吉村峰子のアフリカに遊びにおいで!

見る、触る、聞く、嗅ぐ、味わう、交わる、そして考えるアフリカ。大変なことも楽しいことも、“そのまんま”のアフリカをお届けします。

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夫が永眠いたしました

2010年3月17日(水) 11:34
夫、吉村稔が永眠いたしました。

アフリカが好きで、私と子どもたちのことを何より愛し、お酒が好きで、アフリカの人を幸せにする、という大きな野望を持った男でした。

Minoru Lesotho 1.jpg

享年53歳


稔は、無骨な男でした。

スマートな、という表現は彼には当てはまりません。何をしても不器用で、まぬけなところがあり、仕事でも“同僚”となった私にどれだけ叱責されたことか。無駄が多い、優先順位の付け方が悪い、英語の間違いが多すぎる……。

でも、どれだけ私に叱咤されても、怒鳴られても、まったくめげることなく、幾度となく同じ失敗を繰り返します。

何回、「もう嫌だ、あなたとはやっていけない」と三行半を私からつきつけたことでしょう。

真剣にこう聞いたこともあったのです。

「こんなに私に厳しくされて、嫌じゃない?自分のことを“すごい!”と思ってくれる可愛らしい女性と一緒のほうがいいんじゃない」

こういう時の夫の対応は、ひたすら無言でうつむき、私の怒りが収まるのを待ちました。そして、臆面もなく、

「俺はおまえが好きなんだ。絶対に離れない」

と怒りが収まらない私に平気で言うのです。

そして、夫は、とにかく勉強が好きでした。

疑問に思うことは徹底的に調べます。また、学生時代から続けているアフリカの土地に合ったマメ科の植物のことでは、こちらの大学院で博士課程まで進むことを老後の楽しみにしていました。

アフリカの歴史、政治、民族のことを広範囲に、深く、そして愛情を持って語る男でした。

でも、そのアフリカで彼は何回も生命の危険にもあっているのです。

ザンビアではスパイと間違われ、腿を銃で撃たれたこともあります。リベリアでは内戦の危機的状況を鋭敏に察知し、協力隊関係者を無事に国外へ脱出させました。重傷のマラリアにも罹りました。ダーバンでは、誤解から暴徒化しそうになった300名規模の群衆に囲まれ、暴力を振るわれたこともあります。

でも、そういった危機的状況への対応が的確な人間でした。決して、焦らず慌てず、暴徒化しつつあった300名の前で、相手に殴られながらも、一切自分は抵抗せず、その場を最低限の被害でくぐり抜けました。夫は柔道、空手の有段者でもありました。

彼は、まさに、危機的状況に直面したときにその真価を発揮しました。

そして、語学の勉強が大好きで、スペイン語、英語、チェチェワ語を話しました。でも、彼の英語の勉強はマニアックな方法でした。よく、私や子どもたちに、

「俺はお前たちのように、英語で学問を系統だってしてきているわけではないから、弱いんだ」

英語に関して、どこの誰よりも時間を使い、本を読み、資格試験をとり、という地道な勉強をしていました。私は教育の道を歩いてきて、彼ほど一般人でありながら、あれだけの勉強量をこなす人間を他に知りません。

南アフリカのダーバンの駐在員の方々にTOEFLの点数アップの講座を持たせてもらうようになってからは、生徒がどんなに少なくとも、その授業には、丹念に準備をしていました。準備にかける時間が授業時間の数倍はあったでしょうか。

最晩年、日本語の授業をする仕事に巡りあい、私から数週間、教授法を徹底的に仕込まれ、その後は自分の独自の指導法を磨いていきました。そのために幾晩も睡眠を削って、その準備に時間をかけました。

そういうことを厭わない人間でした。

夫の好きなスポーツは、荒波の海でのウィンドサーフィング、アフリカの大地での乗馬、そして、山スキーに登山、ロッククライミング。彼にとってのスポーツは、常に危険が伴いました。結婚した直後、駒ヶ根の千畳敷に一人でスキーに出かけ、雪に閉じ込められてあやうく遭難しかかったこともありました。夫に言わせると、「スポーツは、命の危険の可能性がないとおもしろくない」。

今回は、まさにこれに足をすくわれたのです。

父親としての夫は、子どもたちに彼流の惜しみない愛情を注ぎました。カンジもショウコも、母親の私が見ても、惚れ惚れするくらいいい子たちです。まだ20歳、15歳ですが、人々への優しさがあります。でも、あれだけの超強烈な個性を持った父親から、これだけの愛情を注がれていたら、彼らの魂の芯の部分が正しく育たないはずがありません。

彼が子どもたちに教えたことはたくさんありますが、その背中から、その行動から、人を分け隔てなく大切にすること、物を大切にすること、どんな食事もありがたくいただくこと、できることは何でもすること、を伝えていたように思います。

子どもたちが幼いころ、夫は、仕事が忙しかった私に変わって、週末の時間は寝るとき以外、起きている間中、子どもの世話をしていたのです。夫と子どもたちのしていた数々のびっくり仰天のお話しはまた機会を見てお話ししたいと思います。

子どもたちの面倒をみる中で家事もよくやりました。お皿洗いには一家言あり、よそ様のお宅にお呼びいただいても、いつの間にはキッチンに入り込み、お皿洗いをしていました。また、女の人との話は自分のダイエット話できっかけを作るのが得意でした。

いま、ダーバンで日本食ビジネスに進出したい、と言っていたのはまぎれもなく夫で、実は握りスシの練習も始めていたのです。でも、いまの店はたったの4席のカウンター形態。彼のような不器用な男が、一遍にラーメンを作り、カレーライスを出し、巻きスシを切れるわけがなく、出番を却下されていたのです。

