吉村峰子のアフリカに遊びにおいで!

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HIV/Aids、アフリカ、そして子どもたち @ [2007年11月26日(月)]
 
マラウィは、南部アフリカの小さな内陸国。海に面していない代わりに、国土の三分の一を占めるマラウィ湖がある。この豊かな湖のおかげで、マラウィは人口が多い。マラウィをぐるりと囲む国々は、ザンビア、タンザニア、モーザンビーク、そしてジンバブウェ。

私たちは、政府開発援助を実行する機関に勤めていた夫の赴任のため、マラウィの首都リロングウェに3年弱暮らした。私たちのリロングウェでの友人は、外国人が圧倒的に多かった。これは、夫の職業的なつながりの他に、子どもたちの通うインターナショナルスクールで出会う家族が圧倒的に各国外交官、国連職員などが多かったからだ。

そうすると、当時11歳、6歳の我が家の子どもたちのマラウィで付き合う人たちが、いわゆる、ものすごく限られた層になってしまったのだ。実際、私が特に親しくなったのは、駐マラウィ・ドイツ大使と駐マラウィ・ノルウェー大使の二家族。この二人の大使夫人たちとは、今でも仲がいい。だが、ちょっと学校の帰りに寄る友達の家が、超豪華な大使公邸、その他には、国連の高官、またはイタリア系のビジネスを手広く成功させている家族など……。これは小さなアフリカの国の首都に集う人たちゆえのコミュニティだった。

それは悪いことでは決してないのだが、私のなかで、これでは何かが違う、という気持ちが広がっていった。世界でも有数の貧困国となってしまったマラウィに住んでいながら、多くのマラウィ人の抱えるマラウィの現状を、私はまったく自分の子どもたちに見せていなかったのだ。子どもたちが日本に帰ったとき、「マラウィはどんなところなの」という質問に、「マラウィでは豪華な家に住んで、友達は外国人で、長い休みにはザンビアのサファリに行って……」では、お話にならないではないか。

そこで、私は自分の子どもたちに、問答無用でこう言い渡した。

「リロングウェに住む間、月曜の午後は“子どもの家”というところで子どもたちと一緒に遊ぶことになったから。月曜は、他の友達と遊んだり、他の用事をしないからね」

この“子どもの家”とは、マザーテレサの修道会が運営している孤児院のような施設だった。単純にこの施設が“孤児院”と呼べないのは、マラウィの法律では、“孤児”とは子どもに両親ともにいない場合を限定しているから。マザーテレサのシスターたちは、この隙間を埋めるべく奮闘していた。父親がとっくにいなくて、母親がエイズの末期で子どもの養育ができなくても、まだ生きている間は、その子どもは“孤児”とは認めてもらえず、政府の運営する孤児院に収容してもらえない、というケースが多々あったからだ。


生後数日の赤ちゃんから、15歳くらいまでの
子どもたち約100人がここで暮らしていた

この子どもの家の子どもたちは、多くがエイズ孤児だった。そして、結核を患っている子もたくさんいた。エイズは空気感染しない。エイズの感染は血液の接触を介する。つまり、エイズとは、性交渉、輸血や注射器での感染、出産時の母子感染、母乳からの感染、といった、注射器からの感染以外はかなり限定される感染病なのだ。

私は自分の子どもが何よりも可愛い。自分の子どもに降りかかる危険は身体を張ってでも阻止したい。だが、“子どもに降りかかる危険”とは何なのだろう。もちろん、交通事故とか、病気などはわかりやすい。でも、私が阻止したい“子どもに降りかかる危険”の中には、「偏った心のあり方」というものも含まれているのだ。

アフリカに住む家族として、アフリカの抱える問題を子どもから見えないようにしてしまうことから引き起こしてしまう、「自分たちには関係ない」という「偏った心のあり方」を自分の子どもに植え付けてしまう行為は、私には許せないものだった。アフリカの問題を身近に見てきた一人として、「無関心」が引き起こすマイナスのエネルギーを自分の子どもには与えたくなかった。

