pappoのえ〜とart+
ティッシュアート、模写や習作をノッケテいきます
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ツタのからまるチャペルで
[2007年08月25日(土)]
古いチャペルの壁にからまるツタをイメージしたんですけどね
Posted at 20:51 |
ティッシュアート
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牡丹を線画で
[2007年08月24日(金)]
サインペンで牡丹を描いてみましたぁ。。。
線画みたいなエッチングみたいな、いつものティッシュアートと一味違った雰囲気になりましたよ。。。
Posted at 19:10 |
ティッシュアート
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ハイビスカス
[2007年08月21日(火)]
まだまだ暑いですねぇ
mappyのリクエストにお応えして、久しぶりのティッシュアートでし
今日はハイビスカスをCOOLな感じで描いてみましたよぉ
Posted at 13:39 |
ティッシュアート
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私のことC
[2007年08月18日(土)]
この日から私と病気の闘いは始まったのだと思うが、14年経った今も私は同じ病と闘い続けている。
14年。。。
なぜだろう? と思う。
なぜ治らないんだろう、と。実際簡単なことなのだ、太ればいいのだ、それだけなのだ。
それだけなのに、それができない。
いや、益々症状は厄介になってきている気がする。
ただこうも言える。
14年経った今でも私は生きていると。
何人もの医者から「死にますよ」と脅され続けながらも、私は未だに生きている。
人間ってスゴイ、という的外れなことを考え、そのスゴイ人間の一員であるはずの私は今も病に囚われているという事実に打ちのめされる。
そういえば、昨日弟が珍しく会いにきて、人に会ってみないか? と言っていた。
弟は私が摂食障害の集まりに参加し、グループミーティングに顔を出し、似た立場の友人や知人が何人かいることも知っている。
その弟が会って欲しい人がいるという。どんな相手かはよくわからない。弟は具体的に言いたそうにしていたけど、私は聞くのが怖かった。
弟はちょっと変わっていて、写真命というところがある。
いい写真を撮るためには誰をどう傷つけても気にしない、いや傷つけたことにさえ気がつかないというような男だから、たぶん写真に関わることだろうと想像がついたから。
弟は私の裸を撮りたい、と言うに決まっていると思ったし、そんなのはゴメンだと思った。自分が綺麗だと信じていられた14歳の頃の私なら「綺麗な内に裸を残しておいたら」という弟のたわ言にも熱心に耳を傾け、大いに悩んだかもしれないけれど、今ではそうは思わない。
弟は「今でも綺麗だよ」と言う。
痩せて骨と皮だけになった私から眼を逸らさず「綺麗だよ」と言ってくれるのは弟だけだ。最初はバカにされているのか? と思ったこともあったけれど、弟にはそんな素振りはない。真面目な顔をして「綺麗だよ」と言う。
「もし姉さんが姉さんじゃなかったら」と言う。私はその先を聞くのがおぞましくて、言葉を遮る。セックスはゴメンだと思っている。セックスのことは話を聞くだけでもゾッと背筋が寒くなる。「バカじゃないのアンタ」とできる限り突き放した口調で言うと弟はそっと肩をすくめる。
弟が「綺麗だよ」と言うと母は弟をとがめる。
別の部屋で「アンタがそんなことを言うとまたあの子がおかしくなる」という押し殺した声が聞こえてくる。
弟は大声で「姉さんのどこがおかしいんだ」と反論する。「姉さんは今でも綺麗だよ」と真面目くさった声で反論する。
私は弟の声を聞きながら、こんな私を綺麗だと言う弟もきっと狂っているのだろうと思い、哀しくなる。
でも弟の頼みは聞こうと思う。
誰だか知らないが、弟が会って欲しいと言うのなら、会ってみようと思う。
弟が会って欲しいというのなら、写真に関わることだとわかりきっているけれど、私は多分利用されるだけに違いないとわかっているけれど、それでも会ってみようと思う。
利用され、今ではない、どこか別の場所に運ばれていくのも悪くないかもしれない、と思う。
Posted at 12:45 |
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私のことB
[2007年08月18日(土)]
それはともかく、私は病院を変えることで母を診察の場に引きずり出すことに成功した。医者が「この子は病気ですよ」と言うとカラダの芯からゾクゾクするのを覚えた。
医者の眼に「こんなに痩せてしまって」と気の毒そうな色が浮かぶと私は歓喜した。
そう私は可哀想なの。もっとこの女に言ってやって。神妙な顔をしてかしこまっている母という名のこの女に、もっと言って、と心で叫んだ。
