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さくらんぼの季節

2007-05-31 16:04:14
日本では高くて思いっきり食べられないけど、
こちらでならお財布を気にせず思う存分食べられる果物。
さくらんぼもその一つ。


食べ終わりそうな頃撮ったので、ちょっと弱り気味ですが・・・

街角の果物売りから買うと
500グラムで8元〜15元くらい(1元は15円程度)。
大型の農産物市場に行けばもっと安いかも。



もちろん、
山形のほれぼれするような宝石さくらんぼではなくて、
ちょっと青臭くて甘酸っぱい素朴なさくらんぼ。



ある日、
画伯がビニール袋にどっさり買ってきてくれた。



それから3〜4日の間は、
おウチご飯のデザートにさくらんぼ。



北京にいる幸せをかみしめるこの季節。

同じ皿のメシ

2007-05-29 02:35:50
  三里屯にあるドイツ風パブ、Schindler's Anlegestelle(中国語名:辛徳勒碼頭餐廳)に行ってきた。日壇公園南門の近くにあるSchindlers Tankstelle(中国語名:
辛徳勒加油站)の姉妹店。“Tankstelle”はガソリンスタンドだったけど、“ Anlegestelle”のほうはドックステイション。航海をテーマにしたインテリアのパブだ。

 ドイツ大使館がほど近いこともあり、お客さんはドイツ人を中心にした西洋人がほとんど。北京にいることを忘れてしまいそうなほど、西洋度の高いスポットだ。



 ドイツビールを飲みながら、メニューと睨めっこして、いくつか料理をオーダー。



緑葉沙拉配鮮磨龍蒿醋汁
ホワイトマッシュルームのグリーンサラダ(タラゴンドレッシング)
(長ネギが乗っかっているのは中国ならでは?)



香腸[手偏+并]盤
ソーセージ・ハムの盛り合わせ



茄汁[火会]蔬菜[火考]芝士配土豆
野菜のトマトソース・チーズ焼き(ポテト添え)


 はい、ここまで出てきたはいいものの、取り皿がない。中華レストランなら、たいてい取り皿があらかじめセットされているのに。わざわざ店員に頼んで、ようやく取り皿到着。



夏野菜がゴロゴロ入っていてなかなか美味。



 そうこうしているうちに、店内も混んできた。ホールの反対側には、ドイツ人らしき男性が6人陣取って、グイグイと豪快にビールを飲み干している。彼らの頼んだ料理も一つ、二つとテーブルに並び始めた。

 でも、彼らからは「取り皿を!」という声はあがらない。そう、西洋の人は一つのお皿の料理をシェアしたりせず、それぞれ一品料理を食べるので、取り皿が必要ないらしいのだ。

 いきおい、西洋人客がほとんどのこのお店でも取り皿を要求されることはほとんどなく、テーブルにはセットされていなかったという訳だ。

 西洋人は他人と料理=お皿をシェアするのを好まないと聞いた。パーティや気の置けない友人や家族との食事では例外なのかもしれないが、レストランでは銘々が頼んだ料理を一人で食べるように思う。

 それに比べると、中国人は同じ皿から物を食べるのが基本スタイル。「同じ皿のメシ」を食うのが普通だ。それどころか、同じ箸でメシを食う仲だったりもする。

 中国人と一緒に食卓を囲むと、隣にいる人やその日のホストがおかずを自分の箸でつまんで、私の取り皿やご飯茶碗の上に(勝手に)のっけてくれることがある。これを始めてやられた時は、正直言ってかなりひいてしまった。

 「おかずを自分の箸で取って人のお皿にのっける」行為は、中国人にとっては親しさや近しさの表現手段なのだが、大皿から直箸でおかずをつまむことさえ憚られる日本人の習慣からすると、これはいかにも受け入れがたい。さらには、これをやられてはそのおかずを食べない訳にはいかない。言ってみれば、食べるおかずを強制される訳だから、あまりいい気持ちはしない。

 この「勝手におかずを取ってあげる」という行為は、大人びてきた思春期の子供たちには嫌われているようだ。ドラマなどでも、親からおかずをのっけられて不快な顔をしたり、「こういうの、やめてくれる?」とあからさまに反抗するシーンを見たことがある。

 同じ皿のメシが食えるか。同じ箸でメシが食えるか。

 人と自分との距離感の保ち方、「個人」をどんな風に括るのかといった問題が、こんな些細なことにも表れている・・・一人一人別々のメニューを黙々と食べ続けるドイツ人を横目にビールを飲みながら、そんなことを思った。

