2008年08月
1 2
3 4 5 6 7 8 9
10 11 12 13 14 15 16
17 18 19 20 21 22 23
24 25 26 27 28 29 30
31
最新コメント
最新トラックバック

東京のご馳走

2008-08-29 05:54:57
Mikiさん
おいしいかぼちゃのスープをこしらえてくれました




すっきりとしたお味の夏野菜たっぷりの一品。

これはぜひ、レシピを教えて頂きたいです





三日月さん
タコライス担当。

ルクルーゼの鍋を持つオンナの人なんですね。三日月さん。

ワタシだったら腱鞘炎になりそうだから、買えない一品・・。






          急いで夕方にお買い物にいって、こしらえましたスコッチエッグ。


それぞれ持ち寄ったお料理を頂きながら、おしゃべりが弾む弾む。

ブログを始めなければ、お会いすることもなかった
大都会の空の下に暮らすお二人。

不思議なご縁を感じながら、楽しいおしゃべり。豪快な食欲を
眺めながら、次に会ったときは、別のご馳走をつくりましょう!と
早くも次のお約束。

人のご縁ってどこからつながるか
本当にわかりませんね^^

疲れる移動

2008-08-26 04:38:48
しばらく日本に行っていました。

今日ほど疲れる移動はなかったかも・・。

まず成田にて。

手荷物検査場の前の張り紙を見て、自分が液体を入れるための
透明のジッパー付き袋を持っていないことに気が付き
手前の係員に「液体用の袋がありません、どうしたらいいですか」
と尋ねると、中にはいって荷物の検査のときに、液体類を全部出して
ください、中でも袋は用意できます。

との返事でしたので、いわれた通りに
ファンデーションやお化粧水などをカゴにいれてX線へと流れていきました。

受取の際に
「これ、どなたの荷物ですか」とわたしが液体類をいれたかごを
もった男性係員が

あのねえ、こういったのは、あらかじめ透明の袋に
いれてっていってますよね!と

プチ説教が始まりました。

あの・・・袋もっていなかった私が悪いんですが
入口の係員の女性に尋ねたら、とりあえず中で液体類を出して
見せるようにいわれた、あらかじめ、袋をもっていないことを
お伝えしました。というと

自分の制服をつまみながら、その方
「この制服を着た人がそういったんですか!!!」
と言うので、ハイそうです、と返事したんですが

それでも説教は続く・・・・。

な・・

なり・・

成田空港は

袋も用意できないくらいお金ないんですか!!!!

と逆切れしそうになったけど、
はい解りました、これから気を付けます。

といっても
こういったのは袋がなければ荷物預けてくださいといっているし

アンタ!人の話きいてますか 


そもそも、オランダの空港なんて手荷物検査場の近くに
液体用の専用袋、予備にたくさんおいているのに
なんで成田にないの?

