おへそに手をあてて……

2008年05月
1 2 3
4 5 6 7 8 9 10
11 12 13 14 15 16 17
18 19 20 21 22 23 24
25 26 27 28 29 30 31

フラダンサーのお道具・その3 [2008年05月31日(土)]
「フラダンサーはみんな肌がきれいだけれど、どんなケアをしているの?」


フラダンサーのお道具・その3 素肌


私たちは、通常、毎週月曜日にマウイ島カハナのコンドミニアムで四十五分程度のショウを行います。観光客のみなさんに向けたショウでの踊りが、アウアナと呼ばれる現代的なフラや、タヒチアンなどの他のポリネシアの踊りに偏るなか、一九九一年よりカヒコと呼ばれるフラの古典をお客様にお見せしているのです。

そのショウのなかでは、お客様からのいろいろな質問をお受けする、質疑応答のようなコーナーがあるので、ハワイの文化のことから、ダンサーの年齢のことまで、幅広い質問が飛んできます。

この肌に関する質問もそうでした。

「お日さまをいっぱい浴びて、魚を食べるのが一番」

とすまして答える、私のフラの師、アンティ・ケアラにはじまり、肌をほめられた私たちは一家言あり、とばかりに大騒ぎ。

「毎日シャワーをして、顔を洗うから!」と答えるのは十一歳のリーレイ。まだまだベイビー・スキンの持ち主ですから、質問の意図を汲んでいるとは思えません。

「あんまり人を自分の近くに寄せないことが秘訣ね。遠くで見るくらいでちょうど良いのよ」と、ショウの司会のアンティ・ノエの答えは会場に笑いを運んできました。

内弁慶なティーン・エイジのダンサーたちを代表し、私はマイクの前で、

「石鹸で顔を洗うのが秘訣です」とスマイル。

質問をした女性は今度はすかさず、年齢を質問してきます。司会のアンティ・ノエは待ってましたとばかりに、「あててごらんなさい」と私の年齢をトークの題材に。

世界中からマウイを訪れる観光客のみなさんのなかには、黒い髪、黒い瞳の隣人をもたない方もいらして、私のことをハワイアンだと思う方もいらっしゃるので、年齢にいたってはことさら当てにくいようです。

小柄で、発育のよい体つきではない私は、三十五歳にしてティーン・エイジと間違われてしまうこともあるほど。一番若い年齢の勘違いは十二歳、娘が六歳であることを告げても二十六歳という、誉め言葉を頂戴してしまうのです。

このみなさんの勘違いを、おつむりが年相応ではないと思われているのか、とか、体つきが成熟しないまま年をとっているということを自覚しないといけないのか、などと、ひねくれて考えてはいけません。肌は年齢をあらわしますから、若々しい肌を保っているという、誉め言葉に受け取るべきでしょう。

洗顔を石鹸ですることの良さは、私が日本で雑誌編集の仕事をしていたときに、石鹸で洗顔することと、洗顔フォームのようなクリーム状のもので洗顔することの違いを、知識としてしったことからはじまりますが、一番の理由は、石鹸での洗顔の気持ちよさです。

石鹸のなかでも、石鹸を作るベースになるオイルは、ココナッツオイルなどのように、熱帯の気候をもつ地域で作られる植物オイルが、特に優れているといわれています。私が長年使っているのは、インドの石鹸で、ニームというハーブが入っているもの。ニームというハーブはインドでは、地球上の病気を救う神様のハーブとも呼ばれています。


http://www.auromere.com/


実は、私のおじさんの水虫治療に使ったらいいと買ったのがきっかけだったのですが、おじさんの水虫はもちろんきれいに治療され、いまでは家族でこの石鹸を使って肌の健康に心がけているというわけなのです。

