私のこと、N.Y.のこと [2007年05月23日(水)]
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さて、今回は、私が、どんな人間であるか、ちょっとだけ知っていただきたいと思います。私は、N.Y.を拠点に活動するフリーランスのジャーナリストです。 N.Y.の風に乗って、アメリカ国内はもちろん、日本や世界各地へと飛びまわる日々を過ごしています。
最初に、私がN.Y.を拠点にすることを選んだ理由について説明したいと思います。日本で某出版社の編集者を務めていた頃、何かに行き詰ったり、辛いことがあったりするたびに、1人でN.Y.を訪れ、この街が発する強力なエナジーを充電し、パワーと勇気をもらって、元気になって帰ることができました。そして、そのたびに「一度限りの人生なのだから、大好きなこの街で暮らしてみるものいいかもしれない」と漠然と思っていました。 そんな私にN.Y.行きを決断させたのは、2001年の同時多発テロ。この事件に、とてつもないショックを受けた私は、儚くも一瞬で命を失われた方々のご冥福を祈ると共に、生きている限り、日々、悔いのないように精一杯生きようと思いました。同時に、「私にパワーをくれたN.Y.に何か恩返しがしたい……。そのためには、N.Y.に住もう!」という思いが自分の中にふつふつと湧いてきたのです。 N.Y.に住んで現地の情報を日本へ配信することで、テロの恐怖により遠ざかっていた日本の人が再び、NYを訪れてくれるきっかけを作れば、N.Y.の発展に貢献できるのではないか……おせっかいながら、そう思ったのでした。 それまで流行や社会の流れに身を委ねて生きてきた優柔不断な私が、驚くほど明確に結論を出すことができたことに、我ながら驚きました。思い切って会社を辞め、両親を説得し、旅立ちの準備をしました。N.Y.には、これといった知り合いもおらず、先行きの保証も無かったので、あまりに無謀すぎる決断のようでしたが、私にとっては、非常に意味のある小さな一歩だったと思います。 そんな風にして、私の小さな夢が形になったのは、今からちょうど5年前の2002年5月15日。 ![]() マンションを出ると眼前に聳えるクライスラー。 当面の生活資金は、退職金と僅かな貯金で倹約すれば何とかなると目算し、中途半端な英語をブラッシュアップするため、NYU(ニューヨーク大学)の語学学校に通いました。3?歳の手習いは、なかなか手厳しいものがありましたが、何よりも、自分で稼いだお金で勉強できることが、なんだかとてもうれしくて、やりがいもありました。 ![]() 近所にある隠れ家的イタリアン『L’IMPERO』。何気ないトマト・ソースのホームメイド・パスタが絶品! あれから5年。編集者時代に担当していたフード、エンターテインメント(映画、音楽、アート)を、今も追いかけ続け、それを通して、N.Y.でなければ出逢えなかったような方々のお話を直接伺うことができ、日々、インスパイアされています。 以来、どんなことがあっても、この街が発するエナジーに支えられてきました。そんな醍醐味を独り占めするなんて、もったいない! 私がN.Y.の風によって感じることが出来た、この街の躍動感や、取材で出会った素晴らしい機会のこぼれ話などを、皆さんにおすそわけできれば幸いです。 ![]() 部屋から見たマンハッタンのサンセット。 |






