おへそに手をあてて……

2008年05月
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命名 初(うい) [2008年05月13日(火)]
ほんの数文字に、こんなに強く願いをこめることは、あまり多くはないでしょう。

子ども、もしくは子どものような存在になるものに、名前をつけるとき。気持ちを引き締め、そして、自分の胸に手を置いて、どうか名前をつける自分が謙虚でいられますように、と願いながら、その命に名前をつけるのです。



命名。
命に名前が、名前に命が宿ること。

書く仕事をしているなかで、心をこめて原稿を書くことは私の基本です。想いをこめ、言葉を発し、文字を選ぶことにおいては、名前をつけることも、書くことと同じことです。

ですが、名前をつけるときは、なんだか特別に気持ちが高ぶり、そして静まるのです。空の上のほうまで飛んでいって、海の底のほうまで沈むような……。名前が、ほんの一文字、もしくは、二、三文字であることが、想いをさらに凝縮させるのかもしれません。幾重もの、とてつもなく大きなものを、手のひらにのるほどの大きさにするときの興奮の渦が、私のお腹のなかでおこります。

私がいままでつけた名前は三つ。

ひとつめの名前は、古い着物生地を生かして、まるで花のようなドレスやハンドバッグなどを作るデザイナーの女性へ、彼女の生み出した子どもたち、つまりブランドの名前でした。

ふたつめは、鞄職人の友人のアトリエの名前。何よりも彼女の作るものの縫い目が好きだった私からのプレゼント。

みっつめは、今度の夏に七歳になる娘へ。

どの名前も健やかに命を育んでいます。

「名前をつけてほしいのだけれど」「どんな名前がいいかしら」という状況から離れて七年。次にそのような機会に恵まれるのは、私がおばあちゃんになるときかしら、と思っていたら、なんと、やってきたのです。

「もしもし、お姉ちゃん?」と、電話をかけてきた妹は妊娠七ヶ月。

「あのね、赤ちゃん、女の子みたいなの。名前を考えてもらえるとうれしいんだけど」

妹と電話でしばらく話しました。妹曰く、名は体を表す、という言葉どおり、やはり、名前はその名前の持ち主を表す、自分たちの名前ひとつとってもその通りだと。確かに、祖父がつけた私の名前「愛」、母がつけた妹の名前「晶」、名づけ親の意向は、やはり、遅かれ早かれ、私と妹の人生にあらわれていると言えるでしょう。

名づけ親になるとは、大変なことです。親であることも難しいですけれど、名づけ親になるということは、親であることとはまた違った大変さがあるような気がします。

でも、妹が五歳年上の私に頼んできたということは、その五年分の経験を生かして、名づけをするべきでしょう。

妹からのリクエストは、

しっかりした日本語の、日本らしい名前であること
ハワイのお姉ちゃんが名づけたことが残るようにハワイ語の意味ももつ名前であること


名前の意味は幾層にも……


私は、娘に、日本語とハワイ語の両方の意味をもつ名前をつけました。今回、姪にも、音のみが同じなのではなく、意味も同じであるものを選びたかったのです。

二週間ほど考えたころ、ふと、ハワイ語の名前ならば、私の大切な人の名前からあやかりたい、と思いつき、毎日一緒にいる、私の妹のような存在、カウイ、の名前が浮かびました。彼女の名前は、カ・ワイネ・イ・クーリア・イ・カ・ウイ、心の美しさによって輝く女性という意味です。名づけ親は、彼女の伯母のアンティ・ケアラ。

カウイと私のフラの師であるアンティ・ケアラの想いのこもった名前をもつカウイは、名前の意味を描いたような女性。彼女の名前のウイを、日本語の名前にしたら、想いがもっと紡がれていくに違いありません。

「うい」がいい。

愛い(うい)とは、特に年をとった人々が、年下の人をほめたり、可愛がるときに使う言葉です。そして、UI(うい)というハワイ語は、同じく、美しさや可愛らしさを意味します。

しかし、日本語の名前はカウイの名前のように、長くつけることはできません。どんな美しさを求めているのかを、どうやって、名前という数文字のなかに示したらよいのだろう……。

愛い、Ui、愛い、Ui、うい。

何度もつぶやきました。

……、初々しい。

いつも清らかに、初々しい心の美しさをもった女性になりますように。


おめでとう、名前が生まれたよ


妹に電話をしました。

「もしもし?」

「命名、初(うい)」

初ちゃんは、今年の七月に生まれます。
細かくなくて、細かいもの [2008年04月26日(土)]
「どんぶり勘定」という言葉をご存知ですよね。

「私のことでございます」と正直に告白しながらも、「決して、お金に対して、理由なく無頓着ではないのです」と弁解したりしてしまう私です。どんぶり勘定とは、お職人さんたちが腹掛けのどんぶりにお金をいれて、無造作に出し入れをしたことから、その無造作加減を、大雑把なお勘定の意味として言い表すようになったようです。


細かい、細かくない……


勘定に細かい人は、すべてのことに細かい人。そう考える人はたくさんいます。つまり、どんぶり勘定、宵越しの金は持たぬ、などの言葉がぴったりといわれる私は、どうやら細かくない人の部類に入ります。

こうして、自覚症状があることを人に伝えないと、私が細かくない人の部類のなかでも、強度の大雑把だと思われてしまいます。

「確かに私は細かくないと思う。特にお金には。でも、仕事では細かい作業をしていると思うし、細かさには自信があるんだけど……」
「それは、訓練されたからであって、もともとは細かくなかったと思うよ」

「あのね、たとえば、原稿を書いているときは、句読点ひとつもこだわるし、踊っているときは、小指の第一関節まで気になるのよ」
「だから、それは、自分の仕事だからでしょう」

私と夫の朝食中の会話です。

というのも、実は先週、私のクム(フラの師匠)のアンティ・ケアラの飛行機のチケット手配を間違えるという大事件が勃発しました。なんと、マウイ島発・オアフ島行きの午前の便を手配したつもりが、午後の便を予約していたことが判明。出発五日前にくわえ、週末の便であること、いままでは島間を結ぶ飛行機会社が、ハワイアン航空とアロハ航空の二つあったというのに、アロハ航空は三月末で閉業したため、予約集中のハワイアン航空の便にまったく空席がないのです。


