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ピリカラこんにゃく

流浪の日本語/英語テキストサプライヤー(=フリーランス翻訳者&ライター)の、
ピリカラだけどけっこうおいしいじゃない?な日々。

サラ・ペイリンまとめ
CNNによる各種世論調査の平均値「Poll of Polls」でもオバマのリードが10パーセントを超えた今、マケインのrunning mate(副大統領候補)サラ・ペイリンの賞味期限もあと2週間だろうなあ、ということで。

ペイリンは、オバマを支持しきれないヒラリー・クリントン派の女性を取り込むことを主目的としてマケインの一本釣りにあった女性。実際、党大会で彼女の存在が明るみに出ると(まさに文字どおり。それまではわずかなオタクとアラスカ州住民しか彼女のことを知らなかったはずだ)、気のきいたというかパンチのあるスピーチのセリフでいっときフィーバーを巻き起こした。女性もかなりなびいた。

で、それから2か月。今でもペイリンフィーバーは終わったわけじゃない。でも、それがどんなフィーバーかというと、それは「少女アイドルのファンクラブ」になってしまった。たとえば昨日のニューヨークタイムズの記事:Among Rock-Ribbed Fans of Palin, Dudes Rule

政治集会で「クラクラ来ちゃうぜ!」「結婚して!」とか言う人がいること自体驚きだが(いや、“オバマ・ガール”ってのがいましたな)、ペイリンの集会に集まるのはもはや男性ばかり。それも政治信条なんかじゃなくて、彼女の存在自体が好き、という人たち。どんなところが好きなのか取材してみたようだけど、どうやら紙面に載せるのははばかられた様子。言うまでもなく、女性はとっくの昔に離れた。

先のエントリーで、バイデンとのディベートに臨んだペイリンの目が死んでてコワかったと書いたが、くしくもウォールストリート・ジャーナルのコラムニスト、ペギー・ヌーナンが「(ペイリンは)物をはっきり考えていない。単に口に出しているだけだ」「真剣に話しているわけではなく、単に場を盛り上げようとしているだけ」と書いている。これは、ディベートでイタコみたいにしゃべっているときだけでなく、集会などでするスピーチでも変わらない。特に集会でオバマの悪口を言う時のペイリンの目は、メガネ(ちなみに日本製)の奥でらんらんと光り、オバマのあることないことをいかにも楽しげに、聴衆を煽る効果満載でしゃべる。シカゴを拠点に活動した過激派活動家とつながりがあるとか(たしかに、その後教育学の教授となった活動家とオバマは社会活動系の組織でつながりができるのだが、この人物がテロリストと呼ばれる活動家だったころ、オバマは8歳だった)、オバマの経済政策は社会主義だとか(社会主義、socialismという言葉は、日本人の想像をはるかに超えてアメリカ人にアレルギーを引き起こす。分かって使っているのは明白だ。必ず決め台詞として口にするから)。マケイン陣営は負けを意識してネガティブキャンペーンに磨きがかかるようになり、その先鋒を切っているのがペイリンなんだと思うが、嬉々として、いや、ネガティブキャンペーンのためのネガティブキャンペーン、いや、つまりヌーナンの書いたことは正しい。彼女は何も考えずにあんなに毒の強いことをしゃべっているから、生理的に奇妙な感じすら覚える。ええい、誤解を怖れずに言えば、気持ち悪いです。

「ホッケーママとただガツガツした人の違いは口紅」というスピーチでブレイクしたペイリン。自らの「口紅」性を強く意識していることには当初から違和感があった。美人でやり手で、結婚して子どもも育てて、というスーパーウーマンの自己像を持っていることも伝わってきて、それも変だと思った。彼女のバイオを調べると、高校時代に出場したミスコンテストで2位になり、その賞金で大学に通ったそうだ。文字どおり自分(=女性性、容姿)を資本にして、パワー(実力と権力、どちらにも訳せる言葉だ)への道を切り開いた人物と言える。

