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七つの社会的罪

2008-01-23 00:27:48
今日、日本から買ってきていた雑誌のひとつ、日経WOMANを
パラパラとめくる。
どうでもよさそうなことばかり載っていたけど(スイマセン・・・)
小池百合子さんのインタビュー記事はよかったです。

その中で、ガンジーの「七つの社会的罪」がかいてあって。

七つの社会的罪/Seven Social Sins

1.理念なき政治 Politics without Principles

2.労働なき富 Wealth without Work

3.良心なき快楽 Pleasure without Conscience

4.人格なき学識 Knowledge without Character

5.道徳なき商業 Commerce without Morality

6.人間性なき科学 Science without Humanity

7.献身なき信仰 Worship without Sacrifice



1から7まで、どれを読んでも
現在の問題が見えてきます。

4、5、6番を読んで思い出したのは
ラジウム放射能を発見したマリ・ピエール キュリーの話。

子供のころ、キュリー夫人の伝記の本を
読んだときには、まったくひっかからなかった
数行。

偶然、大人になってから、子供用ですが
再度、キュリー夫人の伝記を読む機会がありました。


キュリー夫妻は、それはそれは
大変な労力と時間を、ラジウム発見に注ぎ込みました。
その発見は、レントゲンや放射線治療など、医療現場へと
大きな功績を残しました。

当時、ラジウムは高価で、発見した本人たちも
手に入れることができないほど。

ある人は聞きました。
特許をとれば、お金持ちになれたのにと。

夫妻は答えます。

ラジウムは自然界のひとつの物質です。
それを独り占めできますか?


子供のころ、読んでも意味がわからなかったの
だけど、大人になって、ぐさっときた一言でした。

特許をとらなかったので、キュリー夫妻はそのまま
貧乏生活。パーティに呼ばれても、普段の服装のまま。

特許をとらなかったおかげで、
助かった人はたくさんおられたのです。

ラジウム発見から、それを応用化されるために
さらに研究を続け、夫人は最後は白血病にてなくなりますが
その、彼らの研究の姿勢、弟子たちとの会話、
さらに子育てに関する考え、姿勢は
今のなにか、ずれてしまった社会に、教えて
くれることがたくさんあるような気がします。


どうしたら、お金を稼げるか、成功するか
の本ばかりで、うんざりしている私には
たぶん永遠に新鮮な話だと思います。

本のご紹介でした。






子育て

2008-01-20 07:53:14
昨日、書いた、The Nanny Diariesを見て、もう数年前に
なるのに、いまだ、自分がNANNYだったときのことを
思い出していることに気がつきました。

いつか、これは書きたいなと思っていたので
今日、書きたいと思います。

まったく知らないロンドンで、どんな性格かもわからぬ
子供のNANNYとして住み始めた最初の2ヶ月は
それはそれは、人生において苦しい時期だったと
思います。

当然ながら、子供とうまくいかないのです。
すこしの言葉の誤解から小さな人のプライドを傷つけて
しまったり、また、幼児の率直過ぎる一言に私が傷つき。

それでも、そのとき、この家以外、私は
いくところがないと腹をくくったときに、
もう少しがんばってみようと思ったものです。

あなたは私のことは嫌いかもしれないけど、
私はあなたが好きよ。

この気持で毎日を過ごして、すこしずつ
歩み寄った気がします。

学校が夏休みになるころには
すっかり打ち解けてくれて、
最初はパパとママが二人で出かけると
わかったときには、パジャマ、裸足で玄関まで
追いかけていったこともあったけれど、
そのころには、後追いもしなくなっていて
親がいない数時間、私と特別なことをする。
ちょっとデザートを豪華にしたり、秘密で一時間
起きてテレビを一緒にみたり。

