おへそに手をあてて……

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Hau’oli makahiki hou ! [2007年12月31日(月)]
「いいところで会ったわ! ねえ、これなあに?」

と買い物をしている私に声をかけてきたのは、いつも私が踊っているカアナパリビーチホテルのフロントデスクにいるスーザン。

「今日は、ショウで踊らなくていいの? 私が仕事が終わったときに覗いたら、二百人のお客様で満席だったわよ」
「人数が足りていたから、お休みをもらったの。お正月の準備したかったし」
「そうよねえ、私なんてお正月が終わるまでお休みがないから、いまが最後のお買いもののチャンスなの。よかったわ、会えて。私、質問があったのよ」

と、スーザンは私の腕をつかむと、門松などのお正月飾りのあるコーナーへひっぱります。マウイでは、日本のお正月飾りはとても人気。小さめの門松や、鏡餅、橙、裏白などが普通のスーパーマーケットに並んでいるのです。



「私ね、門松はちょっと高いから、この松の枝の束を買ったの。いいのかしら」
「いいの、いいの。松であればいいの。松は、年神さまが降りてくる目印になるから」
「えっ、神様が来るの! じゃあ、さっそく今日飾るわ」
「駄目、今日は二十九日だから駄目。明日飾ってね。明後日の大晦日では駄目よ」

「わ、わかったわ。ねえ、それと、これも餅なの?」
「そう、鏡餅。昔、鏡と玉と剣をお供えした習慣の名残なの」
「なるほど、鏡の餅ね。じゃあ、この橙は玉ね。あら、剣は?」
「私の家では干し柿を使っていたけれど……、売ってないね」

さすがに干し柿は見当たらず、やっぱり全部は揃ってはいないんだなと思いはじめたとき、ふとみれば、なぜか、小さなイカの燻製が。ちゃあんと、先がとがっていました。

「ねえ、ところで、この絵はなあに? 何枚もあるじゃない。どれがいいのかしら」

スーザンの手に今度は、大黒天様や恵比寿様の絵が。大黒天様は左肩にしっかり大袋を背負い、右手にはお決まりの打ち出の小づち、背景には米俵、恵比寿様は烏帽子姿に、釣りざおと鯛ときまっています。スーザンに七福神様を簡単に説明しながら、マウイにも来るんだなぁ、と有難い気持ちに浸っていると、今度はスーザンがひらひらと別の紙を持ってきました。

「メデタイの鯛はわかったけれど、じゃあ、どうしてこれには茄子が書いてあるの?」

なんと、一、富士、ニ、鷹、三、なすび、が登場。これには、さらに説明がいりますよね。

ふと後ろを見れば、数人のおじさまやおばさまが、私たちのやりとりを興味深そうに眺めているではありませんか。お正月のお飾りは、みんなが飾っているし、素敵だから飾るというのもいいですけれど、意味を知ってから飾れば、もっと有難い気持ちになるはず。

お正月の食べ物も同じことです。マウイに引っ越してからは、日本のようにおせち料理の素材がなんでも手に入るわけではありませんし、年末に何日もかけて、祖母や母とおせち料理を作る時間もなくなってしまいましたが、そのかわりに、家族が大好きな数品を、心をこめて作るようにしています。

なんでも、できることをするのが一番ですから。



マウイの地元の人々のなかでは、お雑煮も一般的。クリスマスが終わった日から大晦日までの間、普段はお店に並んでいない水菜が、お正月のお雑煮の具として売られています。水菜以外には、大根、牛蒡、里芋、蓮などもお正月料理のお野菜として、誇らしげに顔を揃え、紅白の蒲鉾も人気の商品に。

お正月はすっかり日本びいきなマウイの人々、大晦日は中国風。大量の爆竹や花火を買うことを忘れてはいません。大晦日は道で爆竹、煙がすごく、前が見えないこともあるんですよ。

昨年に続き、今年の私の大晦日といえば、ショウで踊り、お客さまと一緒にカウントダウン。ちょっと慌しくはありますが、行く年、来る年、おへそに手をあてて、見送り、迎えたいと思います。

今年、カフェグローブの読者のみなさまが、私のオハナ・カフェグローブになってくださったことを感謝してやみません。書く、踊る、どちらも私の生業ですが、その両方が交わりながら生まれる日常、その経験をみなさんとシェアできるこの場を、これからも大切にしていきたいと思っています。

どうぞ、これからもよろしくお願いいたします。

Hau’oli makahiki hou !

