おへそに手をあてて……

2008年04月
1 2 3 4 5
6 7 8 9 10 11 12
13 14 15 16 17 18 19
20 21 22 23 24 25 26
27 28 29 30

花冷えのころ [2008年04月09日(水)]
花冷えのマウイはここ数日、春雨が降ってはやみ、朝晩は首をすくめたくなるような空気が流れています。

桜の花の咲くころ、雨や寒さが舞い戻る花冷え、花が散り急ぐのをと心配しながら空を眺めることもしばしば。しかし、マウイ島の花々は、日本のそれに比べて、ちと丈夫でありますから、そのような気遣いは無用。花見の宴はいつでも大丈夫のようです。

私は山育ちですから、私にとっての桜は山桜、もしくは濃い紅色の八重桜。ソメイヨシノのようにはらはらと散り急ぐことを心配する必要はありませんでした。小さかったころに、花の下でお弁当を広げ、梅、桃、桜の花を何度も楽しんだのを覚えています。

この島で桜などの花にかわって、私がお花見にいそしむのは、高原に咲く藤色のジャカランダをはじめ、裏庭のククイの優しい乳白色の花まで。子どもたちに人気のお花見はエンジェルトランペットの花。名前の通り、トランペットのかたちの花がぶらんぶらんとさがり、風が吹けば音が聞こえてきそうな花で、花が奏でる演奏とともに、お花見の宴を楽しめます。


エンジェルトランペットの音が聞こえる


週末、私の友人のお誕生日のお祝いとククイのお花見をかねて、我が家で宴会が催されました。雨が降りそうな雲行きだったので、ククイの花をゆっくり眺めることのできるリビングルームでの食事会です。

集まったのは、私のフラの先生でありハーナイ・ママでもあるアンティ・ケアラ、夫の親友のハワイアンミュージシャンのペケロ、ペケロの息子さん、コメディアンのブライア、ロミロミやハワイの薬学を伝承しているブラと内科医の美穂さん夫婦。私たち家族と家族ぐるみでお付き合いのある人ばかりです。

そして、宴には欠かせないお料理は、蒸し蟹をほぐしたものとキュウリとアボカドを巻いたお寿司、バーベキュービーフ、シュウマイ、トマトと山芋とらっきょうのサラダ、鳥のささ身とアスパラガスとキュウリとレタスの千切りサラダ、ロールキャベツ。お料理の上手な夫に手伝ってもらって、手作りしました。

宴は、午後三時にはじまり、まずは米大統領選談義、次に、ハワイアン・コミュニティーがいかに文化損失の危機に面しているか、さらに、どのようにハワイの文化を次世代に継承していくべきか、など。話好きの面々は熱弁をふるい、お誕生日を迎えた美穂さんや満開のククイの花を横に置き、お花見にふさわしい講談だともいわんばかりに、釈台(しゃくだい)を張り扇で打たんばかりの大騒ぎ。

ひととおり話し終えたころ、マンゴーとバナナと生クリームをくるりと巻いたロールケーキに、キャンドルをたててテーブルに運ぶと、お喋りはバースデーソングに変わりました。お誕生日は何歳になってもうれしいものですよね。



お酒好きの人は甘いものを好まないという定義は、ハワイの人々にはあまり当てはまらず、ワインやビールのグラスをひとまずテーブルにおいて、ケーキに舌鼓。お腹に甘いものがおさまると、やっと花を眺める余裕と、ひとときの静けさが訪れました。

「ククイでレイを作りたくなったわね」というアンティ・ケアラと、「写真でしか見たことがないから、今度作ってみたいなぁ」「お店で売っているお花のレイよりも、身近にある植物で作るレイのほうが素敵よね」などと、花の話がしばらく続きます。「あの葉っぱは、髪に飾るのに最適」「愛の家の裏庭の眺めは最高ね。マウナレオの山もよく見えるし」と、突然、ペケロがギターを片手に歌いだしました。


