おへそに手をあてて……

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地元産購買運動のすすめ [2007年12月19日(水)]
バナナが甘くない。

先日、シアトルに行ったことを書かせていただきましたけれど、実は私、シアトルで何気なく、バナナを買って食べたのです。ところが、そのバナナときたら、味がない……。

朝に食べた食べ物が美味しかっただけで、一日元気でいられる私は、味なしバナナを食べた途端、しょんぼり。そして、「ちぇ〜っ、甘くないや」と口を尖らせながら、ちょっと思い出したことがあったのです。



私がマウイ島で暮らし始めて二年目のころ、地元産購買運動をはじめたことがありました。いまは地元産のものを上手に買う知識も増え、あまり意識をせずとも、地元のものを買っているのですが、当時は買い物に行くたびに、「君はどこから来たのかね?」と尋ね歩いていました。

運動をはじめたきっかけは、バナナ。

日本からマウイ島に引っ越して一年ほどしたあと、しばらく日本に滞在する機会があったときのことです。

バナナは日本でも一年中買うことができるトロピカルフルーツ。もともとバナナは好きですし、美味しいバナナが食べたいな、と手を伸ばしたところ、バナナってこんな味だったかしら、と考え込んでしまいました。もしかしたら、種類が違うのかな、食べるタイミングがいけないのかな、といろいろ試したのですが、食べたかったバナナの味にたどりついたのはマウイに戻ってからでした。

私にとって、バナナは日本でもマウイでも、そして、いつでも買えるお手頃な果物でした。旬のあるほかの果物に比べると、明らかにバナナへの感謝が足りなかったのです。

ところが、マウイで一年ほど食べなれたバナナの味と、日本に戻ってから食べたバナナの味の違いを、私の味覚はするどく察知。採れたてのバナナ、しっかり熟れてから収穫したバナナは美味しいのだということを、まざまざと学んだのです。

それからというもの、私は、マウイ島で地元産購買運動をはじめました。

マウイは高原地帯があり、キャベツや白菜などの野菜が豊富に採れるため、地元でまかなわれている野菜はたくさんあります。また、バナナやパパイヤなどの果物は比較的どの島でも生産されていますから、ファーマーズマーケットなどで購入すればよいだけでした。



野菜や果物だけではなく、お肉、お魚、牛乳、卵なども、マウイ産を探すことは難しいことではありません。お肉は地元のものか、米国本土からのものかが必ず書いてありますし、お魚などはどこで獲れたのか、養殖なのかどうか、を確認することが可能です。牛乳や卵はマウイ島の乳製品メーカー、ハレアカラ・デイリーがあります。卵は農家から生みたてを買うことも。

そして、買い物をする時間がなく、マウイ産を探せないときは、範囲をまずはハワイ州に広げてみます。米国本土やそれ以外の国からの生鮮食品を買うのは最終手段というわけです。

マウイ島では、マウイ郡政府が『BUY MAUI FIRST(マウイ産のものをはじめに買おう!)』という運動をしているため、生鮮食品と違って、どこが産地なのかがわかりくい加工食品には、店頭で『BUY MAUI FIRST』という目印を出しています。

たとえば、お肉はお肉が包まれている入れ物の表面に、ローカル・ポーク(地元の豚肉)か、メインランド・ポーク(米国本土の豚肉)か、わかりやすく書いてありますが、ソーセージやベーコンを買おうと思ったら、商品の裏側をひっくり返して、細かい文字を確認する必要があるところを、店頭の目印が教えてくれるというわけです。

私がどこの産地なのかを確認して買うことに気をつけているのは、単に、美味しいものが食べたいというだけなのですが、『BUY MAUI FIRST』という運動は、マウイの農家や牧場、その他メーカーに利益をもたらして、マウイ島の経済を潤わせようというものです。

確かに、五ドルのハレアカラ・デイリーの牛乳と、三ドルの米国本土からの牛乳を比べると、三ドルに手が伸びがちです。でも、二ドルの差をどこかで遣り繰りすることで地元産を買う努力は、できない努力ではないと思うのです。

遣り繰りばかりしていると、ちょっと疲れてしまいそうですが、野菜や果物などは、地元産が美味しくて安いことは言うまでもありません。この買い物の目線に慣れてしまえば、地元産購買運動などという堅苦しい言葉もいらないのです。私にとっては、シアトルのバナナに気がつかされるほどの、当たり前の日常になってしまっていたくらいですから。

地元産購買運動を忘れていた私が最近夢中なのは、もっと気長なプロジェクトなのです。名付けて、『次世代引継運動』。美味しいものを、次の世代にも引き継いでいこうという運動です。

まず、美味しいと思った果物や野菜の種を取っておき、植える、という単純な運動。我が家では、隣のハナコおばあちゃんのヘイデン・マンゴー、甘くてまろやかだったソロ・パパイア、アルおじさんのくれたアボガド、無料で配っていたレタスの種、などが次々と植えられ、無事に育っています。



美味しいものが増えると思うだけで幸せ。

みなさんも、始めてみてくださいね。食べ物と仲良くなると楽しいですよ。お買いものにいって、まずは地元産、ちょっと郊外までは範囲を広げ、あとは、友達の住んでいる地方や、旅行で行ったことのある地方とか、地図や思い出を頭の中に浮かべながらのお買いもの。

こうなると、お買いものもちょっとした旅気分ですね。
Aloha in Seattle [2007年12月10日(月)]
毎年、クリスマスなどのホリデーシーズンのはじまる直前の十二月前半、私たちカノエアウ・ダンス・アカデミーのダンサー陣はホテルから二週間のお暇をいただき、休みなしで踊り続けなくてはいけないホリデーシーズンに備えて、休暇を楽しむことにしています。

というわけで、私、シアトルに行ってまいりました!


