おへそに手をあてて……

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おへそに手をあてて! [2008年06月26日(木)]
オハナ・カフェグローブのみなさまへ、ちょっとご挨拶をいたします。

昨年十一月より、カフェグローブ公式ブログの連載エッセイとして書かせていただいていたこの『おへそに手をあてて……』ですが、カフェグローブのサイトリニューアルプロジェクトの一環で、公式ブログの連載エッセイとしては、今月からお休みをいただくことになりました。

お休み中は、引き続き、連載エッセイとして、この同じアドレスでみなさまにお会いできると思いますが、毎週木曜日の更新ではなくなることをご連絡いたします。

『おへそに手をあてて』いると、いつでも確かな道標を感じる私にとって、ウェブという空間のなかにある, http://www.cafeblo.com/piko は、みなさんと出会える標識です。これからもどうぞよろしくお願いいたします。

神宮寺 愛

Heavenly HANAへの道標 [2008年06月25日(水)]
「Hanaというところは、どうしていつも“天国のようなハナ”と呼ばれているのですか」

二週間ほど前、急に、そんな質問がやってきました。

今月の前半、私はこの質問の主とのお仕事に奔走していたのです。この連載のエッセイを更新できず、いつも私のエッセイを読んでくださっているみなさまにご迷惑をおかけしてしまいました。

さて、みなさまへ、私のごめんなさいのしるしに、マウイ島のハナ、天国のようなところといわれるハナの村のことをご紹介します。



ハナの村はとても小さな村。

現在、村の人の多くが働いているホテル・ハナマウイを中心に、ハナ牧場、生活必需品がそろうたった一軒のジェネラル・ストアと数軒の小さなお店、学校、警察署、消防署、保健所、村の家々などが広がっています。

マウイ島のカフルイ空港から、約八十三キロメートル。六百以上のカーブをまがり、車一台しか通り抜けることのできない橋や道を注意深く走り、二時間半ほどかかります。


ハナへ向かう道は一本道


ハイウェイをまっすぐに走って到着する、青い海と白い砂浜が広がる場所に立ち並ぶホテルやショッピングセンターとは、正反対の存在のハナの村。

それでも、多くの観光客のみなさまが、慣れない運転に気を配りながら、椰子やククイ、ハラなどの木々が鬱蒼と生い茂り、艶やかなジンジャーの花々が咲く香りのいい森をくぐりぬけ、ハナの村にやってきます。

私がハナの村と出会ったのはかれこれ十年ほど前でした。

村は十年たった今もまったくといっていいほど変わりませんが、私は変わりました。十年前は、ハナの村が年に一度行う「タロ・フェスティバル」を楽しむだけだったのが、いまでは、ことあるたびに訪れる、家族ぐるみでお付き合いのある親友夫婦のふるさとの村になったからです。

さて、今回の私の仕事のベースとなったのはホテル・ハナマウイ。小さなホテルですが、私はこのホテルにまさる宝物を持っているホテルは、マウイ島にはないと思います。

全室がコテージ、自然の音しか聞こえない広い敷地のなかは、色鮮やかな花々や緑が匂う木々、目の前に広がる海に続いていくくかのようなプール、寝そべって空を眺めるは最適な広大な庭。この素朴なホテルは自然の豊かさに抱かれて、ありのままの姿で訪れる人々を迎えています。



私のフラの師、ハーナイ・ママのアンティ・ケアラはハナ高校を卒業し、このホテル・ハナマウイで踊るダンサーでした。毎週金曜日に行われるホテルのダイニングでのショウを今回は見ることができませんでしたが、ホテルのジェネラルマネージャーが、こんなことを言っていました。

「ホテルで働く人の九割がハナの村で育った人たちだよ。金曜日のショウを見たら、それがわかるよ。ミュージシャンもダンサーもハナの人、そしてほとんどが家族。おばさん、おじさん、姪っ子、甥っ子、なかには三世代が一度に登場したりもする。そもそもホテルで働く九割の人はハナの村の三家族の人たちだからね、ホテルがこれほど家族ぐるみで切り盛りされているところは他にないね」

私は本土から来たという、かなりお年を召したマネージャー氏に、「ハナの村に、よそから来てみてどうですか?」と聞いてみると、

彼の孫ほどの年の私の肩に手を置きながら、

「僕は忘れっぽいからね、よく鍵をかけ忘れる、物を置き忘れる、でも、何も起こらないよ、ここでは。鍵をかける必要もないし、物は置き忘れたまま、いつまでもそこにあるだけ。それが一番好きだ。今の僕に合っている。

一割のよそ者に村の人はやさしい。アメリカの冒険家のチャールズ・リンドバーグが、年老いてから癌になり、あと少し残されたという命をここで、と無理をしながらでもこの村に戻ってきたという気持ちがわかるよ。彼が本土からここに戻る手はずを整えたのは、いまホテルでコンシアージュをしている従業員のお父さんだよ」

ハワイはキャプテン・クックの来訪以降、急激な環境の変化、歴史の荒波、ときには津波のような波にもまれ、今に至っているのは、みなさんもある程度はご存知だと思います。変化はどんな時代にも、どんなところにもおこるものですが、その歴史の変化のなかで、いにしえを学び続けなくては、私たちはきっと迷子になるでしょう。


道標


ハナの人々に迷子はいません。

彼らの土地との結びつきの強さが、ハナを訪れる人々に安らぎの時間を与え、発せられた迷子注意報を感じる人々に、地図をお土産にするのでしょう。

「天国のような、という言葉が大げさだと思いますか?」

と、私は質問の主に聞いてみようかと思います。答えは彼の作る雑誌の数ページの特集のなかにあるでしょうから。
フラダンサーのお道具・その3 [2008年05月31日(土)]
「フラダンサーはみんな肌がきれいだけれど、どんなケアをしているの?」


