吉村峰子のアフリカに遊びにおいで!

2008年04月
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幸せな子どもたち [2008年04月07日(月)]
 
日ごろ、

「ああ、私は幸せだなあ……」

と、思うのは、世界各地にその名前を口にするだけで、暖かい気持ちになることができる友人や知り合いがたくさんいることです。

その地に駐在する外国人として、外国人同士の付き合いもたくさんありました。でも、現地の人たちからも多くのことを学びました。

その中、途上国暮らしをしていく上で、どうしても避けられないのが、現地のお手伝いさんや庭師、運転手さんといった家で働いてくれる人たちとの人間関係です。

日本では、「自分のことは自分でする」という考え方が一般的。でも、途上国で暮らす日本から来た私たちには、どうしてもその経済格差から、自分たちの身の回りの世話をしてくれるスタッフを雇用することが求められている場合があります。

我が家もリベリアを皮切りにさまざまなスタッフとの出会いがありました。そして、私たちはどれだけこの現地のスタッフに恵まれてきたことでしょう。

私夫婦が心がけたのは、心をこめて働いてくれているスタッフには、私たちが駐在を離れたあとも他の家庭で喜んで雇用してもらえるような特技を身につけてもらうことでした。例えば、夜勤の門番をしていた人に車の免許を習得してもらい、運転手という技能職に職種替えを果たした人も数人います。

ツァハイは、私たちがアディスで生活していた時の我が家のお手伝いさん。いや、お手伝いさん、というよりも我が家の二番目の子ども、ショウコの第二の母、と言ったほうが正解だと思います。

生後三ヶ月でアディスに連れていかれたショウコはエチオピアの主食のインジェラをマッシュしたものが“離乳食”というなかなかディープなアフリカ食生活を経験してきています。それもこの“第二の母”ツァハイのおかげです。


姪のHannaとともに。ツァハイはいま、
薬剤師になるために夜間の大学に通っている。

今回の私たちのアディスアベバ訪問の大きな目的は、カンジ、ショウコに、自分たちの育ったこの地をもう一回見て欲しい、ということの他に、自分たちが幼いときに係ってくれた人々に再会してもらいたい、という母の願いが強くあったのです。

私は子育てにおいてつくづく「大切だなぁ」と思っているのが、子どもたちに与える、両親以外の、できれば血のつながりのない他の大人たちの影響なのです。

昔の日本にも、遠縁のおばさん、とか、親戚のつながりの友人とかが、同じ家の中に住んでいるような時代もありました。いわゆる大家族制度の元では、誰がどうつながっているのか理解できないような関係の大人が、子どもたちが育つ周りにごちゃごちゃといたと思うのです。

そういった一見混沌としたような人間関係がどうして子育てに必要なのでしょう。

もちろん、人間が多く集まれば、肯定的なことも否定的なこともあるのは世の常。でも、それを差し引いたとしても、子どもにとって、両親や祖父母以外の人間から、「ああ、自分は愛されている、大切にされている」という思いをもらえるのはとっても幸せなことだと思うのです。

母の愛は母の愛。
父の愛は父の愛。
祖母の、祖父の愛は、またそれぞれ。

そして、他人でも、心のつながり方一つで、

「ああ、私はこんなにこの人に可愛がってもらっているんだ」

という嬉しい実感にくるまれることの素敵さ。

もちろん、それが起こるためには、家族以外のそれらの大人も、その家に居ること、またはその家族に係っていることに対する充足感や満足感が必要であることは当然のことですが。

今回、12年ぶりに再会したツァハイとショウコ。

ショウコに会った瞬間にツァハイの目にあふれて、止まることの無かった大粒の涙がすべてを物語っていました。

12年ぶりに会った、ということは、別離の際、ショウコはたったの2歳です。ですから、当のショウコ自身はその当時の記憶として、自分とツァハイの関係を覚えていることはないはずなのです。彼女がツァハイを覚えているのは自分の経験から、というよりも私たち家族のするツァハイの思い出話から、と言ったほうが正確でしょう。

でも、ショウコは、ツァハイの

"Do you remember me?"--- 私を覚えていますか?

という質問に、何回も自信をもって、

"Yes, of course!" --- もちろん!

と答えていました。

でも、今回の再会で、ショウコはショウコ自身、自分がどれだけこのもの静かで聡明なエチオピア人女性に愛されていたか、ということを実感したと思います。


ショウコ、エチオピアにて。
もうすぐ14歳。すべてにおいて徹底的なポジティブ娘。
14歳にして、足のサイズがもう27センチ近いのはどうして?

自分が人に愛されている、と感じることができるのは、その人にとって、何よりの心強い応援ではないでしょうか。

私は途上国に住んできたことで、自分の子どもたちがこうやって、多くのアフリカ人に愛されてきたことを何よりも嬉しく思っている母なのです。


エチオピアで再会した人たち
皆さん、お世話になりました
この記事のURL

http://www.cafeblo.com/safrica/archive/45
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コメント


Kaoru さま、

おお、そうでしたね!ツァハイが美味しいお豆腐を作ってくれましたよね。彼女は几帳面にノートを作って、美味しいお料理をよく作ってくれました。それまで食べたこともないものが大多数だったと思います。思い出すのが、日本から苦労して持ち帰った“ごぼう”を、「これはなんのスティックか?」って。 それから、柚子を持ち帰ったとき、「中身と皮を別々にしておいてね」と言って、ちょっと出かけているうちに、私が取っておきたい“皮”が全部捨てられていたことも思い出します!冷凍しておこうと思ったのですよね、ホントは。
Posted by:吉村峰子  at 2008年04月20日(日) 12:53
12年前、エチオピアに行った時、吉村家で働いていたツァハイさん。ツァハイさんの作ったお豆腐がとてもおいしかったのを覚えています。

懐かしい人たちに会えた、素晴らしい旅でしたね。
Posted by:Kaoru  at 2008年04月15日(火) 11:45
ブー・姉さま、

出会いは大切ですよね。いろいろな国で生活してきて、私は本当にいろいろな人たちにめぐり合ってきました。これからもまだどんな人に会うかと思うとわくわくします。
Posted by:吉村峰子  at 2008年04月09日(水) 00:13
そうでしたか…そういえばマラウィにうかがったとき、峰子さんがエチオピアのきれいな絵をかけてらしたなぁ、とおもいだしました。ほんとうに世の中にはすばらしい知的なひとがたくさんいますね。自分が期待してなかったからなのか、みくびっていたからなのかはっとすることがあります。でもなかなか、深く関わる人でそういうかたに恵まれることはないですよね。そして今もその出会いからつづいてるというのは、すごく、すばらしい、よろこばしいことですよね…!
Posted by:ブー・姉  at 2008年04月07日(月) 20:00
プロフィール
Profile
吉村峰子
(日本語/英語教師・ライター・通訳)
東京都生まれ。1980年頃より日本語・英語教育に関わる。教えた国は、日本、米国、デンマーク、ドイツ、リべりア、エチオピア、マラウィ、南アフリカなど。1986年頃より、アフリカと日本を交互に生活した後、2003年、南アフリカ・ダーバンに家族とともに移住。現在はダーバンで日本語・英語教育、執筆業、通訳業で大忙しの毎日を送る。