北京の岩盤浴で冷や汗を流す

2007-05-25 15:13:56
 最近、岩盤浴にはまっている。日本に一時帰国した時に?いやいや、北京にも岩盤浴があるのだ。

 その名も「石尚岩盤館」 。貴宝石を使った本格的な岩盤浴スパだ。

 マンションの一室ながら、ドームのような岩盤室にはずらりと岩盤ベッドが並び、温められた岩盤の熱気と天井近くの蒸気ノズルから吹き出る蒸気とで、もわわんと白くけぶっている。

 「初めはなかなか汗が出ないかもしれないけど、何度か通うとだんだん出るようになりますよ。」

 お店の人にはこう言われたが、岩盤の上に横になりぴとっと密着すると、3分もたたないうちに、じんわりと汗がしみ出してくる。

 なかなか出ないどころか、5分後には顔中汗だらけ。私はもともと発汗しやすい体質なのだ。その後はひたすら汗垂れ流し状態で、60分の岩盤浴が終わる頃には汗だくだくになってしまった。

 頭のてっぺんから足の先まで全身汗びっしょりの、 うでダコ女の一丁上がり。 ほひ〜。こりゃクセになるね。

 ところで、岩盤浴ではもちろん中国人のご婦人方ともご一緒するのだけれど、彼女たちがよくまあおしゃべりすること!

 日本で岩盤浴はしたことがないけれど、思うにこれって、日本人にとっては「癒しの空間」。岩盤に身を横たえたら、あとはまったり静かに過ごすもの・・・と思っていたのだけれど、中国のご婦人方は、やれ温度が高いだの低いだの、前回来た時はどうだったの、仕事はどうだの・・・と、話題は尽きることがない。しかも岩盤室って反響するから、かなりうるさい。

 日本人にとっては「癒しの場」でも、中国人にとっては「社交場」、 どんなにいっても「ストレス発散」の場でしかないのだなあ、と妙な納得をして岩盤浴を後にした。

*****


 さて、すっかり岩盤浴にはまった私は、先週の土曜日もまたひとっ風呂浴びに行ってきた。これで4回目の岩盤浴だ。最初に行ったのが5月1日だから、結構なリピーターぶり。

 この日は、北京生活の大先輩お二人とご一緒させていただいた。例によって、ゴロリンと横になって、はひ〜。ああこのまったりゆったりがたまりませんなあ・・・と、うでだこに向かってまっしぐら。

 そうこうしているうちに、中国人の女性が二人入ってきた。ああ、またぺちゃくちゃおしゃべりモード全開かしら・・・と思っていたら、このお二人はまったりゆったり系だったらしく、ぽそぽそっと小声で二三言話した後は、無言で岩盤浴満喫状態に入った。

 ふむ。中国人女性にもいろいろいるってことね。当たり前のことを思いながら、だくだくと汗を流し続けた。

 しばらく無言でまったりしていた私たちだが、時間が半分くらい過ぎたあたりで、同行の女性が話しかけてきた。ぽつぽつと受け答えしているうちに、どんどん話が弾み、あーだこーだと話は盛り上がる。

 「それで・・・」
と言いかけたところで、静かに寝そべっていた中国人女性の声が聞こえた。

 「もう少し小さい声で話してもらえませんか?」

 シュン。

 やってしまった。これじゃあ私、この間のやかましい女性たちと同じじゃないか。

 普段から中国人女性の衛生観念はどうの、マナーがどうのとか言っているくせに、気づけばどっぷりこっちのスタンダードにはまってしまっている自分。どうせみんな気にしないのだから、自分も同じようにしてもいいやと思う自分。水は低きに流れるもの、気をゆるめれば落ちるのはあっという間だ。

 自分たちにない習慣、考え方を「信じられないわよね?」と言って、心の片隅で、いや、あからさまにバカにしていたら、自分もそんな「信じられない」とささやかれる対象になっていたとは。

 それに、「中国人のご婦人方は・・・」なんていうふうに、十把一絡げにしてはいけない。現に、岩盤浴でまったり静かに癒しの時を過ごそうとする女性もいたではないか。犬食いが主流ではあるけれど、美しく食事をする女性もいるし、雨の日にようやくつかまえたタクシーをお年寄りに譲ってあげるような心優しい女性もいる。一度や二度見かけただけで、自分の先入観や風評である国の人を判断するものではない。

 そんなことを胸に刻みつつ、静かに岩盤に横たわり続けた。

 それにしても、今回ご一緒したあの女性たちが、「日本人って、岩盤浴でぺちゃくちゃおしゃべりするのよ!うるさいったら!あの人たちにとっては岩盤浴は癒しじゃなくてストレス発散にしかならないみたいよ!」なんて言っていたらどうしよう!