雪の降った昔のシアトルの町のミニチュア
Children Museum前にて


実は、シアトルには私のフラ・ブラザーのBJとフラ・シスターのメルが住んでおり、彼らは昨年カノエアウ・ダンス・アカデミー・シアトル支部を開設。フラはハワイだけではなく、米国本土にもかなり浸透しており、フラ・ハーラウ(フラを中心にハワイの伝統文化を学ぶところ)の数も多いのです。

BJとメルは、念願の赤ちゃんを授かったばかりでもあり、今回、八日間にかけて、マウイ島本部より総勢八名で、新しいフラ・ハーラウの応援と、赤ちゃんの誕生を祝いに馳せ参じたのであります。

出発当日、定例のショウを踊り終え、空港へ。長そでとジーンズ、ブーツに身を包んでから、機内に向かう私やフラ・シスターのカウイを横目に、「自然のエアコンがあって、いつでも、どこでも涼しいなんていいわぁ、私は寒いのが嫌って言いたくなることはないのよ」と、普段のムウムウ姿にサンダルを履いたアンティ・ケアラ。

やっぱり。雪降る二月の日本に行ったときも、ささるような風が吹き荒れた十二月のロサンゼルスのときも、アンティはムウムウだったもの。

さておき、シアトルに無事到着した私たちがしたことは、前日に出産を済ませ、赤ちゃんを連れて戻ってくるメルへのびっくり計画。私たちの宿泊先でもある彼らの家の模様替えです。

まずは、彼らの家の数点の家具を家の前で売り、次に、家族が増え、友人たちが泊まり、フラを学びにきた生徒たちが使ってもよいと思えるソファーベッドや食器、ポータブルの机や椅子を購入。そして、クリスマスツリーなどのデコレーション、大勢でクッキングをすることを考えての調理器具なども。

アンティ・ケアラの指揮に従って、私とカウイ、カウイの旦那さまのキモと、ご当主のBJで、掃除、搬入、家具の組み立て、設置をテキパキとこなしていきます。いつも一緒に行動していますから、慣れたものです。数時間後にはクリスマスツリーのデコレーションを残すのみに。

出産という大仕事を終えたメルは、部屋に一歩足を踏み入れた途端。「予想はしたいたの! アンティはいっつもびっくりするような大きなことをするから。なんて素敵なの、どうもありがとう!」と感激の涙。私たちはメルに抱かれた赤ちゃん、ミキオイを覗きこんだり、抱っこしたりと大騒ぎ。まるで引っ越しのような大作業をしたシアトル初日は、野菜たっぷりのサンドウィッチとコーンチャウダーのスープで簡単で温かい夕食を、終わらないおしゃべりとともに済ませたのでした。

さて、シアトルといえば……、というほど、私はシアトルについての知識がありません。シアトルマリナーズのイチロー選手、スターバックスの故郷、マイクロソフトやボーイングのような大企業の本拠地など、というくらい。はじめてきたときは、全体像をつかまなくっちゃと、シアトルの街にそびえたつスペースニードルという塔の展望台へ。

すると、シアトルはベイサイドの街であり、しかも、遠くに雪山も、と一目瞭然。つまりは、シーフードが美味、スキーが楽しめる、というわけです。さっそくシーフードマーケットのあるパイクス・パブリック・マーケットへ。

このマーケットのお魚屋さん、ちょっと築地を思わせる賑わいでした。お魚屋のお兄さんたちは世界共通で威勢がいいのですね。お魚を買ったお客さんに、お魚をひょいっと降り投げるパフォーマンスを見せながら、楽しそうに仕事をしていました。いきなり魚が私の方に飛んできたときは、思いっきり叫んで逃げた私ですが。


青さが冴えるサバ!!


新鮮な魚が手に入ると知ったら、今晩のおかずはポケ。アヒ(マグロ)を一口大に切り、玉ねぎやネギなどと一緒に醤油漬けにしたハワイアンフード。故郷の味が恋しいBJとメルにハワイアンフードディナーを約束していたアンティ・ケアラはアヒを約二キロ購入。

赤ちゃん誕生のお祝いの膳をハワイアンフードで、と決めていたこともあり、私たち、スーツケースにいろいろな食べ物を忍ばせてきたのですが、そのなかには、旅行の前に大量に作ったボーク・ラウラウ(ハワイアンソルトで揉んだ豚肉をカロの葉で包んで蒸したもの)、そしてポイ(カロを蒸してつぶし水と和えて練ったもの)もありました。

食べることが大切なこと、とされているのは、ハワイと日本の生活習慣のなかでの共通点。生きとし生けるものをいただくのですから、しっかりいただかないといけませんよね、と毎晩満腹。このままマウイに戻って衣装がちゃんと着られるのだろうかと、心配しながら、家族が集まっての食事を堪能。

そして、雪山で遭難しても大丈夫とばかりのお腹をかかえて出かけたのは、クリスタルマウンテンと呼ばれるスキー場。シアトルから車で二時間ほどのところでした。雪に大興奮なのは子どもばかりではなく、大人たちも! 普段の数倍着込んで動きがペンギンのようになっている子どもたちと、ホッキョクグマのような典型的ハワイアン体型の大人たちが、雪遊びを満喫したことは言うまでもありません。


雪山から降りてこない娘のアイナ


もちろん、大勢で旅行をすると楽しいことばかりではなく、大変なことがいくつかあります。今回も最年長は八十歳から、生後数日の赤ちゃんの十一人が移動するわけですから、車を乗り降りするだけで十数分、食事の仕度から片づけまでいれると五時間と、何をするにも時間がかかります。食糧の量もショッピングカートが溢れんばかりでしたし、搭乗手続きをした荷物の数は十四個、車イスからカーシートまで、目を見張るような量の荷物を積んだり降ろしたり。


キモとカウイの娘フラリから、従妹ミキオイへのキス


それでも、楽しいのはきっと家族だから。

そして、シアトルの新しいフラ・ファミリーとの出会い。家族が集まったら、まずは食べて、そして踊って、と、ただそれだけの普通のことが、家族の関係を強くしていくのだなと実感する旅でした。

スペースニードルにも、有名なマーケットにも、美しい雪山にも出かけたけれど、「この旅で何が一番楽しかった?」と聞くアンティ・ケアラに、「BJとメル、ミキオイに会えて、みんなで美味しい夕ご飯を毎日食べたこと」と答えている私。

食いしん坊だからでしょうか、でも、おへそに手をあてたら、お腹がそう返事をしたのですから、真実に違いありませんよね。
愛することは、知ることから [2007年12月03日(月)]
「愛ちゃんの家、随分おおらかな性教育ね、それ、とってもいい!」

と言ったのは、南アフリカに住む私の年上の親友、吉村峰子さん。

長年にわたって、「先生」という仕事に携わり、またHIV/エイズの患者さんたちとともに歩む暮らしのなかにいる彼女。いつもHIV/エイズに関する知識を少しでもいろんな人に知ってもらおうと、汗をかき、声をからし、歩きまわり、ときに頭をひねり、そして、くしゃくしゃの笑顔を見せたかと思えば、ゴウゴウと泣きじゃくる、一生懸命に日々、HIV/エイズと歩む人です。

私が、娘が今よりもっと小さかったころの話を峰子さんに話した途端、「それは性教育よ」と言われてびっくり。性教育といえば、中学校の保険体育の授業の思い出をひっぱりだしてこないといけないほど、私には縁のない言葉だったからです。

