おへそに手をあてて……

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食べる時間、伝える時間 [2008年05月24日(土)]
BABY LUAU(ベイビー・ルアウ)とは、ハワイの人々が盛大に祝う、赤ちゃんの一歳のお誕生日会のこと。

日本では、お七夜、お宮参り、お食い初め、初節句、七五三……。ベイビー・ルアウの意味合いとしては、「家族のなかに生まれた赤ちゃんを、はじめて地域、社会の一員として認めてもらうためのお祝い」が強いので、お七夜のような感じでしょうか。

どちらにしても、赤ちゃんという存在はかよわい命、病気などにかからないように、災難がやってこないようにと、祈りながら、家族全員で大切に育て、のちにお披露目の意味で、成長を地域社会に報告していくということに、とても共通感を感じます。

ベイビー・ルアウのお祝いのスタイルは、それぞれの家族が話し合って、様々なかたちで行われています。場所は、自宅、ホテル、レストラン、地域の集会所、ビーチなど、人数は、数十人から数百人、といろいろですが、基本は「みんなで集って、食事をする」という和やかなお祝いです。



当の本人、つまり赤ちゃんは一歳、ようやく歩けるようになり、いくつかの食べ物が食べられるようになったばかりですから、お祝いの会の食事や催しは、集まった大人たちや、子どもたちのためのもの。一日がかりのベイビー・ルアウは、食べて、喋って、遊んで、踊って、歌って、の大宴会というわけです。

週末、私のフラの家族のひとり、Auli’i(アウリイ)のベイビー・ルアウが行われました。場所はマウイ島の南西の町、キヘイのビーチパーク、百数十人の集まるお祝いでした。アウリイのお母さんであるカウイは、私が毎日一緒に踊っているフラ・シスターですから、私自身も準備に大忙し。食事の支度から、引き物の準備まで、目の回るような状態のまま、当日の朝をむかえ、なんと百八十個のおむすびをにぎりました。



ベイビー・ルアウの会場の飾りつけは、ピーターパンの物語に登場するティンカーベルという妖精がテーマ。女の子たちに人気のキャラクター、ティンカーベルが、会場のあちらこちらに飛び回って、きらきらと光る魔法の粉をふりかけています。テープルクロス、風船、お皿、ナプキン、そして、なんと特大バースデーケーキにも。



ビーチからの風が心地よく吹き抜けるなか、大人たちは食事の支度の最終段階、バーベキューのグリルからいい匂いをさせながら、お肉やシーフードなどを焼いています。子どもたちは、アウリイのお父さんのキモが用意したウォータースライド、水浴びしながらの滑り台でおおはしゃぎ。

時計がお昼に近くなるころ、八十二歳のアウリイのひいおばあちゃんを筆頭に、おじいちゃん、おばあちゃん、おじさん、おばさん、兄弟姉妹、いとこたち、フラ・ファミリーが一同に集まって、食事をはじめました。

みんなで食べる時間は、美味しい時間、そして、伝える時間。

私は子どものころ、祖父母の家に、親戚や村の人たちが集まって食事をしたことをぼんやりと思い出していました。祖母や母やおばさんたちが、台所で忙しく食事の支度をし、私たちは、ご馳走の並んだ長いテーブルにお皿などを運ぶ、お運びさんだった……。食事はいつまでも続き、大人たちはにぎやかに長い間話をしていたっけ。

ぼんやりしていた私の前を、目の前をアウリイのお母さんのカウイが横切り、カウイのおばあちゃんへ食事のお皿を運んでいきました。子どもたちは、年上の子どもから赤ちゃんまでが一緒に食事をしています。食事のまだ上手にできない小さな子どもたちの世話をやくお姉さん、お兄さん姿は、頼もしいものです。

世代というものの存在は、存在するだけで、その時間を伝える時間に変えていく。

それは、次世代を生み出し、そこからまた、親としての成長をはじめた、いまの私の実感です。伝えることが、私にとって、とても大切なことだと気がついたのは、親になってからでした。以来、仕事として、書いたり、踊ったりするときも、伝えることを大切にしていくようになったのです。

そんな私に、以前、仕事仲間の友人が「そんなに家族が大事なんだね」と、少し問い詰め気味に言ったことがありました。

「とっても大切」としっかり答えた私。最近、その友人が結婚し、お腹に赤ちゃんができたと聞き、友人の心のなかに、家族を大切にする気持ちが深まっていくことを願うばかりです。

キヘイの海が夕焼け色に染まるころ、私たちの顔も体も日に焼けて、夕焼け空と海に混ざってしまいそうでした。片付けをしながら、長い一日の疲れを感じる私に、娘はまだ遊び足らずにはしゃぎながらのお手伝い。その笑顔は、私の疲れをいつも一瞬に吹き飛ばしてくれる笑顔なのでした。

本日、お日柄もよろしく [2008年02月13日(水)]
お日柄もよろしい、去る日曜日、かしこみ、かしこみ、お願いしてまいりました。

お願いの儀とは、数えで七歳になる娘の無事の成長、世に言う「帯解」、つまり七五三でございます。

本来ならば、昨年の十一月、もしくは満年齢で今年の十一月に行うべきなのでしょうけれど、家族が集まることができて、晴れ着を着てもそう暑くはない季節となると、いましかない……。そこで、マウイ神社に相談に行ったところ、「祝えるときに祝いなさい」と、御歳九十四歳の宮司のトラコおばあちゃんのお言葉。