子どもの家に通い始めた当時は、将来、南アフリカに移住するとは思いもしなかった。でも、西アフリカのリベリアで生まれた上の息子、生後3ヶ月でエチオピアに渡った下の娘は、多くのアフリカ人の愛情をたっぷり受けてそれまで育ってきていた。私は、彼らに、アフリカを一過性の場所とは捉えて欲しくなかった。また、大きくなった彼らが、この大陸の人たちのために、感謝の気持ちをもって、何かをお返しして欲しいと思っていた。

子どもの家に定期的に通って子どもたちと遊ぶことには、確かに、エイズには感染しなくても、結核を感染してしまう可能性を含んでいた。夫ともこのことについては話し合った。結論として、血液に触るようなことは絶対にいけない、としっかり教える。そして、万が一結核に感染したとしても、結核は薬で治癒が可能なのだから、結核感染を恐れて、子どもの家に遊ぶに行かせることを躊躇する必要はなし、ということになった。

そもそも、我が家の二人は極めて健康体、めったに風邪も引かない。アフリカ暮らしなので、朝5時には起きて、夜8時には熟睡、という昔の子どものような生活がいいのかもしれない。食事もアフリカゆえ、ほとんどが手作り。添加物摂取も先進国で暮らす子どもたちよりもかなり少ないと思う。彼らは、自己免疫力が強いのだと思う。

そんなこんなで始まった子どもの家通い。子どもたちにとって、「月曜の子どもの家」は、日常の風景となっていった。

ここで私たちが何をしたか。それは、とってもシンプル。ただ遊ぶこと。本を読んだり、ボール投げをしたり。慢性的に人が足りないので、私はオシメを変えたりもしたが、最終的に私は“爪きりおばさん”になった。毎週、子どもたちをひざに抱いて、彼らの長く伸びた爪を、日本の赤ちゃん用爪きりはさみでチッチッチ、と切っていった。大人の数が圧倒的に少ないので、こういった個人的な世話をしてもらうことを子どもたちはとっても喜んでいた。


日本から届いた大型絵本を使って遊ぶ子どもたち。
右端は当時7歳だった娘、ショウコ

ある一人の女の子がいた。6歳くらいだったと思う。右手の爪を切ったあと、「左手を見せてごらん」というと、その左手を私から隠す。「???」と思い、そばにいた人に通訳してもらった。そうしたら、なんと、「またアンティに切ってもらいたいから、今度のときまでとっておく」と言うではないか。それを聞いて、私のしていたこのほんの数分の爪きりが、この女の子にとってどんな意味を持つのかがよく理解できた。

私はその子をゆっくり抱き上げて頬ずりをして、「毎週、切ってあげるからね」とささやいた。

自分の子どもたちに、マラウィの現実をしっかり体験させたい、という目的で通いはじめた子どもの家。だが、実は、ここで出会った子どもたちが、私自身の後半人生を変えてしまうとは考えていなかった。



川田龍平さんたちと一緒にシンポジウムを開催します [2007年11月19日(月)]
 
二年ぶりの私の日本一時帰国にあわせて、以下のようなシンポジウムを企画していただきました。

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エイズ問題学習会〜エイズの「いま」を考える
@日時:12月15日(土)夜6〜9時
A会場:豊島区立生活産業プラザ
  170-0013  豊島区東池袋1-20-15
  池袋駅東口より徒歩7分
B内容:(発言順)
  吉村峰子(南アフリカ在住):
   南アフリカのエイズをめぐる現状
  保田行雄(弁護士):
   日本のエイズをめぐる現状
  金子由美子(公立中学校養護教諭):
   性教育の今
  川田龍平(参議院議員):
   国会から
  司会:岩辺泰吏
C参加費:(会場整理費)500円
D主催:人権アクティビストの会(代表:川田龍平、事務局長:岩辺泰吏)
E参加申し込み:直接会場へ起こしください

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私が常々、「自分は恵まれているなぁ」と思うのが、人とのつながりです。こんなに激しく大陸間を移動しているのに、私には本当にいろいろな場所で応援してくださる方々がたくさんいます。

