先日、前回のコラムに登場した一場もとえさんを囲んで、私の日本語と英語の生徒さんたちと一緒に日本・南ア持ち寄りランチ・パーティをしました。そのパーティでは、茶道の師範であるもとえさんの着物姿に触発されて、ショウコも振袖を着せてもらいました。
ショウコさん、身長175センチもありますから、帯の下に出るであろう“おはしょり”もなし!そんなに太っているわけでもないのに、体格そのものがいいんでしょうね、私の妹たちが30年以上も前に来た振袖も、幅が足りないほどでした。
でも、日本の振袖は皆さんに大評判で、本人は、「マトリック・ダンス(卒業ダンスパーティ)はお振袖を着たい」と言いだしました。う〜ん、母は着付けができないので、おばあちゃんに元気でいてもらわねばなりません。
ちなみに、このマトリック・ダンス、女子高だろうが、男子校だろうが、パートナーにはまったく困らないようです。ショウコたちの学校の近所には、男子校もたくさんあって、月に最低でも一回は、各学校で、“ソーシャル”という催しが開かれます。それぞれがそれぞれの生徒たちを招いてダンス・パーティをしています。学校の催しながら、夜のディスコ・パーティで、みなさん気合いを入れておしゃれして出掛けるようです。
ショウコたちの学校の今年のマトリック・ダンスの様子は
ここからどうぞ。南アの高校生、おしゃれをすると迫力がありますよね。このパーティにショウコは振りそでで行きたい、と。あっぱれ!です。
さて、今ではこんなに大きくなりましたが、もちろん、これまでにはいろいろありました。我が家の二人は、個性たっぷりで、四季折々、というか子育てのいろいろな場面を思い返しています。
今週は、同じ cafeglobe の
政井マヤさんの記事にちょっと触発されて、息子カンジが幼かった頃のことを思い出しました。マヤさんのお洋服が汚れることなんかまったく気にせず、お嬢さんを公園の砂場で遊ばせている大らかさが本当に素敵です。子どもって、きれいなお洋服のために、大人しくさせられるより、泥んこ遊びが大好きなんですよね。マヤさん、エライ!
さて、カンジがまだまだうんと幼くて、言葉数も少なかったころ、彼が最初に通わされた保育園では、彼を理解してくれる大人に恵まれなかったように思います。
「団体行動ができません」
「ひとつのことを始め、それが気にいると、次の別の活動にスムーズに移行できません」
「お話をするより、一人でぼ〜っとしているほうが好きなようです」
「みんなで一斉にするお遊戯には絶対に参加しません」
……などなど。いまでも、あの頃の保育園からの連絡ノートを見ると、背中に寒気が走ります。どうして、まだ人間に生まれて間もない2,3歳児にここまでの団体行動を強制するのか、もう20年近く経ったいまでも全く理解できません。
まあ、もちろん、こういったことにはキチンと抵抗する親であった私たちは、こういう“観察意見”を書かれるたびに、
「団体行動がこの年齢に必要なのはどうしてでしょうか」
「たくさんのことができるより、自分の好きなことひとつふたつがじっくりできる方がいいですね」
「一人でぼ〜っとすることが好きなので、好きにさせてくださいね」
「お遊戯に参加できないのは何か理由があるのでしょうねぇ」
と、“やんわり”ながらも、徹底応戦していました。
でも、ある時、若い先生方の会議を偶然聞いてしまった私は驚愕しました。先生たち、保育園の経営者に、「子どもたちばかりでなく、私たちが教育していかなくてはいけないのは、子どもたちの親も含みます」と、教えられているではありませんか。
私たちは30代、若いお姉さん先生たちは20代前半。たとえ私のように教育を専門としているものでなくても、これはいささか“お門違い”だと思いました。私たちは、保育園には、あくまでも、子どもたちの安全を確保すること、子どもたちが安心して社会性を育むこと、の二点を期待していたので、先生方が、私たち親にまで“教育しよう”と燃えていたとは、本当にびっくりしてしまいました。
さて、そんな我が家の“子育て観”にぴったりと来なかった保育園ともお別れすることになりました。夫がエチオピアに赴任することになり、私も第二子を妊娠していることがわかったので、出産まで私の実家に戻ることになったのです。先生方もほっとしたでしょうね。
最後に挨拶に伺ったとき、主任の先生から、「カンジ君は、私立小学校に進学したほうがいいですよ。公立の小学校では彼のわがままはききませんから」とも!