フラダンサーのお道具・その3 素肌


私たちは、通常、毎週月曜日にマウイ島カハナのコンドミニアムで四十五分程度のショウを行います。観光客のみなさんに向けたショウでの踊りが、アウアナと呼ばれる現代的なフラや、タヒチアンなどの他のポリネシアの踊りに偏るなか、一九九一年よりカヒコと呼ばれるフラの古典をお客様にお見せしているのです。

そのショウのなかでは、お客様からのいろいろな質問をお受けする、質疑応答のようなコーナーがあるので、ハワイの文化のことから、ダンサーの年齢のことまで、幅広い質問が飛んできます。

この肌に関する質問もそうでした。

「お日さまをいっぱい浴びて、魚を食べるのが一番」

とすまして答える、私のフラの師、アンティ・ケアラにはじまり、肌をほめられた私たちは一家言あり、とばかりに大騒ぎ。

「毎日シャワーをして、顔を洗うから!」と答えるのは十一歳のリーレイ。まだまだベイビー・スキンの持ち主ですから、質問の意図を汲んでいるとは思えません。

「あんまり人を自分の近くに寄せないことが秘訣ね。遠くで見るくらいでちょうど良いのよ」と、ショウの司会のアンティ・ノエの答えは会場に笑いを運んできました。

内弁慶なティーン・エイジのダンサーたちを代表し、私はマイクの前で、

「石鹸で顔を洗うのが秘訣です」とスマイル。

質問をした女性は今度はすかさず、年齢を質問してきます。司会のアンティ・ノエは待ってましたとばかりに、「あててごらんなさい」と私の年齢をトークの題材に。

世界中からマウイを訪れる観光客のみなさんのなかには、黒い髪、黒い瞳の隣人をもたない方もいらして、私のことをハワイアンだと思う方もいらっしゃるので、年齢にいたってはことさら当てにくいようです。

小柄で、発育のよい体つきではない私は、三十五歳にしてティーン・エイジと間違われてしまうこともあるほど。一番若い年齢の勘違いは十二歳、娘が六歳であることを告げても二十六歳という、誉め言葉を頂戴してしまうのです。

このみなさんの勘違いを、おつむりが年相応ではないと思われているのか、とか、体つきが成熟しないまま年をとっているということを自覚しないといけないのか、などと、ひねくれて考えてはいけません。肌は年齢をあらわしますから、若々しい肌を保っているという、誉め言葉に受け取るべきでしょう。

洗顔を石鹸ですることの良さは、私が日本で雑誌編集の仕事をしていたときに、石鹸で洗顔することと、洗顔フォームのようなクリーム状のもので洗顔することの違いを、知識としてしったことからはじまりますが、一番の理由は、石鹸での洗顔の気持ちよさです。

石鹸のなかでも、石鹸を作るベースになるオイルは、ココナッツオイルなどのように、熱帯の気候をもつ地域で作られる植物オイルが、特に優れているといわれています。私が長年使っているのは、インドの石鹸で、ニームというハーブが入っているもの。ニームというハーブはインドでは、地球上の病気を救う神様のハーブとも呼ばれています。


http://www.auromere.com/


実は、私のおじさんの水虫治療に使ったらいいと買ったのがきっかけだったのですが、おじさんの水虫はもちろんきれいに治療され、いまでは家族でこの石鹸を使って肌の健康に心がけているというわけなのです。

最近、お友達がマウイ島のおすすめ石鹸をプレゼントしてくれました。いま、この石鹸が、ニーム石鹸の子分として我が家では頭角をあらわしています。お風呂では頭のてっぺんから足の先まで、キッチンでは食器洗いに、とがんばりやさんです。


http://sunny-kshop.com/shopping/s00index.cgi?category=SO


フラダンサーの道具のひとつ、きれいな素肌。

その理由は、毎日、毎日、汗をかいて踊るから。太陽のしたで踊って、たくさん汗をかいたあとは、石鹸で汗をきれいに洗いながし、お魚、野菜、ご飯と美味しいご飯をしっかり食べるから。
食べる時間、伝える時間 [2008年05月24日(土)]
BABY LUAU(ベイビー・ルアウ)とは、ハワイの人々が盛大に祝う、赤ちゃんの一歳のお誕生日会のこと。

日本では、お七夜、お宮参り、お食い初め、初節句、七五三……。ベイビー・ルアウの意味合いとしては、「家族のなかに生まれた赤ちゃんを、はじめて地域、社会の一員として認めてもらうためのお祝い」が強いので、お七夜のような感じでしょうか。

どちらにしても、赤ちゃんという存在はかよわい命、病気などにかからないように、災難がやってこないようにと、祈りながら、家族全員で大切に育て、のちにお披露目の意味で、成長を地域社会に報告していくということに、とても共通感を感じます。

ベイビー・ルアウのお祝いのスタイルは、それぞれの家族が話し合って、様々なかたちで行われています。場所は、自宅、ホテル、レストラン、地域の集会所、ビーチなど、人数は、数十人から数百人、といろいろですが、基本は「みんなで集って、食事をする」という和やかなお祝いです。



当の本人、つまり赤ちゃんは一歳、ようやく歩けるようになり、いくつかの食べ物が食べられるようになったばかりですから、お祝いの会の食事や催しは、集まった大人たちや、子どもたちのためのもの。一日がかりのベイビー・ルアウは、食べて、喋って、遊んで、踊って、歌って、の大宴会というわけです。

