エマイユ・七宝焼き [2007年03月15日(木)]
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考古学の分野で、メソポタミアの古代都市バビロンの遺跡からガラス質の釉薬が施された土偶が発掘されたことで、紀元前1500年にはおそらく七宝焼きの初歩技術が存在していたのではないかといわれています。
金属素地にガラス質の釉薬を焼き付ける本来の七宝焼きの技術は、中近東の古代アッシリア、ガルデア、ペルシァ、アジアのインドとされ、これらの国はいずれも七宝技術を秘伝として厳重に管理したので広く知れ渡ることはありませんでした。 古代エジプト、古代ギリシャの遺跡からも七宝細工の装身具が発掘されていますが、これらの国から持ち込まれた物だろうと推測されています。 ヨーロッパでは6世紀以降、ビザンチン帝国(東ローマ帝国)から「有線七宝」(貴金属の素地に乳白色のガラス質の釉薬を焼付け、その上に下絵を描き、模様の輪郭に沿って銀線を貼り付け焼成。一色ごど釉薬を盛り付け、色の数だけ焼成を繰り返し、最後に表面を磨いて光沢を出す)の技法が伝わり発展しました。14世紀イタリアで、彫金された銀板の凹面に透明の釉薬を焼き付ける「生地彫り七宝」の技術が生まれ、フランス、ドイツ、オランダへと伝播しました。 中国でも15世紀に「ホウロウ、泥七宝」とよばれる輝きが少ない七宝焼きが作られ、今に受け継がれています。 15世紀末イタリアで、金属地に筆で釉薬を絵の具ように盛り付けて描く新しい技法が生まれ、フランスのリモージュで大々的に製作されるようになりました。 ヨーロッパでは17世紀、18世紀になると七宝焼きは時計、タバコ入れ、宝石箱などの装飾に用いられるだけになり、衰退の一途をたどり、現在は手工業的な細工師達が七宝技術の伝統を守ろうと活動を続けています。 日本では「無線七宝」といって、銀線を用いず、ぼかし手法を生かした絵画的な七宝焼きの技術が生まれました。 ![]() ![]() ![]() 左 : 中国清代の小皿。 「半透明の釉薬」で陶器に絵付けされた「粉彩」の技法です。花柄の部分が少し盛り上がって、ガラスの輝きが出ているのがわかります。 ヘレンドのシノワズリ・シリーズも七宝絵付けの技法によるものです。 右 : 「有線七宝」のブローチ2つ。 −「半透明の水色釉薬」を焼成したあと、バラ柄を「半透明の釉薬」で描いたドイツ製。 −銀台に「半透明の白、グレー、ブルーの釉薬」、で紋章をかたどり、ユリ柄のゴールドピケ入り、1900年頃のイングランド・シェフィールド製。 下 : 「不透明の釉薬」でいくつもの工程を経て絵付けされたエルメスのバングル、オーストリアの有名エナメルジュエリー工房が製造しています。 図柄が多色なほど工程も複雑になります。 |





