おへそに手をあてて……

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「どうも、ありがとう」の重さ [2008年03月31日(月)]
「どうも、ありがとう!」と受け取ることの大切さを感じることがあります。


子どもは贈り物を贈ったり、受け取ったりする名人


私たちの日本の文化のなかには、相手の気持ちを考え、自らは控えめに振る舞うという道徳が根付いています。

「こんなにいただいてしまって、申し訳ない気持ちでいっぱいです」
「そんなにしていただいては、ご迷惑でしょうから」
「とんでもございません、私たちは遠慮させていただきます」

私はこのような言葉を自然に口にできる人間でありたいし、生活のなかにある日本の文化の美しさを大切にしたいと思っています。

と同時に、最近、私が思うのは、子どものころから祖父母や両親に言われ続けた、「いただくときは、感謝していただきなさい」という言葉。

実は、先々週から先週にかけて、私のハーナイ・ママのジュンコママのフラ・ハーラウ、“ナー・プア・リコ・ワイ・ホオラ”の生徒さんたち十七人が、マウイ島で合宿を行いました。

ジュンコママのハーラウ、ナー・プア・リコ・ワイ・ホオラは、私のもう一人のハーナイ・ママ、アンティ・ケアラのハーラウ、カノエアウダンスアカデミーのシスターズ・ハーラウ。昨年、ジュンコママがアンティ・ケアラの生徒となり、アンティ・ケアラのスタイルを伝承することになってから、日本で唯一、アンティ・ケアラのスタイルのみを学ぶハーラウとなったのです。


木の下に真剣な顔が勢ぞろい


私のハーラウにとって、日本のフラ・シスターズがやってくるのは一大事、しかも、十七人もの大勢です。アンティ・ケアラと私、私のハーラウのアラカイのカウイは、二ヶ月も前から準備に入りました。

アンティ・ケアラは、ハワイの日本の文化の違いを理解することは、彼女がフラを教えるときに、どのように教えたら一番よいかを知るために重要、という考えを持っているので、まずはいろいろと話し合いをしました。

どうして、日本人の歩幅は狭いのか。
日本人の謙虚の心理とは、どのようなものか。
日本人は郷愁を、どのように表わすか。
日本人にとっての鍛錬とはどのような意味があるのか?

……などから、食習慣をはじめとする生活全般のこと。食事のことなどはとても細やかに考えていて、彼女の定番料理のハワイアンシチューに、お肉の脂肪分をどのくらい入れるのが日本人の口に合うのか、までを気にしていました。

アンティ・ケアラは七十年代にはじめて日本に行き、ミュージシャン、ダンサーとして半年間滞在したこともあり、そのとき印象に残った、美しい自然のある日本と謙虚な気持ちを忘れない日本人の文化が大好き。特に、日本の人の控えめな振る舞いは、とても美しく、Ha’aha’a(ハワイ語で謙虚さの意味)を大切にするハワイの人々の文化と近いものだと感動したとか。

今回の合宿にやってきた十七人は、ジュンコママと生徒の三人をのぞいて、私がはじめて会う人ばかりでした。アンティ・ケアラやカウイにとっては、ジュンコママと生徒の一人以外は初対面。

お互いが遠慮のない関係に、急になれるわけではありませんが、声に出して私が繰り返し言ったのは、「どうぞ、何でも、遠慮なく言ってくださいね」でした。

アンティ・ケアラやカウイや私は、この一週間という限りある時間のなかで、練習、時間、経験などから、食事まで、私たちがみんなに受け取ってほしいと思っているものを用意してありました。そして、合宿の目的を達成したいという参加したみんなの気持ちを受け取る心構えをしていました。

