吉村峰子のアフリカに遊びにおいで!

2008年10月
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泥棒にあいました [2008年10月06日(月)]
 
仕事で訪れていたモーザンビークのマプトで、全財産の入ったバッグを盗まれました。


マプト市内の路上の果物やさん


バッグの中に入っていたものは、パスポート、サイフ、デジタルカメラ、デジタル録音機、電子辞書、化粧ポーチなど、かなり重要なものばかり……。サイフの中には、現金、クレジット・カード、それから、日本、米国、南アフリカ各国の運転免許。どうして、全部を持ち歩いていたんでしょうねぇ。……自分に聞きたいです。

それから、それから、20年近く前に、息子の出産記念にリベリアで購入したライオンのピアス。これは、当時リベリアで宝石細工をしていたアルメニア人の職人さんに作ってもらったものだったのです。

考えると、まだクラクラしますが、これもまた人生の一コマですので、ここにその顛末を。


これも路上の古着屋さん
ディスプレイが凝っている!


まず、バッグの盗まれた場所は、マプト市内の4つ星ホテルです。

そのホテルのレストランで、私は今回の仕事の他の日本人メンバーと朝食をとっていました。このレストランのテーブルは、二人掛け以上のものは丸テーブルです。メンバーが合計6名の私たちのグループは、ちょっと時間差がありながらも、この丸いテーブルを一つ陣取っていました。

そのメンバーのうち、二人が自分たちの朝食を終えてテーブルから立とうとしたときに、隣のテーブルに座っていた一人の白人の男性も同時に立ち上がりました。

その時、彼はガサン!と、自分の地図を床に落としたのです。

どうやら、彼は、その落とした地図を拾うのと同時に、床に置いてあった私のバッグもちゃっかり拾いあげたようなのです。

テーブルが丸く、物を置く余裕もなかったので、私は自分のバッグを床に置き、数分に一回はそれを足で確認しながら食事をしていました。が、まさか、ホテルの宿泊客が、一瞬の隙に、他の宿泊客から窃盗を働くとは想像もしていませんでした。

これは私の不注意、というか、気の緩みですね。

残念なことに、アフリカに住んでいると、貧富の差の激しさから、貧しい側が富める側のものを盗むのは日常茶飯事です。実際、私の家も3回ほど泥棒の被害にあっています

好むと好まざるにかかわらず、アフリカへ移住する前は、日本の政府や会社で働いていた私たち家族は、どうしても“富める側”に振り分けられてしまうのです。

そういった環境の中、私は、同じホテルに滞在している、“富める側”に立っていそうな人間に対してガードが低くなっていたのでしょう。四つ星ホテルに滞在することができる経済状態の人間が、同じホテルに宿泊している他人から物を盗む、といった発想が私の中にはなかったのです。

これは明らかに、アフリカに長年住んでいることから来た気の緩みだと思います。日本だって、欧米の先進国だって、窃盗などの犯罪は、ただ単に“貧しいから”することではないのは常識なのかも知れません。

そして、極めて感情的なのですが、南アの家に泥棒が入られたときよりも、今回の“白人男性泥棒”に対しての怒りのほうがかなりその度合いが高いように思います。

家に入った泥棒たちの場合、後始末の面倒くささを悔しいとは思いつつも、「そりゃあそうだ。毎日、これだけの格差を見せつけられたら、出来心が起きたって仕方がない」といった泥棒たちに対する同情の気持ちが湧いてきてしまうのを抑えることはできませんでした。

もちろん、これは、家族の誰もが怪我をしたり、暴力の犠牲になったりしていないからこその感情だとは思います。

しかし、今回の白人男性、ホテルのセキュリティ・カメラにも、堂々と私のバッグを持って、レストランを歩き去る姿が映されていました。その直後、カメラは彼がトイレに入る姿を捉え、そしてトイレから出てきた彼はもう私のバッグを手にはしていませんでした。きっと、トイレで自分のバッグに私のものを収納してしまったのでしょう。

今回のことでは、私にはまだこのホテルとの交渉も始まったばかり。いくらかでも保障をしてもらいたいのですが、これは長引きそうです。

ただ、今回、本当に感謝したいのは、在モーザンビーク日本大使館の領事部門の方々の素早い対応、ご支援でした。いま、私が手にしているのは、同大使館が初めて発行されたという“日本国緊急旅券”です。



これがなかったら、モーザンビークを出国することも、南アフリカに入国することもできませんでした。関係者の皆様、本当にありがとうございました。また、日本からのチームの皆さんにもご心配をかけました。申し訳ありませんでした。

ただ、この“緊急旅券”、本来あるべき大切な出入国の記録が、当然のこと、記入されていません。ということは、出入国の際、パスポートを管理する係官から、その理由を聞かれます。

モーザンビークを出国するときも、明らかに、普段と違う状態に、係官はむっつりしていました。途上国の公務員は、特に日常と異なるものに対して強い嫌悪感があるようなのです。

でも、そこは数々のアフリカの修羅場を通り抜けてきた私です。にっこり笑いながらも、「バッグを盗まれて私は悲しい、悔しいです」という感情をちょろちょろ見せながら、警察の証明やら、大使館で発行していただいた事件の証明やらを見せて、無事、通関。

その後、南アのイミグレーションの係員にも、この緊急旅券は珍しかったようで、いろいろ聞かれてしまいました。でも、「マプトでバッグを盗まれたの」と私が言うと、

「ほおれ、そういうこと、南ア以外でも起こるのよね!」

と、鼻息も荒く、慰め?てくれました。そして、「何も言わずに三か月のビザをあげるから、この三か月以内で後始末をしてね」と、私を励ましてくれたのです。

鼻の奥がつ〜んとしました。みんなが同情してくれて救われました。でも、こういう話をすると、間違いなく全員が、それぞれが襲われた話を披露して、ついついその場が盛り上がってしまうのも、アフリカならではのことで、おかしいと言えばおかしいことですね。

さてさて、でも、みなさん、この被害の物件の数々の中で私は、何が一番惜しいと思っていると思いますか?

もちろん、仕事上の機材はもうこれは仕方がない、モノにくじけてたまるか、と涙をのみます。

数々の証明書の類も忍耐強く復活の手続きをとるしかありません。南アフリカの免許やIDを収得するのは、長〜い列に並ばなくてはいけませんが……。

そして、アルメニア人のおじいさんが作ってくれたライオンのピアスも実に悔しい。でも、これも20年以上、楽しませてもらったので、潔く諦めることにします。
 
実は、何よりも私が悔しいのは、ずばり、去年更新したばかりのパスポートなのです。

なぜかというと、それは、そのパスポートに使った写真が、私にとっては近年類を見ないほどよく映って撮れていたのです!