このシンポジウムの企画をしてくださった、人権アクティビストの会の事務局長・岩辺泰吏さん(当日は司会も担当)は、元小学校教師です。この岩辺先生との出会いも不思議、不思議。私には2000年に『公立小学校でやってみよう、英語!』(草土文化)という拙書があります。この本の企画から編集を担当してくださったのが、現在は明石書店にいらっしゃる三輪ほう子さん。



イラストは、関口シュンさん。
子どもの顔のイラストが素晴らしい。

このほう子さんの紹介で知り合いになったのが岩辺泰吏先生です。岩辺先生は、小学校教員時代から、「読書のアニマシオン」という団体の代表をされている、子どもたちに楽しい読書体験をさせる名物先生です。現在は、このアニマシオンの活動で全国の小学校や教員の研修会に出向き、アニマシオンのモデル授業や講演をされています。

でも、岩辺先生が素晴らしいのは、このアニマシオン活動だけではないのです。子どもへのまなざしの暖かさが尋常ではないのです。私は、岩辺先生の授業を見るだけで、鼻水が流れるくらいぐずぐずに泣いてしまいます。先生の子どもたちへのつながり方が胸に来ます。

そして、このほう子さん。私の『公立小学校でやってみよう、英語!』の出版祝いの席で、こう、のたまいました。

「私は、吉村先生のしていることを岩辺先生によく知って欲しくて、この本を作らせてもらったんです」

すごいですよね。その本を書いた人を目の前にして、その本が、実は、別の人へのラブレターだった、というような告白。ふふふ。私も一瞬驚きましたが、実は、私はこういう人たちが大好き。信頼関係をしっかり築き上げるからこそ、一見乱暴のようでも、こういった心の動機を正直に話せる人たち。それに、自分の仕事で、人と人をつなげることができるのは、子どもにはまだまだ真似のできない、真の大人の“楽しみ”ではないですか。

また、岩辺先生は、このシンポジウムにも参加してくださる、参議院議員の川田龍平さんを長く支援もされてきました。川田さんの新刊、『川田龍平いのちを語る』(明石書店2007年刊)の中でも、岩辺先生から語られる薬害エイズ訴訟の渦中にいた川田さんの姿が浮かび上がります。川田さんが、実質的に“カミングアウト”の決断をしたときにも、岩辺先生はその場にいて、川田さんを支えていました。そして、この本、『川田龍平いのちを語る』もほう子さんの編集なのです。

川田さんが、自分が薬害エイズの被害者であることを公式に表明してから、12年が過ぎました。そのとき、19歳の若者だった彼も、31歳。本の中でも、繰り返し発言される、「自分だけのしあわせのためでなく、みんなとしあわせを共有する社会にしていこう」が彼の生き方を象徴的に表しています。また、私の心に響く彼の言葉は、「殺されることと死ぬことは違う」というもの。エイズの患者さんと日常的に接している私にとって、ずしりと思い言葉です。

川田さんのことは多くの人が、「応援しています」と思っているはず。それが、今年の参議院の選挙でも如実に現れていました。Cafeglobe の人気連載、『エンゼルあつみの永田町観察日記』でも選挙前の川田さんの勝率は、ぎりぎりに当選か、という予測でしたが、蓋を開ければ、彼はかなり早い段階で当確を勝ち取るほど多くの人の支持を得ていました。これは、進んで彼の元に「応援しています」と伝えるかどうかは別として、「がんばれ!」と胸の中で彼を応援している人がいかに多いか、を物語っています。

その川田さんもお忙しい日程を割いて、このシンポジウムに参加してくださいます。私は、「南アフリカのエイズをめぐる現状」というタイトルでお話させていただきますが、もともと私は医療関係者ではないので、メディカルな話題、というよりも、私が毎週通うダーバンにある、エイズ症状緩和措置病院、ドリームセンターで知り合った、Cafeglobe 世代のある一人の女性のことについてお話したいと思っています。

皆様、12月はお忙しい時期だとは思いますが、ぜひ、ご参加ください。このブログでも紹介した、ドリームセンターの患者さんたちの作成したビーズのブレスレットも販売します。Cafeglobe の読者さんにはプレゼントもありますので、会場で直接私に、「Cafeglobe の読者です」と、お声をおかけくださいね。

川田さんのインタビューは、Cafeglobe のFrill me,Thrill me! でも掲載が予定されています。お楽しみに!