満開のククイナッツの花


夫がにんまり。どうやら、ソファに沈み込むペケロのお腹にのっていた赤ワインのボトルを、さっとギターに変えたら、条件反射で歌いだしたようなのです。ペケロのギターと歌に聞きほれていたアンティ・ケアラのところに、娘のアイナがウクレレを持ってきました。

あの歌は、この歌は、と十数曲ほど続いたでしょうか、ふと、アンティ・ケアラがこう言いました。

「昔、私が小さいころに、おじさんやおばさんたちが、こうやって週末に集まっては、食事をして、お酒を飲んで、ギターやウクレレを弾きながら夜まで歌っていたのを思い出していたの。それで、いま、ふと、横を見たら、アイナが愛の膝の上で、一生懸命に音楽を聴いていて、あっ、自分はあのときのおじさんやおばさんたちになっているんだなって、気がついたわ」

未成年と呼ばれなくなり、経済的に独立もし、子どもではない年齢になっても、自分のなかで何かが変わったようには思わなかったのに、親になった途端、まるで二つの目を持ったように視点が増えたのは私だけでしょうか。

子どもに話しかけている自分、子どもに言い聞かせる自分、子どもの叱りつける自分。そんな自分を別の誰かがみているような気分になり、「あれ、私、誰かみたい? 誰だろう」「あ、私ったら、ママみたいなこと言っている」「やだ、私、いまパパみたいだった」と、どきり、とするのです。

あのときを見ていた目は、確かに子どもだった自分の目なのに、まるですり替わったかのように、今度は同じあの風景を違う自分が見つめているような気分。

アンティ・ケアラとペケロの奏でる音、深い歌声は、夜中まで続きました。

「アンクル・ジョージ・ナオペが教えてくれた、今日のパーティはもうお終い、というときに歌う曲を歌うわね。もうHana hou(もう一度!)は、今度会うときまでなしね」

と、宴もたけなわでございますが……、の曲が流れるまで。

愛することは、知ることから [2007年12月03日(月)]
「愛ちゃんの家、随分おおらかな性教育ね、それ、とってもいい!」

と言ったのは、南アフリカに住む私の年上の親友、吉村峰子さん。

長年にわたって、「先生」という仕事に携わり、またHIV/エイズの患者さんたちとともに歩む暮らしのなかにいる彼女。いつもHIV/エイズに関する知識を少しでもいろんな人に知ってもらおうと、汗をかき、声をからし、歩きまわり、ときに頭をひねり、そして、くしゃくしゃの笑顔を見せたかと思えば、ゴウゴウと泣きじゃくる、一生懸命に日々、HIV/エイズと歩む人です。

私が、娘が今よりもっと小さかったころの話を峰子さんに話した途端、「それは性教育よ」と言われてびっくり。性教育といえば、中学校の保険体育の授業の思い出をひっぱりだしてこないといけないほど、私には縁のない言葉だったからです。

「ママ、ママのお腹のなかは赤いのよ。そして遠くが明るいの。きれいなところでね、そこから、う〜んって、でてきたけど、でてきたところはどこ?」

お風呂に入ると、思いだしたかのようにその話をする娘に、私はそのたびに、「そうよ。でてくるところはここ、とっても大事なところよ」と答えていました。

当時、私の行くところはどこにでもついてきていた娘、トイレについてきたものの、急に心配顔になり、半分泣きそうになりながら、ある日そう叫んだことがありました。

「ママ! どうしたの? 怪我をしたの?」

私は慌てて、「違う、違う。ママね、生理なの」と答えました。そして、生理の意味を説明すると、娘なりに納得したようでした。以来、生理、結婚、出産、赤ちゃんなどのキーワードは、彼女のなかで繋がりをもっているようです。

ママの体のどこから出てきたか、どうしてママから血がでているのか、それは私にとって、娘に隠すことではありません。娘の年齢からいって、わざわざ話すことではないのですが、聞かれればもちろん答えます。