一生忘れぬ私の感動は、
夏の夕方、
ロンドンの16時、西日が強い日、プールの帰りに
大通りを避けて住宅地を歩いていたときのこと。

車がほとんど通らないので、道の真ん中を
話しながら歩いていました。
背中から太陽があたり、二人の影ができて。

ふたりで、その影を見ながらしばらく
あるきました。

私の長い影の側に、小さなおぼっちゃまの影が
ウロウロ。
すると、すーっと彼がわたしの影の中にはいってきて
二人があるいているのに、影はひとつ。

カンガルーみたいだね。
お母さんのおなかに赤ちゃんがはいってる・・・。

この時の気持ちは、
表現できないほどの喜びと
わたしはこの子の母親ではないけど
今、気持がひとつになったことへの
感じて、歩きながら、声が詰まって
しまいました。

ただいまーっと帰ると、ママさんが玄関を
あけてくれて、
あはは、お母さんはここにいるのにね。
でも、なんとなく、一瞬、お母さんに
なったような、そんな気がして、
そんな気持になった夏の夕方。

西日を見ると、この日のことを思い出します。



The Nanny Diaries

2008-01-19 10:28:39
ひさしぶりに面白い映画をオランダへ戻る機内で見ました。

The Nanny Diaries

今日、カフェブロをうろうろしていると、どなたかも感想をお書きになっていましたが、
久々、面白い、印象に残る映画をみました。


ここから、ネタばれします。すいません。




Nanny,つまり、ベビーシッターの話なのですが、NYのアッパーイーストでの
いわゆる子育てをしない母親たち、そしてNANNYと子供たち、赤裸々に
語られています。

主人公のアニーは、偶然、公園でお金持ちの子供を助け、流れで
住み込みの子守となるのですが・・・。

映画をみていて、これは本当の話である・・と思えたのは
やはり自分が実際、ロンドンで上流階級の家で、NANNYをしてみて
そのときに見聞きしたことと、やはり重なる部分が多く。

NYもロンドンもお受験戦争は、日本のそれとはまたそれ以上に
過激。
小さなころから、専用のNANNYを家にいれ、家庭教師にスポーツクラブ
お稽古事に、週末はカントリーハウスへと移動。

誕生日には、貸切でパーティ。

放課後に遊ぶ友達は、先生が決めて、誰かのおうちへと
遊びにいく。


わたしのお世話になっていた家の奥様も専業主婦ではあられましたが
家に私を入れることを決めたのは、親戚がだれもいないロンドンにて
誰も頼る人がいないことや、家事をやることが、彼女には苦手で
(といっても、お料理されると、それはそれはおいしく)
子供のためにも、NANNYを入れたいというお話だったと思います。

彼女の場合は、ほとんど、夜の寝かしつけ、学校への送り迎えは
されていました。
NANNYである私の仕事は、お夕飯をつくったり、子供が夕方、
家で遊び相手がいないときに、台所に転がして、絵を描かせたり
しているとき、彼女は自分の時間を数時間得ることで、
気分転換をされていたと思います。

家族の形はそれぞれです。
彼女が苦手とするもの、ずっと家事をやること、
それは私には苦にならず、それでおうちにおいてもらえるなら
これ、幸いと、お世話になっていましたが、
他のお宅にも、ほとんど専属のNANNYをおいておられたようで
ホテルのプールに個人レッスンにつれていくと、他のシッターさんが
お茶を飲まれていたりいていました。

映画の中で、ナニーがいた家、夫婦仲は悪く、夫は不倫中。
出張にいってばかりで、見せ掛けの家族のふりをする。
子供は有名校に入れないとわかると、父親は子供が聞こえる
ところで母親をなじる。

あることで、NANNYは解雇を命じられるのですが、
部屋に設置してあった、隠しカメラの存在をしり、そこに
思ったことをぶちまけるのです。

その中で、彼女はいいます。
いかに、その子供の母親であることがすばらしいか。

そのセリフの中で、一番、すごかったのは、つまり
アッパーイーストの母親たちがズサっとくる言葉だろう一言。


自分の子供の世話もやらないくせに、チャリティーばかりやってる!!



