サリーと私の出会いは、私たちがここダーバンに移住して子どもたちの転校先に選んだ学校での初めてのPTAの集まりでした。
見るからに人のよさそうな、とでも言えば、サリーの雰囲気が伝わるでしょうか。
南アといっても、このダーバンはまだまだ人種棲み分けのはっきりしている地域です。まして、この最初に選んだ学校は生徒の8割が白人系南ア人。私たちは最初からもう浮きまくっていたはずです。
しかし、移住する前は、政府系の援助機関の職員とその家族だった私たちは、当時この地域の凄まじいまでの人種差別を意識することもなかったのです。あとで、たっぷりその被害には合うのですが、移住したばかりの私たちは、これまで通り新しい土地に移り住んで、意欲まんまんでした。
ところが、「これはちょっと様子が違うかも」と思い始めるのに時間はかかりませんでした。とにかく、人種が交わる、といったことがないのです。
この地域は、白人が古くから集まっている地域で、三代も四代も前からの知り合い、といった“仲良しクラブ”があって、そこに該当しないと、学校以外での集まりにはまずお呼びがかからないのです。
何をしても、私たちはお客さん扱い。その輪の中に入っていこうとしても、かなり表面的な付き合いにしかなりません。
それでも、学校の行事やスポーツ観戦などに参加していると、いつも笑顔の変わらない女性がいることに気づきました。ただ、彼女は仕事が忙しいらしく、集まりにもいつも遅刻気味、また、ミーティングなどが終わると、真っ先に帰宅するような忙しさが見て取れました。
それがサリーだったのです。
サリーも実は、私のことに興味を持っていたようで、あるPTAの会合のとき、偶然に席が隣り合わせになり、お互いに話しを始めました。
私はこのKLOOF(クルーフ)というダーバンの街中から20キロくらい離れた地域の特殊性が不思議でならないので、彼女に聞きたいことが次から次へと出てきました。この日を境にサリーと私は親しい友人になったのです。
サリーは臨床心理士です。私がHIV/Aids の症状緩和措置病院、ドリームセンターへ通うようになったのも、サリーがきっかけでした。
彼女はこの頃、このドリームセンターへ週一回、彼女の所属するダーバン市内のマコード病院から、心理士として派遣されていたのです。患者さんにカウンセリングをしたり、彼女の元にいる心理学者のインターンたちを束ねたりして、サリーは患者さんたちの生活の質を向上させるよう奮闘していました。
私は彼女たちのチームの一員に加えてもらい、患者さんの話を聞くボランティアを始めたのでした。
サリーは私がライターの仕事をすることを知ると、患者さんたちの人生を書きとる仕事をぜひして欲しい、と私に頼みました。私は二つ返事でOKし、これがサリーたちマコード病院の心理学チームがドリームセンターから撤退したあとも続けた私のビーズ・ワークシップへとつながっていったのです。
さて、サリーのことを少しお話ししましょう。
彼女は1956年生まれで、今年の9月には54歳になります。彼女の何といってもすごいことは、何事にも自分のペースでゆっくりゆっくりあきらめずに前進することです。家族は、会社員のパートナーと三人の子どもたち。そして、何匹ものペットたち。彼女は大の動物好きです。採食主義者でないことが不思議なくらい。
この鶏は、サリーが帰宅すると当然のような顔をして家に入ってくる
そして、彼女は決して簡単に臨床心理士なったわけではありません。
彼女いわく、
「ふふふ、心理学の勉強を始めてから、資格を取るまでに11年もかかったのよ」
彼女が臨床心理士として働き始めたのは2002年のこと。そして、なんと2009年からは、心理学の博士号を取る勉強も始めました。これは5年計画だそうで、彼女を見ていると生涯勉強が続きそうです。
彼女の長所は、白人や黒人、あるいは日本人といった“人種”でもって、その人たちの評価をしない、という極めて当然といえば当然な見識が自然に身についていることです。これは、南ア社会に住む人にとって、ものすごく稀有なことなのです。
経済格差がここまであからさまな現実を足元で見ながら人生を送る、ということは、「持つ側」と「持たざる側」に人を隔ててしまいます。
隔てるだけならばそれはそれで仕方がないのですが、「持つ側」は「持たざる側」の人間を自分より劣った人たち、という間違った思い込みさえ持ってしまいます。
サリーにはそれがありません。ドリームセンターでも、彼女は患者さんたちの話に真剣に耳を傾け、彼らの生きてきた軌跡を真摯に受け止めていました。彼らから学ぶことの多さにひれ伏したい、とよく言っていました。
彼女は心の底から公平な人なのです。
その公平さは、人種を超え、生き物の種類さえも超えてしまいます。彼女の動物に対する愛情は並大抵のものではありません。彼女にとって、動物とはそれがたとえ道端を歩く“アリ”であっても、「生き物」であることに変わりなく、彼らが無事にそれぞれの目的地にたどり着くことを願ったりします。
ひとつ愉快なエピソードを。ある日、私がドリームセンターの会議に出るため、病室から戻ってくると、サリーがお医者さんたちや病院長などを引きつれて、逆方向に歩いてきます。私がどうしたのか、と聞くと、
「ちょっとついてきて、素敵なものをみせてあげる!」
と頬を紅潮させながら、白衣の集団を引き連れて、裏庭に皆を導くのです。皆はキョトンとしました。だって、裏庭には特にめぼしいものは何もある気配がなかったのです。
サリーは、その何もない裏庭の壁の上にいる二匹の小鳥を指して、
「Look at those birds! They are in love! 見てみて、あの二匹の小鳥たち!愛し合っているわよね〜!」
とうっとり。
私たちは「は〜、サリー」とため息をついて、笑うしかありませんでした。でも、その時、ドリームセンターはかなり大きな問題を抱えていて、会議でもなかなか沈痛なムードが流れていましたから、彼女のこういったほんわかムードは皆の心を和ませてくれました。
彼女と私が対立したのは、一回だけ。
それは、両家の下の子どもが通う学校での問題が起こった時でした。詳細に言及はしませんが、個人の先生がしていることとはいえ、私はあることを見逃すことができず、この先生と学校を相手にしてその矛盾を是正しようと、かなり“闘った”のでした。
でも、彼女は同じ被害に会いながらも、一緒に抗議することは選びませんでした。
彼女の理由はずばり、「これは負け戦だから」。
私は唸りました。彼女は、世界を旅行したこともあり、臨床心理士という職業を持つ女性でもあります。が、そんな彼女をしてもこういった物事への対処の保守性は、やはり南アという特殊な社会を生きる独特の姿勢でした。
ところが、この学校側との戦いでは、最終的に一人でその矛盾に挑んだ私が“勝った”のです。その時、彼女がこう言いました。
「きっと、あなたがここにいることで、私たちが考えもしない物事への対処の仕方をあなたの痛みを持って私たちに見せてくれることで、私たちも変わっていくのね」
末息子のデイビッドと。コムラッズマラソンのボランティアを終えて。
正直であること、自分の人生を自分のためだけに使わないこと。いろいろな面でサリーと私には共通点があります。
夫の死に際し、彼女は最初からず〜っと私に付き添ってくれ、私の気持ちを丁寧に、静かに見つめてくれたことも私は一生忘れないでしょう。サリーと夫もとっても仲好しだったのです。
また折につけ、彼女のことは書いていきたいと思っています。