夫は夫を理解する心優しい人にたくさん愛されました。

亡くなった翌日、お通夜をさせていただきましたが、この人種差別のまだ厳しい南アで、これだけ人種、職業を超えて、多くの人が彼のために集まり、心からのお悔やみを届けてくれました。皆さんとのお付き合いの中で、彼がどれだけ、公平にそして楽しく人々と接していたかが手に取るように分かるお通夜でした。

同時に、イランから、アフガニスタンから、パナマから、米国から、欧州から、日本から、私の携帯電話には、彼の死を受け入れられない人たちからどれだけ多くの電話がかかってきていることでしょう。

でも、こういう破天荒な人格、個性ですから、誤解されることも多かったのです。夫を疎い、組織の中で失脚させようとした人までいました。確かに、日本の官僚組織では、あの個性を生かすのは難しかったのでしょう。

ただ、夫は、そういったマイナスのエネルギーを形にするような人々の中で埋もれていく人間ではありませんでした。

組織に頼らず、自分の力で自分の思った通りにアフリカで生きていくのが、最良の道、という選択をし、家族も全員大満足で賛成したのです。

私たちがアフリカで叶えたい、と願ったのは、収入の安定した家族を一つでも二つでも増やして、夜空腹を抱えて眠りにつく子どもの数を減らしたい、安心して学校へ行くことが叶うような社会にしたい、ということでした。

私はいまはまだ悲しみで心が一杯ですが、必ず、これは私の命がつきるまで実行するつもりです。

ただ、夫と私は、お互いを精神的に支えてきたのか、というとそうではないのです。

夫も私も人格的にかなり独立した人間であり、することなすこと、それぞれのやり方があります。

どんな些細なことでも、笑顔で妥協、納得、ということがない二人。でも、彼の場合、妥協はしたくない、と思って妥協をしないのではなく、自分は妥協して、周りとうまくやりたいのに、どうもそれが空回りする、といったらいいでしょうか。

今日、これを書いてきて、よく理解できました。

夫と私は表面的、精神的な部分を超えて、お互いの魂の奥の奥での共通点でつながっていたのでしょう。

夫と私の共通点は、英語で表現するほうがぴったりくるのですが、Compassion for People, ――人々への思い、だと思います。

私は生前、このことを言語化も意識化もしていなかったので、夫には厳しい妻でした。文句も遠慮なし、夫が精神的に未熟なことを口にする時は、あきれて叱責をすることも多々ありました。

でも、夫の私へ対する愛情に揺らぎ、というものがありませんでした。

私はちっとも美人ではないのに、夫には私は美人にさえ映っていたようです。そして、共通の友人、私の生徒さんたちにも、私のことをこう言っていました。

「僕は妻を尊敬しているんです」

彼を「ソウルメイト」と言ってしまうと、その語感に戸惑います。いわゆる、すべての面で何の問題もないソウルメイトではまったくなかったのです。

おっちょこちょいで、お酒が入ると陽気で、でも、家族の前では年がら年中仏頂面。一緒にいて、心が休まるような男ではありませんでした。

未熟な私は、夫がこの世からいなくなるまで、彼の本当の意味での私への愛情を理解してあげていなかったのですね。

でも、子どもたちの言葉に救われました。このことを泣いていたら、こう言うのです。

「お母さん、あのね、お父さんはお母さんに怒鳴られたって、まったく気にしていなかったよ。まったく、全然、そりゃあ、その瞬間は嫌だったろうけれど。でもお母さんは、すぐ忘れちゃうからさ、どんな失敗でも。お父さんは、お母さんと一緒にいることが好きだったんだよ。どんな時でも。家族でいることが何よりも好きで、身体を鍛えて、みんなのお役に立ちたかったんだよ。でも、おっちょこちょいだから、ちょっとすべっちゃったんだ」

ああ、本当に大馬鹿モノの夫でした。

でもね、いつでも、私の誕生日には、「僕と結婚してくれてありがとう」と言っていましたから、許すことにします。それに、今頃は、天国で、半年ほど前に行った母に厳しく叱られているでしょう。どうしてこんなに早くこっちに来たんだと。

昨日は私たちの結婚25周年日でした。


☆☆☆☆☆☆


お知らせ:4月4日(日)に「吉村稔を語る会」を名古屋で開きます。生前の夫とお付き合いをしていただいた皆様、もしも可能でしたら、お出かけください。

参加ご希望の方は、発起人の一人、瀧上珠緒さんまでメールをいただけたら幸いです。tamao621☆yahoo.co.jp (☆を@に変えてください)
[ アフリカの空のした ]
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ブログの持ち主だけに見える非公開コメントです。
  Posted by -  削除  at 2010/03/17(水) 12:07
ブログの持ち主だけに見える非公開コメントです。
  Posted by -  削除  at 2010/03/17(水) 12:49
ブログの持ち主だけに見える非公開コメントです。
  Posted by -  削除  at 2010/03/17(水) 13:33
ブログの持ち主だけに見える非公開コメントです。
  Posted by -  削除  at 2010/03/17(水) 14:12
みなさま、

お願いです。どうぞ、カギ付きではなくて、公開でコメントを書いてくださいね。大丈夫です。大丈夫です。
Posted by 吉村峰子  削除  at 2010/03/17(水) 14:29
峰子さま

ちょっと一息ついたので、楽しみに記事を読もうと思って
開けて絶句しました。
何をどうお伝えしたらいいのか分かりませんが、
こちらの言葉を贈ります。

Death leaves a heartache no one can heal,
Love leaves a memory no one can steal.