↑、これ、わたしも実は思っていました。

まさに、明石やさんまさんが、大竹しのぶと離婚したときに
オレゴンから愛ではなく、目黒から愛や、、といっていたのと
似てる。

自分の家の子供を他人にまかせて、アフリカの子供助けて
なんか、バランスおかしくないですかい。


映画の中で、普段、砂糖や動物性食品を禁じられていた
子供は、NANNYに甘いものの世界を教えてもらうのです。

それは、私が、ロンドンにいたときに、台所で「ママに秘密だよ」と
いって、お砂糖を小さなお皿にのせて、こっそりあげていたこと。

二人で外を歩いたときに、おぼっちゃまが私に一言。

「僕ね、おねえさんと秘密がしたいです」

ああ、なんて素敵な言葉なの。

その手を引っ張り、スーパーマーケットへ向かいました。

ミントやガムをひとつ選ばせて、こっそりと二人で食べる。

二人の秘密のこと。

映画の中でも、NANNYとおぼっちゃんは秘密を持ちます。

なつかしくて、なつかしくて、
今でも抱きしめたくなるあの感触。

だからこそ、そのひと時をお母様方とやってほしい。

そう思うのです。







影響力の人。

2007-10-30 04:15:21
John Woodさん
マイクロソフトでは出会えなかった天職の著者。





最大のリスクは、たくさんの人が、あなたを説得して
夢をあきらめさせようとすることだ。
世の中には、うまくいかない理由をあげることが
大好きな人が多すぎて、「応援しているよ」と励まして
くれる人が少なすぎる。
一人で考える時間が長いほど、否定的な力に引き寄せられて
取り込まれやすくなる。


(日本語版の帯より抜粋。本の中の21章に書かれています)





たくさんのところを訪問して、たぶん同じことを何度も何度も
話されているのだと思うけど、ネパールの学校に本を送って
その後、そこへ訪問すると学校あげて盛大に歓迎されたこと、
花輪を首にかけてもらったこと。をお話されました。

花輪をね、首にかけてもらった。

とジョンが言ったとき、顔が本当にうれしそうで、
同じことを何度も何度もたくさんの場所で繰り返し話すたびに
彼は、この花輪の瞬間を思い出して、これからも笑うのでしょう。


スライドで、ジョンがPCを操作しながら、話を進めます。




そもそも、ネパールに休暇にいったのはね。

エスケープしたかったからなんです。

誰からかって?

この人たちから逃げたかったんですよ。

といった次の瞬間、スライドにはお二人の顔写真。
ビル・ゲイツと当時の職場の方、お二人の顔が
写って大爆笑。

笑いながらも、本の中で、マイクロソフトをおやめになる直前の
ビル・ゲイツ、中国訪問の話、会社に辞めることをつげたときのこと、
恋人との別れ、
それを思い出すと、ずいぶんとこの方は、手放したものが大きかったの
だろうな・・とちょっとしんみり。


とにかく!
お話がお上手。
頭が良い方というのは、誰にでもわかりやすくお話されるのだな。。と
感じた午後。




途中、休憩がはいり、お茶やワインを飲みながら、くつろぎました。





ジョンの戦略は(社会起業家に戦略とつかうのかわからないのだけど)
はっきりしていて、スピード感があります。

とにかく数字やグラフではっきりとみせること、
また、活動や著書につかう発展途上国の子供たちの写真は、笑顔が
多いのです。
その子供たちの顔は、本当に勉強がしたい!
かばんを自転車を本を、教科書を与えた子供たちが、生き生きと
学校生活を送っている姿です。


こんなに嬉しそうなら、わたしもサポートしたい・・と
思います。

笑顔にひきつけられる、これもジョンの大きな戦略。

それはまったく悪いことではない。

少なくとも、私は、「勉強がんばって」と知らぬ誰かを支えてみたい
と思ったから。

かわいそうな子供、食べ物がなく餓死寸前のこともの写真をつかって
募金活動するのも、ひとつの手段。
しかし、ジョンはそれを選択しませんでした。

これから、欧州での活動が本格的に始まります。
アムステルダムでの、この会は、たぶん、アメリカなどに比べると
参加者は少なすぎたのではないかと思います。

まだ、知名度が低い欧州で、これからスタートです。
普通の人であれば、「こんなに少ないの」と思うのかもしれませんが
たぶん、ジョンやほかのスタッフは、「靴のないところに靴を売りにいけ」
の精神で、一から開拓する意気込みでおられたのではないかと
思います。


