ティッシュアート、模写や習作をノッケテいきます



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私のことB [2007年08月18日(土)]
それはともかく、私は病院を変えることで母を診察の場に引きずり出すことに成功した。医者が「この子は病気ですよ」と言うとカラダの芯からゾクゾクするのを覚えた。
医者の眼に「こんなに痩せてしまって」と気の毒そうな色が浮かぶと私は歓喜した。
そう私は可哀想なの。もっとこの女に言ってやって。神妙な顔をしてかしこまっている母という名のこの女に、もっと言って、と心で叫んだ。

この頃までは「病気」という響きが私にとって大きな慰めになり、私を守ってくれる砦になってくれていた。
2年後14歳になった私は、とうとう母に受験をあきらめさせ、この戦いに勝利をおさめた。さらに痩せを理由に不登校を決め込み、母もその結論を飲まざるをえなかった。誰が骨と皮の化け物になった娘を学校になど行かせたがるものだろうか。
私はこの結果にも満足していた。

私は有り余る時間を全て痩せることにつぎ込んだ。食べる量を極力減らした上で、毎日走り続けた。道行く人が私を驚いて見ていく様が愉快だった。
見知らぬ女とすれ違う時にはその女の体型を厳しくチェックし、見た目で体重や体脂肪率を測り、すれ違いざまに「私の方が勝った」と勝利の余韻に酔った。

この頃の私はまさに全能者だった。
体重を思うようにコントロールし、つまり痩せようと思えばどれだけでも痩せることができ、しかも誰よりも美しく、母との戦いにも勝ち、怖いものなど何もなかった。

その価値観があっという間にひっくり返ることが16歳の夏におきた。
8月、炎天下の中、私はいつものように食事を抜き、近くの森林公園を走っていた。
大地を踏みしめる足には力がみなぎり、握りしめた拳には自信があふれていた。
いつものコースをいつものように走る充実した時間であるはずだった。
走る足元にセミの死骸や幼虫の抜け殻が何匹も転がっていた。私はそれらを踏まぬよう心持ち注意しながら走った。
その内の何匹かを飛び越えた、その時、一匹のセミの死骸に嫌なものを見た、という感覚が芽生えた。
私はそのまま走り過ぎようとして、ハタと足が止まってしまった。二三歩戻り、その死骸を眺めた。
その死骸は空気が抜けたビーチボールのように顔の辺りがしぼんでへこんでいた。アリに中身を食べつくされたせいだろうか? それともこの炎天下のせいだろうか? 顔が陥没し、すっかり水分を失い干からびていた。
その死骸を見て私は急に、これは今の自分ではないか、と思った。

私はこの干からびて奇妙な元生き物を眺めることで、初めて第三者の眼で自分自身を眺めることができた。
病院で私と同じように痩せた人を見かけても「私の方が勝った」とか「負けた」とかそういうことにしか気が回らなかった私が、セミの死骸にはなぜか「これは私だ」と唐突に思えた。
私は急にイライラした気分になり、走るのをやめ、そのまま家に戻った。
シャワーを浴び、ベッドに寝転んだ。
いつもはシャワーの後で鏡に全身を映し、しげしげと自分の体を眺めるのに、今日はそんな気になれなかった。
その夜、私は目覚めると、急に恐ろしくなり、そして惨めな気分になり泣いた。しかし母を呼ぶ気にはとてもなれなかった。
この頃はもう、母は結局自分の世界で生きていく人なのだ、何をやってもわかってもらうことはできないのだ、という諦めの気持ちがあった。

あのセミのように死ぬのかもしれない、という恐怖があった。
医者から何度も言われた「このままではアナタ死にますよ」という言葉が急に生々しく甦ってきた。
この時私は「病気」という事態が急に惨めなモノに思えてきた。
これまでの私は「そうよ私は病気なの」と病気であることを鼻にかけて自慢するような所があったが、今ではもう「病気」であることを隠したい、という気持ちの方が強くなっていた。
そうか、私は病気だったのか、と初めて気づいたような気がした。

翌日、台所に立つ母の背中に思い切って「私って病気なんだね」と言ってみた。何度も診察に付き添った母の答えを知りたかった。
振り返った母は皮肉な笑いを浮かべて「何を今さら」と答えたきり、再び背中を向けた。
そうか、私は病気なのか、と今さらながら私は思い知ったのだった。
Posted at 12:43 | art+ | この記事のURL
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