地元産購買運動のすすめ [2007年12月19日(水)]
バナナが甘くない。

先日、シアトルに行ったことを書かせていただきましたけれど、実は私、シアトルで何気なく、バナナを買って食べたのです。ところが、そのバナナときたら、味がない……。

朝に食べた食べ物が美味しかっただけで、一日元気でいられる私は、味なしバナナを食べた途端、しょんぼり。そして、「ちぇ〜っ、甘くないや」と口を尖らせながら、ちょっと思い出したことがあったのです。



私がマウイ島で暮らし始めて二年目のころ、地元産購買運動をはじめたことがありました。いまは地元産のものを上手に買う知識も増え、あまり意識をせずとも、地元のものを買っているのですが、当時は買い物に行くたびに、「君はどこから来たのかね?」と尋ね歩いていました。

運動をはじめたきっかけは、バナナ。

日本からマウイ島に引っ越して一年ほどしたあと、しばらく日本に滞在する機会があったときのことです。

バナナは日本でも一年中買うことができるトロピカルフルーツ。もともとバナナは好きですし、美味しいバナナが食べたいな、と手を伸ばしたところ、バナナってこんな味だったかしら、と考え込んでしまいました。もしかしたら、種類が違うのかな、食べるタイミングがいけないのかな、といろいろ試したのですが、食べたかったバナナの味にたどりついたのはマウイに戻ってからでした。

私にとって、バナナは日本でもマウイでも、そして、いつでも買えるお手頃な果物でした。旬のあるほかの果物に比べると、明らかにバナナへの感謝が足りなかったのです。

ところが、マウイで一年ほど食べなれたバナナの味と、日本に戻ってから食べたバナナの味の違いを、私の味覚はするどく察知。採れたてのバナナ、しっかり熟れてから収穫したバナナは美味しいのだということを、まざまざと学んだのです。

それからというもの、私は、マウイ島で地元産購買運動をはじめました。

マウイは高原地帯があり、キャベツや白菜などの野菜が豊富に採れるため、地元でまかなわれている野菜はたくさんあります。また、バナナやパパイヤなどの果物は比較的どの島でも生産されていますから、ファーマーズマーケットなどで購入すればよいだけでした。



野菜や果物だけではなく、お肉、お魚、牛乳、卵なども、マウイ産を探すことは難しいことではありません。お肉は地元のものか、米国本土からのものかが必ず書いてありますし、お魚などはどこで獲れたのか、養殖なのかどうか、を確認することが可能です。牛乳や卵はマウイ島の乳製品メーカー、ハレアカラ・デイリーがあります。卵は農家から生みたてを買うことも。

そして、買い物をする時間がなく、マウイ産を探せないときは、範囲をまずはハワイ州に広げてみます。米国本土やそれ以外の国からの生鮮食品を買うのは最終手段というわけです。

マウイ島では、マウイ郡政府が『BUY MAUI FIRST(マウイ産のものをはじめに買おう!)』という運動をしているため、生鮮食品と違って、どこが産地なのかがわかりくい加工食品には、店頭で『BUY MAUI FIRST』という目印を出しています。

たとえば、お肉はお肉が包まれている入れ物の表面に、ローカル・ポーク(地元の豚肉)か、メインランド・ポーク(米国本土の豚肉)か、わかりやすく書いてありますが、ソーセージやベーコンを買おうと思ったら、商品の裏側をひっくり返して、細かい文字を確認する必要があるところを、店頭の目印が教えてくれるというわけです。

