吉村峰子のアフリカに遊びにおいで!

見る、触る、聞く、嗅ぐ、味わう、交わる、そして考えるアフリカ。大変なことも楽しいことも、“そのまんま”のアフリカをお届けします。

子どもたちが成長するいろいろな場面で

2009年6月29日(月) 20:50
先日、前回のコラムに登場した一場もとえさんを囲んで、私の日本語と英語の生徒さんたちと一緒に日本・南ア持ち寄りランチ・パーティをしました。そのパーティでは、茶道の師範であるもとえさんの着物姿に触発されて、ショウコも振袖を着せてもらいました。

Shoko Kimono.jpg


ショウコさん、身長175センチもありますから、帯の下に出るであろう“おはしょり”もなし!そんなに太っているわけでもないのに、体格そのものがいいんでしょうね、私の妹たちが30年以上も前に来た振袖も、幅が足りないほどでした。

Shoko Tea Ceremony.jpg


でも、日本の振袖は皆さんに大評判で、本人は、「マトリック・ダンス(卒業ダンスパーティ)はお振袖を着たい」と言いだしました。う〜ん、母は着付けができないので、おばあちゃんに元気でいてもらわねばなりません。

ちなみに、このマトリック・ダンス、女子高だろうが、男子校だろうが、パートナーにはまったく困らないようです。ショウコたちの学校の近所には、男子校もたくさんあって、月に最低でも一回は、各学校で、“ソーシャル”という催しが開かれます。それぞれがそれぞれの生徒たちを招いてダンス・パーティをしています。学校の催しながら、夜のディスコ・パーティで、みなさん気合いを入れておしゃれして出掛けるようです。

ショウコたちの学校の今年のマトリック・ダンスの様子はここからどうぞ。南アの高校生、おしゃれをすると迫力がありますよね。このパーティにショウコは振りそでで行きたい、と。あっぱれ!です。

さて、今ではこんなに大きくなりましたが、もちろん、これまでにはいろいろありました。我が家の二人は、個性たっぷりで、四季折々、というか子育てのいろいろな場面を思い返しています。

今週は、同じ cafeglobe の政井マヤさんの記事にちょっと触発されて、息子カンジが幼かった頃のことを思い出しました。マヤさんのお洋服が汚れることなんかまったく気にせず、お嬢さんを公園の砂場で遊ばせている大らかさが本当に素敵です。子どもって、きれいなお洋服のために、大人しくさせられるより、泥んこ遊びが大好きなんですよね。マヤさん、エライ!

さて、カンジがまだまだうんと幼くて、言葉数も少なかったころ、彼が最初に通わされた保育園では、彼を理解してくれる大人に恵まれなかったように思います。

「団体行動ができません」
「ひとつのことを始め、それが気にいると、次の別の活動にスムーズに移行できません」
「お話をするより、一人でぼ〜っとしているほうが好きなようです」
「みんなで一斉にするお遊戯には絶対に参加しません」

……などなど。いまでも、あの頃の保育園からの連絡ノートを見ると、背中に寒気が走ります。どうして、まだ人間に生まれて間もない2,3歳児にここまでの団体行動を強制するのか、もう20年近く経ったいまでも全く理解できません。

まあ、もちろん、こういったことにはキチンと抵抗する親であった私たちは、こういう“観察意見”を書かれるたびに、

「団体行動がこの年齢に必要なのはどうしてでしょうか」
「たくさんのことができるより、自分の好きなことひとつふたつがじっくりできる方がいいですね」
「一人でぼ〜っとすることが好きなので、好きにさせてくださいね」
「お遊戯に参加できないのは何か理由があるのでしょうねぇ」

と、“やんわり”ながらも、徹底応戦していました。

でも、ある時、若い先生方の会議を偶然聞いてしまった私は驚愕しました。先生たち、保育園の経営者に、「子どもたちばかりでなく、私たちが教育していかなくてはいけないのは、子どもたちの親も含みます」と、教えられているではありませんか。

私たちは30代、若いお姉さん先生たちは20代前半。たとえ私のように教育を専門としているものでなくても、これはいささか“お門違い”だと思いました。私たちは、保育園には、あくまでも、子どもたちの安全を確保すること、子どもたちが安心して社会性を育むこと、の二点を期待していたので、先生方が、私たち親にまで“教育しよう”と燃えていたとは、本当にびっくりしてしまいました。

さて、そんな我が家の“子育て観”にぴったりと来なかった保育園ともお別れすることになりました。夫がエチオピアに赴任することになり、私も第二子を妊娠していることがわかったので、出産まで私の実家に戻ることになったのです。先生方もほっとしたでしょうね。

最後に挨拶に伺ったとき、主任の先生から、「カンジ君は、私立小学校に進学したほうがいいですよ。公立の小学校では彼のわがままはききませんから」とも!

