おへそに手をあてて……

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香時間 [2008年03月13日(木)]
雨の季節が通り過ぎたことを知らせてくれる匂いが、朝夕に漂いはじめました。

我が家の庭に咲くピーカケです。白く小さな花で、別名はアラビアンジャスミンとか。私は大好きなこの花を前にすると、鼻の穴に花を詰めておきたいという衝動にかられるのを、抑えなくてはいけません。



娘が一度、私が眠っているときに本当に、鼻に花を詰めたことがあったのですが、どんなによい香りでも、鼻につめると匂いは味わえません。ということで、いまは、体全体を鼻にして香りを吸い込むことにしています。

このピーカケ、ハワイでは、プリンセス・カイウラニの花として愛されています。プリンセス・カイウラニの名前は、ヴィクトリア・カラニヌイアヒラパラパ・カヴェーキウ・イ・ルナリロ・カイウラニ。スコットランド人のお父様と、ハワイ王国第七代目の王様カラカウア王の妹、リケリケ妃をお母様とし、カラカウア王の養女として育ったプリンセスです。

当時のワイキキには、たくさんの王族の人々が暮らし、プリンセス・カイウラニは、アーイナ・ハウと名づけられた場所に館をもち、お父様が世界中から取り寄せた珍しい植物が植えられた美しい庭に囲まれていたそうです。

その庭には、お母様のリケリケ妃がプレゼントした白い孔雀が数匹、プリンセス・カイウラニの愛する白い孔雀(ハワイ語でピーカケ)にちなみ、彼女の好んだアラビアンジャスミンは、ピーカケと呼ばれるようになりました。


プリンセス・カイウラニの肖像画とピーカケ


余談ですが、日本の明治時代に、日本を正式訪問したカラカウア王が、明治天皇に養女であるプリンセス・カイウラニを日本の皇族の山階宮定麿王の配偶者にしていただければと、申し出たという逸話もあります。

ハワイ王朝は、プリンセス・カイウラニの伯母であるリリウオカラニ女王を最後に王朝を閉じたため、カイウラニは最後のプリンセスとなりました。イギリスへ留学し、流暢なイギリス英語と王女としてふさわしい行儀作法を身につけた彼女は、ギターやウクレレを弾きこなし、乗馬やサーフィン、文学を愛する才能豊かな美しい女性。ハワイ王朝が米国に統合されるという歴史的な出来事の際も、ハワイの人々のために心を砕いた人物として、今もハワイの人々に愛されています。

彼女のために歌われた歌は数多く、私たちが彼女の曲でフラを踊るときは、ピーカケの花のレイを纏います。レイはこの小さな花をつむいだものを長く垂らすこともあれば、短めのものをいくつか重ねて使うこともあります。私が一度、そのあまりの美しさに驚いたのは、ピーカケのつぼみで作った長いレイを幾重にもしたもの。まるで真珠の首飾りのように輝いていて、その香りといったら、つぼみがどれだけの香りを封じ込めているのかを知る思いでした。

我が家では、このピーカケは、娘がレイを作って遊ぶほか、お風呂にいれたり、部屋に置いたりして香りを楽しんでいます。香りとともに、プリンセス・カイウラニの物語や歌を思い出したり、この香りが好きだという家族や友人のことを考えてみたりと、香りが私に贈ってくれる時間は、私一人が過ごす時間とは比べ物にならないほど豊かです。



花の匂いに限らず、匂いは目に見えないにも関わらず、想いをいざなう名手でしょう。

私は、娘が小さいころ、娘の匂いが大好きでした。よく、匂いをかいで、笑われたりしたのですが、彼女の匂いは本当にいつも私をほっとさせてくれる匂いです。「あぁ、お母さんになってよかった」と思わせてくれる匂い。

いまは娘がもう六歳なので、匂いといえば、学校で食べたパンケーキのシロップを髪の毛につけてきたり、埃臭いような真っ黒な手足に、「早く洗いなさい、お風呂に入りなさい」と口うるさくなってしまうのですが。それでも、不思議なことにいまも、私がすぅーっと抱き寄せたくなるとき、彼女からは私の大好きな匂いが少しします。

ハワイでは、亡くなった人に想いを馳せたり、亡くなった人が何かを伝えようとするときに、その人が好きだった花の香りが、花がないにも関わらず、強く香ると言われています。人を花に例えることの多いハワイならではですね。

私は、香水などをつけるのが好きではないので、基本的には無臭、私から香るとしたら体臭か、シャンプーなどのちょっとした香りです。でも、ピーカケの香りだったら、いつもそばに置きたいと思った私は、アロマオイルや、香水などでピーカケのものを買ったこともありました。

確かにかなり近く、よい香りのものがあるのですが、私はやっぱり時期を待つことにしました。なぜか、どんなによい香りの香水も、花が咲くのを待って、香りを楽しむほうがよいでしょう、と私に訴えかけてくるのです。



香りを待つこと。

これは三十歳の半ばになってから、いくらかできるようになった「待つこと」のひとつ。

今日は、咲きそろいはじめたピーカケを娘の部屋へ。

小さな鼻の穴が心地よさそうに広がるの考えただけで、笑いがこみ上げます。きっとこんな時間が、我が家の香りの思い出をつむいでくれるのでしょう。
鯨がサイミン・ヌードルを食べる [2008年03月06日(木)]
最近、ずいぶん日が長くなってきました。

朝、まだ星が見える時間に娘の乗るスクールバスを見送ることも、急に迫ってきた夕闇に驚くこともなくなり、まだ風は冷たいながらも静かな春の訪れを感じます。うららかな春の風情を味わいたいところですが、欲張りな私は、日が長くなると、あれもできるし、これもできるし、と考えるだけでうれしいだけです。