久しぶりの晴天に恵まれ、心地よい風に吹かれながら、めでたく、お祝いをすることになりました。

まずは髪結、登場したるは、私のフラの師、ハーナイママのアンティ・ケアラ。実はハワイ州認定の美容師免許をもつ彼女は、ダンサーのヘアスタイルをいつも華やかに結い上げてくれる手練れなのです。

「日本髪の結い方は、本当に素敵よね。三十年くらい前に日本ではじめてみたときは、日本の人の髪の毛はなんて美しいのだろうって思ったわ。髪の美しさを大切にするのはハワイも日本も一緒ね」と話しながら、数十分で娘の髪を結い上げてしまいまいした。

娘は、彼女にとって「孫」のような存在。「さあ、今度は本当のおばあちゃんに着物を着せてもらいなさい」といって後ろへまわったアンティ・ケアラは、私の継母が静かに着物を着せていくのをじっくりと眺めていました。

桜色の絞り染めの着物に紅色の帯を締め、朱色の帯揚げをふんわりと。ひとつひとつを重ね、結んでいく作業は、大切なことをひとつひとつ確認していくような安心感。つややかな髪に大きめの花かんざしをつけてあげると、娘は興奮した様子で、「アンティ、私、すごい靴をはくの」と、木履(ぽっくり)を箱から出してきました。



さて、少し白粉をはたき、唇に紅をひいた娘、木履をはいて用意万端。いざ、マウイ神社へ。

「ママね、このお着物をきて、木履をはいて、アイナと同じように神社に行ったんだけど、神社の石段が登れなくってね、おじいちゃんにおんぶしてもらったのよ」と私が懐かしげにつぶやくと、「駄目じゃない、ママ〜、もう赤ちゃんじゃないのに、おんぶなんてしてもらって」と、娘はどこかで見たような諭し顔。私の思い出の着物を娘に引き継ぐことができたことは、じんわりと世代の移り変わりを考えさせられる出来事でした。

九十四歳のトラコおばあちゃんは、私たちをにこやかに、大きな声で迎えてくれました。神妙な面持ちで神社の本殿に入り、席につくと、頃合いよく、トラコおばあちゃんが静々と前へ、そして太鼓をたたきはじめます。

「太鼓で神様に合図するのね」
「ママ〜、あの太鼓は鮫の皮でできている?」
「ハワイの神様の太鼓は、鮫の神様や、豚の神様が皮をくださるけど、日本の太鼓は、牛さんよ」

「着物って暑いね」
「そうね」
「暑いなぁ」
「静かに」
「暑いよ〜」
「我慢しなさい」

神前で祝詞を唱えるトラコおばあちゃんの声は、九十四歳には思えないほど大きく、声には十分に張りがありました。私は日本の祝詞をあげたことはありませんけれど、小唄を習ったことはありますし、いま、仕事でハワイの祝詞を詠唱することがありますから、広い場所で、皆に聞こえるように声を続けてだすことは、とても体力、精神力の要ることだと知っています。

トラコおばあちゃんは、その姿だけで私に、いろいろなことを教えてくれました。自分のするべきことを知り、それを黙々とする姿。見ているだけで、深々と頭の下がる思いでした。

儀式を終えたおばあちゃんは、私たちのところにやってきて、「年をとったから、人の言っていることがよく聞こえないし、自分の声はどんどん大きくなっているようだし」と笑っていました。「元気な証拠ですね」と私が言うと、「今日もお赤飯を炊いてあげようと思ったのだけど、なかなか年寄りにはすぐにはできなくって。でも、桃の節句のときは炊くから必ず来てね」、そして、「よいお父さんとお母さんを持って幸せね」と言い聞かせるように娘に。

私は結構な楽天家なので、娘に「ほぉら、私はよいお母さんなのよ」と言うこともあるのですが、トラコおばあちゃんのような女性に、それを娘に伝えてもらうことは、私にとってではなく、娘にとって大切なことのような気がして、有難い気持ちでいっぱいでした。

おばあちゃんに何度もお礼を言いながら、帰途につき、家に戻ると、今度はお祝いのお餅つき。お餅が大好物の娘は、すでにお腹をすかせ準備万端。裏庭に置いた石臼の横に寝そべって待っています。



少し日が落ちた午後四時、友人たちも集まり、お餅つき。コトコトと煮込んだ甘い小豆と、きな粉と黒蜜、大根おろしの入った大皿に、つきたての白いお餅が手でちぎられて、ぷるるん、ぷるるんと並んでいきました。

日本髪を結ったままの娘は、お餅つきの返し手に挑戦し、お餅がついたままの手で小豆のお餅を頬張っています。「お米のなかには七人の神様がいるんだよ。だから大切に……」が口癖の夫は、日本酒を飲んで、「お餅とお酒は合うね〜」と上機嫌。