私がどこの産地なのかを確認して買うことに気をつけているのは、単に、美味しいものが食べたいというだけなのですが、『BUY MAUI FIRST』という運動は、マウイの農家や牧場、その他メーカーに利益をもたらして、マウイ島の経済を潤わせようというものです。

確かに、五ドルのハレアカラ・デイリーの牛乳と、三ドルの米国本土からの牛乳を比べると、三ドルに手が伸びがちです。でも、二ドルの差をどこかで遣り繰りすることで地元産を買う努力は、できない努力ではないと思うのです。

遣り繰りばかりしていると、ちょっと疲れてしまいそうですが、野菜や果物などは、地元産が美味しくて安いことは言うまでもありません。この買い物の目線に慣れてしまえば、地元産購買運動などという堅苦しい言葉もいらないのです。私にとっては、シアトルのバナナに気がつかされるほどの、当たり前の日常になってしまっていたくらいですから。

地元産購買運動を忘れていた私が最近夢中なのは、もっと気長なプロジェクトなのです。名付けて、『次世代引継運動』。美味しいものを、次の世代にも引き継いでいこうという運動です。

まず、美味しいと思った果物や野菜の種を取っておき、植える、という単純な運動。我が家では、隣のハナコおばあちゃんのヘイデン・マンゴー、甘くてまろやかだったソロ・パパイア、アルおじさんのくれたアボガド、無料で配っていたレタスの種、などが次々と植えられ、無事に育っています。



美味しいものが増えると思うだけで幸せ。

みなさんも、始めてみてくださいね。食べ物と仲良くなると楽しいですよ。お買いものにいって、まずは地元産、ちょっと郊外までは範囲を広げ、あとは、友達の住んでいる地方や、旅行で行ったことのある地方とか、地図や思い出を頭の中に浮かべながらのお買いもの。

こうなると、お買いものもちょっとした旅気分ですね。

Aloha in Seattle [2007年12月10日(月)]
毎年、クリスマスなどのホリデーシーズンのはじまる直前の十二月前半、私たちカノエアウ・ダンス・アカデミーのダンサー陣はホテルから二週間のお暇をいただき、休みなしで踊り続けなくてはいけないホリデーシーズンに備えて、休暇を楽しむことにしています。

というわけで、私、シアトルに行ってまいりました!


雪の降った昔のシアトルの町のミニチュア
Children Museum前にて


実は、シアトルには私のフラ・ブラザーのBJとフラ・シスターのメルが住んでおり、彼らは昨年カノエアウ・ダンス・アカデミー・シアトル支部を開設。フラはハワイだけではなく、米国本土にもかなり浸透しており、フラ・ハーラウ(フラを中心にハワイの伝統文化を学ぶところ)の数も多いのです。

BJとメルは、念願の赤ちゃんを授かったばかりでもあり、今回、八日間にかけて、マウイ島本部より総勢八名で、新しいフラ・ハーラウの応援と、赤ちゃんの誕生を祝いに馳せ参じたのであります。

出発当日、定例のショウを踊り終え、空港へ。長そでとジーンズ、ブーツに身を包んでから、機内に向かう私やフラ・シスターのカウイを横目に、「自然のエアコンがあって、いつでも、どこでも涼しいなんていいわぁ、私は寒いのが嫌って言いたくなることはないのよ」と、普段のムウムウ姿にサンダルを履いたアンティ・ケアラ。

やっぱり。雪降る二月の日本に行ったときも、ささるような風が吹き荒れた十二月のロサンゼルスのときも、アンティはムウムウだったもの。

さておき、シアトルに無事到着した私たちがしたことは、前日に出産を済ませ、赤ちゃんを連れて戻ってくるメルへのびっくり計画。私たちの宿泊先でもある彼らの家の模様替えです。