週末、私のフラの家族のひとり、Auli’i(アウリイ)のベイビー・ルアウが行われました。場所はマウイ島の南西の町、キヘイのビーチパーク、百数十人の集まるお祝いでした。アウリイのお母さんであるカウイは、私が毎日一緒に踊っているフラ・シスターですから、私自身も準備に大忙し。食事の支度から、引き物の準備まで、目の回るような状態のまま、当日の朝をむかえ、なんと百八十個のおむすびをにぎりました。



ベイビー・ルアウの会場の飾りつけは、ピーターパンの物語に登場するティンカーベルという妖精がテーマ。女の子たちに人気のキャラクター、ティンカーベルが、会場のあちらこちらに飛び回って、きらきらと光る魔法の粉をふりかけています。テープルクロス、風船、お皿、ナプキン、そして、なんと特大バースデーケーキにも。



ビーチからの風が心地よく吹き抜けるなか、大人たちは食事の支度の最終段階、バーベキューのグリルからいい匂いをさせながら、お肉やシーフードなどを焼いています。子どもたちは、アウリイのお父さんのキモが用意したウォータースライド、水浴びしながらの滑り台でおおはしゃぎ。

時計がお昼に近くなるころ、八十二歳のアウリイのひいおばあちゃんを筆頭に、おじいちゃん、おばあちゃん、おじさん、おばさん、兄弟姉妹、いとこたち、フラ・ファミリーが一同に集まって、食事をはじめました。

みんなで食べる時間は、美味しい時間、そして、伝える時間。

私は子どものころ、祖父母の家に、親戚や村の人たちが集まって食事をしたことをぼんやりと思い出していました。祖母や母やおばさんたちが、台所で忙しく食事の支度をし、私たちは、ご馳走の並んだ長いテーブルにお皿などを運ぶ、お運びさんだった……。食事はいつまでも続き、大人たちはにぎやかに長い間話をしていたっけ。

ぼんやりしていた私の前を、目の前をアウリイのお母さんのカウイが横切り、カウイのおばあちゃんへ食事のお皿を運んでいきました。子どもたちは、年上の子どもから赤ちゃんまでが一緒に食事をしています。食事のまだ上手にできない小さな子どもたちの世話をやくお姉さん、お兄さん姿は、頼もしいものです。

世代というものの存在は、存在するだけで、その時間を伝える時間に変えていく。

それは、次世代を生み出し、そこからまた、親としての成長をはじめた、いまの私の実感です。伝えることが、私にとって、とても大切なことだと気がついたのは、親になってからでした。以来、仕事として、書いたり、踊ったりするときも、伝えることを大切にしていくようになったのです。

そんな私に、以前、仕事仲間の友人が「そんなに家族が大事なんだね」と、少し問い詰め気味に言ったことがありました。

「とっても大切」としっかり答えた私。最近、その友人が結婚し、お腹に赤ちゃんができたと聞き、友人の心のなかに、家族を大切にする気持ちが深まっていくことを願うばかりです。

キヘイの海が夕焼け色に染まるころ、私たちの顔も体も日に焼けて、夕焼け空と海に混ざってしまいそうでした。片付けをしながら、長い一日の疲れを感じる私に、娘はまだ遊び足らずにはしゃぎながらのお手伝い。その笑顔は、私の疲れをいつも一瞬に吹き飛ばしてくれる笑顔なのでした。
命名 初(うい) [2008年05月13日(火)]
ほんの数文字に、こんなに強く願いをこめることは、あまり多くはないでしょう。

子ども、もしくは子どものような存在になるものに、名前をつけるとき。気持ちを引き締め、そして、自分の胸に手を置いて、どうか名前をつける自分が謙虚でいられますように、と願いながら、その命に名前をつけるのです。



命名。
命に名前が、名前に命が宿ること。

書く仕事をしているなかで、心をこめて原稿を書くことは私の基本です。想いをこめ、言葉を発し、文字を選ぶことにおいては、名前をつけることも、書くことと同じことです。

ですが、名前をつけるときは、なんだか特別に気持ちが高ぶり、そして静まるのです。空の上のほうまで飛んでいって、海の底のほうまで沈むような……。名前が、ほんの一文字、もしくは、二、三文字であることが、想いをさらに凝縮させるのかもしれません。幾重もの、とてつもなく大きなものを、手のひらにのるほどの大きさにするときの興奮の渦が、私のお腹のなかでおこります。

私がいままでつけた名前は三つ。

ひとつめの名前は、古い着物生地を生かして、まるで花のようなドレスやハンドバッグなどを作るデザイナーの女性へ、彼女の生み出した子どもたち、つまりブランドの名前でした。

ふたつめは、鞄職人の友人のアトリエの名前。何よりも彼女の作るものの縫い目が好きだった私からのプレゼント。

みっつめは、今度の夏に七歳になる娘へ。

どの名前も健やかに命を育んでいます。

「名前をつけてほしいのだけれど」「どんな名前がいいかしら」という状況から離れて七年。次にそのような機会に恵まれるのは、私がおばあちゃんになるときかしら、と思っていたら、なんと、やってきたのです。

「もしもし、お姉ちゃん?」と、電話をかけてきた妹は妊娠七ヶ月。

「あのね、赤ちゃん、女の子みたいなの。名前を考えてもらえるとうれしいんだけど」

妹と電話でしばらく話しました。妹曰く、名は体を表す、という言葉どおり、やはり、名前はその名前の持ち主を表す、自分たちの名前ひとつとってもその通りだと。確かに、祖父がつけた私の名前「愛」、母がつけた妹の名前「晶」、名づけ親の意向は、やはり、遅かれ早かれ、私と妹の人生にあらわれていると言えるでしょう。