数日前、東雲色の朝焼け空を見ながら、学校に行く娘に質問をしたことがありました。

「ねぇ、お日さまはどこから昇ると思う?」
「山だよ、ほら、朝、ハレアカラから昇ってくるじゃない」
「……。じゃあ、沈むのは?」
「海だよ。だって、月曜日のショウから帰るとき、いつも見えるでしょ」


我が家からの朝景色


娘の世界では、日は山から昇り、海に沈んでいました。

ところが、先週末、恒例のフラの練習の時間に、娘の世界が大きく広がる事件がおきたのです。私たちは古典のフラ、カヒコを踊るとき、踊る曲、つまり「本題」の前に必ず「序章」があり、後には「終章」があるのですが、「序章」で語られるテーマは、日の出。日の出について、話し合うことになりました。

「日が昇り、日が沈むこと」は、有名な君子の楊子法言の「初め有る者は必ず終わりあり」、また「起承転結」同様に、本題をうたい起こし、承け、転じて、結ぶ、という物事の順序。自分がお日さまではなくとも、あまりに当然なことであっても、大切なことです。

その「序章」「起」で語られる日の出を、まずはマウイ島で確認してみました。六歳から五十歳までの練習に集まっている私たち生徒は、それだけで大騒ぎ。

「日が昇る方角はどっち?」
「南〜!」
「東」

「どっちが東なの?」
「右、左、前、後が、Whale Eats Saimin.だから、あっちが東」

(Whale Eats Saimin、鯨がサイミンヌードルを食べる、というのは、マウイの子どもの東西南北の覚え方。右がWhale、WではじまるのでWest、左がEats、EではじまるのでEast、前後が南北で、SaiminのはじまりのS、Southと、終わりのNの、North)

「え〜っ、どうして鯨がサイミン食べるの〜?」
「日はハレアカラから昇るよ、だって見たもん」
「ハレアカラは私の家からは見えないけど、あの山からよね〜」

と、子どもたちが散々騒いだあと、大人がしめやかに、

「ハナ」と一言。

そうです、マウイ島の東はハナ、西はラハイナになります。ところが、クムのアンティ・ケアラからは次なる質問が。

「ハナのどこ?」

今度は大人たちが、頭を寄せ合い、やっと答えが。

「カウイキの岬」


マウイ島の東、ハナのカウイキの岬から


島に長年住んでいても、意外とすぐには答えがでないものです。

私たちはその後さらに、オアフ島、ハワイ島、カウアイ島、ラナイ島、モロカイ島を調べ、カホオラヴェ島とニイハウ島のように地図の入手が困難なものまでを調べあげました。よく考えてみれば、日本の最東端は南鳥島と習った記憶はあるものの、日本の四つの大きな島、北海道、本州、四国、九州の最東端を、今すぐに言うことなどできません。

うっ、不勉強〜。これは課題ですね。

さて、今朝は学校に向かう娘、まだ山の向こうにいる太陽に、

「太陽はハナから毎日遠足にいくんだね、ラハイナに」の一言。

一年は三百五十六日、十二の月があり、一月は二十八日から三十一日で成り立ち、一月は週でわけられ、一週間のなかには、月曜日から日曜日までの曜日があって、一日は二十四時間で、一時間は六十分で。

私にとって、あまりにも当たり前のことを、六歳の娘は最近少しずつ学び始めているようです。それは、私には当たり前のことが、当たり前すぎて見えていないことの発見でもあり、強張った頭をもみほぐす、よい機会です。

「毎日、遠足で楽しいだろうね」
「大変なこともあると思うよ」
「でも、いいんじゃない、それでも」

と、どっちが親で、どっちが子どもかわからない会話で、我が家の今日がはじまりました。


朝のひとときは、一日のなかで私が一番好きな時間
フラダンサーのお道具・その2 [2008年02月27日(水)]
三十路に入ってからの体力勝負仕事。

ホテルのショウで毎晩踊るようになって、すでに一年半が経ちました。フラを学ぶことは一生できることですけれど、仕事としてフラを踊ることができるのは、一体何歳までなのかな、とぼんやり考えていた私に、先日、目覚めの水をひっかけたのは、アンティ・マリヒニ。

「踊り続けていたら、五十歳になっちゃったわ」

アンティ・マリヒニは、私の働くホテルの屋外ステージの方で踊っているダンサーなのです。ホテルのバンケットルームのディナーショウを担当するダンサーのなかで、一番の年上は私、野外ステージでのショウではアンティ・マリヒニが一番の古株というわけです。

一年半の間には、メイク道具が一式入ったバッグと、何枚もある衣装をさげての通勤が常の風景になり、メイクアップやヘアスタイルをセットする時間もはじめたころの半分以下、舞台や迫(せり)から落ちたり、舞台の板付きの袖に衝突したりもしなくなり、青あざがめっきり少なくなりました。

さて、今回は『フラダンサーのお道具・その1〜爪楊枝〜』に引き続き、愛着のわいてきたメイク道具バッグのなかから、「顔を作る」道具をご紹介しますね。



「顔を作る」、歌舞伎をはじめ、舞台芸術一般で使われるこの言葉、普段の生活でまったくお化粧をしない私が、舞台のためにメイクアップをするとき、使いたくなる言葉です。

歌舞伎の世界での顔作りに必要な、白、黒、赤、茶、藍。私の顔作りにもこの色合いが共通しています。舞台の上はとにかく照明がしっかりあたるので、誰の顔にでもある、鼻筋や目のまわり、口元、頬骨などのつくる微妙な陰影はなくなってしまうのです。

まずは、白。いろいろな肌色のダンサーがいるなか、私は黄色味がかった肌色なので、真珠ような自然な温かみのある白、照明があたったときにしっかりと白さが浮き立つように、光沢のあるものを。このとき、アイラインを引く目の際をしっかり白くしておくことを忘れません。