それからもう20年は経っているはずなのだが、ペイリンの女性性、容姿という資本は涸渇していない。それどころか、アラスカの田舎町の市長から州知事、そしてアメリカ副大統領候補に抜擢されるまでに活用されている。その証拠に、ペイリンのスカートは今でも、メディアに露出する女性(セレブ系は除く)の平均よりちょっとだけ、短い。ヒールの高さもちょっとだけ、高い。そもそも、公の場で(高いステージに上がってスピーチする時でも)パンツ姿でいるところをほとんど見かけない。

ヒラリー・クリントンはセンスがあまりおよろしくないことが有名なので比較対象にならないが、連邦下院議長のナンシー・ペロシなんかと比べると明白。ペロシの家は代々政治家一家で裕福なので、アメリカの政治家の中でも彼女の服にはお金がかかっている。でも、それがあんまりイヤミじゃない。もう60を超えている(孫だっている)のに色気があるが、それは誰かに向けられたものではなくて、本人が意識せずともそこはかとなく香ってくるものだ。ペイリンに色気があるとしたら、それは利用するために意識して出しているものなんだろう。だから、遠い国でテレビを見ている日本人(女)にとっては生理的な違和感、ひいては嫌悪感になったし、何も考えていないアメリカ人男性はホルモン系を直接やられてしまったんじゃないかな、と思った次第。

マケインの人選というよりは、アメリカで女性がのし上がっていくことの難しさも感じます。貧乏育ちでダサいと陰口を叩かれても実力でのし上がったヒラリー、家柄の良さのペロシ、そして力を得るために女性性を思いっきり利用したペイリン。同じ女性として考えるところはあるけど、あんたみたいに度胸しかないような女(テレビ初露出のインタビューで連発した言葉は「びびってられませんよ」だった)をアメリカ帝国の第2のリーダーなんかに据えることはできないわ。だって、フェミニズムなんか唱えているうちに戦争が始まって、自分の身が危なくなってしまうもの。

<追記>
いやあ、こんなに長いエントリーなのに、追記します。
ペイリンが自分の女性性をも利用して得たい物、それは表面的には「政治家としての地位、権力」かもしれませんが、深層では「自己実現」しかないように思います。辺境とはいえ一つの州をあずかる政治家として、策がなさすぎるし(やったことといえば、アラスカにとって生命線の産業だからよかったが、単に夫がいる業界、自分の生活に一番近い部分である石油産業の誘致だけ)、副大統領になろうって人が、経済や外交に関して期末テスト並みの詰め込み勉強をするものか?国政に対するビジョンさえ、最初から持ちあわせていないのだ。そんな彼女がなぜ政治家として生き、そして高い地位に乗り出していくのか?それは、アメリカの高校でチアリーダーがちやほやされるような感じ、資質と努力をあわせて初めて得られる、あの達成感が欲しいからじゃないだろうか。何千人と集まる集会で決して品の良くない調子でオバマを攻撃しているペイリンは時おり、何千人から拍手やブーイングなどスピーチの反応を引き出しているだけで満足しているような、陶酔感を感じさせる目つきをする。今を生きていることに満足しているような。こんな人が、よもや間違うと世界のアメリカ大帝国を預かっちゃうのかもしれないと思うと(仮にマケインが大逆転で大統領になった場合、任期中に70歳を超える<ー10/22追記ーまちがえた!マケインは1936年生まれなので今年72歳。「すでに70歳を超えている」が正しいですが、こないだ辞めた福田さんと同じ年なんですよね。なので年齢論議は一口に言えないところがありますが、マケインはメラノーマという皮膚がんの一種の病歴があるし、今は福田さんと違ってこの先4年を務めるのかどうかって話ですから、やっぱり言っときます>マケインが倒れたら、継承位のトップはもちろんペイリンです)、本当にこわいのです。
2008年10月21日(火) 14:18 [ ひとりごと ]
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ここが漢の見せどころ
金曜日に「火曜日を締切にお願いします」という“この三連休、あたしにいったい何をさせたいわけ?”と思わず突っ込みたくなるような依頼が来て、どうにか締切を1日だけ伸ばすことに成功。でも、分量はあまり多くないし、三連休のうち一日だけ仕事をすれば何とかなりそうだと、連休の予定を確定した。昨日は渋谷に行ったし、今日は映画を見に行こうと思っていた。