「ママ、ママのお腹のなかは赤いのよ。そして遠くが明るいの。きれいなところでね、そこから、う〜んって、でてきたけど、でてきたところはどこ?」

お風呂に入ると、思いだしたかのようにその話をする娘に、私はそのたびに、「そうよ。でてくるところはここ、とっても大事なところよ」と答えていました。

当時、私の行くところはどこにでもついてきていた娘、トイレについてきたものの、急に心配顔になり、半分泣きそうになりながら、ある日そう叫んだことがありました。

「ママ! どうしたの? 怪我をしたの?」

私は慌てて、「違う、違う。ママね、生理なの」と答えました。そして、生理の意味を説明すると、娘なりに納得したようでした。以来、生理、結婚、出産、赤ちゃんなどのキーワードは、彼女のなかで繋がりをもっているようです。

ママの体のどこから出てきたか、どうしてママから血がでているのか、それは私にとって、娘に隠すことではありません。娘の年齢からいって、わざわざ話すことではないのですが、聞かれればもちろん答えます。



この話を峰子さんに話すと、教育関係の仕事に従事して経験の長い彼女は、それを性教育だというので、私は今更ながらに驚いてしまいました。というのも、性教育云々とは学校の授業や地域社会で話題にのぼるものと思いこんでいた私には、家庭でする生理や出産の話とそれが、同じことには思えなかったからです。

いまでも、娘は、お父さんやお姉ちゃんとお風呂に入って感じた体の違いを私に話したり、いつ生理がくるのか、いつおっぱいが大きくなったり、脇や大切なところに毛がはえるのかなど、私に質問します。まるで、今日のご飯はなぁに、と聞くように。

聞かれたことに答えるのは親の務めと思っている私は、いかにわかりやすく説明するかに四苦八苦。しかし、娘は、ヤギの出産をみて、「生理の穴から赤ちゃんがうまれたよ! ママの穴から赤ちゃんの栄養(胎盤)がでてる」と言っていましたし、学校で着替えるときに、裸の娘をからかった友だちに、「笑わないで! ここは笑うとこじゃないの、大事なとこなのよ!」と大声でやり返したとのことです。

きっと、六歳なら六歳なりに、理解をしているのでしょう。娘がよく眺めている写真集、『A Child Is Born(子どもが生まれる)』も、彼女の理解をだいぶ手助けしてくれたようです。

「性教育は大事、HIV/エイズにだって知識さえあれば絶対かからない」とは、峰子さんの口癖。親になってまだ数年の私ですが、大事なことをできていると言われて、一安心でした。

私自身、親としてなすべきことはしようという覚悟はありますが、峰子さんから毎日にようにHIV/エイズのことを聞いても、「性教育は大切なことです。ひとりでもHIV/エイズの患者さんが増えることを防ぎましょう」と、私が言うということに、はじめは少し気おくれがしました。「あなたの知っているHIV/エイズの患者さんの名前をあげてください」と聞かれて、「本やテレビで知った川田龍平さん」と答える私と、いつもHIV/エイズの患者さんと一緒にいる峰子さんとは経験に差がありすぎ、私が峰子さんの口癖をまねても、それこそ、言うが易し、です。

しかし、私には峰子さんの言葉が、彼女の悔しさ、悲しさからくる激しい叫びに聞こえました。彼女が普通の口調で話しているときさえも。私は、峰子さんを通じて彼女が大好きなアフリカの素晴らしさと、彼女自身が体験しているHIV/エイズの問題を知ったのです。知ったならば、知らないふりはできません。

私一人の声が、二人の娘に届くなら、もう十人ほどの人にも届くかもしれない。

もう、黙っているわけにはいきませんでした。以来、私はできる限り、峰子さんの活動をサポートしてきました。峰子さんがHIV/エイズの患者さんと関わり、HIV/エイズの知識普及活動をはじめたきっかけも、二人のお子さんのためだったことも、私が今、お腹の底から納得して、発言し、書くことができる理由のひとつです。

六歳の娘にわかるように、十五歳の娘と同じ目線で、彼女たちの疑問に答えることが性教育なのであれば、私は喜んでします。性をもって生んだ性を、育みたいからです。娘たちが成長し、社会のなかで様々な人間関係を作っていくなかで、性教育の内容は、HIV/エイズ、避妊、性感染症などのことにも広がるでしょう。まずは私が知る努力も必要に違いありません。

子どもたちにしっかりとした知識を与え、自らの命を大切にするように教えることは、私が子どもを愛しているっていうこと。



どうか、HIV/エイズについて、知ってください。

まずは知ることです。みなさんが、自分で自分自身を愛するために。そして、みなさんが愛している家族や恋人、友人のみなさんに伝えてください。

すでにお子さんのいらっしゃるみなさんは、きっと無条件でお子さんのために動いてくださることを信じています。

そして、お子さんのいらっしゃらないみなさんは、あなたの愛する人と抱き合うまえに、自分自身の両手で、あなたの体を抱きしめてみてください。自分の体を大切にすることは、愛する人を大切にすること、私はそう思っています。

私はこのエッセイを、十二月十五日にシンポジウムに参加する吉村峰子さんを応援するために書きました。読んでくださったみなさま、興味を持ってくださったみなさま、是非、シンポジウムにいらしてください。また。カフェグローブ編集部にて、なんと川田龍平さんのインタビュー記事を掲載中です。こちらもあわせてご覧くださいませ。

◎詳しいシンポジウムのお知らせや吉村峰子さんのエッセイはこちらから! 
ありがとうはいつでも、いつまでも [2007年11月27日(火)]
先週の木曜日は、サンクスギビングデーという祝日でした。アメリカ先住民であるアメリカインディアンが、農作物が育たず、狩猟もうまくゆかずに困っていたヨーロッパからやってきた人々助けたことに感謝し、その後収穫を祝うようになったという謂れのある日です。

この日は、家族や友人が集まって食事をして過ごすことが多く、七面鳥やカボチャ、芋、トウモロコシなどを使った料理をみんなで囲みます。私はいつも、クム・フラであり、私のハーナイ・ママであるアンティ・ケアラの家で昼食、その後、私と夫の共通の友人夫婦、ペケロとロビンの家へ。

どちらの家のお料理も数日かけての手作りです。私もアンティ・ケアラの家に前日から泊まり込みでした。みなさんにまずはお腹を満たしていただくためにも、両家のメニューをご紹介しましょう!