ですから、いま、ここに、目の前にあるものを、遠慮しながら受け取ってほしくなかったのです。

私と二人のハーナイ・ママとの関係は親子、ハーナイ・ママの生徒は、私にとって姉妹。親子や姉妹の間に、受け取るのに時間がかかるほどの遠慮は、決して必要ありません。


一生懸命はとってもきれい


そして、気持ちは通じるものなのですね。

合宿は大成功でした。心と体を溢れんばかりにいっぱいにした十七人は、「どうも、ありがとう」の涙とともに、日本へ戻っていきました。朝から晩まで、夜中の十二時をすぎても、汗をかきながら練習した日々は辛かったはずです。正直、私とカウイは練習のあと、ショウに踊りにいったときには、足がもつれ、出番の直前まで舞台で横になって体力を充電したこともありました。

アンティ・ケアラとカウイと私は、今でも合宿の思い出話を笑っています。毎朝、「How are you ?」と尋ねると、顔も体も相当疲れているように見えるのに、「I’m fine」とがんばって答える十七人、練習中に出た千代の富士引退宣言「体力の限界です」(古い話題なのに、状況にあまりにぴったりで大笑い)、用意したハワイアンシチューの特大鍋が空っぽになったこと。

私がうれしかったのは、この合宿で、十七人のみんながフラの技術が上達したことよりも、受け取り上手になってくれたことでした。

受け取り上手のみんなの「どうもありがとう」は、きっとみんなの毎日の生活をピカッと照らしてくれると思うから!

宝物が届きました [2008年03月25日(火)]
宝物が届きました。

みなさん、覚えていますか? 今年のはじめに、私が宝物探しにでかけたこと。

エディトリアルライターの内田あやさんと、フォトグラファーの山本哲也さんと、コーディネーターの私が見つけた宝物たちは、雑誌『FIGARO voyage』になって、今月の十五日に発売しました。

雑誌『FIGARO voyage』は、『FIGARO』という雑誌から生まれ、旅をメインテーマとして扱っている雑誌です。年に数回の発売のなかで、都度、違う旅先が選ばれるのですが、ハワイははずすことのできない人気の旅先とか。

どっさりと届いた雑誌、表紙には目の覚めるようなピンク色のアークリクリの花のレイ。



今回の特集は、オアフ島、ハワイ島、マウイ島の小さな町。

ページをあけると、素顔のハワイがいっぱいでした。ワイキキから車で三十分の静かな海、地元のマーケットで“採れたて”“できたて”を味わうオアフ島、太陽の家“ハレアカラ”からはじまる虹色ドライブルート、自然と一緒に暮らす人々の笑顔が溢れるマウイ島、心と体にエネルギーをチャージする癒しとスロウフードの情報が満載のハワイ島。

日常を離れて遠く旅をするということが、限りなく身近な存在になることの楽しさを教えてくれる『FIGARO voyage』ならではの内容です。

私はマウイ島の宝物探し担当でしたが、オアフ島、ハワイ島の探検隊の成果が集結して、宝箱をひっくり返したように盛りだくさんな一冊。取材のあと、校正作業といって、情報が正しく原稿などに記されているかを確認する作業があるので、マウイ島のページにどのような原稿や写真が掲載されているかを知ってはいたのにもかかわらず、やはり、印刷、製本されて、形になると、「手に取る」ことの良さというか、実感がずっしりと伝わってきます。

ほかの島のページを読み終わった後には、いくつもの旅をした気分でした。

マウイ島の取材では、宝物探検隊の三人のそれぞれに、お腹にずんと響くような出会いがありました。



波を愛するフォトグラファーの山本さんは、マウイ島のラジオ局でのインタビュー取材にやってきてくれた、人気のミュージシャン“エコル”のメンバーと、同じ波に乗る友人同士として、かけがえのない時間を過ごすことができたようです。エディトリアルライターのあやさんは、実はこのブログでもご紹介したように、ボディーワークの専門家。体を動かすという点で、ハワイの文化の象徴でもあるフラの動きに触発され、日本に戻ってからも、フラダンサーの手の指の動きが忘れられなかったとか。

もちろん、約二週間の取材のなかには、大変なこともありました。やはり、日本とは違う環境ですし、車での移動も多いので、体調が悪くなることもあります。体と心はつながっていますから、体を大切にしなければ、心も不安定になってしまいます。限られた時間のなかで仕事をするには、睡眠、食事などはとても大切でした。