ところが、映画の上映時間を確かめるべく昼過ぎにコンピューターを立ち上げると、一通のメール。フリーに転身した、雑誌の以前の担当編集者氏だった。明日の昼までにしあげてほしい翻訳があるとのこと。ご本人も英語ができないわけではないのだが、ほかのことでいっぱいいっぱいになってしまって、それどころではないらしい。送信は1時間半前。「おいおい、私が気づかずに出かけてしまっていたらどうするつもりだったんだ」とツッコミを入れながら、あわてて添付ファイルを開く。ワードカウントで1000ワードちょい。ざっと目を通して確認すべき点を整理し、本人に電話。相当にせっぱつまっているらしい。「全部に目を通して、ご希望の日時に仕上げられるか判断してからもう一度ご連絡します」と言って電話を切る。時間を計って読み始めたところ、なんと15分もかかった。インド人のインテリ階級の人が、ちょっと哲学的なことを話している。ただ、最後のページを読み終えた時には、最初のページでとまどっていた文法的なクセに少し慣れてきていた。

今日映画を見に行けないと月末まで行けないかも、と思ったが、もう一度電話。先方はなんと打合せ中らしく(だって、三連休の中日の日曜日ですよ)、留守番電話に「お引き受けしました。明日にはかかってしまうかもしれませんが、事情が事情ですからなるべく早くお送りします」そして「覚えていてくださって光栄です。よろしくお願いします」と吹き込んだ。

そうだ、ここが翻訳者の漢のみせどころ。しばらく没交渉だった人に泣きつかれるって、実はものすごく嬉しかったりする。このあと仕事が復活したりすることもあって、それも嬉しいが、何より頼りにされるのが嬉しいのだ。「頼りにされる、必要とされる」を動機とする働き方ってよくないっていうけど、翻訳者にはこういうタイプ、確実に多いと思う。

かくして「グーグーだって猫である」をあきらめ、翻訳にとりかかった。

インド人のインテリの独特の文法と語法は正直言って骨があった。努めて原文に忠実に直訳を心がけて数時間で全訳。一晩寝かせて明朝納品でいいかなあ、と思っていたのだけど、明日は本来の仕事をせねばならないし、掲載レベルでなくていいと言われたのでお言葉に甘えて、さきほど納品。

漢、見せられたかな???

ということで、今日のエントリーは自己陶酔型武勇伝でした。
2008年10月13日(月) 00:16 [ 日記 ]
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酔いどれの思い出話
三浦元社長 ロスで首つり自殺、というニュース。この事件、こういう終わり方をするとは。

当時は「ロス疑惑」と呼ばれていて、「ロス」は「ロサンゼルス」のことだと知りました。サッカーの世界で「みうらかずよし」が出てきたころ、あの人の名前と一緒じゃないか、と思ったりしたのは私だけではないと思いますが、どうでしょう?

マイミクがカーヴァーの「大聖堂」でレビューをあげていました。私の中で「大聖堂」はカーヴァーのみならず、短編小説オールタイムベストワンです。カーヴァーは大学の授業で1年間読み込んだ作家で、それだけでも個人的な思い入れがあるのですが、「大聖堂」については、カーヴァーの後期の作品でもあり、彼も救済のあると言える人生の結末を得たのかとストーリーだけでなく涙した作品です。

