お互い年をとりました(あにき) [2007年10月27日(土)]
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◆横山典騎手の長男が競馬学校合格◆
来年度のJRA競馬学校騎手課程入学試験 合格者が 26日に発表され、横山典弘騎手の 長男和生君(14)が約14倍の難関を突破した。 (26日付日刊スポーツ) 忘れもしない、オグリキャップがターフを去った 1990年、当時中学3年生だった僕は、1頭の馬と 出逢い、一気に、競馬というものに魅せられた。 馬の名はメジロライアン。その主戦を務めたのが 若き日の横山典弘騎手である。当時イケイケだった 典ちゃんは、大レースでたびたび「チョンボ」をした。 クラシックは4着、2着、3着。暮れの有馬で2着。 誰もが認める実力を持っていながら、あと一歩で、 栄冠に届かないのは、騎手のせいだと言われた。 しかし、オーナーの北野ミヤおばあちゃんは、 「下手だけど、乗らなきゃ巧くならないんだよ」 「お父さん(横山富雄騎手)を超えるような騎手に」 と、典ちゃんを鞍上から下ろそうとはしなかった。 賞金で牧場経営を行うオーナーブリーダーとしては 内心、ほぞを噛む思いであったはずなのに。 そして、翌91年、ついに、歓喜の瞬間が訪れた。 宿敵メジロマックイーンを下し、宝塚記念優勝。 しかし、さらなる飛躍が期待された矢先に、 屈腱炎を発症。その後は入厩と放牧を繰り返し、 二度と本領を発揮することなかった。そして、 1993年、日経賞優勝を最後に、4年に及ぶ 競走生活にピリオドを打った。19戦7勝だった。 その引退式。あの強気でならした典ちゃんが、 去りゆく盟友を前に、人目をはばからず涙した。 人と馬との絆。人と人との絆によって紡がれた 競馬という大河ドラマの楽しさと厳しさ、その両方を 教えてくれたのが、ライアンと典ちゃんだった。 そんな典ちゃんの息子さんが騎手になるとは。 これだから、競馬はやめられないのだ。 |












