吉村峰子のアフリカに遊びにおいで!

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日本滞在後半に突入! [2007年12月25日(火)]
 
日本滞在も後半に突入しました。最初の二週間は、南ア人のビジネスパートナーに、「日本の“今”を見せる」という目的があったので、かなり大胆に日本を縦断していました。以下の旅程をご覧下さい。これを実際にこなした自分が見ても、めまいが……。

東京二泊      
新潟一泊
東京一泊
京都二泊
東京一泊
広島一泊
高知二泊
名古屋三泊
東京〜

どうしてこんな一見、無茶苦茶な日程を組んだかと言うと、そこには深〜い理由があるのです!今回、外国からの短期訪問者か、日本人でも海外永住者しか購入できない、JRのJapan Railway Passという、「電車でも新幹線でも、のぞみ以外は乗り放題!指定席もとり放題」という優れもののチケットが今回の私たちの旅のお供だったのです。これは、外国から日本を旅行で訪問する人には、絶対お勧めです。注意することは、これは日本に来る前に購入しておかなくてはいけない、ということ。日本国内では例え、購入者としての条件を満たしていたとしても、これを買うことはできません。

さて、今回私たちが購入したのは、2週間分のもののグリーン車が使えるクラスのもの。代金は6万円ちょっとでした。この金額は、通常であれば、東京と大阪を二回往復すれば元を取れてしまうのでとっても良心的です。実は、グリーン車にしようか、普通車にしようか、さんざん迷いましたが、2週間で1万円7千円分プラスのグリーン車にして正解でした。 これだけ移動したので、実は新幹線の中で過ごす時間がものすごく長かったのです。つまり、移動する新幹線を居間のように使わせていただきました。ありがとう、新幹線!


京都の紅葉の終わり


でも、これがあったので、「おお、東京から新潟までちょっと温泉に行こうか!」などというかなりいい加減で大胆な旅行も可能でした。各地でお世話をしてくれた友人たちにも感謝、感謝です。


新潟の武家屋敷で


それから、遊んでいただけではありませんよ〜。ご存知のように、12月15日のエイズ問題研究会を皮切りに、合計4箇所で講演会をさせていただきました。それも、東京では、英語教育関係の方々へのワークショップ、高知では工業高校の生徒さん500名への講演、そして、名古屋ではモンテソッリーの幼稚園で学ぶ幼稚園生とその卒業生の小学生、保護者の方々へのお話し、とたくさんのバラエティに富む機会に恵まれました。企画をしてくださった方々、私の話を聞きにきてくださった皆さん、本当にありがとうございました。

さて、明日からは北海道で久々のスキーです!夏のダーバンから東京、関西地方で冬の予行練習をしていたとはいえ、今年の札幌はとっても寒そうです。友人宅に泊めてもらうので、いまから夜通しのおしゃべりと、北海道の冬の味覚がとっても楽しみです。

北海道から帰ったら、後は、実家で大晦日、お正月、と楽しいイベントが盛りだくさんです。でも、ああ、体重計に乗れない。

吉村家二年ぶりに日本上陸! [2007年12月17日(月)]
 
川田龍平さんたちと一緒のエイズのシンポジウム、無事に終了しました。参加していただいた皆さん、本当にありがとうございました。それに、「Cafeglobeのブログを読んでいます」と、何人かの人にお声をかけていただきました。とってもうれしかったです。Cafeglobeの編集部の皆さんも参加してくださいました。レポートもお楽しみに!また、私からも詳しいご報告をさせていただきますが、今日は取り急ぎ、終了のご報告と御礼まで。

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吉村家二年ぶり日本上陸!

南アフリカから今回は26時間かけて、二年ぶりに帰国しました。まず、ダーバンを午前中に出発。空路一時間のヨハネスブルグまでいったん出てから、香港経由で日本へ向かいました。ヨハネスブルグから香港までは、12時間強の長旅です。でも、香港での待ち合わせ時間は二時間であっという間に日本行きの便に乗り込む時間になりました。今回の帰国は、南ア人ビジネスパートナー、シッドと一緒の旅です。つまり、吉村家4人の他に身長185センチのシッドが一緒に動くので、目立つ、目立つ。まず、全員、声が大きい。態度が大きい。笑い声が激しい。カンジとショウコのけんかがうるさい。夫は政府系の仕事をしていたときでさえ、いつも“挙動不審”で、チェックを入れられる不思議な動きをするオトコなので、そこにいるだけでうるさい。

その上、南アフリカで暮らす私たち。やはり、行動がちょっと日本の普通の皆さんと違うのかもしれません。後から指摘されて、「そりゃあそうだよなぁ」とつくづく思うこともあります。

