おへそに手をあてて……

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フラダンサーのお道具・その2 [2008年02月27日(水)]
三十路に入ってからの体力勝負仕事。

ホテルのショウで毎晩踊るようになって、すでに一年半が経ちました。フラを学ぶことは一生できることですけれど、仕事としてフラを踊ることができるのは、一体何歳までなのかな、とぼんやり考えていた私に、先日、目覚めの水をひっかけたのは、アンティ・マリヒニ。

「踊り続けていたら、五十歳になっちゃったわ」

アンティ・マリヒニは、私の働くホテルの屋外ステージの方で踊っているダンサーなのです。ホテルのバンケットルームのディナーショウを担当するダンサーのなかで、一番の年上は私、野外ステージでのショウではアンティ・マリヒニが一番の古株というわけです。

一年半の間には、メイク道具が一式入ったバッグと、何枚もある衣装をさげての通勤が常の風景になり、メイクアップやヘアスタイルをセットする時間もはじめたころの半分以下、舞台や迫(せり)から落ちたり、舞台の板付きの袖に衝突したりもしなくなり、青あざがめっきり少なくなりました。

さて、今回は『フラダンサーのお道具・その1〜爪楊枝〜』に引き続き、愛着のわいてきたメイク道具バッグのなかから、「顔を作る」道具をご紹介しますね。



「顔を作る」、歌舞伎をはじめ、舞台芸術一般で使われるこの言葉、普段の生活でまったくお化粧をしない私が、舞台のためにメイクアップをするとき、使いたくなる言葉です。

歌舞伎の世界での顔作りに必要な、白、黒、赤、茶、藍。私の顔作りにもこの色合いが共通しています。舞台の上はとにかく照明がしっかりあたるので、誰の顔にでもある、鼻筋や目のまわり、口元、頬骨などのつくる微妙な陰影はなくなってしまうのです。

まずは、白。いろいろな肌色のダンサーがいるなか、私は黄色味がかった肌色なので、真珠ような自然な温かみのある白、照明があたったときにしっかりと白さが浮き立つように、光沢のあるものを。このとき、アイラインを引く目の際をしっかり白くしておくことを忘れません。



次は茶色、そして、黒。白と黒だけでグラデーションを作るので、間色として、私は肌色にもあう茶色、少し赤みのある弁柄色のようなものを選んでいます。この色を顔のなかで影になる部分にのばします。



黒はまるで隈取のような役目です。歌舞伎が大好きな私としては、隈取に秘められた様々なストーリーを考えずにはいられません。隈取とは歌舞伎独特の化粧法、時代物の役のそれぞれの性格によって色合いや描き方を変えて描かれるもの。

みなさんにもお馴染みなのは、歌舞伎十八番の『暫(しばらく)』の鎌倉権五郎などでしょう。英雄の隈ときたら、筋隈と呼ばれるもので、こめかみから頬、眉間から額、鼻から頬、口元からあごへ、と力強い隈です。

これ以外にも、この筋隈よりももっと筋の本数を少なくした一本隈などもありますが、私が一番素敵だなと思うのが、『助六』の助六などがひく、むきみ隈というもの。目元から眉にかけての筋にすいっとひいた隈が、若々しいさ、潔さ、涼しさ、そしてほのかな色気を感じさせるのです。

化粧品をいざ選ぶことになって黒という色がこんなにいろいろあるとは思いませんでした。私のなかで、黒は黒炭。黒炭に一番近いもの選び、大向こうから「成田屋〜っ」と声がかからんばかりに気合をいれてアイライン。(市川團十郎家の皆様に失礼とは思いながら、助六張りの勢いの私……)

そして、最後は赤、紅色でございます。先に濃赤でラインをひき、影をつくってから紅をさし、さらにゴールドバール入りのグロスで仕上げ。この赤、実はなんとも気持ちが引き締まるものでして、私的には顔作りを終え、「今日もがんばるぞ!」と、いつもの神宮寺愛からダンサーの神宮寺愛への、一瞬のスイッチの入れ替えになっているのです。