最近、お友達がマウイ島のおすすめ石鹸をプレゼントしてくれました。いま、この石鹸が、ニーム石鹸の子分として我が家では頭角をあらわしています。お風呂では頭のてっぺんから足の先まで、キッチンでは食器洗いに、とがんばりやさんです。


http://sunny-kshop.com/shopping/s00index.cgi?category=SO


フラダンサーの道具のひとつ、きれいな素肌。

その理由は、毎日、毎日、汗をかいて踊るから。太陽のしたで踊って、たくさん汗をかいたあとは、石鹸で汗をきれいに洗いながし、お魚、野菜、ご飯と美味しいご飯をしっかり食べるから。

「どうも、ありがとう」の重さ [2008年03月31日(月)]
「どうも、ありがとう!」と受け取ることの大切さを感じることがあります。


子どもは贈り物を贈ったり、受け取ったりする名人


私たちの日本の文化のなかには、相手の気持ちを考え、自らは控えめに振る舞うという道徳が根付いています。

「こんなにいただいてしまって、申し訳ない気持ちでいっぱいです」
「そんなにしていただいては、ご迷惑でしょうから」
「とんでもございません、私たちは遠慮させていただきます」

私はこのような言葉を自然に口にできる人間でありたいし、生活のなかにある日本の文化の美しさを大切にしたいと思っています。

と同時に、最近、私が思うのは、子どものころから祖父母や両親に言われ続けた、「いただくときは、感謝していただきなさい」という言葉。

実は、先々週から先週にかけて、私のハーナイ・ママのジュンコママのフラ・ハーラウ、“ナー・プア・リコ・ワイ・ホオラ”の生徒さんたち十七人が、マウイ島で合宿を行いました。

ジュンコママのハーラウ、ナー・プア・リコ・ワイ・ホオラは、私のもう一人のハーナイ・ママ、アンティ・ケアラのハーラウ、カノエアウダンスアカデミーのシスターズ・ハーラウ。昨年、ジュンコママがアンティ・ケアラの生徒となり、アンティ・ケアラのスタイルを伝承することになってから、日本で唯一、アンティ・ケアラのスタイルのみを学ぶハーラウとなったのです。


木の下に真剣な顔が勢ぞろい


私のハーラウにとって、日本のフラ・シスターズがやってくるのは一大事、しかも、十七人もの大勢です。アンティ・ケアラと私、私のハーラウのアラカイのカウイは、二ヶ月も前から準備に入りました。

アンティ・ケアラは、ハワイの日本の文化の違いを理解することは、彼女がフラを教えるときに、どのように教えたら一番よいかを知るために重要、という考えを持っているので、まずはいろいろと話し合いをしました。

どうして、日本人の歩幅は狭いのか。
日本人の謙虚の心理とは、どのようなものか。
日本人は郷愁を、どのように表わすか。
日本人にとっての鍛錬とはどのような意味があるのか?

……などから、食習慣をはじめとする生活全般のこと。食事のことなどはとても細やかに考えていて、彼女の定番料理のハワイアンシチューに、お肉の脂肪分をどのくらい入れるのが日本人の口に合うのか、までを気にしていました。

アンティ・ケアラは七十年代にはじめて日本に行き、ミュージシャン、ダンサーとして半年間滞在したこともあり、そのとき印象に残った、美しい自然のある日本と謙虚な気持ちを忘れない日本人の文化が大好き。特に、日本の人の控えめな振る舞いは、とても美しく、Ha’aha’a(ハワイ語で謙虚さの意味)を大切にするハワイの人々の文化と近いものだと感動したとか。

今回の合宿にやってきた十七人は、ジュンコママと生徒の三人をのぞいて、私がはじめて会う人ばかりでした。アンティ・ケアラやカウイにとっては、ジュンコママと生徒の一人以外は初対面。

お互いが遠慮のない関係に、急になれるわけではありませんが、声に出して私が繰り返し言ったのは、「どうぞ、何でも、遠慮なく言ってくださいね」でした。

アンティ・ケアラやカウイや私は、この一週間という限りある時間のなかで、練習、時間、経験などから、食事まで、私たちがみんなに受け取ってほしいと思っているものを用意してありました。そして、合宿の目的を達成したいという参加したみんなの気持ちを受け取る心構えをしていました。

