おへそに手をあてて……

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鯨がサイミン・ヌードルを食べる [2008年03月06日(木)]
最近、ずいぶん日が長くなってきました。

朝、まだ星が見える時間に娘の乗るスクールバスを見送ることも、急に迫ってきた夕闇に驚くこともなくなり、まだ風は冷たいながらも静かな春の訪れを感じます。うららかな春の風情を味わいたいところですが、欲張りな私は、日が長くなると、あれもできるし、これもできるし、と考えるだけでうれしいだけです。

数日前、東雲色の朝焼け空を見ながら、学校に行く娘に質問をしたことがありました。

「ねぇ、お日さまはどこから昇ると思う?」
「山だよ、ほら、朝、ハレアカラから昇ってくるじゃない」
「……。じゃあ、沈むのは?」
「海だよ。だって、月曜日のショウから帰るとき、いつも見えるでしょ」


我が家からの朝景色


娘の世界では、日は山から昇り、海に沈んでいました。

ところが、先週末、恒例のフラの練習の時間に、娘の世界が大きく広がる事件がおきたのです。私たちは古典のフラ、カヒコを踊るとき、踊る曲、つまり「本題」の前に必ず「序章」があり、後には「終章」があるのですが、「序章」で語られるテーマは、日の出。日の出について、話し合うことになりました。

「日が昇り、日が沈むこと」は、有名な君子の楊子法言の「初め有る者は必ず終わりあり」、また「起承転結」同様に、本題をうたい起こし、承け、転じて、結ぶ、という物事の順序。自分がお日さまではなくとも、あまりに当然なことであっても、大切なことです。

その「序章」「起」で語られる日の出を、まずはマウイ島で確認してみました。六歳から五十歳までの練習に集まっている私たち生徒は、それだけで大騒ぎ。

「日が昇る方角はどっち?」
「南〜!」
「東」

「どっちが東なの?」
「右、左、前、後が、Whale Eats Saimin.だから、あっちが東」

(Whale Eats Saimin、鯨がサイミンヌードルを食べる、というのは、マウイの子どもの東西南北の覚え方。右がWhale、WではじまるのでWest、左がEats、EではじまるのでEast、前後が南北で、SaiminのはじまりのS、Southと、終わりのNの、North)

「え〜っ、どうして鯨がサイミン食べるの〜?」
「日はハレアカラから昇るよ、だって見たもん」
「ハレアカラは私の家からは見えないけど、あの山からよね〜」

と、子どもたちが散々騒いだあと、大人がしめやかに、

「ハナ」と一言。

そうです、マウイ島の東はハナ、西はラハイナになります。ところが、クムのアンティ・ケアラからは次なる質問が。

「ハナのどこ?」

今度は大人たちが、頭を寄せ合い、やっと答えが。

「カウイキの岬」


マウイ島の東、ハナのカウイキの岬から


島に長年住んでいても、意外とすぐには答えがでないものです。

私たちはその後さらに、オアフ島、ハワイ島、カウアイ島、ラナイ島、モロカイ島を調べ、カホオラヴェ島とニイハウ島のように地図の入手が困難なものまでを調べあげました。よく考えてみれば、日本の最東端は南鳥島と習った記憶はあるものの、日本の四つの大きな島、北海道、本州、四国、九州の最東端を、今すぐに言うことなどできません。

うっ、不勉強〜。これは課題ですね。

さて、今朝は学校に向かう娘、まだ山の向こうにいる太陽に、

「太陽はハナから毎日遠足にいくんだね、ラハイナに」の一言。

一年は三百五十六日、十二の月があり、一月は二十八日から三十一日で成り立ち、一月は週でわけられ、一週間のなかには、月曜日から日曜日までの曜日があって、一日は二十四時間で、一時間は六十分で。

私にとって、あまりにも当たり前のことを、六歳の娘は最近少しずつ学び始めているようです。それは、私には当たり前のことが、当たり前すぎて見えていないことの発見でもあり、強張った頭をもみほぐす、よい機会です。

「毎日、遠足で楽しいだろうね」
「大変なこともあると思うよ」
「でも、いいんじゃない、それでも」

と、どっちが親で、どっちが子どもかわからない会話で、我が家の今日がはじまりました。


朝のひとときは、一日のなかで私が一番好きな時間

1、2、3、SMILE ! [2008年02月20日(水)]
我が家の六歳の娘の宝物箱をのぞくと、貝殻や、木の実、なにやら光る大小のかけらに混ざって、デジタルカメラが鎮座しております。