次は茶色、そして、黒。白と黒だけでグラデーションを作るので、間色として、私は肌色にもあう茶色、少し赤みのある弁柄色のようなものを選んでいます。この色を顔のなかで影になる部分にのばします。



黒はまるで隈取のような役目です。歌舞伎が大好きな私としては、隈取に秘められた様々なストーリーを考えずにはいられません。隈取とは歌舞伎独特の化粧法、時代物の役のそれぞれの性格によって色合いや描き方を変えて描かれるもの。

みなさんにもお馴染みなのは、歌舞伎十八番の『暫(しばらく)』の鎌倉権五郎などでしょう。英雄の隈ときたら、筋隈と呼ばれるもので、こめかみから頬、眉間から額、鼻から頬、口元からあごへ、と力強い隈です。

これ以外にも、この筋隈よりももっと筋の本数を少なくした一本隈などもありますが、私が一番素敵だなと思うのが、『助六』の助六などがひく、むきみ隈というもの。目元から眉にかけての筋にすいっとひいた隈が、若々しいさ、潔さ、涼しさ、そしてほのかな色気を感じさせるのです。

化粧品をいざ選ぶことになって黒という色がこんなにいろいろあるとは思いませんでした。私のなかで、黒は黒炭。黒炭に一番近いもの選び、大向こうから「成田屋〜っ」と声がかからんばかりに気合をいれてアイライン。(市川團十郎家の皆様に失礼とは思いながら、助六張りの勢いの私……)

そして、最後は赤、紅色でございます。先に濃赤でラインをひき、影をつくってから紅をさし、さらにゴールドバール入りのグロスで仕上げ。この赤、実はなんとも気持ちが引き締まるものでして、私的には顔作りを終え、「今日もがんばるぞ!」と、いつもの神宮寺愛からダンサーの神宮寺愛への、一瞬のスイッチの入れ替えになっているのです。



変わること。

二つの違う状況を目の前に、人はその違いが技術で生み出されたものだと思ったり、意識や意図によって動かされたものだと考えるでしょう。確かに、いろいろなメイク道具やメイクアップの技術によって顔が作られ、すっぴんの私が、ダンサーの私に変わりました。

この変化を目でみるのではなく、心で見てみたらどうでしょう。目でみた変化は、二つの違う状況が見えることでしかありませんよね。目で見て、どう違うのかを口に出して言いたくもなるでしょう。でも、私は、変化を心で見て、それを信じることによって、変化からパワーが生まれると思うのです。

一枚の白い布を、一瞬にして造花の赤いバラに変えるマジシャンが、拍手をもらえるのは、その技術はさることながら、白い布と赤いバラという二つの事実。その変化を心で見て信じたことによって、拍手が生まれるのではないでしょうか。

フラダンサーのお道具・その2は、私のメイク道具の入ったバッグ、私のスイッチでした。みなさんも、変化から生まれるエネルギーを上手に使ってみてくださいね。小さな変化も、大きな変化も、毎日のあちらこちらにありますから!
1、2、3、SMILE ! [2008年02月20日(水)]
我が家の六歳の娘の宝物箱をのぞくと、貝殻や、木の実、なにやら光る大小のかけらに混ざって、デジタルカメラが鎮座しております。



紙やブロックで作ったカメラで十分と思っている我が家に、娘専用のデジタルカメラがやってきたのは、去年の夏。私のハーナイママのジュンコ・ママが、ずっと使っていたデジタルカメラを、お古だけど、と娘にプレゼントしてくれたことにはじまりました。

それまで、私や夫が仕事で使う本物のカメラを羨ましそうに眺め、「絶対にさわっちゃだめ。お仕事で使う大切なものだから」と私たちに口うるさく言われていた娘は、そのカメラを手にしたときには、飛び上がらんばかりでした。

以来、バッテリーの充電や、カメラの管理を、大きな失敗もなく、しっかりやっているところを見ると、彼女なりの責任感をもってカメラを大切にしているようです。

さて、昨日、そのカメラをふと手にとってみると、なんと写真の保存枚数は千枚を越えています。驚いてメモリーカードをチェックすると、彼女の使っているメモリーカードは、私のものよりも遥かに容量の多いものでした。

何を千枚も撮ったのだろうと、こっそり写真をのぞいてみた私を、すっかり笑わせてくれたのは、彼女の写真の撮り方。

たとえば、どこかに食事に出かけたときの写真といえば、まずは車に乗り込んですぐの自分の足、次に車窓から続けざまに目的地までの写真を二十枚ほど、そして、レストランに到着するとお店の人や一緒にテーブルに座っている人を下からのアングルでパチリ、素敵なインテリアや彼女が気になる存在を十数枚、運ばれてきた美味しそうな食事をかなりの至近距離で……、それだけで、ゆうに百枚を超えているのです。

おびただしい写真は、まるで彼女の目線そのもの。

彼女よりも背丈のある大人たちが右往左往する姿、何か一生懸命に働いている後姿、楽しそうに笑う横顔、大人たちの世界を子どもが見るとこうなるのだな、と、娘の写真にすっかりのめり込んでしまいました。



食欲たっぷりの近さで撮ったカレーライスや牛乳、大好きなピカピカに光る物たちに吸い寄せられている娘の目、ふっと空を見上げたときの時間、たわわに実る果物、咲き乱れる花々、自分の体のなかで被写体によいのは足……。




「あ、いま、自分の目がカメラのレンズになって、パチリって撮れたらいいな」という願いが簡単にかなってしまったような、まばたきの瞬間でした。

カメラを構えれば、つい、いろいろと考えてしまう私の悪い癖。いままで仕事でお付き合いしたカメラマンの皆さんの凄腕を見続けたからでしょうか。人様に見せる写真など、私には撮れないし、そもそも恥ずかしいし、と頑なになりすぎるのでしょうか。