細かい文字、細かくない文字


アンティ・ケアラは、私たちのハーラウのシスターズ・ハーラウ「ナー・プア・リコ・ワイ・ホオラ」のダンサーにフラを教えるために日本にいくのですから、飛行機のチケットの予約ができないとなると計画は丸つぶれ。私とアンティ・ケアラは、まず空港の発券カウンターで直談判。ですが、同情たっぷりの空港職員のおばちゃまから、空席なしとの答えが。

そこで、私と夫は夜を徹してのチケット探しとなりました。

「あ〜、電話で予約していれば、午前と午後を言い間違えなかったのに」
「インターネットで予約って、便利だけど、間違えのもとね」
「どうしてすぐに、きちんと確認しなかったんだろう」
「だいたい、私、向いてないのよ、こういう細かいこと!」
「一緒に画面を見ていたのに、なんで二人そろって見間違えたのかしら」

に、はじまり、

「そもそも、このウェブサイトの画面、“am”と“pm”が見えにくいったらないわよ! 詐欺かもしれない!」と思いつくままに怒鳴ってみたり。

何を言っても、空席が見つからないので、口は閉じ、ひたすら作業をする私と夫。ほとんど徹夜に近いなか、翌朝も空港へ直談判にでかけ、空手で家に戻り、なんとか精神を集中させながらパソコンの画面をにらみ、四方八方の旅行会社に電話をしていた午前九時。

私の叫び声が響き渡りました。

まるで幻のように、一席のみの空席が、ハワイアン航空のウェブサイトの予約画面に現れたのです。私のパソコンに現れたそれは、不思議なことに、夫のパソコンには現れず、まさに幻そのもの。私は震える指で予約をし、興奮状態のまま、アンティ・ケアラに電話。

事件はめでたく終結を迎えました。

その事件を踏まえ、私と夫は、「細かい性格とは?」をテーマに朝食の会話をはずませたというわけです。

「だいたい、どんぶり勘定だからね、君は」
「それは認める。宵越しの金は持たぬの江戸下町芸人の曽祖父母と祖母、職人一家の祖父たちや父の気質は、きっと脈々と受け継がれていると思う。でも、自覚しているんだから、いいでしょう」
「それを自分で言わないの」
「じゃあ、細かい人って、いったいどういう人よ。銀行にお勤めの人のこと?」
「義父さん、若いころに銀行に勤めたけど、すぐ辞めたってね」
「どうせ、私たちは細かくないわよ。でもね、目に見える細かいことだけがすべてじゃないでしょう」


細かいもの、細かくないもの、どちらも大切なもの


細かいのか、細かくないのか、という二者選択はしないほうがいいのかもしれません。何かと比較して細かさをはかるのも、無粋なのかもしれません。でも、今回のような出来事はもう二度と起こさないように、細かさを大切にすべきでしょう。

私は朝ごはんの片付けをしながら、どんな非常事態でも、協力を惜しまない夫と、私の祈りにこたえ、導いてくれる、大いなる存在に、心から感謝しました。
耳を澄ませば…… [2008年04月16日(水)]
最近、インタビューを受けることが増えています。

書く仕事をしている私は、取材などのときに、私がインタビューをすることはあったとしても、インタビューを受けるとなると、どうにも落ち着きません。

インタビューをしてくださったのは、港区青山にある出版社の雑誌編集者さんです。その出版社は、作家でもある落合恵子さんが経営されていて、子どもや女性の暮らしをテーマにした本屋さんを中心に、出版事業、レストラン、通販など、総合的にライフスタイルをサポートする、とても面白い活動をしています。居心地のよい本屋さんであり、美味しい食事もできて、ゆっくりお茶を楽しめるので、私が東京に住んでいたときにはよく通っていました。

以前、その雑誌にフラについてのコラムを書かせていただいたご縁があり、今回、インタビューをお受けしたのですが、まだ慣れない私は、いただく質問に答えられているのかどうか、と心配ばかり。

というのも、質問には質問する人の意図があるというのを、私が自分がインタビューをする経験から知っています。なので、すぐに意図をくむこともできるのですが、ときに、自分がその意図に対して十分な答えをもっていないことにも、気がついてしまうのです。

もちろんそのようなときは、正直にお伝えし、どのくらいその質問の意図に幅があるのかを伺って、対応するようにしています。そのことから、インタビューが長引くこともありますし、結果的に質問を変えていただくことも。私には、適当に対処するということが、あまり向いていないのでしょう。

いろいろなインタビューのなかで、よく質問にあがるのは、「リラックスするための音楽について」です。

いま、音楽を楽しむことがとても簡単になっていて、世界中の音楽をインターネットでダウンロードできるようになっています。ダウンロードした音楽を、小さな入れ物にたくさんいれて、どこにでも気軽に持ち歩くことができます。リラックスをするための音楽をそばに置いておくことができたら、いつでもどこでもリラックスできて、さぞかし便利なことでしょう。

ところが、私は、いわゆる「リラックス」をするために、音楽を聴かないのです。



そもそも、一般的なリラックスのイメージは、「静」でしょう。たとえば、読書をするとしたら、感極まって涙が止まらず胸が苦しくてたまらないような本や、問題を提議し弁論に及ぶような本をリラックスするために選びません。エクササイズをするとしても、重いバーベルを何回も持ち上げたり、著しく激しい動きが含まれるような運動も避けるでしょう。

つまり、イメージは、「動」ではありません。

そこで、私は、私にとって音楽を聴くことが、「動」のリラックスであることから話しはじめます。我が家は、夫の趣味のオーディオ機器がぎっしりと並び、さらに夫の仕事でもあるオーディオ関係のものが、それこそ家中にあるのです。スピーカーが数十、レコード針が数百……にはじまり、私には理解不能のたくさんの機材がそろい、いつも音楽が流れています。


何故かレコード針がかわいく思える今日この頃


しかし、私は、自分で彼のオーディオを使って、音楽を聴くことができません。それは、夫が私の仕事机にある原稿や資料にむやみにさわらず、私がショウで使う衣装や道具を使わないのと同じで、我が家の専門領域の縄張りの問題のようです。

