500名にも上る生徒さんたちと、名古屋のモンテッソーリ瑞穂子どもの家の園児とその卒業生でした。


高知県立東工業高等学校正門前


高校生には、「エイズを含む、性感染症は自分で防ぐのよ〜!自分には関係ないと思わないで、セックスをするときにコンドームをするのは、妊娠を防ぐためだけではないことを覚えておいてね。性感染症を防ぐためには、よく知らない人とセックスをしない、そして、万が一、そういう状態に陥ったとしても、セックスをするときには、必ずコンドームをつけるんだよ!!」と思春期真っ盛りの500名の生徒にがんがんと語り掛けました。

話の途中、南アフリカのある一人の女性に対する質問を考えてもらいました。彼女のきれいな笑顔の写真を見せて、「彼女があなたの隣にいたら、どんなことを聞きたいですか」というものです。

そのとき、数名の生徒から出てきたのが、「将来の希望は何ですか」というものでした。質問を考えてもらったときは、実は彼女がエイズを発症して亡くなっていることをあえて言いませんでした。



体育館の大きなスクリーンに映された笑顔満面のこの女性が、もうエイズによって亡くなっている、ということを伝えたとき、寒い体育館の床に座らされて下を向いていた生徒たちの多くの顔が、一瞬、上を見上げました。エイズで亡くなる、という切ない現実が生徒さんの胸に届いたことを期待します。また、「自分の身体を守って欲しい。エイズに限らず、性感染症は自分で防ぐことのできる病気なのだ」というメッセージが伝われば嬉しいです。

そして、モンテッソーリ瑞穂子どもの家の子どもたち。当日集まってくれたのは、その在園生と卒業生グループ24名と保護者の方々16名でした。この子どもたちには、まず、日本、南アフリカ、そして、園とそして交流がある、モンゴルの場所を世界地図で確認しました。



そして、子どもたちに、遠い国に住んでいても日本に住んでいても、一人ひとりの子どもには、きちんと名前があって、家族がいることなどを説明しました。私は、子どもたちに、「遠い国に住む顔も知らない外国の子どもも、隣の席に座る友達も同じように大切な命を生きている」ということを理解して欲しいと思っているからです。

このことを実感してもらうために、子どもたち一人ひとりに“みかん”を渡しました。そして、自分の手のひらにある“みかん”を「自分の友達を知るようによ〜く、観察してね」と伝えました。子どもたちは、「私のみかんは、ここにへこみがある」とか、「ボクのみかんはここがとんがっている」と夢中でみかんを観察しました。

子どもたちが、「これは私のみかんだ」という確信ができていることを確認してから、改めて、みんなのみかんを中央に集めました。そして、子どもたちに、このみかんの山の中から自分の“みかん”を探し当てるようお願いしました。

すると、大多数の子どもたちが難なく、“自分のみかん”を見つけ出しました。24名の子どもたちですから、一見、同じようにみえるみかんの山から、全員が“自分のみかん”を探しだすのはそう簡単ではありません。案の定、数名の子どもたちが、自分の手にしたみかんを「これは、自分のみかんじゃない」と言い出しました。一人の子どもはちょっと泣きそうな気配。すると、何名かの子どもが、「もしかしたら、これ、私のみかんじゃないかもしれない」と言い出しました。

最終的には、子どもたち一人ひとりが“自分のみかん”と再会しました。ついでに、英語で、「これは私のみかんです」という意味の “This is my orange!”を英語で練習しました。私は英語の教師として、言葉を発する、というのは自分の感情を乗せるのだ、ということを常に訴えてきています。この時は、子どもたちに、多くのみかんの中から、自分のみかんを探し出し、それを「これは自分のみかんです」と自信を持って言うことを体験してもらいました。幼い子どもたちでも、自分のホンモノの感覚を英語でも発信できるのだ、ということを実感してくれたと思います。

その後、私の自著である、子どもの絵本、『首の長い大きな犬』を朗読しました。これは、マラウィのマザーテレサの子どもの家に実際にいた少年、エマニュエルの物語です。エマニュエルは、動物が大好きな少年でした。雑誌の切れ端に載っていたキリンのことをキリンという名前の動物である、ということを知らずに育ったアフリカの少年でした。でもこの首の長い大きな動物に大そう興味を持ったエマニュエルは、キリンを“首の長い大きな犬”と呼んで、いつか自分の目で見たい、と思っていました。

が、エマニュエルはたったの7歳でその短い生涯をエイズによって終えました。エマニュエルの両親もエイズで亡くなっていました。

瑞穂子どもの家の子どもたちは、このエイズで亡くなった自分たちと同じような年齢の子どものことを絵本で知り、エイズ、という病気がどんなに残酷に人々の命を奪っていくかを学びました。

幼い人たちに、遠いアフリカのエイズで亡くなった少年のことをいきなりお話しても、「ああ、そうなのか」という感想がせいぜいでしょう。が、人々を大きな数字や、○○人、という概念で捕らえるのではなく、隣にいるお友達のように、自分たちと同じように名前もある、家族もある、一人の子ども、という認識を持つことで、私が一番伝えたいと考えている、「共感する心」が育つのではないか、と考えます。

現在、私は日本の子どもたちに直接授業をする機会に頻繁に恵まれているわけではありません。でも、こういった機会があるたびに、アフリカのこと、エイズのことを多くの人に伝えていくことがいかに大切であるか、を改めて実感しました。