写真が苦手で、写真写りの悪い私にとって、このパスポートの写真は、「ふふふ、10年もこれでいいのね」とほほ笑みたいくらい、気に入っていたのでした。

ああ、悔しい!
ポール・ニューマン氏とアフリカの子どもたち [2008年09月29日(月)]
 
米国の俳優、ポール・ニューマン氏が2008年9月26日亡くなりました。

Newman's Own のホームページより

私にとってポール・ニューマン氏は、南アフリカの元大統領・ネルソン・マンデラ氏と同じように、「ああ、困ったなぁ、どうしよう」と思った時に、その解決策をご自分の生き方を通して、私に暗示してくれるような存在でした。

私はニューマン氏と面識があったわけではありません。

でも、彼の主催する、HOLES IN THE WALL CAMPS という子どものためのキャンプにかけた彼の生き方から、どれほどの勇気をもらってきたことでしょう。

インターネットで入手できるニューマン氏の訃報を伝える日本の報道を見る限りでは、晩年彼が力を注いだ、世界中の恵まれない子どもたちのための活動があまり詳しく語られていないように思いました。

たとえば、朝日新聞のお悔やみ欄では、「サラダドレッシングなどを作る食品会社を起こし、実業家としても成功したほか、ベトナム反戦運動や反核運動にも積極的に参加した。68年の米大統領選で民主党の有力政治家を支援、この選挙で当選した共和党のニクソン大統領の政敵リストにも載った」とあります。

でも残念ながら、この食品会社に関しては、これではこの会社の真の社会的意味が正しく伝わっていません。確かにこのサラダドレッシングなどを製造する会社は、Newman’s Ownといって、25年も前にニューマン氏が設立した“ビスネス”です。

が、この会社、設立当初から、会社の稼ぎ出す、すべての利益を世界中の福祉団体に寄付しているのです。繰り返します、“利益の何%”というようなケチな話ではなくて、この会社は、利益の“すべて”を福祉の目的に使用しているのです。

彼のこの活動に関するモットーに唸ります。

Shameless Exploitation
in Pursuit of the Common Good


訳すると、「みんなの幸せのための、恥をしらない搾取の追及」 ……素敵です!

私は以前にも書いてきているように、1970年代後半の米国で極めてリベラルな教育を受けながら育った人間です。職業的にも、私の教育への考え方は、Outrageously progressive (驚異的なほど先進的な) と自分でも自負しています。

そして、そのそもそもの根っこの部分を支えているのは、実は、ポール・ニューマン氏などに代表される、政治にも極めて明確なリベラルなスタンスを持ち、異文化の違いを喜び、未知なるものに好意的な好奇心を持って接する、といった“古き良き”時代の米国の大らかな“良心”です。このことは、自分も50歳という年齢を迎えて、よく理解できるようになってきました。私はこういった“良心”を持った人たちに囲まれて、職業的な訓練を受けた、幸運な人間なのです。

そして、なおかつ、その“良心”は、やや反骨的な知的好奇心と、足を動かして実際に活動する、という“おまけ”つきです。

ニューマン氏のこの Hole in the Wall Camps とは、彼が、米国の子どもたちが長い夏休みなどに家から離れて参加する泊まり込みのキャンプに、重い病気を持つ子どもたちが参加できない、ということを知ったことが発端です。

彼は、「それならば、自分がそういうキャンプを設立して、病気を持った子どもたちを招待してやろうじゃないか」と思い、それを実行したのです。

しかも、このキャンプは参加者に費用の負担を一切させません。医療関係者も、医療機器もトップクラスのものを揃えて、Holes in the Wall Camps は、病気に侵された多くの子どもたちに、健康な子どもたちと同じような経験を与え、彼らを勇気づけてきているのです。

中には、長い闘病生活ですっかり疲れきって、治療もはかばかしくなかった子どもたちが、このキャンプを励みとして、生まれ変わったように病気に再挑戦する姿さえ報告されています。

私が、ニューマン氏のこのキャンプのことを知ったのは、2002年、マラウィに滞在していたときでした。Holes in the Wall Camps が、アフリカの恵まれない子どもに、アフリカの野生動物を見せよう、というプロジェクトの立ち上げにかかわったのです。

実は、アフリカに住んでいながら、アフリカの野生動物を見たことがない子どもたちがたくさんいます。アフリカの野生動物は観光資源であるために、動物は人々が多く住む場所からは遠く離れた自然保護区に隔離され、それを見るためには高い入場料が必要なのです。また、テレビや図書館などが充実していない多くのアフリカの国々では、子どもたちは野生動物を知ることも、見ることもなく大きくなるのです。

「アフリカの野生動物がアフリカの財産だとしたら、アフリカの子どもたちがそれをまったく知らないで育つのは、おかしいじゃないか」

これは、本当に素朴でまっとうな疑問であり、憤りです。

ニューマン氏は、こういった世の中の矛盾をきちんと是正するために、活動した一人の大人でした。つまり、「それはおかしい」と、思ったときに、何か具体的に行動して、それを是正する、という極めてシンプルな図式を彼は実行したのです。

私は、Hole in the Wall Camps のアフリカでの活動が、アフリカの多くの子どもたちに、希望やたくさんの喜びを与えたのを見てきました。

それを知る人間として、私は彼の訃報に際して、彼がアフリカの子どもに示してくれたこの素晴らしい共感の活動を、彼の俳優としての多くの業績とともに、皆さんにぜひ、知っておいて欲しい、と思いました。
南アフリカ大統領ターボ・ムベキ氏辞任! [2008年09月24日(水)]
 
南アフリカのターボ・ムベキ大統領が任期を約7ケ月残し、退陣することになりました。

先週のブログでお伝えしたとおり、南アの高等裁判所が、与党ANCの代表、ジェイコブ・ズマ氏の武器不正取引に関する訴追において、手続き上の不備と、政治的圧力があった可能性がある、との理由で訴追そのものが“無効”である、という判決を出してから、南アの政治が一挙に不安定になっていたのです。



そして、9月19日、ANC は党として、ムベキ大統領に大統領職を辞任するよう勧告し、ムベキ氏もこれを承諾したのでした。ただ、現在、国会議員の資格のないズマ氏はすぐに南アの大統領にはなれません。来年の4月の総選挙まで、ANC の副代表モトランテ氏(ズマ氏の側近)が暫定的な大統領に就任することになりました。

さて、そもそも、このズマ氏とムベキ氏、偶然にも同じ年齢(66歳)のこの二人、かねてより、犬猿の仲だったようです。

先週ズマ氏のことを書いたので、今週はまず、ムベキ氏から。

ムベキ氏も自由のための闘士であることはズマ氏と同じで、彼も弱冠14歳からANCのユースリーグという若い人たちの政治組織に所属し、南アの旧白人政権の人種隔離政策を打倒するための政治家の道まっしぐらの人でした。



ムベキ氏は、エリート政治家として、「将来のリーダー」というANCの期待を一身に受け、1960年代は英国で勉学に励んでいたのです。ロンドン大学経済学部学士号、サセックス大学経済学修士号も取得しています。夫人のザネレ・ムベキ氏は、米国で教育を受けたソーシャル・ワーカーで、ケニアやザンビアの国連難民高等弁務官事務所で勤務したこともあります。

政治家として、ムベキ氏はネルソン・マンデラ氏が27年間の投獄を解かれ、政界に復帰する話し合いの過程にも深くかかわりました。その後、新しい国家の建設に力を注いだマンデラ氏の元、副大統領として実際的な国務は彼が担当し、マンデラ氏が大統領職を一期で退任したあとは、民主的選挙の元の第二代大統領として職務についていました。

しかし、エリート色が強い彼は、民衆からは遠い存在だったようです。

残念ながら、発展途上のアフリカでは、まだ多くの人々が、「この政治家は私たちに“何”を持ってきてくれるんだろう」という“物差し”が、政治家の有能・無能ぶりを決定してしまうようなところが残されています。

ダーバンのビジネスコミュニティなども、「○○氏は、大きな工場建設を地元の業者で落札できるようきちんと裏で動いてくれる」などという“評判”がまかり通ります。

ですから、外国で彼がどんな動きをしようと、今回のジンバブウエでの彼の仲介者としての動きなどがどれだけ国際社会で評価されようと、国内の選挙民が、明日の仕事の確保が難しい状態にある中で、なかなかその政治家の全体像を正当に評価するのはかなり難しいのが現実です。

