吉村峰子のアフリカに遊びにおいで!

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5年ぶりのオレゴン [2008年07月07日(月)]
 
5年ぶりに米国のオレゴンに来ています。

オレゴン州ポートランドは、私が高校を卒業した後日本を出発し、初めて踏んだ外国の土地です。私はこの街で英語を学びました。私が在学したのは、ルイス&クラーク大学(Lewis and Clark College)というリベラルアートの私立大学で、最初は大学の付属の留学生に英語を教えるALI(American Language Institute)の学生になりました。

私はそのALIの最下位のクラスから始めて、同大学に入学し、第三学年ではデンマークに再留学し、そして第四学年ではこの古巣のALIで半年間に渡り教育実習をさせてもらったのです。その後、ニューヨークのコロンビア大学の大学院で学びましたが、私にとって、このオレゴン州のポートランドは、19歳から23歳前後を過ごした思い出深い土地なのです。

今回の再訪でたくさんの懐かしい人たちと会うことができました。当時一緒に勉強していた友人や先生たち。当時のALIの秘書をしていたMarion Dodson さんとそのご主人、Arleigh Dodsonさん(彼もこのL&Cの化学の教授でした)が、自宅に私たちを招いてくださり、 ポートランド近隣に住む多くの人が集まってくれたのです。30年前の私たちの姿をよく覚えてくれていることも驚きでしたが、濃厚な時間を共に過ごした人たちとの久しぶりの一緒の時間は、くすぐったいような、故郷に戻ったような、何とも不思議なものでした。





そして、改めて、この米国の友人たちの在り方に、私の大人としての原型がある、と思いました。私はこの人たちとのつながりのなかで、どういった大人になりたいか、またなりたくないかを考えていったのです。

30年以上前、ルイス&クラーク大学は、遠く祖国を離れて米国で学ぶ留学生たちに、米国人のホストファミリーを紹介してくれました。学生たちは、通常は寮生活ですが、週末や休暇などに彼らの家族の一員となって、米国の文化や生活に触れることができたのです。実は、Beverly & George Nase 夫妻は、最初は私の友人に紹介された家族でした。が、私のホストファミリーがどうやら、私をベビーシッター代りに使いたいような気配があったので、私もNaseさんご一家にお世話になることになったのです。



それ以来、彼らは私を娘のように扱ってくれています。日本で行った結婚式にも来てもらいました。リベリアから避難してきた私たちの荷物を引き取ってくれたのもかれらです。二人の子どもたちも機会がある度に彼らに会わせてきました。私と私の夫が南アフリカに移住するときも、大きく背中を押してくれたのも彼らです。

「人生は一回きり。思うように進みなさい」と言う彼らの励ましがどんなに嬉しかったことでしょう。

私にとって、彼らは私の米国の両親なのです。ということは、彼らの周りの人たちも私にとっては親戚のようなもの。ここ30年間、彼らの結婚、離婚、孫たちの成長、卒業、さまざまな生活のシーンに関わらせてきてもらいました。

“両親”ですから、もちろん、彼らの意見全部に賛成するわけではありません。でも、彼らの生活や友人たちとの付き合いかたなど、私は多くの部分を彼らから学ばせてもらいました。

その中でも、私にとって、特に大切な“教え”は、「友人として付き合う、ということは、その人を丸ごと引き受けること」ということです。そして、来るものは拒まず、去る者は追わず、という潔い姿勢です。

その出会いが、たとえ偶然だったとしても、つながり会う機会のあった人たちとの関係を丁寧に、長く続けていく。そのつながりには、時間をかけること、手間をかけること、さらに金銭的にだって負担が来ることさえも拒まない。

彼らは米国の“大らかな良心”そのものだったのです。

今回も、80歳近くになった彼らと、彼らの70年にも及ぶ友人夫婦三組を見ていて、自分の家族でもないのに、その子ども、親戚までも含めた多くの人間たちのつながりに、心が暖かくなりました。小さな出来事、大きな出来事、友人の輪の中で繰り広げられるすべての出来事が、自分たちに関係のある大切なものとして語られていくのです。



日本からの留学生とホストファミリー。

もしかしたら、その時期だけで終わってしまったかもしれない“関係”です。でも、私は彼らとの関係をこうやって紡いできたことで、「私のもう一つの家族が米国にいます」と考えることが出来るのです。

この思いのおかげで、例えば、外交などの米国政府の方針を強く疑う場合などでも、一般の米国の人々に対する私の思いが変わることがないのです。

なぜなら、私には、米国人の家族がいるので、彼らを一括りにして、悲観的になる必要がないのです。

人とつながり、その関係をゆるやかに丁寧に維持する、ということが、もっともっと多くの人たちの間でも可能になれば、きっといつかは世界から戦争もなくなる、と私は真剣に考えています。

私の子どもたち、カンジ、ショウコが、彼らを自分の米国の祖父、祖母と思い始めているような気配にも心が弾みました。


子ども、孫たち!


子どもたちにとっても、30年以上前の私を知る彼らの存在は、“人とのつながり”の大切さ、心強さを、言葉よりも何よりも的確に教えてくれているようでした。
この記事のURL

http://www.cafeblo.com/safrica/archive/57
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コメント



のんちゃん!

えええええ?いま、ポートランドに住んでいたんですか?それはそれは残念でした。う〜ん、連絡は密に取り合わないとこういうことになっちゃうのね。返す返すも残念!子どもたちも会いたかったはずです。

Posted by:吉村峰子  at 2008年07月25日(金) 13:20
きゃああああ!!!しょうちゃんがこんなに大きくなっているなんてっ!!そしてちょっとまって下さい。ポートランドって私ポートランドにすんでますがなっ。あぁ会いたかった、、、。でも、みんな元気そうで本当になによりです。
Posted by:森田希望  at 2008年07月25日(金) 12:59

真希ちゃん、

コメントありがとうございました。元気にしていますか?あまり無理をせず、美味しいものを食べて元気で行きましょうね!



Posted by:吉村峰子  at 2008年07月14日(月) 06:58
峰子さん!アメリカでの再会、素敵ですね! 私も南アでの出会いを大切に繋いでいきたいです。
Posted by:長崎の真希  at 2008年07月12日(土) 04:07
プロフィール
Profile
吉村峰子
(日本語/英語教師・ライター・通訳)
東京都生まれ。1980年頃より日本語・英語教育に関わる。教えた国は、日本、米国、デンマーク、ドイツ、リべりア、エチオピア、マラウィ、南アフリカなど。1986年頃より、アフリカと日本を交互に生活した後、2003年、南アフリカ・ダーバンに家族とともに移住。現在はダーバンで日本語・英語教育、執筆業、通訳業で大忙しの毎日を送る。
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