アフリカからの手紙 [2007年11月12日(月)]
 


これは、もうすぐ大学受験を迎える、
私の元教え子の一人への手紙です。

☆☆☆☆☆☆☆

私は、君のあの大きな瞳から、ぼろん、と音を立てて流れた涙を絶対に忘れない。

月日が経ち、場所が移り、君がどんなに大きくなっても、私はあのときの君の悔しさを一生忘れない。

君が、あの時、直面していたのは、世の中の理不尽さそのものだった。しかも、身勝手な大人の行動で子どもが犠牲になる、という構図そのものの。

そうだ、世の中には、どれだけの多くの子どもが、どれだけの多くの身勝手な大人の犠牲になっていることか。

実の親に食べ物を与えられない子もいる。
実の親にレイプされる子もいる。
実の親に殺される子もいる。

アフリカでも日本でも、私は具体的にこんなことを見聞きしている大人の一人だ。

だから、君の体験した“理不尽”はそんなにひどくはないんだ、と私が思ったと思うかい。そんなことはないんだよ。

私は“不運”とか、“理不尽さ”というものは、比べる必要がないことだと思っている。

逆説的に、あえて、アフリカと日本を比べれば、アフリカは人の命の値段がどう考えても安い。“下痢”で子どもが死ぬんだよ。アフリカの多くの地域では、いまだに、日本では死ぬ必要のない病気で人が死んでいく。

エイズを発症している男が、処女と性交をすれば自分のエイズが治る、という迷信を信じて、自分の幼い子どもをレイプし、エイズを感染させていることだってある。そして抵抗力の弱い子どもはエイズを発症して、ばたばたと死んでいく。

「命の値段」とは、“言葉”としてとっても重い。軽々しく使える言葉ではないね。でも、私は、自分の腕の中で、生後たった14日の赤ちゃんの命が消えていく、そんな経験をいくつかしてきた。医療関係者ではない私にとって、それがどれだけのことだったかを、君は想像できると思う。

でもね、繰り返して言おう。それでも、ひとつひとつの残念な出来事を比べる必要はないんだ。

だって、君の人生、君の境遇は、君しか実体験できないことだから。そして、それをどう自分の中で昇華させるか、というのも個人の裁量に関係することだから。

私は、あのときの君の涙を忘れない。

私は、君と君のお母さんと、君よりももっと小さかった君の妹に、幾晩かの宿と心づくしのご飯を用意することしかできなかった。どうしようもない現実、というやつだ。自分の無力さを感じることは毎日だが、あの時、自分の目の前にいる君の悔しさをどうもしてやれない自分の非力さと無念さを、私は今でも痛みとともに思い出す。

でも、それ以降の君の人生の見事さはどうだろう。確かに、学校に行けなくなった時期もあったね。でもね、あれは、賢い君が自分の心と身体にしんと耳を済ませた末の賢い選択だった。

そのおかげで、君は北の大地の生徒たちの心を大切にする学校で、こんなに君の可能性が広げることができたんだ。学校に行かないあの時期がなかったら、この展開はなかったよね。

自分のことで精一杯のはずなのに、いろいろ他の人の世話まで引き受けてきてしまう君のお母さんの奮闘ぶりも私にはまぶしい。遠く離れているからね、なかなか肩を抱いて褒めてあげることができない。でも、何かあればいつでもどこからでも、参上する用意はあるんだよ。