星が見えはじめた夜空に、私は祈るばかりでした。

心と体が健やかでありますように、家族と友人たちをお守りください、

かしこみ、かしこみ、お願い申し上げます、と。

Dear 'Ohana Cafe globe, from Blythe [2008年02月05日(火)]
思わず、背後を確認してしまう私。

別に何か隠し事というわけではないのですけれど、どうも気になります。「ねぇ、何しているの」とか、「ママ、それ私のなんだけど」とか、言われてしまいそうで。

でも、ここ数年で随分慣れましたし、しっかり愛着もわいてしまい、いまでは、「ああ、やっぱり可愛い、この目つきが何とも言えないのよね」とひとり言。

以前もみなさんにご紹介しましたが、私のハーナイママのジュンコ・ウォングの会社、クロス・ワールド・コネクションズ(CWC)がプロデュースしている人形のブライス。このブライス、またしても、新しい世界にデビューしました。

映画の世界のプリンセスに、ファッション・ア・ラ・モードをテーマに、と幅広く活躍し続けるブライス、今度はハワイの伝説のなかに生まれてきたのです。

『ナー・ワーヒネ・アウリイ 〜ブライス 語りつづける娘たち〜』



どうしてブライスがハワイに?

その理由は、この本の著者、ジュンコ・ウォングがブライスを「ハーナイ」しようと決めたときにさかのぼるでしょう。

ジュンコ・ウォングにとって、ハワイは心のふるさと、子どものころからの思い出がたくさんつまっている大切な場所です。

そして、そのハワイの生活習慣のなかにある「ハーナイ(養子にする/養子になる)」を彼女の言葉で語れば、「自分の子どもを、自分よりももっといろいろなことを子どもに教えてくれる人に預けて、育ての親になってもらう習慣のことです。育ての親は一生懸命に『自分』をその子に与えて、大きく立派に育つように努力しなくてはいけません」、ということ。

私のハーナイママである彼女が、ブライスをハーナイすると決めたということは、私とブライスは、ハーナイされた娘同士、協力しあって生きていかなくていけないし、ハーナイママを支える必要があります。

この本、『ナー・ワーヒネ・アウリイ 〜ブライス 語りつづける娘たち〜』のプロジェクトは数年前にはじまり、今年のはじめに出版されました。私はこの本のなかで、何をしたかといえば、ハーナイママとブライスと、ただ一緒にいただけ。ハーナイママとブライスの言葉にならない想いを形にするのを手伝っただけです。

ハーナイママは、日本語も英語も堪能なのですが、彼女は日本語を書くことに自信がありませんでした。彼女はいつも自分が話したり書いたりする日本語を、「私の変な日本語」と言うのです。確かに彼女の日本語は、彼女の不安があらわれて、彼女の言う通りに変なときもあるでしょう。

でも、私は彼女の気持ちがいっぱいつまっている彼女の日本語が大好きでした。なので、彼女が私に「私の変な日本語、愛が直してくれる?」と言ったとき、心のなかでは「直さないよ〜」と思っていました。

この本の執筆の最中、彼女はすごい速さで自分の想いを書き綴っていきました。日本語と英語で。私はそれを彼女らしい日本語とハワイ語にしたのです。

そして、その原稿を渡すときに、彼女に伝えました。

「この、日本語とハワイ語の原稿は、ママだけのもの。だから、誰かが文章を直したほうがいいのではないかというアドバイスをくれたときは、必ず私に相談してね」と。

私にとって、原稿のなかの日本語は、私が尊敬し、理解している彼女のためだけに、心をこめて書きおろした日本語であって、他の誰かのものではなかったからです。そして、ハワイ語は、私のもう一人のハーナイママ、アンティケアラの大きな助けがあってできあがったものでした。

本はすべてのページがカラーで、どの写真も魅力たっぷりです。撮影チームは、マウイ島だけではなく、オアフ島やハワイ島にも赴きました。CWCのクリエイティブチームJunie Moonのヨッシーこと小泉歓子ちゃん、ウルトラタマのミヤタマこと宮田麻貴子ちゃん、と私の三人は頭を寄せ合い、手を握り合い、涙あり笑いありの、ジュンコ・ウォングとブライスの旅につづきました。



そして、原稿と写真を、日本でしっかりと受けとめてくれたCWCのデザイナー、モーリーこと森下明日香ちゃん。ハーナイママ同士の、ハーナイされた娘同士の、そして、ジュンコ・ウォングの会社のみんな、家族が助け合ってできた本を、カフェグローブのみなさんに、今日はご紹介します。

自然を愛する人へ、家族と友人を愛する人へ、日本とハワイを愛する人へ!

