Heavenly HANAへの道標 [2008年06月25日(水)]
|
「Hanaというところは、どうしていつも“天国のようなハナ”と呼ばれているのですか」
二週間ほど前、急に、そんな質問がやってきました。 今月の前半、私はこの質問の主とのお仕事に奔走していたのです。この連載のエッセイを更新できず、いつも私のエッセイを読んでくださっているみなさまにご迷惑をおかけしてしまいました。 さて、みなさまへ、私のごめんなさいのしるしに、マウイ島のハナ、天国のようなところといわれるハナの村のことをご紹介します。 ![]() ハナの村はとても小さな村。 現在、村の人の多くが働いているホテル・ハナマウイを中心に、ハナ牧場、生活必需品がそろうたった一軒のジェネラル・ストアと数軒の小さなお店、学校、警察署、消防署、保健所、村の家々などが広がっています。 マウイ島のカフルイ空港から、約八十三キロメートル。六百以上のカーブをまがり、車一台しか通り抜けることのできない橋や道を注意深く走り、二時間半ほどかかります。 ![]() ハナへ向かう道は一本道 ハイウェイをまっすぐに走って到着する、青い海と白い砂浜が広がる場所に立ち並ぶホテルやショッピングセンターとは、正反対の存在のハナの村。 それでも、多くの観光客のみなさまが、慣れない運転に気を配りながら、椰子やククイ、ハラなどの木々が鬱蒼と生い茂り、艶やかなジンジャーの花々が咲く香りのいい森をくぐりぬけ、ハナの村にやってきます。 私がハナの村と出会ったのはかれこれ十年ほど前でした。 村は十年たった今もまったくといっていいほど変わりませんが、私は変わりました。十年前は、ハナの村が年に一度行う「タロ・フェスティバル」を楽しむだけだったのが、いまでは、ことあるたびに訪れる、家族ぐるみでお付き合いのある親友夫婦のふるさとの村になったからです。 さて、今回の私の仕事のベースとなったのはホテル・ハナマウイ。小さなホテルですが、私はこのホテルにまさる宝物を持っているホテルは、マウイ島にはないと思います。 全室がコテージ、自然の音しか聞こえない広い敷地のなかは、色鮮やかな花々や緑が匂う木々、目の前に広がる海に続いていくくかのようなプール、寝そべって空を眺めるは最適な広大な庭。この素朴なホテルは自然の豊かさに抱かれて、ありのままの姿で訪れる人々を迎えています。 ![]() 私のフラの師、ハーナイ・ママのアンティ・ケアラはハナ高校を卒業し、このホテル・ハナマウイで踊るダンサーでした。毎週金曜日に行われるホテルのダイニングでのショウを今回は見ることができませんでしたが、ホテルのジェネラルマネージャーが、こんなことを言っていました。 「ホテルで働く人の九割がハナの村で育った人たちだよ。金曜日のショウを見たら、それがわかるよ。ミュージシャンもダンサーもハナの人、そしてほとんどが家族。おばさん、おじさん、姪っ子、甥っ子、なかには三世代が一度に登場したりもする。そもそもホテルで働く九割の人はハナの村の三家族の人たちだからね、ホテルがこれほど家族ぐるみで切り盛りされているところは他にないね」 私は本土から来たという、かなりお年を召したマネージャー氏に、「ハナの村に、よそから来てみてどうですか?」と聞いてみると、 彼の孫ほどの年の私の肩に手を置きながら、 「僕は忘れっぽいからね、よく鍵をかけ忘れる、物を置き忘れる、でも、何も起こらないよ、ここでは。鍵をかける必要もないし、物は置き忘れたまま、いつまでもそこにあるだけ。それが一番好きだ。今の僕に合っている。 一割のよそ者に村の人はやさしい。アメリカの冒険家のチャールズ・リンドバーグが、年老いてから癌になり、あと少し残されたという命をここで、と無理をしながらでもこの村に戻ってきたという気持ちがわかるよ。彼が本土からここに戻る手はずを整えたのは、いまホテルでコンシアージュをしている従業員のお父さんだよ」 ハワイはキャプテン・クックの来訪以降、急激な環境の変化、歴史の荒波、ときには津波のような波にもまれ、今に至っているのは、みなさんもある程度はご存知だと思います。変化はどんな時代にも、どんなところにもおこるものですが、その歴史の変化のなかで、いにしえを学び続けなくては、私たちはきっと迷子になるでしょう。 ![]() 道標 ハナの人々に迷子はいません。 彼らの土地との結びつきの強さが、ハナを訪れる人々に安らぎの時間を与え、発せられた迷子注意報を感じる人々に、地図をお土産にするのでしょう。 「天国のような、という言葉が大げさだと思いますか?」 と、私は質問の主に聞いてみようかと思います。答えは彼の作る雑誌の数ページの特集のなかにあるでしょうから。 |

