そんな私が、仕事として、「写真を撮れます」と進んで言えるようになったのは、二年ほど前でした。拙著『心と体がピュアになるハワイアンな暮らし』を青春出版社さんから出していただいたあとのことです。

この本の写真は私が撮ったのですが、担当の編集者さんやデザイナーさんに写真をお渡ししたときは、原稿のそれに比べて百倍の恥ずかしさでした。しかし、恥ずかしさに勝る勇気をくれたのは、フォトグラファーの田巻照敏さん。「写真、愛ちゃんも撮りなよ」という彼の一言は、私の背中をかなり強く押しました。

田巻さんは、木村拓哉くんなどをよく撮影しているほどの敏腕フォトグラファー。家族と田舎の自然と温泉をこよなく愛し、車やバイクで日本中をどこでもどこまでも。ですが、私、実はご本人が、すごい恥ずかしがりやさんなのを知っています(ふっふっふ)。カメラをパチリとやったあと、被写体に「ちっくしょー、おまえ、すげーなー」と心のなかで言い、そして照れてしまう彼は私にとっては、「おまえもすごいぞー」というお人。

写真は、私にとって、原稿と同じように、踊ることと同じように、想いを伝える手段になりました。ひとつで勝負できないなんて、と意気込んでいた二十代の若い自分は跡形もなく、手段はひとつではないほうが、といえる三十代が、半ばに至る今時分、どうやら板についてきたようです。

「ねえ、ママね、カメラのなかの写真見たよ。とっても好きだな、アイナの撮った写真」
「どうもありがとう。ママのも素敵だからね」
「あら、ありがとう。じゃあ、もっとがんばるね」
本日、お日柄もよろしく [2008年02月13日(水)]
お日柄もよろしい、去る日曜日、かしこみ、かしこみ、お願いしてまいりました。

お願いの儀とは、数えで七歳になる娘の無事の成長、世に言う「帯解」、つまり七五三でございます。

本来ならば、昨年の十一月、もしくは満年齢で今年の十一月に行うべきなのでしょうけれど、家族が集まることができて、晴れ着を着てもそう暑くはない季節となると、いましかない……。そこで、マウイ神社に相談に行ったところ、「祝えるときに祝いなさい」と、御歳九十四歳の宮司のトラコおばあちゃんのお言葉。

久しぶりの晴天に恵まれ、心地よい風に吹かれながら、めでたく、お祝いをすることになりました。

まずは髪結、登場したるは、私のフラの師、ハーナイママのアンティ・ケアラ。実はハワイ州認定の美容師免許をもつ彼女は、ダンサーのヘアスタイルをいつも華やかに結い上げてくれる手練れなのです。

「日本髪の結い方は、本当に素敵よね。三十年くらい前に日本ではじめてみたときは、日本の人の髪の毛はなんて美しいのだろうって思ったわ。髪の美しさを大切にするのはハワイも日本も一緒ね」と話しながら、数十分で娘の髪を結い上げてしまいまいした。

娘は、彼女にとって「孫」のような存在。「さあ、今度は本当のおばあちゃんに着物を着せてもらいなさい」といって後ろへまわったアンティ・ケアラは、私の継母が静かに着物を着せていくのをじっくりと眺めていました。

桜色の絞り染めの着物に紅色の帯を締め、朱色の帯揚げをふんわりと。ひとつひとつを重ね、結んでいく作業は、大切なことをひとつひとつ確認していくような安心感。つややかな髪に大きめの花かんざしをつけてあげると、娘は興奮した様子で、「アンティ、私、すごい靴をはくの」と、木履(ぽっくり)を箱から出してきました。



さて、少し白粉をはたき、唇に紅をひいた娘、木履をはいて用意万端。いざ、マウイ神社へ。

「ママね、このお着物をきて、木履をはいて、アイナと同じように神社に行ったんだけど、神社の石段が登れなくってね、おじいちゃんにおんぶしてもらったのよ」と私が懐かしげにつぶやくと、「駄目じゃない、ママ〜、もう赤ちゃんじゃないのに、おんぶなんてしてもらって」と、娘はどこかで見たような諭し顔。私の思い出の着物を娘に引き継ぐことができたことは、じんわりと世代の移り変わりを考えさせられる出来事でした。

九十四歳のトラコおばあちゃんは、私たちをにこやかに、大きな声で迎えてくれました。神妙な面持ちで神社の本殿に入り、席につくと、頃合いよく、トラコおばあちゃんが静々と前へ、そして太鼓をたたきはじめます。

「太鼓で神様に合図するのね」
「ママ〜、あの太鼓は鮫の皮でできている?」
「ハワイの神様の太鼓は、鮫の神様や、豚の神様が皮をくださるけど、日本の太鼓は、牛さんよ」

「着物って暑いね」
「そうね」
「暑いなぁ」
「静かに」
「暑いよ〜」
「我慢しなさい」

神前で祝詞を唱えるトラコおばあちゃんの声は、九十四歳には思えないほど大きく、声には十分に張りがありました。私は日本の祝詞をあげたことはありませんけれど、小唄を習ったことはありますし、いま、仕事でハワイの祝詞を詠唱することがありますから、広い場所で、皆に聞こえるように声を続けてだすことは、とても体力、精神力の要ることだと知っています。

トラコおばあちゃんは、その姿だけで私に、いろいろなことを教えてくれました。自分のするべきことを知り、それを黙々とする姿。見ているだけで、深々と頭の下がる思いでした。