授業はアメリカ人の先生に学生は日本人が自分も入れて2人、そしてシンガポール人が1人という超インテンシブな環境でconflictとかrecognitionとかを追究するアメリカ式の読解をたたきこまれました。エッセイを書いても先生に「ここ、意味不明」「ここ、論理の裏付けがない」とさんざん突っ込まれたもんです。当時、授業で扱う作品の英語の解釈に困り、図書館で村上訳をひもといたら、それまで自分が英語で心もとなくも読み取ったのとはまったく違う世界観が広がっていて衝撃を受け、のちには一度もカーヴァーの村上訳を開いていません。
(「ギャツビー」と「ライ麦畑」は村上訳を読みました。村上訳がだめという意味ではないです)
彼にもぜひカーヴァーを原語で読んでみてほしいと思います。

今日は、中学時代の友人が渋谷のタワーでインストアライブをするということで、もう一人の中学時代の友人と行ってきました。ライブをする子は私の2つ下、一緒に行った子は1つ下です。中学校の生徒会室で出会い、3人で全員が大学に入るころまでつるんでいましたが、キャンパスが遠かったり、留学したり、実家を離れたりで10年近く音信不通になっていました。それが、一人が結婚式を挙げ、もう一人がある雑誌の電車の中吊りに登場したことで再びつながることになったわけです。ライブの客はたぶん“身内”が多かったと思うのですが、その中でも私たちは家族レベルの身内度。スタッフの人に「前が空いていますからどうぞ」と言われてもはずかしくて、いちばん後ろで見ていました。

ライブ終了後、その場で彼が出したばかりのアルバムを買って、はずかしいはずかしいと言いながら行列に並び、私たちを前に大汗をかいている本人からサインをもらって、3人で写真を撮りました。
「二人がいるのはステージに上がったかなり早い段階に気づいたんですよ。いやあ、あせりました」
と言われましたが

やつがここで演奏し、それを中学の英語教師と翻訳者になった二人が見ている

という感慨もきっと共有してるんじゃないかと思います。

その子と別れたあとは、二人で演奏者と縁の深いブランドのショップをパルコに見に行き、近くのアジアン系無国籍ダイナーで3時間くらいしゃべって帰ってきました。当時は電話で6時間とかしゃべってたから、だいぶ大人になったもんです。学校は親と教師の個人的なつながりをもっと深めるべきなんではないか、とかそういう話は、当時とは様変わりしたようなしていないような。

ロス疑惑とカーヴァーの体験は、今日体験した2人との時間の前後にあるものです。

たぶん朝には消すと思うので、これを読んだ人は感想いかんにかかわらずラッキーだと思ってください。この連休、いいことあるよ。
2008年10月12日(日) 03:37 [ 日記 ]
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米大統領選ディベートをラジオで聞いた
☆最近、書きたいことはあるんだけどなかなかアップできず……以下はとりあえずのメモ。この先、整理して書くことがあるかどうかは不明(笑)。

日本時間で今朝のオバマ&マケインのタウンホールミーティング方式のディベート、AFNで生中継していたので、ラジオで聞いてみた!

声だけ聞いていると、マケインの方が平易な話し方で語りかける感じ(My friendsの多用、あげくNavy veteranかなんかの質問者にはThank you for your servingを連呼した上にcomradeとまで呼びかけてた)。でも、ことあるごとにオバマの履歴をあげつらうので、ちょっとうっとうしい。一方のオバマはマケインの挑発にはまったく乗らず、安定感があったが、語り口は若干固め(マケインに比べると語彙に多少big wordが多かったような)。失敗しないことを第一に慎重を期すオバマと、エモーショナルに訴えて、これを起死回生のチャンスにしたいマケイン、という図だった。

声だけ聞いていると、このディベートの勝敗はよくわからなかった。あんまりマケインがエモーショナルなので、これってもしかするとアメリカ国民には受けるのか!?と思ったり。でも、さっき初めてこのディベートの映像を見たのだが、映像だとオバマの余裕がよく見える。これは絶対オバマの勝ちだと思える。