紙やブロックで作ったカメラで十分と思っている我が家に、娘専用のデジタルカメラがやってきたのは、去年の夏。私のハーナイママのジュンコ・ママが、ずっと使っていたデジタルカメラを、お古だけど、と娘にプレゼントしてくれたことにはじまりました。

それまで、私や夫が仕事で使う本物のカメラを羨ましそうに眺め、「絶対にさわっちゃだめ。お仕事で使う大切なものだから」と私たちに口うるさく言われていた娘は、そのカメラを手にしたときには、飛び上がらんばかりでした。

以来、バッテリーの充電や、カメラの管理を、大きな失敗もなく、しっかりやっているところを見ると、彼女なりの責任感をもってカメラを大切にしているようです。

さて、昨日、そのカメラをふと手にとってみると、なんと写真の保存枚数は千枚を越えています。驚いてメモリーカードをチェックすると、彼女の使っているメモリーカードは、私のものよりも遥かに容量の多いものでした。

何を千枚も撮ったのだろうと、こっそり写真をのぞいてみた私を、すっかり笑わせてくれたのは、彼女の写真の撮り方。

たとえば、どこかに食事に出かけたときの写真といえば、まずは車に乗り込んですぐの自分の足、次に車窓から続けざまに目的地までの写真を二十枚ほど、そして、レストランに到着するとお店の人や一緒にテーブルに座っている人を下からのアングルでパチリ、素敵なインテリアや彼女が気になる存在を十数枚、運ばれてきた美味しそうな食事をかなりの至近距離で……、それだけで、ゆうに百枚を超えているのです。

おびただしい写真は、まるで彼女の目線そのもの。

彼女よりも背丈のある大人たちが右往左往する姿、何か一生懸命に働いている後姿、楽しそうに笑う横顔、大人たちの世界を子どもが見るとこうなるのだな、と、娘の写真にすっかりのめり込んでしまいました。



食欲たっぷりの近さで撮ったカレーライスや牛乳、大好きなピカピカに光る物たちに吸い寄せられている娘の目、ふっと空を見上げたときの時間、たわわに実る果物、咲き乱れる花々、自分の体のなかで被写体によいのは足……。




「あ、いま、自分の目がカメラのレンズになって、パチリって撮れたらいいな」という願いが簡単にかなってしまったような、まばたきの瞬間でした。

カメラを構えれば、つい、いろいろと考えてしまう私の悪い癖。いままで仕事でお付き合いしたカメラマンの皆さんの凄腕を見続けたからでしょうか。人様に見せる写真など、私には撮れないし、そもそも恥ずかしいし、と頑なになりすぎるのでしょうか。

そんな私が、仕事として、「写真を撮れます」と進んで言えるようになったのは、二年ほど前でした。拙著『心と体がピュアになるハワイアンな暮らし』を青春出版社さんから出していただいたあとのことです。

この本の写真は私が撮ったのですが、担当の編集者さんやデザイナーさんに写真をお渡ししたときは、原稿のそれに比べて百倍の恥ずかしさでした。しかし、恥ずかしさに勝る勇気をくれたのは、フォトグラファーの田巻照敏さん。「写真、愛ちゃんも撮りなよ」という彼の一言は、私の背中をかなり強く押しました。

田巻さんは、木村拓哉くんなどをよく撮影しているほどの敏腕フォトグラファー。家族と田舎の自然と温泉をこよなく愛し、車やバイクで日本中をどこでもどこまでも。ですが、私、実はご本人が、すごい恥ずかしがりやさんなのを知っています(ふっふっふ)。カメラをパチリとやったあと、被写体に「ちっくしょー、おまえ、すげーなー」と心のなかで言い、そして照れてしまう彼は私にとっては、「おまえもすごいぞー」というお人。

写真は、私にとって、原稿と同じように、踊ることと同じように、想いを伝える手段になりました。ひとつで勝負できないなんて、と意気込んでいた二十代の若い自分は跡形もなく、手段はひとつではないほうが、といえる三十代が、半ばに至る今時分、どうやら板についてきたようです。

