入院生活6 7月22日 22w0d 母体搬送
2009年10月3日(土) 23:25
7月22日(火)
とうとうこの日が来ました。
妊娠22週0日。
この日からは病名も切迫流産ではなく、切迫早産に変わります。
そして、万が一産まれてしまっても、延命治療がなされることになります。
前の週ぐらいから母体搬送の話が先生からされていました。
22週に入る22日に隣駅にあるB病院に母体搬送をお願いする予定、
うちとB病院は「母体搬送お願いします。はい、いいですよ。」という関係なので
たぶん受け入れてくれると思う、
ただし、B病院が満床だったら他の病院にする、
とのことでした。
B病院、実は、双角子宮とわかって病院を探しているとき、
NICUがあるし、家から近い(バスで15分位)ので、ここの病院に行きたいと思っていたのですが、現在は新患を受け付けていないとの事でだめだったんです。
(母体搬送された後知りましたが、母体搬送しか受け入れていなかった。)
だから、逆によかったーと思いました。
朝8時ごろ先生が病室に来て、今からB病院に電話をするので、待っていてくださいと言われる。
そして9時過ぎぐらいに母が来て(夫は仕事で来れず)、荷物の整理をしてくれました。
その間私はこの病院で最後のモニター。
先週くらいからモニターするときは横向きになってもいいと知ったので
(仰向けでやっていた時は張りまくっていた)
横向きでモニターするようになってから張りが減り、この日も張りは1回だけでした。
そして、まだかまだかと待って、11時ごろやっと「今から救急車が来ますからね。」と言われる。
で、ちょっと待ってたら病室のベッドまで来ました、救急隊員が。
びっくり。
病室のベッドからそのままストレッチャーに寝て、運び出される私。
まるで重病人。
一瞬だけ出た外。
すっかり夏の日差しと、むわーっとした暑さに変わっていました。
7月2日に入院して、11月7日に退院するまで外に出たのはこの一瞬だけ。
救急車には先生も一緒に乗り込む。
何かあったときのためと、これから行く病院へ引き継ぎ。
そして、サイレンを鳴らして猛スピードで走る救急車。
「はい、救急車、交差点を渡ります!」とスピーカーで言っているのが聞こえる。
よく街中で見かける光景に、今の私が乗っている。
別に体は全然悪くないのに、すごく不思議な気分でした。
でも、揺れて揺れて乗り心地は最悪。
救急隊員が「気分は大丈夫ですか。」など気遣ってくれます。
そして、5分くらいでしょうか?
B病院に着きました。
第一印象、キレイ!で、大きい!
数年前に改築したとか。
産科の病棟に着くと、たくさんの先生と助産師さんが笑顔で「こんにちはー。」と。
救急車で運ばれてきたのに全く切羽詰った感じがないのがなんだかとっても不思議でした。
そして、運ばれた先は分娩室!
え?!なに?!私分娩させられちゃうの???!!!と心臓が一気に跳ね上がる。
ストレッチャーから分娩台に移り、検査開始。
先生4人、助産師さん3,4人に一斉に囲まれ、あっという間にあわただしくなる。
右腕には血圧計がまかれ、 助産師さんに色々な質問をされ、
左腕ではD病院から付けてきた点滴を抜き、採血、
そして点滴を再挿入、そして、脇には体温計。
お腹にはモニターのベルト。
そして下では先生たちによる内診。
バタバタと進んでいく検査。
この時の恐怖ったら・・・。
もう心臓バクバクで、知らず知らずのうちに声は震え・・・。
と、左にいた助産師さんが
「急にこんなことされたら誰だって怖いよね〜。もうこういうやり方やめれば、って言ってるんだけどね〜。ごめんね〜。もう少しだからね〜。」と。
その言葉で力がふっと抜け、「はぃぃ…」と言いながら涙目になる私。
内診は、私の子宮の形を詳しく見たかったのか、奥の方を広げたりして見ていて、
これが痛かったー。
やっぱり子宮口は一つのよう。
(実は、最後の最後で大どんでん返しがありましたが…。)
そして怒涛の検査が終了し、あわただしさも消え、一週間ぶりの超音波。
(のちに担当となる若くてかわいらしい)F先生が「赤ちゃん、元気ですよ〜。」と。
この言葉でまた涙が出る私。
体重は519gになってました。
そして、車椅子で別室に通され、お昼ご飯。
天ぷらそば!