実際、ディベート終了直後の世論調査からずっと、オバマが勝ったと見た人の方が絶対的に多い。

もし、この選挙戦にテレビがまったくなくて、ラジオだけだったら、有権者はこの二人をどうとらえるのかな、なんて思った。ケネディとニクソンのときには、テレビで見ていた人とラジオで聞いていた人で勝敗の判断が逆だったという話を思い出したりして。今考えると、二人の特徴はふだんとまったく変わらないものなのだが、ふだんはサウンドバイトばかり、つまりそれぞれの発言のハイライトばかりを見ていて、こうやって話の最初から最後までを聞くのが初めてだったので、あらためて思っただけかも。


ペイリン&バイデンのディベートは夜中にCNNの再放送で見ていたら、下院の金融安定化法案の採決が始まって、そっちに放送が切り替わってしまったため、全部は見られなかった。ペイリンが完全にカメラ目線、だけど詰め込み勉強の知識を頭の中から引っぱり出すのに忙しくて、目が死んでたのが印象的。目が死んでるのに、オバマのこととか首を絞めてやりたくなるほど憎らしく攻撃するので、気持ち悪かったぞ(笑)。対するバイデンが、メモなど何も見ずにデータを駆使して、ペイリンなんかいてもいなくても同じような平静さでしゃべっていたのはさすがだった。
2008年10月8日(水) 23:28 [ 日記 ]
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翻訳と共感
……なんて、かっこいいんだか何だかよくわからないタイトルをつけてしまいましたが、今回の翻訳作業の向こうにいるのは、アーティストで馬術の選手で50歳を過ぎて代理母の出産した子どもを育てている、いわゆるセレブの女性です。

がんばってきたんだけどなあ、明日の締切を前に、共感が底をつきそうになってきました。そもそも自分との共通点はないし、代理母まで使って子どもを持ったのに、子どもはbaby nurseに任せて自分は馬術のツアートーナメントに専念って、こういう女性をアメリカの特定の層は支持するのか? あまつさえ、うらやましいものなのか?

これってマズい。

先週金曜日、翻訳学校の授業、第1回。昔行っていたのは映像翻訳の学校だけど、今回は文芸翻訳です。今期の課題は短編だけど純文学! でも割合プレーンな英語だったのでプレーンな日本語のつもりで訳していったら、結局「事務的」ということになった。先生にそう言われたわけじゃなく、この作品に強い思い入れを持つ先生の気持ちがほとばしるような訳例と自分のを比較しての話だけど。思い入れがある文章の翻訳には、それなりに翻訳する人間の気持ちが入るし、思いのこもった文章はやはり、読ませてくれます。

翻訳者として向き合う文章に真摯な気持ちが持てないと、どうしてもクオリティは下がる。

気持ちはもちろん正直なものとして持っていてかまわないだろうけど、それをコントロールできるのが、プロというものでしょう。

がんばれ、オレ。
2008年9月15日(月) 19:32 [ 翻訳のはなし ]
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翻訳学校
受講テストに合格した。
知らせは昨日やってきて、開講日までに冒頭1ページを訳してきてね、と20ページ弱の短編小説の課題が送られてきたけど……

さっそく大きめの仕事とバッティングしてますorz

さすがに昨日は目を通すだけでせいいっぱい。今日は仕事を休んで、課題をやります。

それにしても、テストの答案となる原稿を作るときは3日くらい醸して、というか悩んでいたわけだが、今回は実質1日しか時間がないわけで、授業本番の第1回目にさっそく受講テストのクオリティに達しない原稿を作っちゃうかもしれないんだなあ、苦笑。

それはともかく。

受講テストの課題もあるミステリー系短編の冒頭を訳しなさいというもので、小説の文章を訳すのはものすごく久しぶり(たぶん大学生以来!)だった。いつも訳しているのはセレブのインタビューとかファッション紹介とか、様式がはっきりしている雑誌記事。インタビュー記事に登場するセレブの口調は最大限尊重するが、ライターの個性は基本的に求められていないので、原文の英語がどんな文章であってもアウトプットの日本語のスタイルは常に平均的になるようにしている。読んで心地よく、原文が提供する情報をもらさない文章を心がけるわけで、ある種、翻訳と同じ段階で編集的なセンスが入るやり方をとることになる。しかし小説となると話は別だ。著者のスタイルを味わうことも小説の大事な要素だから全体のスタイルをどう日本語に移植するかは超重要事項だし、そしてひとつひとつの単語が含んでいる意味、意図、前提などなどをいかに日本語に含んでいくかということも、物語を語る上では欠かせない作業の一つになる。

