ティッシュアート、模写や習作をノッケテいきます



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私のこと@ [2007年08月18日(土)]
初めて医者に診てもらった時、私はたったの12で、母が隣に座っていた。
鼻ひげを生やした中年の痩せた医者が厳かな口調で母の顔を見ながら「娘さんは病気ですよ」と言った時、私は心の中で喝采を上げたのを憶えている。
やっと言ってくれた、そう思った。
そう、私は病気なの、もっと言って、何度も言って、そう思ったのを憶えている。

でも、それから何度か診てもらっている内に、母は一々病院にまでついてこなくなった。
母のいない診察室でいくら「アナタは病気ですよ」と言われても、それはあまり嬉しくなかった。心の中で「は? なんの病気だって? いい加減なことを言うな、このヤブ医者が」と毒づいたりしていた。
今考えると、あの頃の私は誰か、母が耳を貸しそうな大人の誰かに「この子は病気なんですよ」と言ってもらいたかったのだと思う。「病気だから、少し休ませてあげて下さい」って、そう言ってもらいたかったんだと思う。

当事の私は、偏差値70近い女子名門の中学受験のため朝から晩まで勉強漬けだった。朝は5時起きで、体操と練習問題、学校を終えてからは塾通い、塾が終われば夜の11時までその日の復習。勉強勉強勉強の毎日。
それでも平気だったのは目標があったから。とにかくあの中学に入りさえすれば、あとは楽ができると思っていた。
中学受験を間近に控えた年明けの頃、担任と話している時に、その中学は高等部まではエスカレーター式に進学できるけれど、大学はまた受験し直さないとならない、ということを知った。
なんでそんな大事なことを今まで言わなかったのか? と担任や母に言いたかったが、私は何も言えなかった。ましてや今さら志望校を変更することもできなかった。
私は、勉強への熱意を急に無くしてしまった。
元々私は勉強が好きではなかった。いや受験勉強が嫌いだった。もっと具体的に言うと暗記が嫌いだった。苦手というのではない、暗記することになんの意味があるのか? という疑問を持っていた。塾の先生や担任に尋ねても、そんなことを考える暇があったらひとつでも多く歴史の年号でも暗記しろと言われるのがオチだった。
暗記した物事から思考が大きく広がっていくような経験が私にはなかった。

大学に入る時もまた同じ苦労をしないとならないのか、と思うと、なにもかもが急に嫌になってしまった。
朝もぐずぐずと起きずに、塾もサボるようになった私に母は「あと少しだから、今人生の一番大切な時なのよ」と繰り返した。
私はとっくに目標を失ったというのに、それでも周りから「勉強しろ」と繰り返しプレッシャーをかけられる毎日に疲れきっていた。
私は自分の足で走りたかった。馬のように周りからムチ打たれ走らされる毎日が辛かった。
Posted at 12:40 | art+ | この記事のURL
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