名づけ親になるとは、大変なことです。親であることも難しいですけれど、名づけ親になるということは、親であることとはまた違った大変さがあるような気がします。

でも、妹が五歳年上の私に頼んできたということは、その五年分の経験を生かして、名づけをするべきでしょう。

妹からのリクエストは、

しっかりした日本語の、日本らしい名前であること
ハワイのお姉ちゃんが名づけたことが残るようにハワイ語の意味ももつ名前であること


名前の意味は幾層にも……


私は、娘に、日本語とハワイ語の両方の意味をもつ名前をつけました。今回、姪にも、音のみが同じなのではなく、意味も同じであるものを選びたかったのです。

二週間ほど考えたころ、ふと、ハワイ語の名前ならば、私の大切な人の名前からあやかりたい、と思いつき、毎日一緒にいる、私の妹のような存在、カウイ、の名前が浮かびました。彼女の名前は、カ・ワヒネ・イ・クーリア・イ・カ・ウイ、心の美しさによって輝く女性という意味です。名づけ親は、彼女の伯母のアンティ・ケアラ。

カウイと私のフラの師であるアンティ・ケアラの想いのこもった名前をもつカウイは、名前の意味を描いたような女性。彼女の名前のウイを、日本語の名前にしたら、想いがもっと紡がれていくに違いありません。

「うい」がいい。

愛い(うい)とは、特に年をとった人々が、年下の人をほめたり、可愛がるときに使う言葉です。そして、UI(うい)というハワイ語は、同じく、美しさや可愛らしさを意味します。

しかし、日本語の名前はカウイの名前のように、長くつけることはできません。どんな美しさを求めているのかを、どうやって、名前という数文字のなかに示したらよいのだろう……。

愛い、Ui、愛い、Ui、うい。

何度もつぶやきました。

……、初々しい。

いつも清らかに、初々しい心の美しさをもった女性になりますように。


おめでとう、名前が生まれたよ


妹に電話をしました。

「もしもし?」

「命名、初(うい)」

初ちゃんは、今年の七月に生まれます。
細かくなくて、細かいもの [2008年04月26日(土)]
「どんぶり勘定」という言葉をご存知ですよね。

「私のことでございます」と正直に告白しながらも、「決して、お金に対して、理由なく無頓着ではないのです」と弁解したりしてしまう私です。どんぶり勘定とは、お職人さんたちが腹掛けのどんぶりにお金をいれて、無造作に出し入れをしたことから、その無造作加減を、大雑把なお勘定の意味として言い表すようになったようです。


細かい、細かくない……


勘定に細かい人は、すべてのことに細かい人。そう考える人はたくさんいます。つまり、どんぶり勘定、宵越しの金は持たぬ、などの言葉がぴったりといわれる私は、どうやら細かくない人の部類に入ります。

こうして、自覚症状があることを人に伝えないと、私が細かくない人の部類のなかでも、強度の大雑把だと思われてしまいます。

「確かに私は細かくないと思う。特にお金には。でも、仕事では細かい作業をしていると思うし、細かさには自信があるんだけど……」
「それは、訓練されたからであって、もともとは細かくなかったと思うよ」

「あのね、たとえば、原稿を書いているときは、句読点ひとつもこだわるし、踊っているときは、小指の第一関節まで気になるのよ」
「だから、それは、自分の仕事だからでしょう」

私と夫の朝食中の会話です。

というのも、実は先週、私のクム(フラの師匠)のアンティ・ケアラの飛行機のチケット手配を間違えるという大事件が勃発しました。なんと、マウイ島発・オアフ島行きの午前の便を手配したつもりが、午後の便を予約していたことが判明。出発五日前にくわえ、週末の便であること、いままでは島間を結ぶ飛行機会社が、ハワイアン航空とアロハ航空の二つあったというのに、アロハ航空は三月末で閉業したため、予約集中のハワイアン航空の便にまったく空席がないのです。


細かい文字、細かくない文字


アンティ・ケアラは、私たちのハーラウのシスターズ・ハーラウ「ナー・プア・リコ・ワイ・ホオラ」のダンサーにフラを教えるために日本にいくのですから、飛行機のチケットの予約ができないとなると計画は丸つぶれ。私とアンティ・ケアラは、まず空港の発券カウンターで直談判。ですが、同情たっぷりの空港職員のおばちゃまから、空席なしとの答えが。

そこで、私と夫は夜を徹してのチケット探しとなりました。

「あ〜、電話で予約していれば、午前と午後を言い間違えなかったのに」
「インターネットで予約って、便利だけど、間違えのもとね」
「どうしてすぐに、きちんと確認しなかったんだろう」
「だいたい、私、向いてないのよ、こういう細かいこと!」
「一緒に画面を見ていたのに、なんで二人そろって見間違えたのかしら」

に、はじまり、

「そもそも、このウェブサイトの画面、“am”と“pm”が見えにくいったらないわよ! 詐欺かもしれない!」と思いつくままに怒鳴ってみたり。

何を言っても、空席が見つからないので、口は閉じ、ひたすら作業をする私と夫。ほとんど徹夜に近いなか、翌朝も空港へ直談判にでかけ、空手で家に戻り、なんとか精神を集中させながらパソコンの画面をにらみ、四方八方の旅行会社に電話をしていた午前九時。