それでは不自由だからと、ipodなどの何か便利なもの買うことも考えるのですが、なかなかそれに至らないのは、我が家のスピーカーから流れる音に私が惚れているからに違いありません。

クラッシック、ジャズ、ハワイアン、オペラなどコンサートのレコードをかければ、その臨場感は最高。観客の息から、演奏者の動きまで、目に見えるように、肌で感じるように聴こえるのです。時代をこえて、距離をなくす、我が家のコンサートホールを、家にいる限りはいつでも楽しめるのですから、便利な小さな音楽の入れ物に手が伸びないわけです。

私にとって、音楽を聴くことは、食べたいものを食べる、読みたい本を読む、踊りたい踊りを踊る、話したいことを話すこと、会いたい人に会う、などのように、「動」のリラックス。

質問には、こう答えます。

CDやパソコンからダウンロードした音は、デジタル信号だということを考えるきっかけを持ってみてください、と。お気に入りの音楽をいつも身近におくのは素敵なこと、でも、同時に、デジタル信号であることも知っておくと、デジタル信号を生の音に近づけて音楽を聴くにはどうしたらいいのかな、レコードを聴いてみようかな、コンサートに行ってこの曲を聴いてみたい、などの、聴く広がりが増えると思うのです。

そして、生の音を聴きたいという気持ちがわいてきたら、楽器をそばに置くこともできます。私は、楽器をたしなむ夢はあるのですが、なかなかたどり着かないので、裏庭で洗濯物をほしながら、仕事に行くときに子どもと手をつなぎながら、私のまわりにある生の音を楽しんでいます。


木のざわめきの音楽もおすすめです!


いい音のある生活は、耳を澄ますところからはじめたいですね。
花冷えのころ [2008年04月09日(水)]
花冷えのマウイはここ数日、春雨が降ってはやみ、朝晩は首をすくめたくなるような空気が流れています。

桜の花の咲くころ、雨や寒さが舞い戻る花冷え、花が散り急ぐのをと心配しながら空を眺めることもしばしば。しかし、マウイ島の花々は、日本のそれに比べて、ちと丈夫でありますから、そのような気遣いは無用。花見の宴はいつでも大丈夫のようです。

私は山育ちですから、私にとっての桜は山桜、もしくは濃い紅色の八重桜。ソメイヨシノのようにはらはらと散り急ぐことを心配する必要はありませんでした。小さかったころに、花の下でお弁当を広げ、梅、桃、桜の花を何度も楽しんだのを覚えています。

この島で桜などの花にかわって、私がお花見にいそしむのは、高原に咲く藤色のジャカランダをはじめ、裏庭のククイの優しい乳白色の花まで。子どもたちに人気のお花見はエンジェルトランペットの花。名前の通り、トランペットのかたちの花がぶらんぶらんとさがり、風が吹けば音が聞こえてきそうな花で、花が奏でる演奏とともに、お花見の宴を楽しめます。


エンジェルトランペットの音が聞こえる


週末、私の友人のお誕生日のお祝いとククイのお花見をかねて、我が家で宴会が催されました。雨が降りそうな雲行きだったので、ククイの花をゆっくり眺めることのできるリビングルームでの食事会です。

集まったのは、私のフラの先生でありハーナイ・ママでもあるアンティ・ケアラ、夫の親友のハワイアンミュージシャンのペケロ、ペケロの息子さん、コメディアンのブライア、ロミロミやハワイの薬学を伝承しているブラと内科医の美穂さん夫婦。私たち家族と家族ぐるみでお付き合いのある人ばかりです。

そして、宴には欠かせないお料理は、蒸し蟹をほぐしたものとキュウリとアボカドを巻いたお寿司、バーベキュービーフ、シュウマイ、トマトと山芋とらっきょうのサラダ、鳥のささ身とアスパラガスとキュウリとレタスの千切りサラダ、ロールキャベツ。お料理の上手な夫に手伝ってもらって、手作りしました。

宴は、午後三時にはじまり、まずは米大統領選談義、次に、ハワイアン・コミュニティーがいかに文化損失の危機に面しているか、さらに、どのようにハワイの文化を次世代に継承していくべきか、など。話好きの面々は熱弁をふるい、お誕生日を迎えた美穂さんや満開のククイの花を横に置き、お花見にふさわしい講談だともいわんばかりに、釈台(しゃくだい)を張り扇で打たんばかりの大騒ぎ。

ひととおり話し終えたころ、マンゴーとバナナと生クリームをくるりと巻いたロールケーキに、キャンドルをたててテーブルに運ぶと、お喋りはバースデーソングに変わりました。お誕生日は何歳になってもうれしいものですよね。



お酒好きの人は甘いものを好まないという定義は、ハワイの人々にはあまり当てはまらず、ワインやビールのグラスをひとまずテーブルにおいて、ケーキに舌鼓。お腹に甘いものがおさまると、やっと花を眺める余裕と、ひとときの静けさが訪れました。

「ククイでレイを作りたくなったわね」というアンティ・ケアラと、「写真でしか見たことがないから、今度作ってみたいなぁ」「お店で売っているお花のレイよりも、身近にある植物で作るレイのほうが素敵よね」などと、花の話がしばらく続きます。「あの葉っぱは、髪に飾るのに最適」「愛の家の裏庭の眺めは最高ね。マウナレオの山もよく見えるし」と、突然、ペケロがギターを片手に歌いだしました。


満開のククイナッツの花


夫がにんまり。どうやら、ソファに沈み込むペケロのお腹にのっていた赤ワインのボトルを、さっとギターに変えたら、条件反射で歌いだしたようなのです。ペケロのギターと歌に聞きほれていたアンティ・ケアラのところに、娘のアイナがウクレレを持ってきました。

あの歌は、この歌は、と十数曲ほど続いたでしょうか、ふと、アンティ・ケアラがこう言いました。

「昔、私が小さいころに、おじさんやおばさんたちが、こうやって週末に集まっては、食事をして、お酒を飲んで、ギターやウクレレを弾きながら夜まで歌っていたのを思い出していたの。それで、いま、ふと、横を見たら、アイナが愛の膝の上で、一生懸命に音楽を聴いていて、あっ、自分はあのときのおじさんやおばさんたちになっているんだなって、気がついたわ」