Hau’oli makahiki hou ! [2007年12月31日(月)]
「いいところで会ったわ! ねえ、これなあに?」

と買い物をしている私に声をかけてきたのは、いつも私が踊っているカアナパリビーチホテルのフロントデスクにいるスーザン。

「今日は、ショウで踊らなくていいの? 私が仕事が終わったときに覗いたら、二百人のお客様で満席だったわよ」
「人数が足りていたから、お休みをもらったの。お正月の準備したかったし」
「そうよねえ、私なんてお正月が終わるまでお休みがないから、いまが最後のお買いもののチャンスなの。よかったわ、会えて。私、質問があったのよ」

と、スーザンは私の腕をつかむと、門松などのお正月飾りのあるコーナーへひっぱります。マウイでは、日本のお正月飾りはとても人気。小さめの門松や、鏡餅、橙、裏白などが普通のスーパーマーケットに並んでいるのです。



「私ね、門松はちょっと高いから、この松の枝の束を買ったの。いいのかしら」
「いいの、いいの。松であればいいの。松は、年神さまが降りてくる目印になるから」
「えっ、神様が来るの! じゃあ、さっそく今日飾るわ」
「駄目、今日は二十九日だから駄目。明日飾ってね。明後日の大晦日では駄目よ」

「わ、わかったわ。ねえ、それと、これも餅なの?」
「そう、鏡餅。昔、鏡と玉と剣をお供えした習慣の名残なの」
「なるほど、鏡の餅ね。じゃあ、この橙は玉ね。あら、剣は?」
「私の家では干し柿を使っていたけれど……、売ってないね」

さすがに干し柿は見当たらず、やっぱり全部は揃ってはいないんだなと思いはじめたとき、ふとみれば、なぜか、小さなイカの燻製が。ちゃあんと、先がとがっていました。

「ねえ、ところで、この絵はなあに? 何枚もあるじゃない。どれがいいのかしら」

スーザンの手に今度は、大黒天様や恵比寿様の絵が。大黒天様は左肩にしっかり大袋を背負い、右手にはお決まりの打ち出の小づち、背景には米俵、恵比寿様は烏帽子姿に、釣りざおと鯛ときまっています。スーザンに七福神様を簡単に説明しながら、マウイにも来るんだなぁ、と有難い気持ちに浸っていると、今度はスーザンがひらひらと別の紙を持ってきました。

「メデタイの鯛はわかったけれど、じゃあ、どうしてこれには茄子が書いてあるの?」

なんと、一、富士、ニ、鷹、三、なすび、が登場。これには、さらに説明がいりますよね。

ふと後ろを見れば、数人のおじさまやおばさまが、私たちのやりとりを興味深そうに眺めているではありませんか。お正月のお飾りは、みんなが飾っているし、素敵だから飾るというのもいいですけれど、意味を知ってから飾れば、もっと有難い気持ちになるはず。

お正月の食べ物も同じことです。マウイに引っ越してからは、日本のようにおせち料理の素材がなんでも手に入るわけではありませんし、年末に何日もかけて、祖母や母とおせち料理を作る時間もなくなってしまいましたが、そのかわりに、家族が大好きな数品を、心をこめて作るようにしています。

なんでも、できることをするのが一番ですから。



マウイの地元の人々のなかでは、お雑煮も一般的。クリスマスが終わった日から大晦日までの間、普段はお店に並んでいない水菜が、お正月のお雑煮の具として売られています。水菜以外には、大根、牛蒡、里芋、蓮などもお正月料理のお野菜として、誇らしげに顔を揃え、紅白の蒲鉾も人気の商品に。

お正月はすっかり日本びいきなマウイの人々、大晦日は中国風。大量の爆竹や花火を買うことを忘れてはいません。大晦日は道で爆竹、煙がすごく、前が見えないこともあるんですよ。

昨年に続き、今年の私の大晦日といえば、ショウで踊り、お客さまと一緒にカウントダウン。ちょっと慌しくはありますが、行く年、来る年、おへそに手をあてて、見送り、迎えたいと思います。

今年、カフェグローブの読者のみなさまが、私のオハナ・カフェグローブになってくださったことを感謝してやみません。書く、踊る、どちらも私の生業ですが、その両方が交わりながら生まれる日常、その経験をみなさんとシェアできるこの場を、これからも大切にしていきたいと思っています。

どうぞ、これからもよろしくお願いいたします。

Hau’oli makahiki hou !

Aloha in Seattle [2007年12月10日(月)]
毎年、クリスマスなどのホリデーシーズンのはじまる直前の十二月前半、私たちカノエアウ・ダンス・アカデミーのダンサー陣はホテルから二週間のお暇をいただき、休みなしで踊り続けなくてはいけないホリデーシーズンに備えて、休暇を楽しむことにしています。

というわけで、私、シアトルに行ってまいりました!


雪の降った昔のシアトルの町のミニチュア
Children Museum前にて


実は、シアトルには私のフラ・ブラザーのBJとフラ・シスターのメルが住んでおり、彼らは昨年カノエアウ・ダンス・アカデミー・シアトル支部を開設。フラはハワイだけではなく、米国本土にもかなり浸透しており、フラ・ハーラウ(フラを中心にハワイの伝統文化を学ぶところ)の数も多いのです。

BJとメルは、念願の赤ちゃんを授かったばかりでもあり、今回、八日間にかけて、マウイ島本部より総勢八名で、新しいフラ・ハーラウの応援と、赤ちゃんの誕生を祝いに馳せ参じたのであります。