私の叫び声が響き渡りました。

まるで幻のように、一席のみの空席が、ハワイアン航空のウェブサイトの予約画面に現れたのです。私のパソコンに現れたそれは、不思議なことに、夫のパソコンには現れず、まさに幻そのもの。私は震える指で予約をし、興奮状態のまま、アンティ・ケアラに電話。

事件はめでたく終結を迎えました。

その事件を踏まえ、私と夫は、「細かい性格とは?」をテーマに朝食の会話をはずませたというわけです。

「だいたい、どんぶり勘定だからね、君は」
「それは認める。宵越しの金は持たぬの江戸下町芸人の曽祖父母と祖母、職人一家の祖父たちや父の気質は、きっと脈々と受け継がれていると思う。でも、自覚しているんだから、いいでしょう」
「それを自分で言わないの」
「じゃあ、細かい人って、いったいどういう人よ。銀行にお勤めの人のこと?」
「義父さん、若いころに銀行に勤めたけど、すぐ辞めたってね」
「どうせ、私たちは細かくないわよ。でもね、目に見える細かいことだけがすべてじゃないでしょう」


細かいもの、細かくないもの、どちらも大切なもの


細かいのか、細かくないのか、という二者選択はしないほうがいいのかもしれません。何かと比較して細かさをはかるのも、無粋なのかもしれません。でも、今回のような出来事はもう二度と起こさないように、細かさを大切にすべきでしょう。

私は朝ごはんの片付けをしながら、どんな非常事態でも、協力を惜しまない夫と、私の祈りにこたえ、導いてくれる、大いなる存在に、心から感謝しました。
耳を澄ませば…… [2008年04月16日(水)]
最近、インタビューを受けることが増えています。

書く仕事をしている私は、取材などのときに、私がインタビューをすることはあったとしても、インタビューを受けるとなると、どうにも落ち着きません。

インタビューをしてくださったのは、港区青山にある出版社の雑誌編集者さんです。その出版社は、作家でもある落合恵子さんが経営されていて、子どもや女性の暮らしをテーマにした本屋さんを中心に、出版事業、レストラン、通販など、総合的にライフスタイルをサポートする、とても面白い活動をしています。居心地のよい本屋さんであり、美味しい食事もできて、ゆっくりお茶を楽しめるので、私が東京に住んでいたときにはよく通っていました。

以前、その雑誌にフラについてのコラムを書かせていただいたご縁があり、今回、インタビューをお受けしたのですが、まだ慣れない私は、いただく質問に答えられているのかどうか、と心配ばかり。

というのも、質問には質問する人の意図があるというのを、私が自分がインタビューをする経験から知っています。なので、すぐに意図をくむこともできるのですが、ときに、自分がその意図に対して十分な答えをもっていないことにも、気がついてしまうのです。

もちろんそのようなときは、正直にお伝えし、どのくらいその質問の意図に幅があるのかを伺って、対応するようにしています。そのことから、インタビューが長引くこともありますし、結果的に質問を変えていただくことも。私には、適当に対処するということが、あまり向いていないのでしょう。

いろいろなインタビューのなかで、よく質問にあがるのは、「リラックスするための音楽について」です。

いま、音楽を楽しむことがとても簡単になっていて、世界中の音楽をインターネットでダウンロードできるようになっています。ダウンロードした音楽を、小さな入れ物にたくさんいれて、どこにでも気軽に持ち歩くことができます。リラックスをするための音楽をそばに置いておくことができたら、いつでもどこでもリラックスできて、さぞかし便利なことでしょう。

ところが、私は、いわゆる「リラックス」をするために、音楽を聴かないのです。



そもそも、一般的なリラックスのイメージは、「静」でしょう。たとえば、読書をするとしたら、感極まって涙が止まらず胸が苦しくてたまらないような本や、問題を提議し弁論に及ぶような本をリラックスするために選びません。エクササイズをするとしても、重いバーベルを何回も持ち上げたり、著しく激しい動きが含まれるような運動も避けるでしょう。

つまり、イメージは、「動」ではありません。

そこで、私は、私にとって音楽を聴くことが、「動」のリラックスであることから話しはじめます。我が家は、夫の趣味のオーディオ機器がぎっしりと並び、さらに夫の仕事でもあるオーディオ関係のものが、それこそ家中にあるのです。スピーカーが数十、レコード針が数百……にはじまり、私には理解不能のたくさんの機材がそろい、いつも音楽が流れています。


何故かレコード針がかわいく思える今日この頃


しかし、私は、自分で彼のオーディオを使って、音楽を聴くことができません。それは、夫が私の仕事机にある原稿や資料にむやみにさわらず、私がショウで使う衣装や道具を使わないのと同じで、我が家の専門領域の縄張りの問題のようです。

それでは不自由だからと、ipodなどの何か便利なもの買うことも考えるのですが、なかなかそれに至らないのは、我が家のスピーカーから流れる音に私が惚れているからに違いありません。

クラッシック、ジャズ、ハワイアン、オペラなどコンサートのレコードをかければ、その臨場感は最高。観客の息から、演奏者の動きまで、目に見えるように、肌で感じるように聴こえるのです。時代をこえて、距離をなくす、我が家のコンサートホールを、家にいる限りはいつでも楽しめるのですから、便利な小さな音楽の入れ物に手が伸びないわけです。

私にとって、音楽を聴くことは、食べたいものを食べる、読みたい本を読む、踊りたい踊りを踊る、話したいことを話すこと、会いたい人に会う、などのように、「動」のリラックス。

質問には、こう答えます。

CDやパソコンからダウンロードした音は、デジタル信号だということを考えるきっかけを持ってみてください、と。お気に入りの音楽をいつも身近におくのは素敵なこと、でも、同時に、デジタル信号であることも知っておくと、デジタル信号を生の音に近づけて音楽を聴くにはどうしたらいいのかな、レコードを聴いてみようかな、コンサートに行ってこの曲を聴いてみたい、などの、聴く広がりが増えると思うのです。

そして、生の音を聴きたいという気持ちがわいてきたら、楽器をそばに置くこともできます。私は、楽器をたしなむ夢はあるのですが、なかなかたどり着かないので、裏庭で洗濯物をほしながら、仕事に行くときに子どもと手をつなぎながら、私のまわりにある生の音を楽しんでいます。


木のざわめきの音楽もおすすめです!