さて、わたしも真剣に、いくら払えるか、計算したいと
思います。続けて支援できる額はいくらか・・。

まずは、今度のお正月に、従兄弟の子供にお年玉あげて
ありがとう、もいわないようであれば、取り返して、勉強する
子供たちへとあげたいと思います。

この本は、ビジネスをされている方にも参考になるのでは
ないでしょうか。
ジョンは著書の15章で、「NPOのマイクロソフトをめざす」と
書いておられます。


「結果最重要視」


「個人を攻撃してはいけないが、アイデアは攻撃していい」

いずれもマイクロソフト文化だそうです。

この本はいろんな方に、きっと前向きになるヒントが含まれて
いると思います。

ずばり!

皆さん、買ってください。

あらかじめ、お礼を言っておきます。

(このあらかじめお礼を言っておきます、は、ジョンが最初に
カトマンズから友人、知り合いにメールで本をネパールの子たちに届けたいと
協力をお願いしたメールの最後の言葉です)

一生忘れない出来事

2007-10-29 05:03:07
今日は私の人生の中で一生忘れえぬ出来事がありました。

おとといのブログに書いたマイクロソフトでは出会えなかった天職の著者であるジョン・ウッド氏がなんと
アムステルダムにいらしているのです!

実は、この本を手にしたのが4日前の水曜日、気がつけば読んでしまっていた
くらいに感動、気持ちがグラグラしたまま、Room to readのウェブサイトを訪問。

え・・・


ジョンがアムステルダムに来る。。。。。
私のヒーロー、ジョン・ウッドがアムステルダムにくるなんて、
信じられませんでした。
それも、4日前、まったく彼がキャンペーンで来ることなんて
しらず、もう、「いつか本人に会ってみたい」と思うくらいに
感動したから、もう、このことを知った木曜日には、オーガナイザーに
メールで「寄付させてください!」と血迷ったようなメールを
出してしまったくらいでした・・。

実は、Room to readのオランダ支部が今日、28日に発足。
30日の火曜日には、チャリティのDinner showがあるらしく、
そのためにジョンはアムステルダムに来たのでした。


寄付させてくれーとメールで自己申告しちゃったから
一番高いチケット買わせていただき、この偶然に感謝。
何をやっても楽しい♪

ああ、ジョン様にお会いできるだなんて・・
彼はわたしのこと知らないけど、私は彼のこと知ってるもんねー

本当に、この本があと一週間遅く届いていたら、まったくジョンが
アムステルダムにきていたことなど知らなかったのです。


勝手に運命を感じてしまいました。

写真を数枚とったのですが、いま、デジカメの調子が悪くて
直り次第、写真をアップしたいと思います。


目の前に私のヒーローがいる・・・。
信じられない午後でした。

ドラえもんのどこでもドアって、やはりあるんだ・・・(意味不明)

世界中をPR,講演会で飛び回っている人が、今、ここに
私の目の前にいる。。。

神様、ありがとうございます・・・。

ジョンのスピーチの内容は、また写真と共に書きたいと思います。

そして、またすごいことがあったのです。

9月に発売された「マイクロソフトでは出会えなかった天職」ですが
オリジナルのLeaving microsoft to Change the worldが、今日、
会場で売り出されていました。
サイン会でもあったのですが、わたしは当然、自分の本をジョンの
前に差し出すと、一瞬、ジョンが?になったのです。
オリジナルの本は、彼の写真が表紙で、日本語版はジョンの顔なしの
表紙。

「これは日本語のあなたの本です」というと、
ジョンが、目を大きく開いて「ええええっ!どこからもってきたの?」と
いわれたので、日本から取り寄せたんですっ!と自慢してしまいました


もう、二度とお話することもないかと思うので、
「実は水曜日に届いて、4日目にあなたに会えた、アメージングな出来事です」と
もう興奮しちゃって、握手してもらいました。

ほかのスタッフも私が日本語版を持っていたのを見て、「すごーい」と喜んで
下さっていたので、ああ、いってよかったchoco感涙。

つまり、ジョンが日本語版のLeaving Microsoft to change the worldに
サインをしたのは、私の持っている本が一冊目ということなのです。

これってすごくないですか?