そして、今日の記事を読みながら与えなさいという
マザーテレサの言葉も思い出しました。

地球のあちらこちら、そしてこのインターネットの世界でも!
峰子さんの悲しみを感じています。

何ものどを通らなくても、ゴハンだけはちゃんと食べてくださいね。
心よりお悔やみ申し上げます。







Posted by cecile  削除  at 2010/03/17(水) 14:56
「僕は妻を尊敬しているんです」

なんて素敵な言葉!
そしてまっすぐな目と日に焼けた肌の皺の様子から、稔さんの芯の強さが感じられます。峰子さんは本当に素晴らしい方と出会ったんですね。

心からお悔やみを申し上げます。
Posted by mitchy  削除  at 2010/03/17(水) 16:42
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  Posted by -  削除  at 2010/03/17(水) 16:48
ご主人様、とてもいいお顔だったと聞きました。良い家族に囲まれ良い人生をお過ごしになられ旅立ったのだと思います。心よりお悔やみ申し上げます。
Posted by n.onomura  削除  at 2010/03/17(水) 17:02
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  Posted by -  削除  at 2010/03/17(水) 17:17
 峰子さま、大変ななか、本当にありがとうございます。
稔さんのこと、読んで心打たれました。カンジさんやショウコさんおっしゃるとおりの一生懸命な素敵な方だったのですね。

 一度お会いしたかったです。本当に、心からご冥福をお祈りいたします。峰子さんやお子様たちを心配する世界中からの祈りが届いていることと思います。

 名古屋にお戻りとのこと、気をつけて帰ってらしてください。東京に寄られるようでしたらぜひお知らせくださいませ。

 どうか峰子さんにお疲れが出ませんように。
  cecileさんのコメントにもありましたが、ご飯食べてください。
Posted by 矢野貴久子  削除  at 2010/03/17(水) 18:01
峰子さん

>夫の私へ対する愛情に揺らぎ、というものがありませんでした。

私はちっとも美人ではないのに、夫には私は美人にさえ映っていたようです。

ご主人稔さんの天での心の平安をお祈りします。私は未亡人14年目。彼は未だに多くの経験と思いをなぜか与えてくれるのでいまだに一緒にいる気がするものです。

Hope you could see his soulin the sky during your fright to Jp.

Posted by Boston    at 2010/03/17(水) 20:06
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  Posted by -  削除  at 2010/03/17(水) 20:32
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  Posted by -  削除  at 2010/03/17(水) 21:07
私は、某ブログで知りましたのでこちらに来て読まさせて頂きました。
実に親しみを感じる大きな方のように思いました。

そして、この世において精一杯に生きた幸せな方だと思いました。

私は、おくやみの言葉など言う気は無いです。
きっと天国で、会えると思いますのでそれを楽しみにしております。
Posted by VOICE  削除  at 2010/03/17(水) 21:57
初めまして吉村さん。
吉村さんの生徒であった田中利和さんの知り合いの、早稲田大学国際教養学部の和田と申します。田中さんがmixiに記事を載せていたので、そこからこのブログを見つけました。

田中さんも実際会ったことがなく、その田中さんの知り合いである吉村さん夫妻は、言ってしまえばまったくの他人であるのに、いつもなら読み過ごすところを、稔さんの写真を見て記事を読みすすめていくうちに涙が出てきてしまいました。

私もアフリカに今まで関わってきて、これからの人生もアフリカに関わって仕事をしていくつもりです。今年の秋からは1年間タンザニアに留学致します。身の危険は重々承知の上行きますが、旦那さんが対面したトラブルを聞くと本当に「疑ってかかる」こともしなくてはならないし、トラブルにあった時の判断力を大学2年生がつけられるのかと不安にもなりました。

また、奥さんを愛し続けた旦那さん素敵ですね。こんな大学生に言われたくないかもしれませんが・・・。私もそんな素敵な旦那さんが将来できればな、と憧れてしまいます。また大切な相手だからこそ厳しい意見も言える人生の支えであれる峰子さんもかっこいいです。

名古屋だと遠いから行けませんが、もしよかったらこれから同じアフリカ好きとして関われたら嬉しいです。では。
Posted by 和田  削除  at 2010/03/17(水) 22:12
峰子さんのブログを読み、ご主人様がどれだけ素晴らしい人、夫、父親であったかがわかりました。幸せでしたね。
私が一番よく覚えているのは、ブログにもありましたが、ダイエットの話です。確か、お水をたくさん飲まなきゃいけない、とか。あれは、話のきっかけを作るいつもの手だったのですね。もう一度、聞きたいな〜。
おふたりの様な関係に慣れたら素敵だろうな、とは思いますが、真似はできないようです。ご主人様のご冥福を、心からお祈りしています。
Posted by Emi  削除  at 2010/03/17(水) 22:16
それと、日本食ビジネスを始めようとしていたようですが、私も学生として社会起業を立ち上げたいと思っていました。ただ、商品作りの過程で悩んでいます。アフリカ食材を用いて日本料理を作るビジネスです。詳しいことはHPが一応ありますが、趣旨を書きなおさなくてはいけないページがまだあります。稔さんの意志を引き継ぐ…というわけではありませんが、是非協力して日本とアフリカを繋ぐ食ビジネスはじめませんか?
Posted by 和田 奈月  削除  at 2010/03/17(水) 22:22
あぁ、吉村先生・・・!
本当に、悲しみのさなか、ありがとうございます。
まだ、とても信じることができません。