ですから、いま、ここに、目の前にあるものを、遠慮しながら受け取ってほしくなかったのです。

私と二人のハーナイ・ママとの関係は親子、ハーナイ・ママの生徒は、私にとって姉妹。親子や姉妹の間に、受け取るのに時間がかかるほどの遠慮は、決して必要ありません。


一生懸命はとってもきれい


そして、気持ちは通じるものなのですね。

合宿は大成功でした。心と体を溢れんばかりにいっぱいにした十七人は、「どうも、ありがとう」の涙とともに、日本へ戻っていきました。朝から晩まで、夜中の十二時をすぎても、汗をかきながら練習した日々は辛かったはずです。正直、私とカウイは練習のあと、ショウに踊りにいったときには、足がもつれ、出番の直前まで舞台で横になって体力を充電したこともありました。

アンティ・ケアラとカウイと私は、今でも合宿の思い出話を笑っています。毎朝、「How are you ?」と尋ねると、顔も体も相当疲れているように見えるのに、「I’m fine」とがんばって答える十七人、練習中に出た千代の富士引退宣言「体力の限界です」(古い話題なのに、状況にあまりにぴったりで大笑い)、用意したハワイアンシチューの特大鍋が空っぽになったこと。

私がうれしかったのは、この合宿で、十七人のみんながフラの技術が上達したことよりも、受け取り上手になってくれたことでした。

受け取り上手のみんなの「どうもありがとう」は、きっとみんなの毎日の生活をピカッと照らしてくれると思うから!

フラダンサーのお道具・その2 [2008年02月27日(水)]
三十路に入ってからの体力勝負仕事。

ホテルのショウで毎晩踊るようになって、すでに一年半が経ちました。フラを学ぶことは一生できることですけれど、仕事としてフラを踊ることができるのは、一体何歳までなのかな、とぼんやり考えていた私に、先日、目覚めの水をひっかけたのは、アンティ・マリヒニ。

「踊り続けていたら、五十歳になっちゃったわ」

アンティ・マリヒニは、私の働くホテルの屋外ステージの方で踊っているダンサーなのです。ホテルのバンケットルームのディナーショウを担当するダンサーのなかで、一番の年上は私、野外ステージでのショウではアンティ・マリヒニが一番の古株というわけです。

一年半の間には、メイク道具が一式入ったバッグと、何枚もある衣装をさげての通勤が常の風景になり、メイクアップやヘアスタイルをセットする時間もはじめたころの半分以下、舞台や迫(せり)から落ちたり、舞台の板付きの袖に衝突したりもしなくなり、青あざがめっきり少なくなりました。

さて、今回は『フラダンサーのお道具・その1〜爪楊枝〜』に引き続き、愛着のわいてきたメイク道具バッグのなかから、「顔を作る」道具をご紹介しますね。



「顔を作る」、歌舞伎をはじめ、舞台芸術一般で使われるこの言葉、普段の生活でまったくお化粧をしない私が、舞台のためにメイクアップをするとき、使いたくなる言葉です。

歌舞伎の世界での顔作りに必要な、白、黒、赤、茶、藍。私の顔作りにもこの色合いが共通しています。舞台の上はとにかく照明がしっかりあたるので、誰の顔にでもある、鼻筋や目のまわり、口元、頬骨などのつくる微妙な陰影はなくなってしまうのです。

まずは、白。いろいろな肌色のダンサーがいるなか、私は黄色味がかった肌色なので、真珠ような自然な温かみのある白、照明があたったときにしっかりと白さが浮き立つように、光沢のあるものを。このとき、アイラインを引く目の際をしっかり白くしておくことを忘れません。



次は茶色、そして、黒。白と黒だけでグラデーションを作るので、間色として、私は肌色にもあう茶色、少し赤みのある弁柄色のようなものを選んでいます。この色を顔のなかで影になる部分にのばします。