私に話しをする機会を与えてくださった、多くの関係者の皆さま、改めて御礼申し上げます。また、多くの方々に、エイズの患者さんが作成したビーズを購入していただきました。どうもありがとうございました。

消えたサイン? [2008年01月10日(木)]
 
Cafeglobeユーザーの皆様、明けましておめでとうございます。とっても、間の伸びた新年のご挨拶になってしまいましたが、本年もよろしくお願い申し上げます。

さて、お正月気分の東京を出発したのが、1月6日。南ア・ダーバンへは空路25時間の旅です。我が家についてみれば、終了しているはずの建設中のガレージは未完成、電話線、ADSLダウン、嵐の夜のパニックを起こした我が家の愛犬、ハクラが玄関のドアをがりがり引き裂き……。といったわけでここ数日、時差ボケと戦いながら様々な補修やら修理依頼やらに追われておりました。

しかし、今回の空の旅で実感したのが、実は、「ああ、ウチの子どもたちも大きくなったなぁ」というものでした。トイレだって、なんだって一人で行って一人で帰ってくることができる。フライトアテンダントに何が食べたい、何が飲みたいがはっきり言える。下の娘がもう13歳ですので、当然と言えば当然なのですが……。

実は、私たちの同じキャビンに、香港からヨハネスブルグ(約13時間)までかなり根性をいれて長時間泣き続けていた赤ちゃんがいたのです。この赤ちゃんのお母さん、さぞかし大変だったと思います。飛行機の中での赤ちゃんの泣き声は、確かに、確かに、寝たいときは辛いけれど、でも、こればっかりはどうしようもないです。それに、赤ちゃんって、あやそうとすればするほど何か気配を察するような敏感なところがあるじゃないですか。

私は、心底、この赤ちゃんのお母さんが気の毒でした。こういう時って、どうしても周りへの迷惑を気にしてしまうものです。が、大丈夫ですよ。周りはそう気にしていないものです。少なくても私と私の家族、友人はみんなそうです。何とか、それを伝えてあげたいとも思いましたが、そんな機会にも恵まれず……。

赤ちゃん連れのお母さん、お父さんたち、これは、子ども連れの家族が移動するときに避けては通れない道です。だから、赤ちゃんが飛行機で泣き叫んでもそんなに気にしないでね。例え、文句を言われても、そういう人たちのことを気にすることはありません。だって、絶対、飛行機はいつかどこかに必ず着陸するのですから!

それから、今回の飛行機でもうひとつ「あれ?」と思うことがありました。

私は30年ほど前から結構、頻繁に飛行機に乗る生活をしているのですが、今回のキャセイ・パシフィックのトイレの中からあるサインが消えていたのです。

あるサインとは、
「As a courtesy to fellow passengers, may we suggest you wipe wash basin after use?」という類のもの。これは、「後からこのトイレをお使いになる方のために、お使いになった後、洗面所をお拭きください」という意味です。

これって、キャセイだけのことでしょうか?もう他の飛行機会社もこういったサインを洗面所に書くことはないのでしょうか?

実は、何でこんなことに気がついたか、というと、なんと、一人で立派にトイレに行けるわが娘。その娘の使った後のトイレに入ったら、洗面所がきれいに使えていない!ということを発見してしまったのでした。

私に雷を落とされた娘。彼女の言い分は、「だって、私が入った時だってそうだったよ」というではないですか。そこで、私が、「サインも読めないの?ちゃんと“後の人のために洗面所をきれいにしておいてください”って、書いてあったでしょう?」というと、

「どこに?」と娘。

うるさい母は次のトイレの時に確認したら、ほんとだ、そんなサインはどこにもなかったのでした。

こういうサインを書いても効果がないからでしょうか?それとも、お客さんにこういうことをさせるな、というクレームでも来たのでしょうか。

私は、どちらかというと、「あ〜あ」と思いながらも、結構、他の人が残したであろうものもきれいにしてから洗面所は出てきます。実は、この癖?も、あるカナダ人の知り合いから学んだこと。彼女は、オランダからのカナダ移民です。彼女は自分の目の前にある汚いもの、片付いていないものをそのままにしておけない。

で、飛行機のトイレだって同じこと。マリーナは、それこそ、気合を入れて、たまにはフライトアテンダントに「洗剤をちょうだい!」というリクエストまでしながら、飛行機のトイレをきれいにしてしまうツワモノなのです。マリーナのこの“癖”を彼女の家族から面白おかしく聞かされたのが、今からかれこれ20年も前のことでしょうか。まだまだ若かったその頃の私。実は、結構快い刺激を受けたのでした。

「えっっ、そういうこと、してもいいの?」

という感覚。そうか、気になったら、飛行機の中のトイレだって、自分の家のように、きれいにしてしまえばいいんだ!という不思議な納得感を覚えています。

エコ意識とか、環境問題。私は、公共の場での一人ひとりの立ち振る舞い、というものもとても大切だと思っています。自分の身の回りの環境は、自分で意識を持って関わっていく、という姿勢を子どもたちに伝えたいと思います。



プロフィール
Profile
吉村峰子
(日本語/英語教師・ライター・通訳)
東京都生まれ。1980年頃より日本語・英語教育に関わる。教えた国は、日本、米国、デンマーク、ドイツ、リべりア、エチオピア、マラウィ、南アフリカなど。1986年頃より、アフリカと日本を交互に生活した後、2003年、南アフリカ・ダーバンに家族とともに移住。現在はダーバンで日本語・英語教育、執筆業、通訳業で大忙しの毎日を送る。