いい音のある生活は、耳を澄ますところからはじめたいですね。
花冷えのころ [2008年04月09日(水)]
花冷えのマウイはここ数日、春雨が降ってはやみ、朝晩は首をすくめたくなるような空気が流れています。

桜の花の咲くころ、雨や寒さが舞い戻る花冷え、花が散り急ぐのをと心配しながら空を眺めることもしばしば。しかし、マウイ島の花々は、日本のそれに比べて、ちと丈夫でありますから、そのような気遣いは無用。花見の宴はいつでも大丈夫のようです。

私は山育ちですから、私にとっての桜は山桜、もしくは濃い紅色の八重桜。ソメイヨシノのようにはらはらと散り急ぐことを心配する必要はありませんでした。小さかったころに、花の下でお弁当を広げ、梅、桃、桜の花を何度も楽しんだのを覚えています。

この島で桜などの花にかわって、私がお花見にいそしむのは、高原に咲く藤色のジャカランダをはじめ、裏庭のククイの優しい乳白色の花まで。子どもたちに人気のお花見はエンジェルトランペットの花。名前の通り、トランペットのかたちの花がぶらんぶらんとさがり、風が吹けば音が聞こえてきそうな花で、花が奏でる演奏とともに、お花見の宴を楽しめます。


エンジェルトランペットの音が聞こえる


週末、私の友人のお誕生日のお祝いとククイのお花見をかねて、我が家で宴会が催されました。雨が降りそうな雲行きだったので、ククイの花をゆっくり眺めることのできるリビングルームでの食事会です。

集まったのは、私のフラの先生でありハーナイ・ママでもあるアンティ・ケアラ、夫の親友のハワイアンミュージシャンのペケロ、ペケロの息子さん、コメディアンのブライア、ロミロミやハワイの薬学を伝承しているブラと内科医の美穂さん夫婦。私たち家族と家族ぐるみでお付き合いのある人ばかりです。

そして、宴には欠かせないお料理は、蒸し蟹をほぐしたものとキュウリとアボカドを巻いたお寿司、バーベキュービーフ、シュウマイ、トマトと山芋とらっきょうのサラダ、鳥のささ身とアスパラガスとキュウリとレタスの千切りサラダ、ロールキャベツ。お料理の上手な夫に手伝ってもらって、手作りしました。

宴は、午後三時にはじまり、まずは米大統領選談義、次に、ハワイアン・コミュニティーがいかに文化損失の危機に面しているか、さらに、どのようにハワイの文化を次世代に継承していくべきか、など。話好きの面々は熱弁をふるい、お誕生日を迎えた美穂さんや満開のククイの花を横に置き、お花見にふさわしい講談だともいわんばかりに、釈台(しゃくだい)を張り扇で打たんばかりの大騒ぎ。

ひととおり話し終えたころ、マンゴーとバナナと生クリームをくるりと巻いたロールケーキに、キャンドルをたててテーブルに運ぶと、お喋りはバースデーソングに変わりました。お誕生日は何歳になってもうれしいものですよね。



お酒好きの人は甘いものを好まないという定義は、ハワイの人々にはあまり当てはまらず、ワインやビールのグラスをひとまずテーブルにおいて、ケーキに舌鼓。お腹に甘いものがおさまると、やっと花を眺める余裕と、ひとときの静けさが訪れました。

「ククイでレイを作りたくなったわね」というアンティ・ケアラと、「写真でしか見たことがないから、今度作ってみたいなぁ」「お店で売っているお花のレイよりも、身近にある植物で作るレイのほうが素敵よね」などと、花の話がしばらく続きます。「あの葉っぱは、髪に飾るのに最適」「愛の家の裏庭の眺めは最高ね。マウナレオの山もよく見えるし」と、突然、ペケロがギターを片手に歌いだしました。


満開のククイナッツの花


夫がにんまり。どうやら、ソファに沈み込むペケロのお腹にのっていた赤ワインのボトルを、さっとギターに変えたら、条件反射で歌いだしたようなのです。ペケロのギターと歌に聞きほれていたアンティ・ケアラのところに、娘のアイナがウクレレを持ってきました。

あの歌は、この歌は、と十数曲ほど続いたでしょうか、ふと、アンティ・ケアラがこう言いました。

「昔、私が小さいころに、おじさんやおばさんたちが、こうやって週末に集まっては、食事をして、お酒を飲んで、ギターやウクレレを弾きながら夜まで歌っていたのを思い出していたの。それで、いま、ふと、横を見たら、アイナが愛の膝の上で、一生懸命に音楽を聴いていて、あっ、自分はあのときのおじさんやおばさんたちになっているんだなって、気がついたわ」

未成年と呼ばれなくなり、経済的に独立もし、子どもではない年齢になっても、自分のなかで何かが変わったようには思わなかったのに、親になった途端、まるで二つの目を持ったように視点が増えたのは私だけでしょうか。