黒はまるで隈取のような役目です。歌舞伎が大好きな私としては、隈取に秘められた様々なストーリーを考えずにはいられません。隈取とは歌舞伎独特の化粧法、時代物の役のそれぞれの性格によって色合いや描き方を変えて描かれるもの。

みなさんにもお馴染みなのは、歌舞伎十八番の『暫(しばらく)』の鎌倉権五郎などでしょう。英雄の隈ときたら、筋隈と呼ばれるもので、こめかみから頬、眉間から額、鼻から頬、口元からあごへ、と力強い隈です。

これ以外にも、この筋隈よりももっと筋の本数を少なくした一本隈などもありますが、私が一番素敵だなと思うのが、『助六』の助六などがひく、むきみ隈というもの。目元から眉にかけての筋にすいっとひいた隈が、若々しいさ、潔さ、涼しさ、そしてほのかな色気を感じさせるのです。

化粧品をいざ選ぶことになって黒という色がこんなにいろいろあるとは思いませんでした。私のなかで、黒は黒炭。黒炭に一番近いもの選び、大向こうから「成田屋〜っ」と声がかからんばかりに気合をいれてアイライン。(市川團十郎家の皆様に失礼とは思いながら、助六張りの勢いの私……)

そして、最後は赤、紅色でございます。先に濃赤でラインをひき、影をつくってから紅をさし、さらにゴールドバール入りのグロスで仕上げ。この赤、実はなんとも気持ちが引き締まるものでして、私的には顔作りを終え、「今日もがんばるぞ!」と、いつもの神宮寺愛からダンサーの神宮寺愛への、一瞬のスイッチの入れ替えになっているのです。



変わること。

二つの違う状況を目の前に、人はその違いが技術で生み出されたものだと思ったり、意識や意図によって動かされたものだと考えるでしょう。確かに、いろいろなメイク道具やメイクアップの技術によって顔が作られ、すっぴんの私が、ダンサーの私に変わりました。

この変化を目でみるのではなく、心で見てみたらどうでしょう。目でみた変化は、二つの違う状況が見えることでしかありませんよね。目で見て、どう違うのかを口に出して言いたくもなるでしょう。でも、私は、変化を心で見て、それを信じることによって、変化からパワーが生まれると思うのです。

一枚の白い布を、一瞬にして造花の赤いバラに変えるマジシャンが、拍手をもらえるのは、その技術はさることながら、白い布と赤いバラという二つの事実。その変化を心で見て信じたことによって、拍手が生まれるのではないでしょうか。

フラダンサーのお道具・その2は、私のメイク道具の入ったバッグ、私のスイッチでした。みなさんも、変化から生まれるエネルギーを上手に使ってみてくださいね。小さな変化も、大きな変化も、毎日のあちらこちらにありますから!

痛みの処方箋 [2007年11月12日(月)]
「99%が痛い、1%が楽しい、これ、な〜んだ?」と訊かれたら?

私の答えは「フラ」です。「出産」「恋」と答えた方もいらっしゃるかもしれませんね。ともあれ、みなさん、ちょっと考えてみてください。

それにしても、私ときたら、フラダンサーだというのに、フラの99%が痛くて、1%しか楽しくないなんて困りもの。でも、嘘はつけません。本当に、本当に痛いんです。毎日のように踊っていても、やっぱり痛いんです。

そもそもフラは、一般的なイメージとして、ゆっくりした動きで、ウクレレなどが奏でる心地よい音楽とともに、楽しげに踊る踊り、というものがあるかと思います。いろいろな国や地域の文化である踊りのなかには、見るからに大変そうで、自分もできるかもしれないという希望がまったくわかないほど難しそうなものもあります。それらにくらべると、フラは確かに、楽しそうだから踊ってみたい、私も上手に踊れるようになるかもしれない、と思わせる踊りなのでしょう。