私は個人的には、ムベキ大統領が1990年代から提唱している『アフリカ・ルネッサンス』という考え方が好きでした。「援助の対象であり続ける、“悲惨なアフリカ”の状態を抜け出して、生活向上のみならず人間の尊厳の向上を目指すためには、アフリカが自ら再生の道を目指すべき」という彼の主張に感動もし、共感もしていました。

彼はまた、「アフリカのために何ができるか」ではなく「着実に前進し始めたアフリカとどう付き合うか、ほかの途上地域にアフリカを参考にさせるには何が必要か」を考えるべき時に来ている、とも主張していました。

でも、確かに、これは外向きの姿勢です。

民衆政治のカリスマ的存在であるジェイコブ・ズマ氏が、ムベキ氏のその外向きの姿勢を自分へのアピールに猛烈に使ったのです。

さて、前回でもお伝えしましたが、このズマ氏、個人的な感覚としては、「うわ〜、ちょっと勘弁してほしい」というのが正直なところです。

特に私が違和感を覚えたのは、2005年のレイプ事件の際、彼は公の場で、「彼女がHIV感染者だったことは知っていたが、コンド−ムは使用しなかった、あとで、シャワーで流した……」と発言したことです。

性交渉が文化によって、かなりその認識に差があるのは重々承知しています。でも、この発言は許せないと思いました。

でも、知人などで、彼に直接会ったことがある人は、口を揃えて、「彼はとってもいい人」と言います。「彼は嘘をつかない」とも。確かに、レイプ事件などでも、“嘘”はついていないのですが……。

しかし、「いい人」という評価自体がかなり主観的なものです。彼の国のリーダーとしての資質に疑問を持ち、南アから移住する白人系南ア人が後を絶たないのも現実です。

テレビなどで流されている彼の今回の動きのコメントもかなり強引でした。ジャーナリストから、武器汚職のことを聞かれて、「南アの憲法では、罪が確定するまで、どんな人も無罪です」と言い切ります。

しかし、こういった汚職を取りざたされていること自体が問題なのだと思うのですが……。それに、ズマ氏へ賄賂を贈った側のビジネスマンの有罪が裁判で確定して、刑に服していることもあり、なかなかこの強気の発言も無理があると思うのです。

9月21日のムベキ大統領の辞任のスピーチの中で、英語としておもしろい表現がありました。彼は、「私はいままで、ANCの忠実なメンバーでした」と、忠実であった、と過去形を使って表現したのです。50年来のメンバーであることを強調しながら、これからもメンバーであることを続けるために、この辞任を受け入れる、との意志表明でした。

が、この“忠実であった”、英語の元の表現は、”I was a loyal member of ANC.”です。

私はこの過去形が気になっていましたが、その理由が、次の日理解できました。

ムベキ氏が、ズマ氏の訴追が無効とされた裁判所の判断を上訴するメンバーの一員に加わった、というニュースが流れてきたのです。ムベキ氏は、その判断の中で指摘された政治的介入をこの辞任のスピーチでもきっぱり否定しています。

これは、自分を解任したANCへの挑戦にもなります。そうだからこそ、日曜日のスピーチの中の、“忠実であった”、という過去形が意味を持つのです。

遠く離れたアフリカでの政治の駆け引きですが、アフリカの最大の経済大国・南アフリカの政情不安はかならず日本にも思いがけない形で影響を与えます。

世界がいかにつながっているか、ということを実感するためにも、どうか、興味を持ち続けてください。

ジンバブウエ、歴史的連立政権樹立! [2008年09月16日(火)]
 
いま、南部アフリカの政治が大きく動こうとしています。

以前、『ジンバブウエのデモクラシーが抹殺された日』として、南アの隣国ジンバブウエでの大統領選挙に関する動きをお伝えしました。

最大野党の党首・ツァンギライ議長が、政府与党及び警察から、自分の支持者が多数暴行(死者も多数)を受けたことに抗議し、決選投票参加を拒否したのです。実は、彼は最初の投票では過半数には届かなかったものの、投票数では現職のムガベ氏に勝っていたのです。

その後、ムガベ大統領がツァンギライ議長の決選選挙拒否も無視し、大統領選を強行し、国際社会からのごうごうたる非難を受けていました。


左がツァンギライ氏、右がムガベ氏

この状況を打開すべく、南部アフリカの国々や国連のサポートを受け、南アフリカの現大統領、ターボ・ムベキ氏を仲介役として、ここ数カ月、場所を変えながらも頻繁に会議が開かれていました。それが、ついに、ここにきて現大統領であるムガベ氏とツバンギライ議長が連立政権を組むことで同意したのです。28年も続いた独裁政治に終止符が打たれたのです。

2008年9月15日、南アのニュース報道では朝からこの調印式の様子をジンバブウエのハラレから生中継で放送していました。

合意の内容として、ムガベ大統領は現職を維持、しかし、かなり権力は縮小されるようです。ツァンギライ議長は、新設の首相となります。また、もう一人、野党から、ムタンバラ氏が副首相に就任しました。

それぞれの権力分配としては、ムガベ氏が軍の指揮権限をそのまま維持して内閣を管轄します。その一方、ツァンギライ氏は、首相として、警察指揮権限を含む行政をとりまとめ、内閣を監督する「閣僚会議」の議長を務めるそうです。ツァンギライ氏の政党を激しく攻撃していた警察が彼の支配下になるのは、かなり混乱も起きそうです。また、ムガベ氏がこれまで同様、いまだに軍隊のトップであることも注意が必要です。

この三人のそれぞれの受諾スピーチを生中継で聞いていました。新しく就任した二人は、「過去の戦いは捨てて一緒に新しいジンバブウェを建国しよう」という、まっとうな、きっぱりとした順当な内容でした。

が、う〜ん、ムガベ氏、相変わらずの欧米批判と「アフリカの問題はアフリカで解決する、植民地主義の欧米の奴らの思い通りにはさせん」と、延々と持論をぶち上げています。カメラは所在なげに、この調印式の様子をだらだらと流していましたが、ムガベ氏の脱線ぶりには壇上に上がっている仲介役の南アの大統領・ムベキ氏も苦しみの表情でした。


ハラレからの生中継


ジンバブウェの経済を立て直すには、欧米を含む国際社会の援助が絶対不可欠なのに、まだ、欧米をそこまで敵視した発言を繰り返していたら、立場がない人がたくさんいるのですが……。ムガベ氏はそんなことはどこ吹く風。でも、これを「失言」として問題視するのではなく、そのままムガベ氏の言いたいことを、「まあ、言いたいんだろう」と容認しておくあたりが、アフリカ政治のおもしろいところかもしれません。

しかし、これまで、政敵として激しく戦ってきた複数政党が連立政権を組むのですから、そう簡単に事が進むと思いません。が、会場にはせ参じているのは、アフリカ連合(AU)や南部アフリカの各国の首脳たちです。いかにこの連立政権の誕生が大きなニュースであるかがわかります。どうか、どうか、長年続いたジンバブウェの混乱が収まることを願うのみです。天文学的なインフレにも歯止めがつくことを祈るばかりです。

しかし、この調停の大役をやっと無事に終えそうな南アのムベキ大統領もほっとしている状況ではないのです。いま、南アでは、来年の選挙前に、ムベキ大統領の首がすげ替えられるかもしれない、との憶測が出ています。

どうしてか?