この話を峰子さんに話すと、教育関係の仕事に従事して経験の長い彼女は、それを性教育だというので、私は今更ながらに驚いてしまいました。というのも、性教育云々とは学校の授業や地域社会で話題にのぼるものと思いこんでいた私には、家庭でする生理や出産の話とそれが、同じことには思えなかったからです。

いまでも、娘は、お父さんやお姉ちゃんとお風呂に入って感じた体の違いを私に話したり、いつ生理がくるのか、いつおっぱいが大きくなったり、脇や大切なところに毛がはえるのかなど、私に質問します。まるで、今日のご飯はなぁに、と聞くように。

聞かれたことに答えるのは親の務めと思っている私は、いかにわかりやすく説明するかに四苦八苦。しかし、娘は、ヤギの出産をみて、「生理の穴から赤ちゃんがうまれたよ! ママの穴から赤ちゃんの栄養(胎盤)がでてる」と言っていましたし、学校で着替えるときに、裸の娘をからかった友だちに、「笑わないで! ここは笑うとこじゃないの、大事なとこなのよ!」と大声でやり返したとのことです。

きっと、六歳なら六歳なりに、理解をしているのでしょう。娘がよく眺めている写真集、『A Child Is Born(子どもが生まれる)』も、彼女の理解をだいぶ手助けしてくれたようです。

「性教育は大事、HIV/エイズにだって知識さえあれば絶対かからない」とは、峰子さんの口癖。親になってまだ数年の私ですが、大事なことをできていると言われて、一安心でした。

私自身、親としてなすべきことはしようという覚悟はありますが、峰子さんから毎日にようにHIV/エイズのことを聞いても、「性教育は大切なことです。ひとりでもHIV/エイズの患者さんが増えることを防ぎましょう」と、私が言うということに、はじめは少し気おくれがしました。「あなたの知っているHIV/エイズの患者さんの名前をあげてください」と聞かれて、「本やテレビで知った川田龍平さん」と答える私と、いつもHIV/エイズの患者さんと一緒にいる峰子さんとは経験に差がありすぎ、私が峰子さんの口癖をまねても、それこそ、言うが易し、です。

しかし、私には峰子さんの言葉が、彼女の悔しさ、悲しさからくる激しい叫びに聞こえました。彼女が普通の口調で話しているときさえも。私は、峰子さんを通じて彼女が大好きなアフリカの素晴らしさと、彼女自身が体験しているHIV/エイズの問題を知ったのです。知ったならば、知らないふりはできません。

私一人の声が、二人の娘に届くなら、もう十人ほどの人にも届くかもしれない。

もう、黙っているわけにはいきませんでした。以来、私はできる限り、峰子さんの活動をサポートしてきました。峰子さんがHIV/エイズの患者さんと関わり、HIV/エイズの知識普及活動をはじめたきっかけも、二人のお子さんのためだったことも、私が今、お腹の底から納得して、発言し、書くことができる理由のひとつです。

六歳の娘にわかるように、十五歳の娘と同じ目線で、彼女たちの疑問に答えることが性教育なのであれば、私は喜んでします。性をもって生んだ性を、育みたいからです。娘たちが成長し、社会のなかで様々な人間関係を作っていくなかで、性教育の内容は、HIV/エイズ、避妊、性感染症などのことにも広がるでしょう。まずは私が知る努力も必要に違いありません。

子どもたちにしっかりとした知識を与え、自らの命を大切にするように教えることは、私が子どもを愛しているっていうこと。



どうか、HIV/エイズについて、知ってください。

まずは知ることです。みなさんが、自分で自分自身を愛するために。そして、みなさんが愛している家族や恋人、友人のみなさんに伝えてください。

すでにお子さんのいらっしゃるみなさんは、きっと無条件でお子さんのために動いてくださることを信じています。

そして、お子さんのいらっしゃらないみなさんは、あなたの愛する人と抱き合うまえに、自分自身の両手で、あなたの体を抱きしめてみてください。自分の体を大切にすることは、愛する人を大切にすること、私はそう思っています。

私はこのエッセイを、十二月十五日にシンポジウムに参加する吉村峰子さんを応援するために書きました。読んでくださったみなさま、興味を持ってくださったみなさま、是非、シンポジウムにいらしてください。また。カフェグローブ編集部にて、なんと川田龍平さんのインタビュー記事を掲載中です。こちらもあわせてご覧くださいませ。

◎詳しいシンポジウムのお知らせや吉村峰子さんのエッセイはこちらから! 