未成年と呼ばれなくなり、経済的に独立もし、子どもではない年齢になっても、自分のなかで何かが変わったようには思わなかったのに、親になった途端、まるで二つの目を持ったように視点が増えたのは私だけでしょうか。

子どもに話しかけている自分、子どもに言い聞かせる自分、子どもの叱りつける自分。そんな自分を別の誰かがみているような気分になり、「あれ、私、誰かみたい? 誰だろう」「あ、私ったら、ママみたいなこと言っている」「やだ、私、いまパパみたいだった」と、どきり、とするのです。

あのときを見ていた目は、確かに子どもだった自分の目なのに、まるですり替わったかのように、今度は同じあの風景を違う自分が見つめているような気分。

アンティ・ケアラとペケロの奏でる音、深い歌声は、夜中まで続きました。

「アンクル・ジョージ・ナオペが教えてくれた、今日のパーティはもうお終い、というときに歌う曲を歌うわね。もうHana hou(もう一度!)は、今度会うときまでなしね」

と、宴もたけなわでございますが……、の曲が流れるまで。
「どうも、ありがとう」の重さ [2008年03月31日(月)]
「どうも、ありがとう!」と受け取ることの大切さを感じることがあります。


子どもは贈り物を贈ったり、受け取ったりする名人


私たちの日本の文化のなかには、相手の気持ちを考え、自らは控えめに振る舞うという道徳が根付いています。

「こんなにいただいてしまって、申し訳ない気持ちでいっぱいです」
「そんなにしていただいては、ご迷惑でしょうから」
「とんでもございません、私たちは遠慮させていただきます」

私はこのような言葉を自然に口にできる人間でありたいし、生活のなかにある日本の文化の美しさを大切にしたいと思っています。

と同時に、最近、私が思うのは、子どものころから祖父母や両親に言われ続けた、「いただくときは、感謝していただきなさい」という言葉。

実は、先々週から先週にかけて、私のハーナイ・ママのジュンコママのフラ・ハーラウ、“ナー・プア・リコ・ワイ・ホオラ”の生徒さんたち十七人が、マウイ島で合宿を行いました。

ジュンコママのハーラウ、ナー・プア・リコ・ワイ・ホオラは、私のもう一人のハーナイ・ママ、アンティ・ケアラのハーラウ、カノエアウダンスアカデミーのシスターズ・ハーラウ。昨年、ジュンコママがアンティ・ケアラの生徒となり、アンティ・ケアラのスタイルを伝承することになってから、日本で唯一、アンティ・ケアラのスタイルのみを学ぶハーラウとなったのです。


木の下に真剣な顔が勢ぞろい


私のハーラウにとって、日本のフラ・シスターズがやってくるのは一大事、しかも、十七人もの大勢です。アンティ・ケアラと私、私のハーラウのアラカイのカウイは、二ヶ月も前から準備に入りました。

アンティ・ケアラは、ハワイの日本の文化の違いを理解することは、彼女がフラを教えるときに、どのように教えたら一番よいかを知るために重要、という考えを持っているので、まずはいろいろと話し合いをしました。

どうして、日本人の歩幅は狭いのか。
日本人の謙虚の心理とは、どのようなものか。
日本人は郷愁を、どのように表わすか。
日本人にとっての鍛錬とはどのような意味があるのか?

……などから、食習慣をはじめとする生活全般のこと。食事のことなどはとても細やかに考えていて、彼女の定番料理のハワイアンシチューに、お肉の脂肪分をどのくらい入れるのが日本人の口に合うのか、までを気にしていました。

アンティ・ケアラは七十年代にはじめて日本に行き、ミュージシャン、ダンサーとして半年間滞在したこともあり、そのとき印象に残った、美しい自然のある日本と謙虚な気持ちを忘れない日本人の文化が大好き。特に、日本の人の控えめな振る舞いは、とても美しく、Ha’aha’a(ハワイ語で謙虚さの意味)を大切にするハワイの人々の文化と近いものだと感動したとか。

今回の合宿にやってきた十七人は、ジュンコママと生徒の三人をのぞいて、私がはじめて会う人ばかりでした。アンティ・ケアラやカウイにとっては、ジュンコママと生徒の一人以外は初対面。

お互いが遠慮のない関係に、急になれるわけではありませんが、声に出して私が繰り返し言ったのは、「どうぞ、何でも、遠慮なく言ってくださいね」でした。

アンティ・ケアラやカウイや私は、この一週間という限りある時間のなかで、練習、時間、経験などから、食事まで、私たちがみんなに受け取ってほしいと思っているものを用意してありました。そして、合宿の目的を達成したいという参加したみんなの気持ちを受け取る心構えをしていました。

ですから、いま、ここに、目の前にあるものを、遠慮しながら受け取ってほしくなかったのです。

私と二人のハーナイ・ママとの関係は親子、ハーナイ・ママの生徒は、私にとって姉妹。親子や姉妹の間に、受け取るのに時間がかかるほどの遠慮は、決して必要ありません。


一生懸命はとってもきれい


そして、気持ちは通じるものなのですね。

合宿は大成功でした。心と体を溢れんばかりにいっぱいにした十七人は、「どうも、ありがとう」の涙とともに、日本へ戻っていきました。朝から晩まで、夜中の十二時をすぎても、汗をかきながら練習した日々は辛かったはずです。正直、私とカウイは練習のあと、ショウに踊りにいったときには、足がもつれ、出番の直前まで舞台で横になって体力を充電したこともありました。

アンティ・ケアラとカウイと私は、今でも合宿の思い出話を笑っています。毎朝、「How are you ?」と尋ねると、顔も体も相当疲れているように見えるのに、「I’m fine」とがんばって答える十七人、練習中に出た千代の富士引退宣言「体力の限界です」(古い話題なのに、状況にあまりにぴったりで大笑い)、用意したハワイアンシチューの特大鍋が空っぽになったこと。