「う〜ん、こんなに小さな人をこんなに簡単に“外れ者”のラベルをつけるのはおかしいなぁ」と思いながら帰宅したことを思い出します。また、公立がダメで私立だったら大丈夫、というのもどんな根拠があったのか、なかったのか……。私のようにずうずうしくなく、また自分のしていることにちょっと不安を持つようなお母さんだったら、さぞかし、気落ちもし、あるいは傷ついたかもしれませんね。

私は、カンジの個性を誰よりも大切にしていたし、彼のユニークな性格が大好きだったので、「まあ、そうですか、私はそうは思いませんけれど。それに、カンジはこれから日本の中だけにいるわけではないので、どこの学校に入学するかは、その時にベストの選択ができればいいと思っています」と伝えました。

でも、その後起こったある出来事を通して、実は私もこの主任先生の言葉に結構傷ついていたのが分かりました。

この保育園を退園して、次に伺ったのは、実家の近くの自然保育で有名な『コロリン村幼児園』でした。ここは無認可、トイレはぽっちゃんトイレ、子どもは冬でも裸足がよければ裸足、朝から夕方までとにかく子どもたちが目いっぱい、体いっぱい遊びに徹することで有名な子どもの楽園だったのです。

園長先生がおっしゃったのは、「バカはいない。誰もバカじゃない。グズもいない。子どもは無限の力に満ちている。子どもにラベルを張る大人は信じるな」でした。私はこれを聞いて、不覚にも、涙がぽろり。つい、数日前に、“外れ者”のラベルを張られたカンジのことを、やはり不憫に思っていたのでしょう。

園長先生の面談が終わって外に出て見ると、それは確か2月の寒〜い午後でした。前日に降った雨で、園庭のところどころに水溜りがありました。特に滑り台の前には、かなり大きなモノができていたのです。

そして、何を思ったか、その水たまりを見たカンジ、目が一瞬キラッ!と輝いたと思ったら、その水たまりに頭からヘッドスライディングしたのです。“ばっちゃ〜〜〜〜ん!”という大きな水しぶきを上げながら!彼は、笑顔満面、頭から泥まみれ。外は気温10度もなかったでしょう。

私は、母親の勘で、カンジが不穏な動きをする気配を察したもの、その頃妊娠後期でとにかく動きが緩慢、とっても彼の素早い動作にはついて行けず、まんまと「やられた!」と思いました。

が、そのあと、このコロリン村の他の先生方がわらわらと園庭に出てこられて次々と目を細めて、こう言うではありませんか。

「いや〜、久しぶりにコロリンにふさわしい子どもが来ましたなぁ。ここ数年、カンジくんのような野生のオトコが少なくなっていて、さびしい思いをしていたんですよ」

「そうそう、数年前までは、カンジ君のような子が主流だったんですがねぇ」

私はこれを聞いて、「ああ、カンジは何とラッキーなやつなんだ」と心から安心したのでした。

そして、当の本人に、「どうして水たまりに飛び込んだの」と聞くと、

「う〜ん、だってね、だってね、おいでって……」

その後彼はエチオピアに行くまでの数か月間、この「コロリン村」で、夢のような日々を過ごしました。それがどんなに彼に合っていたかは想像に難くないでしょう。

でも、後日談として頭を抱えたのは、その後エチオピアのアディスアババで、米国系のインターナショナルスクールに入学した彼、ここでも“押しつけ勉強”に徹底抗戦。その頃私の主宰していた団体の会報には、午前中はいたずらして教室の隅でお仕置き、ランチを食べた後は一人机で熟睡をするのが、彼が見つけた“処世術”だった、と書いた記憶があります。

そして、2年半後、転勤族の定めでこの学校も去る日が来て、彼にまた日本への帰国を告げたとき、1メートルほど舞い上がり、大喜びしました。

どうしてか。

何と、彼は次の日、学校で、友達たちにこう吹聴していたのです。

「日本の学校はいいんだぞ〜。朝から夕方まで遊ぶんだ!マス(算数)もイングリッシュもないんだぞ。ああ、早く帰りたい!!」

なんと、彼は、とっくに小学生になっていると言うのに、日本に帰ればあの子どもの楽園・コロリン村に再転入できると思いこんでいたのでした。

その後、彼が真実を知って、愕然としたことも愉快な思い出です。

カンジと一緒にダーバン空港.jpg

いよいよ日本へ出発です。ダーバン、ヨハネスブルグ、ドバイ、
関空、羽田とつなぎます。二人とも長旅お疲れ様です!