儀式を終えたおばあちゃんは、私たちのところにやってきて、「年をとったから、人の言っていることがよく聞こえないし、自分の声はどんどん大きくなっているようだし」と笑っていました。「元気な証拠ですね」と私が言うと、「今日もお赤飯を炊いてあげようと思ったのだけど、なかなか年寄りにはすぐにはできなくって。でも、桃の節句のときは炊くから必ず来てね」、そして、「よいお父さんとお母さんを持って幸せね」と言い聞かせるように娘に。

私は結構な楽天家なので、娘に「ほぉら、私はよいお母さんなのよ」と言うこともあるのですが、トラコおばあちゃんのような女性に、それを娘に伝えてもらうことは、私にとってではなく、娘にとって大切なことのような気がして、有難い気持ちでいっぱいでした。

おばあちゃんに何度もお礼を言いながら、帰途につき、家に戻ると、今度はお祝いのお餅つき。お餅が大好物の娘は、すでにお腹をすかせ準備万端。裏庭に置いた石臼の横に寝そべって待っています。



少し日が落ちた午後四時、友人たちも集まり、お餅つき。コトコトと煮込んだ甘い小豆と、きな粉と黒蜜、大根おろしの入った大皿に、つきたての白いお餅が手でちぎられて、ぷるるん、ぷるるんと並んでいきました。

日本髪を結ったままの娘は、お餅つきの返し手に挑戦し、お餅がついたままの手で小豆のお餅を頬張っています。「お米のなかには七人の神様がいるんだよ。だから大切に……」が口癖の夫は、日本酒を飲んで、「お餅とお酒は合うね〜」と上機嫌。

星が見えはじめた夜空に、私は祈るばかりでした。

心と体が健やかでありますように、家族と友人たちをお守りください、

かしこみ、かしこみ、お願い申し上げます、と。
Dear 'Ohana Cafe globe, from Blythe [2008年02月05日(火)]
思わず、背後を確認してしまう私。

別に何か隠し事というわけではないのですけれど、どうも気になります。「ねぇ、何しているの」とか、「ママ、それ私のなんだけど」とか、言われてしまいそうで。

でも、ここ数年で随分慣れましたし、しっかり愛着もわいてしまい、いまでは、「ああ、やっぱり可愛い、この目つきが何とも言えないのよね」とひとり言。

以前もみなさんにご紹介しましたが、私のハーナイママのジュンコ・ウォングの会社、クロス・ワールド・コネクションズ(CWC)がプロデュースしている人形のブライス。このブライス、またしても、新しい世界にデビューしました。

映画の世界のプリンセスに、ファッション・ア・ラ・モードをテーマに、と幅広く活躍し続けるブライス、今度はハワイの伝説のなかに生まれてきたのです。

『ナー・ワーヒネ・アウリイ 〜ブライス 語りつづける娘たち〜』



どうしてブライスがハワイに?

その理由は、この本の著者、ジュンコ・ウォングがブライスを「ハーナイ」しようと決めたときにさかのぼるでしょう。

ジュンコ・ウォングにとって、ハワイは心のふるさと、子どものころからの思い出がたくさんつまっている大切な場所です。

そして、そのハワイの生活習慣のなかにある「ハーナイ(養子にする/養子になる)」を彼女の言葉で語れば、「自分の子どもを、自分よりももっといろいろなことを子どもに教えてくれる人に預けて、育ての親になってもらう習慣のことです。育ての親は一生懸命に『自分』をその子に与えて、大きく立派に育つように努力しなくてはいけません」、ということ。

私のハーナイママである彼女が、ブライスをハーナイすると決めたということは、私とブライスは、ハーナイされた娘同士、協力しあって生きていかなくていけないし、ハーナイママを支える必要があります。

この本、『ナー・ワーヒネ・アウリイ 〜ブライス 語りつづける娘たち〜』のプロジェクトは数年前にはじまり、今年のはじめに出版されました。私はこの本のなかで、何をしたかといえば、ハーナイママとブライスと、ただ一緒にいただけ。ハーナイママとブライスの言葉にならない想いを形にするのを手伝っただけです。

ハーナイママは、日本語も英語も堪能なのですが、彼女は日本語を書くことに自信がありませんでした。彼女はいつも自分が話したり書いたりする日本語を、「私の変な日本語」と言うのです。確かに彼女の日本語は、彼女の不安があらわれて、彼女の言う通りに変なときもあるでしょう。

でも、私は彼女の気持ちがいっぱいつまっている彼女の日本語が大好きでした。なので、彼女が私に「私の変な日本語、愛が直してくれる?」と言ったとき、心のなかでは「直さないよ〜」と思っていました。

この本の執筆の最中、彼女はすごい速さで自分の想いを書き綴っていきました。日本語と英語で。私はそれを彼女らしい日本語とハワイ語にしたのです。

そして、その原稿を渡すときに、彼女に伝えました。

「この、日本語とハワイ語の原稿は、ママだけのもの。だから、誰かが文章を直したほうがいいのではないかというアドバイスをくれたときは、必ず私に相談してね」と。

私にとって、原稿のなかの日本語は、私が尊敬し、理解している彼女のためだけに、心をこめて書きおろした日本語であって、他の誰かのものではなかったからです。そして、ハワイ語は、私のもう一人のハーナイママ、アンティケアラの大きな助けがあってできあがったものでした。

本はすべてのページがカラーで、どの写真も魅力たっぷりです。撮影チームは、マウイ島だけではなく、オアフ島やハワイ島にも赴きました。CWCのクリエイティブチームJunie Moonのヨッシーこと小泉歓子ちゃん、ウルトラタマのミヤタマこと宮田麻貴子ちゃん、と私の三人は頭を寄せ合い、手を握り合い、涙あり笑いありの、ジュンコ・ウォングとブライスの旅につづきました。



そして、原稿と写真を、日本でしっかりと受けとめてくれたCWCのデザイナー、モーリーこと森下明日香ちゃん。ハーナイママ同士の、ハーナイされた娘同士の、そして、ジュンコ・ウォングの会社のみんな、家族が助け合ってできた本を、カフェグローブのみなさんに、今日はご紹介します。

自然を愛する人へ、家族と友人を愛する人へ、日本とハワイを愛する人へ!
雪や、こんこん [2008年01月31日(木)]
寒い冬の朝、遠くの山の頂の白さを眺めながら歩くと、吐く息もまた白く……。

ふっふっふ。

みなさん、「えっ、どこの山?」と、不思議な気分になりませんでしたか?