この頃までは「病気」という響きが私にとって大きな慰めになり、私を守ってくれる砦になってくれていた。
2年後14歳になった私は、とうとう母に受験をあきらめさせ、この戦いに勝利をおさめた。さらに痩せを理由に不登校を決め込み、母もその結論を飲まざるをえなかった。誰が骨と皮の化け物になった娘を学校になど行かせたがるものだろうか。
私はこの結果にも満足していた。
私は有り余る時間を全て痩せることにつぎ込んだ。食べる量を極力減らした上で、毎日走り続けた。道行く人が私を驚いて見ていく様が愉快だった。
見知らぬ女とすれ違う時にはその女の体型を厳しくチェックし、見た目で体重や体脂肪率を測り、すれ違いざまに「私の方が勝った」と勝利の余韻に酔った。
この頃の私はまさに全能者だった。
体重を思うようにコントロールし、つまり痩せようと思えばどれだけでも痩せることができ、しかも誰よりも美しく、母との戦いにも勝ち、怖いものなど何もなかった。
その価値観があっという間にひっくり返ることが16歳の夏におきた。
8月、炎天下の中、私はいつものように食事を抜き、近くの森林公園を走っていた。
大地を踏みしめる足には力がみなぎり、握りしめた拳には自信があふれていた。
いつものコースをいつものように走る充実した時間であるはずだった。
走る足元にセミの死骸や幼虫の抜け殻が何匹も転がっていた。私はそれらを踏まぬよう心持ち注意しながら走った。
その内の何匹かを飛び越えた、その時、一匹のセミの死骸に嫌なものを見た、という感覚が芽生えた。
私はそのまま走り過ぎようとして、ハタと足が止まってしまった。二三歩戻り、その死骸を眺めた。
その死骸は空気が抜けたビーチボールのように顔の辺りがしぼんでへこんでいた。アリに中身を食べつくされたせいだろうか? それともこの炎天下のせいだろうか? 顔が陥没し、すっかり水分を失い干からびていた。
その死骸を見て私は急に、これは今の自分ではないか、と思った。
私はこの干からびて奇妙な元生き物を眺めることで、初めて第三者の眼で自分自身を眺めることができた。
病院で私と同じように痩せた人を見かけても「私の方が勝った」とか「負けた」とかそういうことにしか気が回らなかった私が、セミの死骸にはなぜか「これは私だ」と唐突に思えた。
私は急にイライラした気分になり、走るのをやめ、そのまま家に戻った。
シャワーを浴び、ベッドに寝転んだ。
いつもはシャワーの後で鏡に全身を映し、しげしげと自分の体を眺めるのに、今日はそんな気になれなかった。
その夜、私は目覚めると、急に恐ろしくなり、そして惨めな気分になり泣いた。しかし母を呼ぶ気にはとてもなれなかった。
この頃はもう、母は結局自分の世界で生きていく人なのだ、何をやってもわかってもらうことはできないのだ、という諦めの気持ちがあった。
あのセミのように死ぬのかもしれない、という恐怖があった。
医者から何度も言われた「このままではアナタ死にますよ」という言葉が急に生々しく甦ってきた。
この時私は「病気」という事態が急に惨めなモノに思えてきた。
これまでの私は「そうよ私は病気なの」と病気であることを鼻にかけて自慢するような所があったが、今ではもう「病気」であることを隠したい、という気持ちの方が強くなっていた。
そうか、私は病気だったのか、と初めて気づいたような気がした。
翌日、台所に立つ母の背中に思い切って「私って病気なんだね」と言ってみた。何度も診察に付き添った母の答えを知りたかった。
振り返った母は皮肉な笑いを浮かべて「何を今さら」と答えたきり、再び背中を向けた。
そうか、私は病気なのか、と今さらながら私は思い知ったのだった。
Posted at 12:43 |
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私のことA
[2007年08月18日(土)]
その頃、本屋で立ち読みしたファッション雑誌で「甘いのに痩せる」というダイエット飲料の広告を眼にした。その時私は唐突に痩せようと思った。もうちょっとウエストの辺りを、太ももを、二の腕を、そう考え始めると、体のあちこちに「あとちょっとだけ痩せたい」と思う部分があるのに気づいた。
今考えると、あのダイエットを始めようという気持ちは、単に問題の先送り、現実を見たくない、という気持ちの現れだったのだと思う。
勉強を始めると急に部屋の片づけをやりたくなることがある、つまりはあの気持ちと似ている気がした。
母は私が机に向かっていれば安心するような人だった。
顔を見れば勉強しろ、としか言わない人だった。でもとっくの昔に勉強する気が失せてしまっていた私は母と顔を合わせるのが苦痛で仕方なかった。
私は痩せることに没頭した。
痩せは受験勉強と違って、努力すればそれなりの結果をインスタントに得ることができた。
痩せることには達成感があった。
「やればできるじゃない」と誰かに肩を叩かれているような気持ちになった。
あの頃の私は痩せることに逃げ道を求めた、とそう考えることもできるけれど、それだけではなかったことが今ではわかる。