もう、帰りはスキップしたいくらい、興奮しちゃって・・
今夜は眠れないかもしれません。







マイクロソフトでは出会えなかった天職

2007-10-27 05:36:40
水曜日にこの本が日本から届きました。







話題の本ですので、ご存知の方も多いと思いますが、
今日はご紹介させてください。


この本を手にしたのが、夕方、それから仕事からの帰りの電車、市電乗り場
次の日の朝も市電乗り場で立ち読み。電車に乗り換えてからもずっと
読みました。

マイクロソフトで、オーストラリア、中国で第一線で働いたジョン・ウッド氏が
ネパールでの旅行を機会に、人生は大きく変わります。

ネパールの学校の設備が整っていない状態を目の当たりにし
彼は子供たちに本を読ませたいと、「本を持ち帰る」約束をします。

多くの人が、そういった約束をしても、二度ともどってくることが
ないのに、ジョンは行動を起こしました。


彼自身、子供時代にたくさんの本を読めたことが
いかに幸せであったか、その想いと、本を知らぬ子供たちの
姿が重なったのでしょう。

彼が手放したマイクロソフトでの職、豪華な部屋、収入を捨ててでも
彼が飛び出した未知の世界に、読んでいると、興奮というか、
なにも人の為にやっていない自分が恥ずかしくて、夜、眠れませんでした。

現在、ジョンはRoom to readのCEO、世界的に有名な社会起業家と
なりました。


2500ドルで、発展途上国の少女が10年間学校で勉強できる、と
読んだときには、わたしにとっての2500ドル、旅行にでて、見たいものを
見る10日間とか、そういった時間と、一人の少女が10年間に勉強に
費やす費用が
同じ・・・。


ジョンはネパールでの最後、いつものマイクロソフトでの怒涛の日々に入る前、
友人たちに
メールを送りました。
ネパールの子供たちに本を送ってあげたいこと。そしてそのために
自分にできること、本を集めること。
最後に書かれているのは「最悪の選択肢は何もしないこと」

この本を読んでいると、自分が経験したことと、すこし重なる部分があって、
それも感銘した理由かもしれません。人はできない理由を話したがるってこと。

彼はネパールで、あった人に自分のプランを話しました。
すると、その人はできない理由を並べるのです。

2020年までに1000万人の子供たちに
学びの場を届けるそんなの無理?


ジョンは言います。
僕が考えたいのは、「できない理由」じゃなくて
「どうすればできるか」ってこと。


かつて彼は、マイクロソフト社で覚醒にもにた感覚で、万年寝不足で
世界中を飛びまわり、ギラギラと働いていたことでしょう。そのパワーは、あの
世界的有名な大企業の中で人の上にたって率先してきた人材。
そのパワーを今度は、学ぶ機会の少ない世界の子供たちへと
使われています。

かつてはファーストクラス、ビジネスクラスで世界を周っていたジョンは
いまや、エコノミークラスの乗客。アップグレードは友人からもらった
マイルを使って。持ち家もなく、サンフランシスコで
賃貸に暮らしておられるそうです。


天職ってこういうこと。
180度変えてでも、未知のせかいに飛び込むこと。

そして、自分に何ができるかってこと。

考えさせられる一冊です

しあわせの語源

2007-08-30 03:41:21

お部屋にあるクローバー



週末の田舎生活で、心がぽかぽかとしました。
「あー、しあわせだなあ」と思った日、友人と台所にたって
お夕飯にお好み焼きを焼いた夕方、当然ながら日本のように材料は
そろわないのだけど、お好み焼きの粉は友人が持っていて、あとは
キャベツにシーフードミックスを混ぜて、お好み焼きソースなどないから
イギリスのソースを代用して、ナイフとフォークで頂きました。

