かぼ姫のデイサービスでの
介護実習が一昨日終わった。
実習は毎日あったわけではなく、
学校の授業の合間に通って、全部で5日間。
初日の実習は、「楽しかった。」と言って帰って来たが、
そうそう甘くはないぞと思っていた。
ところが、
最終日まで一度も「きつい」という言葉を聞くことがなかった。
たいしたお手伝いはしていないのかな?と思って話を聞くと、
半身不随の人をお風呂に入れるお手伝いをしたり、
トイレの介助もしたという。
お風呂の介助では、おじいさんの体を洗ってあげたらしい。
そのおじいさんは、入浴中にかなり暴れて、
かぼ姫にも何度もパンチが当たったらしい。
正直、愚痴を言わないかぼ姫に驚いてしまった。
実習から帰るとデイサービスでの話を必ず私に報告しに来た。
デイサービスなので、毎日来る人もあれば、時々という人もいる。高齢だから来るという人もあれば、病気の人も当然いる。まだ56才の認知症の人もいるらしい。
そんな中で、
毎日来ている最高齢の96才の乙次郎さんというおじいさんと、
特に仲良しになったらしい。
かぼ姫の話では、
乙次郎さんは、デイサービスに来ている人の中では、
一番頭もしっかりしていて、元気なおじいさん。
そのおじいさんから、戦争の話を聞いたり、
他の人達とも一緒にトランプまでしたという。
「神経衰弱というトランプのゲームでは、私が一番だめだったんだよね〜。乙次郎さんになぐさめられちゃったよ〜。」
と大笑い。
「あのね、乙次郎さんはうちのおじいちゃんたちと同じように、戦争に行ったんだって。それでね、手榴弾で負傷したんだよ。太ももにある手榴弾の傷跡を見せてもらったよ。すごい傷だった。」
かぼ姫は、戦争の話にかなり興味がある。
私の実家にあった、私の父が戦争中に撮った写真も、じっくり見たいと言って借りて来ている。ほとんどは、父が友人達を撮った写真である。裏書きには、『友人誰々』とか、『誰々、どこどこで戦死』とか、と書かれていたりする。
その中には、海軍にいた当時の父の姿もある。
父の命日である昨日、その写真の裏書きを見て改めて驚いた。
戦争に行っている父は、今のかぼ姫よりも若かった。
父は、私が高校生の時から、ベッドでの生活を送っていた。
孫が生まれた時には、すでに寝たきりの状態にあったわけである。
主人の方の両親は元気だけど、うちの父はいつもベッドにいるから、私の父を子ども達は、「ねんねのおじいちゃん」と言っていた。当人と直接話す時は、当然「ねんね」はつけないけれど・・・。
その「ねんねのおじいちゃん」を当然のように見て育っているから、介護実習に行っても、あまり抵抗がなかったようだ。
かぼ姫より先に実習に行った友達から、
「かなりきついよ。もう二度とやりたくない。」という話を聞いていて、行く前はナーバスになっていたけれど、彼女の場合、
「私、向いてるかも。せっかく仲良くなったから、実習が終わっても遊びに行きたいな。」とまで言っている。体力的には疲れたかもしれないが、それよりも人とのふれあいが楽しかったそうだ。
よかった。
「ねんねのおじいちゃん」は、孫達に何もしてあげられなかったけれど、優しい心をプレゼントしてくれていた。
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追記
父は、海軍航空隊にいたようだ。
写真の裏書きにはこう記してあった。
淡水航空基地ニテ
第二分隊一同
昭和十九年一月元日
父19才の頃である。
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さらに追記
お詫び
『おとじろうさん』の漢字を間違えておりました。
この記事を読んだかぼ姫から指摘されました。
『乙次郎』さんではなく、正しくは『音次郎』さんでした。
私が、勝手に『乙』だと思い込んでいて・・・
大切なお名前の漢字を間違えてしまい、
『音次郎』さんに申し訳ない。
ごめんなさい、『音次郎』さん。
皆さんにも、ごめんなさい。