なんと、マウイ島の最高峰、ハレアカラに雪がつもりました!



「ハレ・ア・カ・ラー」とはハワイ語で、太陽の家を意味。標高約3055メートルの世界有数の休火山、その大きな火口には大小の丘があり、丘陵のうねりは現代も多くの人を魅了し、文学から映画までに描かれるほどです。



いにしえの時代、マウイという名前の神様が、ハレアカラに住んでいた彼の祖母マフイエの助けをかりて、太陽を捕まえ、綱でしばり、ウィリウィリの木に結びつけ、太陽の足を早く走れないようにしたという言い伝えからも、この山が太陽の家という名にふさわしい場所であることがわかるような気がします。



そこに、いまは雪が!

毎年とは言えないものの積雪のあるハレアカラ。標高のことを考えると、雪が降るほどの寒さに頷けるものの、サーフィンのできる海と雪の帽子をかぶった山が並ぶのは、はじめは妙な気分だったのですが、いまは私にとって、晴れた空に舞う風花のような趣、マウイの季節の移り変わりを感じさせてくれる風景のひとつです。

今年も「雪が積もったよ!」という一声に、みんながハレアカラを見つめていました。

ところが、今年はどうしたことか、雪を降らせているに違いないずっしりとした雲が、ハレアカラの頂に被さったまま、なかなか動かないのです。「雪が見えない〜」とはじめは不満をもらしていたマウイの人々、だんだん心配になってきたのです。



もしかして、ハワイ島からポリアフが来て、リリノエと喧嘩しているのかも。雪の女神の家族が仲良くおしゃべりを楽しんでいるといいけれど。

ハレアカラの頂上、もしくはマウイ島の東側から見ることのできる、隣のハワイ島の山々、マウナケア、マウナロア。この「マウナ・ケア(白い山)」には、山の名前からもわかるように、ほぼ毎年雪が積もります。ポリアフとはこの山に住む雪の女神、リリノエとはマウイ島ハレアカラの雪の女神。あまりに動かない雪雲に、ポリアフとリリノエの雪合戦を思いついたというわけです。

本日、めでたく晴天。以前より少し暖かい風が心地よく吹いています。

日本の文化は、特に冬から春への季節の移り変わりを、風によって表し、欧米の文化ではそれを光によって表すといわれていますが、ここハワイは日本の文化に近いのではないかと思います。

「春風や、白き長きを、吹流し」と調子よく。

また少し季節が変わったことを感じる一日でした。
「体」仲間=仕事仲間 [2008年01月25日(金)]
宝物が重くなって、スーツケースの数を増やして帰る、ライターの内田あやさんを空港で見送り、私のコーディネーターのお仕事が一段落しました。

今回の宝物探しの探検家の後姿を眺めながら、雑誌のお仕事はやっぱり楽しいなと実感。忙しい二週間を共にした二人の探検家が、一人は空へ、一人は海へと旅立ち、ほっと一息ついたところで、仕事の初日にゼロにしておいた車の走行距離メーターを見ると、なんと2300マイル(約3701キロメートル)を示していました。



ライターの内田あやさんとは、編集長の紹介ではじめてお会いすることになったのですが、年齢もほぼ同じで、出版社を退社後、書き仕事をしながら、体を動かす仕事をしているなど、共通点が多く、初対面とは思えないほどすぐに打ち解けました。

「ライターとして働くとき、もちろん体力は必要だし、取材、執筆、どれも体を使うけれど、ブレインワークとボディワークのどちらか、と聞かれれば、ブレインワークですよね、愛さん!」

あやさんは、ライターでありながら、ジャイロトニック、ジャイロキネシスというボディワークのインストラクターとして活躍中。私は、ダンサーと執筆業を両立中ということで、まずはその話題からはじまりました。
(ジャイロトニック、ジャイロキネシス、あやさんの活動を読んでみてください!)

「そうよね、私も、編集や書く仕事って、ブレインワークだけど、すごく体力がいるのよって、いつも思っていたし、みんなにもそう言っていたのね。でも、午前中は書き仕事、午後はダンサーとして働くようになってもう二年。ダンサーとして働いてみてはじめて、仕事で体を使うってこういうことなんだなってわかったの。あやさんは、小さいときからバレエをしていたから、私よりはボディワークに理解があったんじゃない?」

「う〜ん、でもボディワークを仕事として選んでから、わかったことがたくさんあるんですよ」

この取材日程の二週間、あやさんはライターの仕事に、私はコーディネーターの仕事に集中するため、普段のボディワークはお休みし、宝物探しに専念しました。あやさんとカメラマンさんと私の三人は、「読者が雑誌を読んだときに、私もマウイ島で宝物探しをしたいって思えるページを作ろう」を合言葉に、島のなかを朝から晩まで行ったり来たり、となったわけです。

宝物のためなら、雲ゆきを見つめて数時間、寒さに震えて数時間、視界を三百六十度に広げんばかりに目を見開いて数日、時には三人で話し合いを繰り返しながら……、探検隊は一日、一日を大切に過ごしました。宝物は、物ばかりではありません。マウイ島で暮らす、あの人、この人、インタビューの数々。人も物も、その存在は私たちに、言葉ではない想いを雄弁に語ってくれました。