いろいろなきっかけをくれた稔さん、
広く広く大きな心で受け入れてくれる吉村一家、
その背後にあるアフリカの大地、
全てのことに感謝しています。

日本に一時帰国するんですね。
先生の体調が崩れないようにイギリスより想っています。
稔さんのご冥福を心よりお祈りいたします。
Posted by emi magori  削除  at 2010/03/17(水) 23:32
はじめまして。いつもブログを楽しみに拝見しております。

夕方、モバイルからふとcafebloの公式ブログをチェックしたところ、このタイトルが目に飛び込んできて、驚き、その場で全文読みました(地下街にいました)。

悲しいニュース、稔さんのお人柄と愛情深さ、お二人の想いにとても心をうたれました。いきなり不躾だとは思いましたが、帰宅したら、必ずコメントを書こうと思いました。心からお悔やみを申し上げます。
Posted by tac    at 2010/03/17(水) 23:35
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  Posted by -  削除  at 2010/03/18(木) 01:20
溢れ出るような思い出の一部をシェアしてくださってありがとうございます。いろいろあっても、魂の奥で繋がり、揺るがない愛情がある、なんてすてきなご夫婦なんでしょう。想いは、書いても書いても書き足りないことでしょう。
私も数ヶ月前に父を亡くし、文章を書く事で自分の気持ちを探りました。そして悲しみ落ち込むより、父に与えられたことを次の世代へと語り継ぎたいと思いました。カンジくんや、ショウコちゃんが、稔さんの魂を引き継いでいくでしょう。こうして記事にしていただいたおかげで、ご主人の思い出が、お会いしたことのない私の心の中にも生き続けていきます。
Posted by bluepines  削除  at 2010/03/18(木) 03:52
峰子さん
きっと旦那さまはすぐそばで見守っていてくださっているでしょう。でも、そのぬくもりを感じられなくなって、不安になること、寂しく思うこと、悲しくなることもあると思います。峰子さんの心が揺れてしまうのは、自然なことだと思います。ただお体は大切になさってくださいね。旦那さまは峰子さんと一緒に時間を過ごせて本当に幸せだったのだろうなと思います。
Posted by アイドル  削除  at 2010/03/18(木) 05:36
峰子さん

主人共々南アフリカではお世話になりました。
月曜日に稔さんの訃報を知り、信じられない気持ちで
いっぱいでした。
ちょうど最近、稔さんや峰子さんのことを話題にしていたのです。先日、TOEICの試験結果が届きました。稔さんの熱心な授業のおかげでTOEIC目標点を達成できることができたようです。主人も驚いていましたが、稔さん・峰子さんのおかげだと思います。
南アフリカで受けた稔さんの授業は後半、音を上げるほどの学習量で帰宅後の勉強はまさに受験生のように毎日机に向かっていました。授業のたびに紙袋いっぱいの本を渡してくださった稔さん。そんな稔さんの期待に応えたい主人の気持ちが机に向かう彼の背中から伝わってきました。結果を直接、稔さんに伝えられなかったのを非常に残念がっていました。
私も稔さんの人柄が本当に大好きでした。英語でジョークを飛ばす時の屈託のない笑顔、まじめな話をする時の真剣な表情、恐れ多くも我が家に来ていただいた時も台所をきれいに片付けてくださいました。その行動がとてもナチュラルすぎて私の気づかないうちに洗い物が終わっていくのです。話題も豊富で一緒にいて楽しく、とても素敵な方でした。
4月4日に名古屋で語る会が開かれるとのこと。いろいろとお疲れが出る頃かと思います。どうぞ気をつけていらしてくださいね。
Posted by ayumi  削除  at 2010/03/18(木) 10:46
吉村様

いつもブログを楽しみにしていたものです。
突然のことで、今大変つらいときだと思いますが、
だんな様との素敵なつながりをシェアしてくださってありがとうございました。
ご冥福をお祈りします。




Posted by 四女  削除  at 2010/03/18(木) 10:54
峰子さん、

悲しみのさなかにも思いをシェアしてくださって
ありがとうございます。
こんな感想は不謹慎かもしれませんが、今回も
元気をもらった気がします。。
稔さんの生き方、エネルギー、思いを分けてもらったのでしょうか。
峰子さん、カンジさん、ショウコさんの中に流れていることを感じます。ご家族がキリッと前を向いて歩く姿を稔さんが見守る様子も想像できます。
大きな大きなものを教えていただきました。
ありがとうございます。
Posted by mimosa  削除  at 2010/03/18(木) 10:59
いつも峰子さんのブログを楽しみにしている一ファンのものです。
ブログを拝読していて、たくさんの刺激をいただき
いつか峰子さんや稔様にお会いしたいと思っていました。

このたびの稔様の訃報、本当に残念です。
心からお悔やみ申し上げます。
ご家族の皆様の悲しみがどうぞ深くなりすぎませんように。
Posted by yanaka  削除  at 2010/03/18(木) 11:34
吉村先生

今でも信じられません。
心からお悔やみ申し上げます。

すべてのはじまりは13歳の時エチオピアと出会ったことがある。アフリカ研究をはじめるときの導入です。

稔さんと先生が、出会わせてくれたんですものね。僕を導いてくれたんですものね。僕の大好きなエチオピアに。
本当にその日以来、稔さんにはアフリカとの関わり方というものを教えてもらっています。