子どもに話しかけている自分、子どもに言い聞かせる自分、子どもの叱りつける自分。そんな自分を別の誰かがみているような気分になり、「あれ、私、誰かみたい? 誰だろう」「あ、私ったら、ママみたいなこと言っている」「やだ、私、いまパパみたいだった」と、どきり、とするのです。

あのときを見ていた目は、確かに子どもだった自分の目なのに、まるですり替わったかのように、今度は同じあの風景を違う自分が見つめているような気分。

アンティ・ケアラとペケロの奏でる音、深い歌声は、夜中まで続きました。

「アンクル・ジョージ・ナオペが教えてくれた、今日のパーティはもうお終い、というときに歌う曲を歌うわね。もうHana hou(もう一度!)は、今度会うときまでなしね」

と、宴もたけなわでございますが……、の曲が流れるまで。
「どうも、ありがとう」の重さ [2008年03月31日(月)]
「どうも、ありがとう!」と受け取ることの大切さを感じることがあります。


子どもは贈り物を贈ったり、受け取ったりする名人


私たちの日本の文化のなかには、相手の気持ちを考え、自らは控えめに振る舞うという道徳が根付いています。

「こんなにいただいてしまって、申し訳ない気持ちでいっぱいです」
「そんなにしていただいては、ご迷惑でしょうから」
「とんでもございません、私たちは遠慮させていただきます」

私はこのような言葉を自然に口にできる人間でありたいし、生活のなかにある日本の文化の美しさを大切にしたいと思っています。

と同時に、最近、私が思うのは、子どものころから祖父母や両親に言われ続けた、「いただくときは、感謝していただきなさい」という言葉。

実は、先々週から先週にかけて、私のハーナイ・ママのジュンコママのフラ・ハーラウ、“ナー・プア・リコ・ワイ・ホオラ”の生徒さんたち十七人が、マウイ島で合宿を行いました。

ジュンコママのハーラウ、ナー・プア・リコ・ワイ・ホオラは、私のもう一人のハーナイ・ママ、アンティ・ケアラのハーラウ、カノエアウダンスアカデミーのシスターズ・ハーラウ。昨年、ジュンコママがアンティ・ケアラの生徒となり、アンティ・ケアラのスタイルを伝承することになってから、日本で唯一、アンティ・ケアラのスタイルのみを学ぶハーラウとなったのです。


木の下に真剣な顔が勢ぞろい


私のハーラウにとって、日本のフラ・シスターズがやってくるのは一大事、しかも、十七人もの大勢です。アンティ・ケアラと私、私のハーラウのアラカイのカウイは、二ヶ月も前から準備に入りました。

アンティ・ケアラは、ハワイの日本の文化の違いを理解することは、彼女がフラを教えるときに、どのように教えたら一番よいかを知るために重要、という考えを持っているので、まずはいろいろと話し合いをしました。

どうして、日本人の歩幅は狭いのか。
日本人の謙虚の心理とは、どのようなものか。
日本人は郷愁を、どのように表わすか。
日本人にとっての鍛錬とはどのような意味があるのか?

……などから、食習慣をはじめとする生活全般のこと。食事のことなどはとても細やかに考えていて、彼女の定番料理のハワイアンシチューに、お肉の脂肪分をどのくらい入れるのが日本人の口に合うのか、までを気にしていました。

アンティ・ケアラは七十年代にはじめて日本に行き、ミュージシャン、ダンサーとして半年間滞在したこともあり、そのとき印象に残った、美しい自然のある日本と謙虚な気持ちを忘れない日本人の文化が大好き。特に、日本の人の控えめな振る舞いは、とても美しく、Ha’aha’a(ハワイ語で謙虚さの意味)を大切にするハワイの人々の文化と近いものだと感動したとか。

今回の合宿にやってきた十七人は、ジュンコママと生徒の三人をのぞいて、私がはじめて会う人ばかりでした。アンティ・ケアラやカウイにとっては、ジュンコママと生徒の一人以外は初対面。

お互いが遠慮のない関係に、急になれるわけではありませんが、声に出して私が繰り返し言ったのは、「どうぞ、何でも、遠慮なく言ってくださいね」でした。

アンティ・ケアラやカウイや私は、この一週間という限りある時間のなかで、練習、時間、経験などから、食事まで、私たちがみんなに受け取ってほしいと思っているものを用意してありました。そして、合宿の目的を達成したいという参加したみんなの気持ちを受け取る心構えをしていました。

ですから、いま、ここに、目の前にあるものを、遠慮しながら受け取ってほしくなかったのです。

私と二人のハーナイ・ママとの関係は親子、ハーナイ・ママの生徒は、私にとって姉妹。親子や姉妹の間に、受け取るのに時間がかかるほどの遠慮は、決して必要ありません。


一生懸命はとってもきれい


そして、気持ちは通じるものなのですね。

合宿は大成功でした。心と体を溢れんばかりにいっぱいにした十七人は、「どうも、ありがとう」の涙とともに、日本へ戻っていきました。朝から晩まで、夜中の十二時をすぎても、汗をかきながら練習した日々は辛かったはずです。正直、私とカウイは練習のあと、ショウに踊りにいったときには、足がもつれ、出番の直前まで舞台で横になって体力を充電したこともありました。

アンティ・ケアラとカウイと私は、今でも合宿の思い出話を笑っています。毎朝、「How are you ?」と尋ねると、顔も体も相当疲れているように見えるのに、「I’m fine」とがんばって答える十七人、練習中に出た千代の富士引退宣言「体力の限界です」(古い話題なのに、状況にあまりにぴったりで大笑い)、用意したハワイアンシチューの特大鍋が空っぽになったこと。