実は、ムベキ氏は、南アの最大政党、ANC(African National Congress)の党首ではないのです。この党首選挙は去年の12月に行われましたが、この選挙で、彼はジェイコブ・ズマ氏に敗北したのです。ですから、かつてはネルソン・マンデラ氏も党首をしていたANCは、このズマ氏が党首なのです。



しかし!しかし!このジェイコブ・ズマ氏。いかにも癖のあるアフリカの政治家なのです。

彼は、そもそも、ムベキ大統領の後継者として、副大統領職にあった人物です。が、武器不正取引疑惑があったり、何と、2005年には、知人のHIV・Aidsの活動家をレイプした罪で起訴されたり(後に無罪)、と、華々しいというか、日本だったら、政治生命だって即危うくなるような経歴の持ち主で、ムベキ氏から副大統領職もはく奪されているのです。

が、問題は、先週(2008年9月12日)に出た、2007年になってから起こされた彼の武器不正取引に関する訴追は無効である、という判決です。これは、どうやら、この武器不正取引に関わった賄賂を贈った方が有罪の判決を受け、15年の刑期を受けているのに、賄賂を贈られた方のズマ氏が、贈った側のシェビア・シャイク氏とともに訴追されなかったのは不都合であった、という何とも分かりにくい理由での判決でした。

今回の判決は、判事が、「ズマ氏が無罪か有罪かを判断しているのではない。この訴追が有効であるか、どうかだけだ。今回の訴追は、無効である」ということを繰り返し述べているのが印象的でした。

つまり、限りなく、有罪に近い人なのに、「訴追されるべき時に訴追されなかったから、今頃、訴追してもダメなんだよ」ということ!らしいのです。

私は南アの法律に詳しいわけではないので、この一連の動きを理解するのに苦労しました。それでも、新聞記事やテレビの報道、そして法律家の友人へのインタビューでわかってきたのは以上のことでした。

ここで、問題なのは、この訴追に関し、検察側に現職の大統領、ムベキ氏からの圧力があった、とする今回の判事の指摘です。そもそも、検察側が訴追に踏み切ったのも、ムベキ氏がズマ氏にANCの党首選挙で負けた数日後、というのも何やら疑惑を呼んででいるのです。

そもそも憲法により、2期10年の任期が来年に迫っているムベキ大統領。でも、このままでは、その任期満了の前に、大統領職を追われるかもしれません。


もう、『ズマ大統領!』の見出しが飛ぶ南アの全国紙


そして、南ア国内の黒人部族の権力争いがこの問題をまたさらに複雑にしているようです。

現大統領のムベキ氏は、元大統領・マンデラ氏と同族のコサ族出身。もともと、コサ族は法律家や医者などを多く輩出するインテリ層が多いといわれているのです。で、このズマ氏は南アの最大黒人部族であるズールー族出身です。ズールー族は狩猟民族で、最後までヨーロッパ人とも戦い抜いた戦闘的な部族と言われます。

コサ族にすると、どうしてもこのズマ氏のことをすんなりと大統領として認めたくないような気分もあるようです。

ズマ氏は、ズールーの文化として伝統的に許されている複数の奥さんがいるし、現在だって、4人目か5人目の奥さんの家族へ結納金を納めている途中でもあります。彼は、故郷に帰るときはヒョウの皮の民族衣装をはおったりして、なかなか、パフォーマンスも上手な民衆政治家なのです。地方に熱狂的なズマ氏の支持者が多いのも彼の特徴です。

しかし、このままで行くと、彼が、遅くとも1年以内には、近代化の路線をまっしぐら!のはずの南アの大統領になるわけですから、「う〜ん」と多くのズールー族以外の南ア人が眉を吊り上げているのも理解できます。

そういえば、彼は、ちょうど『南アの田中角栄』!、と言えばイメージがわくでしょうか。それとも、角栄さん自体がもう日本では忘れ去られているのでしょうか。

ジンバブウェも南アも、これから政治が大きく変化することには間違いありません。

泣きました [2008年09月08日(月)]
 
本を読みながら泣きました。
……さめざめと。

でも、残念ながら、本の内容に感動して泣いたのではないのです。

ちょっと写真からは見えにくいかもしれないのですが、ページが、64から89まで飛んでいます!これまで、それこそ、数え切れないくらい本を読んできていますが、こんな大胆な落丁に出会ったことがありません。



ひ、ひどすぎます。

実は、読書は、私の数少ない趣味のひとつで、仕事をしているか、寝ているか、食べているか、……以外の時間は、できれば本を読んでいたい、と言っても大げさでないくらい、私にとって、本を読むのはものすごく大切なことなのです。

私の読書ゴールデンタイムは朝と夜のお風呂の時間です。その日の気分でバスオイルや入浴剤を入れたお風呂にゆっくりと入りながら、だいたい4日か5日かけて一冊の本を読んでいきます。ここは南アフリカ・ダーバンですから、日本語の本はめったに手に入りません。ですから、普段、私が読む本は英語の本です。

正直言って、「英語を勉強してきてよかったなぁ」とつくづく感じるのは、英語での本が楽しめることかもしれませんね。でも、さすがに、日本語を読むのに比べたら時間がかかるので、本の値段の高い(ペーパーバックで約2千円弱)南アでは経済的にもちょうどいい、というおまけつきです!

私の本の読み方は作家中心です。だいたい、2、3名のご贔屓がいて、彼、彼女たちの新作を目ざとくキャッチして読んでいきます。

そんな私がいま、愛読しているのは、米国の作家のHarlan Coben、とJ D ROBB、それからアイルランド出身(子ども時代はケニアで過ごす)の姉妹Barbara and Stephanie Keatingです。特に、最後のKeating姉妹、驚くべきことに、これまで出版した三冊(To My Daughter in France, Blood Sisters, A Durable Fire)を二人で執筆しているのです。誰がどこを担当したかもまったく不明。私はこの最後の二冊、ケニアが英国から独立した直前直後の物語を夢中で読み終えました。




この壮大なスケールで語られるアフリカの物語に、「本よ、終わるな!」と叫びたいほどのめり込んで読んでいました。登場人物の深みとか、アフリカで生活したことがないとなかなか共感できないような人種間の葛藤などが見事に描かれていました。この本の紹介はまた改めて。

で、デトックスではないのですが、このように濃密で、壮大なスケールの小説にどっぷりつかったあとは、何と言っても Harlan Coben のサスペンスで頭の切り替えをします。

Cobenの本は二種類あります。ひとつは、Myron Boliter というスポーツエージェントの周りで起きるサスペンスです。もうひとつは、一冊づつ完結のこれまたサスペンスです。Cobenの小説は、最後の数十ページしかないのに、まだ物語が展開しそうな気配にドキドキしながらページを進めるようなスピード感が楽しめます。Coben の本のお話もまた次の機会に。

さて、今日の本題に戻ります。

朝もまだ暗いうち、お風呂の中で私がさめざめと泣くくらい悔しかった落丁のあった本の紹介をしましょう。なんと、この小説、シリーズの26作目です。もちろん、フフフ、全部読んできています。



私にとって、もうこの物語の中の登場人物は家族のようなものです。毎回、「あの人はどうなっただろう、彼とあの彼女の関係はまだ大丈夫だろうか」と真剣に心配しながらページを追っていきます。