「う〜ん、こんなに小さな人をこんなに簡単に“外れ者”のラベルをつけるのはおかしいなぁ」と思いながら帰宅したことを思い出します。また、公立がダメで私立だったら大丈夫、というのもどんな根拠があったのか、なかったのか……。私のようにずうずうしくなく、また自分のしていることにちょっと不安を持つようなお母さんだったら、さぞかし、気落ちもし、あるいは傷ついたかもしれませんね。
私は、カンジの個性を誰よりも大切にしていたし、彼のユニークな性格が大好きだったので、「まあ、そうですか、私はそうは思いませんけれど。それに、カンジはこれから日本の中だけにいるわけではないので、どこの学校に入学するかは、その時にベストの選択ができればいいと思っています」と伝えました。
でも、その後起こったある出来事を通して、実は私もこの主任先生の言葉に結構傷ついていたのが分かりました。
この保育園を退園して、次に伺ったのは、実家の近くの自然保育で有名な『コロリン村幼児園』でした。ここは無認可、トイレはぽっちゃんトイレ、子どもは冬でも裸足がよければ裸足、朝から夕方までとにかく子どもたちが目いっぱい、体いっぱい遊びに徹することで有名な子どもの楽園だったのです。
園長先生がおっしゃったのは、「バカはいない。誰もバカじゃない。グズもいない。子どもは無限の力に満ちている。子どもにラベルを張る大人は信じるな」でした。私はこれを聞いて、不覚にも、涙がぽろり。つい、数日前に、“外れ者”のラベルを張られたカンジのことを、やはり不憫に思っていたのでしょう。
園長先生の面談が終わって外に出て見ると、それは確か2月の寒〜い午後でした。前日に降った雨で、園庭のところどころに水溜りがありました。特に滑り台の前には、かなり大きなモノができていたのです。
そして、何を思ったか、その水たまりを見たカンジ、目が一瞬キラッ!と輝いたと思ったら、その水たまりに頭からヘッドスライディングしたのです。“ばっちゃ〜〜〜〜ん!”という大きな水しぶきを上げながら!彼は、笑顔満面、頭から泥まみれ。外は気温10度もなかったでしょう。
私は、母親の勘で、カンジが不穏な動きをする気配を察したもの、その頃妊娠後期でとにかく動きが緩慢、とっても彼の素早い動作にはついて行けず、まんまと「やられた!」と思いました。
が、そのあと、このコロリン村の他の先生方がわらわらと園庭に出てこられて次々と目を細めて、こう言うではありませんか。
「いや〜、久しぶりにコロリンにふさわしい子どもが来ましたなぁ。ここ数年、カンジくんのような野生のオトコが少なくなっていて、さびしい思いをしていたんですよ」
「そうそう、数年前までは、カンジ君のような子が主流だったんですがねぇ」
私はこれを聞いて、「ああ、カンジは何とラッキーなやつなんだ」と心から安心したのでした。
そして、当の本人に、「どうして水たまりに飛び込んだの」と聞くと、
「う〜ん、だってね、だってね、おいでって……」
その後彼はエチオピアに行くまでの数か月間、この「コロリン村」で、夢のような日々を過ごしました。それがどんなに彼に合っていたかは想像に難くないでしょう。
でも、後日談として頭を抱えたのは、その後エチオピアのアディスアババで、米国系のインターナショナルスクールに入学した彼、ここでも“押しつけ勉強”に徹底抗戦。その頃私の主宰していた団体の会報には、午前中はいたずらして教室の隅でお仕置き、ランチを食べた後は一人机で熟睡をするのが、彼が見つけた“処世術”だった、と書いた記憶があります。
そして、2年半後、転勤族の定めでこの学校も去る日が来て、彼にまた日本への帰国を告げたとき、1メートルほど舞い上がり、大喜びしました。
どうしてか。
何と、彼は次の日、学校で、友達たちにこう吹聴していたのです。
「日本の学校はいいんだぞ〜。朝から夕方まで遊ぶんだ!マス(算数)もイングリッシュもないんだぞ。ああ、早く帰りたい!!」
なんと、彼は、とっくに小学生になっていると言うのに、日本に帰ればあの子どもの楽園・コロリン村に再転入できると思いこんでいたのでした。
その後、彼が真実を知って、愕然としたことも愉快な思い出です。
いよいよ日本へ出発です。ダーバン、ヨハネスブルグ、ドバイ、
関空、羽田とつなぎます。二人とも長旅お疲れ様です!
ショウコの学校でもとえさんと