とこの会話のやり取りに納得がいかないまま
飛行機でゴロゴロしていること10時間、オランダへと到着。

実は私は新品のノートパソコンを持ってオランダへと
入国しました。

電化製品は課税対象になるので、本当は税関で申告しなくちゃ
いけないんだけど、いつも税関員に荷物を見られることもないし
今回もスルーできるものだと思っていたら

税関で荷物検査にひっかかってしまいました・・・。


税関員「君、どこから?」

私  「東京からです」

税関員 「申告するものなにかない?」

といったので
胸を張って「ありません!」といったらば

ハイ、こちらにきてください

と荷物をあけるテーブルへと連れていかれました・・・・。

以前、ずーっと前だけど、お金なさそーってことで
税関から出れなかったこと、一度あったのに
この私が、課税で出れないとは、喜んでいいのか、悲しんでいいのか


まずはPCの入った小さなバックを開けられて・・・

もちろん、わたしの新品PCは見つかりました。

税関員 「えーっとこれはなにかなあ」

私「あ!これ、お姉ちゃんから借りてきたんです、自宅のが壊れて
買うお金もないし、そしたら、お姉ちゃんが数か月貸してくれるって」

と姉妹の愛をアピールしてみたけど

「はい、これ、電源オンしてみて」といわれて

オンしたんですが、これを想定内で、

昨日、姉の家で姉の名前でログインするように設定、とりあえず
新品でないというように、できる限りのことの細工はやっていたんですが

「うーん、お姉さんにかえすかわかんないでしょう」といわれ

これ、いくらくらいなの?と聞かれたから

「姉は9万円くらいで買いました、一番低価格で買ったんです!!!」

と言い張り、税関員のお兄ちゃんは、
わたしのパスポートとPCを別室へと連れていってしまいました。

ちょっと値段調べてくるね、課税するならいくらか計算しないと・・と。


ハイ、わたしは脱税しようとしました。ゴメンナサイ。


オランダの空港は時に課税の鬼となり、お盆やお正月の帰国便は
荷物検査が厳しいとはきいていて、時に法外な値段を出してくると
きいていたので、「もしや・・・一番高い値段探して課税するんじゃないか」

と思っていたんです。

それに、オランダ在住の日本人の間ではこの税関、悪いことはきいても
いいことは聞かないし。いつも、なにかしらもめ事が起きてる。

はーい、準備できたよおお、と明るく支払の明細を見せられ

金額みると

実はわたしの購入金額よりも低い・・・・。

噂の鬼の課税はどこへ・・・・。


「一番、低い値段にしておいたから」と税関員のお兄さん。

噂では、本当に荷物はぐちゃぐちゃにされるし
最低だと(自分は脱税しておいて、言える立場でないんだけど)
よく聞くんだけど

わたしの大きなトランクのほうの日本食の山をみると
「日本って古くから健康食なんだねえ♪」といっていたり
梅干しの袋をみて「これ、なんですか」といわれたので

「母の手作りで持たせてくれたんです」と
けっこうホノボノとした会話で終わりました。


なんか・・・噂できいていた税関員の態度と全然違う。

なんでも自分で経験しないとだめだなあと思った日でした。


そして、駅から家までタクシーに。

やれやれとタクシーの後部座席に座ると
ドライバーさんが一言
「あのね、トランク乗せたら追加で5ユーロもらうことになりましたから」

といわれ

カバン一つに5ユーロ追加でとる??


オランダのタクシーは高すぎるのに、それに
カバンをトランクに詰めるのに別料金とるっていったい
どこの世界の話ですか・・・・。

荷物が多すぎたので、そのままタクシーを利用しましたが
成田から自宅までトラブル続きで疲れました。



精霊ながし

2008-08-15 20:45:44
今夜は精霊流し。
長崎の伝統行事でお盆で家に帰ってきた亡くなった方の
魂を今度は船に乗せて、浄土へとお帰り頂く夜。

さきほど、ネットで調べてみると
これはあまり宗教関係なく、一見、仏教の行事のようだけど
キリスト教のお家の方も船を作って、亡くなった方にあうような
お好みの船を作るそうです。

夕方から、爆竹の音と鐘の音が街には響いて
かけ声と、提灯の明かりや、それぞれの家族が
船を持って海の方へと向かわれていました。

実はいままで、よく見たことがなかったのです。
お盆はいつも違う場所の親戚の家だったし社会人になって
からは仕事でお盆に仏事に参加することもなかったので

さきほど海のほうへと母と散歩しながら
沢山の船を見てきました。



船を出す前の食事は、しんみりしてはいけないと
楽しく食事をして、爆竹をならしながら歩いていく。

この船を流すのは初盆のお家で
またまたネットでお書きになっていた方の言葉を借りると
亡くなった方を賑やかにお迎えして、賑やかに浄土にお帰り
いただく、とのこと。


日暮れの時間、子供から大人までその家の名が
入った船を持って歩いていく家族を見ると
きっと悲しみも癒えてはいないだろうけど、見えない人への
想い、おかえりなさい。そしてさようなら。