 そう思うと、変な汗が出てきそうだ。


■お店情報
 石尚岩盤館
 朝陽区建国路93号万達広場3号楼1階12−1
 010-5960-3320(日本語オッケーです)
 www.stonespa.cn

 *1回138元。回数券購入で90元。8800元回数券を買うとなんと60元に!
  足ツボマッサージもいいけれど、北京で岩盤浴もいいですよ。

関口知宏さんの中国語

2007-05-21 19:03:52
 関口知宏さんが、気になる。

 日本で一筆書きの鉄道紀行をしていた頃から、そのゆる〜いお人柄、ゆる〜い旅の様子、それとは対称的な多彩ぶり(イラストや音楽)が、なんとな〜く気になっていた。

 お父上に似ているような似ていないような顔立ちと声が、近所のおばちゃん的なヤジウマ根性も刺激したのだと思う。

 彼のことが「なんだか気になった」人は私以外にも多かったようで、鉄道旅には続編ができた。関口さんは日本の一筆書き旅を終えると、スイスやらトルコやらカナダやらへと、日本を飛び出して鉄道旅に出かけ、行く先々で絵を描いたり、現地語の歌を作ったりし始めた。

 海外に出ても、相変わらず気張らずゆる〜い旅だったが、そのゆる〜い旅がまた味わい深く、続編に次ぐ続編が制作され、関口さんは「このかた2年旅しかしていない」のだそうだ。

 その関口さんが、今中国で鉄道の旅を続けている。それが、『関口知宏の中国鉄道大紀行』

 4月初めにラサを出発し、二ヶ月かけて延々西安までの鉄道の旅。これが春の旅。なんと秋には、西安からさらに旅を続けるという。

 この関口さんの中国語が、かなりいい感じだ。

 中国の鉄道という思いっきりローカルな環境にどっぷりつかり、さらには通訳さんがずっとつきっきりとは言え、かなりお上手なほうに入ると思う。

 いやいや、すらすら、ペラペラ話せるということではないのだ。私が「うまい」というのは、発音のこと。

 中国語の発音はとても難しいと言われる。舌を上あごにつけたりくるりと巻いてみたり、息を強く吐き出してみたりぐっとおさえてみたり、「ウ」の口で「イ」だの「エ」の口で「オ」だの、なんとも複雑怪奇。

 それに加えて中国語には「声調」というまたまた面倒なものがあって、これが学習者泣かせなのだ。

 「四声」といって、全部で四種類。

  ・高い音域でまっすぐのばす「一声」
   (バットでボールを「カーン」と打つ時の「カーン」)、
  ・低音から高音まで一気に上げる「二声」
   (びっくりして思わず「エエッ?」と声をあげる、の「エエッ?」)、
  ・低く抑えてその勢いでちょろっと上がる「三声」
   (がっかりした時の「アァア」)、
  ・高音から低音まで一気に下げる「四声」
   (カラスの鳴き声の「カア」)だ。

 関口さんは、この声調がほとんどぶれない。そり舌だのまき舌だのも、かなり正確に発音できているほうに入る。

 この「声調」がぶれない、つまり音の上げ下げが正確というのは、中国語を話す上でものすごく大切。ひとつひとつの発音よりも、声調が合っているかどうかで、中国語が通じる通じないが決まるといっても過言ではない。

 例えば、右と左。

 右は中国語で「you4」。「you」が発音で、「4」は第四声のことなので、つまり、「カア」のイントネーションで「ヨウ」と言う。

 左は中国語で「zuo3」。これは第三声だから、「アァア」のイントネーションで「ズオ」と言う。

 「右に行って!」と言いたい時に、 正しく「向右」と言っているにも関わらず、「左」の声調と間違えて「you3」(「アァア」で「ヨウ」)と言ったりすると、通じないことが多い。

 逆に、右と左を間違って「向左」と言っているのに、声調だけは「右」の声調である第四声で「zuo4」(「カア」で「ズオ」)と言うと、これが意外に通じちゃったりするんだなあ。

