1、2、3、SMILE ! [2008年02月20日(水)]
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我が家の六歳の娘の宝物箱をのぞくと、貝殻や、木の実、なにやら光る大小のかけらに混ざって、デジタルカメラが鎮座しております。 ![]() 紙やブロックで作ったカメラで十分と思っている我が家に、娘専用のデジタルカメラがやってきたのは、去年の夏。私のハーナイママのジュンコ・ママが、ずっと使っていたデジタルカメラを、お古だけど、と娘にプレゼントしてくれたことにはじまりました。 それまで、私や夫が仕事で使う本物のカメラを羨ましそうに眺め、「絶対にさわっちゃだめ。お仕事で使う大切なものだから」と私たちに口うるさく言われていた娘は、そのカメラを手にしたときには、飛び上がらんばかりでした。 以来、バッテリーの充電や、カメラの管理を、大きな失敗もなく、しっかりやっているところを見ると、彼女なりの責任感をもってカメラを大切にしているようです。 さて、昨日、そのカメラをふと手にとってみると、なんと写真の保存枚数は千枚を越えています。驚いてメモリーカードをチェックすると、彼女の使っているメモリーカードは、私のものよりも遥かに容量の多いものでした。 何を千枚も撮ったのだろうと、こっそり写真をのぞいてみた私を、すっかり笑わせてくれたのは、彼女の写真の撮り方。 たとえば、どこかに食事に出かけたときの写真といえば、まずは車に乗り込んですぐの自分の足、次に車窓から続けざまに目的地までの写真を二十枚ほど、そして、レストランに到着するとお店の人や一緒にテーブルに座っている人を下からのアングルでパチリ、素敵なインテリアや彼女が気になる存在を十数枚、運ばれてきた美味しそうな食事をかなりの至近距離で……、それだけで、ゆうに百枚を超えているのです。 おびただしい写真は、まるで彼女の目線そのもの。 彼女よりも背丈のある大人たちが右往左往する姿、何か一生懸命に働いている後姿、楽しそうに笑う横顔、大人たちの世界を子どもが見るとこうなるのだな、と、娘の写真にすっかりのめり込んでしまいました。 ![]() 食欲たっぷりの近さで撮ったカレーライスや牛乳、大好きなピカピカに光る物たちに吸い寄せられている娘の目、ふっと空を見上げたときの時間、たわわに実る果物、咲き乱れる花々、自分の体のなかで被写体によいのは足……。 ![]() ![]() 「あ、いま、自分の目がカメラのレンズになって、パチリって撮れたらいいな」という願いが簡単にかなってしまったような、まばたきの瞬間でした。 カメラを構えれば、つい、いろいろと考えてしまう私の悪い癖。いままで仕事でお付き合いしたカメラマンの皆さんの凄腕を見続けたからでしょうか。人様に見せる写真など、私には撮れないし、そもそも恥ずかしいし、と頑なになりすぎるのでしょうか。 そんな私が、仕事として、「写真を撮れます」と進んで言えるようになったのは、二年ほど前でした。拙著『心と体がピュアになるハワイアンな暮らし』を青春出版社さんから出していただいたあとのことです。 この本の写真は私が撮ったのですが、担当の編集者さんやデザイナーさんに写真をお渡ししたときは、原稿のそれに比べて百倍の恥ずかしさでした。しかし、恥ずかしさに勝る勇気をくれたのは、フォトグラファーの田巻照敏さん。「写真、愛ちゃんも撮りなよ」という彼の一言は、私の背中をかなり強く押しました。 田巻さんは、木村拓哉くんなどをよく撮影しているほどの敏腕フォトグラファー。家族と田舎の自然と温泉をこよなく愛し、車やバイクで日本中をどこでもどこまでも。ですが、私、実はご本人が、すごい恥ずかしがりやさんなのを知っています(ふっふっふ)。カメラをパチリとやったあと、被写体に「ちっくしょー、おまえ、すげーなー」と心のなかで言い、そして照れてしまう彼は私にとっては、「おまえもすごいぞー」というお人。 写真は、私にとって、原稿と同じように、踊ることと同じように、想いを伝える手段になりました。ひとつで勝負できないなんて、と意気込んでいた二十代の若い自分は跡形もなく、手段はひとつではないほうが、といえる三十代が、半ばに至る今時分、どうやら板についてきたようです。 「ねえ、ママね、カメラのなかの写真見たよ。とっても好きだな、アイナの撮った写真」 「どうもありがとう。ママのも素敵だからね」 「あら、ありがとう。じゃあ、もっとがんばるね」 |









を渡して、見えてるものを