「本当に来てくれてありがとう」と何度か彼女が口にして、
こちらこそこんな素敵なところに呼んでくれてありがとう。

たぶん、その言葉を掛けあった時間が、しあわせだったのでは
ないかな・・と思いました。

幸田文さんの本を初めて読んだときに、あ・・と思ったのは
その言葉使い。

しあわせを、仕合せとお書きになっている。

幸せともかけるけど、仕合せとも書くんだな・・と、その表現が
ギラギラしていなくて、ちょっと控えめで素敵なだな・・と思ったものです。

幸せの語源は、仕合せだそうです。
自分だけでなく、誰かもしあわせであること、何かをするのに、他人に
みかえりをもとめないこと、などなど、深く静かな意味があります。

あの週末、しあわせをたぶん、仕合せだなと思ったのは、
来てくれてありがとう、こちらこそ、本当に呼んでくれてありがとうと
同じ気持ちになって、静かな時を過ごした、そのことが、仕合せを
いう字を思い出したのかな。

ちがうな、他にもなにか、その漢字を思い出させる出来事があったのです。

それは友人と、友人の夫とわたしと三人で、坊やが食事でマカロニを一本
食べるたびに、歓喜の声をあげて、上手だ、上手だとオランダ語と日本語で
褒めると、その子はそれはそれは得意げに、目を光らせて、またマカロニに
手を伸ばす、そして口にいれる、そして、また大人三人が、最大に褒める、
また、わたしの顔をみて、口に食べ物をいれて、その繰り返しを何分も続け、
二歳にもならぬ子なのに、おかわりをして、最後は拍手喝采でした。

その食べきった満足そうな顔、よだれも鼻水も食べ物も一緒になって
もうぐっちゃぐっちゃなんだけど、この子が大人三人の声援をうけて、それは
それは一生懸命に食べる、もうこれも、仕合せですね。

子供は大人三人がそれはそれはニコニコと自分を褒めてくれている
のが、本当によくわかっていて、
言葉もまだ通じぬ子なのに、その声援を一身に受けて、がんばって
食べている姿を見ているだけで、こちらもわあ、もっと応援しなくちゃ
と思うし、それはそれはとても心が嬉しくなって、お互いがとても
嬉しくなった時間。

しあわせとは、誰かの気持ちが嬉しくなって、自分も嬉しくなる
お互いが嬉しくなるから、仕合せなんだろうな・・と、思いました。

一方的にしあわせを求めるのは、語源に合いませんね。
それは、恋愛でも家庭でも職場での人間関係も、同じだな・・と
思いました。


がばいばあちゃんを読んで

2007-08-28 02:55:38
昨日、友人にひとつ、丸っこいクジェットを頂きました。




どうやって料理するんだろう・・・こんな丸っこいクジェット・・


薄く切ってじっくり焼いてもおいしそうだし・・。
ちょっくらインターネットで探してみよう作り方。



今、ブームからちょっと遅れながらですが、
佐賀のがばいばあちゃんを読んでいます。
年末に日本で泉ピン子扮するがばいばあちゃん
を見てから、すっかりがばいばあちゃんのファン

この本を読んでいると、お金のこととか、普段、悩みそうなことが、すべて
馬鹿らしくなります。

この本が売れるのも、よく解る。心が温かくなる。

みんな、自分のちかくに、がばいばあちゃんがいて欲しいのかな。

年末、母とドラマを見ていて、クックッと母が笑っていました。

母も少女のころ、このがばいばあちゃんに登場する
漫才師さんのように佐賀の田舎に預けられていて、
預けられたというか、大家族の口減らしのためか
祖父母のところへと一人、手伝いのような感じで家族
と離れてすごしていたらしいのです。
ほとんど、当時の話はきいたことがないのですが、
多分、あまり話したくない様子。

