人に好かれようとすることの、何が嫌でしたか? [2008年09月24日(水)]
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昨日は、The Workのワークショップ・コミュニケーション編でした。今回は初めての1日ワークショップだったので、これまでより長めだったのですが、これまで以上にあっという間に時間が過ぎ、最後は少し駆け足になってしまいました
![]() でも、予定通りの内容をすべて終えられたこと、かなり深くて濃い内容にもかかわらず、シリアスにならずに、楽しく進められた事は大満足です 参加者の皆ウんにも、暖かくて、安心できる時間と空間作りに協力していただき、本当に感謝しています。今回は、ワークの中でも、コミュニケーションに的を絞ったので、「あなたに愛されたくて」というエクササイズをしました。これは、普段のコミュニケーションにおいて、いかに私たちの意識が、人から感謝されること・賞賛されること・認められることに向いているかに気づくためのものです。 その中で、「人に好かれようとすることの何が嫌でしたか?」という質問をしました。今まで聞かれた事もないであろう、目から鱗のこの珍問。皆さんの答えはどうですか? 私たちは、親が死ぬまでは、親に好かれるいい子になろうとし、学校に入れば、友達や先生に好かれるいい生徒、中学生以降になれば、先輩に好かれるいい後輩、恋人ができれば、彼氏(彼女)に好かれるいい彼女(彼氏)、社会に出れば、上司に好かれるいい部下、買い手に好かれるいい売り手、生徒・患者・顧客ノ好かれるいい先生・・・。 そして、結婚すれば、夫(妻)に好かれるいい妻(夫)、同時に義理の親に好かれるいい嫁(婿)を目指し、子供ができれば、子供に好かれるいい親、ママ(パパ)友に好かれるいいママ(パパ)、地域に好かれるいい隣人、孫ができれば、孫に好かれるいい祖父母と、私たちは常に常に相手を変えて人に好かれようと頑張ります。 でも、ここで私達が決定的に見落としていることは、「人が何を好きになり、何を嫌うかは、その本人の勝手であり、他者にコントロールはできない」ということ、そして「人の評価を自分の自己価値感と結び付けている限り、好かれることで得られると思っている愛から遠ざかっている」ということです。 そこに気づかずに、相手に好かれようと頑張ったにもかかわらず、それが受け入れられないと「あなたのためにやったのに!!」と、相手を責め、ますます嫌われる結果となるわけです。そして、それが更に自己価値を低くします。 で、そうやって頑張っていると、人にへつらったり、媚売ったりしている人に対し、極端に嫌悪感を示します。なぜなら、自分が(潜在意識では)嫌だと思いながらやっていることを見せつけられるからです。だから、そういうことをやってる人が嫌いじゃないんです。そういう自分が嫌いなだけです。でも、そこには気づいていません ![]() でも、「人に好かれなければ、私は愛されない。生きる価値はない」という考え自体が、単なる思い込みに過ぎないということが分かれば、好かれるも嫌われるも、愛されるも愛されないも、自分に価値があるもないも、すべてが幻想だということが分かります。そして、そこからが真のあなたの人生のスタートです ![]() このように、これまで「常識」という名の下に、疑うこともせずに信じてきた思い込みを問い直し、そこから開放されて自由になり、楽になり、失っていた自分らしさを取り戻し、それが自分も周りの人もハッピーにする。それが私達が今ここにいることの醍醐味であって、それ以上に楽しいことが、この世にあるでしょうか? ![]() |






参加者の皆ウんにも、暖かくて、安心できる時間と空間作りに協力していただき、本当に感謝しています。





こちらこそ、ご参加いただき、ありがとうございました!
私自身も、ファシリテートする立場ではありましたが、皆さんに大きな気づきをいただいて、「私達は内側ではつながっているんだなー」ということを感じました。
ケイティの文章は、私ももう何度も読んでいるのに、読む度に感動します