また、マウイ島は、東京のようなビジネスに特化した場所ではありませんから、このゆったりした時間の流れが、仕事をしようとするときには、時に、もがきたくなるほど遅く感じます。取材のはじまりには、取材チームがどんな風に時間や意識、役割を配分するかをはかったり、話し合ったりしなくてはいけませんでした。特に、コーディネートの仕事で、私が気をつけたのはこの点でした。

仕事が順調であろうと、そうでなかろうと、三人でしか助け合えません。腹を割るという言葉にあるように、お腹に手をあてて、探検隊のチームワークを作ることができたからこそ、宝物を日本に持ち帰ることができ、みなさんにお目見えすることができたのです。

私はこの仕事をくださった『FIGARO voyage』の編集長にも、あやさんにも、「私のコーディネートの仕事は、今年はこれでもうおしまいです」と伝えました。

いまの私にとって、コーディネートの仕事は、宝物を持ち帰ることではなく、宝物を育みながら暮らすことですから。

「コーディネートの仕事を『FIGARO voyage』のためにしてくださいませんか」という編集長の有難い言葉は、私にとっては「『FIGARO voyage』にあなたの宝物をシェアしてくださいませんか」ということでした。

私は、私の想いを理解してくださって、声をかけてくださる編集長と、読者のみなさんに、喜んで宝物をシェアしようと思いました。

宝物は、私にとっては特別な人たちや物ですけれど、それは、どこにでもある、誰もが持っている普通のもの。あまりに普通すぎて見落としてしまいそうなほど、素朴なものです。誰もが、その人にとって大切な宝物がある、というだけのことです。

それらは、私と同じように宝物を大切に思ってくださった山本さんとあやさんの手で、とっても素敵なページになって、今年一年中、たくさんの読者のみなさんと、私の想いを分け合うことができる時間を作ってくれました。



これから、雑誌をもって、宝物たちに会いにいきます。

「どうもありがとう、これからもそばにいてね」って。

香時間 [2008年03月13日(木)]
雨の季節が通り過ぎたことを知らせてくれる匂いが、朝夕に漂いはじめました。

我が家の庭に咲くピーカケです。白く小さな花で、別名はアラビアンジャスミンとか。私は大好きなこの花を前にすると、鼻の穴に花を詰めておきたいという衝動にかられるのを、抑えなくてはいけません。



娘が一度、私が眠っているときに本当に、鼻に花を詰めたことがあったのですが、どんなによい香りでも、鼻につめると匂いは味わえません。ということで、いまは、体全体を鼻にして香りを吸い込むことにしています。

このピーカケ、ハワイでは、プリンセス・カイウラニの花として愛されています。プリンセス・カイウラニの名前は、ヴィクトリア・カラニヌイアヒラパラパ・カヴェーキウ・イ・ルナリロ・カイウラニ。スコットランド人のお父様と、ハワイ王国第七代目の王様カラカウア王の妹、リケリケ妃をお母様とし、カラカウア王の養女として育ったプリンセスです。

当時のワイキキには、たくさんの王族の人々が暮らし、プリンセス・カイウラニは、アーイナ・ハウと名づけられた場所に館をもち、お父様が世界中から取り寄せた珍しい植物が植えられた美しい庭に囲まれていたそうです。

その庭には、お母様のリケリケ妃がプレゼントした白い孔雀が数匹、プリンセス・カイウラニの愛する白い孔雀(ハワイ語でピーカケ)にちなみ、彼女の好んだアラビアンジャスミンは、ピーカケと呼ばれるようになりました。


プリンセス・カイウラニの肖像画とピーカケ


余談ですが、日本の明治時代に、日本を正式訪問したカラカウア王が、明治天皇に養女であるプリンセス・カイウラニを日本の皇族の山階宮定麿王の配偶者にしていただければと、申し出たという逸話もあります。

