友人から、蛙の置物をもらった。
茶盤の上に置いてお湯やお茶をかける、中国茶のお伴。
茶渋がついて、光沢が出て、だんだん風合いの出てくるのを楽しむ。
友人がこの蛙をくれたのには、いわれがある。
時は2005年の早春に遡る。
当時、私は日本にいた。
母の介護のための帰国−−そう言えば聞こえはいいが、
要は定職もなくぶらぶらしている家事手伝いみたいなものだった。
私に与えられた仕事と言えば、
三ヶ月に一度抗ガン剤治療のために入院する母の付き添いと、
毎日打たなければならないインスリンや薬の管理、
食後のマッサージ、
細々した身の回りの世話と雑用、
それから昔話の相手になるくらいのものだ。
後は庭の草むしりとか、義妹の食事の支度や片付けの手伝い、
姪や甥の遊び相手が日課だった。
「三十代後半にして仕事を捨て母親の看病のために一も二もなく帰国した」
と書けばたいそう親孝行な娘だが、
内心はこのまま社会から置き去りにされて朽ちてしまうのではないか
という恐怖心と常に隣り合わせの毎日だった。
自分がこの先どうなってしまうのか、切実に不安だった。
忸怩たる思いだった。
そんな時、時折中国から電話をかけて励ましてくれた友人がいた。
すっかりしゃべる機会がなくなってしまった中国語で話せるのも嬉しかったが、
何よりも嬉しかったのは、
心おきなくいろんなことを話せて、それをじっくり聞いてもらえることだった。
ある早春の日の午後に電話を受けたのは、
ウォーキングがてら近所の田んぼ道を散歩している時だった。
私は歩くのをやめ、あぜ道にしゃがみ込んだ。
ちょうど用水路脇のポンプ小屋が目の前にあった。
早春とはいえ芽吹きの季節にはまだほど遠く、
あぜ道で踏みしだかれた草もまだ冬枯れの色を残していた。
冷たい風に春の香りをかぐにはまだ早い。
歩くのをやめた私の身体は急速に冷えていく。
私は上着の身ごろをかき合わせるようにして小さく丸くなった。
ポンプ小屋がちょうどいい風よけになった。
携帯電話で話しながら、
私はポンプ脇のやわらかく湿った地面を見るともなしに見つめていた。
すると、そこに何か動くものがある。
ゴソゴソと枯れ草をかすかに鳴らして動き始めたそれは、
ゆっくりと私のほうに移動してきた。
私の前に姿を現したのは、焦げ茶色のぼってりした物体。
ガマガエルであった。
冬眠から醒めたばかりらしい。
まだ季節にはまだ早いというのに、
私が電話で話す声がうるさくて起こしてしまったのだろうか。
ガマガエルはのそのそと歩き始め、
私の前をあわてるでもなく、怖がるでもなく、
ゆっくりと過ぎていく。
カサコソと枯れ草が音を立てた。
のそりのそりと鈍重に歩いていったガマガエルは、
用水路までたどり着くと、
それまでの重たげな足取りがウソのように
俊敏に大地を蹴って水に飛び込んだ。
用水路の水がポチャンと音を立てた。
「今ね、ガマガエルが冬眠から醒めたよ!
私の前を歩いて用水路に飛び込んでいったよ!」
私が興奮して電話口で告げると、友人は言った。
「それはね、きっといいことが起こる前触れに違いないよ。」
その年の初夏に、母は逝った。
私はほぼ二年にわたった介護生活を終えてその秋口には北京に戻った。
そして北京での仕事に復帰した。
母が逝ったことが「いいこと」だったと思っている訳ではない。
でも、それがなければ今の私の生活はない。
あのガマガエルは新しいことが始まることの前触れだったのだと、
今では思っている。
ガマガエルの覚醒をともに体験した友人は、
そうしてこの蛙の置物を私に贈ってくれた。
あの早春の蛙を、私も友人も忘れられずにいる。