私がうれしかったのは、この合宿で、十七人のみんながフラの技術が上達したことよりも、受け取り上手になってくれたことでした。

受け取り上手のみんなの「どうもありがとう」は、きっとみんなの毎日の生活をピカッと照らしてくれると思うから!
宝物が届きました [2008年03月25日(火)]
宝物が届きました。

みなさん、覚えていますか? 今年のはじめに、私が宝物探しにでかけたこと。

エディトリアルライターの内田あやさんと、フォトグラファーの山本哲也さんと、コーディネーターの私が見つけた宝物たちは、雑誌『FIGARO voyage』になって、今月の十五日に発売しました。

雑誌『FIGARO voyage』は、『FIGARO』という雑誌から生まれ、旅をメインテーマとして扱っている雑誌です。年に数回の発売のなかで、都度、違う旅先が選ばれるのですが、ハワイははずすことのできない人気の旅先とか。

どっさりと届いた雑誌、表紙には目の覚めるようなピンク色のアークリクリの花のレイ。



今回の特集は、オアフ島、ハワイ島、マウイ島の小さな町。

ページをあけると、素顔のハワイがいっぱいでした。ワイキキから車で三十分の静かな海、地元のマーケットで“採れたて”“できたて”を味わうオアフ島、太陽の家“ハレアカラ”からはじまる虹色ドライブルート、自然と一緒に暮らす人々の笑顔が溢れるマウイ島、心と体にエネルギーをチャージする癒しとスロウフードの情報が満載のハワイ島。

日常を離れて遠く旅をするということが、限りなく身近な存在になることの楽しさを教えてくれる『FIGARO voyage』ならではの内容です。

私はマウイ島の宝物探し担当でしたが、オアフ島、ハワイ島の探検隊の成果が集結して、宝箱をひっくり返したように盛りだくさんな一冊。取材のあと、校正作業といって、情報が正しく原稿などに記されているかを確認する作業があるので、マウイ島のページにどのような原稿や写真が掲載されているかを知ってはいたのにもかかわらず、やはり、印刷、製本されて、形になると、「手に取る」ことの良さというか、実感がずっしりと伝わってきます。

ほかの島のページを読み終わった後には、いくつもの旅をした気分でした。

マウイ島の取材では、宝物探検隊の三人のそれぞれに、お腹にずんと響くような出会いがありました。



波を愛するフォトグラファーの山本さんは、マウイ島のラジオ局でのインタビュー取材にやってきてくれた、人気のミュージシャン“エコル”のメンバーと、同じ波に乗る友人同士として、かけがえのない時間を過ごすことができたようです。エディトリアルライターのあやさんは、実はこのブログでもご紹介したように、ボディーワークの専門家。体を動かすという点で、ハワイの文化の象徴でもあるフラの動きに触発され、日本に戻ってからも、フラダンサーの手の指の動きが忘れられなかったとか。

もちろん、約二週間の取材のなかには、大変なこともありました。やはり、日本とは違う環境ですし、車での移動も多いので、体調が悪くなることもあります。体と心はつながっていますから、体を大切にしなければ、心も不安定になってしまいます。限られた時間のなかで仕事をするには、睡眠、食事などはとても大切でした。

また、マウイ島は、東京のようなビジネスに特化した場所ではありませんから、このゆったりした時間の流れが、仕事をしようとするときには、時に、もがきたくなるほど遅く感じます。取材のはじまりには、取材チームがどんな風に時間や意識、役割を配分するかをはかったり、話し合ったりしなくてはいけませんでした。特に、コーディネートの仕事で、私が気をつけたのはこの点でした。

仕事が順調であろうと、そうでなかろうと、三人でしか助け合えません。腹を割るという言葉にあるように、お腹に手をあてて、探検隊のチームワークを作ることができたからこそ、宝物を日本に持ち帰ることができ、みなさんにお目見えすることができたのです。

私はこの仕事をくださった『FIGARO voyage』の編集長にも、あやさんにも、「私のコーディネートの仕事は、今年はこれでもうおしまいです」と伝えました。

いまの私にとって、コーディネートの仕事は、宝物を持ち帰ることではなく、宝物を育みながら暮らすことですから。

「コーディネートの仕事を『FIGARO voyage』のためにしてくださいませんか」という編集長の有難い言葉は、私にとっては「『FIGARO voyage』にあなたの宝物をシェアしてくださいませんか」ということでした。

私は、私の想いを理解してくださって、声をかけてくださる編集長と、読者のみなさんに、喜んで宝物をシェアしようと思いました。

宝物は、私にとっては特別な人たちや物ですけれど、それは、どこにでもある、誰もが持っている普通のもの。あまりに普通すぎて見落としてしまいそうなほど、素朴なものです。誰もが、その人にとって大切な宝物がある、というだけのことです。

それらは、私と同じように宝物を大切に思ってくださった山本さんとあやさんの手で、とっても素敵なページになって、今年一年中、たくさんの読者のみなさんと、私の想いを分け合うことができる時間を作ってくれました。



これから、雑誌をもって、宝物たちに会いにいきます。

「どうもありがとう、これからもそばにいてね」って。
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プロフィール
神宮寺愛
エッセイスト×フラダンサー
東京での出版社勤務を経て、現在はエッセイストとして活動。マウイ島ワイルク在住。著書『心と体がピュアになるハワイアンな暮らし』(青春出版社・刊)他。フラやハワイ語等を学ぶダンサーでもあり、カノエアウダンスアカデミー所属。現在カアナパリビーチホテルのディナーショーにレギュラー出演中。