ハワイ王朝は、プリンセス・カイウラニの伯母であるリリウオカラニ女王を最後に王朝を閉じたため、カイウラニは最後のプリンセスとなりました。イギリスへ留学し、流暢なイギリス英語と王女としてふさわしい行儀作法を身につけた彼女は、ギターやウクレレを弾きこなし、乗馬やサーフィン、文学を愛する才能豊かな美しい女性。ハワイ王朝が米国に統合されるという歴史的な出来事の際も、ハワイの人々のために心を砕いた人物として、今もハワイの人々に愛されています。

彼女のために歌われた歌は数多く、私たちが彼女の曲でフラを踊るときは、ピーカケの花のレイを纏います。レイはこの小さな花をつむいだものを長く垂らすこともあれば、短めのものをいくつか重ねて使うこともあります。私が一度、そのあまりの美しさに驚いたのは、ピーカケのつぼみで作った長いレイを幾重にもしたもの。まるで真珠の首飾りのように輝いていて、その香りといったら、つぼみがどれだけの香りを封じ込めているのかを知る思いでした。

我が家では、このピーカケは、娘がレイを作って遊ぶほか、お風呂にいれたり、部屋に置いたりして香りを楽しんでいます。香りとともに、プリンセス・カイウラニの物語や歌を思い出したり、この香りが好きだという家族や友人のことを考えてみたりと、香りが私に贈ってくれる時間は、私一人が過ごす時間とは比べ物にならないほど豊かです。



花の匂いに限らず、匂いは目に見えないにも関わらず、想いをいざなう名手でしょう。

私は、娘が小さいころ、娘の匂いが大好きでした。よく、匂いをかいで、笑われたりしたのですが、彼女の匂いは本当にいつも私をほっとさせてくれる匂いです。「あぁ、お母さんになってよかった」と思わせてくれる匂い。

いまは娘がもう六歳なので、匂いといえば、学校で食べたパンケーキのシロップを髪の毛につけてきたり、埃臭いような真っ黒な手足に、「早く洗いなさい、お風呂に入りなさい」と口うるさくなってしまうのですが。それでも、不思議なことにいまも、私がすぅーっと抱き寄せたくなるとき、彼女からは私の大好きな匂いが少しします。

ハワイでは、亡くなった人に想いを馳せたり、亡くなった人が何かを伝えようとするときに、その人が好きだった花の香りが、花がないにも関わらず、強く香ると言われています。人を花に例えることの多いハワイならではですね。

私は、香水などをつけるのが好きではないので、基本的には無臭、私から香るとしたら体臭か、シャンプーなどのちょっとした香りです。でも、ピーカケの香りだったら、いつもそばに置きたいと思った私は、アロマオイルや、香水などでピーカケのものを買ったこともありました。

確かにかなり近く、よい香りのものがあるのですが、私はやっぱり時期を待つことにしました。なぜか、どんなによい香りの香水も、花が咲くのを待って、香りを楽しむほうがよいでしょう、と私に訴えかけてくるのです。



香りを待つこと。

これは三十歳の半ばになってから、いくらかできるようになった「待つこと」のひとつ。

今日は、咲きそろいはじめたピーカケを娘の部屋へ。

小さな鼻の穴が心地よさそうに広がるの考えただけで、笑いがこみ上げます。きっとこんな時間が、我が家の香りの思い出をつむいでくれるのでしょう。

鯨がサイミン・ヌードルを食べる [2008年03月06日(木)]
最近、ずいぶん日が長くなってきました。

朝、まだ星が見える時間に娘の乗るスクールバスを見送ることも、急に迫ってきた夕闇に驚くこともなくなり、まだ風は冷たいながらも静かな春の訪れを感じます。うららかな春の風情を味わいたいところですが、欲張りな私は、日が長くなると、あれもできるし、これもできるし、と考えるだけでうれしいだけです。

数日前、東雲色の朝焼け空を見ながら、学校に行く娘に質問をしたことがありました。

「ねぇ、お日さまはどこから昇ると思う?」
「山だよ、ほら、朝、ハレアカラから昇ってくるじゃない」
「……。じゃあ、沈むのは?」
「海だよ。だって、月曜日のショウから帰るとき、いつも見えるでしょ」