変わること。

二つの違う状況を目の前に、人はその違いが技術で生み出されたものだと思ったり、意識や意図によって動かされたものだと考えるでしょう。確かに、いろいろなメイク道具やメイクアップの技術によって顔が作られ、すっぴんの私が、ダンサーの私に変わりました。

この変化を目でみるのではなく、心で見てみたらどうでしょう。目でみた変化は、二つの違う状況が見えることでしかありませんよね。目で見て、どう違うのかを口に出して言いたくもなるでしょう。でも、私は、変化を心で見て、それを信じることによって、変化からパワーが生まれると思うのです。

一枚の白い布を、一瞬にして造花の赤いバラに変えるマジシャンが、拍手をもらえるのは、その技術はさることながら、白い布と赤いバラという二つの事実。その変化を心で見て信じたことによって、拍手が生まれるのではないでしょうか。

フラダンサーのお道具・その2は、私のメイク道具の入ったバッグ、私のスイッチでした。みなさんも、変化から生まれるエネルギーを上手に使ってみてくださいね。小さな変化も、大きな変化も、毎日のあちらこちらにありますから!

1、2、3、SMILE ! [2008年02月20日(水)]
我が家の六歳の娘の宝物箱をのぞくと、貝殻や、木の実、なにやら光る大小のかけらに混ざって、デジタルカメラが鎮座しております。



紙やブロックで作ったカメラで十分と思っている我が家に、娘専用のデジタルカメラがやってきたのは、去年の夏。私のハーナイママのジュンコ・ママが、ずっと使っていたデジタルカメラを、お古だけど、と娘にプレゼントしてくれたことにはじまりました。

それまで、私や夫が仕事で使う本物のカメラを羨ましそうに眺め、「絶対にさわっちゃだめ。お仕事で使う大切なものだから」と私たちに口うるさく言われていた娘は、そのカメラを手にしたときには、飛び上がらんばかりでした。

以来、バッテリーの充電や、カメラの管理を、大きな失敗もなく、しっかりやっているところを見ると、彼女なりの責任感をもってカメラを大切にしているようです。

さて、昨日、そのカメラをふと手にとってみると、なんと写真の保存枚数は千枚を越えています。驚いてメモリーカードをチェックすると、彼女の使っているメモリーカードは、私のものよりも遥かに容量の多いものでした。

何を千枚も撮ったのだろうと、こっそり写真をのぞいてみた私を、すっかり笑わせてくれたのは、彼女の写真の撮り方。

たとえば、どこかに食事に出かけたときの写真といえば、まずは車に乗り込んですぐの自分の足、次に車窓から続けざまに目的地までの写真を二十枚ほど、そして、レストランに到着するとお店の人や一緒にテーブルに座っている人を下からのアングルでパチリ、素敵なインテリアや彼女が気になる存在を十数枚、運ばれてきた美味しそうな食事をかなりの至近距離で……、それだけで、ゆうに百枚を超えているのです。

おびただしい写真は、まるで彼女の目線そのもの。

彼女よりも背丈のある大人たちが右往左往する姿、何か一生懸命に働いている後姿、楽しそうに笑う横顔、大人たちの世界を子どもが見るとこうなるのだな、と、娘の写真にすっかりのめり込んでしまいました。



食欲たっぷりの近さで撮ったカレーライスや牛乳、大好きなピカピカに光る物たちに吸い寄せられている娘の目、ふっと空を見上げたときの時間、たわわに実る果物、咲き乱れる花々、自分の体のなかで被写体によいのは足……。




「あ、いま、自分の目がカメラのレンズになって、パチリって撮れたらいいな」という願いが簡単にかなってしまったような、まばたきの瞬間でした。

カメラを構えれば、つい、いろいろと考えてしまう私の悪い癖。いままで仕事でお付き合いしたカメラマンの皆さんの凄腕を見続けたからでしょうか。人様に見せる写真など、私には撮れないし、そもそも恥ずかしいし、と頑なになりすぎるのでしょうか。