まず、日本到着第一日目の成田についた私たち。全員の持ち物が、大型スーツケースが5つ、みかん箱が4つ、機内持ち込みの小型スーツケースが11個、合計20個のこれらを何と中央線に“手荷物”として持ち込んでしまいました!東京在住の方はご存知のとおり、中央線は普通の通勤電車です。大きな荷物を置くところもないし、大型スーツケースなど持ち込んだら、たちまち人の流れが止まってしまいます。

この日はたまたま日曜で、通勤する人が少なかったのが幸いでした。でも、後から家族に、「何という迷惑!」と言われて、「確かに……」と反省したのでした。

また、家族に、「どうして、せめて、みかん箱4つを宅急便にしなかったの」と聞かれました。これは、ずばり、私たちが“ケチ”だからです。だって、普通の街中であれば、1000円前後で送れるみかん箱が、“成田空港”発着、という条件が加わるだけで、その値段が二倍以上になる、ということがどうしても納得できなかったからです。

必要な経費は仕方がないとしても、これはどうしても納得できない私たち。でも、成田エキスプレスのホームから、中央線のホームに行き着くまでの距離もなかなかあるのですよねぇ。東京駅。そこで、このみかん箱4つ、中央線のホームまで、カンジのスケートボードの上に積み上げられて移動させられたのでありました。スケートボードの例のガラガラ、ガラガラという音とともに、ほかの4人もスーツケースと手荷物をうんうん言いながら運んだのでした。

しかし、この一群、目立つな、というのが無理のようなお話ですね。


海外からの短期旅行者用のJRのパスを購入したために、ただいま日本縦断中。今日は東京、午後から新潟、京都から東京に戻って、広島へ、といったむちゃくちゃな日程は誰が立てた〜?


HIV/Aids、アフリカ、そして子どもたち B [2007年12月10日(月)]
 
自分の子どもが大切、そして、アフリカで知り合った子どもたちのことをしっかり日本やアフリカ以外の世界にも伝えていきたい、という二つの要素が私の中で、どんどん大きくなっていった。

まず、自分の子どもたちが大切、ということが、私たち夫婦が南アフリカへ移住する、という選択に大きく影響した。アフリカのインターナショナルスクールで育った子どもたちは、日本の学校や社会にすんなり適応するのが難しくなっていたのだ。

子どもたちも、休暇で訪れた際に見聞きする、日本の社会に違和感を抱いてきていた。兄妹揃って、私たち夫婦にこんな質問をしたことがある。

「日本の子どもはどうしてあんなに大人に対して威張っているの?」

アフリカで暮らす子どもたちは、交通手段が車での移動しかないことひとつとっても、大人の存在なしでは自分たちは生活できないことを実感しながら育つ。そうすると、自然に、大人にしかできない、あるいは、大人にだけ許されている様々な“特権”が見えてくる。結果、子どもたちは、心の底から、「ああ、早く大人になりたい」という希望を抱くようになる。

こういったアフリカの環境で毎日を暮らす子どもたちにとって、日本の小学生の子どもが親にぞんざいな口調で命令したり、教室の中で、教師に向かって「うるさいんだよ」などと暴言を吐いたりするのは、考えられないことだったのだ。

そのようなあれこれの状況は、私たちに、南アフリカへの移住への一歩を歩ませた。

南アフリカには、もちろん、途上国特有の問題や治安の問題があったとしても、先進国なみの居住環境があった。インターネットもADSLが使える。レストラン、ショッピングセンターも充実している。さらに、場所さえ選べば、英語で子どもたちの教育が続けられる、という最大のメリットがあった。

もちろん、私にとっては、エイズ渦の中にいる子どもたちに近くなる、という極めて個人的な理由もあった。

そして、南アに移住してくる、ということが、私にとって、更に意味を深めたのは、この国が世界でも一、二を争うほどのHIV/Aids感染者、患者が多い地域だったということだ。

前にも書いたとおり、私は自分の子どもを守るためには何でもする。自分の子どもの前に広がる“危険”を、どうやって防いだらいいか、ということは常に考えている。この犯罪率の高い南アでは、学校の行き帰りにだって、車ごとハイジャックされる可能性もたくさんあるのだ。

だが、それ以上に、これからそれぞれのパートナーに出会うだろう、十代の子ども二人を抱えて、これだけHIV感染者の多い国に移住する、ということはどういう意味を持つのか。HIVに感染する可能性を増やす、ということになるのだろうか。

