痛みの処方箋 [2007年11月12日(月)]
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「99%が痛い、1%が楽しい、これ、な〜んだ?」と訊かれたら? 私の答えは「フラ」です。「出産」「恋」と答えた方もいらっしゃるかもしれませんね。ともあれ、みなさん、ちょっと考えてみてください。 それにしても、私ときたら、フラダンサーだというのに、フラの99%が痛くて、1%しか楽しくないなんて困りもの。でも、嘘はつけません。本当に、本当に痛いんです。毎日のように踊っていても、やっぱり痛いんです。 そもそもフラは、一般的なイメージとして、ゆっくりした動きで、ウクレレなどが奏でる心地よい音楽とともに、楽しげに踊る踊り、というものがあるかと思います。いろいろな国や地域の文化である踊りのなかには、見るからに大変そうで、自分もできるかもしれないという希望がまったくわかないほど難しそうなものもあります。それらにくらべると、フラは確かに、楽しそうだから踊ってみたい、私も上手に踊れるようになるかもしれない、と思わせる踊りなのでしょう。 ![]() でも、考えてみれば、「芸」と呼ばれるものが簡単なわけがないのです。 フラはいにしえの時代には、ハワイの神々が踊り、彼らが選んだ人々にそれを教え、人々が神さまに奉納するために踊ったと言われ、日本のお神楽ととてもよく似た存在。現在も、その踊りは受け継がれ、フラ・カヒコと呼ばれる古典的なフラがあります。対して、フラ・アウアナといったら現代的なフラ。そして、どちらも、それぞれの時代と地域によって多様、フラ・カヒコもフラ・アウアナも、たくさんの種類があるということです。 私はそのなかのほんの一部分について学び、現在に至るわけなのですが、どんなに学んでも達成感はありません。知れば知るほど、自分の知識はひとつの小さな点としか思えないからです。 大海原のなかで泳ぎ続ける私に、いま、ここまで泳いできたよ、と教えてくれるのは、フラの世界に存在する踊り手を区別する言葉。 まず、オーラパとは、踊り手。オーラパであるということは、生きている間はフラを踊り、関わっていくことを承知して、フラを学び、踊ることのできる踊り手のことです。 次に、ホオパア。オーラパとホオパアの違いは、フラの根幹である詩を暗記し、詠唱することができ、踊ることができることです。学んだことをすべて覚えていなくてはいけません。 そして、最後がクム。クムの意味とは、基盤。つまり、基礎が完成し、フラを教えることができるようなったということ。 一言でフラを踊るといっても、踊るためにしなくてはいけないことは、とてもたくさんあります。ひとつの曲を踊るためには、詩を覚えて詠み、詩を書いた人、書かれた経緯や意味、歴史などを学び、手足を中心に体の動きを稽古し、表現するまでに至るようにするのです。さらに、踊るときにどのように装うのか、布地、染め、デザインからはじまる衣装作り、衣装とともにどのようなレイ(主に植物や貝、鳥の羽などをつなぎ合わせて作り、頭、首、手首、足首などを飾る)を身につけるのか、考えただけで、頭痛。すでに50%くらい痛いわけです。 ![]() 私のクム、アンティ・ケアラは、私のことを、ホオパアにするために教えているオーラパであると言います。私のひとかき、ふたかきが、大海原を少しでも進んでいる証拠なのでしょう。 99%がどのくらい痛いのか、その大きさ、深さ、それを何かや誰かと比べることはできません。でも、1%が楽しいがために、99%が我慢できてしまうものの存在は、私には大事に思えるのです。 私が信頼している友人のひとりに、出版社に勤めながら、ボクシングの稽古をし、ボクサーとしてがんばっている人がいます。彼がボクシングをはじめたのと、私がフラをはじめたのは同じころで、当時、自分たちがどのくらいそれに夢中なのかを語り合ったり、のめり込み具合をからかいあったりしたものでした。 すでにそれから十年ほどがたちますが、私と彼はいまもきっと、はじめたころと同じように、熱っぽく想いを語り合うことができるでしょう。はじめたばかりのころ、まだたいした痛みもないようなとき、「これはやめられない!」と言ったお互いの言葉、それを信じあった友人同士として。 今度、尊敬の気持ちをもって、私は彼に答えのわかりきった質問をしてみるつもりです。 「99%が痛い、1%が楽しい、これ、な〜んだ?」 |






azusako! 元気そうで何より! この連載のおかげでこんなに懐かしい声が聞けるなんて、うれしい。カフェグローブならではだね。私は雑誌や書籍などの紙媒体の仕事が多いのですけど、こればかりはウェブの魅力だなと思います。マウイにも来てね。