だから、私の所属するブック・クラブの友人たちに揃って、どんなにこの作者のことを馬鹿にされようと、私は何とも思いません。屁の河童です。だって、もう家族同様の登場人物ですから、親戚のおばさんが彼らのことを読んでいるようなものなのです。

でも、どうして、このJ D ROBBが一般の本読みという人から馬鹿にされるかというと、彼女は別名、Nora Roberts といって、何と、ロマンス小説!の女王なのです。

日本語にも彼女のロマンス小説は数多く翻訳されているはずです。実際、彼女の他の小説も何冊か読んでみましたが、登場人物は全員が世紀のハンサム、美女。そして、ヒロインかヒーロー、どちらかが暗い過去を持ち、そこに絡むのが、お金持ちで心優しいヒーローか、ヒロイン。この典型的な設定は数冊でちょっと食傷気味になります。

でも、このDeathシリーズは違うのです。これは、近未来探偵小説、とでもいいましょうか。作品の舞台は2060年のニューヨークです。かなり悲惨な過去を持つNY市警の警部補イブ・ダラス。彼女の夫は、大富豪のローキー。彼もアイルランド出身のかなり危ない橋を渡ってきた男です。

この二人を取り巻くのは、NY市警の部下とか上司、ローキーの豪華絢爛な家の執事とか、イブの親友のロック歌手メルビスとその夫、愛娘、それから、NY市警の心理学者であり犯罪プロファイラーのミラ博士とその夫……。

こういったカラフルな登場人物の出会いからその関係の進み方などが、毎回起こる殺人事件に絡めて書き込まれているのです。このシリーズは、その名もずばり、Death シリーズ。一巻目が Nacked in Death で、そのあと、最後の Stranger in Death まで本当にいろいろな“死”が描かれています。


シリーズの中のベストは何かな〜と考えてみれば、
これです!この Origin in Death をお勧めします!


また舞台の設定が2060年のニューヨークなので、その時代のファッションとか、警察の捜査の方法とか、はたまた社会の不安やら幸福感、ついでに、住宅事情など、これでもか、これでもか、と作者の尽きることない2060年頃の世界を想像する力に毎話感心します。

これはまったくの夢物語。でも、胸がキュンとしたり、苦しくなったり、読んでいて時間を忘れてしまいます。

どんなに仕事が忙しくても、夜寝る前に30分、朝起きて30分、この世にこの楽しみがある限り、私はがんばれますねぇ。日本の萩尾望都などのSFまんがにも唸りますが、この近未来探偵小説、まだまだシリーズは終わりそうになく、一年に二回のペースで発表される新作が楽しみです。

それから、久しぶりの本の話題ですので、もうひとつおまけです。

皆さんは、『エラゴン』というファンタジー小説を読んだことがありますか?これはクリストファー・パオリーニという若干21歳の作家の書いているドラゴン・ライダーの話です。第二作目が『エルディスト』。そして、なんと三部作の最後の作品、『ブリシングラ』が全世界一斉に9月20日に発売になります。

『エラゴン』は映画にもなっていますが、この映画はまったくの失敗作。原作の100分の1の魅力もありません。皆さん、ぜひ、原作を読んでみてくださいね。その想像力と筆力は、かの『ハリーポッター』にも匹敵するくらいです。いや、正直に言うと、ファンタジーとしては『ハリーポッター』の上を行くかもしれません。この第1部作をパオリーニが書いたのが、彼が16歳のとき、というのもすさまじい話です。

ああ、本当に、“本”って、素敵です。

名古屋近辺の皆さん、『Cafe & Dine 桜』をよろしく! [2008年09月01日(月)]
 
私には二人の妹がいます。上の妹は、現在、愛知県名古屋市に住んでいます。また、下の妹は、南ア・ダーバンで彼女の子どもたち二人と暮らしています。

そして、今日は、上の妹の連れ合いが今年5月にオープンした、名古屋の近く、春日井市のカフェレストランを紹介させてください。

お店の名前は、『Cafe & Dine 桜』と言います。


住所は春日井市気噴町北1-160、電話0568-51-5157
営業時間は、月曜日を除く毎日午前9時半より午後9時まで


妹の連れ合い、エルウィンはドイツ人です。


も、ものすごいピンボケでごめんなさい!


妹・智子とはインドネシア・バリ島で知り合いました。そのころ、妹は東京で経営していた事業の関係で、頻繁にバリ島を訪れていました。

エルウィンはそのとき、バリ島シェラトンの料理副総長をしていましたが、縁があって、智子と結婚し、日本に移り住みました。

しかし、諸般の事情により、それまでしていた事業を閉めることになった二人は、名古屋近郊で新しい生活を始めることになったのです。

エルウィンの料理は真の意味で多国籍料理です。

まず、彼の経歴がすごいのです。

ドイツでの料理学校を終えたあと、数年は欧州内で修業をしました。その後、トルコ、南アフリカ、サウジアラビア、中国、インドネシアなど各国を渡り歩き、何と合計15カ国でのレストラン、ホテルでその腕を振るいました。

『Cafe & Dine 桜』のメニューの中でのお勧めは、BBQスペアリブ(\1200〜)です。特製のマリナードに付け込まれたエルウィンのスペアリブは、本当にジューシーで美味です。



それから、特筆したいのは、メインのお料理に添えられているサラダや付け合わせの野菜類の複雑なプロの技です。お味にちょっとうるさい方であれば、彼のこの手抜きなしの味に唸るはずです。

また、エルウィンのローストビーフは、予約が必要ですが、絶品です。『Cafe & Dine 桜』の二階には、20名様まで収容できるパーティスペースがありますので、いろいろなご要望にお応えできると思います。

さて、エルウィンがこの誰も知り合いがいない土地でレストランを始めよう、と決意したのは、理由があります。これは一重に、妹・智子のためなのです。

実は、智子は長年の過労が原因で、ここ何年もすい臓炎を患っています。すい臓炎は実は治療がかなり困難で長期間に渡る抗生剤の服用が欠かせません。が、同じ抗生剤を一生服用するわけにはいかないらしいのです。

この病気にかかってから、油分の摂取を極端に制限する状態が何年も続いたのですが、去年、彼女には運命的な出会いがありました。それは、整体を通して内臓系の病気を治す、という、オルタナティブ医療のひとつでした。

家族としては、結果として、強い抗生剤から解放され、顔色も体調もぐっとよくなった妹の姿に安心するしかありません。

が、智子の他の人と違うところは、東京での生活にも見切りをつけ、この整体の先生のところに弟子入りをしたい、と言い出し、実行してしまったのです。

エルウィンは、それまで、実家の運送業(これもまったくの職違いで何ともいいようがなかったのですが……)を手伝っていたのですが、この智子のこの弟子入りをきっかけにして、二人で名古屋に移り、今回のレストランの新規開店、と相成ったわけです。

姉として、このドイツ人の義理の弟には感謝しても感謝の言葉は言い尽くせません。故郷から遠く離れた日本で、そう大して上達もしていない日本語を使って、レストランを経営していくのは大変だと思うのです。

でも、彼のゆるぎない、「夫婦はお互いのために協力して当然」という固い信条には本当に毎回のこと、感動させられます。

数々の困難もなんのその、エルウィンのドイツ人としての本領は簡単にあきらめないこと。私は、この新しいレストランが成功することを願ってやみません。

春日井市、また、名古屋近辺の皆様、この記事をご覧になって、『Cafe & Dine 桜』にお越しいただくときは、どうぞこの記事をプリントして持っていってくださいね。cafeglobe ユーザーさんに、特別に、エルウィンがドイツから直輸入しているフルーツ・ティのサンプルをプレゼントしてくれるそうです。このフルーツ・ティも爽やかで飲み心地がいいお茶です。どうぞ、お試しあれ。