おおきな爆竹の音と共に悲しみも消えそうな
はかない空気に
母が
寂しい音がするね。と一言。

ぼんやりと月を見ながら、夜の散歩でした。

あつ・・・い

2008-08-11 16:10:07
なぜか両親と共にオリンピックの開会式を見た夜。

ただ今、田舎に帰省中。

死ぬほど暑いのに、エコな母はエアコンを入れてくれない。
ついでにお盆前の大掃除ということで、当然、エアコンなしで
掃除機、畳の雑巾がけ、廊下の雑巾がけ、などなどをやっていると
力つきて、軽く30度はある西日の入る部屋に扇風機をかけて
倒れ込むように畳の上で爆睡二時間。

エアコンないのに、眠りこけた自分が恐ろしい。
そういえば、学生のころ、保育園の真夏のバイトで
バイト生にも子供にも大変に厳しかった園長のもと、当然ながら
主任の先生も怖いんだけど、一番暑い2時に、倉庫の掃除とか
草むしりとか、一番死にそうに暑い作業をやらされていたなあ。

お泊まり保育前は、一人で二重の毛布を何十枚も洗濯機で
まわして干していた・

たしか倉庫の掃除のときに、あまりの暑さに気がついたら寝ていた
ことがあって、あれって気を失っていたのか、よくわからないけど
あの暑いバイトがわたしを普通の会社員にした原因だと思う・

そうそう話はもどして
オリンピック開会式。
世間に疎い母は、キレイ、キレイと連発して喜んで
みてたんですが、その横で、嫌みをつぶやく私。

あの壮大なる美しいセレモニーで、鳩を表現したり、地球が登場
したり、いろんな民族の衣装をきた子供に、緑を書く子供、

正直、反吐がでそうだった・・。

芸術性は認める。
けど、その美しさの裏の汚さがあまりにも深くて
正直、美しいと認めるのもイヤだったかも。

母が
「もう、あーだ、こーだー、いわずに素直に見なさいよ」と
いってたんだけど、
「キレイは本当に認める、すごいとおもうけど、でもいやだ」

と、複雑な夜でした。

旅のおわり

2008-08-08 17:28:44
リヨンからパリに向かい、それからタリスでオランダへ
戻りました。

さすがに1週間も外にでっぱなしだと、疲れていて、オランダに
戻れるのがうれしかったです。

電車は満席。後ろも前も子供だらけ。
まあ、夏休みだからしかたがない

いつも思うのですが、パリ発アムステルダムのタリスはいつも
うるさいのです。オランダ人が大騒ぎ・・

今回も、大人から子供まで大騒ぎで、一人でグループの中の席に
座ってしまった人は、出口の小さな椅子に移動しているほどに
車内大盛り上がり。

隣の席のカップルと後ろの女の子(父親と二人旅行中)が
話し始めました。
カップルのほうの女性がアジア人の風貌だったので
彼女がオランダ語を話していたのに、驚いて
「どうしてオランダ語はなしているの?」と正直に質問していました。
それから、彼らはロッテルダムに到着するまで、おやつの交換をしたり
絵を描いたり、写真をとったりそれはそれは楽しそうに。

前方の子供たちにもおやつをあげたりと
オランダ人ってこういったのが上手なんですよね。

途中、あまりにもうるさいので、barに避難したのですが
そのbarが男女四人組の酔っ払いが下ネタ大声連発で
みっともないったらありゃしない、、ってことで
どうせ、うるさいなら、まだ清らかな子供のほうがいいやと
いうことで、コーヒー片手に席にもどって読書。