 中国語における声調はかくも重要なのだけれど、これがホントに中国語学習者泣かせで、マスターするのに苦労している人がとても多い。特に高齢になってから中国語学習を始めて方は、かなり骨を折っていらっしゃるようだ。

 先生が発音した直後にそっくりそのまま真似ているつもりでも、実際には全く違う声調。何度直しても、やっぱり違う。もしかしら、どこがどう違うのかすら、自分では分からないのかもしれない。

 ところが、ある程度の年齢になってから中国語を始めても、ほとんど苦労なく中国人の言った通りに声調を覚えられる人がまれにいる。こういう方たちは、いったん覚えたら声調がぶれることも少ない。

 こうした方たちに共通するのは、音感がいいこと。バンドをやっていたとか、歌が上手いとか、音楽面で長けている人が多いのだ。
 
 逆に言うと、声調がまねできないのは音感が悪いからなのではないかと、私は思っている。耳で聞き取れていない、イントネーションというかメロディとして認識できていないから、それを繰り返すことができないのだ。

 私が初めて中国語を意識した時、「なんて音楽的な言語なのだろう」と思った。実際に学習し始めて、上がったり、下がったり、低く抑えたり、高くのばしたりと、四つの声調が楽譜のようにつながっていくのが中国語だと改めて感じた。中国語はとても美しい言語だ。

 音楽がお好きな音感のいい関口さんは、中国語学習にとても向いている(断言)。カンもいい。今回の春の旅、そして秋の旅で、どれだけ中国語が上達するか、それもまた楽しみだ。

灰色の雨

2007-05-17 19:16:30
「北京はほこりっぽいよ〜。
 今年は黄砂はそんなにひどくないけど、
 もうすぐオリンピックでしょ?
 道路工事に建築ラッシュでさ、
 土埃がひどいのよ。
 ちょっと風が強い日は地肌まで砂だらけだし、
 鼻の中まで真っ黒になっちゃうんだから。
 その上乾燥してるから、
 のどが弱い人は一発でやられちゃうよ。」

そんなこと言われても、
北京のほこりっぽさを実感できない?

では、これなら分かってもらえるかな?

ぽつぽつ雨が降り出して、あわてて乗り込んだタクシーの窓ガラス。



この道、道路工事中。



ワールドトレードセンターの新しいビルも建設中。



タクシーの中でシャッターを切る私を、
建設現場で働く出稼ぎ労働者が怪訝そうに見ながら
通り過ぎていった。



ふと見ると、
持っていた紙袋にも同じく灰色の雨粒のあとがくっきり。

これを、私も浴びたのね。

こんな空気の中で生きてるのね、私。

子が子なら親も親

2007-05-15 18:51:52
 画伯はある大学で美術を教えている。この大学では、毎年この時期になると泊まりがけで長期の写生旅行にでかける。今年は昨年に続いて安徽省まで遠出となった。日程は10日あまり。なかなかの長丁場だ。

 この写生旅行を控えたある日、大学にある学生の親御さんが画伯を訪ねてきた。何の用かと聞いてみると、どうにかして写生旅行に行かなくもいいように取りはからってもらえないかという相談だった。

 親御さんに向かって画伯はこう言った。
「それは、お子さんがこの大学を卒業しなくてもいいといいことでしょうか?」
すると彼らはぶるぶると首を振った。けれど続けてこう聞いてきたのだという。
「でも、旅行先は安全なんでしょうか?」

 なんと、今回の写生旅行が初めて親元を離れての遠出なのだという。親御さんとしては心配で心配でたまらず、できれば旅行に行かなくても済むように教授に直談判に来たという訳なのだった。

 大学生にもなって、大学主催の写生旅行の行き先が安全かどうかを親が気にするなんて・・・。小学生の遠足じゃないんだから。いくら一人っ子とは言え、過保護にするのもほどがあるというものだ。

 よくよく聞くと、泊まりに行くための荷物や着替えの準備もできない学生がごろごろいるのだという。

 出発の当日、画伯が駅から電話をかけてきた。
「駅まで子供を送りにきた親がいっぱいいたよ。」
「ええ?ただの写生旅行なのに?」

 まるで長期留学にでも行くかのような騒ぎである。

 一人っ子政策世代の子供たちが甘えているだのわがままだのと非難する声があるけど、実は問題の根っこはむしろ親側にあるのかも。というか、こっちのほうがよっぽど「つける薬なし」度が高いかも。