私がうれしかったのは、この合宿で、十七人のみんながフラの技術が上達したことよりも、受け取り上手になってくれたことでした。

受け取り上手のみんなの「どうもありがとう」は、きっとみんなの毎日の生活をピカッと照らしてくれると思うから!
宝物が届きました [2008年03月25日(火)]
宝物が届きました。

みなさん、覚えていますか? 今年のはじめに、私が宝物探しにでかけたこと。

エディトリアルライターの内田あやさんと、フォトグラファーの山本哲也さんと、コーディネーターの私が見つけた宝物たちは、雑誌『FIGARO voyage』になって、今月の十五日に発売しました。

雑誌『FIGARO voyage』は、『FIGARO』という雑誌から生まれ、旅をメインテーマとして扱っている雑誌です。年に数回の発売のなかで、都度、違う旅先が選ばれるのですが、ハワイははずすことのできない人気の旅先とか。

どっさりと届いた雑誌、表紙には目の覚めるようなピンク色のアークリクリの花のレイ。



今回の特集は、オアフ島、ハワイ島、マウイ島の小さな町。

ページをあけると、素顔のハワイがいっぱいでした。ワイキキから車で三十分の静かな海、地元のマーケットで“採れたて”“できたて”を味わうオアフ島、太陽の家“ハレアカラ”からはじまる虹色ドライブルート、自然と一緒に暮らす人々の笑顔が溢れるマウイ島、心と体にエネルギーをチャージする癒しとスロウフードの情報が満載のハワイ島。

日常を離れて遠く旅をするということが、限りなく身近な存在になることの楽しさを教えてくれる『FIGARO voyage』ならではの内容です。

私はマウイ島の宝物探し担当でしたが、オアフ島、ハワイ島の探検隊の成果が集結して、宝箱をひっくり返したように盛りだくさんな一冊。取材のあと、校正作業といって、情報が正しく原稿などに記されているかを確認する作業があるので、マウイ島のページにどのような原稿や写真が掲載されているかを知ってはいたのにもかかわらず、やはり、印刷、製本されて、形になると、「手に取る」ことの良さというか、実感がずっしりと伝わってきます。

ほかの島のページを読み終わった後には、いくつもの旅をした気分でした。

マウイ島の取材では、宝物探検隊の三人のそれぞれに、お腹にずんと響くような出会いがありました。



波を愛するフォトグラファーの山本さんは、マウイ島のラジオ局でのインタビュー取材にやってきてくれた、人気のミュージシャン“エコル”のメンバーと、同じ波に乗る友人同士として、かけがえのない時間を過ごすことができたようです。エディトリアルライターのあやさんは、実はこのブログでもご紹介したように、ボディーワークの専門家。体を動かすという点で、ハワイの文化の象徴でもあるフラの動きに触発され、日本に戻ってからも、フラダンサーの手の指の動きが忘れられなかったとか。

もちろん、約二週間の取材のなかには、大変なこともありました。やはり、日本とは違う環境ですし、車での移動も多いので、体調が悪くなることもあります。体と心はつながっていますから、体を大切にしなければ、心も不安定になってしまいます。限られた時間のなかで仕事をするには、睡眠、食事などはとても大切でした。

また、マウイ島は、東京のようなビジネスに特化した場所ではありませんから、このゆったりした時間の流れが、仕事をしようとするときには、時に、もがきたくなるほど遅く感じます。取材のはじまりには、取材チームがどんな風に時間や意識、役割を配分するかをはかったり、話し合ったりしなくてはいけませんでした。特に、コーディネートの仕事で、私が気をつけたのはこの点でした。

仕事が順調であろうと、そうでなかろうと、三人でしか助け合えません。腹を割るという言葉にあるように、お腹に手をあてて、探検隊のチームワークを作ることができたからこそ、宝物を日本に持ち帰ることができ、みなさんにお目見えすることができたのです。

私はこの仕事をくださった『FIGARO voyage』の編集長にも、あやさんにも、「私のコーディネートの仕事は、今年はこれでもうおしまいです」と伝えました。

いまの私にとって、コーディネートの仕事は、宝物を持ち帰ることではなく、宝物を育みながら暮らすことですから。

「コーディネートの仕事を『FIGARO voyage』のためにしてくださいませんか」という編集長の有難い言葉は、私にとっては「『FIGARO voyage』にあなたの宝物をシェアしてくださいませんか」ということでした。

私は、私の想いを理解してくださって、声をかけてくださる編集長と、読者のみなさんに、喜んで宝物をシェアしようと思いました。

宝物は、私にとっては特別な人たちや物ですけれど、それは、どこにでもある、誰もが持っている普通のもの。あまりに普通すぎて見落としてしまいそうなほど、素朴なものです。誰もが、その人にとって大切な宝物がある、というだけのことです。

それらは、私と同じように宝物を大切に思ってくださった山本さんとあやさんの手で、とっても素敵なページになって、今年一年中、たくさんの読者のみなさんと、私の想いを分け合うことができる時間を作ってくれました。



これから、雑誌をもって、宝物たちに会いにいきます。

「どうもありがとう、これからもそばにいてね」って。
香時間 [2008年03月13日(木)]
雨の季節が通り過ぎたことを知らせてくれる匂いが、朝夕に漂いはじめました。

我が家の庭に咲くピーカケです。白く小さな花で、別名はアラビアンジャスミンとか。私は大好きなこの花を前にすると、鼻の穴に花を詰めておきたいという衝動にかられるのを、抑えなくてはいけません。



娘が一度、私が眠っているときに本当に、鼻に花を詰めたことがあったのですが、どんなによい香りでも、鼻につめると匂いは味わえません。ということで、いまは、体全体を鼻にして香りを吸い込むことにしています。

このピーカケ、ハワイでは、プリンセス・カイウラニの花として愛されています。プリンセス・カイウラニの名前は、ヴィクトリア・カラニヌイアヒラパラパ・カヴェーキウ・イ・ルナリロ・カイウラニ。スコットランド人のお父様と、ハワイ王国第七代目の王様カラカウア王の妹、リケリケ妃をお母様とし、カラカウア王の養女として育ったプリンセスです。