そして、いま、大切な受験を控えた君にアフリカの空いっぱいのエールを送りたい。

君の受験しようとしている大学は、日本のトップクラスだ。中学での不登校を乗り越えて、そこに果敢に挑戦しようとしている君を誇りに思う。その大学で学ぶ学生の満足度は、日本一、とも言われているそうだよ。きっと、入学してからの勉強のしんどさは、きっと君の今の想像を軽く超えると思う。

私は君のそこでの奮闘ぶりを期待している。

君に、「英語を話す、ということは何を大切にするべきなのか」、ということを教えた最初の教師として、この大学が、どう君の英語力を伸ばしてくれるか、ということもじっくり見ていきたいと思う。

君はあの時の悔しさを、もうきっぱりと消化しているのかもしれない。君はそういう力を持つ人だから。

でも、あの時の経験が、まだ、ほんの少しでも君の心を暗くすることがあるのなら、それは大人の私が引き受けようと思う。アフリカの大きな空の下で、キリンやゾウたちと一緒に君の悔しさをパクパクと食べてしまおうと思っている。

君を幼いころから知る大人の一人として、君の成長をどれだけ喜んでいるか知って欲しい。

そして、これから先、独り立ちしていく君の人生にはいろいろなことが待ち受けている。世の中は一人になって初めて分かる大変なこともたくさんある。

覚えておいて欲しい。君には回りに君のことを心から考えている人間がいる、ということも。何があっても君のことを信じているよ。そして、大人になった君が、自分以外の人のために、何か行動できるようになる日が来るのを心待ちにしている。君はそれができる人だから。

心を落ち着かせて、君のありったけの思いを受験用紙にぶつけておいで。




アフリカでおでん! [2007年11月05日(月)]
 
南アフリカで暮らしていても、そんなに日本食が恋しくならないのは、私が食いしん坊だからだと思う。

食いしん坊だと、日本での食べ物が恋しくなるのでは? 

もちろん、そのとおり! でも、食いしん坊だからこそ、私は何とか工夫して、毎日、日本に暮らしていた頃とそう大差のない食卓を整えるためにひとふんばりしてしまう。

美味しく炊けたご飯(ご飯に関してはコダワリのある私。“圧力鍋”の原稿を読んで下さい)
日本のお醤油
新鮮な魚、肉、野菜

これらが揃えば、現代の日本の食事は結構簡単に作ることができるもの。それに、子どもが生まれてからの我が家の食卓は、カレー、ミートソース、シチュー、ハンバーグ、コロッケ、といった洋風おかずが多いことも、南アに暮らしてあまり不便さを感じない理由かもしれない。これらのおかずはまったく問題なく南アで作ることができる。

それに、私は食いしん坊なのだが、あまり「○○○がなくちゃ駄目!」が、ないのだ。正直言って、好き嫌いはほとんどないし、少々古くなったものでも大丈夫だし、大好物は梅干のお結びにゆで卵、などと、情けなくなるくらいシンプルなのだ。

ここダーバンでは、新鮮な魚を入手できる。一般の魚屋さんで買った近海ものの魚をお刺身で食べられるのも嬉しい。季節にもよるが、まぐろ、シイラ、バラクーダ、などの魚は脂も乗っていて、本当に美味しい。値段もこのごろ上がってきてはいるものの、南アで水揚げされる魚は、高くても一キロ1000円前後。これは、肉類の値段と変わらない。2007年11月現在、私が普段のおかず用ステーキに買う牛肉のリブロースが、一キロ800円から1000円くらいだ。単位がキロ単位なのが、南ア流。一家四人分、一人300グラムずつ見当で約1.2キロのリブロースが、合計1000円程度で買えるのは南アに住むシアワセのひとつ。

ただ、アフリカに暮らしていると、同じ海外でも日本の食材が比較的手軽に入手できる欧米の大都市とは違い、本格的な日本料理を作ろうとしたら、かなりの部分を手作りすることになるのも事実。例えば、おでんの具、さつま揚げがその代表選手だ。美味しいさつま揚げが手に入る日本では、さつま揚げを手作りする人はあまりいないかもしれない。でもここでは、日本で買ったものを飛行機で運んでくる以外は入手不能、つまり、ダーバンでは、さつま揚げは手作りだ。

吉村家のおもてなし料理の定番、“おでん”には、このさつま揚げが欠かせない。

作り方はいたって簡単。新鮮な魚とえびをフードプロセッサーですり身にして、そこに、タマネギ、ニンジン、ヒジキなどの具を混ぜて、味噌、生姜、塩で味をつける。つなぎには山芋を入れたいところだけれど、これはないので、コーンスターチで代用する。全部をよく混ぜて、適当な大きさにスプーンで丸めて、食物油でゆっくりと揚げる。


手作りさつま揚げ。これは日本人に大好評!

