「どれ、宿題を見せてごらん」 [2007年11月20日(火)]
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大人になったら宿題なんかしなくていいだもん、と思っていたのに、大人になって、親になったら、子どもの宿題を気にしなくてはいけない、というわけでした。 ううっ、宿題。「宿題したの?」「宿題しなさーい!」って、今度は私が言っているなんて、……恐ろしい。 ハワイ州の学校は、プリスクール(一年間から二年間)、エレメンタリースクール(キンダーガーテンから五年生までの六年間)、インターミディエイトスクール(六年生から八年生までの三年間)、ハイスクール(九年生から十二年生までの四年間)とあります。 娘は、プリスクールに二年行き、今年の夏からエレメンタリースクールの一年生になりました。問題の宿題は、エレメンタリースクールのキンダーガーテンのときから登場し、登場した当時、私をぞっとさせたのですが、キンダーガーテンの宿題はどちらかというと、これからの学校生活の一部としての習慣をつくるため、というような、遊びの延長のようなものでした。 ところが、一年生になった途端、毎週の読み書きテストに備えた練習問題、計算式がずらりと並んだ紙が、毎日ぴらりぴらりと、やってくるではありませんか。 しっ、宿題かぁ、と昔の嫌な思い出が、どうにも私の動きをぎこちなくさせるとはいえ、小学一年生の宿題ですから、「どれ、ママが見てあげよう」と親の貫録を示しつつ、毎日宿題と対面し、実のところは、宿題のない金曜日は、私がうれしい、という始末。 ![]() 平日、私は娘が学校から戻ってくるとすぐ、カアナパリビーチホテルのディナーショウの仕事に向かいます。衣装とメイク道具をかかえた私と、宿題とおやつを持った娘は、家の前からアンティ・ケアラの車に乗り込み、私はメイクを仕上げ、娘は宿題をするのです。 「どれ、できた? 見せてごらん」 足し算と引き算を練習中の娘は、その日、絵を見ながら足し算や引き算の式を考えるという宿題を持っていました。指を使いながらも、足し算と引き算はできるはずの娘、当然いつものように問題を解いたのかと思えば、五つの問題のうち、三問が引き算のはずなのに、引き算をせずに足し算をしているのです。 問題の絵のなかには、十人の女の子や、六羽の鳥や、八匹の魚などがいました。そして、五人の女の子が背を向けて歩き、二羽の鳥が飛び立ち、三匹の魚が泳ぎ去っていくという設定が、子どもにもわかるように描かれていました。 「ねえ、この女の子たち、何をしているの?」 「みんなで遊んでいるの」 「この、バイバイってしている、お家に帰っていく子たちは何人?」 「五人」 「この五人の子がバイバイって行っちゃう前は、みんなで遊んでいたんだよね、そのときは何人?」 「十人」 「それじゃあ、お友達は何人残っているの?」 「……」 十、引く、五、は、五。当たり前ではないか、という言葉が口からでそうな私。しかし娘は、答えが間違っているとはまだ思っていない様子。私は足踏みしながら、娘が答えを見つけるのを待っていました。 ところが、 「はじめは十人で遊んでいたのよ、ママ。お友達は全部で十人なのよ」と娘。 自分が母になって学んだことは「忍耐」。ここで間違っても、「さっさと、十引く五は、五って書いちゃいなさい!」などと叫んではいけないのです。 心を落ち着けてもう一度、 「はじめに十人で遊んでいて、五人の子が家に帰っちゃったから、ここに五人の女の子が残っているよね? この絵に描いてあるよね?」 と、もう少しで答えを言いそうになる私に、娘はまた、 「でも、ママ、お友達は全部で十人でしょ」 を繰り返すのです。 この会話が数回繰り返された結果、ついに私は、 「あのさ、誰かがバイバイって行っちゃうときや、鳥が飛んで行っちゃうときとかは、引き算するんだってこと、覚えてくれる?」と根負け。 自分の説明力の無さを反省しながら、ホテルに到着すると、今度は私のフラシスターの弟、娘と同じ年のナイルズが、またしても宿題をひらひらさせながらやってくるではありませんか。気を取り直して、その紙を見ると、娘の宿題とほぼ同じ内容。そして、同じように彼も、引き算を全部足し算しています。 反省しても、説明に至る妙案が浮かんでいたわけではない私に、ナイルズは、 「どうして、十引く五は、五なの? ここに五人の人、こっちに五人の人がいるんだから、引かないんだよ」と、娘の「お友達は十人であることは変わらないはず」案に並ぶ、「五と五は存在するのである」案を提示。 もともと算数が苦手な私、彼らの案は私にとってはやけに説得力があり、つい、「そうよね、お友達は十人、減ったりはしないのよね、お友達だし。それに確かに、絵のなかには五と五は存在するのよね」と納得しそうになってしまうのです。 その日家に帰るとすぐに、夫に今日の宿題の話をしました。夫は、「君がそれを説明できるわけがないよね、だって思考回路が彼らと一緒だもん。納得しそうになったんだろう」とお見通し。 「そういうときは、こういう友達とか、生き物を例にとって説明したらだめだよ。君たちにわかりやすいのは食べ物だろうね。はじめに十個あったイチゴを、五個食べちゃったら、残りは五個、そして食べちゃった五個は決して戻ってこない、ってわかるだろう」と笑うのです。 確かに。 友達も、鳥も、魚も、目の前から消えてもどこかに存在するけれど、食べ物は食べてしまえば消えてしまう……。もっと食べたくても、戻ってきたり、どこかにしまってあったりはしないのです。やっぱりお腹で考えなくっちゃね。 「どぅれ、ママに宿題を見せてごらん」って、今日は余裕の笑顔で言えるかも! ![]() |






毎日宿題の日々なんて、私は遊びたいのにーと、私も子どもみたい。でも、原稿の締切や、フラの本番は日々あるわけだから、子どもたちは宿題やって、おとなになってからの日々にそなえているのかも。