いきおい、受講テストの訳出作業はふだんに比べてはるかに厳しい追い込み方をすることになった。でも、やってみたらできるもんだ(!?)雑誌の仕事では時々「あのー、英語が透けちゃって、痛々しい日本語に見えますが?」みたいな仕事をしてしまうこともあるんだが、テストの原稿はその点けっこう大丈夫だったんじゃないかと思う。醸しの最中に原文を見るのをやめる段階を作れたので、英語の文構造を離れて純粋に日本語を検討する時間がとれた。

そのおかげか、今抱えている大きめの仕事は訳出のアウトプットが多少楽な気がする。ひとつひとつの文が示す概念や印象を具体的な日本語の言葉にすることを、いつもより面倒くさがっていない。ボリュームのある記事だが、最後まで疲れずに読んでもらえる原稿に仕上げられるかもしれない。ある程度筋トレを積むと身体が軽く感じる、あの感じに似ている。

1回やっただけでもこれだけの違いが出るのだから、講座をやり通したときにはどうなっているのか。というか、今までどれだけ粗い/荒い仕事をしてきたんだ、オレ。来春までの半年間、負荷の大きい生活になりそうだけど、楽しみ。せいぜい鍛えてきまっす。
2008年9月11日(木) 10:43 [ 翻訳のはなし ]
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受講テスト
そんなわけで、某翻訳学校の受講テストを受けてみた。

学校の資料をもらって、どうやらもう基礎コースを受ける段階ではないようだし(だったら大変、とも言う。曲がりなりにもすでに5年も翻訳でメシを食ってるのだ)、中級のクラスに申し込んだら、基礎コースの受講経験がないためにテストを課されたのだ。

送られてきた課題はなんと、短編ミステリー小説。申し訳ないけれど、ミステリーって日本語でも英語でもほとんど読まない。参ったな、と思いつつも、やるしかあるまい。

求められているのは、全体を読んだ上で冒頭のいくらかを訳しなさい、というもの。ちょっと専門的な知識が必要な内容で調べものに苦慮したが、訳しはじめたら数時間だった。

でも一応テストなので、しばらく手もとにおいて「醸して」みたのだけど、だんだんイヤになってくる……

いくらでも手が入れられるし、テストなだけに何を求められているんだろうなんて合格基準まで考え始めると、ほとんど吐き気がしてくる。

最後はえいやあっで提出してしまった。

……思ったんだけど、訳文を納得できるまで練るのがダメって、翻訳者に向いていないんじゃないだろうか。

講座初日は今週中なので、合格、不合格にかかわらず、すぐにでも返答があるはず。

ちょっとドキドキ。

そんなことの一方で、映画祭は来年への動きが少しずつ本格化しだした。サイトに掲載する海外メディアの記事の翻訳、それから某女優さんにオファーするための英文資料を作らねば。

来週締切の記事翻訳もある(これは一週間前に受けていたんだけど、受講テストのために作業を先延ばしにしてしまった。がんばんなくちゃ!)