そんな私が、仕事として、「写真を撮れます」と進んで言えるようになったのは、二年ほど前でした。拙著『心と体がピュアになるハワイアンな暮らし』を青春出版社さんから出していただいたあとのことです。

この本の写真は私が撮ったのですが、担当の編集者さんやデザイナーさんに写真をお渡ししたときは、原稿のそれに比べて百倍の恥ずかしさでした。しかし、恥ずかしさに勝る勇気をくれたのは、フォトグラファーの田巻照敏さん。「写真、愛ちゃんも撮りなよ」という彼の一言は、私の背中をかなり強く押しました。

田巻さんは、木村拓哉くんなどをよく撮影しているほどの敏腕フォトグラファー。家族と田舎の自然と温泉をこよなく愛し、車やバイクで日本中をどこでもどこまでも。ですが、私、実はご本人が、すごい恥ずかしがりやさんなのを知っています(ふっふっふ)。カメラをパチリとやったあと、被写体に「ちっくしょー、おまえ、すげーなー」と心のなかで言い、そして照れてしまう彼は私にとっては、「おまえもすごいぞー」というお人。

写真は、私にとって、原稿と同じように、踊ることと同じように、想いを伝える手段になりました。ひとつで勝負できないなんて、と意気込んでいた二十代の若い自分は跡形もなく、手段はひとつではないほうが、といえる三十代が、半ばに至る今時分、どうやら板についてきたようです。

「ねえ、ママね、カメラのなかの写真見たよ。とっても好きだな、アイナの撮った写真」
「どうもありがとう。ママのも素敵だからね」
「あら、ありがとう。じゃあ、もっとがんばるね」

本日、お日柄もよろしく [2008年02月13日(水)]
お日柄もよろしい、去る日曜日、かしこみ、かしこみ、お願いしてまいりました。

お願いの儀とは、数えで七歳になる娘の無事の成長、世に言う「帯解」、つまり七五三でございます。

本来ならば、昨年の十一月、もしくは満年齢で今年の十一月に行うべきなのでしょうけれど、家族が集まることができて、晴れ着を着てもそう暑くはない季節となると、いましかない……。そこで、マウイ神社に相談に行ったところ、「祝えるときに祝いなさい」と、御歳九十四歳の宮司のトラコおばあちゃんのお言葉。

久しぶりの晴天に恵まれ、心地よい風に吹かれながら、めでたく、お祝いをすることになりました。

まずは髪結、登場したるは、私のフラの師、ハーナイママのアンティ・ケアラ。実はハワイ州認定の美容師免許をもつ彼女は、ダンサーのヘアスタイルをいつも華やかに結い上げてくれる手練れなのです。

「日本髪の結い方は、本当に素敵よね。三十年くらい前に日本ではじめてみたときは、日本の人の髪の毛はなんて美しいのだろうって思ったわ。髪の美しさを大切にするのはハワイも日本も一緒ね」と話しながら、数十分で娘の髪を結い上げてしまいまいした。

娘は、彼女にとって「孫」のような存在。「さあ、今度は本当のおばあちゃんに着物を着せてもらいなさい」といって後ろへまわったアンティ・ケアラは、私の継母が静かに着物を着せていくのをじっくりと眺めていました。

桜色の絞り染めの着物に紅色の帯を締め、朱色の帯揚げをふんわりと。ひとつひとつを重ね、結んでいく作業は、大切なことをひとつひとつ確認していくような安心感。つややかな髪に大きめの花かんざしをつけてあげると、娘は興奮した様子で、「アンティ、私、すごい靴をはくの」と、木履(ぽっくり)を箱から出してきました。



さて、少し白粉をはたき、唇に紅をひいた娘、木履をはいて用意万端。いざ、マウイ神社へ。

「ママね、このお着物をきて、木履をはいて、アイナと同じように神社に行ったんだけど、神社の石段が登れなくってね、おじいちゃんにおんぶしてもらったのよ」と私が懐かしげにつぶやくと、「駄目じゃない、ママ〜、もう赤ちゃんじゃないのに、おんぶなんてしてもらって」と、娘はどこかで見たような諭し顔。私の思い出の着物を娘に引き継ぐことができたことは、じんわりと世代の移り変わりを考えさせられる出来事でした。