私は子供のように痩せて小さくなってしまいたかったのだと思う。なんの重荷も背負わずにいられた小さな子供の時に戻ってしまいたかったのだと思う。
そのことこそが逃げ道を求めるということだろ、と長いこと自分で自分を責めてきたんだけど今ではそれだけじゃなかったんだと自分を慰めてあげることができる。
あの頃の私は母にわかった欲しかったんだ、こんなに私は苦しんでいる、こんなに痩せてしまうほどに、母の価値観にがんじがらめに縛られている。もう許して欲しい、母の価値観という檻の中から私を解放して欲しいと心が叫び声を上げていたんだと思う。
母に察して欲しかったんだと思う。
当事の私には息をする自由もなかった。今ではハッキリ言葉にして言える。私は追いつめられていたんだと。
でも、医者も担任も塾の講師も誰も母にそう言ってくれる人はいなかった。ましてやこの私に「君は追いつめられているんだ。もういい、君は十分に頑張った。少し休もう」と言ってくれる人はいなかった。
医者の「この子は病気なんですよ」という言葉に歓喜した私だったが、医者の言葉はそこで終わりだった。私にとってはその後の「ゆっくり休ませてあげて下さい」という言葉こそが肝心だった。
母は痩せて骨と皮になった私を奇妙な生物を見るような眼で見た。
それから母は、私をこんな風にしたのは「病気のせい」と言うようになった。じゃあ病気になったのは誰のせい? と私は母に尋ねたかった。「アンタのせいよ」と言いたかった。
でも母から「それはアナタが弱いからよ」と言い返されるのが恐ろしくて、一度も口にしたことはなかった。
私は何度も医者を変え、その都度、母を診察に同席させた。母は初めての病院には必ずついてきた。この医者がまっとうな医者かどうかを見極めようと査定に臨むような眼をしていた。私を守るため? そうではない。
母は新しい医者がどっちの味方かを見極めようとしていたのだ。自分の味方か娘の味方か? 娘に余計なことを吹き込むような腐った医者じゃないか、それを気にしていたのだ。
Posted at 12:43 |
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私のこと@
[2007年08月18日(土)]
初めて医者に診てもらった時、私はたったの12で、母が隣に座っていた。
鼻ひげを生やした中年の痩せた医者が厳かな口調で母の顔を見ながら「娘さんは病気ですよ」と言った時、私は心の中で喝采を上げたのを憶えている。
やっと言ってくれた、そう思った。
そう、私は病気なの、もっと言って、何度も言って、そう思ったのを憶えている。
でも、それから何度か診てもらっている内に、母は一々病院にまでついてこなくなった。
母のいない診察室でいくら「アナタは病気ですよ」と言われても、それはあまり嬉しくなかった。心の中で「は? なんの病気だって? いい加減なことを言うな、このヤブ医者が」と毒づいたりしていた。
今考えると、あの頃の私は誰か、母が耳を貸しそうな大人の誰かに「この子は病気なんですよ」と言ってもらいたかったのだと思う。「病気だから、少し休ませてあげて下さい」って、そう言ってもらいたかったんだと思う。
当事の私は、偏差値70近い女子名門の中学受験のため朝から晩まで勉強漬けだった。朝は5時起きで、体操と練習問題、学校を終えてからは塾通い、塾が終われば夜の11時までその日の復習。勉強勉強勉強の毎日。
それでも平気だったのは目標があったから。とにかくあの中学に入りさえすれば、あとは楽ができると思っていた。
中学受験を間近に控えた年明けの頃、担任と話している時に、その中学は高等部まではエスカレーター式に進学できるけれど、大学はまた受験し直さないとならない、ということを知った。
なんでそんな大事なことを今まで言わなかったのか? と担任や母に言いたかったが、私は何も言えなかった。ましてや今さら志望校を変更することもできなかった。
私は、勉強への熱意を急に無くしてしまった。
元々私は勉強が好きではなかった。いや受験勉強が嫌いだった。もっと具体的に言うと暗記が嫌いだった。苦手というのではない、暗記することになんの意味があるのか? という疑問を持っていた。塾の先生や担任に尋ねても、そんなことを考える暇があったらひとつでも多く歴史の年号でも暗記しろと言われるのがオチだった。
暗記した物事から思考が大きく広がっていくような経験が私にはなかった。
大学に入る時もまた同じ苦労をしないとならないのか、と思うと、なにもかもが急に嫌になってしまった。
朝もぐずぐずと起きずに、塾もサボるようになった私に母は「あと少しだから、今人生の一番大切な時なのよ」と繰り返した。
私はとっくに目標を失ったというのに、それでも周りから「勉強しろ」と繰り返しプレッシャーをかけられる毎日に疲れきっていた。
私は自分の足で走りたかった。馬のように周りからムチ打たれ走らされる毎日が辛かった。
Posted at 12:40 |
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