これのおいしかったこと!
前の病院は食事が激マズだったけど、ここの病院はとってもおいしかった。
その後は担当助産師さんによるヒアリング。
(これまでの経緯などを詳しく聞かれ、電子カルテに打ち込む。)
この日夫は仕事で来れなかったんだけど、「ご主人も呼んでください。」と言われ
(B病院では治療方針など、大切な話は必ず夫同伴で聞くことになっていました。)夫を呼ぶ。
結構待って、2時半くらいかな?
F先生とH先生とその他数名の助産師さんと、検査の結果とこれからの治療方針の説明をされる。
そのとき渡された紙にはこう書いてありました。
〜・〜・〜・〜・〜・〜・〜・〜・〜・〜・〜・〜・〜・〜・〜・〜・〜・〜・〜・〜・〜・〜・〜・〜・
妊娠22週0日 切迫早産、双角子宮
○現在の状況
・破水: 当院の破水検査は陰性となり、超音波検査でも羊水量は保たれています。
しかし、帯下が少し水っぽい印象もあり、心配です。
・切迫早産: 子宮の入り口は指の先程度開いています。
子宮頚管も16.4mm〜24.7mmと短縮しています。
・児: 超音波検査では、児は元気な様子で、週数相当の推定体重です。
・子宮収縮: 腹緊計では子宮の張りが見られます。
特に、仰向けになっている時は強く、横向きになると若干おさまるようです。
○分娩様式
このまま急激に分娩が進んで、下からのお産になることもありえます。
また、妊娠24週に入る頃、分娩方式に関する考え方が変わってくる
(帝王切開術が望ましい)ので、その都度お話して行きます。
但し、双角子宮の方の場合、解剖学的構造から分娩がうまく進まなかったり、
分娩中子宮破裂に至る可能性があるので、帝王切開術が必要になることもありえます。
○今後の方針
MFICUに入院し、子宮収縮抑制剤点滴の上、ベッド上で安静にしていただきます。
子宮に炎症があると、卵膜が脆くなったり、切迫早産が進んだりと悪影響を及ぼすので
今後感染兆候の出現に注意が必要です。
この為、定期的採血で、炎症の状態を追っていくと同時に、毎日のモニターで
子宮の張りの増強がないか、適時の診察で子宮口が開いてこないか見ていきます。
今後、子宮内感染憎悪、分娩停止等の母体適応で緊急帝王切開術となりえます。
子宮の構造に関して、前医からの情報を参考にしながら、
更にわかる範囲で注意して診察して行きます。
〜・〜・〜・〜・〜・〜・〜・〜・〜・〜・〜・〜・〜・〜・〜・〜・〜・〜・〜・〜・〜・〜・〜・〜・〜・
なんだか良くないことばかり書かれていて、すごく不安でずっと心臓がどきどきしていました。
子宮頚管がさらに短くなっていることにショック。
破水検査陰性のところは、そりゃそうでしょ、破水なんてするわけがないよ、
なんて思ったけど、気になって、「破水したら必ずわかるものなのですか?」と聞く。
「わからないくらい微量に破水してしまうこともあります。」と言われる。
そして数日後、これが現実になり、辛い治療が始まるとはその時は知りませんでした。
それから、ここの病院では、22週から23週は下からのお産、
24週から33週は、下からのお産だと、胎児にとっては負担なので、
帝王切開と決まっていました。
先生たちとのお話が終わり、また車椅子で病室へ移動。
通されたところは、MFICU(母体胎児集中治療室)。
ICUに入っちゃうほど、私って重症なの?とそのとき思ったけど、
点滴を抜く35週までずっとそこにいました。
MFICUは6床だったけど、私ともう一人しかいませんでした。
そして、その人は明日予定帝王切開手術でした。
母体搬送されたら同じような週数が若い妊婦さんが結構いて、
お互い励ましあいながら入院生活を送れる、と漠然と思っていた私。
週数が若い妊婦さんはいず、数日後には辛い事実が判明し、
この後数週間が入院生活で一番辛かった気がします。
とうとうこの日が来ました。
妊娠22週0日。
この日からは病名も切迫流産ではなく、切迫早産に変わります。