【アンティ・ケアラの家のおおごちそう】
七面鳥の丸焼き・ピーチとクローブで煮込んだハム・野菜入りのスタッフィング・コーンとサクサクのクラッカーのバター風味オーブン焼き・マシュマロトッピングのヤム芋のマッシュドポテト・蟹入りポテトサラダ・洋ナシとクランベリーとピーカンナッツののっているグリーンサラダ・グレイビーとクランベリーソース・パイナップルとスイカ・パンプキンクランチパイ・ブルーベリータルト・カスタードとチョコレートカスタードのタルト





【ペケロ&ロビンの家のおおごちそう】
七面鳥の丸焼き・甘辛い鳥のから揚げ・リンゴとセロリとクランペリーとマシュマロのヨーグルト風味のサラダ・コーンとグリーンピースのサラダ・マッシュドポテト・野菜入りスタッフィング・チャイニーズヌードル・グレイビーとクランベリーソース・カスタードバイ・ピーカンパイ・パンプキンパイ

※スタッフィングとは、七面鳥を丸焼きにする際にする詰め物。



実は、どちらの家にもお料理の美味しさ以外にたくさんの共通点があるのです。

其の一・アメリカンインディアンの血が流れていること
其の二・ロビンのお母さんはアンティ・ケアラの恩師、アンティ・ケアラはペケロとロビン、ロビンの姉妹の高校時代の先生
其の三・マウイ島のハナで長い間暮らしていたこと


ロビンのお母さんの家の数々のアメリカンインディアンのアート


マウイ島は小さい島ですから、つながりがあることは不思議ではないのですが、夫が娘のプリスクールの手伝いに出かけた時にすっかり意気投合し、とても仲良くなったのがペケロ、その後、娘たちが大親友と呼び合う仲になり、私とロビンも姉妹のように。あるとき、娘が親友のナーマカをアンティ・ケアラのフラの練習に連れてきたところ、其の二の事実が発覚したというわけです。

今年のサンクスギビングデー、いつものように私はアンティ・ケアラの家で、お腹がはちきれんばかりに食べ、踊っていると、アンティ・ケアラがペケロとロビンの家に早く行くように私をせかしました。その理由は、今年、ロビンのお母さんが癌で亡くなったからでした。

大切な人を亡くした年のはじめての大きな祝日に、ロビンをさみしい気持ちにさせたらいけない。サンクスギビングデーの前日に大親友を亡くしたことのあるアンティ・ケアラはその話とともに、まだ涙のかわかない私の背中を押しました。

ロビンのお母さんは、「先生」という仕事が大好きな人。マウイ島のハナ・ハイスクール、ボールドウィン・ハイスクールで教えたあと、学校に行かなくなった子どものための学校で、癌の手術の前日まで教壇に立っていました。


ロビンのお母さんの若きころの写真、聡明な面差しが印象的


博識で、私にもいろいろなことをわかりやすく教えてくれた彼女。教会のバザーやセールなどで日本語の本を見つければどっさり買って私に、娘には誕生日やクリスマスに必ずプレゼント、子どもに見せたほうがよいイベントや聴かせたほうがよいコンサートがあれば連絡をくれ、泊まりにでかければ、娘に自分の孫と同じように本を読んでくれたりする、とっても頼れる「グランマ」でした。

私がペケロとロビンの家に行くと、二人はキッチンで七面鳥を食べやすく切っているところでした。ロビンはお母さんの言いつけどおり、食卓にはどんなときも本物のお皿とフォークとナイフ。外で食べるときも、小さな子どもが使うときも、何十人のお客様でも、紙のお皿やプラスティックのフォークやナイフを嫌ったお母さんの言いつけを実行していました。以前は、「ママったら、六十枚のお皿を外に持ち出して、しかもそのあとお皿洗いは私がするなんて」とぼやいていたのに。

娘と親友のナーマカ、その妹のエラはまるで姉妹のように仲良し。外にあるテーブルのそばの大きな椅子に二人で座り、賑やかに食べはじめました。

私が二度目のごちそうをほおばっていると、ロビンが、「じゃあ、今日はサンクスギビングデーなので、みんながそれぞれ何に感謝しているかを言いましょうよ」と言いだしました。

子どもたちが元気に、「パパとママ!」とか、「ママがおっぱいをくれたこと!」とか、「毎日幸せだってこと」などと叫びはじめます。しかーし、大人はちょっと口が重めというか、特に男性陣は照れがあるようでした。

そこで私はロビンに、アンティ・ケアラの家でとっても盛り上がった話をおすそわけ。それはマウイ島の高原クラにあるラベンダーファームで働いているアンティ・ケアラの友人とファームのお店にやってきたお客様との一悶着の話。ラベンダーファームのお店は、ラベンダーを使ったスキンケア用品、アロマテラピー用品、もちろんフラワーアレンジメントもあり、最近はラベンダーを使ったクッキーやスコーン、紅茶なども人気で、お店はいつも賑わっているのです。

「たいてい女性のお客様がお店のなかで時間をかけてお買い物をして、男性は外で首を長くして待っている感じなんですって。でね、待ちくたびれた男性の一人が、ちょっとひねくれた口調でこう言ったの。『この時分、どこもかしこもサンクスギビングデー、オレンジや赤や黄色の色だっていうのに、ここは年がら年じゅうラベンダー色ってわけかい』って。

そこで、アンティ・ケアラのお友達、そのお客様に思いきって言ってやったんですって。『サンクスギビングデーってみんなは騒ぐけど、その日だけ感謝すればいいってわけじゃないでしょう。感謝は毎日するものよ。だからここではサンクスギビングデーだからって、赤やオレンジの色で飾りつけたりはしないの。毎日がサンクスギビングデーだったら、赤やオレンジの色を毎日飾るわけにいかないでしょ。だから今日の色はラベンダー色ってわけ!』ってね」

ロビンは大笑い。少し前にお母さんの話をしながら涙ぐんだロビンにちょっと心配をしていた私は、一安心しました。

私にとってサンクスギビングデーは親しみのない祝日です。日本の秋の収穫を祝う様々な行事のほうが何倍もしっくりきます。でも、家族や友人が集まって、一緒にお料理をしたり、食事をしたり、今日のこの話を聞いて頷き合ったり、笑いあったりするのはとっても楽しいこと。

ありがとうの気持ちは一年中。サンクスギビングデーを、サンクスギビングイヤーに!