出発当日、定例のショウを踊り終え、空港へ。長そでとジーンズ、ブーツに身を包んでから、機内に向かう私やフラ・シスターのカウイを横目に、「自然のエアコンがあって、いつでも、どこでも涼しいなんていいわぁ、私は寒いのが嫌って言いたくなることはないのよ」と、普段のムウムウ姿にサンダルを履いたアンティ・ケアラ。

やっぱり。雪降る二月の日本に行ったときも、ささるような風が吹き荒れた十二月のロサンゼルスのときも、アンティはムウムウだったもの。

さておき、シアトルに無事到着した私たちがしたことは、前日に出産を済ませ、赤ちゃんを連れて戻ってくるメルへのびっくり計画。私たちの宿泊先でもある彼らの家の模様替えです。

まずは、彼らの家の数点の家具を家の前で売り、次に、家族が増え、友人たちが泊まり、フラを学びにきた生徒たちが使ってもよいと思えるソファーベッドや食器、ポータブルの机や椅子を購入。そして、クリスマスツリーなどのデコレーション、大勢でクッキングをすることを考えての調理器具なども。

アンティ・ケアラの指揮に従って、私とカウイ、カウイの旦那さまのキモと、ご当主のBJで、掃除、搬入、家具の組み立て、設置をテキパキとこなしていきます。いつも一緒に行動していますから、慣れたものです。数時間後にはクリスマスツリーのデコレーションを残すのみに。

出産という大仕事を終えたメルは、部屋に一歩足を踏み入れた途端。「予想はしたいたの! アンティはいっつもびっくりするような大きなことをするから。なんて素敵なの、どうもありがとう!」と感激の涙。私たちはメルに抱かれた赤ちゃん、ミキオイを覗きこんだり、抱っこしたりと大騒ぎ。まるで引っ越しのような大作業をしたシアトル初日は、野菜たっぷりのサンドウィッチとコーンチャウダーのスープで簡単で温かい夕食を、終わらないおしゃべりとともに済ませたのでした。

さて、シアトルといえば……、というほど、私はシアトルについての知識がありません。シアトルマリナーズのイチロー選手、スターバックスの故郷、マイクロソフトやボーイングのような大企業の本拠地など、というくらい。はじめてきたときは、全体像をつかまなくっちゃと、シアトルの街にそびえたつスペースニードルという塔の展望台へ。

すると、シアトルはベイサイドの街であり、しかも、遠くに雪山も、と一目瞭然。つまりは、シーフードが美味、スキーが楽しめる、というわけです。さっそくシーフードマーケットのあるパイクス・パブリック・マーケットへ。

このマーケットのお魚屋さん、ちょっと築地を思わせる賑わいでした。お魚屋のお兄さんたちは世界共通で威勢がいいのですね。お魚を買ったお客さんに、お魚をひょいっと降り投げるパフォーマンスを見せながら、楽しそうに仕事をしていました。いきなり魚が私の方に飛んできたときは、思いっきり叫んで逃げた私ですが。


青さが冴えるサバ!!


新鮮な魚が手に入ると知ったら、今晩のおかずはポケ。アヒ(マグロ)を一口大に切り、玉ねぎやネギなどと一緒に醤油漬けにしたハワイアンフード。故郷の味が恋しいBJとメルにハワイアンフードディナーを約束していたアンティ・ケアラはアヒを約二キロ購入。

赤ちゃん誕生のお祝いの膳をハワイアンフードで、と決めていたこともあり、私たち、スーツケースにいろいろな食べ物を忍ばせてきたのですが、そのなかには、旅行の前に大量に作ったボーク・ラウラウ(ハワイアンソルトで揉んだ豚肉をカロの葉で包んで蒸したもの)、そしてポイ(カロを蒸してつぶし水と和えて練ったもの)もありました。

食べることが大切なこと、とされているのは、ハワイと日本の生活習慣のなかでの共通点。生きとし生けるものをいただくのですから、しっかりいただかないといけませんよね、と毎晩満腹。このままマウイに戻って衣装がちゃんと着られるのだろうかと、心配しながら、家族が集まっての食事を堪能。

そして、雪山で遭難しても大丈夫とばかりのお腹をかかえて出かけたのは、クリスタルマウンテンと呼ばれるスキー場。シアトルから車で二時間ほどのところでした。雪に大興奮なのは子どもばかりではなく、大人たちも! 普段の数倍着込んで動きがペンギンのようになっている子どもたちと、ホッキョクグマのような典型的ハワイアン体型の大人たちが、雪遊びを満喫したことは言うまでもありません。


雪山から降りてこない娘のアイナ


もちろん、大勢で旅行をすると楽しいことばかりではなく、大変なことがいくつかあります。今回も最年長は八十歳から、生後数日の赤ちゃんの十一人が移動するわけですから、車を乗り降りするだけで十数分、食事の仕度から片づけまでいれると五時間と、何をするにも時間がかかります。食糧の量もショッピングカートが溢れんばかりでしたし、搭乗手続きをした荷物の数は十四個、車イスからカーシートまで、目を見張るような量の荷物を積んだり降ろしたり。


