吉村峰子のアフリカに遊びにおいで!

2007年06月
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果てしない思い〜フェイバリットのしあわせ〜 [2007年06月20日(水)]
 
フェイバリット、日本語では、“一番好きな”と言う意味の名前を持つ女性が、南アフリカのダーバンにいる。

いま、彼女が暮らしているのは、エイズ末期患者のための症状緩和措置病院『ドリームセンター』の一室だ。彼女は31歳、一人息子は彼の父親と一緒にダーバン南部の小さな町で暮らしている。フェイバリットの細い少女のような足は、この病院に海外から寄付されたであろう欧米人仕様の椅子に座ると、床に届かない。

アフリカのウガンダで始まった、エイズ患者の人生を記録しようとする“メモリーボックス”プロジェクトというものがある。それは、エイズの末期患者が自分の最後の思いを、彼らの残していく家族にプレゼントしようというもの。が、アフリカの多くのエイズ末期患者は、これまでの人生、生きてきたのが精一杯だった場合が多い。そして、こういった“遺言”を残す、ということ自体があまり一般的ではない。

私は、英国系南アフリカ人の心理学者のサリーに紹介されて、この病院に通いはじめた。サリーは、“メモリーボックス”をエイズの末期患者に説明する際、決して、「あなたが死んだあとにね……」とは切り出さない。

彼女は、「あなたが一番大切な人は誰?」と微笑みながら、フェイバリットの痩せた肩に手をかけた。実は、フェイバリットはもう失明寸前。だが、近距離ならば、ぼんやりと人やものの輪郭が判るようだ。

フェイバリットは唇を薄くあけて、「私の息子、イノセンス……」とつぶやいた。

サリーはやさしく、そしてゆっくりと、「そう、息子さんがいるのね? お名前は? 年はいくつ……」と聞いていく。フェイバリットは、もうほとんど視力のない目をときどき開けて、「とっても優しくて、穏やかでいい子よ。……学校の成績もとっても優秀なの」と続ける。でも、彼女の顔の表情はあまり変化しない。フェイバリットの今の状態は、体中の節々が痛いし、息をしているのがやっとの状態なのだ。“笑顔”にも体力がいるのがよく分かる。

「それじゃあ、あなたが、彼、イノセンスのことをそう思っている、ということを書きましょうね。これは、あとでイノセンスが見ることができるのよ」

フェイバリットはこの“メモリーボックス”のことを、この時点で正確に理解していなかったかもしれない。それでも、サリーが聞くことにポツリポツリと応えてくれる。

サリーが、「あなたの人生で一番楽しかったのはどんなこと?」と聞いた。

「私の人生なんて、いいことはひとつもなかった」

「どうしてそんなにつらかったの?」とゆっくりと聞いていくサリー。表情を変えず、あきらめた様子で彼女が話す彼女の人生は切なかった。

幼いころから両親はいない。預けられた家ではその家の子どもに意地悪され、食事ももらえたり、もらえなかったりした。「あなたの息子さんの父親は、あなたの夫かボーイフレンドだったの?」という問いには首を振った。望まれた妊娠ではなかったのだろう。彼女の息子の13歳という年齢は、彼女の10代での妊娠出産を物語る。レイプされた可能性さえ、否定できない。

私は、とても黙っていられなくなり、「でも、あなたには、いま、大好きなイノセンスがいるのねぇ!」と言うと、フェイバリットは、ここで初めてにっこりした。

ところが、このあと、何を聞いても彼女は、「他には何もいいことはなかった」と静かに首を振る。でも、間もなく訪れるであろう彼女の命の終わりの前に、何かひとつでも彼女の人生で、「楽しかった」という思い出をきちんと書き残したいと強く思った。彼女の厳しい人生だって、きっと何か楽しいことがあったはずなのだ。イノセンスにも、彼女の人生の楽しかったことを教えてあげたい。

