吉村峰子のアフリカに遊びにおいで!

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ひらがなOK、カタカナ少々、漢字はウ〜ン! [2008年05月12日(月)]
 
とっても楽しい、手作りの母の日のカードを娘・ショウコからもらいました。



でも、中身をよ〜く見てみると、あれれ、日本語におかしなところがたくさんありますよね。



でも、これこそが、ショウコ、14歳、幼いころから日本とアフリカを交互に生活してきて、いまは南アフリカに暮らす彼女の等身大の日本語の実力なのです。

前回の記事で、ショウコがいかに苦労して英語を身につけていったかを少しお話しました。その中で、学校の先生たちからの「家でも英語を話すように」というアドバイスも、私がきっちりと撥ね付けて、家族では日本語を話していたこともご報告しました。

その成果がこれ?
と、あきれますか?
なんだか……、とがっかりされますか?

ふふふ、でも、私は大満足なんですよ!

日々の暮らしを英語圏で続けるうちに、ショウコだけではなく、兄のカンジも、だんだんと英語のほうが彼らの思いや心の動きを表すのによりしっくりとくる言語になってきました。

もちろん、家族の会話はいまだに日本語で話すように心がけています。が、家で家族が話すことって、実はたわいもないこと、毎日の繰り返しなどが多いのが実情です。そうすると、家族以外の人からの日本語の情報収集がどうしても限られる我が家の場合、込み入った話やアフリカ近隣の政情のことなどを話すのは、どうしても身近な英語のほうが便利、ということになります。

例えば、南アのかつての人種隔離政策(アパルトヘイト)のことなどを説明するのは、どうしても英語です。第一に日本語でこういった関連の本を読んでいない彼らは、日本語での語彙が徹底的に不足していて、それを英語抜きで説明するのは無理があるのです。ですから、歴史や人々の政治的スタンスなどを説明するためには、お互いがすんなり理解できる英語での話しとなります。

実は、海外に暮らすと、多くの人たちから、「家では徹底的に日本語を話しなさいよ、そうしないと子どもはすぐ日本語を離せなくなる」に始まり、日本からの通信教育のお勧めなどを聞かさせることになります。これは片方の親が日本人以外だと、さらに拍車がかかるようです。日本語を保持させないのは、まるで日本人のアイデンティティを放棄するとか、将来、祖父母と話せなくなるのは残酷だ、とか。

正直に言って、私はこれもかなり勝手な意見だと思っています。

気持ちは分かるのですが、子どもたちにだってそれなりの意見があり、また、能力の差だってあるのです。まして、片方の親が日本語を話さない場合、日本語学習を進めることで家族の中に溝を作ってしまうことだって、実際にあるのです。もちろん、海外で一生懸命子どもたちに日本語を教えているご家庭を非難しているのではありません。それはそのご家庭のそれこそ、優先順位の問題だと思うのです。

ただ、私は海外で暮らしながらも、「日本語を保持しなさい」と言われ、動揺している、悩める家族を「そんな無責任な意見は聞く必要なし!」と励ましてきました。だって、そこに悩みがあるのなら、何が一番大切か、と考えればいいことです。そして、私にとって大切なのは、その言葉を話す真ん中にいるその“子ども”です。いくら流暢に何ヶ国語が話せても、その子どもに中身がしっかり詰まっていなかったら、何にもならないのです。そして、その中身は、いかに子ども時代を過ごすか、にかかっていると思うのです。

さて、日本に帰ることを想定していない家庭ではなく、数年間ののち、日本に帰る予定の多くの駐在員の家庭では、日本の勉強に追いつけるようにと、通信教育は当然のこと、休みには日本へ帰国させ進学塾の集中講座に通わせたり……、と子どもたちに日本の受験を目的とした勉強を促します。

そういった人たちの気持ちもよく理解できます。ただ、日本に帰る、ということしか選択肢を持たないのは残念だと思いますが。

でも、私は自分たちが“駐在員の家族”という立場だったころから、日本からの通信教育やひらがな、カタカナの勉強を子どもたちに強いてきませんでした。理由は、我が家の子どもたちはそんなに器用なほうではなく、インターナショナルスクールや現地校で課せられる宿題で毎日が精一杯。学校の勉強以外の日本語の勉強などさせたら、それこそ、遊ぶ時間、ぼ〜っとする時間もなくなってしまうからでした。

せっかくの子ども時代です。彼らからこういった一見“無駄”とか、“ぼんやり”する時間を取り上げてしまったら、それこそ大人になってから取り返しがつきません。

子どもだからこそ、私は彼らにじっくり、十分、子ども時間を味わって欲しかったのです。

私は成人してからここ30年近く、ずっと教育関係の仕事に従事してきました。

その中で、どうして親は、教師は、大人たちは、子どもたちに教育を受けさせたいのか、という問いを日本で、米国で、欧州で、そしてアフリカで日々考えてきたのです。

私の答えはものすごく単純です。

「子どもたちに幸せな人生を送って欲しい」

これだけです。

大人として、教師として、親として、子どもたちの学びは、どんな種類の学びであっても、究極的に子どもたちが幸せな人生を送るための糧であり、源であって欲しい。

で、この“幸せ”が問題ですよね。

“幸せ”って何なのでしょう。

私にとっての“幸せ”とは、自分の存在を肯定できて、なお且つ、自分だけの利益や幸せだけに捉われていない状態なのだと思います。積極的に人の人生に関わっていけるだけの体力や知力、そして生きていくための資力も持ち合わせていることも大切です。

自分や自分の家族だけの世界、状態にあまりにも捉われていると、自分を客観的に観察することができません。そうすると、自分がどれだけ恵まれているか、ということも、なかなか理解できないし、実感もできないと思うのです。

だからこそ、14歳のショウコのいまの状態、年齢相応に人のことにも関心を持ちつつ、自分のできること、得意なこと、そしてやや困難と思えることにも果敢に挑戦していく前向きな姿勢の彼女のすべてを肯定してあげたいと思うのです。その中でのひらがなの間違いや漢字がまったく自由に使えていない、といった彼女の日本語レベルも私からみると、「天晴れ、よくここまで一人で学びました!」と拍手したいくらいなのです。

それに、南ア人に日本語の読み書きや話す能力を教える立場の人間として、もしも、カンジ・ショウコが、これから先、もっと深い日本語の能力を身につけたい、と思うのであれば、再度日本へ渡って勉強すればいいだけのことです。それは大きくなった彼らが判断すればいいことです。

「将来役に立つから」と言った、未来の経済的恩恵を優先するような都合で、私は子どもたちの時間を奪うことを私はしたくなかったのです。

だって、“子ども時間”は永遠には続かないのですから。


兄・妹のケンカもよ〜くあきずにしていますよ!
でも、母の日の晩、妹は兄から数学を
教えてもらっておりました。

プロフィール
Profile
吉村峰子
(日本語/英語教師・ライター・通訳)
東京都生まれ。1980年頃より日本語・英語教育に関わる。教えた国は、日本、米国、デンマーク、ドイツ、リべりア、エチオピア、マラウィ、南アフリカなど。1986年頃より、アフリカと日本を交互に生活した後、2003年、南アフリカ・ダーバンに家族とともに移住。現在はダーバンで日本語・英語教育、執筆業、通訳業で大忙しの毎日を送る。
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