「ねえ、ママね、カメラのなかの写真見たよ。とっても好きだな、アイナの撮った写真」
「どうもありがとう。ママのも素敵だからね」
「あら、ありがとう。じゃあ、もっとがんばるね」

「どれ、宿題を見せてごらん」 [2007年11月20日(火)]
大人になったら宿題なんかしなくていいだもん、と思っていたのに、大人になって、親になったら、子どもの宿題を気にしなくてはいけない、というわけでした。

ううっ、宿題。「宿題したの?」「宿題しなさーい!」って、今度は私が言っているなんて、……恐ろしい。

ハワイ州の学校は、プリスクール(一年間から二年間)、エレメンタリースクール(キンダーガーテンから五年生までの六年間)、インターミディエイトスクール(六年生から八年生までの三年間)、ハイスクール(九年生から十二年生までの四年間)とあります。

娘は、プリスクールに二年行き、今年の夏からエレメンタリースクールの一年生になりました。問題の宿題は、エレメンタリースクールのキンダーガーテンのときから登場し、登場した当時、私をぞっとさせたのですが、キンダーガーテンの宿題はどちらかというと、これからの学校生活の一部としての習慣をつくるため、というような、遊びの延長のようなものでした。

ところが、一年生になった途端、毎週の読み書きテストに備えた練習問題、計算式がずらりと並んだ紙が、毎日ぴらりぴらりと、やってくるではありませんか。

しっ、宿題かぁ、と昔の嫌な思い出が、どうにも私の動きをぎこちなくさせるとはいえ、小学一年生の宿題ですから、「どれ、ママが見てあげよう」と親の貫録を示しつつ、毎日宿題と対面し、実のところは、宿題のない金曜日は、私がうれしい、という始末。



平日、私は娘が学校から戻ってくるとすぐ、カアナパリビーチホテルのディナーショウの仕事に向かいます。衣装とメイク道具をかかえた私と、宿題とおやつを持った娘は、家の前からアンティ・ケアラの車に乗り込み、私はメイクを仕上げ、娘は宿題をするのです。

「どれ、できた? 見せてごらん」

足し算と引き算を練習中の娘は、その日、絵を見ながら足し算や引き算の式を考えるという宿題を持っていました。指を使いながらも、足し算と引き算はできるはずの娘、当然いつものように問題を解いたのかと思えば、五つの問題のうち、三問が引き算のはずなのに、引き算をせずに足し算をしているのです。

問題の絵のなかには、十人の女の子や、六羽の鳥や、八匹の魚などがいました。そして、五人の女の子が背を向けて歩き、二羽の鳥が飛び立ち、三匹の魚が泳ぎ去っていくという設定が、子どもにもわかるように描かれていました。

「ねえ、この女の子たち、何をしているの?」
「みんなで遊んでいるの」
「この、バイバイってしている、お家に帰っていく子たちは何人?」
「五人」
「この五人の子がバイバイって行っちゃう前は、みんなで遊んでいたんだよね、そのときは何人?」
「十人」
「それじゃあ、お友達は何人残っているの?」
「……」

十、引く、五、は、五。当たり前ではないか、という言葉が口からでそうな私。しかし娘は、答えが間違っているとはまだ思っていない様子。私は足踏みしながら、娘が答えを見つけるのを待っていました。

ところが、

「はじめは十人で遊んでいたのよ、ママ。お友達は全部で十人なのよ」と娘。

自分が母になって学んだことは「忍耐」。ここで間違っても、「さっさと、十引く五は、五って書いちゃいなさい!」などと叫んではいけないのです。

心を落ち着けてもう一度、

「はじめに十人で遊んでいて、五人の子が家に帰っちゃったから、ここに五人の女の子が残っているよね? この絵に描いてあるよね?」

と、もう少しで答えを言いそうになる私に、娘はまた、

「でも、ママ、お友達は全部で十人でしょ」

を繰り返すのです。

この会話が数回繰り返された結果、ついに私は、

「あのさ、誰かがバイバイって行っちゃうときや、鳥が飛んで行っちゃうときとかは、引き算するんだってこと、覚えてくれる?」と根負け。

自分の説明力の無さを反省しながら、ホテルに到着すると、今度は私のフラシスターの弟、娘と同じ年のナイルズが、またしても宿題をひらひらさせながらやってくるではありませんか。気を取り直して、その紙を見ると、娘の宿題とほぼ同じ内容。そして、同じように彼も、引き算を全部足し算しています。