私が使う魚は、日本ではメルルーサと呼ばれるお値段も安い白身魚、Hake。この魚はこちらでは、フィッシュアンドチップスによく使われている。えびは地元産の赤い小さなものを使う。両方とも一キロずつ使うのがいいのかもしれない、素直な味ながら、隠し味の生姜が絶妙なアクセントになって、おでん鍋にたどり着く前に、かなりの量が消費されてしまう。

そして、おでんに欠かせないのがこんにゃく。もちろん、これも手作り。

これは、日本に行ったときに東急ハンズで必ず買う、『手作りこんにゃくの精粉』が大活躍。箱の後ろ側に書かれている手順を忠実に守って、練ったり、寝かしたりしていくと、正真正銘、おいしいコンニャクが出来上がる。



私は元々大雑把な性格だし、自分の仕事などでは、かなり常識破りで、皆が信じていることもまず疑ってかかる、というメンドウクサイ女なのだが、“こんにゃく造り”などといった、こういったプロセスには素直に従う。「1350CCの水を80度に沸かしなさい」と書いてあったら、きっちりと1350CC の水を計って、80度きっちりの温度にする。これは、この『手作りこんにゃくの精粉』作成委員会(?)の人たちが、素人でも簡単にこんにゃくができるように、一生懸命考えて、イラストなどを添えて消費者に説明しよう、という熱い情熱が感じられて、そこに尊敬の念を抱いてしまうからだ。私はこういう仕事をする人たちに絶大なる信頼を寄せる。

さて、この他、中華材料を扱うお店から、大根、厚揚げを仕入れてきて、二日かけて大根と昆布から煮始める。ゆで卵好きの家族ゆえ、卵も最低でも2ダースはゆでておく。

確かに、“おでん”つくり、時間はかかる。でも、仕事をしながら、大きなお鍋いっぱいのおでんをアフリカで作るのもなかなか乙なものだ。

先週は、久しぶりに大勢の友人を呼んで、日本食パーティを開催した。このごろ仕事が忙しくなって、なかなか機会を設けられなかったので、お呼びしたい人がたくさんいて、大人数になってしまった。子どもたちも入れて総勢50名。この日は、日本人の英語の生徒さんたちもお呼びしたので、居酒屋メニューに挑戦した。

おでん(大根、厚揚げ、こんにゃく、さつま揚げ、ゆで卵、昆布)
太巻きすし二種(トロ+きゅうり、スモークサーモン+厚焼き玉子+キュウリ)
鶏肉ときゅうりのサラダ
ほうれん草の白和え
牛コロッケ(差し入れ)

デザートには、シフォンケーキを焼いた。でも、日本人の友人の手作りのミニ大福に評判が集中!今回は、料理の量がやや少なめで、ひやひや。でも、南ア人たちがおでんやおすしに舌鼓を打つ姿はかわいらしかった。


今やダーバンでもおすしは大人気。普通のスーパーでも購入可能。



プロフィール
Profile
吉村峰子
(日本語/英語教師・ライター・通訳)
東京都生まれ。1980年頃より日本語・英語教育に関わる。教えた国は、日本、米国、デンマーク、ドイツ、リべりア、エチオピア、マラウィ、南アフリカなど。1986年頃より、アフリカと日本を交互に生活した後、2003年、南アフリカ・ダーバンに家族とともに移住。現在はダーバンで日本語・英語教育、執筆業、通訳業で大忙しの毎日を送る。