マルチタスクの日々がまた始まった。お酒もほどほどにしなくちゃね
2008年9月9日(火) 02:47 [ 翻訳のはなし ]
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保税試写
…という言葉は決して耳新しくないのだが、意味するところをよく知らないorz

税関を通す前にブツを確認、という感じかな。

【以下追記】
保税試写、調べた。
http://blog.cinemacafe.net/showbiz/archives/okita/007124.php
こんな感じです。
【追記以上】

今日、縁あって立ち合わせてもらったのは、ホラーっていうかスプラッタっていうか、ダ・ヴィンチコードの黒魔術版っていうか。

字幕がついてないのと続編の性格もある作品であるということで、いちばんの核心部分がよく分からなかったのだが、あんなにいろんな物を冒涜しまくって見せて、イタリアの観客はそれでも笑って見たのだろうか。

私はこういう映画は得意じゃないのですが…最後は笑うしかなかったです。

笑っちゃったって、ワタシ的にはすごいことです。

プリントはとてもきれいで、音も良く、試写室の設備は素晴らしく、観客は全部で8人。

業務とはいえ、贅沢だなあ。

まだ頭がぼうっとしてます。大音響が少々効きすぎた。
2008年9月3日(水) 20:37 [ 日記 ]
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若い人の原稿をチェックする
英語教育では定評のある大学に通う学生ボランティアさんの翻訳をチェックしている。一読してとてもスムーズ、意味をなしていない部分が若干あるくらいだったので、そんなに手間はかからないかと気軽に原文との対照を始めたら、これが大変に誤りの多い翻訳であることが判明した。

最近、中学生から大学生まで若い人たちと接する機会があって、彼らの日本語による表現能力(話すのも、書くのも)の未熟さというより貧しさのようなものを感じてしまったのだが、この訳文は日本語がとっても豊か。でも、英語が読めていない。辞書もそれなりに引いているようだが、感覚として腑に落ちないので自分の中の近似値で訳文を作ってしまうのだろう。

私自身は初期に比べると誤訳が相当に減った(という驕りは大切なときに大きな誤訳を生むので注意、注意)。その一方で自分の訳文が日本語としてこなれていないと感じ始めている。私の母語は絶対的に日本語で、英語はあくまで人工的に身につけた第二言語だ。でも、英語の感覚がいくばくか身体的になるにつれて、言語化、つまり翻訳しにくくなってきたんじゃないかという気がする。高校生や大学生のころには、身体的な感覚がもっと限定されていた分、楽に翻訳していたと思う。まあ、そのころの翻訳こそ、今チェックしている原稿のような感じだったはずだが。

たしかに、翻訳とは近似値でしかない。でも、限りなくイコールを求めるという意味で、私は「漸近線」という言葉を思い出す。ある一点からの距離が極限にゼロに近づくが、決して接しない。でも、そこでゼロに近づく努力をするのが翻訳者の翻訳者たるゆえんだ。この秋、やっぱり学校に行こうかなあ。自分の頭の中の日本語の総ざらいというか、虫干しというか、誰かほかの人に自分の言語感覚に介入してもらいたいというか。怖くもあるのだが、いくつかコースを検討中なのであった。

書き出すといくらでも書くなあ。今日3つめのエントリーだ。いつまで続くか分からないけど。
2008年8月28日(木) 20:06 [ 翻訳のはなし ]
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アメリカのニュース
関わって5年になろうかというテレビ番組は、あんまり詳しく言えないのだが、アメリカのニュース番組を扱っている。今日は私の師匠の担当日。私は自宅待機、というかお休みである。

どちらかが自宅待機しているときは、スタジオで書いたナレーションの原稿を進捗報告を兼ねてメールで送って目を通してもらう。本来はプロデューサーチェック用のものをBCCで送るのだが、送信時刻で作業の進み具合が分かるし、本日のネタもわかる。

今日は11時30分現在、そのメールがまだ来ない。私の担当日ならいざ知らず、今日は師匠の平均から20分は遅い。

あ、そんなことを書いていたらメーラーから着信の知らせ。来たらしい。ちょいと行ってきます。


……


戻りました。実を言うと、5年もやっているのにこの半年くらい、私は番組で使う映像の編集に特に手こずるようになっている。独り立ちしたころのパニックが甦るようで、かなりつらい。なんでだろう、5年もやっているのに成長しないなんて、私はこの仕事に向いてないのかやっぱり、などとクヨクヨすることが多い最近だったのだが、やっと理由のひとつが見えてきた。たしかに自分の成長曲線も関係していると思うのだが……それ以外に。