師走が音をたててやってくる十一月の末に、ふさわしい週末だったように思えます。
「どれ、宿題を見せてごらん」 [2007年11月20日(火)]
大人になったら宿題なんかしなくていいだもん、と思っていたのに、大人になって、親になったら、子どもの宿題を気にしなくてはいけない、というわけでした。

ううっ、宿題。「宿題したの?」「宿題しなさーい!」って、今度は私が言っているなんて、……恐ろしい。

ハワイ州の学校は、プリスクール(一年間から二年間)、エレメンタリースクール(キンダーガーテンから五年生までの六年間)、インターミディエイトスクール(六年生から八年生までの三年間)、ハイスクール(九年生から十二年生までの四年間)とあります。

娘は、プリスクールに二年行き、今年の夏からエレメンタリースクールの一年生になりました。問題の宿題は、エレメンタリースクールのキンダーガーテンのときから登場し、登場した当時、私をぞっとさせたのですが、キンダーガーテンの宿題はどちらかというと、これからの学校生活の一部としての習慣をつくるため、というような、遊びの延長のようなものでした。

ところが、一年生になった途端、毎週の読み書きテストに備えた練習問題、計算式がずらりと並んだ紙が、毎日ぴらりぴらりと、やってくるではありませんか。

しっ、宿題かぁ、と昔の嫌な思い出が、どうにも私の動きをぎこちなくさせるとはいえ、小学一年生の宿題ですから、「どれ、ママが見てあげよう」と親の貫録を示しつつ、毎日宿題と対面し、実のところは、宿題のない金曜日は、私がうれしい、という始末。



平日、私は娘が学校から戻ってくるとすぐ、カアナパリビーチホテルのディナーショウの仕事に向かいます。衣装とメイク道具をかかえた私と、宿題とおやつを持った娘は、家の前からアンティ・ケアラの車に乗り込み、私はメイクを仕上げ、娘は宿題をするのです。

「どれ、できた? 見せてごらん」

足し算と引き算を練習中の娘は、その日、絵を見ながら足し算や引き算の式を考えるという宿題を持っていました。指を使いながらも、足し算と引き算はできるはずの娘、当然いつものように問題を解いたのかと思えば、五つの問題のうち、三問が引き算のはずなのに、引き算をせずに足し算をしているのです。

問題の絵のなかには、十人の女の子や、六羽の鳥や、八匹の魚などがいました。そして、五人の女の子が背を向けて歩き、二羽の鳥が飛び立ち、三匹の魚が泳ぎ去っていくという設定が、子どもにもわかるように描かれていました。

「ねえ、この女の子たち、何をしているの?」
「みんなで遊んでいるの」
「この、バイバイってしている、お家に帰っていく子たちは何人?」
「五人」
「この五人の子がバイバイって行っちゃう前は、みんなで遊んでいたんだよね、そのときは何人?」
「十人」
「それじゃあ、お友達は何人残っているの?」
「……」

十、引く、五、は、五。当たり前ではないか、という言葉が口からでそうな私。しかし娘は、答えが間違っているとはまだ思っていない様子。私は足踏みしながら、娘が答えを見つけるのを待っていました。

ところが、

「はじめは十人で遊んでいたのよ、ママ。お友達は全部で十人なのよ」と娘。

自分が母になって学んだことは「忍耐」。ここで間違っても、「さっさと、十引く五は、五って書いちゃいなさい!」などと叫んではいけないのです。

心を落ち着けてもう一度、

「はじめに十人で遊んでいて、五人の子が家に帰っちゃったから、ここに五人の女の子が残っているよね? この絵に描いてあるよね?」

と、もう少しで答えを言いそうになる私に、娘はまた、

「でも、ママ、お友達は全部で十人でしょ」

を繰り返すのです。

この会話が数回繰り返された結果、ついに私は、

「あのさ、誰かがバイバイって行っちゃうときや、鳥が飛んで行っちゃうときとかは、引き算するんだってこと、覚えてくれる?」と根負け。

自分の説明力の無さを反省しながら、ホテルに到着すると、今度は私のフラシスターの弟、娘と同じ年のナイルズが、またしても宿題をひらひらさせながらやってくるではありませんか。気を取り直して、その紙を見ると、娘の宿題とほぼ同じ内容。そして、同じように彼も、引き算を全部足し算しています。

反省しても、説明に至る妙案が浮かんでいたわけではない私に、ナイルズは、

「どうして、十引く五は、五なの? ここに五人の人、こっちに五人の人がいるんだから、引かないんだよ」と、娘の「お友達は十人であることは変わらないはず」案に並ぶ、「五と五は存在するのである」案を提示。

もともと算数が苦手な私、彼らの案は私にとってはやけに説得力があり、つい、「そうよね、お友達は十人、減ったりはしないのよね、お友達だし。それに確かに、絵のなかには五と五は存在するのよね」と納得しそうになってしまうのです。

その日家に帰るとすぐに、夫に今日の宿題の話をしました。夫は、「君がそれを説明できるわけがないよね、だって思考回路が彼らと一緒だもん。納得しそうになったんだろう」とお見通し。

「そういうときは、こういう友達とか、生き物を例にとって説明したらだめだよ。君たちにわかりやすいのは食べ物だろうね。はじめに十個あったイチゴを、五個食べちゃったら、残りは五個、そして食べちゃった五個は決して戻ってこない、ってわかるだろう」と笑うのです。

確かに。

友達も、鳥も、魚も、目の前から消えてもどこかに存在するけれど、食べ物は食べてしまえば消えてしまう……。もっと食べたくても、戻ってきたり、どこかにしまってあったりはしないのです。やっぱりお腹で考えなくっちゃね。

「どぅれ、ママに宿題を見せてごらん」って、今日は余裕の笑顔で言えるかも!


痛みの処方箋 [2007年11月12日(月)]
「99%が痛い、1%が楽しい、これ、な〜んだ?」と訊かれたら?

私の答えは「フラ」です。「出産」「恋」と答えた方もいらっしゃるかもしれませんね。ともあれ、みなさん、ちょっと考えてみてください。

それにしても、私ときたら、フラダンサーだというのに、フラの99%が痛くて、1%しか楽しくないなんて困りもの。でも、嘘はつけません。本当に、本当に痛いんです。毎日のように踊っていても、やっぱり痛いんです。

そもそもフラは、一般的なイメージとして、ゆっくりした動きで、ウクレレなどが奏でる心地よい音楽とともに、楽しげに踊る踊り、というものがあるかと思います。いろいろな国や地域の文化である踊りのなかには、見るからに大変そうで、自分もできるかもしれないという希望がまったくわかないほど難しそうなものもあります。それらにくらべると、フラは確かに、楽しそうだから踊ってみたい、私も上手に踊れるようになるかもしれない、と思わせる踊りなのでしょう。



でも、考えてみれば、「芸」と呼ばれるものが簡単なわけがないのです。

フラはいにしえの時代には、ハワイの神々が踊り、彼らが選んだ人々にそれを教え、人々が神さまに奉納するために踊ったと言われ、日本のお神楽ととてもよく似た存在。現在も、その踊りは受け継がれ、フラ・カヒコと呼ばれる古典的なフラがあります。対して、フラ・アウアナといったら現代的なフラ。そして、どちらも、それぞれの時代と地域によって多様、フラ・カヒコもフラ・アウアナも、たくさんの種類があるということです。

