更新日:2011年4月06日



子どもが溺れているのを見たら、助けますか?

カテゴリ:GRP 2006/貧困編カテゴリ:今日できることをしようカテゴリ:地球温暖化  2010年3月01日

少し前、ラジオである話を聞いて、「うーーーーーーん!」と唸ってしまったことがありました。

その話というのはおおむねこういうものでした。

あなたはある沼のそばを通りかかりました。パチャパチャという水音がして目をやると、小さな子どもが溺れています。
「これは助けなければ!」
そう思って沼に入ろうとしたとき、今日はおろしたての真新しい靴を履いていることを思い出し、沼に入ったら汚れてしまうので、子どもを助けるのをやめてそのまま目的地に急ぎました。

なんてひどい!

ですよね。まさか自分はそんな判断をするわけがない、とわたしも思います。靴なんかダメになったって、子どもを助けるに決まってる、と。

でもそこでラジオで話していた人は言いました。
「じゃあなぜ、今日も世界の貧困国では子どもが次々に死んでいるのに、わたしたちの多くは一足の靴代も貢献しないで平気でいられるのでしょうか」
……ごもっとも。

目の前で起きていることは見逃せなくても、見えないことはなかったことと考えられるのが人間である、というちょっと哲学的な番組で、とくに貧困救済のために寄付をしていない人を糾弾するトピックではなかったのですが、しばらく考えてしまいました。

目の前の子どもが溺れるのを放置するのと、世界の別の場所で貧困が理由で今死にかけている子どもが確実にいるのに何もしないのと、本質的には同じことなんですよね。

背筋がゾワゾワとしました。

貧困の解決がこれだけ叫ばれているのに、国連によれば、世界で栄養失調になっている人はむしろ増加中で、そろそろ10億人に達しそうなのだそうです。

日本も含め、どこの国も財政赤字で苦しいわけですが、何か画期的に変えていかないと、と思います。

もうちょっと知りたかったら、このサイトがおすすめです!
One.org(日本語版)


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靴を脱ぐという発想はこういう場合なしですか?

突然すいません。

その話の中の人は新品の靴に気づくまでは沼の中に入って助けようと思っていたんですよね。

その気持ちは素晴らしいのにその後とのギャップのせいでよりひどい人に見えてしまうのかも。

人それぞれ違ったりするけど、助けたいって気持ちはみんな持ってると思います。

性悪説を信じてる僕が言うのもなんなんですけど。

人それぞれその気持ちに自分をどこまで犠牲に出来るかということが人によって大きな開きがあると思います。

余裕のある人だったらない人より出来ることが多いだろうし、助けたいと思っても逆に何か騙されてるんじゃないかと思ったら二の足を踏んでしまったり・・・

でも理想論かもしれないけど、靴が汚れるのが嫌な人に脱ぐことを教えてあげたりそんなちょっと迷ってる人の背中を押してあげれる方法があったらなって思います。

野菜の価格を維持するために廃棄したり肉のおいしい部分だけを食べて残りを捨てちゃったりする世の中だったりするので、そのいろいろな無駄な流れを良い方向へもっていける方法があるんじゃないかと思います。

そのお話の中の人は極端だと思いますが今の世の中見て見ぬフリをする人ばかりで、かくいう僕も自分のことでいっぱいいっぱいだったりします。

みんなはたぶん公園に住んでるホームレスの人たちを見ても助けたいって思うより怖い嫌だっていう気持ちがしてしまうと思います。

ちょっと書いてる途中でまとまりがなくなってきたんですけど、そういう余ってるところや捨てるところなどリサイクルの3Rじゃないけど、みんなに負担に感じない範囲で社会や世界が変えていく方法はきっとあるんじゃないかなって思いたいです。

たぶん途上国の人たちにとっては今現在の話でそんな方法の実現を待ってる余裕などないとおもいますが・・・

長くてすいません。

P.S.性悪説ですけど、善悪の区別は社会によって様々で人は生まれてきたときからその判別をするってのは無理だって意味での性悪説です。

どんなに良いことをしていてももし極端ですけど人を殺すなど悪いことを少しでもすればこの世界では悪となってしまうので。

だからこそ人にやさしくできるってことはすごくかけがえのないものに感じられると思います。

人がみな完璧じゃないということを理解することで人を許すことも出来るんじゃないかと思います。

投稿者 ミドレンジャー : 2010年04月17日 11:56

Twitterからリンクしてまいりました。

>目の前の子どもが溺れるのを放置するのと、世界の別の場所で貧困が理由で今死にかけている子どもが確実にいるのに何もしないのと、本質的には同じことなんですよね。

「重要度」においては目の前の子供と別の場所で貧困でなくなる子供の命は同じですが、「緊急度」を考えて目の前の子供の命を救うことを優先すべきだと思います。特に、その子の救出を実行できるのが世界で自分だけの状況だとしたらなおさらですよね。
ただ、論理のすり替えが起きているのですが、この目の前の子供を助けなかった方は「目の前の子供の命」と「貧困で苦しむ子供の命」を比較し意思決定をしたのではなく、「新品の靴」との価値判断で目の前の子供を助けないことを決定したわけですよね?
その価値判断自体は疑問を投げかけざるを得ないと思いますが、世界の別の場所で貧困が理由で今死にかけている子供たちを助けることについてのラジオで話していた方の問題提起自体は理解できます。

災害・貧困支援等の募金等で個人でできることもありますが限定的なので、制度的に抜本的に支援できるシステムが確立されると良いですね。

投稿者 MeWe : 2010年04月18日 09:44







青木陽子
Cafeglobe
ファウンダー・取締役
女性誌編集者時代、自分を含めまわりの女性たちが本当に読みたい媒体がないことに気づき、1999年に現社長の矢野とともにCafeglobeを立ち上げ、6年間編集長をつとめる。現在、パートナーの暮らすロンドンと東京の二重生活を実践中。
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illustration / Nakagawa Isami

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