小さな“優しさ” [2008年08月25日(月)]
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日本から遊びに来てくれた友人のお嬢さんと2週間弱一緒に生活をして、ここダーバンで私が最近触れていない、“あること”に気づかされました。
その“あること”とは、そのこと自体に気づくのさえちょっと時間がかかって、でも、その後、ゆっくりと、自然に手が胸に上がってきて、くちびるがほころんで、「はぁ」、と小さなため息をつきたくなる……。それは、そんな、日本の少女の“優しさ”のことです。 南ア移住前の私の仕事は、日本の英語の先生たちに“国際理解教育”という概念を含んだ英語の教え方を、オリジナルな教材を通して伝えていくことでした。その一環として、東京の外れにあった私の自宅で開いていた教室で、私は小学生から高校生までの日本の子どもたちに囲まれていました。 そこで、繰り広げられる子どもたちの何気ない話や打ち明け話に何度胸を熱くしたことでしょう。一見、乱暴にさえ聞こえる子どもたちの中にある小さな“優しさ”。気をつけていないと、目の前をものすごい速度で通り過ぎてしまうような“優しさ”です。別の言葉でいえば、子どもたちの仲間に示すちょっとした“思いやり”でしょうか。 昭和30年代に育った私とは、明らかに異なる環境に生きる現代の日本に住む子どもたち。でも、彼らの中には時代を超えても何ら変わることのない暖かい優しさがたくさんありました。 でも、多くの大人が現代の日本の子どもを非難します。 「我慢が足りない」 「感謝を知らない」 「礼儀をわきまえない」 「人の心を分かろうとしない」 そういった批判を聞くたびに、私はこういう大人は子どもたちに心を開いてもらっていないのだろうなぁ、と思います。 子どもたちは大人と違い、自分の損得で自分を語ることはあまりないと思うのです。特に日本のように、直接的な飢餓や戦争といった大きな危険から守られている国に住む子どもたちは、大人との付き合い方が途上国の子どもたちとは異なります。 子どもたちが大人に表立った敬意を表さない風潮は、ある程度の裕福度がある社会では共通のことです。私はこれを米国でも、欧州でも、日本でも身近に見てきました。でも、これは子どもが選んでしていることではありません。だから、これをして先進国の子どもの大人への態度を非難するのはお門違いです。 現代の日本社会で起こっている子どもたちの犯罪だって、これは社会の中心にいる大人たちが猛反省することだと私は思っています。どうして、親を殺すまでに子どもたちが追い詰められているのか。しかも、親を殺す明確な理由もなしに行われるこういった事件は、個別にその理由を探すことも必要ですが、社会として何を子どもたちに示していくべきか、を大人全体が考える時期に来ていると思うのです。 さて、話は元に戻って、この14歳のリコちゃんの“優しさ”をちょっとお話しましょう。 リコちゃんとヤコちゃんは5歳違いの姉妹です。 ![]() リコちゃんはとっても真面目なお姉さんで、妹ヤコちゃんの活発で怖いもの知らず、末っ子ならではの奔放な性格にちょっとめげるときもあるのでしょう。ヤコちゃんの発言の中にちょっとずうずうしいニュアンスが続くと、「ああああ、もういい加減にして!」と思うときもあるようでした。 でも、私も二人の妹がいますから、これはもう自然な姉妹の葛藤であることがよく理解できます。 ところが、ある日のこと、買い物に出かけた先で、ヤコちゃんのことをとっても可愛らしい、と思ったインド人のおばさんから、「この子はかわいい男の子ね!」とヤコちゃんが言われたのでした。 ヤコちゃんは「えっ?いま、なんて言ったの?」と聞きます。 ![]() その時ちょうど一緒にいた姪が、そのまま英語を日本語に訳そうとしたのです。すると、リコちゃんが、ヤコちゃんに見えないように、姪に首を振って、 「ヤコが元気で可愛いい、って言っているみたいよ」 と、あえて彼女のことを男の子と間違えたことを言わせなかったのです。 これは、リコちゃんにとっては何気ないことなのかもしれません。 でも、私の周りの日本人でありながら南アフリカの社会で育つ甥や姪、ショウコなどには、ヤコちゃんが男の子に間違われたことは、そのまま本人に伝えても、何も差し障りのない程度の内容と理解しているはずです。「ははは、男の子に間違えられちゃったね!」でケロッ、と皆で大笑いしてお終い!でしょう。 でも、リコちゃんには、ヤコちゃんが、自分が男の子と間違えられたことで、あとでちょっと、「……むむむ」と、眉をひそめることが想像できてしまったのでしょう。 たまには、「ああ、うるさい妹!」と思うこともあるはずなのに、こういったとっさの時に、瞬時に相手の感じ方まで慮って、自分の行動に移せる“優しさ”は、日本の子どもたちのきらきら輝く特技だと思います。こういった細やかな思いやりがどれだけ日本の文化の中で重要視されてきたことでしょう。 リコちゃんのこの優しさは、お母さんの優しさのカーボンコピー。遠くから人を優しく慮る亜紀子さんの元で育つからこそ、こういう細やかな心遣いができる少女に育っているのです。 そして、周りにいる大人は、そういった小さな“優しさ”を身近に見かけたら、どんどん子どもたちにその素晴らしさを口に出して褒めてあげて欲しいと思います。 私は、このリコちゃんのヤコちゃんに示してくれた、この“小さな優しさ”、に触れさせてもらって、「はぁ」とため息がでて、心が軽くなりました。「ああ、なんて素敵な思いやりだろう」と、その後、何回もこのことを思い出して心が弾みました。 ![]() リコちゃん、ありがとう! リコちゃんの優しさは本当に素敵。そして、英語だって、あのインド人のおばさんの英語がしっかり理解できた、ということはたいしたものです。自信を持ってね。 人のつながりとは不思議なもの。一回つながった線はお互いが大切に扱うことによって、太く、長く、延々と繋がっていくのです。 20年前のリコちゃんのお母さんとの出会いが、こんな形で私たちにこの素敵な日本の少女とのひと時をプレセントしてくれました。 リコちゃん、ヤコちゃん、亜紀子さん、またいつでも、アフリカに遊びにおいでね! |
