でも、考えてみれば、「芸」と呼ばれるものが簡単なわけがないのです。

フラはいにしえの時代には、ハワイの神々が踊り、彼らが選んだ人々にそれを教え、人々が神さまに奉納するために踊ったと言われ、日本のお神楽ととてもよく似た存在。現在も、その踊りは受け継がれ、フラ・カヒコと呼ばれる古典的なフラがあります。対して、フラ・アウアナといったら現代的なフラ。そして、どちらも、それぞれの時代と地域によって多様、フラ・カヒコもフラ・アウアナも、たくさんの種類があるということです。

私はそのなかのほんの一部分について学び、現在に至るわけなのですが、どんなに学んでも達成感はありません。知れば知るほど、自分の知識はひとつの小さな点としか思えないからです。

大海原のなかで泳ぎ続ける私に、いま、ここまで泳いできたよ、と教えてくれるのは、フラの世界に存在する踊り手を区別する言葉。

まず、オーラパとは、踊り手。オーラパであるということは、生きている間はフラを踊り、関わっていくことを承知して、フラを学び、踊ることのできる踊り手のことです。

次に、ホオパア。オーラパとホオパアの違いは、フラの根幹である詩を暗記し、詠唱することができ、踊ることができることです。学んだことをすべて覚えていなくてはいけません。

そして、最後がクム。クムの意味とは、基盤。つまり、基礎が完成し、フラを教えることができるようなったということ。

一言でフラを踊るといっても、踊るためにしなくてはいけないことは、とてもたくさんあります。ひとつの曲を踊るためには、詩を覚えて詠み、詩を書いた人、書かれた経緯や意味、歴史などを学び、手足を中心に体の動きを稽古し、表現するまでに至るようにするのです。さらに、踊るときにどのように装うのか、布地、染め、デザインからはじまる衣装作り、衣装とともにどのようなレイ(主に植物や貝、鳥の羽などをつなぎ合わせて作り、頭、首、手首、足首などを飾る)を身につけるのか、考えただけで、頭痛。すでに50%くらい痛いわけです。



私のクム、アンティ・ケアラは、私のことを、ホオパアにするために教えているオーラパであると言います。私のひとかき、ふたかきが、大海原を少しでも進んでいる証拠なのでしょう。

99%がどのくらい痛いのか、その大きさ、深さ、それを何かや誰かと比べることはできません。でも、1%が楽しいがために、99%が我慢できてしまうものの存在は、私には大事に思えるのです。

私が信頼している友人のひとりに、出版社に勤めながら、ボクシングの稽古をし、ボクサーとしてがんばっている人がいます。彼がボクシングをはじめたのと、私がフラをはじめたのは同じころで、当時、自分たちがどのくらいそれに夢中なのかを語り合ったり、のめり込み具合をからかいあったりしたものでした。

すでにそれから十年ほどがたちますが、私と彼はいまもきっと、はじめたころと同じように、熱っぽく想いを語り合うことができるでしょう。はじめたばかりのころ、まだたいした痛みもないようなとき、「これはやめられない!」と言ったお互いの言葉、それを信じあった友人同士として。

今度、尊敬の気持ちをもって、私は彼に答えのわかりきった質問をしてみるつもりです。

「99%が痛い、1%が楽しい、これ、な〜んだ?」

Huaka’i o Kaua’i [2007年09月07日(金)]
島からでることは、たとえ数十分の間、飛行機に乗るだけであっても、「旅(Huaka’i/フアカイ)」なのです。

先日、毎晩の仕事であるホテルのショウから、四日間のお休みをいただいたフラダンサーの一団は、カウアイ島にいってまいりました。クムフラである私のハワイのハーナイママ(FAMILY STORYの『血と同じくらい濃い水』参照)、アンティ・ケアラを筆頭に、フラシスターのカウイをはじめ大人五名、子ども三名。ぞろぞろと夜更けのカウアイ島リフエ空港に降り立ったわけです。

翌朝、「おはよう」の声でも、「起きなさい」の声でも、「ママ〜」の声でもなく、私の目を覚ましてくれたのは、「ほら、食べたいって言っていたやつ、買ってきたわよ、食べなさい」というアンティ・ケアラの声。