私はそのなかのほんの一部分について学び、現在に至るわけなのですが、どんなに学んでも達成感はありません。知れば知るほど、自分の知識はひとつの小さな点としか思えないからです。

大海原のなかで泳ぎ続ける私に、いま、ここまで泳いできたよ、と教えてくれるのは、フラの世界に存在する踊り手を区別する言葉。

まず、オーラパとは、踊り手。オーラパであるということは、生きている間はフラを踊り、関わっていくことを承知して、フラを学び、踊ることのできる踊り手のことです。

次に、ホオパア。オーラパとホオパアの違いは、フラの根幹である詩を暗記し、詠唱することができ、踊ることができることです。学んだことをすべて覚えていなくてはいけません。

そして、最後がクム。クムの意味とは、基盤。つまり、基礎が完成し、フラを教えることができるようなったということ。

一言でフラを踊るといっても、踊るためにしなくてはいけないことは、とてもたくさんあります。ひとつの曲を踊るためには、詩を覚えて詠み、詩を書いた人、書かれた経緯や意味、歴史などを学び、手足を中心に体の動きを稽古し、表現するまでに至るようにするのです。さらに、踊るときにどのように装うのか、布地、染め、デザインからはじまる衣装作り、衣装とともにどのようなレイ(主に植物や貝、鳥の羽などをつなぎ合わせて作り、頭、首、手首、足首などを飾る)を身につけるのか、考えただけで、頭痛。すでに50%くらい痛いわけです。



私のクム、アンティ・ケアラは、私のことを、ホオパアにするために教えているオーラパであると言います。私のひとかき、ふたかきが、大海原を少しでも進んでいる証拠なのでしょう。

99%がどのくらい痛いのか、その大きさ、深さ、それを何かや誰かと比べることはできません。でも、1%が楽しいがために、99%が我慢できてしまうものの存在は、私には大事に思えるのです。

私が信頼している友人のひとりに、出版社に勤めながら、ボクシングの稽古をし、ボクサーとしてがんばっている人がいます。彼がボクシングをはじめたのと、私がフラをはじめたのは同じころで、当時、自分たちがどのくらいそれに夢中なのかを語り合ったり、のめり込み具合をからかいあったりしたものでした。

すでにそれから十年ほどがたちますが、私と彼はいまもきっと、はじめたころと同じように、熱っぽく想いを語り合うことができるでしょう。はじめたばかりのころ、まだたいした痛みもないようなとき、「これはやめられない!」と言ったお互いの言葉、それを信じあった友人同士として。

今度、尊敬の気持ちをもって、私は彼に答えのわかりきった質問をしてみるつもりです。

「99%が痛い、1%が楽しい、これ、な〜んだ?」
「魚見知り」なく [2007年11月08日(木)]
おへそに手をあてていたら、浮かんだことと言えば、今晩何を食べようかな、でした。

お腹がすいているときは、早くお料理ができて、すぐに食べたいですよね。そんなときは、一汁一菜、つまり、ご飯のほかに汁物と一種類のおかず、簡単メニューが一番。お米をといで、笊にあげ、お鍋にはった水に出し昆布を放りこんだら、魚を買いに走る……、これは日本で暮らしていたころと変わりません。

変ったのは私ではなく、魚売り場の魚たちの様相。

「おっ、青々として旨そうな魚じゃ」「う〜ん、このシャキッとした姿、よく黒潮にもまれてきたのぅ」「いいねえ、この時期は。身がぷりっとしいて、あぶらものってるし」と、魚たちが成仏できること間違いなしの食いっぷりが想像できる、魚売り場前の私。

処変わると……。



「んっ、青いのはいいが、やけに青いな」「えっ、こっちは赤いし、あっちは虹色、いったい身の色は何色なんだ」「えっと、君は水槽から来たのかな」「うーむ、姿かたちよりも大事なのは中身、とはいえ、このかたちはちょっとなぁ」となるわけで。

このころやっと人見知り、いいえ、魚見知りがなくなり、「どぅれ、食べちゃうぞぉ〜」と脅かせるようになってきたところなのです。

人見知りというのは見知らぬ人に対しておこるのであって、見知った人にはおこりませんよね。つまり、魚見知りをしていた私は、魚を見知ってきたというわけです。

まず、ハワイの魚料理といったら一番手にあがるのは、ポケ。これは生の魚の切り身を漬けたものです。アヒ(キハダマグロ)のものが圧倒的に多いですが、ほかにも、アク(かつお)、タコ、オピヒ(貝)、蟹などがポケに使われます。



味付けは天然塩、ククイナッツを砕いたもの、リム(海藻)、醤油、ごま油などを使うのですが、日本の魚料理の漬けと似ていて、馴染みやすいもの。一口大に切ったものなので、食べやすく、おかずにもププス(おつまみ)にも最適。たいていは、魚などの切り身のほかに玉ねぎやネギを刻んだものと和えます。

売り場などをのぞくと、キムチ味、海苔ふりかけ味、ワサビ風味など、バリエーションはとっても豊富、もっともシンプルなものを買ってかえって、家でオリジナルの味付け、合わせを楽しむのもあり。私は、納豆や胡瓜、大根おろしと混ぜて和風おかずにしたり、他の野菜と一緒にマリネしたり、ときには食べ残しを炒めものにしたりもします。

ところが私のお腹ときたら、しばらくすると、いつも馴染みやすい顔ばかりでは、と、ほかの魚たちに興味津々。まずは、作れるようになるには食べなくては、と、美味しいと聞く魚料理を食べることに専念。でも、美味しいければ美味しいほど、「食べるばかりではなく、自分でだって作りたい!」 

そこで、元船乗り、元板前の我が夫に指南役をお願いしたのです。

「魚臭いの嫌いなんだよね」「え、じゃあ、いままで鼻つまんで仕事していたの?」「新鮮な魚って臭くないんだよ」 つまり、新鮮かどうかを見分けるには、匂いをかげばいいのです。臭くない魚を買って帰ることだけはできるようになり、次は料理法を学ぶことに。

「ハワイの魚はね、あぶらがのってないから、たいていの魚は揚げ物にするといいよ。ほら、この間もフライド・アクレ(あじの揚げ物)の定食、美味しいって食べていたでしょ」

これを聞いて、どれだけ目の前が暗くなったことか……。自称・料理好きの私、お料理上手との褒め言葉を素直に受け取ってしまう私、なんと、揚げ物料理が大の苦手だったのです。しかし、そんなことは我が夫は百も承知。薄ら笑いを浮かべながら、こう言いました。