まったく長女は大変で、戦後、小さな兄弟の世話に追われ、
それから祖父母の家の手伝いに出され、子供のころに楽しい
ことがなかったことや、兄弟たちはキチンと上の学校へと進み、
我慢の日々であった母は中学しか
出ていないことを気にしているのか、大人になるまでの話をほとんど
聞いたことがないのです。

テレビをみていて、「おばあちゃんは怖かった」と、ドラマでは笑い
あふれるがばいばあちゃんなんだけど、預けられた先で気を
つかいながら生活していた母はどちらかというと、おしん系だったのでしょう。

いやな思い出ならば、いまさら無理をして聞く気もないけれど、
ひとつ、母娘、同じ経験をしたのは、「住み込み生活」でした。

今の時代、住み込みのお手伝いさんのような暮らしをしながら、
学校へいく生活などほとんどの人がやったことがないでしょう。

ロンドンで住み込みで子守をしながら、学校へ通ったときに
その私に対して、父は「恥ずかしい、子育てに失敗した」
といってきましたが母の手紙には、まったく別のことが書かれていました。
「お母さんも40年以上前、東京で住み込みしてそれで、洋裁学校へ
通った、よそのお宅に住むこと、他人と住むことは本当に
大変なことだから」と書かれていて、
実はそれまで、そのことは少し聞いたことはあったけれども
「他人と住むのは難しい」と書かれていたのをみて、相当苦労したんだな・・と
思い、私のほうは、家の皆さんによくしてもらっています。困ったことは
まったくないと、手紙を書いて送った記憶があります。

といいながらも、その当時、体重が増えて、気がつかないところで
ストレスは溜まっていたのかもしれませんが、あの時は、もうあの家しか
私の居場所がなかった、他にない、私は逃げないと、そういった覚悟が
あったように思えます。
それは、40年前、母も同じだったのではないでしょうか。

長い時を経て、母娘が同じ経験をする。
母は東京で、わたしはロンドンで。

まったく人生とは不思議なものだな・・と
がばいばあちゃんを読みながら考え込んでしまいました。

自分の経験と、がばいばあちゃんの豪快な言葉が重なって
今日、思ったことは


苦労も時にはいいもんです。by Choco






瞬間

2007-08-25 04:26:46

太陽が沈む。


日が落ちて、その太陽はどこへ沈んでいくんだろう・・。


子供のころによくそんなことを思ったものです。
日が沈んだのがオランダ時間の22時過ぎ。日本の早朝5時くらいです。

太陽さんは、これから日本を照らすのか。
こちらは、おやすみなさいなのにね・・・。


いろんなことをやっていて、「これはいったいどこにつながっているのだろう」
とか、どうして私はこんなことをやっているのだろうか・・と思うことは日々
あるのだけど、最近、すべてに意味があったのだな・・と納得。
それは楽しいことも、そうでなかったことも、意味があって。

今、ゆっくりですが、南仏行きの準備を進めています。
明日は南仏の田舎に詳しい、友人を訪ねて話をきく予定です。

しばらく前、ブログ上で南仏にいく、と書くと、Vivianeさんから
メールを頂きました。
それは、一人で南仏へと向かう私には、わくわくするような内容で
ブログで偶然に知り合った方ですが、わたしのわくわくをさらに暖めて
下さる、この出会いに感謝です。


この10年、なにかにあせって、勉強しても進まなかったことが多かったし
気がつけば、お財布の中身も空。すべてが空回りなこともありました。
多くの方の助けを頂き、やっと生活ができる環境になれた今、10代から
の夢であったプロヴァンスへと行くことにしました。


私はいつまで、自分に自信がもてないのだろう・・と思っていた時間は
それはそれは長かったし、今でも自信というものはありません。
ただ、その自分のことをそのままに受け入れる、それでいいではないか、と
それはそれは遠回りしながら、そう思えるようになった今、私は人生の
前半が終了しつつあることを、実感しています。