その十秒後には口のまわりに砂糖が、そして、指についた砂糖をなめるころには、体のなかが甘いエネルギーで満ちてきました。爽やかなカウアイ島の朝、ではありませんけれど、強烈な目覚めであることは間違いありません。



「やっぱりここのマラサダはハワイで一番!」と豪語するアンティ・ケアラは、朝四時に目を覚まし、午前九時には姿を消すというこのマラサダを買いにいってくれたというわけです。

旅するからには、美味しい食べ物は必要ですよね。それがたとえ、朝一番の甘くて巨大なマラサダでも。このマラサダ、生地は卵たっぷりでしっかりとした噛みごたえ、クリームは手作りカスタード。むっちりとした大きなマラサダを半分にちぎると、中は黄色い美味しさがいっぱいといった感じです。

マラサダの朝を迎えたその日は、この旅の目的をとげる日。カウアイコーヒーとマラサダのパワーで、一路、カウアイ島の南、ハ―エナへ。

ハ―エナは、タロ芋の畑が広がるハナレイの先、世界有数の降雨量で知られるカウアイ島の、水がたっぷりのタロ芋畑を通りすぎていきます。

「ここからは歩くのよ」

と、ハ―エナのケエビーチ沿いで降りた私たちは、ビーチとは反対の藪のなかに足を踏み入れました。木々が鬱蒼と生い茂り、岩がごつごつと飛び出した、一人がようやく歩ける程度の道のない道を、崖沿いにのぼっていきます。

……フラの踊り手が一度は訪ねるとよい場所
……フラの神様であるラカを崇めているところであり、いにしえの時代、踊り手は七年の間、外に出ることなく、そこで特別な踊りや詩などを学んだといわれる
……カウアイ島の王族ロヒアウが火の女神ペレを呼びよせた場所、ロヒアウ、ペレ、ペレの妹であるヒイアカ・イ・カ・ポリ・オ・ペレの登場するハワイの伝説の発祥の地
……踊り手としていままで踊ってきたことを確かめ、これからも踊り続けること、それができるかどうかを考えにいくとよい

迎えてもらえるか、迎えてもらえないのか、それは私にもわかりませんでした。

入口で靴を脱ぎ、その場所に入ってもよいかどうかを訊ねるためにオリ・コモを詠唱しました。すると、私たちの声に答えがきました。

私たちの背後は木々が立ちはだかっているだけだというのに、後ろから、とても強い風が突然吹きつけたのです。背中を押すかのように、肩を抱いて迎え入れるかのように。



目の前は海、背後は崖、閉ざされていながらも、明るく開放感のある空間。しばらくして、私たちはペレの踊りを踊りました。大自然のなかで踊ると、感じることはただ、自分の存在の小ささだけ。私の小さな体は軽く、風や太陽の光、海の音につつまれて、ただただ動きます。

涙がでるのですが、泣きたいわけではないのです。私とカウイは、風が涙を吹き飛ばし、乾かしてくれるのを、じっと静かに待っていました。

お礼の言葉とつぶやきながら、別れを告げたあと、

「後ろを振り返ってはダメよ」とカウイが言いました。その一言は、昔、私の祖父が山の古い墓地へお墓参りにいくと、必ず言ったものでした。

ですが、六歳の私の娘はもちろん納得いきません。すかさず、

「なんで? 後ろに誰がいるの? 何があるの?」と質問攻め。

「どんな場所にも、そこに住んでいる精霊がいるの。振り返ると、その精霊がついてきてしまうから、振り返ってはいけないの。精霊には住処があって、役目があるから、そこを離れないほうがいいの。住処を離れてしまった精霊が戻れなくなるといけないから」

足元ばかりを気にしながら来た道を戻ると、美しいケエビーチに向かう数人の観光客や、雄大なナーパリコーストへトレッキングに出かける人々が。私はその風景に、一瞬、ぼうっと揺らめきました。それは、私のカウアイの旅から、さらに時空間を越えた旅をしたような、不思議な感覚だったからです。