「魚にね、粉をつけて、揚げ物にするとちょうどいいよ。でも、揚げ物するとき、油の入った鍋に、遠くから魚を投げ込んだら危ないよ」

日本のガスコンロと違って、火加減が見えない電気コンロ、油の温度の調節をどうやってするんだろうという不安、油がピチバチはねるに決まっているという思い込みによる、揚げ物恐怖症。家で作る揚げ物のほうがヘルシーに決まっているのに、「外で揚げ物食べることが多いんだから、家では揚げ物する必要がないよね」と家族をマインドコントロールまでしていたのです。

しかし、食欲は恐怖よりも強し。

昨晩、これが新鮮で旨いに違いない、それに名前もかわいいし、と買ってきた「ムーン・フィッシュ」を揚げ物に。

「ねぇ、ムーン・フィッシュってどんなお魚? 切り身で売っているってことは、大きいの?」
「このくらいで、赤い魚だよ」
「げっ、どんな赤い色? まさか、食欲失うような赤色じゃないでしょうね」
「えっと、えっと、鯛の仲間だよ」
「あらっ、素敵、赤い鯛なんてお目出度いし! 高級感たっぷり!」

お目出度いのは私のほうなのでしょうけれど、魚見知りもなくなり、揚げ物恐怖も解消できた、私の食欲に、おへそに手をあてて感謝しなくていけないですよね。
Aloha 'Ohana Cafe Globe !  [2007年11月01日(木)]
カフェグローブの読者のみなさま、こんにちは。
改めまして、ご挨拶させてくださいね。

わたくし、神宮寺愛(じんぐうじあい)と申します。
このたび、ご縁があり、カフェグローブの公式ブログとして、
マウイ島より『おへそに手をあてて……』をお届けすることになりました。
みなさんと一緒に、文字通り、おへそに手をあてながら、
想うことあれこれを分かち合っていくことができたらうれしいです。
どうぞ、よろしくお願いいたします。

でも、どうして「おへそ」なのでしょう?

それは、このブログをはじめるときにも書かせていただいたのですが、私が何よりも「お腹モード」な人間だからです。(はじめにの『ブログはじめ、食べはじめ』参照

頭でじっくり、胸がドキドキ、というよりも、お腹にグッとくる……、どうやら私の心はお腹にある様子。ちょっと意外に思う方もいらっしゃるかもしれませんが、頭で考えるよりも、胸中で思いめぐらせるよりも、お腹に想いをこめるほうが強い力が湧きますよ。

そのお腹の真ん中にちょこんと存在する「おへそ」は、お腹に力をいれるときの力点。おへそを眺めてみたり、おへそのうえにそっと手をあててみてください。そして静かにお腹に力をこめると、おへその裏側あたりが温まってきませんか。私は、その温かさこそ、その人の持つ心の力だと思っているのです。

伝えたいことがはっきりしない話を「へそのない話」と言いますし、雷さんが嘘つきな子どものおへそをとりにくる怖い昔話の存在といい、おへそがとても大切なところであることは確か。おへそのないのっぺらぼうのお腹を想像するだけで不気味ですよね。

ハワイでも、おへそは「piko/ピコ」と呼ばれて大事にされています。日本と同様に、ピコとは、物事の要点や発祥の意味をもっていて、過去から未来への家族のつながりを示す言葉です。

今回、カフェグローブで編集やデザインを担当してくださる方に、私は『おへそに手をあてて……』のブログスキンのデザイン用に、カロという芋の葉っぱとココナッツの実の写真をお渡ししました。何よりも、みなさんと「へそのある」話をしたかった私は、その象徴である二つをどうしてもデザインに組み込みたかったのです。

カロは、ハワイの人々の命、生きる力。

ハワイの創世記神話『クムリポ』にはこう残されています。天空の神であるワケアと母なる大地の神パパの娘、ホオホークーカラニがワケアとの間に生した子ども、ハーロア。いつまでも続く長い息という意味の名をもつハーロアは、生きることのできるかたちで生まれてこなかったため、誕生後すぐに命が絶え、ワケアとホオホークーカラニによって、大地に埋められました。すると、そこにカロが生まれ育ち、カロはその後に生まれた人々の生きる糧となったのです。

カロはハワイの人々の祖先であり、カロがなければハワイの人々は存在しなかった、という言葉が語り継がれ、カロは、いまでもハワイの人々のソウルフード。日本ではミズイモ、英語名のタロからタロイモと呼ばれたりしています。このカロの葉の中心、やはり、ピコと名付けられているのです。



もうひとつのココナッツは、私が特に尊敬している植物。

みなさん、学校の音楽の授業で習いましたよね、「名も知らぬ、遠き島より、流れ寄る椰子の実ひとつ……」。実ひとつで、流れ、根を張り、見上げるほどの木になり、また実を実らせる……。そしてその実はどんな場所であっても、ちゃっぷん、ちゃっぷんと音をさせるほどの水をたたえ、果肉は島人に必要な脂肪分をたくわえ、果肉を覆っている部分は暮らしに必要な器になったり、楽器になったり、布地になったり、と無駄なくすべてが役立つのです。



そんな人間って、なかなかいないですよね。ココナッツができていること、私もできるようになりたいです。

というわけで、私、ココナッツのようになれるよう、がんばらなくては、ココナッツのような子どもを育てなくては、と、今日も風に吹かれて葉音をたてる椰子の木を見上げる次第です。

カロ、ココナッツ、どちらも美味しいんですよ。私自身、いつも正直にお腹の声に耳を傾けている食いしん坊ですので、『おへそに手をあてて……』、みなさんと一緒に日本とハワイの美味しいものの話もできたら、うれしいです!

それでは、みなさん、これから末長く、よろしくお願いいたします。

マウイ島より、愛をこめて。

ALOHA 'Ohana Cafe Globe ! (アロハ、オハナ・カフェグローブ!)
新しい家族誕生の予感 [2007年10月30日(火)]
Aloha(アロハ・愛する気持ちのこと、挨拶のときにも使う)
Mahalo(マハロ・ありがとう、感謝の気持ち)

ハワイは観光地として、とても人気の場所ですから、ハワイで使われている言葉として、この二つの言葉をご存知の方は多いでしょう。

さて、この言葉、何語でしょう、
ハワイ州は米国の一州ですから、英語でしょうか?