まずは、彼らの家の数点の家具を家の前で売り、次に、家族が増え、友人たちが泊まり、フラを学びにきた生徒たちが使ってもよいと思えるソファーベッドや食器、ポータブルの机や椅子を購入。そして、クリスマスツリーなどのデコレーション、大勢でクッキングをすることを考えての調理器具なども。

アンティ・ケアラの指揮に従って、私とカウイ、カウイの旦那さまのキモと、ご当主のBJで、掃除、搬入、家具の組み立て、設置をテキパキとこなしていきます。いつも一緒に行動していますから、慣れたものです。数時間後にはクリスマスツリーのデコレーションを残すのみに。

出産という大仕事を終えたメルは、部屋に一歩足を踏み入れた途端。「予想はしたいたの! アンティはいっつもびっくりするような大きなことをするから。なんて素敵なの、どうもありがとう!」と感激の涙。私たちはメルに抱かれた赤ちゃん、ミキオイを覗きこんだり、抱っこしたりと大騒ぎ。まるで引っ越しのような大作業をしたシアトル初日は、野菜たっぷりのサンドウィッチとコーンチャウダーのスープで簡単で温かい夕食を、終わらないおしゃべりとともに済ませたのでした。

さて、シアトルといえば……、というほど、私はシアトルについての知識がありません。シアトルマリナーズのイチロー選手、スターバックスの故郷、マイクロソフトやボーイングのような大企業の本拠地など、というくらい。はじめてきたときは、全体像をつかまなくっちゃと、シアトルの街にそびえたつスペースニードルという塔の展望台へ。

すると、シアトルはベイサイドの街であり、しかも、遠くに雪山も、と一目瞭然。つまりは、シーフードが美味、スキーが楽しめる、というわけです。さっそくシーフードマーケットのあるパイクス・パブリック・マーケットへ。

このマーケットのお魚屋さん、ちょっと築地を思わせる賑わいでした。お魚屋のお兄さんたちは世界共通で威勢がいいのですね。お魚を買ったお客さんに、お魚をひょいっと降り投げるパフォーマンスを見せながら、楽しそうに仕事をしていました。いきなり魚が私の方に飛んできたときは、思いっきり叫んで逃げた私ですが。


青さが冴えるサバ!!


新鮮な魚が手に入ると知ったら、今晩のおかずはポケ。アヒ(マグロ)を一口大に切り、玉ねぎやネギなどと一緒に醤油漬けにしたハワイアンフード。故郷の味が恋しいBJとメルにハワイアンフードディナーを約束していたアンティ・ケアラはアヒを約二キロ購入。

赤ちゃん誕生のお祝いの膳をハワイアンフードで、と決めていたこともあり、私たち、スーツケースにいろいろな食べ物を忍ばせてきたのですが、そのなかには、旅行の前に大量に作ったボーク・ラウラウ(ハワイアンソルトで揉んだ豚肉をカロの葉で包んで蒸したもの)、そしてポイ(カロを蒸してつぶし水と和えて練ったもの)もありました。

食べることが大切なこと、とされているのは、ハワイと日本の生活習慣のなかでの共通点。生きとし生けるものをいただくのですから、しっかりいただかないといけませんよね、と毎晩満腹。このままマウイに戻って衣装がちゃんと着られるのだろうかと、心配しながら、家族が集まっての食事を堪能。

そして、雪山で遭難しても大丈夫とばかりのお腹をかかえて出かけたのは、クリスタルマウンテンと呼ばれるスキー場。シアトルから車で二時間ほどのところでした。雪に大興奮なのは子どもばかりではなく、大人たちも! 普段の数倍着込んで動きがペンギンのようになっている子どもたちと、ホッキョクグマのような典型的ハワイアン体型の大人たちが、雪遊びを満喫したことは言うまでもありません。


雪山から降りてこない娘のアイナ


もちろん、大勢で旅行をすると楽しいことばかりではなく、大変なことがいくつかあります。今回も最年長は八十歳から、生後数日の赤ちゃんの十一人が移動するわけですから、車を乗り降りするだけで十数分、食事の仕度から片づけまでいれると五時間と、何をするにも時間がかかります。食糧の量もショッピングカートが溢れんばかりでしたし、搭乗手続きをした荷物の数は十四個、車イスからカーシートまで、目を見張るような量の荷物を積んだり降ろしたり。