当時のワイキキには、たくさんの王族の人々が暮らし、プリンセス・カイウラニは、アーイナ・ハウと名づけられた場所に館をもち、お父様が世界中から取り寄せた珍しい植物が植えられた美しい庭に囲まれていたそうです。

その庭には、お母様のリケリケ妃がプレゼントした白い孔雀が数匹、プリンセス・カイウラニの愛する白い孔雀(ハワイ語でピーカケ)にちなみ、彼女の好んだアラビアンジャスミンは、ピーカケと呼ばれるようになりました。


プリンセス・カイウラニの肖像画とピーカケ


余談ですが、日本の明治時代に、日本を正式訪問したカラカウア王が、明治天皇に養女であるプリンセス・カイウラニを日本の皇族の山階宮定麿王の配偶者にしていただければと、申し出たという逸話もあります。

ハワイ王朝は、プリンセス・カイウラニの伯母であるリリウオカラニ女王を最後に王朝を閉じたため、カイウラニは最後のプリンセスとなりました。イギリスへ留学し、流暢なイギリス英語と王女としてふさわしい行儀作法を身につけた彼女は、ギターやウクレレを弾きこなし、乗馬やサーフィン、文学を愛する才能豊かな美しい女性。ハワイ王朝が米国に統合されるという歴史的な出来事の際も、ハワイの人々のために心を砕いた人物として、今もハワイの人々に愛されています。

彼女のために歌われた歌は数多く、私たちが彼女の曲でフラを踊るときは、ピーカケの花のレイを纏います。レイはこの小さな花をつむいだものを長く垂らすこともあれば、短めのものをいくつか重ねて使うこともあります。私が一度、そのあまりの美しさに驚いたのは、ピーカケのつぼみで作った長いレイを幾重にもしたもの。まるで真珠の首飾りのように輝いていて、その香りといったら、つぼみがどれだけの香りを封じ込めているのかを知る思いでした。

我が家では、このピーカケは、娘がレイを作って遊ぶほか、お風呂にいれたり、部屋に置いたりして香りを楽しんでいます。香りとともに、プリンセス・カイウラニの物語や歌を思い出したり、この香りが好きだという家族や友人のことを考えてみたりと、香りが私に贈ってくれる時間は、私一人が過ごす時間とは比べ物にならないほど豊かです。



花の匂いに限らず、匂いは目に見えないにも関わらず、想いをいざなう名手でしょう。

私は、娘が小さいころ、娘の匂いが大好きでした。よく、匂いをかいで、笑われたりしたのですが、彼女の匂いは本当にいつも私をほっとさせてくれる匂いです。「あぁ、お母さんになってよかった」と思わせてくれる匂い。

いまは娘がもう六歳なので、匂いといえば、学校で食べたパンケーキのシロップを髪の毛につけてきたり、埃臭いような真っ黒な手足に、「早く洗いなさい、お風呂に入りなさい」と口うるさくなってしまうのですが。それでも、不思議なことにいまも、私がすぅーっと抱き寄せたくなるとき、彼女からは私の大好きな匂いが少しします。

ハワイでは、亡くなった人に想いを馳せたり、亡くなった人が何かを伝えようとするときに、その人が好きだった花の香りが、花がないにも関わらず、強く香ると言われています。人を花に例えることの多いハワイならではですね。

私は、香水などをつけるのが好きではないので、基本的には無臭、私から香るとしたら体臭か、シャンプーなどのちょっとした香りです。でも、ピーカケの香りだったら、いつもそばに置きたいと思った私は、アロマオイルや、香水などでピーカケのものを買ったこともありました。

確かにかなり近く、よい香りのものがあるのですが、私はやっぱり時期を待つことにしました。なぜか、どんなによい香りの香水も、花が咲くのを待って、香りを楽しむほうがよいでしょう、と私に訴えかけてくるのです。



香りを待つこと。

これは三十歳の半ばになってから、いくらかできるようになった「待つこと」のひとつ。

今日は、咲きそろいはじめたピーカケを娘の部屋へ。

小さな鼻の穴が心地よさそうに広がるの考えただけで、笑いがこみ上げます。きっとこんな時間が、我が家の香りの思い出をつむいでくれるのでしょう。
鯨がサイミン・ヌードルを食べる [2008年03月06日(木)]
最近、ずいぶん日が長くなってきました。

朝、まだ星が見える時間に娘の乗るスクールバスを見送ることも、急に迫ってきた夕闇に驚くこともなくなり、まだ風は冷たいながらも静かな春の訪れを感じます。うららかな春の風情を味わいたいところですが、欲張りな私は、日が長くなると、あれもできるし、これもできるし、と考えるだけでうれしいだけです。

数日前、東雲色の朝焼け空を見ながら、学校に行く娘に質問をしたことがありました。

「ねぇ、お日さまはどこから昇ると思う?」
「山だよ、ほら、朝、ハレアカラから昇ってくるじゃない」
「……。じゃあ、沈むのは?」
「海だよ。だって、月曜日のショウから帰るとき、いつも見えるでしょ」


我が家からの朝景色


娘の世界では、日は山から昇り、海に沈んでいました。

ところが、先週末、恒例のフラの練習の時間に、娘の世界が大きく広がる事件がおきたのです。私たちは古典のフラ、カヒコを踊るとき、踊る曲、つまり「本題」の前に必ず「序章」があり、後には「終章」があるのですが、「序章」で語られるテーマは、日の出。日の出について、話し合うことになりました。

「日が昇り、日が沈むこと」は、有名な君子の楊子法言の「初め有る者は必ず終わりあり」、また「起承転結」同様に、本題をうたい起こし、承け、転じて、結ぶ、という物事の順序。自分がお日さまではなくとも、あまりに当然なことであっても、大切なことです。

その「序章」「起」で語られる日の出を、まずはマウイ島で確認してみました。六歳から五十歳までの練習に集まっている私たち生徒は、それだけで大騒ぎ。

「日が昇る方角はどっち?」
「南〜!」
「東」

「どっちが東なの?」
「右、左、前、後が、Whale Eats Saimin.だから、あっちが東」

(Whale Eats Saimin、鯨がサイミンヌードルを食べる、というのは、マウイの子どもの東西南北の覚え方。右がWhale、WではじまるのでWest、左がEats、EではじまるのでEast、前後が南北で、SaiminのはじまりのS、Southと、終わりのNの、North)

