皆さんは、3月13日に報道されていた七生養護学校での性教育に関しての裁判のニュースをお聞きになったでしょうか。
五つの新聞社の社説が、大きく二つに分かれました。
資料その1
朝日新聞社説(2009年3月14日付け)
資料その2
産経新聞社説(2009年3月14日付け)
資料その3
東京新聞社説(2009年3月16日付け)
資料その4
読売新聞社説(2009年3月16日付け)
資料その5
毎日新聞社説(2009年3月18日付け)
多くの人々にとって、この事件は大きな関心事にはならなかったのかもしれません。
が、七生養護学校のこの裁判は、日本の、特に東京都の学校教育における「性教育」に大きな転機をもたらした大事件だったのです。
ことの発端は、都議会で「行き過ぎたジェンダー・性教育」に懸念を持つ議員が、当時の東京都教育長に、この頃七生養護学校で使われていた『からだうた』という歌の歌詞について「質問」しました。
この『からだうた』の歌詞をここで書き記す前に、これがどういった目的で作成されたか、という背景を説明したいと思います。
知的障がいのある子どもたちにとって、思春期に入って、自分の体が大きく変化すること、その変化が性的にどういう意味をもつか、ということを理解するのはかなりの困難が伴います。そして、知的障がいのある子どもたちの周りにいる大人にとって、この子たちが性犯罪の被害者に、そして加害者にならないためにはどうしたらいいのか、ということが大きな、そして切実な問題となってくるのです。
そこで、七生養護学校の教員たちは、子どもたちに、「自分の体はとっても大切なものなんだよ」、というメッセージをしっかり学んでもらうことにしました。その教育活動の一環して、体の部位の名称をリズムに乗ってゆっくりと教えるためこの『からだうた』を作り、子どもたちの理解を促そうとしたのでした。
『からだうた』は授業の始まりに同性の先生と1対1になって、歌に合わせて体に触れてもらいながら(性器には触れません)、心の交流を深め、体のつながりや名称を意識させていく歌遊びです。
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あたま、あたま、あたまのしたには首があって
肩がある、肩から腕、ひじ、また腕、手首があって
手があるよ(右と左を繰り返す)。
胸にオッパイ、おなかにおへそ、おなかのしたが
ワギナ(ペニス)だよ、背中は見えない、背中はひろい、
腰があって、お尻だよ、ふともも、ひざ、すね、足首、かかと、
足のうら、つまさき(右と左を繰り返す)、おしまい
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皆さんは、この歌詞がこういった状況の元、養護学校というある意味においては、特殊な環境で教師が生徒たちに懸命に自分の体のことを教えようとしていることに関してどんな感想をお持ちになるでしょうか。
あるひとりの教育者の意見を読んでください。
「とても人前では読むことがはばかられるもので……極めて不適切な教材でございます」
この感想の主は当時の東京都の教育長のものです。
世の中は不平等ですし、同じことが、ある地域では称賛されても、ある地域では嫌悪される、ということは私たち人間社会が延々としてきたことです。今回も、このときに、本当に子どもたちの側、つまり
「卵側」に立てる教育長でなかったことが、この不条理を招いてしまったのでしょうか。
でも、その影響はあまりにも大きかったのです。
都議会でこういった質問を受けたあと、東京都教育委員会は、不思議なことに、それまでは七生養護学校の実践を評価し、校長会主催の研修会などの講師として彼らを招き、他校の教員たちにその優れた実践を講習させていたにも関わらず、手のひらを返したように関係した教員、また七生養護学校の「こころとからだの学習」に理解があった前任校長を“処分”までしたのです。この前校長は一般教諭に降格され、さらに停職一か月、また合計で102名がこの「行き過ぎた性教育に加担した罪」で処分を受けたのです。
産経新聞では、保護者からの抗議がこの性教育に対してあった、ということですが、その「抗議」の事実を探したのですが見つかりませんでした。私が見つけたのは、その当時の七生養護学校の保護者代表が書いた手紙でした。
資料その6 七生養護学校在校生・卒業生保護者の会の東京都教育長への手紙
そして、この一連の動きとして、この最初に都議会でこの七生養護学校の性教育に対して「質問」した都議ら6名と産経新聞の記者1名、東京都教育委員会指導主事7名、そして七生養護学校の新しい管理職3名の計17名が七生養護学校の保健室に一斉に踏み込み、自己紹介をするまでもなく、彼らの「証拠」となりそうな物件を次々と没収していったのです。