私の行動は「子どもを危険から守りたい」と願うことと、矛盾する、と思う人もいるかもしれない。

ところが、私にとって、ここに矛盾はないのだ。

何故か。それは、私は、“無知”、“無関心”、という「心の持ち方」こそが、人を危険に導く、と強く信じているからだ。

HIVは血液を介して感染する。薬害エイズが犯罪なのは、患者自身があずかり知らないところで、製薬会社がHIVウイルスに感染した薬を製造して、患者に使う、というとんでもない経緯があったから。だが、薬害エイズをのぞけば、HIVは、感染する必要のない感染症なのだ。血液を介して感染するような行為を行わなければ、血液を介して感染する感染症には罹らない。

そうだとしたら、私は、自分の子どもをHIV感染から守るために、HIV/Aidsがどういう病気なのか、HIV/Aidsの患者さんがどのような思いを抱いているかを、具体的に、継続的に自分の子どもに伝えていけばいい、と考えたのだ。HIV/Aidsのことを積極的に知ることこそが、自分をHIV/Aidsから守ることになるからだ。

私は、毎週、エイズの症状緩和措置病院に通う。そして、子どもたちは、私から、患者さんのこと、このドリームセンターのことを日常生活のひとつとして話を聞く。子どもたちにも、時間が許す限り、私のビーズ・ワークショップの手伝いをしてもらっている。

そして、親しくなった患者さんが亡くなるたびに、ショックを受け、何日も泣き暮らす私の姿を子どもたちは知っている。そんな私を見て、最初のころ、子どもたちは私にこう言った。

「お母さん、誰もお母さんに行け、と頼んでいるわけではないのに。そんなに辛かったら、行く必要はないのに……」

私は、こういって私を慰めてくれた子どもたちに、どうして私がドリームセンターに通うのか、ということを改めて説明した。私がどんなに自分の子どもである彼らを大切に思っているか、そして、マラウィで知り合ったエマニュエルたちのことを、忘れないでもっとたくさんの人たちに伝えていくためには、自分たちの生活の中に、HIV/Aidsを常に身近に感じていることが必要だ、ということを。


リロングウェの“子どもの家”の子どもたちと一緒に


私にとって、HIV/Aidsと関わるということは、ものすごく単純に、南アフリカで暮らすこと、自分の子どもたちとアフリカを楽しむことと直結しているのだ。

そして、私にとって、アフリカの子どもたちのために、こうやって文章を書くことが、どれだけ大切なことなのか、Cafeglobe の皆さんに理解していただけたら、とっても嬉しい。

HIV/Aids、アフリカ、そして子どもたち A [2007年12月03日(月)]
 
私が自分の子どもたちのために始めた、リロングウェの“子どもの家”通い。この“家”で出会った子どもたちの一人が、この画面の左がわ、私のプロフィールの写真で一緒に写っているエマニュエルだった。

彼は、動物の好きな男の子。この写真を撮った二週間後に彼はエイズの合併症の肺炎と下痢でその短い人生を閉じた。その命の終わりが間近になった数週間、私はできる限り彼の病床に足を運んだ。

エマニュエルが好きだったのは、バナナ。
エマニュエルが好きだったのは、コーラ。
エマニュエルが好きだったのは、コーラの王冠。
エマニュエルが好きだったのは、カエル。
エマニュエルが好きだったのは、蝶々。

私の知っていたエマニュエルは、統計の中の“一人のエイズ孤児”ではなくて、6歳の、元気になってくるとちょっとワガママな、一人の男の子だった。

今でも忘れられないことがある。

エマニュエルは、看護するマザーテレサのシスターたちが、「もう駄目かもしれない」という病状に何回か陥ったが、彼は何回も復活した。このころ、この“子どもの家”では、抗ウイルス剤などの投薬治療をする金銭的余裕はなかったので、治療と言っても、栄養剤を点滴したり、口から摂取できる消化のよい食べ物を与えたり、というものだった。


ほほがまだふっくらしていた頃のエマニュエル


何回目かの死線からの復活のあと、エマニュエルにしっかり意識が戻ると、彼は排泄するときに、しっかり人を呼び、オマルを要求するのだ。その頃、『吉村峰子のマラウィ私信』という、私が代表をしていた組織GITCの会員向けに書いていた文章に、こんなくだりがある。