昨日、扱っている番組の前のアンカーだったPeter Jenningsについての本をあらためて開いたことがきっかけだった。4年前はまだPeterが生きていて、番組で流されるリポートはみんなかなりストレートアヘッドなものだった。シンプルであることはPeterの信条でもあった。Peterが亡くなったのは2005年。多少の紆余曲折を経て、現在アンカーを務めているのは以前からPeterのピンチヒッターを務めていたが基本的には朝のワイド番組出身のCharles Gibsonだ。Charlesになってから、番組で使われる言葉が表現と語彙の両方において、平易という意味でシンプルになった。子どもでもおばあちゃんでも間違えようがなく理解できる感じ。そのかわり、番組で取り上げたくなるようなウィットの効いた言葉に出会うことが少なくなった。その中でなんとか選び出した言葉を外さないように映像を編集していく、そのハードルは高くなった。選び出した言葉がリポートのtopic sentenceに含まれていないことが往々にしてあるようになったためだ。

そして、4年に一度行なわれるアメリカの全国党大会の一連のニュースを見て気がついた。開催地や大統領候補に指名される人物は違えど、党大会でやっていることは基本的に4年前とまったく同じだ。特に、ロビイストによる豪華極まりない議員への接待と、それを当然のように楽しみまくる議員たちのいわゆるwining and diningを伝えるリポートが顕著だった。伝えるリポーターが4年前と同じなら、リポートの構成も4年前とそっくりだった(冒頭の花火が上がるところを見せるカットなんて、4年前のリポートの使い回しかと思った)が、何かが違う。散漫というか、冗長というか。使われている言葉はシンプルかもしれないが、構成がシンプルでないのだ。リポーターのBrian Rossは取材力は抜群だが、リポートとしての見せ方はそうでもない。Peterがアンカーだった頃、よくスタジオで補足説明を求められていたのを思い出した。

4年前にはまだ若造みたいに見えていたが今ではSeniorなんて肩書きがついているJake Tapper。アメリカの社会動向を毎日見続けている者にとっては相当に面白いが、ときに一見さんにはハイブラウ過ぎるのが持ち味。もともとメディアの動向に詳しくて、アメリカの政治をメディアの内側からの切り口で見せる、といった複雑なことをする。Peterの時代はおまけ的な扱いを受けることも多かったが、今やSeniorなだけに、彼のリポートは番組のトップニュースに使われるようになった。見ている側としてはトップでは事実を伝えるストレートなニュースを期待するだけに、「えっ、これがトップなの」と思うことがある。以前なら2番目、3番目に登場するような、サイドストーリーに近いテイストのリポートなのだ。

つまり、個々のリポートにおいて言葉はシンプルになったかもしれないが、構成やロジックが複雑になった。メディアが見た事実をまたテレビというメディアで提示するという芸当をする(ものすごくポストモダンだな、それにしても)Jake Tapperの台頭が象徴的で、事実をストレートに提示するのではなく、その事実の見方、とらえ方までを提示するようになっているのだと思う。おかげさまで、そんなリポート群を日本の視聴者に分かるように編集/圧縮するのは本当にむずかしい。師匠は時々リポートの本筋や意図を曲げるような編集をしれっとやってのけるが(それが編集ってもんだ、と言わんばかりに。そうしないと尺に収まらないこともあるので、決して間違ったことをしているわけではありません。編集という作業における技のひとつだと思います)、私は妙な良心がはたらいてしまって、そういうことがなかなかできない。リポートのロジックを保存しつつ、尺だけ4分の1に縮めるのには本当に苦労する。ロジックが見えなかったり、本筋だけをつないだのでは尺が足りなかったり(!)してしまう。

さすがの師匠も、今日は苦労したのか。
リポートが複雑になる理由に、師匠はアンカーの交代だけでなく、アメリカという国の社会的な閉塞を挙げている。
2008年8月28日(木) 13:06 [ テレビのはなし ]
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