円明園点景

2007-05-14 15:55:04
円明園で心に残った風景たち。

いつまでもあたためておいても煮たってしまいそうなので、
あまりいじらないままアップしておこう。

素材は鮮度が肝心!
(と言うわりにだいぶ時間がたってますが・・・



水辺のあめ細工屋さん。


木に咲く花が好き。
花はささやかで控えめでも、
花びらが散った後も、
みずみずしい枝振りと
生い茂る葉を残す樹木が好き。

女もまたそうありたいもの。


小学生の頃、よく花を摘み取って蜜を吸いながら帰った。
歩いて45分の道は小学生には長かった。

花の名は知らな・・・かったのだが、
スイカズラ、別名金銀花と言うそうだ。

中国語では金銀花の他に、
忍冬というなんとも文学的な名前がついていた。



綿雪の正体見たり柳の木。
オソマツ!

これが、綿雪=柳じょを降らせるもと。
柳の実にはこんなふうに綿毛がついているなんて、
今回じっくり見て初めて知った。
世の中知らないことはまだまだ多い。
だから世界は面白い。



キショウブの咲く水辺に、黄色い傘が咲いていた。


遺跡に咲く花たち

2007-05-14 15:12:28
吠え逃げもなんなので、円明園の遺跡に咲く花々でお口直しでも。








ニセアカシアが満開。




あ、こんなとこにも!


100に吠える

2007-05-14 15:04:56
ぼちぼち気張らず更新のこのブログ、なんとか100記事目になりました。

記念にちょっと吠えてみたりして。


[画伯の新作(部分)より。何やら見知った顔が奥に・・・]


特別出演、甥っ子リョッケ&宋祖英(?)


Joeyさーん、画伯の絵はこんな感じでーす。


リョッケは当時生後数ヶ月。

なかなかインパクト大のぶーちゃんぶりが画伯の目にとまり、
作品登場人物の仲間入りです。

「おなかヘンテコリン(おなかポンポコリン)」、
「ハカタンポ(ハダカンボ)」、
「オツキマサン(オツキサマ)」などなど、
数々の脱力系名言を残した彼も、
今では立派に幼稚園の年長さんになりました。

あらやだ最後は叔母バカネタになってしまいました。

これからもちょぽちょぽ更新していきまーす。

心が弱っているときは

2007-05-11 18:06:59
 「冷えた心には(誰かにいれてもらった)あったかい紅茶がいい」
というのは、リビングフード・ダイエットの山祥ショウコさんが教えてくれたイギリス人の習慣だけれど、私はそんな時、街を歩く。


静かなにせアカシア(針槐=はりえんじゅ)の並木。


 できれば少し速めの歩調で歩く。歩きながら、心を冷えさせた原因を、ひとつ、ひとつ、考える。歩く時の足取りのテンポは、どうやらじっくりした思考に適しているらしくて、「あーだった、こーだった」、「あーすればよかった、こーすればよかった」を、まるで日めくりカレンダーを一枚一枚戻していくように、振り返ることができる。



 そうして歩いている間に、街路樹の緑、道ばたの草花、空、雲、日差しが、振り返りの日めくりカレンダーの間にひゅっと潜りこんでくる。そう、急に日めくりカレンダーにきれいなイラストや写真があるのに気がつくみたいに。


大使館街の路面に散り敷くにせアカシアの花びら。


 その美しさ、生命力、気高さ、力強さ、けなげさ、いとおしさ・・・。そうしたものに魅了され、心の冷えはいつの間にかほんわりとしたぬくもりに変わっていく。


強い日差しで乾いた花屑が、カサカサッと音をたてて路面を走っていきました。


 誰かにワーッとしゃべったり、泣いたり、カラオケに行ったり、エステに行ったりして、冷えた心をあたためる人もあるだろう。私だって、そうすることもある。けれどそれよりも、こうしててくてくと歩きながら、自分を取り巻く世界がどんなに光に満ちているか、どんなにささやかな喜びに満ちているかに、ゆっくりと気づいていくほうが、好きなのだ。

 

路上駐車の車のワイパーに、花屑が吹きだまっていました。


 それはゆっくりと炭火で沸かしたお湯のように、やわらかく私の心を包んでくれる。

 もちろん、おいしいものたちも心をほっこりさせてくれるけれど、ね。

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