ふふ
女の子が私の本をちらりと見ていたようで
お父さんに
「このひと、中国人だよ、中国語読んでる」といったので

振り返り、
これは日本語です。そして私も日本人ですよ。

というと

その子は
秘密の言葉みたいね!と話し始めて、
わたしの黒い髪のことを
「あなたのその髪の毛、とっても素敵だと思うのよ」

と話し始め

ごめん
最初はあなたのこと、うるさいと思っていたけど

いい子じゃないのおお〜

と思いました。

このお祭り電車の中で、オランダ人ってやはりおもしろいなあと
感じました。

フランスでの旅の途中、
オランダって実はいいところかも、と思えることがあり。

こうやって、周りとコミュニケーションをとるうまさにも感心するし。


アヴィニョンの駅で
切符を買うために長蛇の列に並んでいたとき
みな、イライラしていました。

すると、なにやらカードを持った男の人が列に並ばずに
直接、窓口にいったのです。
彼は身体障害の証明書を持っていて、列に並ぶのを免除して
ほしかったのでしょう、

それを見た列の人間が、怒りくるって喧嘩に。

つかみ合いまではなりませんでしたが、

たぶんオランダでは同じ状況でもこういった方向に進むことは
ないような気がしました。

お国柄か
フランス人はいいもわるいも激しい・・・・
ついでに窓口の人は介入しないし。

パリの地下鉄でも
かばんを持ってあがったりさがったり、エレベーターはないし
体が不自由な人はどうするんだろう、と度々思いました。
それはベルギーも同じで。

オランダの電車の駅はほとんどにエレベーターがありますし
市電などでも段差をつくらないようになっています。
ベビーカーでも簡単に乗れるし、

オランダは
フランスにくらべたら
おいしいものも何もないし
おしゃれなお洋服もないし
税金高いし

でも
全体的にみたら、日常の暮らしの中で自分になにが大切か
考えると
段差がない市電であったり、余裕をもたせた電車の構造であったり
どこを重要視して生活を考えるかというと、

別に素敵なお洋服は旅行で買えばいいし
おいしいものも、食べ過ぎると病気になるし

オランダの暮らしは実はとってもいいんだなと
思った旅の最後でした。

自然派のお宿

2008-08-07 03:44:25
わたしは三食の中で、朝ごはんが一番好きなので
こうやって、ゆっくり起きてテラスでのんびりと
朝食をとるのがすきです。

最高のぐうだら休暇ですが・・・


マダムがことこと煮たジャムがテーブルに並べられていて
緑に囲まれて、小鳥の声を聴きながらコーヒータイム。


前庭はこんな感じ。


外観は本当に素敵・・・。






しかし問題がありまして
お部屋のクリーニングは毎日はやらないし

なんと
夜中に
ねずみがでたのです。

古い建物なので、人の歩く音も響くし
よく眠れない上に夜中にねずみが走る音。

安い宿でもないので

「ちょっとねずみは。。。」と思い

朝食後にマダムに
「実は夜中にねずみがでました」と話しました。


マダムいわく
庭には時折、大きなねずみをみることがあるのだけど
室内にまでくるとは知らなかったとのこと。

早速、手伝いのスペイン人の女性に
音を鳴らしながら部屋の掃除をするように頼むとのこと。


会話していて気がついたのですが
マダムは、殺虫剤とかねずみ殺しの薬をまく気は
なくて、ねずみとりや、猫をねずみ番にしなくちゃね・・・と
話をされるので
つまり、ここは農家に泊まるのと同じなんだな、と
わかったのです。