With Shoko at Epworth.jpg

ショウコの学校でもとえさんと
[ 萱葺きの家から ]
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尊敬する人に褒めてもらうのは嬉しい!

2009年6月22日(月) 21:03
今週は、私の尊敬する女性の大先輩をご紹介します。私は幸いなことに、尊敬する人がたくさんいるのですが、その中でも、一場もとえさんは、私が心の底からお手本とする女性の一人です。いつか、こんな素敵な女性になりたい、と思います。

もとえさんとWouter.jpg

もとえさんはお茶の師範でもあります。「茶道を見たい」と前から
頼まれていた友人たちと一緒に、我が家の裏庭で “野点” を
楽しみました。


私と一場もとえさんとの出会いは、少々変わっています。

実は、もとえさんは私の高校時代の一番の友達のお母さん。……ということは、もう出会ってから、軽〜く30年以上ものお付き合いになります。

そして、何とも不思議なことに、実は、この30年ほど、この私の友人と私が会うことは片手で数えるくらいの回数だったのですが、お母さんのもとえさんとは、帰国の度にお目にかかっているし、もとえさんも私たちがマラウィにいたときも、また南アに移住してからも、私の両親と一緒に遊びに来てくれているのです。今回の南ア訪問は、4年前に続いて2回目です。

このコラムでも、最初に私はもとえさんのことを、「母の友人」と説明しています。でも、真実は私の友人のお母さんだったのです。もちろん、私の母と仲良くして下さっているので、「母の友人」と言うことが別に当たってなくてはないのも事実なのですが……。

ナイズナ旅行 海のバック.jpg

両親ともとえさんと訪れたナイズナで


ナイズナ、ガイドさんと.jpg

ガイドさんと一インド洋を背にして


さて、一場もとえさん、お生まれは群馬県吾妻郡。来年は80歳になられると言うのに、とってもお元気で、健康そのもの。今回、5月初旬から6月の末までダーバンに遊びにきてくれているのですが、私の朝の早足散歩30分にも毎朝お付き合いしてくださっています。

もとえさん、肌はぴかぴか、物腰は柔らかく上品で、しかも、大変おしゃれです。お洋服のセンスもいいし、とにかく足が長くて、何をお召しになってもよく似合います。あまりに素敵なので、ダーバンのショッピングセンターなどで、洋服店の店員さんたちに、つい、もとえさんの年を教えてしまうと、「うわ〜、80歳になってもあの肌のきれいさ!すごい!なんて素敵なの」とみんなが心底驚きます。

もとえさんは、結婚12年目で農水省の研究所のひとつ、蚕糸研究所というところの研究者であったご主人を肝臓ガンで亡くされました。すると未亡人となったもとえさんを、この研究所は採用し、それからもとえさんは蚕糸研究所で公務員として働くようになったのです。

それから、おひとりで二人のお嬢さんを育てあげました。

もとえさんの何が素晴らしいか、というと、それは彼女の人生に対する姿勢です。前向きであり、過去の苦しいこと、辛いことはあえて振り返ったりしません。

その潔さが素晴らしいのです。

もとえさんにお聞きました。どうしてそんなにいつも前向きな姿勢を持っていられるのか、と。すると、彼女は、「職場での人間関係が素晴らしかったのです。みんなが親切で優しく、本当に気持ちよく働くことができました」

これを聞いて、私は、「これはもとえさんならではの答え」だと思いました。

出来事には“色”などついていない、とは誰の言葉だったでしょう。“幸せの色”、“不幸の色”をつけるのは、私たち次第、ということです。一見不幸なでき事でも、見方を変えれば不幸が、幸福に見えてくることもあります。もとえさんの人生はすべてこれが基本のような気がするのです。