キモとカウイの娘フラリから、従妹ミキオイへのキス


それでも、楽しいのはきっと家族だから。

そして、シアトルの新しいフラ・ファミリーとの出会い。家族が集まったら、まずは食べて、そして踊って、と、ただそれだけの普通のことが、家族の関係を強くしていくのだなと実感する旅でした。

スペースニードルにも、有名なマーケットにも、美しい雪山にも出かけたけれど、「この旅で何が一番楽しかった?」と聞くアンティ・ケアラに、「BJとメル、ミキオイに会えて、みんなで美味しい夕ご飯を毎日食べたこと」と答えている私。

食いしん坊だからでしょうか、でも、おへそに手をあてたら、お腹がそう返事をしたのですから、真実に違いありませんよね。

ありがとうはいつでも、いつまでも [2007年11月27日(火)]
先週の木曜日は、サンクスギビングデーという祝日でした。アメリカ先住民であるアメリカインディアンが、農作物が育たず、狩猟もうまくゆかずに困っていたヨーロッパからやってきた人々助けたことに感謝し、その後収穫を祝うようになったという謂れのある日です。

この日は、家族や友人が集まって食事をして過ごすことが多く、七面鳥やカボチャ、芋、トウモロコシなどを使った料理をみんなで囲みます。私はいつも、クム・フラであり、私のハーナイ・ママであるアンティ・ケアラの家で昼食、その後、私と夫の共通の友人夫婦、ペケロとロビンの家へ。

どちらの家のお料理も数日かけての手作りです。私もアンティ・ケアラの家に前日から泊まり込みでした。みなさんにまずはお腹を満たしていただくためにも、両家のメニューをご紹介しましょう!






【アンティ・ケアラの家のおおごちそう】
七面鳥の丸焼き・ピーチとクローブで煮込んだハム・野菜入りのスタッフィング・コーンとサクサクのクラッカーのバター風味オーブン焼き・マシュマロトッピングのヤム芋のマッシュドポテト・蟹入りポテトサラダ・洋ナシとクランベリーとピーカンナッツののっているグリーンサラダ・グレイビーとクランベリーソース・パイナップルとスイカ・パンプキンクランチパイ・ブルーベリータルト・カスタードとチョコレートカスタードのタルト





【ペケロ&ロビンの家のおおごちそう】
七面鳥の丸焼き・甘辛い鳥のから揚げ・リンゴとセロリとクランペリーとマシュマロのヨーグルト風味のサラダ・コーンとグリーンピースのサラダ・マッシュドポテト・野菜入りスタッフィング・チャイニーズヌードル・グレイビーとクランベリーソース・カスタードバイ・ピーカンパイ・パンプキンパイ

※スタッフィングとは、七面鳥を丸焼きにする際にする詰め物。



実は、どちらの家にもお料理の美味しさ以外にたくさんの共通点があるのです。

其の一・アメリカンインディアンの血が流れていること
其の二・ロビンのお母さんはアンティ・ケアラの恩師、アンティ・ケアラはペケロとロビン、ロビンの姉妹の高校時代の先生
其の三・マウイ島のハナで長い間暮らしていたこと


ロビンのお母さんの家の数々のアメリカンインディアンのアート


マウイ島は小さい島ですから、つながりがあることは不思議ではないのですが、夫が娘のプリスクールの手伝いに出かけた時にすっかり意気投合し、とても仲良くなったのがペケロ、その後、娘たちが大親友と呼び合う仲になり、私とロビンも姉妹のように。あるとき、娘が親友のナーマカをアンティ・ケアラのフラの練習に連れてきたところ、其の二の事実が発覚したというわけです。

今年のサンクスギビングデー、いつものように私はアンティ・ケアラの家で、お腹がはちきれんばかりに食べ、踊っていると、アンティ・ケアラがペケロとロビンの家に早く行くように私をせかしました。その理由は、今年、ロビンのお母さんが癌で亡くなったからでした。

大切な人を亡くした年のはじめての大きな祝日に、ロビンをさみしい気持ちにさせたらいけない。サンクスギビングデーの前日に大親友を亡くしたことのあるアンティ・ケアラはその話とともに、まだ涙のかわかない私の背中を押しました。

ロビンのお母さんは、「先生」という仕事が大好きな人。マウイ島のハナ・ハイスクール、ボールドウィン・ハイスクールで教えたあと、学校に行かなくなった子どものための学校で、癌の手術の前日まで教壇に立っていました。


ロビンのお母さんの若きころの写真、聡明な面差しが印象的


博識で、私にもいろいろなことをわかりやすく教えてくれた彼女。教会のバザーやセールなどで日本語の本を見つければどっさり買って私に、娘には誕生日やクリスマスに必ずプレゼント、子どもに見せたほうがよいイベントや聴かせたほうがよいコンサートがあれば連絡をくれ、泊まりにでかければ、娘に自分の孫と同じように本を読んでくれたりする、とっても頼れる「グランマ」でした。

私がペケロとロビンの家に行くと、二人はキッチンで七面鳥を食べやすく切っているところでした。ロビンはお母さんの言いつけどおり、食卓にはどんなときも本物のお皿とフォークとナイフ。外で食べるときも、小さな子どもが使うときも、何十人のお客様でも、紙のお皿やプラスティックのフォークやナイフを嫌ったお母さんの言いつけを実行していました。以前は、「ママったら、六十枚のお皿を外に持ち出して、しかもそのあとお皿洗いは私がするなんて」とぼやいていたのに。