以前、音楽家がこの宿に泊まったとき、ねずみでも
殺しちゃいけないと、いわれたとマダムがお話されていて。

たしかに
ねずみはいやなんだけど

自然派のマダムになにやら感心しました。

アイロンのかかった白いシャツに白いパンツ姿
メイクは少しでも、本当に爽やかでかわいらしい女性で
わたしもこうなりたいなあ、と思ったものです。

会話の最後で
「実はマルセル・パニョルの少年時代の本を読んでいて
なんというか、この家は、マルセルの田舎の別荘のようですね」

いい経験だったとマダムにいうと
「本当にそうねえ」といいながら
ねずみ談義は和やかに終了しました。

お部屋のクリーニングも
毎日やるのも、無駄だなあ、と思いました。

ちなみに、このお宿、猫ちゃんがおられるのですが
高齢すぎて、ねずみの居場所がわからないそうです。

リヨンのホロスコープ時計

2008-08-06 05:13:15

南フランスの気候とはうってかわって、リヨンは湿気が多くて
日本の夏のような感じでした。

旅も一週間続いたので、胃袋の休憩にトマトのスープを
ふらっと入ったカフェで注文しました。

ピッチャーにたっぷりと暖かいスープが入っています。




ピッチャーにいれると、ほかの人にも渡しやすいし
なかなか、便利ですね。急にピッチャーがほしくなりました。

さすがに、何杯もスープだけを食べるのはお腹がいっぱいに
なって、下げてもらおうとすると

「あーら、まだ残っているわよ!全部たべないと」
といっていたらしい(注;フランス語)

ドボドボとマダムにスープを注がれ、結局
おなかちゃぷちゃぷになりながら、完食したのでした


今回、また、リヨンにきたかったのは
リヨンの教会の中にある、ホロスコープ時計を
もう一度みたかったからです。



スープを食べ終えて、ふらふらと教会の中へ。

すると、時計の前にベンチがあって
おじいさんが座っていました。



近くに座った私になにやら、身振り手振りで
話をしてくるのですが、
さすがに、国際連想ゲームにも限度があり、
おじいさんが、何をいいたいのかわからず。

わからない、、というか
手を広げたおじいさんの指の一本が短くて
それにギョッとして、そのことに気をとられて
悪いことをしたな・・と思いました。

実は、おじいさんは毎日、4時にこの時計のからくり人形が
動いて、音がなることを私に教えたかったようなのです。

全部、フランス語でしたが、時計の前に説明文があり
15時と16時に音がなる、ような感じのことが
かかれているようで、

おじいさんの身振り手振りで
手を頭の上にあげて、きらきら星のようなしぐさ
シャララン、というような音を口でまねていた、その姿に
わたしは、彼の指が短いことに気をとられ、

自分が恥ずかしくなりました。

また次の日の16時にここにきて
からくり時計が動くのを見にこよう、そしておじいさんに
ありがとうをいおう、と次の日も15時すぎに教会にいったのだけど
おじいさんはおらず。

16時までほぼ、一時間、時計の時を刻む音だけを
聴いていました。

それは、普通の時計のカチカチという音ではなくて
微妙に現代の時計の音とは、数字ではあらわれないような
ズレを感じ、そのズレが心地よくて。
時計には365日の何かが書かれていて、秒針もあり
とにかく不思議でたまらない。

リヨンは
私にとっては、かなりミステリアスな場所で
西洋占星術がさかんであったことは、歴史を知らずとも
道をあるけば、あれ?と思うこともあり。

星や太陽の動きが神秘的であることを
最近、よく感じるので、リヨンにいくと
その神秘が感じれるのではないかなと思います。

坂の街、リヨン

2008-08-05 06:34:47
リヨンの世界遺産地区の中にある
古いお屋敷を改装した宿。


297段

登らないとたどりつかない
場所でした




ぜーはー

登ること5分以上
到着したドアも古くてツタが絡まっていて素敵



薔薇、紫陽花が咲き乱れたお庭で
噴水があって
その向こうの眺めは古いリヨンの街並み

まるで映画のセットのような
空間にうっとり





オーナーのマダムがこれまた素敵で
お台所でことこととジャムを煮ておられて
完全に異空間のこのお宿。

二日滞在しましたが
いろいろと・・・・
ありました・・・。

続く


さよならマルセイユ

2008-08-04 07:16:17
マルセイユは海のすぐ近くに滞在してました。





街中にでるには、バスに乗るか、歩くか、タクシーなんですが
夜9時過ぎるとバスがおらずに、タクシーに乗ることにしました。

街の中央から宿までは直線距離にすると、3キロくらい。
軽くタクシーで戻れると思ったのです。

タクシー乗り場で地図を見せると
(この時点で、地図をみせた私が間違っていたのですが)