しかし、ふと考えました。私はどうしてこれほど、もとえさんに惹かれるのだろう、と。私にとって、もとえさんとは、その尊厳を大切にして差し上げたい、と心から願う人であり、機会があるごとに時間を共有したい人なのです。

私はいろいろなところに顔を出すので人間関係は広い方です。ですから、日本に限らず、世界にたくさんの方とのお付き合いがあります。そういった素晴らしい方々の中でも、もとえさんのかもしだす雰囲気とか、優しさは本当に独特のものがあるのです。

そこで、ある朝、散布の途中にもう一歩踏み込んで聞いてみました。人生で大切にしているものは何か、そして嫌なことは何か、というダイレクトな質問です。

すると、もとえさんは、人生で大切にしていることとは、「人間関係だ」と何の躊躇もなく答えてくれました。人間関係をスムーズにするためであれば、自分が一歩、二歩引くことはまったく構わない、とも。

確かに、もとえさんと私の母のやりとりなどを聞いていると、申し訳ないことに、我が母のわがままぶりばかりが目立ちます。もとえさんは常に相手を立て、にこにこされています。そうすると、不思議なことに、周りは何とかもとえさんのために動いてしまうようなところがあります。

そして、人生で何が嫌か、といういささか無礼な質問も、何時間かかけて考えてくださったようで、こうおっしゃいました。

「自分の欠点とかをあからさまに指摘されるのは嫌ですね」

私はこの答えを聞いて驚愕しました。もとえさんにそんなことを言う人がいること自体、考えられないからです。

しかし、よくよく聞いていくと、これは “自分の欠点” という括り方をされましたが、決してもとえさんご自身の欠点ではなくて、どうやら、「自分ではどうしようもないこと」のようなのです。たとえば、お孫さんの入学された大学の評判などで心を痛めたことがあるようです。

でも、この答え方自体にも、もとえさんのお人柄がにじみ出ていますね。

そして、私はこの答えを聞いて、どうして私がもとえさんに惹かれるかがよく理解できたのです。もとえさんは、例えば、私たちのようなうるさい家族と二カ月も一緒にいて、遠慮をされることも多いだろうし、普段お一人暮らしなのだから、こういった大人数での暮らしではいろいろ面倒くさいことも多々あると思うのです。でも、一切、そういったことはおっしゃいません。いつもにこにこ、楽しそうにされています。

もとえさんは、自分にされて嫌なことを他人にすることは絶対ないでしょう。つまり、私はもとえさんから、徹底的に“いいこと”、“肯定的なこと”しか聞かされないでこれまでお付き合いさせていただいているのです。

そうです、私はもとえさんに褒めてもらうのが、本当に心から嬉しいんだ、ということがつくづくわかったのです。

もとえさんが日本アフリカ間、という若い人でもひるむような距離をものともせず、何回も私たちを訪問してくださること、いつも、いつも笑顔で、私たちの子どもたちのことを「本当にいい子たちに成長して」とおっしゃってくださること、どこにお誘いしても、即答で快諾してくださること、これらすべてが言ってみれば“私への応援”だったのです。

こんな素敵な人生の先輩に、これほどまでの100%の応援を受けて、自分のしていることを肯定してもらう、というものすごいプレゼントを私はもとえさんから、ここ30年に渡って、受け取っていたのです。

これが心地よくないはずはないですね。

もとえさんは、人生で楽しいことは何ですか、というオマケの質問に対して、「見知らぬ土地を訪ねて、いろいろな風景を見たり、美味しいお料理を食べたりすることです」ということだったので、これからもいろいろと機会を見つけて、少しでも多くの時間を共有したいと思っています。

ナイズナ 象.jpg

日本でもとえさんをお待ちの皆様、もとえさんは6月30日に帰国
されますよ〜。息子カンジがお供して帰りますから途中の
乗り継ぎなどご心配なく!

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プロフィール
Profile
吉村峰子
(日本語/英語教師・ライター・通訳)
東京都生まれ。1980年頃より日本語・英語教育に関わる。教えた国は、日本、米国、デンマーク、ドイツ、リべりア、エチオピア、マラウィ、南アフリカなど。1986年頃より、アフリカと日本を交互に生活した後、2003年、南アフリカ・ダーバンに家族とともに移住。現在はダーバンで日本語・英語教育、執筆業、通訳業で大忙しの毎日を送る。

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