名古屋向かいたいと思っています。よろしくお願いします。


Posted by 田中 利和  削除  at 2010/03/18(木) 11:58
小野浩です。

1981年から1982年にかけて協力隊駒ヶ根訓練所でご一緒しました。その頃は、一緒によく遊んでもらった記憶があります。

吉村さんに岩登りの初歩を教えてもらいました。その後、パキスタンで仕事をしているとき、休みを利用してよくトレッキングにいきました。

南アフリカに行ったことは聞いていました。いつか、南アに行ったときは会えるだろうなとおもっていましたが、残念です。
4月4日の「吉村稔を語る会」に出席できればとおもいます。心よりお悔やみ申し上げます。
Posted by 小野浩  削除  at 2010/03/18(木) 12:57
時々ブログを拝見している者です。
書くべきよい言葉も見つかりませんが、
この記事を読んだことだけでも
わたしは多くの学びをいただきました。
ほんとうにありがとうございます。
どうか、お体ご自愛ください。
Posted by 寺本  削除  at 2010/03/18(木) 13:39
いつもblogを楽しみに拝読しておりました。今回は2度目の投稿となります。以前はお母様が旅立たれた時にコメントさせていただきました。

余りにも早い、稔さんの旅立ちに驚いたと共に、峰子さんの温かくも剛健な文章に涙してしまいました。そしてお二人は出会うべくして出会った最高のパートナーだったのだろうと勝手に確信さえしております。

稔さんはカンジさんとショウコさんにきちんとsurviveしています。もちろんフィロソフィーも。

でも今はとても悲しいですよね。どうかたっぷり泣いて、受け止めて、またすばらしいblogを再開してください。

心よりお悔やみ申し上げます。

shinota
Posted by shinota  削除  at 2010/03/18(木) 14:04
遠く離れていても吉村家と共に年を重ね、うちの子どもたちも一緒に面倒みてもらい、お互い共に子育てをしてきたと思います。家族を失ったようで私たち全員で信じがたい事実を受け止めとうとしています。
峰子さんの言葉がつむぐ稔さんへの思いは本当のこと。
ずっと前から一日に2度も「この人たち、別れてしまうかも」というけんかをしていました。それを結びつけていたのは子どもたちとアフリカへの思いと、それから稔さんの峰子さんへの尊敬のまなざしだったんだね。

昨年は息子がお世話になり、また年末は秋田で共に過ごし、最後の晩に稔さんがにぎってくれたおいしい寿司で稔さんの夢を分けてもらったばかりなのに。もう会えないなんて悲しい。

危機管理担当者がいなくなったのは厳しい現実だけど、きっと周辺で風となって家族を守るのでしょう。
Posted by from 秋田  削除  at 2010/03/18(木) 14:05
初めてメールさせていただきます
カフェブロ、空色庵両方のブログをいつも
楽しみに読ませていただいている者です。
吉村さんのブログは、いつも私の生活に新しい
種をまいてくれる、そんな存在です。
悲しみの中、稔さん、そしてご家族との大切な思い出を
シェアする時間を作って下さったこと
本当にありがとうございます。それを伝えたくて
いきなり不躾かと思いましたがコメント書かせて
いただきました。
心からご冥福お祈りいたします。
Posted by Sato  削除  at 2010/03/18(木) 14:54
びっくりしました。
そして涙が溢れました。
なんと書いてよいのかわからないですが、
ご主人のご冥福を心よりお祈り申し上げます。
いつも峰子さんのブログから元気をもらっています。
天国でいつものご主人がずっと愛を送ってくださって
ますよ。
Posted by キム  削除  at 2010/03/18(木) 15:12
吉村様

初めてコメント致します。
いつも拝見し、力を頂いております。
ご主人様の思い出を読ませて頂き胸がつぶれる思いでした。
(私も5年前に父を突然亡くしました)

どうぞご家族の皆様、体調崩されませんように。
心よりお悔やみ申し上げます。
Posted by 渡辺いずみ  削除  at 2010/03/18(木) 21:11
あまりにも突然の訃報にただただ驚き、かける言葉もおもいつかず今日になりました。いつかお会いできると信じていたのでお会いできなかったのが残念でなりません。
峰子さんや皆さんのお話、カンジ君やショウコちゃんのお人柄に触れて、とてもとても素敵な方だったんだなぁと感じました。
稔さんのご冥福を心からお祈りいたします。
そして、この悲しみを乗り越え、ご家族の夢に向かって更に進んで行かれるのを陰ながら応援しております。
お身体だけは大事にされて下さい。