そして、万が一産まれてしまっても、延命治療がなされることになります。
前の週ぐらいから母体搬送の話が先生からされていました。
22週に入る22日に隣駅にあるB病院に母体搬送をお願いする予定、
うちとB病院は「母体搬送お願いします。はい、いいですよ。」という関係なので
たぶん受け入れてくれると思う、
ただし、B病院が満床だったら他の病院にする、
とのことでした。
B病院、実は、双角子宮とわかって病院を探しているとき、
NICUがあるし、家から近い(バスで15分位)ので、ここの病院に行きたいと思っていたのですが、現在は新患を受け付けていないとの事でだめだったんです。
(母体搬送された後知りましたが、母体搬送しか受け入れていなかった。)
だから、逆によかったーと思いました。
朝8時ごろ先生が病室に来て、今からB病院に電話をするので、待っていてくださいと言われる。
そして9時過ぎぐらいに母が来て(夫は仕事で来れず)、荷物の整理をしてくれました。
その間私はこの病院で最後のモニター。
先週くらいからモニターするときは横向きになってもいいと知ったので
(仰向けでやっていた時は張りまくっていた)
横向きでモニターするようになってから張りが減り、この日も張りは1回だけでした。
そして、まだかまだかと待って、11時ごろやっと「今から救急車が来ますからね。」と言われる。
で、ちょっと待ってたら病室のベッドまで来ました、救急隊員が。
びっくり。
病室のベッドからそのままストレッチャーに寝て、運び出される私。
まるで重病人。
一瞬だけ出た外。
すっかり夏の日差しと、むわーっとした暑さに変わっていました。
7月2日に入院して、11月7日に退院するまで外に出たのはこの一瞬だけ。
救急車には先生も一緒に乗り込む。
何かあったときのためと、これから行く病院へ引き継ぎ。
そして、サイレンを鳴らして猛スピードで走る救急車。
「はい、救急車、交差点を渡ります!」とスピーカーで言っているのが聞こえる。
よく街中で見かける光景に、今の私が乗っている。
別に体は全然悪くないのに、すごく不思議な気分でした。
でも、揺れて揺れて乗り心地は最悪。
救急隊員が「気分は大丈夫ですか。」など気遣ってくれます。
そして、5分くらいでしょうか?
B病院に着きました。
第一印象、キレイ!で、大きい!
数年前に改築したとか。
産科の病棟に着くと、たくさんの先生と助産師さんが笑顔で「こんにちはー。」と。
救急車で運ばれてきたのに全く切羽詰った感じがないのがなんだかとっても不思議でした。
そして、運ばれた先は分娩室!
え?!なに?!私分娩させられちゃうの???!!!と心臓が一気に跳ね上がる。
ストレッチャーから分娩台に移り、検査開始。
先生4人、助産師さん3,4人に一斉に囲まれ、あっという間にあわただしくなる。
右腕には血圧計がまかれ、 助産師さんに色々な質問をされ、
左腕ではD病院から付けてきた点滴を抜き、採血、
そして点滴を再挿入、そして、脇には体温計。
お腹にはモニターのベルト。
そして下では先生たちによる内診。
バタバタと進んでいく検査。
この時の恐怖ったら・・・。
もう心臓バクバクで、知らず知らずのうちに声は震え・・・。
と、左にいた助産師さんが
「急にこんなことされたら誰だって怖いよね〜。もうこういうやり方やめれば、って言ってるんだけどね〜。ごめんね〜。もう少しだからね〜。」と。
その言葉で力がふっと抜け、「はぃぃ…」と言いながら涙目になる私。
内診は、私の子宮の形を詳しく見たかったのか、奥の方を広げたりして見ていて、
これが痛かったー。
やっぱり子宮口は一つのよう。
(実は、最後の最後で大どんでん返しがありましたが…。)
そして怒涛の検査が終了し、あわただしさも消え、一週間ぶりの超音波。
(のちに担当となる若くてかわいらしい)F先生が「赤ちゃん、元気ですよ〜。」と。
この言葉でまた涙が出る私。
体重は519gになってました。
そして、車椅子で別室に通され、お昼ご飯。
天ぷらそば!