ここに、この都議たちの視察当日の保健室の様子を養護教諭が書いた文章があります。この時の描写は今回の裁判でも証拠として採用されました。法治国家である日本の公立学校の中で実際に行われた42分間のできごとです。
資料その7 都議たちの視察当日の保健室の様子
まるで自由な意思での職業活動が難しいような状況だったようですが、さらにここでこの「視察団」が没収した数々の教材の中の“人形”が、当時、「まるでアダルトショップのよう」などといった言葉で非難され、それがそのまま報道されました。
この“人形”とは、
「スージーとフレッド人形」と言い、ジューン・ハーネスト(June Harnesut)さんという米国の知る人ぞ知る発達心理学、性教育の専門家が作成したものでした。この人形には、体毛も性器もついています。彼女は、性教育を進めていく上で、一人ひとりの実際の子どもの体の変化について語るより、このスージーとフレッドを使って、体にどんな変化があるかを話合う方が、大人にとっても子どもにとってもともに楽に学べる、と明言しています。

“人間と性”教育研究所HPより
事実、この人形は、世界の性教育の現場で採用されているものであり、日本でのこの都議会議員の行動は、裁判になる前から、多くの日本の教育関係者たちの間で「なんとレベルの低いこと」と嘆かれていたのでした。
この人形を報道したときも、かなり意図的に、人形がつけていた下着を引き下ろし、性器だけをむき出しにして写真撮影しています。それは授業ではまったくありえないことでした。
ただ、この事件は、かなり政治的な圧力が高く、山谷えり子衆院議員を代表に78名もの議員が「行き過ぎたジェンダーフリー教育や性教育から子どもを守る」ために「健全な教育を考える会」を発足させ、その一環としての活動のようでした。
国会でもこの会の代表、山谷えり子議員が「過激な性教育」が全国で行われていると、七生養護学校の例を出して質問しています。そして、その当時首相だった小泉氏はこう答えています。
「私、小学校時代も中学校時代も性教育なんて受けた覚えがありませんねぇ。しかし、こういうのは自然と覚えていくもので、ここまでやっていいものなのかな」
小泉氏のように自然と覚えていくのが難しいから、そして、小泉氏のように代々政治家の家柄の御曹司でもない一般の家庭の、そして知的障がいのある子どもたちを守るために、どうしたらいいか、と日夜研究に励み、子どもたちの「卵」を守ろうとした教師たちが処分されたのです。そのため、この教師たちがこれを司法の場で判断してもらおう、と都議や教育委員会を訴えた、というのが今回の七尾養護学校の裁判だったのです。
そして、この一連の動きのあと、何が東京都の学校全体で起こったか……。
残念ながら、この議員グループが勝利したのです。これを機に東京都の公立学校では一斉に、性教育に関する“言葉狩り”が行われ、性教育が大きく後退したのでした。授業では、“性交”といった言葉などがまったく使えなくなりました。
確かに、“性教育”は難しい問題を含みます。ただ、エイズが地域の成人人口の4割を超える勢いで人々の人生をめちゃめちゃにしている土地に住む者の実感として、性教育に反対するすべての人に伝えたいことがあります。
子どもたちには真実を伝えましょう。
真実を伝えることからしか、自分の身を守ろう、とする明確な意思は育ちません。知的障がいのある・なしに、性教育から逃げないでください。子どもが大切なら、子どもを守りたいのであれば、まず、子どもたちを信頼して、子どもたちに、照れずに、隠さずに真実を伝えていきましょう。
私は、性教育の真髄とは、子どもたちが自分の体を、自分の心を大切にするためにある、と信じて疑いません。そしてそれを支えることこそが、子どもを囲む大人たちの使命でもあると思っています。
この七生養護学校の勝訴の事実が、多くの「壁側」に立つ大人たちに猛反省を促してくれることを期待しています。
参考資料
1 朝日新聞−asahi.com:http://www.asahi.com/
2 産経新聞―産経ニュース:
http://sankei.jp.msn.com/top.htm
3 東京新聞―東京WEB:
http://www.tokyo-np.co.jp/
4 読売新聞―YOMIURI ONLINE:
http://www.yomiuri.co.jp/index.htm
5 毎日新聞ー毎日jp:
http://mainichi.jp/
6 七生養護学校在校生・卒業生保護者の会の手紙:「七生養護の教育を支援する日野市民の会」ブックレットより
7 七生養護学校への都議たちの視察の記録:「知的障がい児のための『こころとからだの学習』」同編集委員会編著 明石書店2006
8 “人間と性”教育研究所:
http://seikyoken.org/index.htm