マリメッコ柄を。。。マネてみた。。。つもり
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今日、グレゴリー・コルベールの『ashes and snow』に行ってまいりました。
こちらは外観です。
建築家の板 茂(ばん しげる)が、コンテナを積み上げて作り上げた移動美術館です。
開催期間が終了すると、撤去され跡形もなくなるでしょう。
感想(いやもう、これは。。。)
知性は人間だけの持ち物ですよねえ、違いますか?
チーターが時速120キロで走れようとも、ゾウが丸太を軽々と持ち上げようとも、人間には知性がある、だから人類は地球上の生態系の頂点に立てたのだと、そうではなかったのですか? 私のこれまでのそうした認識は間違いだったのですか?
人間はその知性ゆえに、文字を使い、文明を築き、その圧倒的な力で、動物を『一方的』にジャングルでその生態を「研究」し、テレビ番組で「観察」し、動物園で「愛で」るのではなかったのでしょうか。
しかし、この美術館にはこれまでに見たことのなかった人間と動物との関係があります。
ここには、かつて見たことのない動物の「眼」があります。
静かで、大きく、人間を包み込むような、知性をたたえた「眼」があります。
ゾウと少年が添い寝をしている写真を見て、「触れ合い」などと甘ったるい言葉を使ってはグレゴリー・コルベールの真意は伝わらないのではないでしょうか?
人間も考えるだろうが、私も考えていると、その静かな「眼」で、ゾウが言う。オランウータンが言う。鳥が言う。チーターが言う。
(私はかつて動物たちのこのような静かな「眼」に出合ったことがあっただろうか)
人間と動物の『知性』が、『母性』が、互いの静かなコミュニケーションを形づくっていく。
そこには支配はなく、庇護と愛情が満ちている。
スクリーンには。。。写真には。。。
なぜ書物があるのか?
なぜ人々は静かに眼を閉じているのか?
なぜ人々はインドの僧侶の格好をしているのか?
なぜ、動物は静かな眼でいるのか?
なぜ、せかせかとせずに、ゆったりと人も動物も動くのか?
天井いっぱいに張られた黒色のビニールシートが風に揺れながら日の光を反射し、まるで海面のようにさざなみを起こす。
その時、わたしは海の底にいるという錯覚に陥る。
スクリーンに映し出されるマッコウクジラと人間とのたわむれは、もはや作品の範疇を超え、私の疑似体験になる。
音と照明と日の光と風と、写真と、音楽と、映像と、それらの全てで一つのテーマを謳い上げている。
人間の動きは限りなく美しく、上質なバレエのようで、動物の動きは静かである。