これのおいしかったこと!
前の病院は食事が激マズだったけど、ここの病院はとってもおいしかった。
その後は担当助産師さんによるヒアリング。
(これまでの経緯などを詳しく聞かれ、電子カルテに打ち込む。)
この日夫は仕事で来れなかったんだけど、「ご主人も呼んでください。」と言われ
(B病院では治療方針など、大切な話は必ず夫同伴で聞くことになっていました。)夫を呼ぶ。
結構待って、2時半くらいかな?
F先生とH先生とその他数名の助産師さんと、検査の結果とこれからの治療方針の説明をされる。
そのとき渡された紙にはこう書いてありました。
〜・〜・〜・〜・〜・〜・〜・〜・〜・〜・〜・〜・〜・〜・〜・〜・〜・〜・〜・〜・〜・〜・〜・〜・
妊娠22週0日 切迫早産、双角子宮
○現在の状況
・破水: 当院の破水検査は陰性となり、超音波検査でも羊水量は保たれています。
しかし、帯下が少し水っぽい印象もあり、心配です。
・切迫早産: 子宮の入り口は指の先程度開いています。
子宮頚管も16.4mm〜24.7mmと短縮しています。
・児: 超音波検査では、児は元気な様子で、週数相当の推定体重です。
・子宮収縮: 腹緊計では子宮の張りが見られます。
特に、仰向けになっている時は強く、横向きになると若干おさまるようです。
○分娩様式
このまま急激に分娩が進んで、下からのお産になることもありえます。
また、妊娠24週に入る頃、分娩方式に関する考え方が変わってくる
(帝王切開術が望ましい)ので、その都度お話して行きます。
但し、双角子宮の方の場合、解剖学的構造から分娩がうまく進まなかったり、
分娩中子宮破裂に至る可能性があるので、帝王切開術が必要になることもありえます。
○今後の方針
MFICUに入院し、子宮収縮抑制剤点滴の上、ベッド上で安静にしていただきます。
子宮に炎症があると、卵膜が脆くなったり、切迫早産が進んだりと悪影響を及ぼすので
今後感染兆候の出現に注意が必要です。
この為、定期的採血で、炎症の状態を追っていくと同時に、毎日のモニターで
子宮の張りの増強がないか、適時の診察で子宮口が開いてこないか見ていきます。
今後、子宮内感染憎悪、分娩停止等の母体適応で緊急帝王切開術となりえます。
子宮の構造に関して、前医からの情報を参考にしながら、
更にわかる範囲で注意して診察して行きます。
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なんだか良くないことばかり書かれていて、すごく不安でずっと心臓がどきどきしていました。
子宮頚管がさらに短くなっていることにショック。
破水検査陰性のところは、そりゃそうでしょ、破水なんてするわけがないよ、
なんて思ったけど、気になって、「破水したら必ずわかるものなのですか?」と聞く。
「わからないくらい微量に破水してしまうこともあります。」と言われる。
そして数日後、これが現実になり、辛い治療が始まるとはその時は知りませんでした。
それから、ここの病院では、22週から23週は下からのお産、
24週から33週は、下からのお産だと、胎児にとっては負担なので、
帝王切開と決まっていました。
先生たちとのお話が終わり、また車椅子で病室へ移動。
通されたところは、MFICU(母体胎児集中治療室)。
ICUに入っちゃうほど、私って重症なの?とそのとき思ったけど、
点滴を抜く35週までずっとそこにいました。
MFICUは6床だったけど、私ともう一人しかいませんでした。
そして、その人は明日予定帝王切開手術でした。
母体搬送されたら同じような週数が若い妊婦さんが結構いて、
お互い励ましあいながら入院生活を送れる、と漠然と思っていた私。
週数が若い妊婦さんはいず、数日後には辛い事実が判明し、
この後数週間が入院生活で一番辛かった気がします。





