九十四歳のトラコおばあちゃんは、私たちをにこやかに、大きな声で迎えてくれました。神妙な面持ちで神社の本殿に入り、席につくと、頃合いよく、トラコおばあちゃんが静々と前へ、そして太鼓をたたきはじめます。

「太鼓で神様に合図するのね」
「ママ〜、あの太鼓は鮫の皮でできている?」
「ハワイの神様の太鼓は、鮫の神様や、豚の神様が皮をくださるけど、日本の太鼓は、牛さんよ」

「着物って暑いね」
「そうね」
「暑いなぁ」
「静かに」
「暑いよ〜」
「我慢しなさい」

神前で祝詞を唱えるトラコおばあちゃんの声は、九十四歳には思えないほど大きく、声には十分に張りがありました。私は日本の祝詞をあげたことはありませんけれど、小唄を習ったことはありますし、いま、仕事でハワイの祝詞を詠唱することがありますから、広い場所で、皆に聞こえるように声を続けてだすことは、とても体力、精神力の要ることだと知っています。

トラコおばあちゃんは、その姿だけで私に、いろいろなことを教えてくれました。自分のするべきことを知り、それを黙々とする姿。見ているだけで、深々と頭の下がる思いでした。

儀式を終えたおばあちゃんは、私たちのところにやってきて、「年をとったから、人の言っていることがよく聞こえないし、自分の声はどんどん大きくなっているようだし」と笑っていました。「元気な証拠ですね」と私が言うと、「今日もお赤飯を炊いてあげようと思ったのだけど、なかなか年寄りにはすぐにはできなくって。でも、桃の節句のときは炊くから必ず来てね」、そして、「よいお父さんとお母さんを持って幸せね」と言い聞かせるように娘に。

私は結構な楽天家なので、娘に「ほぉら、私はよいお母さんなのよ」と言うこともあるのですが、トラコおばあちゃんのような女性に、それを娘に伝えてもらうことは、私にとってではなく、娘にとって大切なことのような気がして、有難い気持ちでいっぱいでした。

おばあちゃんに何度もお礼を言いながら、帰途につき、家に戻ると、今度はお祝いのお餅つき。お餅が大好物の娘は、すでにお腹をすかせ準備万端。裏庭に置いた石臼の横に寝そべって待っています。



少し日が落ちた午後四時、友人たちも集まり、お餅つき。コトコトと煮込んだ甘い小豆と、きな粉と黒蜜、大根おろしの入った大皿に、つきたての白いお餅が手でちぎられて、ぷるるん、ぷるるんと並んでいきました。

日本髪を結ったままの娘は、お餅つきの返し手に挑戦し、お餅がついたままの手で小豆のお餅を頬張っています。「お米のなかには七人の神様がいるんだよ。だから大切に……」が口癖の夫は、日本酒を飲んで、「お餅とお酒は合うね〜」と上機嫌。

星が見えはじめた夜空に、私は祈るばかりでした。

心と体が健やかでありますように、家族と友人たちをお守りください、

かしこみ、かしこみ、お願い申し上げます、と。

Dear 'Ohana Cafe globe, from Blythe [2008年02月05日(火)]
思わず、背後を確認してしまう私。

別に何か隠し事というわけではないのですけれど、どうも気になります。「ねぇ、何しているの」とか、「ママ、それ私のなんだけど」とか、言われてしまいそうで。

でも、ここ数年で随分慣れましたし、しっかり愛着もわいてしまい、いまでは、「ああ、やっぱり可愛い、この目つきが何とも言えないのよね」とひとり言。

以前もみなさんにご紹介しましたが、私のハーナイママのジュンコ・ウォングの会社、クロス・ワールド・コネクションズ(CWC)がプロデュースしている人形のブライス。このブライス、またしても、新しい世界にデビューしました。

映画の世界のプリンセスに、ファッション・ア・ラ・モードをテーマに、と幅広く活躍し続けるブライス、今度はハワイの伝説のなかに生まれてきたのです。

『ナー・ワーヒネ・アウリイ 〜ブライス 語りつづける娘たち〜』



どうしてブライスがハワイに?