実は、私はコーディネーターをしながらも、数日はショウに踊りにいかなくてはならず、その事情を理解してくださったあやさんのおかげで、「あ〜、体を動かしたい!」と唸らずにすんだのです。あやさんだって、唸りたいに決まっているのに。

ところがある日、あやさんを迎えにホテルの入り口に車をつけた途端、「あ、何かしたな」とはっきりわかるほど、あやさんの顔がすっきり、あやさんから漂う雰囲気も軽いのです。

「ホテルにジャイロトニックのクラスがあったので参加してみました!」と笑顔が。

長い取材のスケジュールのなかで、時間を上手に使って、リフレッシュを図るのは大事なことです。

「よかった〜、やっぱり体を動かすと気持ちがいいよね〜。実は私もショウで踊ってきたら、体が軽いもの」

ダンサーの仕事をはじめたころ、日々変わっていく体の変化に驚いたものです。お気に入りの道具を使い込んでいくと、愛着がわき、形も整い、風合いもでて、とてもしっくりと使い手に馴染むように、体も使い込むと自分のものになっていきます。自分の体は自分のものに決まっているのに、「ああ、私の体なんだな」という気持ちがむくむくと湧いてくるのです。

そうすると、自分の体の隅々にまで、自分の魂が満たされて、動くたびに、ぴったりと吸いついてきます。形のある体という存在に、形のない魂が満ちていく感覚。人は体を動かしていなくても、いろいろ考え事をしたり、何かを気遣っているでしょう。魂は休むことなく動いているのに、体は動かさなければ動かないのです。

「愛さんの体は、とってもバランスがいいですよ」と体を診るプロのあやさんに言われて、小躍りした私ですが、あやさんのような人と自分の体の話をできる機会はない、とばかりに質問攻め。

「バランスがいいと言われるとうれしいんだけど、でも、私、ゆっくり左にスピンをするときに、よっぽど集中していない限り、バランスが崩れるから、自分の体のバランスはよくないのかもと思っていた」と告白。

すると、「ゆっくりのスピンってすごく難しいからですよ。早いほうが簡単でしょう?」とあやさん。

「あとね、私、右中心に振付けられた踊りを、左中心に振りうつすときに、自分でも笑っちゃうくらい迷うの。あと、いつもこっちが前と思っている方向を向いて踊るのは楽なのに、じゃあ今度はそれを後ろむいてやってと言われると手間取ったりね」

「視覚で確認しているのに、それが確認できないことで不安になるんでしょうね。愛さんは鏡を使って練習しているの?」

「鏡はないの。見るときは周りの人を見て、あとは耳をすますだけ」

「それはいい練習の方法。だって、私のところにくるお客さまに、なんとか私を見て同じように動いてもらおうと思っても、人って鏡にうつっている自分をみて、動きを確認したくなってしまうみたいだから」

あやさんとの「体」談義はつきませんでした。

この宝物探しの旅のなかで、探検隊の三人がどんな宝物を見つけ、あやさんが重そうにひっぱっていたスーツケースの中身が何なのかは、三月になって、雑誌が発売になってからのお楽しみ。そのときには、宝物発見の裏側をみなさんにこっそりお伝えしますね。



私が見つけた宝物は、私が島時間を十倍速で駆け抜けた二週間の間、私を支え続けてくれた家族と友人たち、そして、新しい「体」仲間のあやさんでした。
年のはじめの宝物探し [2008年01月07日(月)]
すっかり口説かれてしまったのです。

「マウイで何か大切なものが見つけたいです。それを一緒に探してくれませんか」と、なかなかお仕事のお誘いとは思えないこの言葉に、恋に落ちてしまった私。

普段はあまりお引き受けすることのない、雑誌の取材コーディネートの仕事を、松の内もあけきらないうちから、二週間に渡ってすることになりました。



雑誌の取材コーディネートのお仕事とは、まず、雑誌の編集者さんやライターさんと、マウイ島についてのページをどのように作っていくかを話し合い、日本にいる編集者さんやライターさんに、ページのコンセプトに合うマウイ島のニュース、人物、物、場所などを紹介。

取材をする内容を決めた後は、取材依頼、交渉をし、スケジュールを組んでいきます。実際、取材がはじまると、取材クルーのスケジュール管理、移動、取材時の通訳など、取材をスムーズにすすめるための縁の下の力持ちになるというわけです。

ハワイには場所柄、日本のメディアに対応するたくさんのコーディネーターさんがいらっしゃるのですが、私はそのなかでも本当に小さい存在で、普段、コーディネートの仕事はあまりしていません。書き仕事とダンサーの仕事で精一杯ですし、私にとって、コーディネーターとは、自分の身を激しく削る仕事だからです。

今回、私がどうして、この仕事をお引き受けしたかというと、編集長のお人柄を知っていたからです。私のライフスタイル、仕事に対する姿勢などを十分に理解してくださったうえでの、とても彼女らしい仕事依頼のメールが届いたとき、私のなかでは「彼女からの仕事を断わることなんてできない」と答えが決まってしまっていました。

編集長から紹介のあったライターさんは、とっても心根がまっすぐな女性。すぐに意気投合し、どんどん湧き上がってくるお互いのアイデアが、面白いように企画になっていきました。

そんななかで、「マウイで、何か大切なもの、そう、宝物を探せたらいいな」という言葉が彼女からでたのです。

取材をすることは、宝物探し。ライターさんやフォトグラファーさんたちは探検家、コーディネーターさんは宝物探しに必要な地図を書く人になれるでしょう。

「でも、この宝物探し、ちょっと大変かもしれないですね」というライターさんの声は遥か遠く、すっかりこの言葉に口説き落とされてしまった私。数秒後には、目をつぶったまま、耳もふさいだままだというのに、「大変だって、やりましょうよ、宝物、見つけましょうよ、きっとできるはず」とお腹の声、そして、「絶対、見つかるんだもん」と根拠のない自信に満ちていました。

お店に並んでいる宝物を買おうというのではなく、迷うことのない確かな地図もまだなく、それでも一歩を踏み出すのは危ないのでしょうか。

私にはそうは思えませんでした。

一歩がでなければ、十歩もでないのです。ほんの小さな一歩でも、一歩であればそれは前進、十歩につながっていくのだと信じています。

新しい年のはじめに、宝物探しをはじめるなんて、ワクワクしますね。

みなさんは、どんなはじまりですか?