娘と親友のナーマカ、その妹のエラはまるで姉妹のように仲良し。外にあるテーブルのそばの大きな椅子に二人で座り、賑やかに食べはじめました。

私が二度目のごちそうをほおばっていると、ロビンが、「じゃあ、今日はサンクスギビングデーなので、みんながそれぞれ何に感謝しているかを言いましょうよ」と言いだしました。

子どもたちが元気に、「パパとママ!」とか、「ママがおっぱいをくれたこと!」とか、「毎日幸せだってこと」などと叫びはじめます。しかーし、大人はちょっと口が重めというか、特に男性陣は照れがあるようでした。

そこで私はロビンに、アンティ・ケアラの家でとっても盛り上がった話をおすそわけ。それはマウイ島の高原クラにあるラベンダーファームで働いているアンティ・ケアラの友人とファームのお店にやってきたお客様との一悶着の話。ラベンダーファームのお店は、ラベンダーを使ったスキンケア用品、アロマテラピー用品、もちろんフラワーアレンジメントもあり、最近はラベンダーを使ったクッキーやスコーン、紅茶なども人気で、お店はいつも賑わっているのです。

「たいてい女性のお客様がお店のなかで時間をかけてお買い物をして、男性は外で首を長くして待っている感じなんですって。でね、待ちくたびれた男性の一人が、ちょっとひねくれた口調でこう言ったの。『この時分、どこもかしこもサンクスギビングデー、オレンジや赤や黄色の色だっていうのに、ここは年がら年じゅうラベンダー色ってわけかい』って。

そこで、アンティ・ケアラのお友達、そのお客様に思いきって言ってやったんですって。『サンクスギビングデーってみんなは騒ぐけど、その日だけ感謝すればいいってわけじゃないでしょう。感謝は毎日するものよ。だからここではサンクスギビングデーだからって、赤やオレンジの色で飾りつけたりはしないの。毎日がサンクスギビングデーだったら、赤やオレンジの色を毎日飾るわけにいかないでしょ。だから今日の色はラベンダー色ってわけ!』ってね」

ロビンは大笑い。少し前にお母さんの話をしながら涙ぐんだロビンにちょっと心配をしていた私は、一安心しました。

私にとってサンクスギビングデーは親しみのない祝日です。日本の秋の収穫を祝う様々な行事のほうが何倍もしっくりきます。でも、家族や友人が集まって、一緒にお料理をしたり、食事をしたり、今日のこの話を聞いて頷き合ったり、笑いあったりするのはとっても楽しいこと。

ありがとうの気持ちは一年中。サンクスギビングデーを、サンクスギビングイヤーに!

師走が音をたててやってくる十一月の末に、ふさわしい週末だったように思えます。

新しい家族誕生の予感 [2007年10月30日(火)]
Aloha(アロハ・愛する気持ちのこと、挨拶のときにも使う)
Mahalo(マハロ・ありがとう、感謝の気持ち)

ハワイは観光地として、とても人気の場所ですから、ハワイで使われている言葉として、この二つの言葉をご存知の方は多いでしょう。

さて、この言葉、何語でしょう、
ハワイ州は米国の一州ですから、英語でしょうか?

いいえ、これはハワイ語。ハワイは、1893年に米国によるハワイ王朝転覆、その後米国への併合という状況のなか、人々は、ハワイ語から英語へ、という話す言語の変化を味わったのです。しかし、政策がどうあれ、言葉はそれを話す人々の強い想いで生き伸びました。

いまではハワイ語は、英語とともに州の公用語となり、各島に子どもたちにハワイ語で教育を行うシステムもあります。マウイ島では今年、ハワイアン・イマーション・スクール(ハワイ語のみで教育を行う教育施設)であるクラ・カイアプニが、二十周年のお祝いをしたところです。

このような、ある意味、政治や経済が関わった分野でのハワイ語の存在はもちろんですが、日常生活を、ハワイ語と切り離すことなど、到底無理に思えます。というのも、まず、ハワイの島々の地名、また道路の名前、施設の名前は圧倒的にハワイ語、人々が英語を話すときでさえ、ハワイ語が混ざることがとても多いのです。

ハワイ語は日本語と同様に、五つの母音で成り立っているので、私には英語よりも発音がしやすいのですが、英語を母国語とする人にはなかなか難しい様子で、ハワイ語の発音次第で、ハワイにどのくらい長く住んでいるか、どのようなエスニシティ(民族性)であるか、がわかってしまったりもします。

では、ここでみなさんに、AlohaとMahaloの次に覚えてほしいハワイ語をご紹介しますね。

‘Ohana(オハナ)

オハナとは、家族のことです。たとえば、私の家族、神宮寺家とは、オハナ・ジングウジ。ハワイをテーマにしたディズニーの映画『リロ&スティッチ』でも、キーワードとして登場したので、すでにご存知の方も多いかもしれませんね。