名古屋での会ですが、仕事の都合がつけば行かせて頂き、稔さんのお話、ご家族のお話を聞かせて頂きたいと思います。




Posted by 園田 真希  削除  at 2010/03/18(木) 23:13
はじめてコメントさせて頂きます。
いつも楽しみに拝見させて頂いています。
この悲しい現実に思わず声をあげてしまいました。
峰子様、ご家族の皆様、今はとてもお力を落とされていると思いますが素晴しいお子様達とこれからも大地に足をつけて広大な南アフリカでご主人のご意志とともに歩まれて下さい。
峰子さんのブログを読み本当に素敵な女性だと憧れていました。やはり素敵な女性には素晴しいご主人がいらっしゃるのですね。沢山の大切な事を教わりました。
大きな愛をありがとうございます。
そして心より稔様のご冥福をお祈り致します。
Posted by whity  削除  at 2010/03/19(金) 00:33
ブログの持ち主だけに見える非公開コメントです。
  Posted by -  削除  at 2010/03/19(金) 00:48
吉村さん、なんと言って良いのかわかりませんが、今回の記事は涙が止まりませんでした。素敵な方だったのですね(内容は。。。。。。少々??と思う事もありますが、良し!ですよ)出会って、結婚して、子供が出来て、アフリカで生活して現在に至るまでいろんなことがあり、いろんな経験をし、旦那様の最後まで看取れたのはやはりお互い”魂の奥が繋がっている”を感じます。ご冥福をお祈りします。
Posted by 中村嬢  削除  at 2010/03/19(金) 00:57
今年の1月3日再会して5日6日と我が家に翔子ちゃんと一緒に泊まってくれました。1月7日の夜「じゃあまたね」と高知を出発しました。吉村君が南ア帰国後何度かメールで連絡をくれましたが2月7日のメールが最後でした。吉村一家は、遠い外国暮らしの割には最近はよく会うことができていました。今年の年末もきっと来るだろうな、と家族で話していたところでした。残念でたまりません。
Posted by 垣内和彦  削除  at 2010/03/19(金) 12:10
ブログの持ち主だけに見える非公開コメントです。
  Posted by -  削除  at 2010/03/19(金) 15:06
峰子様
いつも、ブログを読ませていただくのを心待ちにしております。が、今日は、本当に驚いてしまい、なんと言って良いのやら言葉がみつかりません。
お母様に引き続き、本当に、思いがけないほど早いお別れに、私まで胸が痛くなりました。
千の風ではないですが、これからもご主人がいつもご家族の側で見守ってくださることと思います。
風が吹くたびに、星がまたたくたびに、ご主人からご家族へのメッセージが届けられることでしょう。
心から、お悔やみ申し上げます。

Posted by makiko  削除  at 2010/03/19(金) 17:31
はじめまして。

大丈夫ですか?と聞いたら「大丈夫」とお答えになりそうな峰子さんでしょうから、どう申し上げたらいいのか正直分からないのですが‥。

稔さんの訃報にはあまりの驚きに頭が真っ白になりました。
お会いしたこともない方に対して変ではありますが、私は吉村家の皆様のファンなので、先日のお母様の逝去を知ったとき同様、我が目を疑った有様です。

今回の記事をお書きになったことで、峰子さんが落ち着かれるきっかけを得られたのなら、まだまだお辛い中で私たち読者に稔さんのお人柄をお教えくださったことに対して、「こんな大変な時期に‥」と申し訳なく思う気持ちも和らぎます。

心より、ご冥福をお祈り申し上げます。
Posted by miono  削除  at 2010/03/19(金) 23:38
シアトルで今日の朝 藤井先生からのメール転送があり知りました。

ショックです。なんと悲しい報せでしょう。
言葉が見つかりません。

時をおいて、また連絡します。

Posted by 小杉 礼一郎  削除  at 2010/03/20(土) 09:54
ご無沙汰しております。リベリアでご一緒だったババチョーです。
峰子様、ご家族様にはお悔やみ申し上げます。
今回のことは一柳OBから連絡を戴きました。
いつしか年賀状が届かなくなって久しいのですが、あちこち転々としていらしたのですね。
何かお力になれることがあれば、ご遠慮なく申しつけください。
里は、吉村さんと同じ名古屋で、自分自身は単身赴任ですが、家族はまだ名古屋に住んでいますので、何かあれば簡単に駆けつけられると思います。
こんな形になって大変残念で仕方ありません。
Posted by うえだ  削除  at 2010/03/20(土) 17:14
いつも楽しみに拝読していたのに、あまりにも急な訃報で頭の中が真っ白です。一度もお会いしたことが無いのに涙が止まりません。理不尽な思いに怒りさえわいていきます。何故こんなことが起きるのでしょうか?
私が目指しているのはフランス語で言うと『Il faut s'intégrer soi même』自分に同化する、自分に忠実であるという事です。これはとても難しいです。自分が何であるか何を目指しているのか、と言うはっきりした軸を持たないとぶれてしまうから。私はぶれっ放しです。ご主人様はそれが出来た方なんですね。そんな稀有な方がいなくなってまったことに対し、私は泣くことしかできません。フランス在住ゆえ、名古屋での偲ぶ会にも出席は出来ません。でもどこかで私のようにお二人を思って泣いて泣いて泣いている人がいます。峰子さま、どうぞあなたはいつまでもil faut s'intégrer soi mêmeでいらしてください。そして何があっても残された者の止まってはいけない、人生は止まることなく続いていくことを忘れないでください。Courage! 園子
Posted by Sonoko DEAL  削除  at 2010/03/20(土) 18:43
吉村 峰子 カンジ ショウコ様

 先程、パソコンを開き何度もメールを読みました。言葉が出ませんでした。
しばらくの間、何が何だか分からない・・・只 驚き、ため息が出るばかりでした。
あまりにも突然すぎて、残念で仕方ありません。
心よりお悔やみを申し上げます。

 吉村さんとは、長いとは言えない期間のお付き合いでしたが、その間でもいろいろあったように思います。
カフェグローブを読み、吉村さんのお人柄を改めて知る事が出来ました。
カフェグローブの中に、おっちょこちょいという言葉が出てきますが、実は自分もそうなのです。
そんな点で、吉村さんとは言葉はなくても、どこか通じていたように思えます。
しかし、吉村さんには自分には足りないパワーがあったのですね。

 吉村さんは、自分の知らなかった以上に素晴らしい人であり、素晴らしい人生を送られて来たのだと知りました。
多くの、ご友人がそれを表していると思います。
しかし本当に残念です、今は言葉が見つかりません。心よりご冥福をお祈り致します。