「え〜っ、どうして鯨がサイミン食べるの〜?」
「日はハレアカラから昇るよ、だって見たもん」
「ハレアカラは私の家からは見えないけど、あの山からよね〜」

と、子どもたちが散々騒いだあと、大人がしめやかに、

「ハナ」と一言。

そうです、マウイ島の東はハナ、西はラハイナになります。ところが、クムのアンティ・ケアラからは次なる質問が。

「ハナのどこ?」

今度は大人たちが、頭を寄せ合い、やっと答えが。

「カウイキの岬」


マウイ島の東、ハナのカウイキの岬から


島に長年住んでいても、意外とすぐには答えがでないものです。

私たちはその後さらに、オアフ島、ハワイ島、カウアイ島、ラナイ島、モロカイ島を調べ、カホオラヴェ島とニイハウ島のように地図の入手が困難なものまでを調べあげました。よく考えてみれば、日本の最東端は南鳥島と習った記憶はあるものの、日本の四つの大きな島、北海道、本州、四国、九州の最東端を、今すぐに言うことなどできません。

うっ、不勉強〜。これは課題ですね。

さて、今朝は学校に向かう娘、まだ山の向こうにいる太陽に、

「太陽はハナから毎日遠足にいくんだね、ラハイナに」の一言。

一年は三百五十六日、十二の月があり、一月は二十八日から三十一日で成り立ち、一月は週でわけられ、一週間のなかには、月曜日から日曜日までの曜日があって、一日は二十四時間で、一時間は六十分で。

私にとって、あまりにも当たり前のことを、六歳の娘は最近少しずつ学び始めているようです。それは、私には当たり前のことが、当たり前すぎて見えていないことの発見でもあり、強張った頭をもみほぐす、よい機会です。

「毎日、遠足で楽しいだろうね」
「大変なこともあると思うよ」
「でも、いいんじゃない、それでも」

と、どっちが親で、どっちが子どもかわからない会話で、我が家の今日がはじまりました。


朝のひとときは、一日のなかで私が一番好きな時間
フラダンサーのお道具・その2 [2008年02月27日(水)]
三十路に入ってからの体力勝負仕事。

ホテルのショウで毎晩踊るようになって、すでに一年半が経ちました。フラを学ぶことは一生できることですけれど、仕事としてフラを踊ることができるのは、一体何歳までなのかな、とぼんやり考えていた私に、先日、目覚めの水をひっかけたのは、アンティ・マリヒニ。

「踊り続けていたら、五十歳になっちゃったわ」

アンティ・マリヒニは、私の働くホテルの屋外ステージの方で踊っているダンサーなのです。ホテルのバンケットルームのディナーショウを担当するダンサーのなかで、一番の年上は私、野外ステージでのショウではアンティ・マリヒニが一番の古株というわけです。

一年半の間には、メイク道具が一式入ったバッグと、何枚もある衣装をさげての通勤が常の風景になり、メイクアップやヘアスタイルをセットする時間もはじめたころの半分以下、舞台や迫(せり)から落ちたり、舞台の板付きの袖に衝突したりもしなくなり、青あざがめっきり少なくなりました。

さて、今回は『フラダンサーのお道具・その1〜爪楊枝〜』に引き続き、愛着のわいてきたメイク道具バッグのなかから、「顔を作る」道具をご紹介しますね。



「顔を作る」、歌舞伎をはじめ、舞台芸術一般で使われるこの言葉、普段の生活でまったくお化粧をしない私が、舞台のためにメイクアップをするとき、使いたくなる言葉です。

歌舞伎の世界での顔作りに必要な、白、黒、赤、茶、藍。私の顔作りにもこの色合いが共通しています。舞台の上はとにかく照明がしっかりあたるので、誰の顔にでもある、鼻筋や目のまわり、口元、頬骨などのつくる微妙な陰影はなくなってしまうのです。

まずは、白。いろいろな肌色のダンサーがいるなか、私は黄色味がかった肌色なので、真珠ような自然な温かみのある白、照明があたったときにしっかりと白さが浮き立つように、光沢のあるものを。このとき、アイラインを引く目の際をしっかり白くしておくことを忘れません。



次は茶色、そして、黒。白と黒だけでグラデーションを作るので、間色として、私は肌色にもあう茶色、少し赤みのある弁柄色のようなものを選んでいます。この色を顔のなかで影になる部分にのばします。



黒はまるで隈取のような役目です。歌舞伎が大好きな私としては、隈取に秘められた様々なストーリーを考えずにはいられません。隈取とは歌舞伎独特の化粧法、時代物の役のそれぞれの性格によって色合いや描き方を変えて描かれるもの。

みなさんにもお馴染みなのは、歌舞伎十八番の『暫(しばらく)』の鎌倉権五郎などでしょう。英雄の隈ときたら、筋隈と呼ばれるもので、こめかみから頬、眉間から額、鼻から頬、口元からあごへ、と力強い隈です。

これ以外にも、この筋隈よりももっと筋の本数を少なくした一本隈などもありますが、私が一番素敵だなと思うのが、『助六』の助六などがひく、むきみ隈というもの。目元から眉にかけての筋にすいっとひいた隈が、若々しいさ、潔さ、涼しさ、そしてほのかな色気を感じさせるのです。

化粧品をいざ選ぶことになって黒という色がこんなにいろいろあるとは思いませんでした。私のなかで、黒は黒炭。黒炭に一番近いもの選び、大向こうから「成田屋〜っ」と声がかからんばかりに気合をいれてアイライン。(市川團十郎家の皆様に失礼とは思いながら、助六張りの勢いの私……)

そして、最後は赤、紅色でございます。先に濃赤でラインをひき、影をつくってから紅をさし、さらにゴールドバール入りのグロスで仕上げ。この赤、実はなんとも気持ちが引き締まるものでして、私的には顔作りを終え、「今日もがんばるぞ!」と、いつもの神宮寺愛からダンサーの神宮寺愛への、一瞬のスイッチの入れ替えになっているのです。