その理由は、この本の著者、ジュンコ・ウォングがブライスを「ハーナイ」しようと決めたときにさかのぼるでしょう。

ジュンコ・ウォングにとって、ハワイは心のふるさと、子どものころからの思い出がたくさんつまっている大切な場所です。

そして、そのハワイの生活習慣のなかにある「ハーナイ(養子にする/養子になる)」を彼女の言葉で語れば、「自分の子どもを、自分よりももっといろいろなことを子どもに教えてくれる人に預けて、育ての親になってもらう習慣のことです。育ての親は一生懸命に『自分』をその子に与えて、大きく立派に育つように努力しなくてはいけません」、ということ。

私のハーナイママである彼女が、ブライスをハーナイすると決めたということは、私とブライスは、ハーナイされた娘同士、協力しあって生きていかなくていけないし、ハーナイママを支える必要があります。

この本、『ナー・ワーヒネ・アウリイ 〜ブライス 語りつづける娘たち〜』のプロジェクトは数年前にはじまり、今年のはじめに出版されました。私はこの本のなかで、何をしたかといえば、ハーナイママとブライスと、ただ一緒にいただけ。ハーナイママとブライスの言葉にならない想いを形にするのを手伝っただけです。

ハーナイママは、日本語も英語も堪能なのですが、彼女は日本語を書くことに自信がありませんでした。彼女はいつも自分が話したり書いたりする日本語を、「私の変な日本語」と言うのです。確かに彼女の日本語は、彼女の不安があらわれて、彼女の言う通りに変なときもあるでしょう。

でも、私は彼女の気持ちがいっぱいつまっている彼女の日本語が大好きでした。なので、彼女が私に「私の変な日本語、愛が直してくれる?」と言ったとき、心のなかでは「直さないよ〜」と思っていました。

この本の執筆の最中、彼女はすごい速さで自分の想いを書き綴っていきました。日本語と英語で。私はそれを彼女らしい日本語とハワイ語にしたのです。

そして、その原稿を渡すときに、彼女に伝えました。

「この、日本語とハワイ語の原稿は、ママだけのもの。だから、誰かが文章を直したほうがいいのではないかというアドバイスをくれたときは、必ず私に相談してね」と。

私にとって、原稿のなかの日本語は、私が尊敬し、理解している彼女のためだけに、心をこめて書きおろした日本語であって、他の誰かのものではなかったからです。そして、ハワイ語は、私のもう一人のハーナイママ、アンティケアラの大きな助けがあってできあがったものでした。

本はすべてのページがカラーで、どの写真も魅力たっぷりです。撮影チームは、マウイ島だけではなく、オアフ島やハワイ島にも赴きました。CWCのクリエイティブチームJunie Moonのヨッシーこと小泉歓子ちゃん、ウルトラタマのミヤタマこと宮田麻貴子ちゃん、と私の三人は頭を寄せ合い、手を握り合い、涙あり笑いありの、ジュンコ・ウォングとブライスの旅につづきました。



そして、原稿と写真を、日本でしっかりと受けとめてくれたCWCのデザイナー、モーリーこと森下明日香ちゃん。ハーナイママ同士の、ハーナイされた娘同士の、そして、ジュンコ・ウォングの会社のみんな、家族が助け合ってできた本を、カフェグローブのみなさんに、今日はご紹介します。

自然を愛する人へ、家族と友人を愛する人へ、日本とハワイを愛する人へ!

プロフィール
神宮寺愛
エッセイスト×フラダンサー
東京での出版社勤務を経て、現在はエッセイストとして活動。マウイ島ワイルク在住。著書『心と体がピュアになるハワイアンな暮らし』(青春出版社・刊)他。フラやハワイ語等を学ぶダンサーでもあり、カノエアウダンスアカデミー所属。現在カアナパリビーチホテルのディナーショーにレギュラー出演中。