車のなかで、その日二度目のマラサダを頬ばりながら、二度目の甘い目覚めに思わず笑ってしまった私でした。

フラダンサーのお道具その1 [2007年08月16日(木)]
「わぁ、これはなんのお花?」
「プルメリアですよ」
「えっ、プルメリアって、こんなお花だったかしら!」

こんな会話をすることになるきっかけは、ご存知の方も多い、あのプルメリアの花を使って作る大きな髪飾り。

ハワイではプルメリアの花がほぼ一年中木に花をつけています。白、黄色、ピンク、赤など色もさまざまで、それぞれの色が作る間色もいれるとかなりの色のものがあり、香りがとても強く、花びらもやわらかすぎないため、レイや髪飾りに最適な、愛すべき花。

そのプルメリアを十九個つなぎあわせて作るのが、この髪飾りなのです。



私は毎週月曜日に、ショウで踊るときにこれをつけるため、月曜日の午前中早めの時間、花が太陽の熱であたたまりすぎないうちに、花を摘みます。摘んだ後は少しおいて、プルメリア特有の白い樹液ができってしまうのを待ちます。

そして、お仕事バッグから取り出したるは、「つまようじ」。ヘアメイク道具にまざって、堂々とバッグにおさまっていたコレ、とっても大切なフラダンサーのお道具のひとつ。

次に、さぁさぁ、並んでね、と、十九個のプルメリアに整列の号令をかけます。並び方は、真ん中が小さい花、両端にいくにしたがって大きい花に。

並び終えたら、真ん中の小さい花をつまようじにさし、残りの十八個のプルメリアの五枚の花びらのうち一枚を取り去ります。そして、花びらを取り去った部分を真ん中の小さい花に向けて、左側と右側にさしていくのです。つまようじは長いものであれば一本、短いものであれば二本使います。

使う花の個数は、私のハラウでは大人は十九個、小さい子どもは十三個というのが約束になっていますが、大きさを自由に変えることができることはいうまでもありません。

出来上がったものを髪にとめ、フラダンサーの身支度完了、となるわけですが、髪に飾らなくても、テーブルに飾ったり、バスルームやベッドルームに香りにアクセントをつけるときも役立ちます。

でも、不思議なことに、確かにプルメリアは香りが強く、部屋に数個置いておけば香りを十分に楽しむことができる花なのですが、私が一番この香りに助けられるのは、踊り疲れたときなのです。

フラダンサーというのは、私にとって、今は職業です。職業ということは、踊りをみるためにお金を払ってくださっているお客様や、フラダンサーと写真と撮ったり、会話を楽しみたいお客様にとって、私は無条件でフラダンサーということです。

私のほうの条件、たとえば、踊りが難しい、体力が限界にきている、具合が悪い、集中できない、踊り手としての経験がまだたりない、生粋の日本人であること、などはまったく関係なし。

いつも、どこでも、経験豊かな、エネルギーに満ちた、こぼれるような笑顔で、見せるにふさわしい踊りを踊ることが私の仕事。苦痛にゆがみそうな顔や激しい息遣いは、表面に出さず、衣装をきて、それを脱ぐまでは、そしてフラダンサーを見たいという人の前にいる間は仕事を全うすることが大切なのです。

プルメリアの花は、そんな私のサプリメント。汗をかき、動悸が体中をめぐっているとき、花の香りはまるで私自身が花になったかのように、驚くほど強く香ります。深呼吸をすると、体のなかから手足の先にいたるまで、しびれるように香りが広がり、私の体がエネルギーをチャージするのです。

だから、いつもこうささやきかけるんですよ。

「一緒にがんばろうね」って。

プロフィール
神宮寺愛
エッセイスト×フラダンサー
東京での出版社勤務を経て、現在はエッセイストとして活動。マウイ島ワイルク在住。著書『心と体がピュアになるハワイアンな暮らし』(青春出版社・刊)他。フラやハワイ語等を学ぶダンサーでもあり、カノエアウダンスアカデミー所属。現在カアナパリビーチホテルのディナーショーにレギュラー出演中。