今日は、柏での市民講座の5回目でした。慣れてきたこともあって、以前ほどの緊張はなくなってきたものの、予想外のちょっとしたハプニングがありました。
この講座は、私の代わりに教えられる人がいないこともあり、食事や体調管理には気をつけていたつもりでしたが、事もあろうに、行きの電車の中でお腹や腰が痛くなってしまったのです。
「よりによって、こんな時に…。」「こんな痛みを抱えたまま、3時間も立ちっぱなしで教えるなんて、考えただけで具合が悪化しそう。」そんなことが頭をよぎり、本当なら、手元資料を再度見直して、最後の手順確認をしたかったのに、そんな余裕はありません。薬も飲めないし、どうしよう…。
そんな時こそ、ワーク!ということで、ちょうどバッグの中に入れていたバイロン・ケイティの1冊目の「Loving what is(あるがままを愛する)」を取り出し、体に関する思い込みの章をめくりました。
そこには、
「あなたが、私の体は今の状態と違っていなければならないと考えるならば、その考えこそ病気です。」「あなたの思考が健康であるなら、あなたの体が問題となることは決してありません。」「あなたが癒すのは体ではなく、あなたの心です。体を癒すのは、医者の仕事です。」など、その時の私にビンゴ!なメッセージがびっしりと…。
そこで目が覚めました。
「そっか、痛みがあっていいんだ!だって、痛いんだから。」と。そして、体に痛みがあることと、仕事のパフォーマンスには何の関連もないことも。「こんな体だから、この講座を教えることなんてできない。上手くいかない。」
そういう考えこそが、私に痛みを与えていたのでした。
そしたら、不思議ですね。その後、痛みを感じることは、一度としてありませんでした。
そして、偶然にも、医者への不信をワークした参加者の方が、「先生、やっと、分かりました。私は医者に不満を感じていたわけではなく、神のビジネスに首を突っ込んで、自分が病気になった事実と戦っていたことがストレスだったんですね。」とおっしゃったのです。
私は「そうかもしれませんね。であれば、次はご自分の体についてワークしてみてはいかがですか?」と提案しました。
そしたら、「私の体はどんどん悪くなって、老いていってしまうだろう。」など、いかに自分の体について、ネガティブな思い込みを信じていたかに気づかれ、「これでは、どれだけの医者にセカンドオピニオン、サードオピニオンを求めたところで、不安が消えることはありませんね。
だって、私自身が良くなることを信じていないんですから。」とおっしゃったのです。こういう真実を突くような一言を聞くと、身震いがするほど、この仕事をしててよかったと思います。
医療も自己責任の時代と言われますが、私達の責任は、いい医師や治療法や病院を見つけることでも、プレミアムな保険に入ることでもなく、実は、自分の体をあるがままに受け入れて、不安や恐れを手放すことかもしれません。そしたら、何をどうすべきかは、自然に見えてくるでしょう。
う〜ん、これからの、自分の体との付き合い方が、大きく変わりそうな大発見でした

お疲れさまでした!(←私に)