カンジ、18歳 [2007年09月09日(日)]
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我が家の住人の一人、カンジ。今年彼は18歳になった。我が家は夫と私、息子のカンジ、そして娘ショウコ13歳がそのメンバーだ。その他、SPCAという動物愛護団体から引き受けた二匹の犬が、一年を通して外の気温にそう左右されない、究極の天然素材、萱葺きの大屋根の家で暮らしている。
カンジの2007年9月の現在。南アの高校の最終学年ということもあり、卒業認定試験のため、かなりの時間を勉強に使っている。南アの大学入学資格は高校の成績で決定される。そのため、志望の大学の行きたい学部の基準値を調べて、その基準値を超えるべくこの最終学年の評価をよいものにしなくてはいけないのだ。南アには学習塾はないので、それぞれの科目を教えるプライベートの家庭教師を何人かハシゴしながらがんばっている。 カンジは、シンプルに“いいオトコのコ”だと思う。しかし、「いつも穏やかな」、という表現は当たらない。カンジは、その行動や考え方がちょっとユニークで、周りの人間が「ああ、そんな風な考え方もあるのか」と、ストンと納得したくなるような存在感をもつオトコなのだ。そして、いま、彼は、彼なりの18歳の不安、フラストレーション、希望、野心、そんなものをすべてその身に抱えつつ、ゆっくり、じっくり、いいオトコのコから“いいオトコ”に脱皮しつつある。 彼は子どものころ、彼と接したたくさんの大人に、「こんなに子どもらしい子どもに、このごろ会ったことがない」と、感嘆ともいえる感想をもたれる子どもだった。カンジの18年の人生には、アフリカと日本を交互に生活した異文化での葛藤がそのまま反映されている。リベリアで生まれ、エチオピアで学校に行き始め、東京の郊外の公立小学校で5年生まで存分に遊び、その後マラウィ、南アで思春期を過ごしているカンジ。カンジは自分のこれからの人生をアフリカで過ごすことも自分でも選択した。 最近、日本のニュースを読んでいた時、「暖かいもの」、「優しいもの」に囲まれていない日本人、という表現を知った。日本の都会では、”切れる大人”が多く、医療機関、交通機関などでそういう人たちが、医師や職員に暴力を振るうのだそうだ。彼らは、自分たちの周りにストレスが多く、本当は彼らが持っていたはずの「暖かいこと・もの・ひと」、「優しいこと・もの・ひと」の存在を忘れ、さらにそれらに囲まれてもいないらしい。 ふと、カンジがまだ幼いころのことを思い出した。 カンジが8歳、従兄弟のアジーノが2歳くらいだった。アジーノの家族と一緒に食事をしたあと、大人たちは寛いでいた。すると、アジーノが本棚の上の何かを見つけて、「とって、とって」と騒ぎ始めた。 私は、そばにいたカンジに、「とってあげてね」と一言頼んだ。 するとカンジは、ゆっくりと立ち上がり、その幼いアジーノの脇の下に、自分の手をすっと入れて、アジーノを抱き上げた。そして、アジーノのその小さい手が彼の欲しがっている本棚の上の“何か”に届くようにした。 カンジは、その何かを「とってあげた」のではなく、アジーノが自分でそれを「とれるよう」にしたのだ。 彼のその一連の動きは数秒のことだったと思う。でも、その何気ないカンジの動作に私は激しく動かされた。 その、カンジにとっては、あまりも自然でありながら、カンジにしかできないカンジの動き。私はこのカンジの所作に感動してしばらく動けなくなった、自分が彼の母親であるとか、彼が8歳の幼い少年である、とか言うことを超越した感動だった。 カンジは、幼いころから今に至るまで、機転をさっと利かせて立ち回るすばしっこいオトコではない。どちらかというと、不器用で自分の世界にどっぷりと入っているオトコなのだ。18歳の現在も勉強のほかにしたいことは、いまだにスケートボード、爬虫類のペットをめでること、そしてジャック・ジョンソンの音楽に浸ること。 この8歳のカンジのこの行動に、私は彼の魂のあり方を見る思いだった。そして、それが無意識にできる彼の器量に感嘆した。私は、人を慮る、人のために何かをする、というときに、完全にその人の側に立てる人間というのはものすごいことだと思うのだ。人間になってまだ8年しか経っていないこの時のカンジ。子どもを見守る年月の中での、その奇跡のようなひとつひとつの瞬間の大切さを実感しながら、私は彼のその前に広がるその大きな可能性に胸がどきどきした。 これは、もう10年も前のことだけれど、いまだに私の心を暖かくする。そして、私は、こんな「暖かい、優しい魂」の側にいられるということに単純に感謝してしまう。 ……もちろん、朝、いくら起こしても起きてこないカンジを怒鳴る朝も、こういう「暖かい魂のそばにいる幸せ」と平行線であることは間違いないのだけれど。 ![]() |





コメントありがとうございます。
そう、あの、子どもの本質をとことん大切にする、ぽっとん便所のあるプレハブ小屋の幼稚園。途中から入れてもらうために面接に行ったのが、寒い小雪のふる冬のある日でした。砂場にたまった水溜りをみて、何を勘違いしたのか、カンジは、頭からその水溜りにダイビング。ええ、真冬ですとも。で、そのときの先生方の反応は、「いやぁ〜、5〜6年前まで、カンジくんのような子がこの園の主流でしたが、このごろすっかり少なくなって、こういう子が!」と、目を細めたのでした。
バーチャルな世界に住んでいないいまどきの高校生二人。日本と南アでしっかり別々に、でも、どこかでつながりあって育っているのよね。