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それにしても、私はまた子どもたちに「あきらめないこと」の大切さを教えてもらっています。誰がどう見たって、エマニュエルは死期が迫った状態でした。それがどうでしょう。今週は、おまるにしっかりとした便もするようになったのです。賢いエマニュエルは、決して粗相などしません。多分、ベッドの端に触れる だけでも激痛が走るのでは、と思うほど痩せてしまっているのですが、ちゃんと人を呼び、おまるを出してもらって排泄します。触るのが怖いほどやせ衰えた彼を介助しながらつくづく思いました。私たちは彼のこうした姿勢に、人間としての厳かな品性を教えてもらっているのです。エマニュエルはたったの6歳。ここ まで体がつらかったら、お漏らししたっていいのです。それなのに、きちんと排泄しようと、エマニュエルはがんばります。
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エマニュエルは無意識だったと思う。だが、その短い人生で、例えば、「おしっこ、うんちは、きちんとトイレでする」とは、彼が身につけていた、きちんとした生活習慣そのものだ。私は彼が誰からそれを教えられたか、想像をめぐらせた。もっともっと小さかったエマニュエルに、排泄のしつけをした人がいた、ということが、私の心を明るくした。幼い子どもが、周りの大人に、褒められながら、ときにがっかりされながら、おしっこを、ウンチをトイレで排泄できるようなる。……こんな子育てのシーンのひとつが、アフリカの小さな村であった、ということを、エマニュエルの行動の中に見ることができたからだ。

そして、彼は、最後まで、この自分に身に付いた生活習慣をしっかり守ろうとしていたのだ。私たちは、信じる人たちに教えられたことを「守ろう」と努力する。それが、大切な生活習慣であれば、その毎日の律儀な積み重ねが、生活にリズムを生み、家族という単位で行動する毎日に秩序を与えてくれる。

戦争で荒れ果てる前の、または、エイズ渦で大人がばたばた死んでしまう前の、名もない多くのアフリカの小さな村の清潔さ、穏やかさ、大人に見守られながらシアワセに暮らす子どもたちの健康的な生活を知る人間として、エマニュエルのシアワセだった日々を想像することができた。

エイズで壊滅的な打撃を受けているであろう、エマニュエルの家族が住んでいたマラウィの村にだって、こういった普通の毎日の生活が存在していた、という証が、この幼いエマニュエルの律儀さの中にあったのだ。

そして、私はこのとき、「私がこういう子どもたちのことを人に伝えていかなかったら、誰が伝えるのだろう。この子たちの生きてきた証はどこに行ってしまうのだろう」と考えた。

私に爪を毎週切って欲しい子は、爪を切ってもらうことだけが楽しみなのではない。大人に抱っこしてもらい、爪を切ってもらう時に自分に向けられた注意が嬉しいのだ。日本のお母さんたちだったら、何気なく存分にわが子に与えているこういった思いやりがこの子たちには特別なことだったのだ。


粗末ながらも、栄養の行き届いた食事で、子どもたちは子どもの家についてから、短期間でふっくら健康になる

私は、この子たちのことをしっかり受け止める人間でいたい、と思った。そして、彼らが確かに生きていたことを、世界の大人たちはもっとしっかり知るべきだと思った。せっかく同じ地球に生まれながら、文句も言わずに死んでいく幼い子どもたちのことを、もっと多くの大人たちが知るべきだと思った。そして、私には、この子たちのことを世の人に伝える責任があると思った。

私はこの子たちのお母さんにはなれないけれど、この子たちの生きてきた証を文字にして、日本の子どもたちや大人たちに伝えることはできる。それは、アフリカに居なくてもできることなのだけれど、私はこの子たちとのかかわりの中で、近い将来アフリカに自分の生活の場を移すことが極めて自然なことのように思えてきていた。


お知らせ

↓↓↓シンポジウムにご参加ください!↓↓↓

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エイズ問題学習会〜エイズの「いま」を考える
@日時:12月15日(土)夜6〜9時
A会場:豊島区立生活産業プラザ
  170-0013  豊島区東池袋1-20-15
  池袋駅東口より徒歩7分
B内容:(発言順)
  吉村峰子(南アフリカ在住):
   南アフリカのエイズをめぐる現状
  保田行雄(弁護士):
   日本のエイズをめぐる現状
  金子由美子(公立中学校養護教諭):
   性教育の今
  川田龍平(参議院議員):
   国会から
  司会:岩辺泰吏
C参加費:(会場整理費)500円
D主催:人権アクティビストの会(代表:川田龍平、事務局長:岩辺泰吏)
E参加申し込み:直接会場へ起こしください
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プロフィール
Profile
吉村峰子
(日本語/英語教師・ライター・通訳)
東京都生まれ。1980年頃より日本語・英語教育に関わる。教えた国は、日本、米国、デンマーク、ドイツ、リべりア、エチオピア、マラウィ、南アフリカなど。1986年頃より、アフリカと日本を交互に生活した後、2003年、南アフリカ・ダーバンに家族とともに移住。現在はダーバンで日本語・英語教育、執筆業、通訳業で大忙しの毎日を送る。