私の旅の楽しみの一つは、見知らぬ人と思いがけない出会いです。
私は若いころから、海外旅先でも、自分の普段住む地域の出先でも、まったく知らない人に話しかけることが苦手ではないのです。
たとえば、バスの中、電車の中、“つぶやき”とか、“感想”などを偶然隣り合わせになった人に発信することもよくあります。飛行機などで、赤ちゃん連れのお母さんたちに、話しかけたり、赤ちゃんを抱っこさせてもらったり、ということもよくあります。
今回、イスラエルのテルアビブからアムステルダムへ向かう飛行機で一緒になったのは、メキシコ出身のノアさん。走ることが趣味の笑顔の素敵な19歳のお嬢さん。
ノアさんはメキシコ出身で、メキシコの高校を卒業したあと、1年間のギャップ・イヤーをこのイスラエルで過ごしました。ギャップ・イヤーとは、大学に入る前の1〜2年を使って、海外に滞在したり、仕事に就いたりすることです。
もともと、ノアさんの家族は、ユダヤ教徒で、第二次世界大戦の戦禍を逃れて、東ヨーロッパからメキシコへ移住したのでした。
今回、ノアさんの話を聞いてびっくり。
なんと、メキシコ・シティには、4万人のユダヤ教徒のメキシコ人がいるそうです。彼らは一大コミュニティを形成して、ユダヤ教の教えに則り生活をしているそうです。
4万人といったら、かなりの数だと思います。
ある特定の外国人グループが、故郷から離れた土地で、ひとつの“民族”としてのコミュニティを形成するのに、最低でも800人は必要、ということを聞いたことがあります。
逆に800人いれば、その民族をターゲットとした商売が成り立つ、ということでもあるのです。
その民族をターゲットにした商売とは、その民族が好む食事のレストラン経営、食料品販売、医療サービス、商店、不動産関連サービス、はたまた弁護士など、他の人種を相手にしなくても、そのコミュニティだけの中で、十分経済が成り立つ、ということです。
私が住んだことがある、800人以上の日本人が住んでいる外国の土地は、米国のポートランドとニューヨークでした。
調べてみると、ポートランドには在留邦人が約5000人、ニューヨークにはどうやら6万人に近い日本人が住んでいます。また、米国は、日系人も多いので、在留邦人以外にもこういった日本特有のサービスを受けたい、と思う人がいるということです。
でも、これがアフリカになると、そんな数の在留邦人はまずいません。南ア全体でも、約1500人がせいぜいで、ダーバン単独だと200人前後しかいません。
こういった数字を挙げていくと、このメキシコ・シティ4万人のユダヤ教徒のコミュニティがいかに大きいか、がよく分かります。
さて、話をノアさんに戻しましょう。
ノアさんは三人姉妹の真ん中のお嬢さん。
イスラエルには、おばあさんや親戚もたくさん移住してきているようで、幼いころからメキシコからテルアビブには遊びに来ていたそうです。
彼女は、自分たち家族のことを、
「私たちはとっても熱心なシオニストなの」
と説明してくれました。
“シオニスト”というのは、ユダヤ教徒の中でも、イスラエルに故郷を再建しようと現在のイスラエルの建国の権利を強く主張する人たちです。元々、“シオン”とは、エルサレム市街の丘の名前のようです。
エルサレムの街角で
伝統的な衣服をまとった家族
そんなノアさんは、1年間、テルアビブのキブツで生活しました。
皆さんはイスラエルの“キブツ”のことをご存知でしょうか。私が米国の学生だった1970年代の後半では、「大学を休学してキブツで生活してみる」という学生が、やけに恰好よく見えたものです。
キブツとは、元々、農業を中心とした自治区の性格を持つコミュニティのことです。ただ、現在のイスラエルには、農業を主としたものだけではなく、工業や観光業を生業としているキブツもあり、その数はイスラエル全体で、約270もあり、それぞれのキブツの構成員は100〜1000人、総人口は2010年現在で約10万人もいるそうです。
そしてこのノアさんのように、世界各国に散らばっているユダヤ人の若者が、「イスラエルに戻ってこよう」と思うのであれば、イスラエル政府は、このキブツを利用して、シオニズムを正しく理解してもらうプログラムを組み立てているそうです。
メキシコ出身のノアさん、何と、この1年間のプログラムの中には、イスラエルの軍隊に参加する時期もあったようで、かなり充実した時間を過ごしたそうです。
彼女に1年間の滞在期間中、何か一番よかったか、と聞きました。すると、ものすごく想像を超えた答えが返ってきました。
「何が一番心に響いたか、というと、それは“自由”よ!」
絶句してしまいました。
私が、“自由”という言葉を聞いて、違和感を覚え、「そぐわない」と思ってしまったのは、実際、今回訪問したイスラエルで、セキュリテの厳しさを体験したからです。また、ガザ地区では戦争に近い状態が続いている現実を知っているからです。
びっくりしている私を見て、ノアさんは、
「本当に不思議に思うかもしれませんが、今、メキシコはとっても治安が悪くて、私のような年齢の若者が、夜に街に遊びに行くことは不可能なんですよ。昼間だって、一人で歩くのは危ない。テルアビブでは、かなり遅くなってからだって、一人で遊びに行けたんです。心の底から、“自由”を満喫しました。もちろん、イスラエルと他のアラブ諸国との緊張関係は知っているけれど、テルアビブは別世界でした」
と、説明してくれました。
確かに、私も夜遅くなってから、テルアビブの街を歩きましたが、治安的に“危険”を感じることはありませんでした。
エルサレムの旧市街
ノアさんが“自由”を満喫した、という感想を聞いて、最初はびっくりしたものの、確かに、南アの都市に比べても、テルアビブは安全な都会でした。メキシコ出身の若い娘さんが、このテルアビブをそういった感覚で捉えるのも、一見、矛盾しているようですが、事実なのでしょう。
今回のイスラエル訪問で、最後にノアさんのようなイスラエルの周辺で生きる若い人に会えてとっても幸運でした。
彼女のユダヤ系メキシコ人、という生い立ちもとっても興味深かったし、世界の10代の若者の今考えていることを聞かせてもらうのは、本当にわくわくすることです。
別れる前に、メールアドレスをしっかり交換して、これから中国を旅行する、という彼女の後ろ姿をつくづく見つめてしまいました。
ああ、だから旅行は止められないし、見知らぬ人とのおしゃべりも止められません。