わたしを乗せたドライバーは
おもいっきり大回りをして、
別に見る予定もなかった、マルセイユの海岸線を長々と見てしまいました。

ああ、ボラレタ

と思ったのですが、言葉も通じず、ガラの悪いこの
運転手のずーずーしさに、最後は人間観察が面白くなって
こいつ、どこまで大回りするのか、眺めていました。

最後、嫌味をいうこともできないので、
プラス チップまで差し上げました


宿のマルコさんに
「また、ボラレタ」というと、今度はパートナー氏までが私の部屋を
たずねて、
「嫌な思いしたね、ごめんね」というのです。

ここは、タクシー運転手は本当に態度が悪くて。
自分も駅までタクシー乗ったら、なんで空港にいかないのかと
逆切れされたとか

ここまでするんだなあ・・と
わかるよ、いま、ガソリン代も高いし、物価も高いし
タクシー運転手も大変なのはわかる。アムステルダムも
五星ホテルから中央駅までタクシーに乗ると、すごい大回りするから
同じなんだけど、やはり、マルセイユのほうが悪質だね・・と

まあ、いい経験になりました、とパートナー氏にいうと
それでも、「本当に恥ずかしい話だよ」と申し訳なさそうに・・。



さーて、マルセイユともお別れです。




マルセイユはとても楽しかったけど、やはり、治安が悪いという
ことで、去るときは、なにごともなかったことに安心感。
帰りは地下鉄でTGVが出る駅へと向かいました。

駅について、地下鉄から地上に上がる際
皆、エスカレーターを利用し、混んでいました。

わたしも、荷物を前方にのせ、エスカレーターに乗ったのですが
すこーし、気がゆるんでいたのかもしれません。

急にエスカレーターが急停止して
体ががくん、と前のめりになりました。
当然ながら、全員、前のめり。

の、はずなのに
私の斜めかけしていたポーチは後ろに引っ張られたのです。

つまり
急停止すると同じタイミングで後方の人間が
わたしのバックに手をかけていたんです。

瞬間に、「あ、盗られる」とバッとポーチを自分のお腹のほうへ
ひっぱり、荷物をかかえて歩いて地上へ。

後ろをよく振り向く余裕もなかったのですが
その、バックに手をかけた人物は特定できていて

普通の10代女性二人組。
とてもスリには見えない、この二人の存在にまったく気がつかず。

スリのイメージとはちがう。

普通の高校生のような風貌に
どうりでスリが連発するはずだ、と理解しました。
とても、あの二人が盗みとは思えないし。

しばらくすると二人は新たな獲物を探し始めました。

数メートルほど離れていましたが
彼女らもわたしをみて、わたしも目をそらすことなく
数秒、お互いを目で確認というか
あちらは、しくじった、私は別ににらむ気はなかったけど
視線をそらす気もさらさらなく。

それにしても
このスリ未遂で思ったのは
自分が見えない誰かに守られているってこと。

あのとき、エスカレーターが急停止しなかったら
お財布もパスポートも盗まれていたかもしれない。

エスカレーターが止まったタイミングがどうしても偶然だと
思えない・・・と考えながら、リヨンへと向かいました。


思い出の場所へ

2008-08-02 17:36:24
オーバーニュへといきたいのだけど、どうやっていったら
いいのかな、

と宿のマルコさんに相談すると
「あそこにいっても何もないよ・・あまりお勧めできないなあ」と
いわれたので、マルセル・パニョルの記念館があるらしいから
というと、次の日の朝、バスを調べてくれていました



マルセイユからオーバーニュ行きのバス。
ドライバーは時間までバーでおしゃべり&コーヒータイム。




なぜ、このマルセルの少年時代の話が好きなのか
自分でもよくわからなかったけど
旅の途中で本を読んでみると、何度も涙が出てくる場面が
あり。

マルセルは小学校教員の父、お針子だった母、弟、妹とマルセイユに
すんでいて、母親が体が弱いことから、父とおじさんのアイデアで
山に別荘を買うことにします。

その山での暮らしが、
その後、マルセル15歳の時に最愛の母をなくし
山で知り合った親友 リリを20代前半で戦争で亡くし
大人になって羊飼いとなった弟ポールが30歳で、あっけなくこの世を
去ってしまったことも含めて、