青の世界 [2007年10月18日(木)]


昔、むか〜し、学校の授業のなかでとりわけ「美術」が大好きだった私。

理由というと、「美」の「術」なんて、名前だけで素敵、っていうところから、美術の授業の先生はどの先生も個性派美人だったことまで、いろいろあるので、ちょっと絞りきれないのですが、いくつかあった学校の授業のなかで、一番自分の世界観が築きやすかった、つまり、没頭しやすかったような気がします。

デッサン、水彩、油彩、木工、彫刻、なんでも好きでしたけれど、特にデッサンを済ませ、色をつけるときに、とっても、とっても、ワクワクしていました。色が好きなんですね、きっと。

「青の使い方が上手ね」

私が六年間お付き合いした美術の先生に、そう言われたときのことは忘れられません。大好きな作業を、大好きな先生に誉められれば、誰でも忘れられないほど誇らしい気分にはなると思うのですが、私にはそれよりも、誉められたときに先生が話してくれた話が印象的でした。

「青が上手に使えると、美術を学ぶ人にはとっても有利よ。空を見てみればわかるでしょう、青は空間そのものの色だから、青を使って描くのが上手ということは、空間を描くことができるってこと。誰もが知っている、教科書にものっている画家が、青の世界を持っているのはわかるでしょう、ピカソ、ゴッホ、ムンク、ルオー、シャガール、とかね。だから私は青が上手に使えるようになりたいって思って、いろいろ勉強してみたの。それで気がついたのは、青はとっても人を癒す力があるってこと、インドでは、息吹は青い色をしているって言われているのよ」

色の世界があるってこと、それに気がついてから、何をするにも楽しさが倍増しました。友達と遊んでいるときも、本を読んでいても、お料理をしていても、外を眺めているときも、買い物をするときも、……「美・術」の授業は、まるで魔法のように、私の生活を楽しくしてくれたのです。

そのときから、かれこれ約二十年もの間、私の色遊びは続いていますが、これは一生続くのでしょうね。そうそう、私のキッチン、食卓に並ぶお皿は、気がつかない間に青の世界になっていました。

気がついてからは、食器を眺めたり、集めたりするのが大好きな私の継母と一緒に、陶器市をまわったり。旅先では、その国、その場所の青の器やグラスをお土産にしたり、マウイ島の蚤の市やアンティークショップで、歴史物の青い器と出会えたり。私のハーナイママ(FAMILY STORYの『血と同じくらい濃い水』参照)、ジュンコママのダンナさま、グラスアーティストのマルコム・ウォング氏の作品も。

美術の先生に後からこんな質問をしたことがありました。

「ピカソも、ゴッホも、ムンクも、みんな、どうして青の世界をでて、黄色のような暖かい色の世界に入ったのかな」

「晩年の作品に多いのよね。私の想像だけど、人生の終わりに気がついたからじゃないかな。まだ終わりたくない気持ちもあるだろうし、終わりに向かって勇気を持って歩こうとする気持ちもあるだろうし」

私の食卓にも、ずっとずっと後に、黄色の世界が広がる日が来るのかもしれませんね。母たちの食器棚も覗いてみようかなと思いつつ、青い世界を楽しむ時間がまだまだありそうだなと、器たちに話しかけた私でした。