私は、ふと思いつき、「元気なときはどんな仕事をしていたの」と聞いてみた。彼女のほほが少しゆるんだような気がした。

「……病気になる前はね、美容院で働いていたの。お客さんにお茶を入れたり、掃除したり。とっても楽しかった、嬉しかった」

サリーが満面の笑顔で聞いた。

「そう、それはとっても素敵ねぇ、どうしてそんなに嬉しかったの」

フェイバリットが一瞬大きく目を開いて言葉をつなぐ。

「ベッツイが優しかったの。まるで私をベッツイの娘みたいに優しくしてくれたの」 

ベッツイはこの美容院の経営者だろう。サリーが続けた。

「ベッツイはあなたがここにいるのを知っているの? いつお店を辞めたの?」
「ベッツイはここのことは知らない。お店を辞めたのは1年くらい前……」
「お店の名前は? そのお店はどこにあるの?」

フェイバリットは店を辞めて1年もたつと言うのに、店の名前、電話番号をはっきりと覚えていた。サリーがその店の電話番号を回す。ベッツイは不在だったが、別の女性がベッツイの携帯電話の番号を教えてくれた。携帯電話に出たベッツイが、この電話が病床のフェイバリットからだと知ると、「神様! フェイバリットはまだ生きているの?」と叫んだ。

ベッツイにしたら、フェイバリットは、これまでに彼女が何人も雇った黒人ワーカーの中の一人なのだろう。きっと、フェイバリットがこれほど感謝するほどの“親切”をした、という意識もなかったはずだ。でも、物心がついてから、人に親切にされたことなどあまりなかったはずの彼女にとって、例えば、ベッツイの持っていたひとかけらのビスケットを分けてもらったことでさえ、「自分の子どものように可愛がってくれた」と、なることに、私は想像力を働かせる必要もなかった。

このあと、フェイバリットの身体が緩んだ。心も緩んだ。口も緩んだ。

私が、「フェイバリットはどんな食べ物が好きなの?」と聞くと、「私はサンドイッチが大好きなの、チキンのハムをはさんだやつ」という答え。彼女は吐き気のため、何日も固形食は食べていなかった。でも、喉を「ごくん」と鳴らして、サンドイッチと一緒に飲むものは、「断然、サワーミルクだ」とつぶやいた。

そして、彼女は自ら話し始めた。

「クリスマス、新年、そして復活祭には特別な料理をしたのよ。黄色のご飯の中に野菜を入れたもの、サラダ、フライドチキン。みんなイノセンスが好きなもの。きれいな洋服を着て教会にもいくの。教会は街の中の……」

フェイバリットが生きてきた証が、生き生きと表現され始めた。最愛の息子、イノセンス。自分の子どものように親切にしてくれたベッツイの元で働いた4年間。イノセンスのために料理した黄色のご飯にフライドチキン。きれいな洋服を着て、息子とともに教会へ行くことの晴れがましさ。フェイバリットに感謝しながら、私はこれを記録として残すことの大切さを感じていた。

「私の人生にいいことは何もなかった」という彼女の言葉も、話を始めた時点では正直な彼女の心持だっただろう。でも、サリーの静かな問いかけから、彼女の気持ちを丁寧に拾っていったことで、イノセンス、ベッツイ、黄色のご飯、そして教会が出てきたのだ。

“言葉をつなぐ”という地道な行いが、これほどの威力を持つ。そして、彼女の人生の“幸せ”が言葉で残る。どんなに死が近づいていたとしても、彼女は彼女の生きた証を言葉にし、それを最愛の息子に残すことができた。人間の持つ、果てることのない思いとその能力にひれ伏したい思いで彼女の病室をあとにした。

フェイバリットはこの4日後に亡くなった。

プロフィール
Profile
吉村峰子
(日本語/英語教師・ライター・通訳)
東京都生まれ。1980年頃より日本語・英語教育に関わる。教えた国は、日本、米国、デンマーク、ドイツ、リべりア、エチオピア、マラウィ、南アフリカなど。1986年頃より、アフリカと日本を交互に生活した後、2003年、南アフリカ・ダーバンに家族とともに移住。現在はダーバンで日本語・英語教育、執筆業、通訳業で大忙しの毎日を送る。
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