この言葉、とにかく頻出ハワイ語のひとつです。オハナ・ジングウジ、のような最少単位にはじまって、団体、職場、学校、地域などもひとつのオハナ。私がオハナ・ジングウジ以外に身近なのは、フラ・ハ―ラウ、私のハーナイ・ママであるアンティ・ケアラが率いるカノエアウ・ダンス・アカデミーや、日本のハーナイ・ママのフラ・ハーラウ、ナー・プア・リコ・ヴァイ・ホオラー、娘の学校であるクラ・カイアプニなどになります。

もともと、オハナのオハは、ハワイの人々のソウル・フードであるカロ(タロイモ、ミズイモ)の親芋からでた新しい茎「オハー」、息吹、新しい命、子孫の誕生を表わすオハーと、「ナー」という複数を表わす単語が組み合わさったもの。

日本のお正月におせち料理にのぼる八頭(やつがしら)の親芋のなどが、子孫繁栄を意味するのと似ていますよね。親芋からオハーがでて、親芋は子芋を生むという、芋の成長の特徴をとらえた意味深い教えです。

ですから、私たちはオハナなのだから、といったら、家族のように団結しようということ。これは、ハワイの社会の根底にあるもの、そして、日本の文化ともよく似た、私たちが理解しやすい部分ではないでしょうか。

ところで、みなさん、私はもうすぐ、もうひとつ新しいオハナを作ることになりました。

その名は、オハナ・カフェグローブ。

来月より、このブログが、カフェグローブ公式ブログになることになりました。これから、みなさんと一緒に、笑ったり、喜んだり、手を握りあったり、抱き合ったり、語りあったり、味わったり、そして時に、泣いたり、怒ったりしながら、オハナを作ることができたら思っています。

He ‘oha wau i ka ‘Ohana Cafe Globe !
(へ・オハ―・ヴァウ・イ・カ・オハナ・カフェグローブ)

オハナ・カフェグローブの誕生!


血と同じくらい濃い水 [2007年07月10日(火)]
私と継母と私の娘、私の娘と継母の母、私と継娘、私の娘と私の継娘……。

書くと随分ややこしいのですが、私の家族のなかで、このややこしい関係の結びつきはとても強いものです。それもそのはず、だって「親子」で、「おばあちゃんと孫」で、「姉妹」ですもの。

「血よりも濃い水もある」という言葉を教えてくれたのは私の母でした。

血でつながった家族以外の人を、家族と同じように信頼することができるということ、そしてその大切さ、家族ではない人が私に対して向けた信頼心をどのように理解していくか、どうやって信頼関係を築いていくか、などを、私に考えさせたかったのだと思います。

この言葉を知ったころ、それなりに理解をしたのでしょうけれど、私がこの言葉の重さをしっかり実感したのは、私自身が母になってからでした。自分が受け取ってきたことを娘に伝えようと思ったとき、そのひとつとして浮かんできたのです。

家族と同じように信頼できる血でつながっていない人間の存在。

この存在はまぎれもなく、私を強くしてくれます。そして、私を見て育つ娘に、その存在をじっくり見せておくことは、私という母が娘にできることを、遥かに超えると信じています。

私には、母のような、姉のような存在の女性が、マウイ島に一人、日本に一人、アフリカに一人。彼女たちは、いままでの私の人生のどんなときも私の心に寄り添ってくれていたし、きっとこれからも、母や姉のように叱咤激励してくれるでしょう。

ハワイでは、養母、母同様に信頼関係のある女性のことを、ハーナイママと呼ぶのですが、この三人のハーナイママのうちの一人、、私が毎日数時間を過ごしている女性を少しご紹介しますね。

ケアラ・ブロクリック・クコナ、アンティ・ケアラと呼ばれるこの女性は、私のマウイ島の母。クム・フラ(フラの師)として、ハワイの文化を次世代に継承している彼女は、私をダンサーとして、娘として、育み、愛してくれる存在です。

このアンティ・ケアラのもと、フラ・ハーラウ(フラを学ぶところ)として、カノエアウダンスアカデミーという集団があるのですが、そこは、学び舎であり、親の家。つまり家族が集い、伝統文化を継承していくところというわけです。

この母のもとには、おばあちゃんもおじいちゃんいれば、おばさんもおじさんもいて、兄弟姉妹、従兄弟(従姉妹)もいます。八十歳から赤ちゃんまで、一緒に、ご飯を食べたり、寝起きしたり、泣いたり、笑ったり。

結婚して家族が増え、フラを学ぶことで家族が増え、私は血と同じくらい濃い水のなかに浮かんでいます。

ただ、まだまだ母にはかないません。血と同じくらい濃い水、血よりも濃い水、その濃度の違いが、私には今、わかりませんから。


プロフィール
神宮寺愛
エッセイスト×フラダンサー
東京での出版社勤務を経て、現在はエッセイストとして活動。マウイ島ワイルク在住。著書『心と体がピュアになるハワイアンな暮らし』(青春出版社・刊)他。フラやハワイ語等を学ぶダンサーでもあり、カノエアウダンスアカデミー所属。現在カアナパリビーチホテルのディナーショーにレギュラー出演中。