我が家からの朝景色


娘の世界では、日は山から昇り、海に沈んでいました。

ところが、先週末、恒例のフラの練習の時間に、娘の世界が大きく広がる事件がおきたのです。私たちは古典のフラ、カヒコを踊るとき、踊る曲、つまり「本題」の前に必ず「序章」があり、後には「終章」があるのですが、「序章」で語られるテーマは、日の出。日の出について、話し合うことになりました。

「日が昇り、日が沈むこと」は、有名な君子の楊子法言の「初め有る者は必ず終わりあり」、また「起承転結」同様に、本題をうたい起こし、承け、転じて、結ぶ、という物事の順序。自分がお日さまではなくとも、あまりに当然なことであっても、大切なことです。

その「序章」「起」で語られる日の出を、まずはマウイ島で確認してみました。六歳から五十歳までの練習に集まっている私たち生徒は、それだけで大騒ぎ。

「日が昇る方角はどっち?」
「南〜!」
「東」

「どっちが東なの?」
「右、左、前、後が、Whale Eats Saimin.だから、あっちが東」

(Whale Eats Saimin、鯨がサイミンヌードルを食べる、というのは、マウイの子どもの東西南北の覚え方。右がWhale、WではじまるのでWest、左がEats、EではじまるのでEast、前後が南北で、SaiminのはじまりのS、Southと、終わりのNの、North)

「え〜っ、どうして鯨がサイミン食べるの〜?」
「日はハレアカラから昇るよ、だって見たもん」
「ハレアカラは私の家からは見えないけど、あの山からよね〜」

と、子どもたちが散々騒いだあと、大人がしめやかに、

「ハナ」と一言。

そうです、マウイ島の東はハナ、西はラハイナになります。ところが、クムのアンティ・ケアラからは次なる質問が。

「ハナのどこ?」

今度は大人たちが、頭を寄せ合い、やっと答えが。

「カウイキの岬」


マウイ島の東、ハナのカウイキの岬から


島に長年住んでいても、意外とすぐには答えがでないものです。

私たちはその後さらに、オアフ島、ハワイ島、カウアイ島、ラナイ島、モロカイ島を調べ、カホオラヴェ島とニイハウ島のように地図の入手が困難なものまでを調べあげました。よく考えてみれば、日本の最東端は南鳥島と習った記憶はあるものの、日本の四つの大きな島、北海道、本州、四国、九州の最東端を、今すぐに言うことなどできません。

うっ、不勉強〜。これは課題ですね。

さて、今朝は学校に向かう娘、まだ山の向こうにいる太陽に、

「太陽はハナから毎日遠足にいくんだね、ラハイナに」の一言。

一年は三百五十六日、十二の月があり、一月は二十八日から三十一日で成り立ち、一月は週でわけられ、一週間のなかには、月曜日から日曜日までの曜日があって、一日は二十四時間で、一時間は六十分で。

私にとって、あまりにも当たり前のことを、六歳の娘は最近少しずつ学び始めているようです。それは、私には当たり前のことが、当たり前すぎて見えていないことの発見でもあり、強張った頭をもみほぐす、よい機会です。

「毎日、遠足で楽しいだろうね」
「大変なこともあると思うよ」
「でも、いいんじゃない、それでも」

と、どっちが親で、どっちが子どもかわからない会話で、我が家の今日がはじまりました。


朝のひとときは、一日のなかで私が一番好きな時間

プロフィール
神宮寺愛
エッセイスト×フラダンサー
東京での出版社勤務を経て、現在はエッセイストとして活動。マウイ島ワイルク在住。著書『心と体がピュアになるハワイアンな暮らし』(青春出版社・刊)他。フラやハワイ語等を学ぶダンサーでもあり、カノエアウダンスアカデミー所属。現在カアナパリビーチホテルのディナーショーにレギュラー出演中。