反省しても、説明に至る妙案が浮かんでいたわけではない私に、ナイルズは、

「どうして、十引く五は、五なの? ここに五人の人、こっちに五人の人がいるんだから、引かないんだよ」と、娘の「お友達は十人であることは変わらないはず」案に並ぶ、「五と五は存在するのである」案を提示。

もともと算数が苦手な私、彼らの案は私にとってはやけに説得力があり、つい、「そうよね、お友達は十人、減ったりはしないのよね、お友達だし。それに確かに、絵のなかには五と五は存在するのよね」と納得しそうになってしまうのです。

その日家に帰るとすぐに、夫に今日の宿題の話をしました。夫は、「君がそれを説明できるわけがないよね、だって思考回路が彼らと一緒だもん。納得しそうになったんだろう」とお見通し。

「そういうときは、こういう友達とか、生き物を例にとって説明したらだめだよ。君たちにわかりやすいのは食べ物だろうね。はじめに十個あったイチゴを、五個食べちゃったら、残りは五個、そして食べちゃった五個は決して戻ってこない、ってわかるだろう」と笑うのです。

確かに。

友達も、鳥も、魚も、目の前から消えてもどこかに存在するけれど、食べ物は食べてしまえば消えてしまう……。もっと食べたくても、戻ってきたり、どこかにしまってあったりはしないのです。やっぱりお腹で考えなくっちゃね。

「どぅれ、ママに宿題を見せてごらん」って、今日は余裕の笑顔で言えるかも!



期間限定の宝物を探して [2007年09月14日(金)]
こんな「今」が好きでした。君が忘れてしまっても。

私の本を担当してくださった編集者さんが、同じく担当をされていた画家で詩人の菊田まりこさんの絵葉書を、私は大切に壁に飾ってあります。菊田まりこさんの作品はほんわかしていて、とっても可愛らしいのですが、絵にしても、添えてある言葉にしても、私の心を痛いくらいにつかむのです。



特に気に入っているのは菊田さんの絵と言葉が、一冊でも、一ページずつでも味わえるポストカードブック『おんぶして、だっこして』(青春出版社・刊)。菊田さんもお子さんがいらっしゃる「ママ」であることが、これらの作品を大きく左右し、強さと優しさを滲ませていることは間違いありません。というのも、子どものいる暮らし、と、子どものいない暮らし、というのは、比べることができない違いがあるからなのです。

最近、私のフラ・ファミリーと話していて笑ってしまったのは、はじめての赤ちゃんが生まれた後の夫婦の会話のこと。

「あのさ、ほら、雑誌とかテレビとかを見ると、きれいなママと可愛い赤ちゃんがいてさ、とろけそうな笑顔でさ、そのそばには、白とかピンクとかの色のベイビーグッズがあって。ゆったりとした時間のなかに、音楽が流れていて、……そういうの、どうしてうちの家族ではできないのかな」

「私はきれいなママだし、あなたの娘は可愛いでしょう。で、笑顔はとろけそうでしょう。白やピンクのベイビーグッズはあるし、あなたの好きな音楽だって流れているでしょう」

「……、でもさ、違うじゃない、雑誌とかテレビとかで見るのとは」

「あのね、そんなの当たり前に決まっているでしょ! あれは雑誌とか、テレビのなかのお話なの!」

こんな会話があったのよ、と披露してくれたのは、私と一番年齢が近い夫婦。ママは小さいときにJCPenneyという大きなデパートの広告モデルをし、その後はずっとフラダンサーをしていた美人ママ、パパは十年ほど前にはフットボールチームの人気選手で、いまは警察官。いま二人の間にいる十歳の娘と六歳の息子は、さぞかし可愛い赤ちゃんであったことでしょう。

私が思わず、「うちのはダンナさんはね、夜、彼が家に帰ってきたら、私と赤ちゃんが上半身裸で大の字になって寝ているのを発見する日々だったのよ」というと、彼らはそろって首を縦にふり、「それが普通よねえ」とうなずく次第。