変わること。

二つの違う状況を目の前に、人はその違いが技術で生み出されたものだと思ったり、意識や意図によって動かされたものだと考えるでしょう。確かに、いろいろなメイク道具やメイクアップの技術によって顔が作られ、すっぴんの私が、ダンサーの私に変わりました。

この変化を目でみるのではなく、心で見てみたらどうでしょう。目でみた変化は、二つの違う状況が見えることでしかありませんよね。目で見て、どう違うのかを口に出して言いたくもなるでしょう。でも、私は、変化を心で見て、それを信じることによって、変化からパワーが生まれると思うのです。

一枚の白い布を、一瞬にして造花の赤いバラに変えるマジシャンが、拍手をもらえるのは、その技術はさることながら、白い布と赤いバラという二つの事実。その変化を心で見て信じたことによって、拍手が生まれるのではないでしょうか。

フラダンサーのお道具・その2は、私のメイク道具の入ったバッグ、私のスイッチでした。みなさんも、変化から生まれるエネルギーを上手に使ってみてくださいね。小さな変化も、大きな変化も、毎日のあちらこちらにありますから!
1、2、3、SMILE ! [2008年02月20日(水)]
我が家の六歳の娘の宝物箱をのぞくと、貝殻や、木の実、なにやら光る大小のかけらに混ざって、デジタルカメラが鎮座しております。



紙やブロックで作ったカメラで十分と思っている我が家に、娘専用のデジタルカメラがやってきたのは、去年の夏。私のハーナイママのジュンコ・ママが、ずっと使っていたデジタルカメラを、お古だけど、と娘にプレゼントしてくれたことにはじまりました。

それまで、私や夫が仕事で使う本物のカメラを羨ましそうに眺め、「絶対にさわっちゃだめ。お仕事で使う大切なものだから」と私たちに口うるさく言われていた娘は、そのカメラを手にしたときには、飛び上がらんばかりでした。

以来、バッテリーの充電や、カメラの管理を、大きな失敗もなく、しっかりやっているところを見ると、彼女なりの責任感をもってカメラを大切にしているようです。

さて、昨日、そのカメラをふと手にとってみると、なんと写真の保存枚数は千枚を越えています。驚いてメモリーカードをチェックすると、彼女の使っているメモリーカードは、私のものよりも遥かに容量の多いものでした。

何を千枚も撮ったのだろうと、こっそり写真をのぞいてみた私を、すっかり笑わせてくれたのは、彼女の写真の撮り方。

たとえば、どこかに食事に出かけたときの写真といえば、まずは車に乗り込んですぐの自分の足、次に車窓から続けざまに目的地までの写真を二十枚ほど、そして、レストランに到着するとお店の人や一緒にテーブルに座っている人を下からのアングルでパチリ、素敵なインテリアや彼女が気になる存在を十数枚、運ばれてきた美味しそうな食事をかなりの至近距離で……、それだけで、ゆうに百枚を超えているのです。

おびただしい写真は、まるで彼女の目線そのもの。

彼女よりも背丈のある大人たちが右往左往する姿、何か一生懸命に働いている後姿、楽しそうに笑う横顔、大人たちの世界を子どもが見るとこうなるのだな、と、娘の写真にすっかりのめり込んでしまいました。



食欲たっぷりの近さで撮ったカレーライスや牛乳、大好きなピカピカに光る物たちに吸い寄せられている娘の目、ふっと空を見上げたときの時間、たわわに実る果物、咲き乱れる花々、自分の体のなかで被写体によいのは足……。




「あ、いま、自分の目がカメラのレンズになって、パチリって撮れたらいいな」という願いが簡単にかなってしまったような、まばたきの瞬間でした。

カメラを構えれば、つい、いろいろと考えてしまう私の悪い癖。いままで仕事でお付き合いしたカメラマンの皆さんの凄腕を見続けたからでしょうか。人様に見せる写真など、私には撮れないし、そもそも恥ずかしいし、と頑なになりすぎるのでしょうか。

そんな私が、仕事として、「写真を撮れます」と進んで言えるようになったのは、二年ほど前でした。拙著『心と体がピュアになるハワイアンな暮らし』を青春出版社さんから出していただいたあとのことです。

この本の写真は私が撮ったのですが、担当の編集者さんやデザイナーさんに写真をお渡ししたときは、原稿のそれに比べて百倍の恥ずかしさでした。しかし、恥ずかしさに勝る勇気をくれたのは、フォトグラファーの田巻照敏さん。「写真、愛ちゃんも撮りなよ」という彼の一言は、私の背中をかなり強く押しました。

田巻さんは、木村拓哉くんなどをよく撮影しているほどの敏腕フォトグラファー。家族と田舎の自然と温泉をこよなく愛し、車やバイクで日本中をどこでもどこまでも。ですが、私、実はご本人が、すごい恥ずかしがりやさんなのを知っています(ふっふっふ)。カメラをパチリとやったあと、被写体に「ちっくしょー、おまえ、すげーなー」と心のなかで言い、そして照れてしまう彼は私にとっては、「おまえもすごいぞー」というお人。

写真は、私にとって、原稿と同じように、踊ることと同じように、想いを伝える手段になりました。ひとつで勝負できないなんて、と意気込んでいた二十代の若い自分は跡形もなく、手段はひとつではないほうが、といえる三十代が、半ばに至る今時分、どうやら板についてきたようです。

「ねえ、ママね、カメラのなかの写真見たよ。とっても好きだな、アイナの撮った写真」
「どうもありがとう。ママのも素敵だからね」
「あら、ありがとう。じゃあ、もっとがんばるね」
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プロフィール
神宮寺愛
エッセイスト×フラダンサー
東京での出版社勤務を経て、現在はエッセイストとして活動。マウイ島ワイルク在住。著書『心と体がピュアになるハワイアンな暮らし』(青春出版社・刊)他。フラやハワイ語等を学ぶダンサーでもあり、カノエアウダンスアカデミー所属。現在カアナパリビーチホテルのディナーショーにレギュラー出演中。