フルーツとハーブのブレンドで美しいルビー色のフルーツ・ティ
ローズヒップやハイビスカスが入っていてビタミンCの宝庫
そのままでも、カクテルのベースとしても美味しい

小さな“優しさ” [2008年08月25日(月)]
 
日本から遊びに来てくれた友人のお嬢さんと2週間弱一緒に生活をして、ここダーバンで私が最近触れていない、“あること”に気づかされました。

その“あること”とは、そのこと自体に気づくのさえちょっと時間がかかって、でも、その後、ゆっくりと、自然に手が胸に上がってきて、くちびるがほころんで、「はぁ」、と小さなため息をつきたくなる……。それは、そんな、日本の少女の“優しさ”のことです。

南ア移住前の私の仕事は、日本の英語の先生たちに“国際理解教育”という概念を含んだ英語の教え方を、オリジナルな教材を通して伝えていくことでした。その一環として、東京の外れにあった私の自宅で開いていた教室で、私は小学生から高校生までの日本の子どもたちに囲まれていました。

そこで、繰り広げられる子どもたちの何気ない話や打ち明け話に何度胸を熱くしたことでしょう。一見、乱暴にさえ聞こえる子どもたちの中にある小さな“優しさ”。気をつけていないと、目の前をものすごい速度で通り過ぎてしまうような“優しさ”です。別の言葉でいえば、子どもたちの仲間に示すちょっとした“思いやり”でしょうか。

昭和30年代に育った私とは、明らかに異なる環境に生きる現代の日本に住む子どもたち。でも、彼らの中には時代を超えても何ら変わることのない暖かい優しさがたくさんありました。

でも、多くの大人が現代の日本の子どもを非難します。

「我慢が足りない」
「感謝を知らない」
「礼儀をわきまえない」
「人の心を分かろうとしない」

そういった批判を聞くたびに、私はこういう大人は子どもたちに心を開いてもらっていないのだろうなぁ、と思います。

子どもたちは大人と違い、自分の損得で自分を語ることはあまりないと思うのです。特に日本のように、直接的な飢餓や戦争といった大きな危険から守られている国に住む子どもたちは、大人との付き合い方が途上国の子どもたちとは異なります。

子どもたちが大人に表立った敬意を表さない風潮は、ある程度の裕福度がある社会では共通のことです。私はこれを米国でも、欧州でも、日本でも身近に見てきました。でも、これは子どもが選んでしていることではありません。だから、これをして先進国の子どもの大人への態度を非難するのはお門違いです。

現代の日本社会で起こっている子どもたちの犯罪だって、これは社会の中心にいる大人たちが猛反省することだと私は思っています。どうして、親を殺すまでに子どもたちが追い詰められているのか。しかも、親を殺す明確な理由もなしに行われるこういった事件は、個別にその理由を探すことも必要ですが、社会として何を子どもたちに示していくべきか、を大人全体が考える時期に来ていると思うのです。

さて、話は元に戻って、この14歳のリコちゃんの“優しさ”をちょっとお話しましょう。

リコちゃんとヤコちゃんは5歳違いの姉妹です。



リコちゃんはとっても真面目なお姉さんで、妹ヤコちゃんの活発で怖いもの知らず、末っ子ならではの奔放な性格にちょっとめげるときもあるのでしょう。ヤコちゃんの発言の中にちょっとずうずうしいニュアンスが続くと、「ああああ、もういい加減にして!」と思うときもあるようでした。

でも、私も二人の妹がいますから、これはもう自然な姉妹の葛藤であることがよく理解できます。

ところが、ある日のこと、買い物に出かけた先で、ヤコちゃんのことをとっても可愛らしい、と思ったインド人のおばさんから、「この子はかわいい男の子ね!」とヤコちゃんが言われたのでした。

ヤコちゃんは「えっ?いま、なんて言ったの?」と聞きます。



その時ちょうど一緒にいた姪が、そのまま英語を日本語に訳そうとしたのです。すると、リコちゃんが、ヤコちゃんに見えないように、姪に首を振って、

「ヤコが元気で可愛いい、って言っているみたいよ」

と、あえて彼女のことを男の子と間違えたことを言わせなかったのです。

これは、リコちゃんにとっては何気ないことなのかもしれません。

でも、私の周りの日本人でありながら南アフリカの社会で育つ甥や姪、ショウコなどには、ヤコちゃんが男の子に間違われたことは、そのまま本人に伝えても、何も差し障りのない程度の内容と理解しているはずです。「ははは、男の子に間違えられちゃったね!」でケロッ、と皆で大笑いしてお終い!でしょう。

でも、リコちゃんには、ヤコちゃんが、自分が男の子と間違えられたことで、あとでちょっと、「……むむむ」と、眉をひそめることが想像できてしまったのでしょう。

たまには、「ああ、うるさい妹!」と思うこともあるはずなのに、こういったとっさの時に、瞬時に相手の感じ方まで慮って、自分の行動に移せる“優しさ”は、日本の子どもたちのきらきら輝く特技だと思います。こういった細やかな思いやりがどれだけ日本の文化の中で重要視されてきたことでしょう。

リコちゃんのこの優しさは、お母さんの優しさのカーボンコピー。遠くから人を優しく慮る亜紀子さんの元で育つからこそ、こういう細やかな心遣いができる少女に育っているのです。

そして、周りにいる大人は、そういった小さな“優しさ”を身近に見かけたら、どんどん子どもたちにその素晴らしさを口に出して褒めてあげて欲しいと思います。

私は、このリコちゃんのヤコちゃんに示してくれた、この“小さな優しさ”、に触れさせてもらって、「はぁ」とため息がでて、心が軽くなりました。「ああ、なんて素敵な思いやりだろう」と、その後、何回もこのことを思い出して心が弾みました。



リコちゃん、ありがとう!

リコちゃんの優しさは本当に素敵。そして、英語だって、あのインド人のおばさんの英語がしっかり理解できた、ということはたいしたものです。自信を持ってね。

人のつながりとは不思議なもの。一回つながった線はお互いが大切に扱うことによって、太く、長く、延々と繋がっていくのです。

20年前のリコちゃんのお母さんとの出会いが、こんな形で私たちにこの素敵な日本の少女とのひと時をプレセントしてくれました。

リコちゃん、ヤコちゃん、亜紀子さん、またいつでも、アフリカに遊びにおいでね!