マルセルが年を重ねれば重ねるほどに
思い出は鮮明に蘇ってくるのです。








マルセル少年は、ベロン山に住む少年リリと知り合い
その友情は生涯消えることなく、心に焼きつきます。

街に戻ったマルセルにリリは粗末なノートを破って
3日かけてマルセルに手紙を書きます。

マルセルが街にもどってからの山のことを間違った字で
書き連ねてあり、なかなか読めないものだから、父親が代読。

「君にあいたいです」

「君のいっしょうの友達リリより」

と繰り返し書いてある、その手紙に
父親は「情の深いやさしい子だね」と母親につぶやいて

マルセルにこういいます。

「この手紙は大切にしまっておきなさいよ。いつか、この手紙の
価値がおまえにもわかる」と。

とお父さんは言ったけれども、マルセルはこの時点で
リリの心のこもった手紙の価値をすでに理解していました。

寒いクリスマス前、一家は歩いて山へと休暇に向かいます。
何時に到着するかもわからぬマルセルを、いまか、いまかと
村の広場で、寒さに震えながら、リリは何時間も待ちます。

再会したときに
彼が何時間も待っていたことに、そういったそぶりをみせないリリの
態度に、また、マルセルは子供心ながら、感激するのです。


この日、私がオーバーニュにいってみると
そのマルセルたちがかつて向かった「トレイユ村」いきの
バスがあることを知り、私も行ってみました。




夏の午後、セミの声をききながら、田舎の道を20分くらい。
バスには私しかのっていませんでした。


マルセルとリリが再会した村の広場だと思います。




ほとんど人の存在を感じない、この村に
すでに、本の登場人物はこの世に存在しなくて。

木陰に座って、セミの声と風にふかれて、目を閉じると
なんとなく、ここまで自分が登ってきたことにも不思議に思えて。




18歳のころから、ここにずーっときたかったけど
今、やっと願いが叶ったなとぼんやりと考えました。


来たからといって、別になーにもない村なんだけど
だからこそ、本に登場する人たちが、生きていたころのことを
想像することもできて、静かな午後を過ごしました。


坂道を降りるとバス停があるのですが
バスが何時にくるのかもわからず。

田舎ですから、1時間に1本あればいいほうで。


のんびりと坂道を降りていきました。



すると、坂の途中に緑の扉があって、上には十字架。

「なんだろう」と思い、入ってみようと思いました。

扉に手をかけようとしたとき

いままで、ぜんぜん、人がいなかったのに
坂道を女の人が走ってきて
バス停に向かっているようにみえたので

「え、バスきたの?」
扉を開くのをやめて、つられて私も走っていきました。

バス停には
バスもいなければ、女の人もおらず。


暑くて、疲れるので、また坂をあがる気力もなく
ぼんやりと、緑の扉があった場所を眺めると、
なにやら、とにかく気になる。でも、体がうごかないし
バスをまってマルセイユへと戻りました。

マルセイユの宿でエアコンつけて
ソファーにころがって、マルセルの本を読み返していました。

最後の章で弟、ポールがあっけなく病院で亡くなり
トレイユ村へと埋葬したこと。

その弟の埋葬に親友リリは自分につきそってくれなかったこと。

それは
リリのほうが、数年前からその墓地の一角にいて、
ポールを待っていたこと。

このページを読み返したとき
あの緑の扉のむこうが墓地であったことに
気がつきました。

扉に手をかけようとした時に
わたしに開けてほしくなかったんだろうな・・・と
思いました。

わたしは本でリリやポール、マルセルのことを
知っているけど、彼らは見世物ではないし
長いときを経て、今、皆、同じ場所に眠っている場所に
ずかずか足を踏み入れるものではないんだな。

と感じた午後でした。
| 次へ
http://www.cafeblo.com/orange-choco2/index1_0.rdf






(c) 1999-2008 Cafeglobe.com All rights reserved