守田 俊之


Posted by 守田 俊之  削除  at 2010/03/20(土) 23:54
ご無沙汰しております、
ブダペスト在住の鈴木文恵です。
数日前、Natsuyoさんから、
ご主人の訃報を伺い、言葉を失っておりました。

ごめんなさい、
こんな時に、なんと言葉を残していいか、
正直、分かりません。

今日、このブログを開いて、涙が止まりませんでした。
悲しさだけでなく、おふたりの間の深い繋がり、
そして、それを理解していらっしゃるご家族の絆、愛、
その愛情の深さゆえの、大きな痛みが、
感じられて、だからこそ心の奥に響きました。

いつか、お会いした時に、
ご主人のお話、お聞かせてください。
また、お疲れなど出さぬよう、
くれぐれもご自愛くださいませ。
Posted by 鈴木文恵  削除  at 2010/03/21(日) 07:39
吉村様

故人へのメッセージがたくさんとどどいています。
ご送付したいので、峰子様のメールアドレスを教えてください。私は名古屋時代の部下です。

JICA 堀本 隆保
Posted by 堀本  削除  at 2010/03/21(日) 10:55
吉村さん

大変ご無沙汰しています。TSAMダーバン時代に大変お世話になりました武藤です。

ダーバンの駐在員から、一報をもらいました。一言、ショックです。そう簡単には死なないタフな方でしたから・・・。

名古屋での語る会ですが、何とか都合をつけて、駆けつけたいと思います。
Posted by ムトウ  削除  at 2010/03/21(日) 11:37
このような記事にコメントすみませんm(__)m八王子の小学校の時に授業で吉村先生というアフリカの子供向けの絵本を書いているという先生をお迎えした総合学習の時間がありました…その影響もあり看護師の道に進みたいと考え,国際医療に携わりたいといった夢があります。もう6年前なので下の名前は覚えていませんが…そういった覚えはありますか?違いましたらすみません。
Posted by ★  削除  at 2010/03/21(日) 19:56
ご冥福をお祈りいたします。
Posted by 黒澤  削除  at 2010/03/22(月) 01:33
吉村峰子様・ご家族様
稔さんの訃報に接し、驚きと悲しみでいっぱいです。
峰子さんの文面からは、これまでの吉村家の充実した日々が心に直接伝わってきました。稔さんはとても幸せだったのだろうと思いました。私たちは今月末に再びエチオピアに赴任します。今度はきっとダーバンまで行こうねと言っていた矢先でした。4日の会には出席出来ませんが、稔さんのことをいつまでも忘れずにいたいと思います。
Posted by the shiratoris  削除  at 2010/03/22(月) 13:09
写真、とても素敵なお顔をしてらっしゃいますね。

平成元年にセネガルから寄り道したリベリアで少しお会いしました。実のところ稔さんのことはあまり記憶にありません。峰子さんから英語教授法について迫力一杯のお話を伺ったのは覚えているのですが...

つつしんでご冥福をお祈りいたします。
Posted by 一千代  削除  at 2010/03/23(火) 02:56
吉村 峰子様

ご家族の方、皆様、お身体は大丈夫でしょうか。

JICAの吉村さんの同期の方から連絡をいただき、初めてブログ拝見しました。
吉村さんとはTIC(幡ヶ谷)の時に、隣りの席で2年ほど一緒に仕事をさせていただきました。

3月18日に吉村さんの訃報を知りましたが・・・正直、今でも信じられません。
今日、こうやってブログでカンジさんが撮影された写真で吉村さんのお顔を拝見して、涙が止まりません。

一緒にお仕事をさせていただいていた時から15年ほどたちましたが、あの時の吉村さんの笑顔と同じです。
そして、峰子様のブログの文章を読ませていただいて、あの時に感じていた吉村さんの印象。本当に思い出しました。
ご家族をとても大切にされてい、峰子様やカンジくんの話もよく聞かせていただきました(ちょうどショウコちゃんが産まれる少し前ぐらいです)。

私が長野県出身で、ちょうど高校生の頃、吉村さんは駒ヶ根の訓練所にいらっしゃり訓練所から自宅がわりと近かったこともあり、いろいろな話をして下さりました。

本当に心の大きな方でした。
心から・・・お悔やみを申し上げます。



Posted by 前澤  削除  at 2010/03/24(水) 16:09
ブログの持ち主だけに見える非公開コメントです。
  Posted by -  削除  at 2010/03/24(水) 22:30
ブログの持ち主だけに見える非公開コメントです。
  Posted by -  削除  at 2010/03/25(木) 00:27
 以前、勤められていたマラウイの事務所で大変お世話になった者です。昨日、今回のご主人(お世話になった当時は次長であったので、次長と呼ばせていただければと思います)のことをお知らせいただき、大変ショックでなりません。南アに在住され、活躍されているとお伺いしておりましたものですから...。
 私自身、次長と仕事で重なっているのは、わずか6〜7ヶ月間であったと思います。しかし、自分が困っている仕事に夜遅くまで親身に教えていただいたり、更にはいろいろな場面での話題の多さ、たくみな話しぶりは、今でもこころに残っており、大変印象深い次長でした。