日本からのお客様 [2008年08月19日(火)]
 
いま、日本の学校の夏休みを利用して日本から、友人とそのお嬢さんたちが南アフリカに遊びにきてくれています。

このブログのタイトルにもあるように、私はいつも、私の友人知人に、

「おいで、おいで、アフリカに遊びにおいで!」

と言い続けています。

それは、もう、ただただ単純に、多くの人にこのアフリカのことを身近に思って欲しいからです。

さて、今回のお客様は横浜から星野亜紀子さんとそのお嬢さんたち、リコちゃん、ヤコちゃん。残念ながら、お仕事の関係で亜紀子さんの旦那さんは今回日本でお留守番です。実は、亜紀子さんは独身時代、青年海外協力隊に参加されてこともある、アフリカ大陸にはちょっとうるさい女性です。

亜紀子さんと私たち夫婦は、もう20年以上のお付き合いです。西アフリカのリベリアで同時期に青年海外協力隊に関係していました。現在、彼女は福祉関係のお仕事に就いていますが、もともとの専門は家畜飼育で、リベリアではガンタという地方で、ライ病患者さんたちのコミュニティで働いていました。新鮮な豚肉を彼女がガンタから供給してくれたことを今でも思い出します。

小柄で可愛らしいかった20年前の彼女が、職業とはいえ、丸々と太った豚を堵殺し、解体し、と言った作業までこなすのを知って、彼女を心から尊敬したものでした。スーパーマーケットでしかお肉を買ったことのない生活がいかに不自然か、ということを、身をもって教えてくれたのも彼女です。

さて、今回、彼女とお嬢さんたちのために、この周辺の見所、して欲しい、見て欲しいところをいろいろリストアップしました。ただ、この亜紀子さんも含めて日本からのお客さんは、長い休暇が取りにくく、旅行期間はせいぜい2週間が限度、とよく言われます。

が、日本からアフリカまで来るためには、往復で4日もかかってしまうので、合計の旅行期間が2週間でも、実質南アで動けるのは10日前後しかない、という厳しいことになってしまいます。

でも、10日間でも、彼女たちには、ダーバン中心500キロ圏の見所をたっぷり満喫してもらいました。具体的に今回実行した主なツアー内容を箇条書きしてみると、こんなに盛り沢山に!

・ダーバン市内見学
・日本語を学習している南ア人と一緒にパーティ
・ドリームセンター(HIV/Aidsの症状緩和措置病院)見学
・ドラッケンスバーグ少年合唱団コンサート
・アードモア陶芸工房見学
・ドラッケンスバーグ・ジャイアントキャッスルハイキング
・シュシュルイ動物保護区サファリ
・ウシャカ・マリーン・ワールド水族館見学

この中のドラッケンスバーグというのは、ダーバンから車で2時間ほど内陸に入ったところにある世界遺産にも登録されている素晴らしい山々が連なる観光地です。そしてこのドラッケンスバーグ少年合唱団は寄宿制の男子校で、学校のある期間は『水曜コンサート』という企画があり、世界でも有名なこの合唱団の素晴らしい音楽を楽しむことができます。

この学校は日本の学年でいえば、小学6年生から中学3年生までの男の子が100名ほど集う私立の学校です。勉強、スポーツのほか、その名の通り、合唱団が主体の珍しい学校です。世界的にも有名で、日本にも何回も来ています。世界中の合唱団の中に入っても、そのレベルの高さはかの有名なウィーン少年合唱団にも匹敵するといわれています。



彼らはその演奏で収入を得ることができるプロでもあります。水曜コンサートの料金は大人で1300円ほど。演奏の合間に必ず「ご寄付もお願いしま〜す!ドルでも、ユーロでも、円でも大歓迎です」と言われてしまいます。

私は日本からのお客さんには、必ずこの合唱団の水曜コンサートに合わせて日程を組むようにしています。またこの合唱団の近くには、これまた世界的にも有名になってきた、アードモアという陶芸の工房があるのです。このユニークなアードモアのことはまた別の機会に詳しく書きたいと思います。



さて、日本の皆さんは、“アフリカ”と聞けば、当前、“野生動物”を連想されると思います。でも、さすがにアフリカでも野生動物はそんなに身近な存在ではないのです。野生動物は、公営か私立の動物保護区にいます。

今回は、ダーバンから海岸沿いに3時間ほど北上した“シュシュルイ動物保護区”へ出かけました。宿泊はこれまた世界遺産でもある、セント・ルーシャ、という湿地帯で、キャンプをしました。あいにくその夜は久々の雨。ぐっしょり濡れてしまいましたが、これもよい思い出です。

さて、この保護区は、前述のとおりダーバンから3時間、というアクセスのよいところにあるのですが、ビッグ・ファイブと呼ばれる、ライオン、サイ、バッファロー、ヒョウ、ゾウがすべて揃っている保護区です。

今回のサファリはお天気が曇りだったため、動物たちが結構動きがよく、初日からライオン、サイ、バッファローがお出ましで、とっても幸運でした。ただ、残念だったのは、二日間ともゾウが見られなかったことでしょうか。



サファリは、大きな保護区の中を車に乗った人間が動いて、動物たちが自由に生息する姿を偶然に見せてもらう、ということが基本的なコンセプトです。ですから、たとえその保護区に動物がたくさんいたとしても、どの動物に会えるかは、その人の運やお天気次第なのです。

せっかく日本から来たお客さんにたくさんの動物を見せたい、と思っても、まったく動物たちに出会えない場合だってあるのです。

でも、だからこそ、このサファリがやめられない、という人も多いのです。ちなみに、今回のサファリで印象的だったのは、立ち姿もきれいな“きりん”たちでした。子どもたちもきれいなきりんの立ち姿に心を打たれたようでした。



亜紀子さんたち、今回の旅行がこちらの冬に当たったため、日本の過酷な夏からぽっと2週間だけ冬を体験するのはさぞかし大変だったと思います。

でも、下のお嬢さんの無邪気な、

「お母さん、今度はまた夏に来よう!」

に、みんながにっこりしました。

もう少し距離が近くて、飛行機代が安かったら、本当に、もっと多くの人にこのアフリカ体験を味わってもらえるのに、とつくづく思いました。

校長先生からBRAAIのお誘いが [2008年08月11日(月)]
 
娘ショウコの通う学校は、私たちの住むダーバン近郊の町から、内陸に向かってさら50キロほど東に入った、ピーターマリッツバーグという町にあります。

南アの学校は日本の学校制度とはちょっと違い、小学校が1年生から3年生までが一区切りです。そして、小学校中等部、とでも言うべき区切りが小学校4年生から7年生(日本では中学1年生)までです。そのあと、高校が5年制で8年生から12年生までと続きます。

ショウコがこの女子高校(全寮制ではないが、ショウコは寮生)に入学を決めたいきさつは、以前にも書かせていただきました。

さて、南アは学校の一年は毎年1月の後半から11月までです。ですから今年はこの段階でもう半分以上の学校生活が過ぎてしまったことになりますね。

ショウコはこの学校が大変気にいっていて、毎週、本当に嬉しそうにその週の出来事を報告してくれます。週の後半まで彼女のいない生活に慣れてきた家族は、金曜の夜、彼女が帰るや否や嵐のように始まるおしゃべりに、全員が、「……むむむ、母(兄、父)として、このおしゃべりは聞いてやらないといけないのだな」と忍の一字になります。

でも、あまりのうるささと、その取り上げる“はなし”がまさにティーンエイジャーの女の子のことなので、ちっともおもしろくないのです。また、ショウコの話術というか、話し方が、実況中継風なので、どこがどうなっているのかがさっぱり把握できないうちに、次の会話に移っている、ということがあまりにも多いのです。そこで、1時間もしないうちに、誰かが、

「う、うるさい、少し黙ってくれ!」と悲鳴をあげることになります。

でも、本人いわく、
「あのねぇ!家族に話をするティーンエイジャーの女の子のほうが珍しいんだから聞きなさい!」

家族は、そういわれると、「う〜ん」と唸り、またほんの数分は我慢するのですが、一人二人とテーブルを離れ、最後の一人だけが彼女の餌食となるのでした。

と、そんなショウコの学校の先生から、こんな招待状が届きました。



この高校の1年生に入学した生徒たちと保護者が校長先生のお宅で行われるBRAAIに招待されたのです。この学校の広い敷地内の一角に素敵な一軒家があって、そこに校長先生がご家族で住まわれています。ほがらかな女性の校長先生です。

さて、BRAAI とは何だと思いますか?