キモとカウイの娘フラリから、従妹ミキオイへのキス


それでも、楽しいのはきっと家族だから。

そして、シアトルの新しいフラ・ファミリーとの出会い。家族が集まったら、まずは食べて、そして踊って、と、ただそれだけの普通のことが、家族の関係を強くしていくのだなと実感する旅でした。

スペースニードルにも、有名なマーケットにも、美しい雪山にも出かけたけれど、「この旅で何が一番楽しかった?」と聞くアンティ・ケアラに、「BJとメル、ミキオイに会えて、みんなで美味しい夕ご飯を毎日食べたこと」と答えている私。

食いしん坊だからでしょうか、でも、おへそに手をあてたら、お腹がそう返事をしたのですから、真実に違いありませんよね。

愛することは、知ることから [2007年12月03日(月)]
「愛ちゃんの家、随分おおらかな性教育ね、それ、とってもいい!」

と言ったのは、南アフリカに住む私の年上の親友、吉村峰子さん。

長年にわたって、「先生」という仕事に携わり、またHIV/エイズの患者さんたちとともに歩む暮らしのなかにいる彼女。いつもHIV/エイズに関する知識を少しでもいろんな人に知ってもらおうと、汗をかき、声をからし、歩きまわり、ときに頭をひねり、そして、くしゃくしゃの笑顔を見せたかと思えば、ゴウゴウと泣きじゃくる、一生懸命に日々、HIV/エイズと歩む人です。

私が、娘が今よりもっと小さかったころの話を峰子さんに話した途端、「それは性教育よ」と言われてびっくり。性教育といえば、中学校の保険体育の授業の思い出をひっぱりだしてこないといけないほど、私には縁のない言葉だったからです。

「ママ、ママのお腹のなかは赤いのよ。そして遠くが明るいの。きれいなところでね、そこから、う〜んって、でてきたけど、でてきたところはどこ?」

お風呂に入ると、思いだしたかのようにその話をする娘に、私はそのたびに、「そうよ。でてくるところはここ、とっても大事なところよ」と答えていました。

当時、私の行くところはどこにでもついてきていた娘、トイレについてきたものの、急に心配顔になり、半分泣きそうになりながら、ある日そう叫んだことがありました。

「ママ! どうしたの? 怪我をしたの?」

私は慌てて、「違う、違う。ママね、生理なの」と答えました。そして、生理の意味を説明すると、娘なりに納得したようでした。以来、生理、結婚、出産、赤ちゃんなどのキーワードは、彼女のなかで繋がりをもっているようです。

ママの体のどこから出てきたか、どうしてママから血がでているのか、それは私にとって、娘に隠すことではありません。娘の年齢からいって、わざわざ話すことではないのですが、聞かれればもちろん答えます。



この話を峰子さんに話すと、教育関係の仕事に従事して経験の長い彼女は、それを性教育だというので、私は今更ながらに驚いてしまいました。というのも、性教育云々とは学校の授業や地域社会で話題にのぼるものと思いこんでいた私には、家庭でする生理や出産の話とそれが、同じことには思えなかったからです。

いまでも、娘は、お父さんやお姉ちゃんとお風呂に入って感じた体の違いを私に話したり、いつ生理がくるのか、いつおっぱいが大きくなったり、脇や大切なところに毛がはえるのかなど、私に質問します。まるで、今日のご飯はなぁに、と聞くように。

聞かれたことに答えるのは親の務めと思っている私は、いかにわかりやすく説明するかに四苦八苦。しかし、娘は、ヤギの出産をみて、「生理の穴から赤ちゃんがうまれたよ! ママの穴から赤ちゃんの栄養(胎盤)がでてる」と言っていましたし、学校で着替えるときに、裸の娘をからかった友だちに、「笑わないで! ここは笑うとこじゃないの、大事なとこなのよ!」と大声でやり返したとのことです。

