火曜日は1日中雨が降り続いていたニューヨーク。突然ボランティアがお休みになったので、近所のスーパー等に買い物に出掛けた他は家でのんびりと家事をしていました。
ジムのある階から汗だくで乗ってきた女性は「こんな日は外に出なくても運動ができて有難いわ」とニコニコしていました。「毎日運動しているの?」と尋ねると、「私の父親が朝起きたら子供達を走らせるタイプの人だったの。だから毎日体を動かさないと気持ち悪いんだよね。私に子供ができたら同じことをするわ。」と言っていました。
結構、ちょっとした会話から発見があるものですね。
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さて、今回は母の日についてボランティア仲間と話した徒然です。
月曜日のボランティアは母の日の翌日だったので、「母の日はどう過ごしたの?」が挨拶のようになっていました。相手が母親か相手やその配偶者の母親が居る確率が高いと踏んでの質問なのでしょう。
ニューヨークに来てから感じたのですが、こちらの人は女性の立場の違いについて気にしつつも、取り敢えず「お子さんはいるの?」とか、「結婚してるの?」とか、「母の日はどうだった?」とか聞いてみる傾向が強いです。
結婚してるかどうかとか、子供がいるか否かとか、両親が健在で仲がいいかとか、選択や運の問題だし、両親が離婚していたり、両親と不仲だったり、自分が離婚していたり、子供を何らかの理由で持つことができなかったり、子供を作らなかったりと色んな人がいるんだから、取り敢えず聞いてみなくちゃわからないという感じで、質問してきます。気を遣いつつ。
母の日についてもそんな感じでお互いに質問していたので、私もお茶仲間に「母の日は何かした?」と質問しました。
アメリカ人の方の答えは、「特別なことは何もしなかったよ。娘が私たちのアパートにランチがてら来てくれて、一緒にセントラルパークをお散歩してナイスだったけど。私はチョコレートが大好きだから、バレンタインしか興味がないんだよね。あんな商業化されたホリデーなのにね?私の母は、『プレゼントなんてくれる位なら、家事を手伝って』っていうような人だったし」。
ドイツ人の方の答えは、「私は母の日が嫌いなの」でした。
私もアメリカ人の方も「なんで?」と不思議に思い理由を聞いてみると、「うーん。説明が難しいんだけど・・・。私は女性の権利の平等を信じているの。だから子供は女性が生みたいから産み、育てるもので、それ以上でもそれ以下でもないと思っているんだよね。だから子供を持っている人と、持っていない人の間にあるのは選択の違いだけだという風になって欲しいんだよ。でも、ドイツでは一時期母の日がもてはやされたことがあってね。丁度その頃に私は子供を産んだものだから、母の日に良いイメージがないの。私はどうせ祝うのであれば、母の日ではなくて国際婦人デーにするべきだと思ってるの。」との事。
国際婦人デー(
International Women's Day)は、毎年3月8日に女性の人権を祝うもので、女性が社会進出し、平等な権利を持つことが、世界平和や社会の発展に欠かせないとの考えに基づいています。
今年の国際婦人デーの国連での式典におけるヒラリー・クリントン国務長官のスピーチはとても良かったので頭に残っていましたが、あまり馴染みがない記念日ですし、母の日についてそんなに真面目に考えたこともなかったので、そういう考え方もあるのか・・・と考え込んでしまいました。
私が幼少の頃は、母の日といえば『お手伝い券』を作ってプレゼントしていました。お小遣いはどうせ両親が稼いだお金なので、お小遣いで買ったプレゼントでは意味がないとの考えから、何でも手伝いを言いつけられるクーポンみたいなものをプレゼントしていた訳です。
そうやって家族の中で、産んでくれたことや家事をやってくれていることを感謝するのは大切だと思いますが、学校などで母の日にはお母さんへの感謝の手紙を書かせたり、プレゼントを作らせたりするのに、国際婦人デーについては教えもしないということが、女性の地位の固定化につながるのでは?と言われれば、問題な気もします。
母の日1つとっても、人と話していると発見があって面白いものです。