宝物探し、みなさんと一緒にできるように、書き綴ってみます。

どうぞお楽しみに!
Hau’oli makahiki hou ! [2007年12月31日(月)]
「いいところで会ったわ! ねえ、これなあに?」

と買い物をしている私に声をかけてきたのは、いつも私が踊っているカアナパリビーチホテルのフロントデスクにいるスーザン。

「今日は、ショウで踊らなくていいの? 私が仕事が終わったときに覗いたら、二百人のお客様で満席だったわよ」
「人数が足りていたから、お休みをもらったの。お正月の準備したかったし」
「そうよねえ、私なんてお正月が終わるまでお休みがないから、いまが最後のお買いもののチャンスなの。よかったわ、会えて。私、質問があったのよ」

と、スーザンは私の腕をつかむと、門松などのお正月飾りのあるコーナーへひっぱります。マウイでは、日本のお正月飾りはとても人気。小さめの門松や、鏡餅、橙、裏白などが普通のスーパーマーケットに並んでいるのです。



「私ね、門松はちょっと高いから、この松の枝の束を買ったの。いいのかしら」
「いいの、いいの。松であればいいの。松は、年神さまが降りてくる目印になるから」
「えっ、神様が来るの! じゃあ、さっそく今日飾るわ」
「駄目、今日は二十九日だから駄目。明日飾ってね。明後日の大晦日では駄目よ」

「わ、わかったわ。ねえ、それと、これも餅なの?」
「そう、鏡餅。昔、鏡と玉と剣をお供えした習慣の名残なの」
「なるほど、鏡の餅ね。じゃあ、この橙は玉ね。あら、剣は?」
「私の家では干し柿を使っていたけれど……、売ってないね」

さすがに干し柿は見当たらず、やっぱり全部は揃ってはいないんだなと思いはじめたとき、ふとみれば、なぜか、小さなイカの燻製が。ちゃあんと、先がとがっていました。

「ねえ、ところで、この絵はなあに? 何枚もあるじゃない。どれがいいのかしら」

スーザンの手に今度は、大黒天様や恵比寿様の絵が。大黒天様は左肩にしっかり大袋を背負い、右手にはお決まりの打ち出の小づち、背景には米俵、恵比寿様は烏帽子姿に、釣りざおと鯛ときまっています。スーザンに七福神様を簡単に説明しながら、マウイにも来るんだなぁ、と有難い気持ちに浸っていると、今度はスーザンがひらひらと別の紙を持ってきました。

「メデタイの鯛はわかったけれど、じゃあ、どうしてこれには茄子が書いてあるの?」

なんと、一、富士、ニ、鷹、三、なすび、が登場。これには、さらに説明がいりますよね。

ふと後ろを見れば、数人のおじさまやおばさまが、私たちのやりとりを興味深そうに眺めているではありませんか。お正月のお飾りは、みんなが飾っているし、素敵だから飾るというのもいいですけれど、意味を知ってから飾れば、もっと有難い気持ちになるはず。

お正月の食べ物も同じことです。マウイに引っ越してからは、日本のようにおせち料理の素材がなんでも手に入るわけではありませんし、年末に何日もかけて、祖母や母とおせち料理を作る時間もなくなってしまいましたが、そのかわりに、家族が大好きな数品を、心をこめて作るようにしています。

なんでも、できることをするのが一番ですから。



マウイの地元の人々のなかでは、お雑煮も一般的。クリスマスが終わった日から大晦日までの間、普段はお店に並んでいない水菜が、お正月のお雑煮の具として売られています。水菜以外には、大根、牛蒡、里芋、蓮などもお正月料理のお野菜として、誇らしげに顔を揃え、紅白の蒲鉾も人気の商品に。

お正月はすっかり日本びいきなマウイの人々、大晦日は中国風。大量の爆竹や花火を買うことを忘れてはいません。大晦日は道で爆竹、煙がすごく、前が見えないこともあるんですよ。

昨年に続き、今年の私の大晦日といえば、ショウで踊り、お客さまと一緒にカウントダウン。ちょっと慌しくはありますが、行く年、来る年、おへそに手をあてて、見送り、迎えたいと思います。

今年、カフェグローブの読者のみなさまが、私のオハナ・カフェグローブになってくださったことを感謝してやみません。書く、踊る、どちらも私の生業ですが、その両方が交わりながら生まれる日常、その経験をみなさんとシェアできるこの場を、これからも大切にしていきたいと思っています。

どうぞ、これからもよろしくお願いいたします。

Hau’oli makahiki hou !

プロフィール
神宮寺愛
エッセイスト×フラダンサー
東京での出版社勤務を経て、現在はエッセイストとして活動。マウイ島ワイルク在住。著書『心と体がピュアになるハワイアンな暮らし』(青春出版社・刊)他。フラやハワイ語等を学ぶダンサーでもあり、カノエアウダンスアカデミー所属。現在カアナパリビーチホテルのディナーショーにレギュラー出演中。