いいえ、これはハワイ語。ハワイは、1893年に米国によるハワイ王朝転覆、その後米国への併合という状況のなか、人々は、ハワイ語から英語へ、という話す言語の変化を味わったのです。しかし、政策がどうあれ、言葉はそれを話す人々の強い想いで生き伸びました。

いまではハワイ語は、英語とともに州の公用語となり、各島に子どもたちにハワイ語で教育を行うシステムもあります。マウイ島では今年、ハワイアン・イマーション・スクール(ハワイ語のみで教育を行う教育施設)であるクラ・カイアプニが、二十周年のお祝いをしたところです。

このような、ある意味、政治や経済が関わった分野でのハワイ語の存在はもちろんですが、日常生活を、ハワイ語と切り離すことなど、到底無理に思えます。というのも、まず、ハワイの島々の地名、また道路の名前、施設の名前は圧倒的にハワイ語、人々が英語を話すときでさえ、ハワイ語が混ざることがとても多いのです。

ハワイ語は日本語と同様に、五つの母音で成り立っているので、私には英語よりも発音がしやすいのですが、英語を母国語とする人にはなかなか難しい様子で、ハワイ語の発音次第で、ハワイにどのくらい長く住んでいるか、どのようなエスニシティ(民族性)であるか、がわかってしまったりもします。

では、ここでみなさんに、AlohaとMahaloの次に覚えてほしいハワイ語をご紹介しますね。

‘Ohana(オハナ)

オハナとは、家族のことです。たとえば、私の家族、神宮寺家とは、オハナ・ジングウジ。ハワイをテーマにしたディズニーの映画『リロ&スティッチ』でも、キーワードとして登場したので、すでにご存知の方も多いかもしれませんね。

この言葉、とにかく頻出ハワイ語のひとつです。オハナ・ジングウジ、のような最少単位にはじまって、団体、職場、学校、地域などもひとつのオハナ。私がオハナ・ジングウジ以外に身近なのは、フラ・ハ―ラウ、私のハーナイ・ママであるアンティ・ケアラが率いるカノエアウ・ダンス・アカデミーや、日本のハーナイ・ママのフラ・ハーラウ、ナー・プア・リコ・ヴァイ・ホオラー、娘の学校であるクラ・カイアプニなどになります。

もともと、オハナのオハは、ハワイの人々のソウル・フードであるカロ(タロイモ、ミズイモ)の親芋からでた新しい茎「オハー」、息吹、新しい命、子孫の誕生を表わすオハーと、「ナー」という複数を表わす単語が組み合わさったもの。

日本のお正月におせち料理にのぼる八頭(やつがしら)の親芋のなどが、子孫繁栄を意味するのと似ていますよね。親芋からオハーがでて、親芋は子芋を生むという、芋の成長の特徴をとらえた意味深い教えです。

ですから、私たちはオハナなのだから、といったら、家族のように団結しようということ。これは、ハワイの社会の根底にあるもの、そして、日本の文化ともよく似た、私たちが理解しやすい部分ではないでしょうか。

ところで、みなさん、私はもうすぐ、もうひとつ新しいオハナを作ることになりました。

その名は、オハナ・カフェグローブ。

来月より、このブログが、カフェグローブ公式ブログになることになりました。これから、みなさんと一緒に、笑ったり、喜んだり、手を握りあったり、抱き合ったり、語りあったり、味わったり、そして時に、泣いたり、怒ったりしながら、オハナを作ることができたら思っています。

He ‘oha wau i ka ‘Ohana Cafe Globe !
(へ・オハ―・ヴァウ・イ・カ・オハナ・カフェグローブ)

オハナ・カフェグローブの誕生!

青の世界 [2007年10月18日(木)]


昔、むか〜し、学校の授業のなかでとりわけ「美術」が大好きだった私。

理由というと、「美」の「術」なんて、名前だけで素敵、っていうところから、美術の授業の先生はどの先生も個性派美人だったことまで、いろいろあるので、ちょっと絞りきれないのですが、いくつかあった学校の授業のなかで、一番自分の世界観が築きやすかった、つまり、没頭しやすかったような気がします。

デッサン、水彩、油彩、木工、彫刻、なんでも好きでしたけれど、特にデッサンを済ませ、色をつけるときに、とっても、とっても、ワクワクしていました。色が好きなんですね、きっと。

「青の使い方が上手ね」

私が六年間お付き合いした美術の先生に、そう言われたときのことは忘れられません。大好きな作業を、大好きな先生に誉められれば、誰でも忘れられないほど誇らしい気分にはなると思うのですが、私にはそれよりも、誉められたときに先生が話してくれた話が印象的でした。

「青が上手に使えると、美術を学ぶ人にはとっても有利よ。空を見てみればわかるでしょう、青は空間そのものの色だから、青を使って描くのが上手ということは、空間を描くことができるってこと。誰もが知っている、教科書にものっている画家が、青の世界を持っているのはわかるでしょう、ピカソ、ゴッホ、ムンク、ルオー、シャガール、とかね。だから私は青が上手に使えるようになりたいって思って、いろいろ勉強してみたの。それで気がついたのは、青はとっても人を癒す力があるってこと、インドでは、息吹は青い色をしているって言われているのよ」

色の世界があるってこと、それに気がついてから、何をするにも楽しさが倍増しました。友達と遊んでいるときも、本を読んでいても、お料理をしていても、外を眺めているときも、買い物をするときも、……「美・術」の授業は、まるで魔法のように、私の生活を楽しくしてくれたのです。

そのときから、かれこれ約二十年もの間、私の色遊びは続いていますが、これは一生続くのでしょうね。そうそう、私のキッチン、食卓に並ぶお皿は、気がつかない間に青の世界になっていました。

気がついてからは、食器を眺めたり、集めたりするのが大好きな私の継母と一緒に、陶器市をまわったり。旅先では、その国、その場所の青の器やグラスをお土産にしたり、マウイ島の蚤の市やアンティークショップで、歴史物の青い器と出会えたり。私のハーナイママ(FAMILY STORYの『血と同じくらい濃い水』参照)、ジュンコママのダンナさま、グラスアーティストのマルコム・ウォング氏の作品も。

美術の先生に後からこんな質問をしたことがありました。

「ピカソも、ゴッホも、ムンクも、みんな、どうして青の世界をでて、黄色のような暖かい色の世界に入ったのかな」

「晩年の作品に多いのよね。私の想像だけど、人生の終わりに気がついたからじゃないかな。まだ終わりたくない気持ちもあるだろうし、終わりに向かって勇気を持って歩こうとする気持ちもあるだろうし」

私の食卓にも、ずっとずっと後に、黄色の世界が広がる日が来るのかもしれませんね。母たちの食器棚も覗いてみようかなと思いつつ、青い世界を楽しむ時間がまだまだありそうだなと、器たちに話しかけた私でした。

「また、家族を増やしてあげるからね」と。

プロフィール
神宮寺愛
エッセイスト×フラダンサー
東京での出版社勤務を経て、現在はエッセイストとして活動。マウイ島ワイルク在住。著書『心と体がピュアになるハワイアンな暮らし』(青春出版社・刊)他。フラやハワイ語等を学ぶダンサーでもあり、カノエアウダンスアカデミー所属。現在カアナパリビーチホテルのディナーショーにレギュラー出演中。