BRAAI とは、アフリカーンス語で、肉を焼く、料理する、という意味があって、南部アフリカ一帯で、外で炭やガスを用いて行うバーベキューのことをこう呼ぶのです。

そういえば、同じ南部アフリカにあるマラウィでもお肉さんに、“BRAAI 用の肉”、という表記をよく見かけましたっけ。

さて、南アの BRAAI の作法をご紹介しましょう。今回のご招待では、主催者の校長先生が、お肉などを用意してくださっていましたが、本来、BRAAI に招待されたら、あなたも自分の食べる分の肉類を持参しなくてはいけません。

当初、こういったことを知らなかった私たち家族は、BRAAI に招待されて、主催者の用意してくれたお肉をいただいていました。でも、よくよく観察すると、他の招待客も各自クーラーボックスに自分の好みに味付けされたお肉を持参しているのです。聞いてみると、南アのBRAAI はそれが習慣だというのです!

でも、考えてみれば、南アは宗教的にも食事にいろいろなルールがある人もいるので、大勢が集まるとき、これはとってもいい形のポットラック・パーティです。主催者は、だいたい、サラダやパン、デザート、それと炭を用意しています。



さて、今日は、御覧のように、大きなステンレス製の入れ物に、くし刺しのチキンと、南ア名物、ボルワースと呼ばれる、ものすごくスパイスのきいたビーフのソ−セージが用意されていました。このお肉類を自分の食べられる分だけ取って、あとは、ドラム缶を半分に切って、炭をおこしてあるBRAAI用グリルで肉を焼きます。



自分たちの好みの焼き加減に仕上げたら、出来上がりです。パンやサラダと一緒に食べます。

今回のこのピクニックでは、ショウコの一番仲良くしている二人の女の子の家族とも楽しく話ができて嬉しかったです。

一人の女の子の家は、ウガンダ出身のお父さんと南アのお隣の国、レソト出身のお母さん。もう一人はシングルマザーで二人のお子さんを育てている南アのリチャーズ・ベイ出身のお母さん。南アフリカのこんな田舎町で、みなが、「まあ、こんなところで知り合いになれて、楽しいわねぇ」とほほ笑みあいました。



冬とはいえ、気温は25度、澄み切った青い空の下、楽しそうに話をしながら、笑い転げる大勢の14歳の女の子たちを見ていて、新しいアフリカの世代が育っていることを実感しました。

そして、南アでよく聞かれるこの質問、今日も聞かれました。

“Are you Happy here?”
「あなたはここでシアワセ?」

私は、ニッコリ笑って、「はい、とっても!」と答えました。

冬を越す紫蘇 [2008年08月04日(月)]
 
南半球に位置するダーバンはいま、“冬”が終わろうとしています。

しかし、“冬”と言っても、日本の冬とは少々趣が異なります。ダーバンは気候が温暖で、朝晩はさすがに10度以下になったとしても、日中、太陽の下では30度を超える日もあるのです。

ですから、冬でも日中はTシャツ一枚でも大丈夫、となります。

さすがに、この頃の私はTシャツ一枚では寒いのですが、ダーバンの南アフリカ人は夏冬同じ服装をしている、と言っても嘘ではないと思います。もっとも、朝晩にはフリースのジャケットくらいははおるようですが。


「犬種は何ですか」と真顔で聞かれて、
「はぁ、シベリアンハスキーの雑種です」というと、
「ええハスキーってこんなに大きくなるの?」と驚かれます。
でもね、冬毛がね、よけいに彼を太っているように
みせているんですってば!


ダーバンがさほど寒くない証拠に、ダーバンの家々には暖房装置がほとんどないことがあげられます。

私たちの住んでいるウィンストンパークは、ダーバン港から内陸に30キロほど入った丘の上にあって、ダーバンの街中よりも朝晩の気温は5度以上低いはずです。それでも、我が家は茅葺の屋根のおかげもあり、最低気温は、家の中で12度くらいでしょうか。

でも、私たちにとって、これくらいは許容範囲です。実際、ダーバンよりもっと寒くなるエチオピアの首都アディスアベバや、マラウィのリロングウェに住んでいた時でも、暖房は使用しませんでした。そしてこれは、子どもたちが赤ちゃんのころからの習慣なので、彼らは「寒いから暖房を入れよう」という考え方自体をしないのです。

実は、子どもたちに、一年を通して冷暖房が必要ない生活がいかに恵まれているか、ということを、身をもって知って欲しいから暖房をあえて使わない、とも言えるのかもしれません。

せっかくアフリカに住んでいるのだから、季節の移り変わりの中で少し我慢することもいいではありませんか。ADSLなどのインターネットの設備など、先進国なみの暮らしもしているのです。だからこそ、ちょっとの我慢と工夫で、必要のないエネルギーを消費しないでいられるとしたら、それはとっても幸運なことです。

そして、そもそも、南アの生活は早寝早起きです。私も夕御飯を食べたあと、2時間くらいは仕事をしますが、そのあとは寝る前に熱いお風呂にゆっくり入って読書を楽しみます。その後、羽毛布団の中にもぐり込めばもう寒さは感じません。朝も私は読書の楽しみのため、30分は暖かいお風呂に入ります。その前の夜に読みかけている本を数ページ読んでいるうちに、もう体もほかほかしてきます。お風呂から出て、ちょっと暖かめのセーターを着込んで、熱いお茶をすすれば仕事モードに直行です。

でも、今日、庭を見ていて、ふと気がつきました。

この植物、何であるかお分かりでしょうか。さすがにちょっとしおれてはいるのですが……。



そう、これ、日本の紫蘇なのです。日本の紫蘇はもちろん、日本料理に欠かせない薬味です。アフリカに住んでいると、やはり紫蘇や茗荷など、日本の薬味が恋しくなります。そこで、アフリカ原産ではない食物をアフリカの土地に植えるのをいけないことだとは知りつつも、紫蘇を庭に植えてしまいます。



しかし、それにしても、ダーバンの紫蘇、すごいです。だって、実はこの紫蘇、去年の春頃(季節が日本とは逆なので、南アの春は9月〜11月)から頑張っている株なのです。今年は例年になく、ダーバンは寒さが長引いているのですが、その寒さにもめげずに、いまだにこんなに葉っぱが青青としているのです。

私の記憶が正しければ、確か、新しい紫蘇の株は例年、9月の下旬には地面から出てきます。ということは、ほぼ一年を通して紫蘇を楽しんでいることになります。もちろん!温室で育てているわけではありません。純粋に地面からすっきりときれいに育っている紫蘇なのです。

これは、やはりダーバンが一年を通して過ごしやすい土地であることの何よりの証明ですね。


我が家の冬のお楽しみ!
庭の木にたわわに実るアボカドです
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プロフィール
Profile
吉村峰子
(日本語/英語教師・ライター・通訳)
東京都生まれ。1980年頃より日本語・英語教育に関わる。教えた国は、日本、米国、デンマーク、ドイツ、リべりア、エチオピア、マラウィ、南アフリカなど。1986年頃より、アフリカと日本を交互に生活した後、2003年、南アフリカ・ダーバンに家族とともに移住。現在はダーバンで日本語・英語教育、執筆業、通訳業で大忙しの毎日を送る。
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