きっと、六歳なら六歳なりに、理解をしているのでしょう。娘がよく眺めている写真集、『A Child Is Born(子どもが生まれる)』も、彼女の理解をだいぶ手助けしてくれたようです。

「性教育は大事、HIV/エイズにだって知識さえあれば絶対かからない」とは、峰子さんの口癖。親になってまだ数年の私ですが、大事なことをできていると言われて、一安心でした。

私自身、親としてなすべきことはしようという覚悟はありますが、峰子さんから毎日にようにHIV/エイズのことを聞いても、「性教育は大切なことです。ひとりでもHIV/エイズの患者さんが増えることを防ぎましょう」と、私が言うということに、はじめは少し気おくれがしました。「あなたの知っているHIV/エイズの患者さんの名前をあげてください」と聞かれて、「本やテレビで知った川田龍平さん」と答える私と、いつもHIV/エイズの患者さんと一緒にいる峰子さんとは経験に差がありすぎ、私が峰子さんの口癖をまねても、それこそ、言うが易し、です。

しかし、私には峰子さんの言葉が、彼女の悔しさ、悲しさからくる激しい叫びに聞こえました。彼女が普通の口調で話しているときさえも。私は、峰子さんを通じて彼女が大好きなアフリカの素晴らしさと、彼女自身が体験しているHIV/エイズの問題を知ったのです。知ったならば、知らないふりはできません。

私一人の声が、二人の娘に届くなら、もう十人ほどの人にも届くかもしれない。

もう、黙っているわけにはいきませんでした。以来、私はできる限り、峰子さんの活動をサポートしてきました。峰子さんがHIV/エイズの患者さんと関わり、HIV/エイズの知識普及活動をはじめたきっかけも、二人のお子さんのためだったことも、私が今、お腹の底から納得して、発言し、書くことができる理由のひとつです。

六歳の娘にわかるように、十五歳の娘と同じ目線で、彼女たちの疑問に答えることが性教育なのであれば、私は喜んでします。性をもって生んだ性を、育みたいからです。娘たちが成長し、社会のなかで様々な人間関係を作っていくなかで、性教育の内容は、HIV/エイズ、避妊、性感染症などのことにも広がるでしょう。まずは私が知る努力も必要に違いありません。

子どもたちにしっかりとした知識を与え、自らの命を大切にするように教えることは、私が子どもを愛しているっていうこと。



どうか、HIV/エイズについて、知ってください。

まずは知ることです。みなさんが、自分で自分自身を愛するために。そして、みなさんが愛している家族や恋人、友人のみなさんに伝えてください。

すでにお子さんのいらっしゃるみなさんは、きっと無条件でお子さんのために動いてくださることを信じています。

そして、お子さんのいらっしゃらないみなさんは、あなたの愛する人と抱き合うまえに、自分自身の両手で、あなたの体を抱きしめてみてください。自分の体を大切にすることは、愛する人を大切にすること、私はそう思っています。

私はこのエッセイを、十二月十五日にシンポジウムに参加する吉村峰子さんを応援するために書きました。読んでくださったみなさま、興味を持ってくださったみなさま、是非、シンポジウムにいらしてください。また。カフェグローブ編集部にて、なんと川田龍平さんのインタビュー記事を掲載中です。こちらもあわせてご覧くださいませ。

◎詳しいシンポジウムのお知らせや吉村峰子さんのエッセイはこちらから! 

プロフィール
神宮寺愛
エッセイスト×フラダンサー
東京での出版社勤務を経て、現在はエッセイストとして活動。マウイ島ワイルク在住。著書『心と体がピュアになるハワイアンな暮らし』(青春出版社・刊)他。フラやハワイ語等を学ぶダンサーでもあり、カノエアウダンスアカデミー所属。現在カアナパリビーチホテルのディナーショーにレギュラー出演中。