学生していて貧乏していたときに、わたしはいつまで勉強したら、人並みに
なるのだろうか、とずっと思っていました。
いつになったら・・・。
学校へいっても、またたぶん、いつか学校に戻るとしたら、学費がまた要るし
いったいいつまでやれば、私は満足するのだろうかと。

ロンドンでの勉強が終了したとき、わたしは、「あ・・これが終わりだ」と
瞬間的に思いました。この時が来るとは、想像がつきませんでした。


そして、今、パリ行きの電車の切符を手配して、フランス新幹線TGVの
チケットを予約して、手元に届いたときの喜び。

やっとこの時が来た・・。と、時の不思議な流れを感じました。


夜中に地図を広げて、小さなペンライトで小さな村を探して、まだ見ぬ場所を
夢見る時間はなんとも幸せで、心が震えてきます。


まだまだ出発までは日にちがあるのだけど、なぜいままで行かなかったのか
が不思議だし、なぜ今なのかわからないのだけど、そのタイミングも不思議。

旅の途中で、もしかして、お会いできる方、いるかもしれませんね。
楽しみです。

茶の本

2007-07-25 03:29:26
 今、この本に出会えてよかったと思いました。岡倉覚三著書、
The book of tea.
和訳名「茶の本」。岡倉天心により明治39年に英文で書かれ、ニューヨークで出版された
和訳の本。

岡倉覚三という名は、岡倉天心の本名ですね。

茶道の心得もほとんどもたぬ私が読んで理解できるものか、と不安もありましたが
たぶん、いままでの人生でここまで影響があったのは、本当に久しぶり。

ここ数年の書物といえば、自己啓発本が多くて、実はもう見るだけでうんざりして、なにかに多くの人が覚醒されているような感覚。自己を追うのではなく、静の中にある深いもの、見えぬなにかあるのではないかと、思う日々が数年続いていました。

それにしても、明治39年に英文でこの内容を表現した、岡倉覚三(天心)は、すごさを
感じて、心が震えるというか、偉人がおられたことに、また日本語の美しさにも感動しました。

以前、岡倉天心の逸話を聞いて、すごいなあ、と思ったのが、
(有名な話であるから、ご存知の方も多いと思うのだけど、好きな話だからご紹介

明治36年に、羽織、はかまで天心が弟子を引き連れてボストンを歩いていると、若い米国人に冷やかしの声が飛んできたとか。




What sort of nese are your people? Are you Chinese, or Japanese,
or Javanese?"

あんたらは、何ニーズ?チャイニーズか、ジャパニーズか、ジャワニーズか?



天心こう言い返す。

We are Japanese gentlemen. But what kind of key are you?
Are you a Yankee, or a donkey, or a monkey?"

我々は日本の紳士である、そういうあなたこそ、何キーか?ヤンキーか?ドンキーか?
モンキーか?


流暢な英語で、即座に答え、その姿を弟子は尊敬の目でみていたと。

天心は、こういったことを言い返す時には、より洗練された英語を、つまり流暢に言わないと
格好が悪い、ようなことを伝えたそうです。
とくに自分たちは、西洋人とはちがう服装、羽織、はかま、日本の文化を身につけている
から、なお、格好が悪いことはできないと、弟子に伝えたといいます。


(弟子に伝えたこと、ここはうらおぼえなのだけど、上の英会話はすごいな、と思いました)


いつも、外国語に詰まったときに、よくこの天心の言葉を思い出します。

気がつけば、ジタバタとみっともない姿をさらして、一生懸命話しているのだけど、
もうすこし、ビシッとしたいものです。

私は上記の英文の中で一番好きなところは

「我々は、日本の紳士である」


あとのヤンキー、ドンキー、モンキーは、あまりにもゴロがよすぎて、
このゴロのよさも、言葉のセンスなのだろうけど、どんな英語の本よりも
この逸話が一番、心にビシッときます。

この英語のすごさと、また日本文化を極めた人物の本から、学ぶものは
多いようです。


この夏は、長い休みには入らないので、本を読んで楽しみたいと
思います。

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