まあ、子どもがいなければ、このような状況は存在しないでしょうから、子どものいる、いないに違いがあるのは事実です。違いをどのように受け止めるかは、それぞれのかたちがあるかと思いますが、私はこの違いを楽しむことにしています。子どもというのは、「相変わらずではなく(子どもたちからの贈り物の『相変わらず……』参照)」、目に見える成長をします。だとしたら、子どものいる生活の大変さも、忙しさも、期間限定の貴重品ではないでしょうか。

そう思った途端、子どもがいない暮らしではありえないような経験だらけの、いまの生活はすべて、菊田さんの「こんな「今」が好きでした」に凝縮されるような気がします。

大きな大きな子どもの笑顔や、大きな大きな子どもの涙は、ママになった人の宝物。『おんぶして、だっこして』、また、明日! を、これからも大切にしたいですね。

「相変わらず……」 [2007年07月19日(木)]
先日、ニューヨークに住んでいる大切な友人に、久しぶりにメールを書いていました。以前は、よく連絡をとりあっていたのですが、昨年の秋ごろ、彼女が引っ越しをしたことや、私のダンサーの仕事がはじまったこともあり、かれこれ半年ぶりの連絡となってしまったのです。

彼女のことを考えながら、わくわくした気持ちで近況を書きつづっていた私は、「忙しいけれど、相変わらず元気にしているので、安心してね。ところでニューヨークは……」と続けようとして、ふと、手をとめてしまいました。

「相変わらず……」

久しぶりに連絡をしている友人に、相変わらずだなんて報告している……。

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この夏、五歳の娘は夏休みのはじまった六月から、六週間ものあいだ、一人で日本に滞在しています。春ごろに「ママ、夏休みに清里の“じいじ”と“ばあば”の家にたくさん泊ってきてもいい?」と切り出した娘に、私は「もちろん」と答え、少しの心配はあったものの、「いってらっしゃい!」と送り出してしまったのです。

周囲の知人のなかには、「娘さん一人で行ったなんて、大丈夫なの?」「ずいぶん長いわね、心配にならない?」などという人もいましたが、娘は小さい頃から、自分でしたいと言ったことはしっかりこなす性格なので、大変なことがあっても、きっとよい経験になるだろうというのが私の考えでした。

六年ぶりの子どものいない生活は少しばかり目新しく、短いながらも夫婦で休暇にでかけたりと、楽しく過ごしていたころ、七月のはじめに六歳になった娘から電話がありました。

「ママ、あのね、私、もう相変わらずじゃないんだよ」
「ん?」
「あのね、相変わらずじゃないの」
「ふ〜ん、相変わらずじゃないのね、それは素敵だね」
「ママもそう思うでしょう?」
「うん、うん」

私は、この「相変わらず」は、娘が気に入っている日本語の言葉のひとつなのだろうなとすばやく察知。すました顔でそれを使っている娘を想像して、笑いを噛みしめていました。そのまま笑いを飲みこんで優しい母になりたかったのですが、「相変わらず」の否定形の登場に、どうしても我慢ができず、つい聞いてしまいました。

「ねえ、相変わらずってどういう意味がわかっているの?」

娘は間髪あけず、わざわざ意味を確認した私をたしなめるような調子で、

「うん、知ってるよ。Still like that ってことでしょう?」

飲み込んだ笑いは、口から、目から、すっかり外に飛び出し、私は「パパとお話したら?」と受話器を放り投げました。

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私は書きかけのニューヨークの友人へのメールを、「私は相変わらずではありません」と書き直しました。もちろん、「相変わらず」の否定形が登場したエピソードを添えて。

どんな人でも、毎日その人なりにがんばって生活していたら、その人の一日は昨日にくらべて「相変わらず」であるわけがないのです。小さな小さなことでも、何か変化があり、成長しているはず。それなのに、私は、何でも心から打ち明けられる友人に、「相変わらず」の報告をしようとしていました。

小さな小さな人たちは、大きな大きな人たちよりも、目がいいし、耳もいい。

私は子どもにそれを学びました。

私たちも、「相変わらずじゃないね」を合言葉にしてみませんか?



プロフィール
神宮寺愛
エッセイスト×フラダンサー
東京での出版社勤務を経て、現在はエッセイストとして活動。マウイ島ワイルク在住。著書『心と体がピュアになるハワイアンな暮らし』(青春出版社・刊)他。フラやハワイ語等を学ぶダンサーでもあり、カノエアウダンスアカデミー所属。現在カアナパリビーチホテルのディナーショーにレギュラー出演中。