「また、家族を増やしてあげるからね」と。

Blythe, My Lovely Girl [2007年08月22日(水)]
遊びに夢中で時間がたつのを忘れてしまう。それは、今も昔も変わらないのは私だけでしょうか。

大人になると、遊びの概念が狭くなるようで、「仕事は遊びじゃないんだぞ!」とか、「遊びだと思ったら大きな間違いよ」などの台詞のなかに、遊びという言葉が登場することになってしまったりします。

このような台詞は、誰かの怠惰な様子に対してのお説教としてはうなずけるのですが、遊ぶことが悪いことに結びついてしまうことに、疑問があります。怠けた態度ではなく、真剣に取り組むことを、私が諭すのであれば、「仕事で遊ぶんだったら、しっかり遊ぶといい!」とか、「どのくらい遊べるのか見せてくれる?」と言うでしょう。

あの、遊びに夢中になるときのエネルギーって、すごく大切なものなのではないかと思いませんか。夢中になるときって、体、心、感覚……、つまり、今の自分が持っているもの全部が一緒になって、同じ方向にぐいっと動くあの心地よさ。どう考えても、よいエネルギーのはずです。

気持ちいいこと、遊ぶこと、夢中になることをできるかぎりする、あきらめないでがんばる、でも、時にはやめるという決断をしなくてはいけない、大切な存在のために。

さて、そんな私の遊びのひとつ、そう、私のおんなゴコロをくすぐるMy Lovely Girlを紹介しましょう。この子は、日本に住んでいる私のハーナイママ(FAMILY STORYの『血と同じくらい濃い水』参照)、ジュンコママからの贈り物。ブライスというお人形で、1972年に米国で一年間だけ制作をされていたものです。(http://www.blythedoll.com

この幻のお人形を見事生き返らせたのが、私のハーナイママなのですが、それは今度ご本人にゆっくり語っていただくことにして、まずは私が持っているブライスはこちらです! 



このブライスはヴィンテージではなく、2001年6月以降に日本で販売されるようになってから作られたものです。ブライスの特徴として、ひもを引っ張ると目の色が数色に変わるのですが、この子はハワイのサーフブランドのROXYとタイアップして作られたものなので、四色のブルーの目を持っています。サーファーガールはいつも海の色が目に映っていますからね。

私がこの子と何をして遊んでいるかというとですね、PHOTO SHOOTING、つまり、撮影。このお人形、グレープフルーツほどに頭が大きく、体は華奢、モデルに向いているとは到底いえないアンバランスな体型なのですが、スーパーモデル顔負けのファッションモデル経験があるんです。

今年も6月に東京・表参道ヒルズで、ブライスの日本での誕生六周年を記念したイベントでファッションショウを開催していますし、ファッションフォトを綴じ込んだ写真集も、パリ・プレタポルテのショウで発表されたヨーロッパの有名デザイナーによってデザインされたブライスも。

さておき、私のブライスは、ファッションショウにでるほど忙しくはありませんが、フラダンサーとして、私と同じ衣装をつけ、先月発売された雑誌『Hanako』に登場したりはしました。あとは、ハーナイママがマウイに戻ってきたときに、ブライスを持ち寄り、我がブライスの名デザイナー也、と遊びに夢中になる程度。

今回の撮影を行った、神宮寺愛カメラマンによりますと、撮影のテーマは「ハワイアン・ノスタルジック」、ウクレレ奏者として名高いオータサンのレコードアルバム『Love Story』のジャケットをバックに、ナチュラルにドレスアップしたブライス。ブライスが身につけているニイハウシェルのピアスイアリングにもご注目、とのことでした。

プロフィール
神宮寺愛
エッセイスト×フラダンサー
東京での出版社勤務を経て、現在はエッセイストとして活動。マウイ島ワイルク在住。著書『心と体がピュアになるハワイアンな暮らし』(青春出版社・刊)他。フラやハワイ語等を学ぶダンサーでもあり、カノエアウダンスアカデミー所属。現在カアナパリビーチホテルのディナーショーにレギュラー出演中。