 存じ上げている方、特にお世話になった方に逝かれると本当に辛いものがあります。ご家族であれば、なおさらかと思います。

 次長、大変お世話になりました。また、本当にありがとうございました。
Posted by 野口伸一  削除  at 2010/03/26(金) 21:36
 数年前NHKで吉村さんのことを知って以来、このホームページを拝見していますが久しぶりの休日、ここに来てびっくりしました。
 謹んで吉村稔さんのご冥福をお祈りします。みなさんのことはここでしか知りませんが、素敵なご一家だと思っていました。53歳は若すぎますね。こちら東京府中市は快晴、桜は3分咲きでしょうか。私は61歳、日本語ボランティアをしています。改めて吉村稔さんの若過ぎるご逝去を悼み、ご冥福を祈ります。
Posted by 桑島 宗利  削除  at 2010/03/27(土) 13:34
吉村先生、
 自分の仕事やボランティアの事が
 少し落ち着いたのでブログを
 読ませていただこうと訪れて
 びっくりしました。

 いつか、いつか先生方のように
 アフリカを訪れ何かしたいと、
 またその時にはぜひファンとして
 お会いしたいと思っておりましたので
 残念です。

 心落しのことと思いますが
 先生、どうかお体にお気をつけてくださいね。

 遠い浜松からご冥福をお祈り申し上げます。
 
Posted by Rosewitch(Mam'n Witch)  削除  at 2010/03/28(日) 09:53
エチオピアでお世話になったいくこです。
ダーバンに行かれてからご無沙汰しておりました。
今朝偶然HPで吉村さんのこと知りました。
それにお母様のことも。
言葉が出せずにすみません。
ただ、このことを知ったことをお伝えしたくて。

私は今年41歳で東京都の小学校の教職員試験受けるんです。吉村さんは一番もとめられている”生きる力”について、子どもたちに教え伝えて欲しいご夫婦です。
悔しいです。

Posted by いちむら いくこ  削除  at 2010/04/06(火) 08:27
峰子さん

今日の朝、吉村家はどうしているのかなぁと思い、ブログを観ました。稔さんを送る会という題名を観ても、?と思い。何かのお祝い、卒業ってことなのかと、すぐには理解できませんでした。未だに実感はありません。母に電話して、(最近連絡取れてなかったんです、母のPCの調子が悪くて。)お互いに話し合いました。あぁもう一度、稔さんに会いたかった。お酒のんで、チョコレートがけの柿の種、食べて、色んな話したかったです。

母と話して、稔さんの旅立ち方は、稔さんらしいね、と思いました。めちゃめちゃ早すぎるけど、早すぎるけど、稔さんは、非常事態とか、紛争などの状況には人一倍強い人だもの。そういう理由では亡くならない気がする。稔さんが楽しんでて、あれって気が抜けた瞬間に、お呼びが来たんですね。なるほど、と勝手ながら、思いました。

落ち込んで、泣いてても、稔さん困るだけだしなぁ。峰子さん、かんちゃん、しょうちゃんに会いたいです。私が励まされたい、なんて、アホな事、書いてごめんなさい。
Posted by 森田希望  削除  at 2010/04/07(水) 10:06
ブログの持ち主だけに見える非公開コメントです。
  Posted by -  削除  at 2010/04/12(月) 13:32
ブログの持ち主だけに見える非公開コメントです。
  Posted by -  削除  at 2010/04/12(月) 21:06
吉村先生

 とても苦しい状況の中,ブログを更新してくださってありがとうございます。以前,長崎でお会いし,その後,時々メールでやり取りをさせて頂いていた高柳純子です。

 約3年前に30歳を超えているにもかかわらず無謀にもアメリカ留学を思い立ち,インディアナ州サウスベンを経て,去年の秋からニューヨーク州立大学ニューパルツ校に編入しています。アメリカに来てからずっと格闘している語学と文化の壁に加え,引っ込み思案な性格も災いしなかなか自分らしく振る舞えずに落ち込むことの多い日々でした。

 もうダメだと何十回ももしかしたら何百回も思い悩み,そのたびに,フッと吉村先生のブログにたどり着くのです。先生のブログを読むとほっぺを両手でパンパンとたたかれて,「大丈夫だよ」と背中をポンと優しく押されているような感じがしていました。

 今回もいつものように元気をもらおうと先生のブログを開くととても悲しいお知らせでした。先生のご家族には全くお会いしたことはなかったのですが,ブログを通してなんだか親戚の人たちでもあるかのように親しく感じておりました。悲しみが癒えるにはかなりの時間を要するだろうと思いますが,どうかお体にお気をつけください。いつも心が温かくなるブログをありがとうございます。いつも応援しています。心からお悔やみ申し上げます。
Posted by 高柳純子  削除  at 2010/04/18(日) 01:20
素晴らしいです 御主人の生き方はまさに僕の理想とするところです 平素より考える事ですが、後になってから「ああ、あの時は大変だったけど、実は幸せの絶頂にあったんだなあ」と感じることが多いことです まだ、相手に感謝の言葉が言える時にはっきり伝えてあげたいなと思います 間に合わないと、いつまでもいつまでも後悔の念が残りそうです 緩和医療医の大津秀一先生も、がん末期の患者さんをたくさん診てきた経験から、「死ぬときに後悔すること25」という本の中で、「愛する人に”ありがとう”と伝えなかったこと」を上げています
Posted by とよとよ  削除  at 2011/12/01(木) 15:14
AaAaアァあぁ漢字
プロフィール
Profile
吉村峰子
(日本語/英語教師・ライター・通訳)
東京都生まれ。1980年頃より日本語・英語教育に関わる。教えた国は、日本、米国、デンマーク、ドイツ、リべりア、エチオピア、マラウィ、南アフリカなど。1986年頃より、アフリカと日本を交互に生活した後、2003年、南アフリカ・ダーバンに家族とともに移住。現在はダーバンで日本語・英語教育、執筆業、通訳業で大忙しの毎日を送る。

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